Reach Out
レズノフ、ミヒャエル両名が『ホテル・ロケッソ』での強盗騒ぎに巻き込まれ、そして事態の収拾が図られてから約五時間程が経過した頃。『パラヒリア』郊外の森林地帯…この鬱葱と木々が生い茂るこの森の中で、茂みの陰に隠れるようにして地面に伏せている二人の人間が居た。
「おい、米国人。今、何時時だ?」
「約午前二時ってとこだな。こっち風に言うなら、H0214ってとこか」
腹這いで地面に伏せて灯りを消し、夜の浅い内に集めた木々の葉を被って目立ちにくくしたヴィショップとヤハドが視線を眼前のやや開けた場所に向けながら、小声で会話を交わす。
「本当に、やつらはここに来るのか?」
「お前がそう判断したんだろ?」
「前提として、あの女共の記憶が間違っていたという可能性も考えられる」
ヤハドはヴィショップの言葉に返事を返し、レズノフがアンジェ達から貰ってきたこの辺り一帯の大まかな地図を取り出す。その地図に描かれたパラヒリア周辺の森林地帯の一点には黒いバツ印が書かれていた。
このバツ印の地点こそ、アンジェ達が子供の死体を運ぶ男達の姿を発見した場所であり、ヴィショップ達が現在張り込んでいる地点であった。
「じゃあ、お前が見つけた痕跡はどうなるんだ?」
「それは…確かにそうだが…」
地図を眺めながら苛立ちを滲ませるヤハドを、ヴィショップが宥める。もっとも、日が暮れるまで馬車に揺られ続けたと思ったら深夜まで地面に寝そべっての見張りなのだから、多少のフラストレーションが溜まるのも仕方のない話だろう。実際、ヴィショップの口数もいつもと比べればあまり多くは無く、軽口を叩くことも少なかった。
この場所を見つけて張り込み始めてから数時間、ヴィショップ達が他の場所へと移動せずにこの場所に拘るのは、過去にアンジェ達が死体を処理する男達と遭遇したということ以外にも、ある理由が存在した。それこそが、ヴィショップの発した言葉の中にも含まれていた、ヤハドの発見した“痕跡”である。ヤハドはこの場所に訪れた時、所々に人の居た痕跡のようなもの…人の足跡と思しきものや、地面に生える葉に付着した血液のようなものを見つけていたのだ。
「まぁ、今日中に来ない可能性だって充分にあるだろうさ。その為に食糧は確保しておいたんだろう?」
「……そうだな」
葉っぱが落ちないようにゆっくりと身体を動かし、干し肉を取り出したヴィショップの姿を横目で捉えると、ヤハドは小さく溜め息を吐いて彼の言葉を肯定する。
ヤハドとしても、ヴィショップの言葉通り、死体を処理している男達に接触出来る可能性が低いことは充分に承知していた。だがそれでも、深夜遅くまで碌な休息も得られぬ今の状態では、愚痴の一つでも吐きだしたい、というのが本音であった。
「それにしても、本当に魔獣が寄ってこないな。大したものだ」
「そうだな。まぁ、信じてもいねぇ神の家に通っただけの価値はあった訳だ」
そんな感情を切り替えるべく、ヤハドは話題を変えて話しかける。
この『パラヒリア』郊外の森林地帯には魔獣が生息している。その為二人はこの場所に張り込むにあたって、ある神導魔法を使用していた。その名は“ウィージィー・サンクチュアリ”という魔獣避けの魔法で、ヴィショップが先日手に入れた『神導魔法初級編』に載っていたものだ。あくまで初級編に記されているような魔法なので、指定した狭い範囲にしか効果は及ばず、人間等に直接使用することも出来なければ、効果があるのも比較的弱い魔獣のみ。だがその一方で一度発動すれば魔力を供給しなくても数時間は発動し続けるという特性を持っており、今回の張り込みというシチュエーションに、この森に生息している魔物の大半が一般人でも武器を持っていれば勝てる程度の存在であるのも相まって、その効力を遺憾無く発揮していた。
「まぁ、どんな魔物が出てくるのか少し見てみたい気もするがな」
「確かに、俺達が見たのはあのグロテスクな奴等だけだもんな」
ヤハドが軽口を叩き、ヴィショップがそれに賛同して苦笑する。ヴィショップ達がこの世界に来てから遭遇したことのある魔獣はバウンモルコスの系統のみであり、そのどれもが見ていて楽しい見た目をしてはいなかった。故に二人は、この森に生息している魔獣について若干の興味を持っていた。
ヴィショップは干し肉を齧り、ヤハドは水筒の中身をちびちびと傾けながら、周囲に聞き取れない程度の小声で暇つぶし以上の意味を持たない会話を交わす。だがそんな会話が続いたのも数分の間だった。何故なら、
「……ヤハド」
「分かってるさ、米国人。…来た」
ヴィショップは気配で、ヤハドは微かな物音で、何かが近づいてきていることを悟ったからだ。
二人の会話は一転して鳴りを潜め、全く微動だにしないまま、茂み越しにやや開けた地点をじっと見つめ続ける。そして時間にして二、三分後。遂にその時がやってきた。
「ったく、この真夜中に森ン中歩き回る破目になるとはなぁ」
「まったくだぜ。あの変態野郎、少しは自重しろってんだ」
粗暴な話し声と共に、腰の辺りには小型の光源用の神導具らしき物体と大振りの鉈を下げ、大きな袋を両肩に一つづつ抱えた二人の男が木々の間から姿を現した。
(ゴーだ、ヤハド…!)
(言われなくても分かっている…!)
男達の現れた時間帯、会話の内容。そして袋から微かに漂ってくる血の匂いと、袋に薄らと浮かび上がっている赤い染みで、二人は目の前の男達が目的の人物である可能性が高いと悟る。そして次の瞬間、ヤハドが両手を地面に着いて一気に立ち上がった。
「うおっ!?」
「な、何だぁ!?」
いきなり茂みから飛び出してきたヤハドに驚きを隠すことが出来ず、男達の視線が一気にヤハドに注がれると共に動きが致命的に停滞する。ヤハドは男達が状況を理解しきる前に姿勢を低くして動き出すと、比較的近くに居た方の男の鳩尾に右の拳を突き出す。
「うっ…!」
「何だ、テメェ!」
鳩尾に拳を叩き込まれた男が呻き声を漏らして地面に膝を着く。その光景を見てようやく思考の追いついたもう一人の男がヤハドの顔に向かって蹴りを放つが、ヤハドは左手でそれを受ると姿勢を上げ、右足を振り上げて男の股間を蹴り上げる。そして痛みのあまり前屈みになった男の顔を、左の回し蹴りで蹴り飛ばした。
「クソッ…!」
側頭部を蹴り抜かれた男の身体が一瞬宙に浮き、地面に叩き付けられる。
その一方で最初に鳩尾に拳を叩き込まれた男が膝を着いて立ち上がり、鉈を引き抜こうとする。
「神導魔法黒式、第二十八録“グラートル・チェーン”」
「何ッ!?」
だがそれは、茂みの向こうから放たれたヴィショップの魔法によって失敗に終わる。呪文の詠唱終了と同時に男に向けてかざした右手から真っ黒な鎖が伸び、男の身体に巻き付いて締め上げた。
「…っと、これは……」
両手を身体に密着した状態で縛り上げられてバランスを崩した男が地面に倒れる。男が地面に倒れた後もヴィショップは魔力を流し続けて男を拘束し続けていたが、たった数秒で襲ってきた予想以上の脱力感に軽く驚いた。
(成る程、これがインコンプリーターの弊害か…)
『クルーガ』の『ダッチハイヤー武具店』で店主に言われた言葉を思い出し、ヴィショップは苦笑を浮かべる。
他の魔法を使用していたとはいえ、まだ下級もいいところの魔法を維持し続けるだけではっきりと感じ取れる程の脱力感に襲われるのだ。その上直前に魔法を使用したといっても、この魔法を使用する前に使用したのも下級の魔法でしかない。これではいくら魔導、神導両方の魔法の適正があったところでインコンプリーターと呼ばれるのも納得できた気がした。
「そっちは縛らなくても大丈夫か、米国人?」
「いや、こっちも気絶させて縛ってくれ。どうも老体には堪えるんでね」
「ふん、今は若返ってるだろうが」
「心は老人のままなのさ」
気絶させたもう一人の男を背負っていた袋から取り出した縄で縛り上げながらのヤハドの問いかけに、ヴィショップは空いている左肩を回しながら答える。そしてヤハドが鼻で笑いながら男の顔面を踏みつけて気絶させたのを確認すると、軽口を返しながら魔法を解いた。
「よし、縛り上げたぞ。それでどうする? すぐに叩き起こすか?」
「ふあぁ…。あぁ、そうしてくれ。ただし一人だけだ」
ヴィショップは外套に付いた木の葉を払い落としながら茂みから出ると、欠伸交じりの返事を返す。ヤハドはそんなヴィショップの姿を呆れたように見つめると、溜め息を吐いて気絶した男達の身体を物色し、武器になりそうなものと水筒を取り上げてから、取り上げた水筒の中身を二人の内一人の男の顔に向かってかけた。
「うっ……くそっ……」
顔を濡らす冷水の身を切るような冷たさに、男が呻き声を上げながら覚醒する。その一方でヤハドは、手にかかった水の予想外の冷たさに目を丸くして、水筒をまじまじと見つめていた。
「ご苦労、ヤハド。その水筒はご褒美としてくれてやるから、そこら辺で思う存分眺めてろ」
「…いい度胸だな、米国人……!」
からかうようなヴィショップの言葉にこめかみをぴくぴくと震えさせているヤハドを押し退け、ヴィショップは目を覚ました男の目の前に座る。そして辺りを状況を把握しようと辺りをきょろきょろと見渡している男の眼前で指を鳴らし、視線を自分に向けさせる。
「よう、兄弟。少し教えてもらいたいことがあるんだ」
「……テメェ、こんなことしてただで済むと思ってんのか」
自分の居場所が全く動いていないことに気付いて安心したのか、男が強気な態度で食って掛かる。ヴィショップは男の言葉に適当に頷き返すと、右手でナイフを取り出し、左手で男の茶色の髪を掴んで引き寄せ、ナイフの刃を首元に押し当てた。
「悪いが、前戯を楽しめる程堪え性のある人間じゃねぇんだ。そう何度も訊く気はない。いいな?」
男の首元にナイフを突きつけながら、ヴィショップはそう訊ねる。そして男が微かに頷いたのを確認すると、男の首元にナイフを突きつけたまま話しかけた。
「ならいい。じゃあ、まず最初の質問だ。お前は『ルィーズカァント領』領主の非人間的性癖の餌食になった子供達の後始末をしているか?」
男が首を微かに縦に動かす。それを見たヴィショップが視線をヤハドに向けると、ヤハドは何も言わぬまま男達が襲われた際に地面に落とした袋の所に行って封を解き、中を調べる。
「…嘘は言ってねぇみたいだな」
数秒程袋の中を覗き込んだヤハドが顔を上げ、不機嫌の頂点のような表情を浮かべながら首を縦に振ったのを確認すると、ヴィショップは満足そうな笑みを浮かべて、次の質問へと移る。
「お前は『スチェイシカ』の犯罪組織、『コルーチェ』の人間か?」
ヴィショップの問いかけを聞いた男の両目が驚愕に見開かれる。その内、答えるかどうかを決めあぐねた男の視線が泳ぎだしたので、ヴィショップは小さく溜め息を吐くと、男の首元に当てていたナイフを素早く振り上げ、男の右耳を切り落とした。そして左手を男の髪から離し、今度は男の両頬を鷲掴みにして男の悲鳴が上がるのを阻止した。
「もう一度訊くぞ?お前は『スチェイシカ』の犯罪組織、『コルーチェ』の人間か?」
切り落とされた右耳があった部分から流れ出る生温かい血を左手に感じながら、ヴィショップは再度男に問いかける。男は怯えの混じった眼差しを向け、くぐもった呻き声を漏らしながら首を縦に振った。
「よし。では次だ…」
ヴィショップは突き放す様にして男の顔から左手を離すと、男に対する質問を再開した。
それ以降、男の瞳には常にヴィショップに対する恐怖が宿り、ヴィショップの質問に従順に答え続けた。自らに割り振られた仕事、乗ってきた馬車の場所、死体を処理する為にこの森に用意された小屋の位置、屋敷に入る為に必要な行為、『コルーチェ』の他のメンバー達への定期報告の日時と方法を、男はその口から吐き出した。
だが質問が他の仲間達の居場所になった瞬間、男の口が動きを止めた。
「どうした? 早く言えよ」
「……無理だ。それだけは言えない」
大粒の汗を額に浮かべながら、男は訴えかけるようにして声を発した。それは最早懇願と言っても過言では無かった。
(…成る程)
ヴィショップはそんな男の態度を見て、一瞬で男の心中で激しい恐怖が渦巻いていることを見抜く。そしてこれ以上、男が自分に対する恐怖に屈して情報を漏らすことがないであろうことも。今の男の心中では、ヴィショップに対する恐怖よりも己の仲間達に対する恐怖の方が大きくなっていた。今までの情報はともかく、仲間の居場所まで吐いてしまえば、もしここでヴィショップ達に殺されなかったとしても、裏切者として死ぬまで追い回されるのは目に見えていた。
だが、かといって諦める訳にもいかない。他の仲間への定期報告は書いた手紙を神導具で転送する形式なので、その線から他の仲間の居場所を見つけることは出来ない。目の前の男の口から語られる意外に、ヴィショップ達が仲間の居場所を知る術は存在しなかった。
ヴィショップは小さく溜め息を吐いて、左手の指先を口で咥えて嵌めていた手袋を外していく。先の依頼の後に買い替えた新品の手袋だ。男の怯えた目つきが、ヴィショップの左手から剥がれていく革製の手袋を追う。手袋が完全に左手から剥がれ、口元からぶら下がっている手袋を地面に向かって吐き出される。そしてまるで準備運動かの様に左手の指を動かすと、ヴィショップは一切の温かみの感じられない視線を男の右目に向け、その視線の方向に向かって左手を突き出した。
「………………………!」
ヴィショップの左手の指が男の眼窩に突き刺さる。その瞬間に全身を駆け抜けた壮絶な痛みに、男はあらん限りの絶叫を上げようとしたが、それすらもいつの間にかナイフを手放しているヴィショップの右手が許されなかった。先程と同じように右手が男の両頬を鷲掴みにし、男の口から言葉にならない呻き声が漏れる。だがヴィショップはそれには一切の関心を向けず、男の眼窩に突っ込んだ左手の人差し指と中指、そして親指を動かす。指の腹に触れるぶにぶにと柔らかい物体に指を這わせ、握りつぶさないようにゆっくりと包み込む。そして一本の線のようなものを中心に三本の指が触れあった感触を感じた瞬間、ヴィショップは左手を引き寄せた。
男の右の眼窩から、真っ赤に染まった指先、そして三本の指に挟みこまれた真っ白な眼球が姿を現す。そのまま左手を引き続けると、まるで別れを惜しむ恋人のように眼球にくっついていた視神経が、ぷちっという音と共に千切れて力無く垂れ下がる。男の残った左目はきつく閉じられて涙が零れ、呻き声は一層大きくなって頬に食い込む指先に振動が伝わってくる程だ。
ヴィショップは男の両頬を鷲掴みにしたまま、男の眼窩から抉り出した眼球を自分の顔の前に持っていくと、指先で弄びながら冷めた視線を眼球へと向ける。手元で踊る、真っ黒な瞳孔とそれを囲む灰色の虹彩。それをつまらなさそうに眺めながらヴィショップは男の呻き声が弱まるのを待ち、次第に右手の指先から振動が消えていくのを感じると、男の両頬から右手を離した。
「俺の……俺の目……!」
地面に蹲りながら、男はうわ言の様に呟く。もしこれで両手が自由だったのなら、真っ先にその両手は空洞と化した右の眼窩へと向かっていただろう。
ヴィショップは蹲る男に冷淡な視線を向けながら腰にぶら下げた袋の中身を右手で弄り、二枚の金貨を取り出す。先の以来の報酬のヴィショップへの分け前と、万が一のために預かっておいた余りの一枚だ。
「さて、悲観してるところ悪いが、こっちを向いてもらおうか」
ヴィショップは二枚の金貨を握り占めると、蹲っている男の背中に声をかける。やがて男の顔がゆっくりと持ち上げられ、殺意と恐怖が入り乱れた視線を向けてきたのを確認すると、左指で抉り出した眼球を
弄びながら問いかけた。
「もう一回訊かせてもらおうか。お前の仲間の居場所はどこだ?」
「……くたばれ、クソッタレ…!」
絞り出すようにして、男が声を発する。その予想通りの内容の言葉にヴィショップは小さく笑みを浮かべると、金貨を握りしめた右手を男の顔の前にスッと出した。
「ヒッ!?」
男は怯えた様子で声を上げ、目の前に突き出されたヴィショップの右手から頭を遠ざける。ヴィショップはそんな男の態度に小さく微笑んで見せると、右手を開いて握っていた金貨を見せつけながら口を動かした。
「取り引きだ。もしお前が仲間の居場所を話すなら、お前にこの金貨をくれた上で仲間達に死んだと報告してやってもいい」
「なっ……!」
男の顔が驚愕に染まる。そして視線をヴィショップの掌の金貨に移しかけたが、すぐさま視線を引き剥がしてヴィショップの要求を突っぱねようとした。
「馬鹿を言うな。あいつ等が信じる筈がない」
「安心しろ。ここでお前から抉り取った目玉が生きてくる」
ヴィショップは男の目の前に抉り出した目玉を掲げる。そして男が目を背けるのも構わず、話の続きを話した。
「死んだと報告を入れた際にこの目玉を送りつけてやる。そうすれば、お前の仲間達も信じるに決まっているさ」
「……信じなかったら?」
「信じるさ。賭けてもいい。それとも信憑性を持たせる為にもう一つも抉り出すか?」
そう言って、器用にも男の眼球を手の中に納めながら、残った左目に向けて伸ばそうとしたヴィショップの左手を、必死の形相で頭を振って遠ざける。そんな男の様子を見て小さく笑みを浮かべているヴィショップを男は恨みがましそうに睨み付けると、改めてヴィショップの右手の上の金貨をまじまじと見つめる。
(確かに……これだけあれば……)
確かに、人体の一部は見た者に死というものを強く想起させる。送りつけられた目玉を見た仲間達が、男が死んだという報告を信じる可能性も充分にあるだろう。
だがその事実を差し置いても、もし今の男にあとほんの少しでも冷静さが残っていれば、ヴィショップの掌の上で鈍く輝く黄金の魔力に屈することはなかっただろう。何故なら、男がヴィショップ達の目的を知らないにしても、少し考えれば男の仲間達に報告したところでデメリット以外の何かが生まれることが無いことも、全ての情報を吐き出し終わった自分に金貨二枚程の価値が無いことにも気付けた筈である。
だが、今の男は耳を切り落とされ、目玉を抉り出された結果、恐怖し、狼狽し、憔悴し切っていた。故にヴィショップの掌の上のくすんだ金貨が、恒星の様な輝きを放っているように見えたし、
「どうした? 人生をやり直せるんだぞ?」
胡散臭いことこの上ないヴィショップの散々使い古された一言が、まるで神の宣託の様に聞こえてしまった。
「……『ルィーズカァント領』最北端、『ライアード湾』に面する港町『ダンルート』。そこの『フィティッシュ』っていう酒場に全員居る」
金貨に視線を向けたまま、男はヴィショップの求めた情報をゆっくりと吐き出した。ヴィショップは男が吐き出した情報を一字一句違わずに頭の中に叩き込むと、満足そうな笑みを浮かべて男に話しかけた。
「よく話してくれた。それが賢い選択だ」
「御託はいい。早く縄を解いて、俺に金を!」
ヴィショップの言葉を撥ねつけ、男は拘束を解いて金を渡す様に要求する。その先程までの強気が舞い戻ってきた様な態度に苦笑しつつ、ヴィショップはなるべく自然に落としたかのように男の目に映る様に、掌の上の金貨を男の足元に向けて転がした。
「おっと」
「おい、何やってやがる…」
ヴィショップがわざとらしく声を上げると、男は悪態を吐きながら自分の足元に転がってきた金貨を目で追う。
そして男の視線がヴィショップから完全に離れた瞬間、ヴィショップの右手が凄まじい素早さで地面に突き刺さっているナイフに伸び、ナイフの柄を握って引き抜いたかと思うと、柄を掴んだまま右手が鞭の様にしなり、握っているナイフを男の心臓に向けて投擲した。
「えっ……?」
土を巻き上げながら引き抜かれたナイフが一条の光となって空を切り、男の左胸にその刀身を沈み込ませる。男は唐突に喉元に感じた熱さと痛みに茫然と声を漏らし、何の思考も出来ぬまま無意識の内に視線を左胸から生えたナイフの柄へと向ける。だが次の瞬間、立ち上がったヴィショップが無造作に男の左胸に生えたナイフの柄頭へ足裏を叩き込んだ。
「がふっ」
肋骨に阻まれていたナイフが一気に押し込まれ、肋骨を貫いて男の心臓に突き刺さる。男は口から血を吐き出すと、何が起こっているのか理解出来ていない茫然とした表情のまま仰向けに倒れ、息絶えた。
「それが米国式か? 反吐が出るやり方だな」
物言うわぬ身となった男に近づき、身を屈めて男の胸からナイフを引き抜こうとしているヴィショップに、背後からヤハドが声をかける。その表情は、実に胸糞の悪そうなものであった。
「尋問やら拷問やらの類いに見てて反吐が出ないやり方があるなら、是非お聞きかせ願いたいもんだね」
ヴィショップはヤハドに背を向けたまま、大して興味も無さそうにそう返すと、男の胸から引き抜いたナイフの刀身についた血を男の服で拭き取ってからナイフをしまった。
「…もう一人はどうする? この場で殺すか?」
そのヴィショップの言葉に眉をしかめつつもヤハドは、立ち上がって水筒を取り出して一息を吐いたヴィショップに問いかける。するとヴィショップはヤハドの方を振り返って、ヤハドに指示を飛ばした。
「いや、もう一人も起こしてくれ」
「どうしてだ? もう必要なことは聞き終わっただろう?」
ヴィショップの返答に対し怪訝そうにヤハドが訊ねると、ヴィショップは思い出したように地面に落ちている手袋を拾い上げながら告げた。
「折角もう一人居るんだ。ただ殺すより、情報の精度を上げるのに使った方が合理的だろ?」
何てことは無さ気にヴィショップは返事を返す。そして、好きにしろ、とでも言いたげな視線を向けて動き出したヤハドを眺めながら懐から懐中時計を取り出すと、懐中時計の蓋を開けて呟いた。
「H0347か…。まっ、夜明けまでには終わらせたいな」
そして懐中時計をしまうと、ヤハドに冷水を掛けられて目を覚ましたもう一人の男の方に歩み寄っていった。
左手で弄んでいた眼球を地面に落とし、ブーツで踏みつけて。




