腐敗の剣
「その声は……ルイス!? ってことは後ろに居るのは…!」
いきなりの乱入者の登場、そして乱入者によって強盗犯が一瞬でのされたという事実の前にしんと静まり返った店内の静寂を、ナターシャの声が破る。
彼女が驚きと喜びの入り混じった視線を向ける先では、二人組の乱入者がゆっくりとフードを下ろそうとしていたところだった。
「そっ、アンタの予想通り、ゼシカ・セピスその人よ」
フードが下ろされ、二人組の素顔が露わになる。
フードの向こうから現れたのは、まだ幼さの残る青年と少女の相貌。強盗犯に掌底を打ち込んだのは青年の方で、黒い長髪を後ろで一束に纏め、浅黒い肌をした精悍な顔つき。魔導魔法を使い、今ナターシャの言葉に返事を返したのは少女の方で、オレンジ色の髪を腰の辺りまで伸ばした、高飛車そうな雰囲気を与えるものの、整った顔つきをしていた。
「やっぱり、お二人だったんですね! 今までどこに居たんですか?」
二人組の顔を見たナターシャが、嬉しそうな表情を浮かべ、小走りで二人に駆け寄る。
「どこに居た、はこっちの台詞だな」
「そうよ! まったく。はぐれるなって言ったのに、急に居なくなっちゃうんだから!」
「す、すいませんでした…」
二人組は揃って呆れ声を上げると、駆け寄ってきたナターシャの額を少女が軽く小突き、ナターシャが申し訳なさそうに謝る。
レズノフはその光景…正確には二人組の姿を、興味深そうに眺めていた。
(あの見た目にあの言動…あのガキ共が嬢ちゃんの探してたお仲間ってことで間違いなさそうだな。……だが、実力と場数の踏み方は大違い、か…)
レズノフはナターシャと楽しげにやり取りを交わす、彼女と同じくらいにしか見えない二人組の姿を見ながら、二人組が店内に現れ、流れるような動作と連携で強盗犯を沈黙させたシーンを思い出す。あのような動きは、それなりに経験を積んだ人間でなければ出来ないだろう。
(成る程、ただのガキじゃないって訳だ。…こりゃあ、面白くなってきた)
レズノフは、『パラヒリア』の手前でのヴィショップとの別れ際に交わした言葉を思い出しながら、自分の足元まで引き飛ばされた挙句、白目を剥いて完全に気絶している強盗犯の姿を見て、微かに口角を吊り上げる。
そんなレズノフの表情を、隣に立っていたミヒャエルは気持ち悪そうに一瞥すると、楽しげにやり取りと交わしているナターシャに二人組の説明を求めた。
「えっとナターシャさん? 出来れば僕たちに、この人達の説明をしていただけると…」
「そ、そうでしたね! ごめんなさい、やっと二人に会えたので、つい嬉しくって…」
ミヒャエルの言葉を受けたナターシャは、慌ててレズノフとミヒャエルの方に振り向き、恥ずかしそうな素振りを見せる。
「そういえば、そっちの連中って誰なのよ? アンタの知り合い?」
「えっと、ちょっと待って下さい、ゼシカ。今ご紹介しますので…」
そのミヒャエルとのやり取りで、やっと気付いたかのように少女はミヒャエルの方に視線を向けると、怪訝そうな声でナターシャに問いかける。その言葉にまるで急かされるようにして、ナターシャが互いの紹介を始めようとした瞬間、唐突に店内に歓声が響き渡った。
「何!? 何なのよ!?」
「あー、どうやら、やっと他の客達が状況についてこれたようだな」
突然の歓声に、是しかと呼ばれた少女は驚き、思わず辺りを見渡す。その一方で、先程ルイスと呼ばれた青年は至って落ち着いた様子で状況を分析する。
「あぁ、お二方!」
「ん? 俺等?」
店中に歓声が響き渡る中、先程まで強盗犯に人質にされていた客が少女と青年の前に進み出て、頭を下げる。
「お二人には命を救っていただいて、何とお礼を言ったらよいのか…!」
「いや、別にいいわよ。当然のことしかしてないって」
これでもかとばかりに頭を下げようとする客を、少女はどこか照れ臭そうに止める。
「耳の痛い言葉っすね」
「スタディオン・ルジニキかと思いたくなるくらいの大歓声で、既に鼓膜にズキズキきてるから問題無ェよ」
レズノフが、からかうような笑みを浮かべたミヒャエルの軽口に軽口で答えながら、客達の喝采を浴びる二人組の姿を見ていると、先程魔弓を突き付けられていた赤ん坊を抱いた女性が、ナターシャへと近づいて行った。
「あの…先程は本当に有難うございました…!」
「え? あぁ、さっきのお母さんですか! あの、赤ちゃん大丈夫でしたか? お母さんもどこか怪我はありませんか?」
「えぇ。おかげさまで、この子も私も怪我一つ無く…。本当に、何てお礼をしたら…!」
「そんな、お礼なんて…! それより、泣かないで下さい。せっかく怪我も無いんですから。ね?」
「はい…! 本当に…どれだけ感謝しても足りないぐらいです…!」
自分の命が風前の灯となっていたことも知らずに、先程までとは一転して笑顔を浮かべている赤ん坊を抱きながら、女性はぽろぽろと涙を零す。そんな女性の目から零れ落ちる涙を見て、ナターシャはより一層慌ただしい態度になり、何とか女性の涙を止めおうとする。
「…ねぇ、レズノフさん。何で僕達の所には誰も来ないんですかね?」
「お前と一緒にすんな。俺はさっき、受付の兄ちゃんに涙ながらの感謝を受け取ったばかりだ。女じゃないから大して嬉しくなかったけどなァ」
「僕だけ仲間外れですか…」
「お前、何一つ働いてねェだろ」
「…レズノフさんも動かないって言ったくせに…どうせ僕は役立たずですよー」
そんなナターシャの姿を見ながら、レズノフとミヒャエルが互いにたわいのない会話を交わしていると、不意に正面の扉が音を立てて押し開けられ、銀色の鎧と兜に紅いマントを羽織い、その手にロングソードを握った集団が店内になだれ込んできた。
「な、何ですか、この人達!?」
「……騎士団の奴等、今頃きやがった」
物々しい装備で店内に入ってきた集団を見て、ミヒャエルは驚きの声を上げる。その一方でレズノフは、この集団が室内に入ってきた際に忌々しそうに漏らした客の呟きを、しっかりと聞き取っていた。
(こいつらがねェ…)
傷一つ無い新品同様の装備を着込んで現れた騎士団の面々に、レズノフは品定めでもするような視線を向ける。その視線の先では丁度、最後の一人のリーダー格らしき男が、ゆっくりとした足取りで店内に入ってきたところであった。
扉を押し開け、姿を現した最後の一人は、亜麻色の髪と髭を生やした三十代半ばの男で、腰の辺りに美しい彫刻の施された柄と鞘を持つロングソード。そして背中に、屈んで構えれば身体をすっぽりと覆える程の大きさの円形の盾を背負っていた。
「へっ、騎士団長まで来るとは、精の出るこった」
悠々とした態度で店内を闊歩する男の姿を見て、客の一人が小声で毒を吐く。だが、今回はレズノフがその発言に対して考えを巡らせることはなかった。
何故なら、件の騎士団長が真っ直ぐレズノフの方に向かってきているからである。
「……これは、君がやったのか?」
騎士団長はレズノフの目の前…床で気絶している強盗犯の足元まで来て強盗犯を一瞥すると、顔を上げ、鼻の下に生えた髭を右手の指先で弄りながら、レズノフに訊ねる。
「俺じゃねェ。そっちの奴だ。ところで、アンタ、一体誰なんだ?」
レズノフは騎士団長の質問に素直に応じ、強盗犯を吹き飛ばした青年に指先を向けつつ、騎士団長が何者なのかを知らない振りをしてその素性を訊ねる。騎士団長はレズノフが指を指した方向を一瞥した後に、レズノフの質問に答えた。
「成る程、君はこの街は初めてか。なら、私のことを知らないのも無理はないな。私はハインベルツ・グノーシア。この街の騎士団の長をしている」
「ってことは、騎士団長か」
「そういうことだ」
騎士団長…ハインベルツはレズノフに素性を告げると、後は適当に返事を返してさっさと話しを切り上げ、レズノフに背中を向けて青年の方に向かって歩き出す。その最中、ハインベルツが床で気絶している強盗犯を指差してから軽く手を振ると、店内に現れて以降、ハインベルツの動向を静かに眺めていた騎士達の中から二人が縄を持って進み出て、気絶している強盗犯の身体を縛り始める。
「さて、君があの強盗犯を倒したとか?」
「…その通りだが?」
部下が強盗犯を縛り上げる光景に目もくれず、近づくにつれて周囲の客が離れていくのも気にせずにハインベルツは青年の前まで歩み寄り、どこか意地の悪い視線を向けながら、先程と似たような質問をぶつける。その一方で青年も、負けじとハインベルツの目を見つめ返した。
その青年の視線を受け、ハインベルツはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、青年に告げた。
「では、悪いが一緒に来てもらおう。事件の関係者ではなく、法の違反者としてな」
ハインベルツはそう言うや否や、ハンドシグナルで部下に青年を捉えるように指示を送る。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 意味が分からないわ! 何で強盗をやっつけたコイツが捕まらなくちゃならないのよ!?」
騎士達が青年に歩み寄る中、オレンジ髪の少女が納得のいかなさそうな表情を浮かべて、青年とハインベルツの間に割り込む。ハインベルツは少女に見下した視線を向けながら口を動かした。
「その恰好から察するに、お前達はこの街の人間ではないな?」
「だったら何よ。何か問題でもあるの?」
「悪いが、大有りだ。この街…いや、この領では、この領に居を構えていない人間が騎士団の許可無しに武器、または攻撃魔法を扱うことを禁止している。お前等のやったことは、この領の法に反している」
「なっ…! でも今回のは正当防衛…!」
少女が驚きながらも反論しようとした瞬間、ハインベルツの右腕が跳ね上がり、少女の左腕を掴んで捩じり上げた。
(ほゥ…)
それはまさしく一瞬の出来事だった。ハインベルツの腕が微かに持ち上がったかと思えば、次の瞬間には少女の腕を掴んで捩じり上げている。
レズノフはその早業を目にし、思わず口角が吊り上るのを止められなかった。
「痛ッ! 何すんのよ!」
「ゼシカッ!」
だがレズノフがハインベルツの早業に関心を抱いている間にも、事態は進んでいた。
腕を捩じり上げられた少女が、小さく悲鳴を上げつつも、ハインベルツを睨み付ける。それを見た青年が怒りで表情を染めてハインベルツに殴りかかろうとするが、ハインベルツの部下によって横から突き出された二振りの剣のせいで、それは叶わなかった。
「言っただろう、お前等のやったことだと。強盗犯はインコンプリーターだ。魔法無しにおいそれと倒せる相手ではない。お前が魔法を使ってサポートしたのだろう?」
「何の根拠があって!」
ハインベルツの物言いに、少女が言い返す。
彼女が使用した強盗犯の手を凍結させた魔法は既に解除され、強盗犯の手の凍結も治っている。その為、魔法が使用されたという物的証拠は存在せず、ハインベルツが、少女が魔法を使用したことを知ることは不可能な筈だった。
「フン。私を舐めるなよ、クソガキ。魔法を主に扱う人間は所作に独特の癖が生じる。それを見抜けぬ、私ではない」
(あのちょび髭……)
少女の腕を捩じり上げながらそう告げるハインベルツの姿を見て、レズノフは眉をひそめる。実際、ハインベルツの言っていることはレズノフも思うところがった。
例えば、今現在腕を捩じり上げられている少女の動きにも、奇妙な点があった。それは少女の抵抗が殆ど無いに等しい割に、態度は実に反抗的なこと。少女はハインベルツに腕を取られて以来、言葉で反抗してみせたり睨み付けることはあっても、実際に腕を振り払って反抗しようとしたことは無かった。もし本当に反抗する意思があるのなら、振り払う素振りがあって然るべき筈だ。
だがその矛盾点も、彼女が魔導士であるのなら納得がいく。基本的に、魔法は必要なだけの魔力がある状態で呪文を唱えるだけで発動する。つまり、手足が使えなくても口さえ動けばどうとでも出来るのだ。
そもそも彼女の行動で腑に落ちない点は他にもある。青年とハインベルトの間に割って入った際、武器に手を伸ばすことも無ければ、何かしらの構えをとることも無かったことだ。これに関しても、少女が魔導士ならば説明がつく。いざとなったら呪文を唱えるだけで良いのだから。もっとも、今回はハインベルツのスピードに反応出来ずに捕まってしまったが。
(他の奴等はともかく、あのちょび髭はそれなりに出来そうだな…。だが、こっからどうする気だ?)
少女が魔導士であることをあっさりと見破ったハインベルツを、レズノフは素直に評価する。
だが少女が魔導士だということを見抜いたところで、問題は解決出来ていない。これらの予測は実際には当たってはいるものの、殆ど勘に等しい根拠で成立しているものであり、ただの言いがかりと言われても反論出来ない。事実、、まだ単に少女に戦闘能力が無いだけだという可能性も残っているのだから。
もしこれがただの殺し合いなら何ら問題は無い。戦闘能力が無いならないで、間違った憶測のもとに敵対しても負ける要素は無いのだから。だが、今回は容疑者として連行するかどうかである。もし戦闘能力の無いただの少女なら、それは紛れもない冤罪でしかない。その上、魔導士だと見抜いたとしても物的証拠が無い以上、連行するのは難しいだろう。
「何よ、それ! 言いがかりもいいところだわ!」
少女もそれは理解しているのか、魔導士だということが見抜かれても強気なまま対応し続ける。
そんな少女に対しどう対応するのかを、レズノフのみが期待の眼差しで眺める中、ハインベルトはある意味では予想通りの行動をとった。
「フン。言い訳は詰所で訊いてやる。オイ、こいつらを連れて行くぞ」
権力にものを言わせたゴリ押し。単純ながら効果の大きい一手であった。
(やっぱ、そうくるかァ。まっ、余計に付き合って話拗らすよりは遥かにいいだろうしなァ)
ハインベルツが部下に向かって少女を突き飛ばし、部下達が二人を捉えようとするのを眺めながら、レズノフは心中で一人ごちる。その口角は微かに吊り上り、何かを期待するような視線を争いの渦中に居る二人へと向けていた。
(部下共の腕っぷしが良ければ、の話だがなァ)
レズノフがそう心中で呟いた、次の瞬間。
「ぐああああああああっ!」
「なっ、おま…ぎゃっ!」
肩に向かって伸ばされた騎士の手を青年の左手が掴んだかと思うと、右手で掴んだ騎士の腕の上腕に、自身の右肩ごと押し込むようにして右の掌底を叩きつけて騎士の肩を外す。肩を外された騎士が痛みに叫び声を上げ、それを聞いた別の騎士がギョッとしながらも青年に向かってロングソードを振り下ろすが、青年は一歩の踏み込みで騎士の懐に入ると、ロングソードを握る騎士の手首を左手で掴み、捩じり上げてロングソードを手放させつつ、右手の掌底で騎士の顎を打ち上げて意識を刈り取った。
「ガキがッ…!」
その光景を見たハインベルツが鞘からロングソードを引き抜き、刀身にまで細緻な装飾が彫り込まれたロングソードを振るおうとするが、
「四元魔導、大地が第三十九奏“ウィップ・テイル”!」
「チッ!」
一瞬の隙を突いて距離を取った少女の発動した魔法によって、店内の床を突き破って現れた人の腕程の太さのある植物の蔓がハインベルトに向かって横薙ぎに振るわれ、ハインベルトは攻撃を中断して真横に転がり、これを躱す。
「団長!」
この攻防を目の当たりにして、今まで待機していたり強盗犯を縛り上げていたハインベルツの部下達が、ロングソードを構えて少女と青年へと視線を集中させる。
「あの犯罪者共を捕えろッ!」
「ハッ!」
ロングソードを床に突き立てて立ち上がったハインベルツが部下達に命令を下す。それを受けた部下の騎士達が声を張り上げ、ロングソードを振りかざして少女と青年に殺到しようとした、その瞬間だった。
「神導魔法白式、第六十八録“グラス・シルト”!」
店内に響き渡るナターシャの詠唱と共に、騎士達と二人を隔てる様にして数枚の半透明の壁が出現した。
「な、ナターシャさん!?」
突然の魔法の発動に、ナターシャの真横に立っていたミヒャエルが目を白黒させて声を上げる。だがナターシャはミヒャエルの言葉に返事を返さぬまま、涙を滲ませた視線を渦中の人々に向けていた。
「貴様…こいつ等の仲間だったか…」
「もう、止めにしましょうよ…」
ナターシャの行った行為と、件の二人組と変わらぬ年頃の見た目から、ハインベルツはナターシャが二人の仲間であることに気付き、忌々しそうな視線を向ける。だがナターシャはそんなハインベルツの視線から目を逸らさぬず、ハインベルツの言葉を遮った。
「何…?」
「だって…あなた達と私達が戦う理由なんて無いじゃないですか…。あなた達は街を守る騎士団なんですよね? だったらあなた達が戦うべきなのは、この店を襲った人達であって、私達ではない筈ですよね?」
双眸に涙を溜めながらも、騎士達の殺気の籠った視線を前にしても一歩も引かずにハインベルツに語りかける彼女の姿は、いじらしく、そして健気であった。事実、店内で強盗の一部始終を体験していた客の殆どは、彼女に実に真剣な眼差しを向けていた。
ナターシャへと多くの同情と賛同の視線が注がれる中、そのどちらも含まない視線をレズノフはナターシャへと向けていた。
(オイオォイ、あのガキ、マジで言ってるのかよ……)
それは、まるで演劇の道化役を見るかのような、好奇と嘲笑の混ざった視線だった。
(あの青年と少女がやったことを見てなかったのかよ? 仲間二人殴り倒して、ハインベルツに膝を着かせたんだぜ? んなモン、見逃してくれる訳ねェだろうがァ)
先程青年と少女が起こした小競り合い。あれは騎士団のプライドに傷を付けるには、充分過ぎる行為といえただろう。何せ、まだ成人しているかどうかも怪しい二人組に一方的に殴り倒された挙句、膝まで着かされたのだから。
そこまでされて、はいそうですねと引き下がる輩は多くない。その上、自分達が相手より社会的に勝っているのなら尚更だ。事実、ナターシャの話を黙って聞いている騎士団の面々の目からは、闘争心は毛程も消えていなかった。
「確かに、私達がこの街のルールを知らずに軽率な行動をとってしまったのは謝ります。でも、あの時動かなければ犠牲になる人が出るところだったんです!」
そんな視線に気づいていないのか、ナターシャはより一層感情の籠った声で説得を続ける。仕舞いには客達の間から、同調の声まで上がる始末になっていた。
(…こりゃ、潮時だなァ)
次第に盛り上がっていく店内の雰囲気の中、どう行動すればいいのか分からずに、助けを求めて向けられたミヒャエルの視線を完全に無視しながら、レズノフは小さく溜め息を吐く。
店内の空気は騎士団にとって最悪の方向にヒートアップしている。恐らく、このまま騎士団が平静を保っていられるのも長くはないだろう。とるであろう行動は恐らく二つ、このまますごすごと退散するか、権力にものを言わせてナターシャを含めた三人を連行するか、である。
(まァ、少なくとも前者は絶対にねェな。となれば、とるのは後者か…)
選択肢の一つを思考から除外すると、レズノフはこの騒動を収める方法を模索する。
確かに目立つのはあまり好ましくないが、さすがにレズノフもこの状況にも飽きが回ってきていた。それに加え、
(あのガキ共、案外おもしろそうだしなァ…)
レズノフ自身、今にも連行されかねない三人組みに興味が沸いていた。大の大人相手を楽に相手取る近接戦闘技術を持った青年、そして権力者相手に一歩も引かない魔導士の少女、そして名前も何も知らない他人を助けることに、何の抵抗も無く命を懸けた少女。その三人全てに、レズノフは興味を抱いていた。
そしてレズノフは小さく笑みを浮かべると、普通に話す程度の声では容易に掻き消しされてしまう程に膨れ上がった客達の声を押し退けて、ハインベルツに声をかけた。
「あ~、ちょっといいかい、騎士団長殿?」
殺伐とした場の雰囲気にそぐわぬ間延びした一声に、店内の人間の視線が一気に集中する。
「……何の用だ? まさか、貴様まで仲間だ、とか言い出すのではないだろうな?」
「まァ、そんなところかだ。それより、一つ提案がある」
数十人もの人間からの視線を浴びているにも関わらず、レズノフはいたって平素な表情を浮かべたままハインベルツの問いかけに答え、服の下に隠していた小さな袋を取り出した。
「提案だと…?」
「あァ。こっちとしても、これ以上無駄にやり合いたくねェんでな。罰金とかなら払うから、今日のところは見逃してくれねェか?」
袋を軽く振って、硬貨同士がぶつかる音を鳴らしながら、レズノフはハインベルツに持ちかける。
この騒動を収める為にレズノフがとった行動、それは一種の買収だった。確かに、一触即発と言っても過言ではないこの状況下、もはや話し合いで解決が図れる段階はとうに過ぎており、もし血を流さずにこの騒動を収めようと思えば金での解決が最も効果的だろう。
もちろん、この方法も必ず成功する訳ではない。騎士団が金とプライドを天秤に掛け、プライドを取る場合ももちろん考えられるし、可能性としては低いものの、騎士団が業務を全うする為に金を受け取らずに連行する道を選ぶことも考えられる。だが自分の顔の前に袋を掲げるレズノフの表情には、妙な自信が浮かんでいた。
レズノフの突然の提案に、再び沈黙が広がる店内。ハインベルツの部下達の騎士が困ったような表情で互いに顔を見合わせ、小声で話し合いを始めようとした辺りでハインベルツが口を開いた。
「金貨二枚。それでこの場を引いてやろう」
ハインベルツがレズノフの顔を見ながら、意地の悪い表情を浮かべてそう告げる。
金貨二枚と言えば、この国の住民の平均年収に当たる額である。そんじょそこらの旅人が持ち歩いているような額では当然のことながらない。それ故に、このハインベルツの言葉を聞いた騎士達の間では忍び笑いが広がり、少女と青年、そして客達はハインベルツ達に食って掛かった。
だが、
「オーケー。金貨二枚だな。まァ、少しギリギリだが、ちゃんと有るぜ」
そんな彼等の声も、レズノフが袋から取り出した二枚の黄金色に輝く硬貨の存在によって、一瞬にして掻き消えた。
「れ、レズノフさん。それって……!」
レズノフの掌の上で、店内を照らす神導具の光を受けて輝く二枚の金貨を、ナターシャは信じられないようなものでも見ているかのような目つきで見つめる。
その一方、ハインベルツもレズノフの掌の上の物体を驚きの目つきで眺めたが、やがてそれを忌々しそうに見つめると、ロングソードを鞘に納めて声を張り上げた。
「総員、撤収する。武器を納めろ」
そのハインベルツの号令に、部下の騎士達は思わず反論しかけるが、ハインベルツが「早くしろ!」と怒鳴りつけると、急いで撤収の準備を始めた。
(まっ、それが賢い選択だよなァ。目的である“小遣い稼ぎ”は出来たんだしよォ)
縛り上げた強盗犯を引きずり起こし、撤収の準備を進める騎士達を眺めながら、レズノフは心中で呟く。
レズノフは青年と少女を連行しようとするハインベルツ達の、法を犯したという建前の裏に存在した本当の理由を見抜いていた。故に、彼等に金での交渉を申し出たのだ。
住民、そして強盗への対応の遅さから、この街の騎士団が業務に積極的ではないことは容易に判断出来た。故に彼等には、その一方で自分達の代わりに強盗犯を制圧した人物達を、わざわざ大したこともなさそうな罪の為に連行しようとする程の勤勉さがあるとは到底思えない。だが、実際には彼らは青年達を連行しようとした。そんな彼らの姿を見た時、レズノフの脳裏にある国のとある組織の人間達の姿が浮かんできた。
それは、ユーラシア大陸最大の国家ロシアの一般的な警察官の姿。ロシア国内外問わず名を轟かせる、所謂秘密警察の面々と違い、ロシアの一般警察官は給料が低く、仕事ぶりも真面目とは言い難い。そんな彼等だが、時に駐禁の摘発などに異様に勤勉になるときがある。それは何故かというと、単に賄賂を集めるためだ。彼等は駐車禁止エリアに車を停めている車を見つけるとその車の運転手に近づき、運転手に駐車禁止エリアい車を停めていることを告げる。そして、違反切符を切らずに現金だけを請求し、低い給料の足しにするのだ。
そんなロシアの警察の小遣い稼ぎの動きと、騎士団の妙な勤勉さがレズノフの中で一致した。それ故、レズノフは青年達を連行しようとする騎士団の魂胆、そして彼等と金による取り引きが出来る可能性が高いことに気付いたのだ。
(まっ、ここまで要求してくるとは思わなかったけどなァ)
レズノフは苦笑を浮かべ、自分の掌で光る二枚の金貨(一枚は先の依頼の報酬の分け前としてヴィショップに渡されたもの。もう一枚は、この世界に飛ばされた際に初めから持っていたものの余り)に視線を落とす。そうしている内に、ロングソードを鞘に納めたハインベルツがレズノフの目の前まで近づいていた。
「っと、来たかァ。お仕事ご苦労さん」
レズノフはにやにやと笑みを浮かべながら、ハインベルツに向かって金貨の乗った右手を突き出す。ハインベルツが気に食わなさそうな視線をレズノフに向けつつ、レズノフの掌の上の金貨に右手を触れた瞬間、
「……!」
ハインベルツの右手が素早い動作で奔り、レズノフの手首を掴んで自分の顔の前に向かって引き寄せる。その動作は単に身体能力が高いだけで繰り出せるようなものではない、確実に修練を積んだことを如実に語る動作だったが、レズノフが息を呑んだのはその動きだけではなかった。
「スゲェな。騎士じゃなくて、手品師に転職した方がいいんじゃねェかァ?」
レズノフの右手が引き寄せられた際に掌から落ちた金貨を、ハインベルツの左手がしっかりとキャッチしていたことだった。
「よく聞け、貴様」
レズノフの軽口を無視して、ハインベルツが冷淡な声音で告げる。
「お前が何者かは知らん。だがお前が何者だろうと、俺の街でおいたが過ぎれば…」
ハインベルツは一旦そこで言葉を区切ると、顔を近づけてレズノフの瞳を覗き込むようにして、言い放った。
「死ぬ破目になる。 例え、どれだけの実力があってもな」
「……肝に銘じておくさ」
微かに口角を吊り上げながら発せられたハインベルツの言葉に、レズノフは同じように口角を吊り上げながら返事を返す。その表情を見たハインベルツはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、レズノフの手首を離し、準備の終えた部下を引き連れて店の入り口に向かって歩いて行った。
そしてレズノフは、そんな彼等の…正確にはハインベルツの後ろ姿を目で追いながら、ぽつりと呟いた。
「面白ェ…」
バウンモルコスの群れ、そしてアンジェに見せたのと同じ、獲物を見つけた獣を連想させる、獰猛な笑みを浮かべながら。




