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Bad Guys  作者: ブッチ
Children play
30/146

Lobster Hunt

 太陽が地平線の彼方へと沈んでいき、空は橙色一色に染め上げられている、時間にしてY0553頃。『パラヒリア』から徒歩で一時間半程した場所に位置する、膝丈程の草が生い茂る平原地帯。そのど真ん中に人の手によって引かれた道から外れた場所に、レズノフ達五人は訪れていた。


「綺麗ですね……」

「そうですねぇ…。あの、薄らと暗くなり始めた空に浮かぶ一番星なんて、ホント、綺麗ですねぇ…」


 平原のど真ん中で、顔を真上に向けて空を見上げながら、ミヒャエルとナターシャが会話を交わす。その近くでは、ゼシカが水筒に口を突けて喉を潤わせ、ルイスが黒一色の包帯の様な布を拳に巻き付けていた。


「っと、これで良し。なぁ、オッサン。ランドシザースは見えてきたか?」


 布を拳に巻き付け終わったルイスは、両手の指を開いたり閉じたりして感触を確かめると、緑一色の平原の中に灰色のアクセントを加えている、高さ一メートル程の岩の上に座って伸縮式の望遠鏡で周囲を見渡しているレズノフに声を掛ける。


「いんや、バカデケェロブスターの姿は、今んところ見えねェなァ」


 声を掛けられたレズノフは望遠鏡から目を離さないまま、ルイスの質問に答える。その口調には、自らを“オッサン”呼ばわりされたにも関わらず、苛立ったり気分を害したりといった調子は微塵も込められていなかった。というのも、このルイスのレズノフの呼び方は、いわばレズノフ自身で許可したようなものだからだ。

 ギルド『タル・ティル・スロート』で依頼を改めて依頼を受注した際、レズノフ達とナターシャ達は相手のギルドランクを互いに把握することが出来た。その際に判明した、ナターシャ達のギルドランクは、ナターシャがD3で、ルイスとゼシカがD1。つまり、三人共レズノフとミヒャエルのC2より下のランクに属していたのだ。この事実は、バウンモルコス討伐の事実に追い打ちをかける形でナターシャ達三人を萎縮させ、初めからさん付けで呼んでいたナターシャだけでなく、他の二人までさん付けでレズノフ達を呼び始める始末になってしまった。

 だが、ミヒャエルはともかくレズノフにとっては、他人から、しかも同じ戦場で同じ旗を振るう人間からさん付けで呼ばれたところで、むず痒い以上の感情を覚えることがないので、好きに呼ぶように言った結果、ルイスからは“オッサン”、ゼシカからは“あなた”か“レズノフ”、ナターシャからは相変わらずのさん付けで呼ばれることになったのだった。

 もっとも、日ごろからヴィショップやヤハドにゴリラだの原人だのと言われ、それを笑い飛ばしているレズノフにとっては、今更オッサン呼ばわりされたところで欠片も不快感を感じなかったが。


「分かった。そろそろ交代しようか?」

「いや、別にいいわァ。どうせこれ以外やることもねェしなァ」


 レズノフの返事を聞いたルイスが見張りの交代を申し出るが、レズノフは望遠鏡を覗き込んだ体勢のまま、冗談めいた口調でその申し出を断った。

 ヴィショップ達がこの場所に到着したのは、街で昼食を取ったりした後の、まだ日が沈み始めていない一時間程前。というのも、ギルドで依頼を受けた後レズノフ達は、「ランドシザースが行動を始めるのは夕暮れ時から」というナターシャの説明を受けていたのだ。

 つまり、ランドシザースが活動を開始したであろうこの時刻からが、本当の意味での依頼の始まりといえるだろう。


(にしてもなァ…)


 レズノフは、申し出を断れられたルイスが手持無沙汰に草を弄る音を聞きながら、望遠鏡から視線を外して、鞘に納められた愛用の大型ナイフを手に持って、じっと見つめる。

 今現在、このナイフの刀身には、ギルドの方から支給されたランドシザース用の毒薬が塗り込まれている。接種から数秒で死に至るという即効性の猛毒らしく、中々に危なげな代物だが、この毒薬の入った瓶を渡してきた紫色の髪の女性曰く、高温で熱すれば簡単に死滅させられるらしい。猛毒で仕留めたランドシザースを街まで持って帰り、高温で炙って毒を打ち消して食用として使えるようにする、というのがランドシザースの肉が皿の上に盛りつけられるまでの一般的な流れらしい。


(いくら何でも、力技すぎんだろォ…)


 その開き直った様に強引な手段に、レズノフは思わず苦笑を漏らす。


あの嬢ちゃん(ナターシャ)の話だと、ランドシザースを使った料理は超人気商品らしいが…一回猛毒を取り込んだヤツの肉を、そんなに喰いたがるかねェ…? それともコッチの世界の人間は、どいつもこいつも肝っ玉の据わった奴ばかりなのかァ…?)


 自分がかつて居た世界と今いる世界に対して微小なカルチャーショックを覚えながら、レズノフはナイフを手で弄ぶ。

 そんな中、レズノフの視界に移る、緑と僅かばかりの灰色で構成された光景の片隅に、小さな赤と紺色の物体が蠢いていた。


「おっ?」


 レズノフはその物体を捉えるや否や、太腿のベルトに大型ナイフを戻すと、望遠鏡を物体の方へと向けて覗き込む。

 覗き込んだ望遠鏡の先に居たのは、お目当ての存在。片方は茹でられたのかと勘違い思想な程に真っ赤な口角を持った、もう片方は赤の固体よりも若干大きな、紺色の口角を持った、文字通りロブスターをそのまま牡牛サイズまで拡大した様な見た目の二匹の魔獣…ランドシザースが、非常にゆっくりとしたスピードで動いていた。


「来たか…。完全に日が落ちたから来るんじゃないかと思ってたが、意外に早かったなァ…」


 レズノフはニヤリと笑みを浮かべると、望遠鏡を荷袋にしまって立ち上がり、そして思い思いの行動をしている四人に向かって声を上げた。


「嬢ちゃん坊ちゃん紳士淑女の皆々様ァ、お楽しみのところ悪いが仕事の時間だぜ」


 座ってた岩から飛び降りながらレズノフがそう告げると、ミヒャエルを除いた三人の表情がに真剣なものへと変わる。特にルイスとゼシカは、表情が切り替わるまでに一秒と経っていなかった。

 その若さとは不釣り合いな切り替えの速さに、二人の潜り抜けてきた戦いの一端を垣間見て、レズノフが口角を吊り上げていると、水筒を腰のベルトに括りつけたゼシカが質問をぶつけてきた。


「で、目標はどこにいるの?」

「十一時の方角……って、分かるか?」

「分かるわよ。えっと、どれどれ……居た」


 自分の常識が通じるかどうかを確かめる意味で訊ねたレズノフの質問を、子供扱いされていると受け取ったらしいゼシカは、少しムッとした口調で返事を返すと、ナターシャから望遠鏡を受け取って二体のランドシザースの姿を確かめる。


「どうだった?」

「あの女の人の言った通り、番いで行動してるわね。二匹を完全に分断するのも難しそうだし…やっぱり二手に分かれる?」


 ルイスの質問に答えたゼシカは、ナターシャに望遠鏡を返すと、レズノフに二手に分かれる作戦を提案する。提案を受けたレズノフはニヤリと笑うと、ミヒャエルのフードを掴んで引き寄せながら答えた。


「オーライ。んじゃ、デケェ方を俺と強姦魔で殺るから、嬢ちゃん達は茹であがってる方を殺れ」

「えっ、僕達でデカい方をやるんですか!? っていうか、僕達二人でやるんですかぁ!?」


 自分が全く関与していないところで、いつの間にか自分が最も危険な方に身を置いてることに気付け、ミヒャエルは抗議の声を上げようとする。だが、


「デカいのはメスの方で、特にオスとの違いは無いものの、デカい分メスの方が少し厄介なんだけど……まぁ、バウンモルコスよりはかなり弱いし、大丈夫よね」

「おゥ、任せとけ。それより、嬢ちゃん達の方は大丈夫かァ?」

「ふん、あれぐらいの魔獣、ここにくるまでの間に何体もブッ倒してきたし、はっきり言って余裕だね」

「へェ、そいつは面白れェ…」

「あぁ、やっぱり、僕の意見は無視ですか…」


 その抗議の声が聞き入れられることは、やっぱりというべきか今回も無かった。


「えっと、その…あ、危なくなったら助けにいきますので、大丈夫ですよ」

「あぁ、僕の心配をしてくれるのは、ナターシャさんただ一人ですよ…」


 自嘲気味な笑みを浮かべて肩を落とすミヒャエルの姿を見かねたのか、ナターシャが声を掛ける。すると、それが相当に嬉しかったのか、ミヒャエルは感極まった様子で返事を返す。そんな二人の姿をレズノフは一瞥した後に、背負っていた大剣を抜き放って肩に担ぐと、戦いの火ぶたを切って落とすべく声を上げた。


「じゃあ、行こうぜ、野郎ども。レッツ・ロールだ」


 獰猛な笑みを浮かべてそう言葉を発した瞬間、レズノフは大剣を担いだまま平原の向こうに見えるランドシザースに向かって走り出す。それに一瞬遅れてナターシャ達三人が続き、それから更に三秒ほど遅れてミヒャエルが続いて行った。

 活力を感じさせる緑色の草の海の中を、黒い胸当てと手甲を身に着けて大剣を担いだレズノフが、その図体と身に着けている装備からは想像も出来ないようなスピードで駆け抜けていく。獰猛な笑みを浮かべながら、僅か一瞬のタイムラグしかないナターシャ達三人との距離をどんどんと離してランドシザースに接近していくその姿は、まるで獲物を見つけた肉食獣の様であった。

 つい先程までは僅かに見える程度だったランドシザースの姿はあっという間に大きくなっていく。そしてその大きさが、先に聞かされていたランドシザースの大きさに近づいてきた瞬間、レズノフの存在に気付いた赤と黒、二匹のランドシザースがレズノフの方へ緩慢な動きで向き直る。


(近くで見ると、本気でデケェなァ…)


 ランドシザースの持つ一対の鋏の射程圏内まであと数歩という所まで近づいたところで、レズノフは改めてランドシザースの大きさを実感する。高さは二メートルに迫り、鋏まで含めた全長は七メートル近い。流石にバウンモルコスには及ばないが、それでも充分にレズノフにとっては常識外れの生物だった。

 もっとも、だからといって、目の前のランドシザースに対して恐怖を覚えるなんてことはなかったが。


「踊ってもらおうぜェ、お姫様ァ!」


 レズノフは楽しげに軽口を叩くと、紺色の甲殻をしたメスのランドシザースに向かって突進する。

 メスのランドシザースはレズノフが自分の方に向かってきたのを捉えるや否や、左腕についた人など容易く両断できそうな鋏を、レズノフに向かって振り下ろす。


「当たるかよォ!」


 だがレズノフは、その一撃を真横に飛んで回避。そして地面に突き刺さった、身の入っていない鋏の先端部分めがけて大剣を振り抜こうとするが、


「おっとォ!」


 ランドシザースが右腕を振りかぶり、鋏でレズノフを薙ぎ払おうとしていることを察して、身体を咄嗟に地面に投げ出す。その結果、薙ぎ払われた右の鋏はレズノフの真上スレスレを通過し、地面に突き刺さっていた左の鋏に激突。地面に突き刺さっていた左の鋏の先端付近を一撃でへし折った。


「力はあるがお頭は足りないってかァ? まァ、長引かせるのは良くなさそうだなァ」


 レズノフは立ち上がると、地面に突き刺さったままの鋏の先端部分、そして先程よりは幾分か速い動きで後退しながら、へし折れた鋏を振り回すメスのランドシザースの姿を見て、小さく笑みを浮かべる。

 後退してレズノフから距離を取ったランドシザースは、二つの鋏を開いて振り上げ、その場から動かずに、まるで威嚇でもするかの様に頭を持ち上げる。そんなランドシザースの姿を、レズノフが大剣を肩に担ぎながら見ていると、


紗鵬流(しゃほうりゅう)奥義、鎧抜掌!」


 少し後ろを走っていた筈のルイスのものと思わしき咆哮が上がったかと思うと、金属をへこませたかの様な鈍い音がレズノフの鼓膜を揺さぶる。その音に反応してレズノフが微かに視線を背後へと向けると、そこでは頭部にルイスの掌底を叩き込まれたオスのランドシザースが、一瞬宙に浮いた後にひっくり返っているという、物凄い光景が広がっていた。


「オイオイ、マジかよォ! 凄ェな、オイ! 必殺技かよォ!」


 その光景を目の当たりにしたレズノフは、振り向いてメスのランドシザースに完全に背を向けると、目を輝かせながらルイス達の方に視線を向け、ルイスと中々に機敏な動作で元の体勢に戻ったランドシザースを、まじまじと眺める。


「…何やってんですか?」

「ん? なんだ、強姦魔かよォ」


 レズノフが熱の籠った視線をルイス達へと向けていると、やっと追いついてきたミヒャエルが怪訝そうな表情で声を掛ける。レズノフは視線をルイス達からミヒャエルに移して彼の姿を確認すると、興味無さそうに返事を返した。


「ちょっ、何ですか、その反応は!?」

「うるせェなァ、今、俺は忙しいんだよ。少し黙ってろ」

「忙しいって、目の前に獲物がいるのに何やってんですか……って、何でこいつこんな恰好のまま動かないんです?」

「さぁな。威嚇じゃねぇの?」


 両手を振り上げた体勢のまま固まっているメスのランドシザースの姿を見て、ミヒャエルは怪訝そうな声を上げる。レズノフはそれに返事を返すと、溜め息を吐いてルイス達から視線を離し、妙なポーズのまま固まっているランドシザースの方に振り向いた。


「しゃァねェ。取り敢えず、先にこっちの奴片付けるかァ」

「片付けるかって、何か具体的な作戦でもあるんですか?」


 少し不機嫌そうな表情で振り向いたレズノフはそう言うと、鋏を振り上げたままか固まっているメスのランドシザースに大剣の切っ先を突き付ける。その、何やら自信に満ちた姿にミヒャエルが質問をぶつけると、


「そうだなァ……捕まえた後は黄金焼きにするってのは、どうだァ?」

「……はぁ。僕は、オーブンで焼くだけでお願いしますよ。黄金焼きとか、カロリー高すぎて食える気がしませんもん」


 帰ってきたのは、いつもと何ら変わらない、真剣みに欠ける軽口。ミヒャエルは諦めた様に溜め息を吐くと、レズノフの軽口に軽口で応えた。


「オイオイ、ロブスターって言ったら黄金焼きだろォ?」

「勘弁してくださいよ、あんなカロリーの塊みたいな調理方法。普通にオーブンで焼くのがベストですって」


 目の前のランドシザースそっちのけで、ロブスター料理の好みについて語りだす、二人。もし、ナターシャ達三人がオスのランドシザースとの戦いに集中力を持っていかれてなく、この光景を見ることが出来ていたのならば、まず間違いなく茫然とするに違いない二人の行動。だが、いつまでもそれを続けているといったことはなく、二言、三言互いに意見を交わすと、レズノフは改めてメスのランドシザースに視線を向け、ニヤリと笑いながら提案した。


「んじゃあ、アレを先に倒した方の調理方法を採用ってことでどうだァ?」

「…随分と勝ち目の薄い勝負ですね。まぁ、でもダメ元でやってみましょうかねぇ…」


 レズノフの提案に溜め息を吐きながらも、ミヒャエルは手に持っている杖を構える。その姿を見て、レズノフは満足げに笑うと、思いっきり地面を蹴りつけ、相変わらず動く気配の無いメスのランドシザースに向かって突っ込んだ。






 レズノフがメスのランドシザースに向かって突進し始めた一方、オスのランドシザースを引き受けたナターシャ達三人は、ひっくり返ったランドシザースに止めを刺そうとしていた。


「ルイス!」

「おう!」


 ゼシカがルイスに、支給された毒薬を塗り込んだナイフを投げ渡す。ルイスはナイフをキャッチすると、鞘から引き抜いて逆手に構え、仰向けにひっくり返ってもがいているオスのランドシザースに向かって走り出した。


「これで、止め…。なっ…!?」


 ランドシザース目掛けて駆け出したルイスは、ランドシザースまであと数歩という所で地面を蹴りつけて跳躍、甲殻が薄い腹の部分に、逆手に持ったナイフを突き刺そうとする。

 だが、ランドシザースはルイスが跳躍したのとほぼ同じタイミングで右の鋏を地面に叩き付け、その反動で起き上がる。かと思えば、ランドシザースは身体の側面から生えている小さな足を忙しなく動かしてルイスの方に方向転換しつつ、今にもランドシザースの背中に着地しようとしているルイス目掛けて、鋏を振り回した。


「やべっ! 紗鵬流奥義、対撃翔!」


 自分目掛けて物凄い速度で向かってくる真っ赤な鋏の姿を捉えたルイスは、向かってくる鋏目掛けて足の裏を突き出す。そして、突き出された足の裏が寸分違わずランドシザースの鋏を捉えて鋏を蹴りつけると、そのままルイスは鋏を踏み台にして、身体を回転させながら後方へと飛び退いた。


「大丈夫ですか!?」

「あぁ、大丈夫だ」


 ルイスは地面に着地すると、心配そうに声を掛けてきたナターシャに返事を返す。そんな彼の視線の先では、オスのランドシザースが鋏を振り上げながら三人に向き直っていた。


「どうやら、怒らせたみたいだな」

「そうみたいですね」


 威嚇の体勢を取って三人に向き直ったまま動かないランドシザースを見て、ルイスと面倒臭そうな、ナターシャは真剣味を増した表情を浮かべる。


「ほら、アンタ達、ぼさっとしてないで、さっさといつも通りに行くわよ」


 すると、ゼシカが右手をランドシザースに向かって突き出しながら、二人に動き出す様に促した。


「あいよ」

「分かりました!」


 二人はゼシカの言葉に返事を返すや否や、ルイスはていつでも走り出せるように身構え、ナターシャは身に着けている凝った装飾の施されたナイフを引き抜いて、その切っ先をランドシザースへと向けた。


「ナターシャは、あいつをひっくり返した後を、ゼシカは俺があいつに近づくまでを頼む」

「分かったわ」

「分かりました!」


 左手に持ったナイフを握りしめながらルイスが発した言葉に、ナターシャとゼシカが短く返事を返す。その返事を聞いたルイスは、深く息を吐き出すと、その次の瞬間、声を張り上げた。


「行くぞ!」

「はい!」

「分かった!」


 二人が力強く返事を返した瞬間、ルイスは身体を沈み込ませながらランドシザースに向かって駆け出す。そのスピードは、先程のレズノフに勝るとも劣らない程で、あっという間にランドシザースとの距離を詰めていった。

 先程とはまるで違う速さで肉薄してくるルイスの姿を黒真珠の様な目で捉えたランドシザースは、ルイス目掛けて二つの鋏を振り下ろそうとする。

 だが、


「四元魔導、大地が第三十二奏“ウォール・イレクト”!」


 ランドシザースが鋏を振り下ろすよりも早く、ゼシカが魔導魔法を発動。ランドシザースが振り下ろそうとしている鋏の真下から岩石の壁が現れ、鋏がルイス目掛けて振り下ろされようとしていたのを防ぐ。

 ルイスは鋏による攻撃が無効かされたのを、視線を僅かに左右に向けただけで確認すると、スピードを落とさぬままランドシザースの懐に潜り込むと、


「紗鵬流奥義…」


 そのまま身体を回転させ、ここまで走ってきた勢いを遠心力で更に増大させた、渾身の後ろ回し蹴りを、ランドシザースの身体に叩き込んだ。


「昇鎚螺撃!」


 殆ど真上に向かって足を突き出す形で放たれた後ろ回し蹴りは、少なく見積もっても数百キロはあるランドシザースの身体を、まるで風に吹き上げられた木の葉のように蹴り上げる。蹴り上げられたランドシザースは、先程のルイスのように空中で身体を回転させて、背中から地面に激突した。


「神導魔法黒式、第二十四録“エンヴォルト・チェーンズ”!」


 ズシンという鈍い音を立ててランドシザースが地面に落下するや否や、ナターシャが神導魔法を詠唱し、ランドシザースの身体は、その真下に突如として現れた魔法陣から伸びてきた漆黒の鎖によって地面に磔にされた。

 地面に磔にされたランドシザースが、身体に巻き付いた鎖を解こうともがく中、ナターシャの発した詠唱が黄昏の空に消えていく。もがくランドシザースを見ながら、誰も言葉を発しない中、最初に言葉を発したのはランドシザースを蹴り飛ばしたルイスだった。


「……痛ッ、やっぱし、これだけ重い奴に打ち込むのはキツイなぁ…」


 ランドシザースを蹴り飛ばした、黒い包帯の様な布を巻き付けている右足を擦りながら、ルイスは渋い表情を浮かべる。

 すると、魔導魔法で生み出した岩石の壁を消滅させたゼシカが、呆れた口調でルイスに話し掛けた。


「ちょっと、ナターシャが現在進行形で大変でしょ? アンタの頑丈さは折り紙つきで、どうせ骨にヒビも入っていないんだから、さっさと止めさしなさいよね」

「チッ、分かったよ。ったく、ちょっとは心配してくれてもいいだろうによぉ…」


 さっさと止めを刺す様に促されたルイスは、文句を言いながらもオスのランドシザースの真っ赤な口角を上っていく。

 その様子を見たナターシャが慌てて口を挟もうとする。


「あ、あの、私なら大丈夫で…」

「いや、流石にナターシャが頑張ってるのに、無駄話してるのはアレだからな。さっさと片付けるから、もう少し頑張ってくれよ」


 が、ルイスは小さく笑って返事を返すと、多少なりとももがいているランドシザースの身体を、軽業師もびっくりな速さで昇っていく。そしてランドシザースの腹の真上まで辿り着くと、左手に持っていたナイフをランドシザースの腹の甲殻が薄くなっている部分に突き立てた。

 その直後、今まで盛んにもがいていたランドシザースの身体が唐突に硬直したかと思うと、二、三回痙攣した後に、ランドシザースの身体は微動だにしなくなった。


「うしっ、もういいぜ」

「は、はい」


 ルイスは段々と冷たくなっていくランドシザースの身体からナイフを引く抜くと、ナターシャに神導魔法を解除するように告げる。

 ナターシャが返事を返し、神導魔法を解くと、今までランドシザースの身体に巻き付いていた漆黒の鎖が、最初からその存在自体が無かったかの様に消えていく。そしてルイスは、神導魔法が解除された後もランドシザースが動く素振りが無いことを確認すると、ランドシザースの死体から飛び降りた。


「お疲れさん」

「どうも。今度は、第一声がそれだと嬉しいんだけどな」

「はいはい。それより、レズノフ達の方はどうなってるのかしら」


 地面に降り立ったルイスにゼシカが労いの言葉を掛けると、ルイスは軽口でそれに応える。その軽口を軽く受け流して、ゼシカはレズノフ達が戦っているメスのランドシザースの方に視線を向ける。


「って、えっ?」


 するとその瞬間、視界の先に広がっている光景を見て、ゼシカは思わず間の抜けた声を上げてしまった。







「と、意気込んだはいいものの、さて、どうするかねェ…」


 ナターシャ達はオスのランドシザースと戦っている一方、メスのランドシザース目掛けて突っ込んでいったレズノフは、自分に向かって振り下ろされる、残った右の鋏を躱しながら、つまらなさそうに呟いた。

 というのも、勢いよく突っ込んだはいいものの、レズノフはランドシザースに対して決め手となる攻撃を繰り出せずにいたからだ。

 ランドシザースの身体は、腹の部分を除いたその全てがそれなりの厚さを持つ甲殻に包まれており、その甲殻は生半可な攻撃では傷を負わせることは出来ない程に堅牢だ。だが、かといってレズノフの攻撃では甲殻を貫いてランドシザースと仕留めることが出来ないという訳でもない。むしろ、身の丈程もある大剣を易々と振り回すレズノフの膂力と、大剣自体の重みを考えれば、致命傷となりうる一撃を繰り出すのは難しいことではない。しかし、そうなると今度は逆に加減が出来ず、ランドシザース自体の身体に大きな傷跡を残すことになる。そうなれば、例えランドシザースを倒せても依頼自体を失敗してしまうことになってしまう。

 つまり、ランドシザースをひっくり返したり、甲殻だけを破壊する術を持たないレズノフは、ランドシザースに向かって攻撃すること自体が出来ない状況にあるのだった。


「チッ、こいつは思ってた以上につまらねェなァ」


 自分から攻撃を仕掛けて仕留めることが出来ず、ただただ向こうからの攻撃を裁き続けないといけないという事態に悪態を吐きつつ、レズノフは自分目掛けて突き出された鋏を転がって避ける。


(このまま近づいててもいたずらに体力を消費するだけだしなァ…一回下がるかァ?)

「レズノフさぁん! いい作戦、思いつきましたぁ!」


 その一方で、レズノフが一先ずランドシザースから距離を取ろうかと考えていると、少し離れた所でレズノフがランドシザースの攻撃を捌くのを見ていたミヒャエルが、レズノフに向かって声を張り上げた。


「んだよ、強姦魔。テメェの魔法が役に立たねェのは、もう証明されただろうが」

「つ、次は大丈夫ですよ! 多分ね!」


 後ろに飛び退いてランドシザースの鋏の射程圏内から外れたレズノフが、後ろを振り返りながらミヒャエルにそう告げると、ミヒャエルは、心外な、とでも言いたげな表情で反論する。

 今でこそ、こうしてレズノフが戦っているのを見ているだけのミヒャエルだが、最初の方はちゃんとランドシザースとの戦闘に参加していた。だが、彼の使用する魔法は所詮、初級編に載っている魔法まででしかない。当然、その程度の魔法では人間はともかく、硬い甲殻を持つ魔獣であるランドシザースに通用する筈もなく、早々にレズノフに役立たずと認識され、居ても邪魔なのでそこら辺で黙って見ているよう、レズノフに言いつけられたのだった。

 故に、レズノフは妙に自信ありげなミヒャエルの顔を、全く期待していない視線で見つめる。元々、『世界蛇の祭壇』でミヒャエルに直接的な戦闘能力が無いのは承知していたので、ミヒャエルがこのまま突っ込んで行って、先程のルイスみたいにランドシザースをブッ飛ばすなんてことは、世界の自転が突然止まることよりも有り得ない。それに加え、ミヒャエルが今までまともな案など出した試しが無かったので、どうせ今回も失敗する以外なビジョンが浮かんでこない。そして失敗すれば、自分が尻を拭う破目になるに決まっている。少し考えれば、何かを任せられる程、ミヒャエルには信頼も実力も無いのは分かることだった。

 だが、


「んじゃ、やってみろ」

「え、いいんですか?」


 それでも、レズノフはミヒャエルの案とやらに乗ってみることにした。

 どうせ、このまま続けていても無駄に時間と体力を遣うだけで、楽しくもなんともない。だったら、例え好転する確率がどれだけ低かろうが、状況が変わるかもしれない方に賭けてみる、そう考えて。


「あァ。このままやってても、つまらねェだけだしな。何か変わるかもしれねェし、やってみろ。失敗しても助けねェけどな」

「えー、じゃあ、やるの止めようかなぁ…」

「やんないなら、お前のケツにアレを突っ込む」

「分かりました、やります、やります! でも、何かあったら助けてくださいよ!」


 途端に態度を翻し始めたミヒャエルに向かって、レズノフが地面に突き刺さっているランドシザースの鋏の先端部分を指で指しながら脅しをかけると、ミヒャエルは半ばヤケクソ気味に返事を返して、再び威嚇の体勢をとって動かないランドシザースに向かって杖を構えた。


「四元魔導、大地が第三十二奏“ウォール・イレクト”!」


 ヤケクソ気味の口調のまま、ミヒャエルは魔導魔法を詠唱する。するとその次の瞬間、ランドシザースの身体の右側面に生えた、何本もの脚の真下から岩石でできた壁が突き出し、ランドシザースの身体を突き上げるようにして空中に跳ね上げた。


「へェ…、存外、やるじゃねェかァ…!」


 くるんと回転しながら宙を舞い、地面に背中から落下する、メスのランドシザース。その姿を見たレズノフは、一瞬意外そうな表情を浮かべた後、すぐに犬歯を剥き出しにする程に唇の端を吊り上げると、ひっくり返ってもがいているランドシザースに向かって走り出した。


「ほ、ほら、成功したじゃないですか! って、レズノフさーん!?」


 背後から飛んでくるミヒャエルの自慢げな声を無視して、レズノフはランドシザースへと肉薄する。

 だが、あと数歩でランドシザースの甲殻に手が届く所まで近づいた瞬間、仰向けにひっくり返ってもがいていたランドシザースは、自らの右の鋏を地面に叩き付けると、その衝撃で身体を反転させながら浮かび上がり、一瞬にして体勢を立て直した。


「うっそぉっ!? 何すか、アレ!? マジっすか!?」


 今までの挙動からは予想もつかないようなアクロバティックな動きを目の当たりにして、ミヒャエルが目を大きく見開いて声を上げる。

 だが、ミヒャエルがそんなことをしている間にも、元の体勢に戻ったランドシザースは、自分のすぐ近くまで来ているレズノフに向かって、鋏を振り下ろそうとしていた。


「オイオイ、マジかよ、凄ェな、オイ!」


 だが、当のレズノフは、自分に向かって鋏を振り下ろすとするメスのランドシザースの姿を、熱の籠った視線で見つめていた。

 そして、


「楽しくなってきたなァ、オイ!」


 一歩ランドシザースに向かって踏み込むと、自分に向かって振り下ろされようとしているランドシザースの鋏に向かって、両手で握りしめた大剣を思いっきり振るった。

 レズノフの剛腕によって振るわれた鈍く銀色に光る刀身は、一筋の軌跡となって宙を切り裂き、そして、


「ちょ…」


 ランドシザースの腕から伸びる、その身を包む甲殻と同じ色…紺色の鋏を切り飛ばした。


「……あ」


 レズノフの一撃によって腕から切り飛ばされた分厚い鋏が、くるくると回転しながら空を切り、そして鈍い音を立てて地面に突き刺さる。

 その音を聞いた瞬間、レズノフは自分のしたことを理解して間の抜けた声を出し、ミヒャエルは悲鳴に近い声を上げた。


「な、何やってるんですか、レズノフさん!?」

「いやァ、ほら、何か、テンション上がっちまって…」


 地面に突き刺さったランドシザースの鋏に視線を向けながら、レズノフは大して悪気が無さそうに答える。


「テンション上がっちゃって、じゃないですよ! どうするんですか、これ!? 依頼人に何て説明するんですか!?」

「大丈夫だろ。ほら、どうせ食う時には鋏は外すんだし」

「そういう問題じゃないでしょう!? あぁ、もうどうするんですかぁ! 鋏とか、身が詰まってて美味しい部分じゃないですかぁ! 絶対、文句言われますってぇ!」

「大丈夫だろォ、出来るだけきれいに切ったし……って、逃げんなよ」


 地面に突き刺さったランドシザースの鋏を見て頭を抱えるミヒャエルに適当に返事を返しつつ、レズノフはランドシザースが居る筈の場所に視線を向ける。するとそこでは、鋏を二つとも失ったランドシザースが二人に背を向け、緩慢ながらも必死さが伝わる動きで逃げようとしていた。

 レズノフはミヒャエルとの会話を中断してランドシザースの方に向き直ると、ランドシザースに左の肩口が向くほどに身体を捻り、大剣を両手で担ぐようにして構える。そして、一呼吸置いた後に、身体全体を使って大剣を、ランドシザース目掛けて投擲した。

 レズノフの手から離れた大剣は縦に回転しながらランドシザースの左側面から突き出ている何本もの脚に向かって突き進み、その大部分を切り裂いて、地面に突き刺さった。


「何やってんですか、レズノフさーん!?」


 左側の脚の殆どを失い、バランスを崩して地面に倒れ込むランドシザースを見て、ミヒャエルが更に悲鳴を上げる。だが、当の本人は、


「んだよ、別にあの脚は食わねェからいいだろ? 身なんて殆ど入ってねェようなもんだし」


 何事も無いような顔をして、太腿から愛用の大型ナイフを引き抜いていた。


「だから、そういう問題じゃないんですって! ロブスター頼んで、あちこち欠けてるのが出されたら嫌でしょうが! それに、あんだけデカければ脚にだって食べられる程の身が詰まってるに決まってますよ!」

「あー、かもしんねェな。でも、まァ、俺は食いたくねぇし」

「それは、あんたの好みの問題でしょうがっ!」


 相変わらず悪気の欠片も無いレズノフの顔を見て、ミヒャエルは我慢できなかったのか、口調を荒げる。レズノフはそんなミヒャエルに視線も向けないまま、地面に倒れ込んでいるランドシザースに向かって歩き始めながら、ミヒャエルに指示を送った。


「取り敢えず、仕留めるとしようぜ。ほら、さっさとひっくり返せ」

「……ハァ。分かりました。でも、僕のせいじゃないですからね。僕は悪くないですからね」


 ミヒャエルは深々と溜め息を吐くと、ぶつぶつと文句を漏らしながらも、先程と同じ魔導魔法を詠唱してランドシザースをひっくり返す。レズノフは先程と比べると心なしか力無くもがいているように思えるメスのランドシザースに近づくと、紺色の甲殻に手を伸ばしてよじ登り、ランドシザースの腹にナイフを突き立てた。


「よし、ざっとこんなモンだなァ」


 そして数回の痙攣の後にランドシザースの身体が動かなくなったのを確認すると、ナイフを太腿の鞘に納めながら満足げに呟いた。

 オスのランドシザースを仕留めたナターシャ達三人が、鋏を二つとも使い物にならなくされて仰向けにひっくり返って死んでいるランドシザースを、茫然とした表情で見つめているのも知らずに。

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