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Bad Guys  作者: ブッチ
Children play
22/146

Broken Time Of Dinner

「来て早々、面白い事態になってきたなァ、オイ」


 ミヒャエル、そしてミヒャエルがいつの間にか知り合った少女と共に壁の近くに座り込みながら、レズノフは呟いた。

 先程まで食事客で賑わっていた『ホテル・ロケッソ』の一階は、今や重苦しい沈黙に支配されていた。その原因は一目瞭然で、つい数分前に店に現れた、魔弓を握った二人組の男のせいだった。

 魔弓を持つ二人組の男は、店に入るなり一発発砲。そしてパニック状態になった客を黙らせる為にもう一度発砲した後、一人を見張りとして室内の中央に立たせ、もう一人がラウンジへと向かって金を要求していた。室内に居合わせた人間は見張りの男によって、武装している人間は武装を解除した上で壁の近くで座っているように脅されて、壁の近くで固まって座っている。そしてレズノフ達は、集められた人間達の最前列、つまり最も見張りの男に近い位置に座ってこの騒ぎを傍観していた。


「さて、強姦魔。この騒動、どれぐらいでカタが付くか賭けねェか?」

「せめてこんな状況の時ぐらい、その呼び名は止めてくださいよ…。で、何賭けます?」

「ふ、不謹慎ですよ、二人とも!」


 手作り感丸出しの目出し坊を被った二人組の強盗犯を眺めながら賭けを始めるレズノフとミヒャエルを、少女が泣き出しそうな表情で諌める。


「ってもなァ。何もやることねェし、暇だしよォ」

「ひ、暇って、私達殺されちゃうかもしれないんですよ!」

「いや、まァ、何とかなるだろォ」


 目の端に涙を浮かべる少女の言葉を軽く流して、レズノフは欠伸をして首を鳴らす。

 強盗に巻き込まれているにも関わらずレズノフがここまで余裕な理由、それは二つ存在する。

 一つは、レズノフが強盗を行う際に殺人を犯した場合のデメリットを知っている為。強盗とはそれ自体で充分に思い罪だが、それでもまだ捕まったところで刑務所に送られるだけで、刑期を全うして出てこれる可能性も高い。だがこれに殺人を犯してしまった場合は別で、強盗殺人となった場合、どこの国でも大抵は人生そのものがご破算になる罪となる。もっとも、それがこの世界(ヴァヘド)でも通用するかは不明なので期待はあまり出来ないが、それ以外にも人質を殺すことで逆に人質の抵抗が強まったり、強盗以外の点でも証拠を残す可能性が増える。強盗を行うにあたっての殺人は、デメリットしか存在しないと言っても過言ではないだろう。

 そしてもう一つの理由は、ただ単純に、いざとなったら自力で解決出来るだけの力量があることをレズノフが自覚しているからである。レズノフは強盗犯の指示に従っている最中、彼等の動きを観察していたが、到底訓練を受けた部類の人間には見えなかった。不用意に手に持った武器を他人に近づける。興奮を抑えきれずに挙動に反映している。大した警戒もせずに窓際に近寄る。はっきり言って、素手でやり合っても負ける確率は薄い連中。それがレズノフの強盗犯に対する評価だった。

 それにも関わらず、レズノフは強盗犯の指示に甘んじているのは、目立つ真似を避ける為だ。これからレズノフ達がやろうとするのは、この土地の支配者の罪を暴いて処刑台に送ること。故に、例えそれが功績だとしても目立つことは避けたかったのだ。

 強盗というシチュエーション上、従順に強盗犯の指示に従っていれば殺される確率は極めて低い。万が一に殺そうとしてきても、返り討ちに出来る確率は非常に高い。それ故の傍観だった。


「そういえば、嬢ちゃんの名前を聞いてねェな」


 荒い息遣いで魔弓を振り回す見張りの男をつまらなそうな表情で見ていたレズノフが、ふと気づいた様に声を出す。


「そ、そうですけど、今必要なやり取りですか?」

「嬢ちゃんが言ったんだぜ? 殺されるかもしれないってなァ。俺ァ、真横の人間の名前も知らないまま死にたくないがねェ」


 信じられない様な視線を向ける少女に、レズノフはまるでからかう様な口調で反論する。レズノフの反論を受けた少女は何か言い返そうとしていたが、やがてその行為を諦めて口を開いた。


「ナターシャ・ネメルコフです。ミヒャエルさんとは、仲間とはぐれて困っていた時に会いました…」

「おうおう、訊いてねェことまでご丁寧に…」

「あっ、えっと、これはその…!」


 訊いてもいないことまで律儀に話してくれたナターシャに、レズノフは思わず苦笑を溢す。すると、その苦笑とレズノフの言葉を聞いたナターシャは、顔を紅く染めて恥ずかしそうに声を上げてしまった。


「オイ、うるせぇぞ! 黙ってろ!」

「は、はい! すいませんでした!」

「チッ、次騒いだらぶっ殺すからな!」


 その声は見張りの男の耳まで届き、見張りの男が声を張り上げてナターシャに魔弓の射出口を向ける。射出口を向けられたナターシャが飛び上がる様にして見張りの男の方を向いて頭を下げると、見張りの男は舌打ちを打って魔弓を下げた。


「こ、怖かった…」

「命より羞恥か。恐れ入ったぜ、嬢ちゃん」

「誰のせいだと思ってるんですか…」


 レズノフが、大きく息を吐いて脱力するナターシャに軽口を叩くと、ナターシャは目に涙を貯めてさも恨めしそうな視線をレズノフに向ける。

 そのやり取りをミヒャエルは呆れ混じりの笑いを浮かべて見ていたが、ふとした拍子に視界に入った、部屋の壁に設置されている時計を見て、訝しげな調子でレズノフに話しかけた。


「ねぇ、レズノフさん。この町って騎士団があるんですよね?」

「あ? そりゃあ、あるだろ」

「なら、何でこの騒ぎの中、騎士団が来ないんですか? あの強盗達がここに来てから十数分経ってるんですよ?」


 ミヒャエルの指摘に、レズノフは眉を細めると、入り口付近の窓に目を凝らす。

 その結果、四角い一m弱四方のガラスの向こうに見えた光景は野次馬と思しき人々の姿だけで、騎士団と思しき武装した人間は欠片も見当たらなかった。


「…確かに、誰も居やしねェな」


 騎士団がまだ訪れていないことを確認すると、レズノフは視線をミヒャエルへと戻す。

 確かに、車や電話の無いこの世界では事件が発生した際の対処が“元の世界”より遅れても不思議ではない。だが、事件場所が街有数の大通りで、その上先程見た限りでは道幅も馬車が使える程にあるにも関わらず、事件勃発から数十分経った今になっても騎士団が到着しないのは、技術水準の差を抜きにしても異常な状態だった。


「おかしいですよね、流石に」

「…そうですね。もう店の前に待機してなきゃおかしいですよね…」


 ミヒャエルの言葉に同調したナターシャが口元に手を当てて、騎士団が来ない理由を推測しようとする。だが騎士団が来ない理由の答えは背後からやってきた。


「ふん、あの腰抜け共が来るもんか。あのインコンプリーターもそれが分かってるから、こんな夜も浅い内に強盗なんて始めたんだよ」


 背後から放たれた、嘲るような声音の声。それに反応して三人が振り向くと、そこには二十代前半の男が不機嫌そうな顔で座っていた。


「そいつは一体、どういう意味だ?」

「言葉通りさ。騎士団の奴等は来ない。自分の命欲しさにな。来るとしたら、全部終わって強盗共がトンズラこいた後さ」

「…どういうことなのか教えてもらえませんか?」


 レズノフが訊くと、男はつい先程と同じ様な笑みを浮かべて吐き捨てる様に言葉を発する。そしてナターシャがもう一度訊ねると、男は見張りの方を気にしてから口を動かし始めた。


「別に複雑な話じゃないぜ。ここの騎士団は弱い上に根性が曲がっててな。魔弓を持った人間が強盗として現れたとしても死ぬのが嫌なもんだから、強盗がどっか行くまで絶対に姿を現さない。適当に理由つけてな。んでもって強盗が消えてからのこのこ現れて、事後処理だけやって帰るのさ」

「そんな、まさか……だって騎士団は市民の安全を守るのが仕事なのに…」

「ここでは違うってことさ。それに、前にこんなことがあった時もあいつ等は現れなかった。今回も同じさ」


 信じられなさそうな表情を浮かべるナターシャに対し、男は鼻を鳴らして吐き捨てる様に返事を返した。


「それはかなり前から続いていることなんですか?」

「いや、騎士団長が今のに代わってからだ。といっても、領主が先代の時はまだマシだったんだが、先代の息子が引き継いでからはやりたい放題さ」


 男はミヒャエルの質問に忌々しそうに答える。そしてミヒャエルへの返事を吐き出し終わったところで、大きく溜め息を吐いて、今までとは一転した過去を懐かしむ様な口調でしゃべり始めた。


「それでも……フローロアンさん達が居た頃は、まだあの人達が解決してくれたんだよなぁ…」

「フローリアン?」


 男の口を突いて出た聞き覚えのある名前に、レズノフは、眉をぴくりと動かして聞き返す。


「そう。この街の騎士団で小隊長をやってた人だったんだけど、あの人は他の騎士と違ってどんな時でも駆けつけてくれてね。それこそ今回の様な強盗の時から、何てことはない落し物の時だって、親身になって接してくれたもんさ」


 どこか誇らしげな様子で、男は記憶の中のアンジェの姿を語る。その語り口だけで、アンジェがどれ程信頼されていたかが、手に取る様に伝わってきた。


「でも、数か月前に突然姿を消してしまってね。騎士団の奴等は退団したとか言ってたけど、実際のところはどうなんだか…。少なくとも騎士団長とはかなり意見が衝突してたようだしな…」


 男は唐突に先程の様な表情に戻って言葉を紡ぐと、小さく溜め息を吐いた。


「とにかく、騎士団の奴等は期待するだけ無駄だ。ここで大人しく、奴等が消えるのを待つしかねぇよ」

「そうか。悪ィな、説明してもらって」


 話を終えた男は、レズノフの礼に手を軽く振って応えると、前を向けと言わんばかりに顎をしゃくった。レズノフ達は男の指示に大人しく従うと、前を向いて見張りの男に聞こえないように会話を交わし始める。


「それにしても、こんなに酷い騎士団があるなんて…。市民を守るのは騎士団に課せられた責務なのに…」

「そうだなァ。まっ、こんな組織はどこにでもあるモンさ」


 どこか悲しげに呟く、ナターシャ。そんな彼女の姿を見ながらレズノフが興味無さそうに言葉を発した瞬間、室内にけたたましい泣き声が響き渡った。


「あぁ、良い子だから泣き止んでね…」


 重苦しい沈黙を切り裂いて室内に木霊した人のものらしき泣き声に、室内に居た人間の目が一か所に集中する。その泣き声があまりにも唐突に上がった為、それが赤ん坊のものだと室内の人間が気付いたのは、視線を泣き声のする方向へと向けた後だった。


「オイ! そいつを黙らせろ!」


 鼓膜を激しく揺さぶる赤ん坊の泣き声に嫌気がさしたのか、見張りの男が赤ん坊を抱く女性に魔弓を突き付けて怒鳴り声を上げる。赤ん坊を抱いている母親は涙目になりながら赤ん坊をあやすが、赤ん坊が泣き止む素振りは無く、むしろ一層泣き声は激しくなっていった。


「あぁ、お願いだから泣き止んで…! お願い…! お願い…! お願い…!」


 涙をぽろぽろと零しながら、赤ん坊の母親は懇願するかの様に赤ん坊をあやし続ける。だがそれでも赤ん坊が泣き止むことはなく、見張りの男の表情に浮かぶ苛立ちはもはや限界点まで達していた。


(あーあ。まァ、ツイてなかったと思うしかねェなァ)


 赤ん坊を必死の形相であやす母親と、赤ん坊に魔弓を突き付け、額に血管を浮かび上がらせる見張りの男。そのやり取りを、まるで出来の悪いコントでも観ているかの様な視線で眺めながら、レズノフは呟いた。


(どうする? 助けますか?)

(別にいいだろ。死んだところで損になる訳じゃねェし。それに目立つなって言ったのはテメェだろ?)

(確かにそうですけど…。まァ、レズノフさんがやらないなら、ねぇ…。僕がやったところで殺されるだけですし…)


 ナターシャに聞こえないように会話を交わす、レズノフとミヒャエル。その結果導き出された結論は傍観を貫くことだった。

 レズノフにしろミヒャエルにしろ、別に助けることに否定的という訳ではない。だが母親と赤ん坊の命では、強盗が現れた時に決めた傍観を決め込むという、二人の方針を変えることは出来なかった。

 ただそれだけの話である。


「あぁ、もういい! 俺が黙らせてやる!」

「ま、待って下さい! やめて!」


 見張りの男が引きつった笑いを上げて引き金にかけた指に力を籠める。男の声を聴いた母親はこの世の終わりの様な顔をしながら、赤ん坊を守ろうとして、泣き叫ぶ赤ん坊を抱え込む。その光景を、レズノフは欠伸を噛み殺しながら、ミヒャエルは数秒先の光景を予想して気持ち悪いようなものでも見るかのような視線で、眺めていた。

 だが、あくまでも親子を助けるのを諦めたのは、レズノフとミヒャエルだけでしかなかった。


「神導魔法黒式、第二十四録!」


 見張りの男が親子に魔弓を突き付けてからずっと黙っていたナターシャがいきなり大声を上げたかと思うと、魔法の詠唱を始める。


「なっ!?」


 いきなり始まった魔法の詠唱に、見張りの男は思わず引き金を弾くのを止め、ナターシャの方へと魔弓を向ける。

 だが既に詠唱は半分以上終了している上に、いきなりの事態に見張りの男は魔弓を向けたところで引き金をすぐには弾けなかった。

 生まれたのは数瞬のタイムロス。だがそれだけで充分だった。


「“エンヴォルト・チェーンズ”!」


 詠唱が終わると同時に、見張りの男の足元に漆黒の魔法陣が現れる。微かに発行するその魔法陣に、思わず見張りの男が視線を移したのもつかの間、魔法陣から陣を構成するのと同じ色の鎖が見張りの男に向かって伸び、見張りの男の身体に巻き付いて縛り上げた。


「がっ…! こいつは…神導魔法…!」


 漆黒の鎖によって縛り上げられた見張りの男が、その手から魔弓を取り落して苦しそうな声を上げる。その一方で見張りの男を縛り上げた張本人は、よっぽど緊張していたのか大きな溜め息を吐いて、肩から力を抜いていた。

 まだ一人残っているにも関わらず。


「こ、このガキッ!」

「ッ!」


 焦りと怒りを孕んだ声を上げて、カウンターに立っていた男がナターシャに魔弓を向ける。ナターシャもその声に反応してもう一人の男の方に視線を向けるが、最早回避行動に移れるだけの時間すら無かった。

 この瞬間においても、レズノフは至って冷静にナターシャを見捨てようとしていた。

 最初に決めた方針を今更覆す気は無い。それにこの少女とはついさっき出会って、会話を交わしただけで、特に縁も無い。先程の行動から神導魔法が使用出来るようだが、それ以降の反応から考えても素人と同レベル。ヴィショップから仲間を探せとは言われたが、流石に仲間にしたところで役には立ちそうにない。まともな戦闘が行えないのはミヒャエルだけで充分である。

 一通り可能性を考えた結果、レズノフはナターシャを見捨てることを決めた。そしてこの状況についてこれていないミヒャエルでは、そもそも助けにはいることすら出来ない。故に、ナターシャ・ネメルコフの命はここで尽きる筈だった。

 カウンターの男が焦りと怒りで狙いを狂わせ、発射された魔力弾がレズノフの方へ向かわなければ。


「オイ、マジかよ…ッ!」


 カウンターの男が引き金を弾く寸前、魔弓の射出口の向きから自分の方に魔力弾が飛んでくることを察し、レズノフは唯一スペースのある前方に向かって身体を投げ出す。それから一瞬遅れて魔力弾が発射され、発射された魔力弾はレズノフの予想通りにレズノフが居た位置に当たり、床に小さな穴を開けていた。


「て、てめぇ!」


 だがこれで終わりではない。

 焦りと怒りで冷静さを欠いているカウンターの男は、前方に向かって身を投げ出した…つまり集められていた人々から離れ、部屋の中心に向かって身を投げ出したレズノフに魔弓を向けた。


「ったく、ド素人が…!」


 狙いを外した上、今度は自分に向かって魔弓を向けているカウンターの男の姿を見て、レズノフは悪態を吐く。そして次の瞬間、カウンターの男が引き金を弾くのよりも早く、斜め前に転がって二発目の魔力弾を躱す。


「チッ、クソッ!」


 大柄な図体とは裏腹に、機敏な動きで魔力弾を躱したレズノフに、舌打ちを打つカウンターの男。すぐに次弾を撃ち込むべく、前転で魔力弾を回避したレズノフに狙いを定めようとするが、レズノフはそれを容易に上回る速さで見張りの男が落とした魔弓に飛びつくと、カウンターの男の顔面目掛けて魔弓を投げつけた。


「ふごっ!」


 レズノフの手から離れた魔弓はくるくると縦に回転しながら空を切り裂いて飛んでいき、カウンターの男の顔面にぶち当たる。鼻っ柱に魔弓のグリップが突き刺さったカウンターの男は鼻血を撒き散らしながら仰け反り、カウンターにもたれ掛った。

 当然、レズノフはその隙を逃すような真似はしない。床に手をついて一気に立ち上がると、カウンターにもたれ掛る男に向かって走り、距離を詰める。


「野郎ォ…!」


 男は鼻から流れ落ちる血と、レズノフに対する怒りで顔を真っ赤に染め上げながら(目出し帽のせいでレズノフには分からないが)、魔弓を握る腕を持ち上げて狙いを定めようとする。だがその行動に移った時には、既にレズノフが男の目の前まで辿り着いていた。


「なっ…!」


 気付いてみれば目の前に居るレズノフの姿に、男は思わず息を呑む。だがレズノフは男がそれ以上何かを語る前に、魔弓を握る男の右手を左手で掴んで自分の右脇腹の辺りに引き寄せると、右肘を男の手の甲に叩き込んだ。


「がぁっ!?」

「アンタには過ぎたオモチャさ」


 グシャッという嫌な音と共に、男の顔が苦痛に歪み、手から魔弓が零れ落ちる。

 先程までとは一転して怯えの宿った視線を向ける男に、レズノフはからかう様な声音で囁くと、左手を男の腕から離して今度は男の胸元を掴む。そして右腕を引いて溜めを作り、左手で男の身体を引き寄せつつ右の拳を男の腹に突き刺した。


「ごぼぉ…!」


 男の内臓が一瞬で強烈に圧迫され、体内から空気が押し出される。

 男の口から奇妙な悲鳴が漏れるが、レズノフはそんなことはお構いなしに男の胸元を掴む左手を前に押し出して前かがみになっている上半身を無理矢理起こしつつ、男の身体をカウンターに押し付ける。そして再び右腕を引いて溜めを作ると、カウンターに押し付けられた際の衝撃で力無く揺れている男の顎を、強烈な右のアッパーカットで打ち上げた。


「ふごっ!」


 男の顔が弾かれた様に真上を向き、口から紅い血煙と白い歯が吐き出される。それらを吐き出した男の顔はそのままがくんと上方を向くと、だらしなく口を開いたまま白目を剥いて動かなくなった。


「三発でダウンか。少しは気合見せろよ」


 レズノフは気絶した男の姿をつまらなさそうに眺めると、左手を真横に振りつつ胸元から手を放して男の身体を放り捨てた。


『おおーっ!』


 男の身体が床に倒れた瞬間、店内から割れんばかりの歓声が上がる。


「凄い、インコンプリーターを素手で!」

「た、助かった!」

「いや、こっちの神導魔法も凄かったぞ!」

「とにかく助かったんだ!」


 店内を満たす、歓喜と興奮の歓声。ある者は涙を流し、ある者は愛する人と抱き合って。思い思いの方法で生存の喜びを叫ぶ人々の姿を、レズノフが、カウンターで男の要求に応えていた店員の握手に応じながら眺めていると、歓声を上げる人々の中からミヒャエルとナターシャが姿を現し、レズノフに近づいてきた。


「凄い目立っちゃいましたね」

「まぁ、仕方ねェよ。この下手糞が悪い」


 少し困った様な表情を見せながら、ミヒャエルが声を掛ける。もっとも、困った様な表情をしたところで、表情に浮かぶ安堵の色は全く隠せていなかったが。


「れ、レズノフさんって強かったんですね! 凄いです! インコンプリーターを素手で倒しちゃうなんて!」


 レズノフがミヒャエルの言葉に返事を返すと、ナターシャが興奮冷めやらぬ様子で話しかけてくる。


「別に、そんな強くもなかったぜ、アイツ」

「そ、そんな訳ありませんよ! インコンプリーターっていうのは攻撃魔法を詠唱無しで使ってくるようなものなんですよ? 弱い訳がないじゃないですか!」


 目を輝かせながらそう告げるナターシャの姿を、レズノフは呆れ混じりの笑顔を浮かべて見つめる。

 何故なら、ナターシャが驚異として感じ取っていたのは強盗の男ではなく、インコンプリーターという存在そのものだということに気付いたからだ。

 確かに魔弓の持つ力はかなりのものだ。連射が効き、魔力の上乗せによって強大な威力を誇り、遠距離からの狙い撃ちも可能で、扱いも簡単である。だがどれだけ強力な武器を持っていても、結局は使い手次第で猫の一匹も殺せないような武器に成り果てる。敵の実力を測る際、最も注目すべきは武器ではなく、あくまで敵の地力そのものなのだ。事実、レズノフはナイフ相手にペンで勝利を収めた人間や、最新の特殊作戦用装備(SOPMOD)を装備した相手を、どこで製造されたかも分からないAK―47(カラシニコフ)で打ち倒した人間を知っている。

 にも関わらず、ナターシャは敵の地力ではなく、武器や生まれつきの能力だけで実力を判断している。それは戦闘経験の少なさを如実に物語っていた。


(まっ、見るからに戦い慣れてはいなさそうだしなァ…)


 レズノフは、ローブから覗くナターシャの色白で細い四肢や、見るからに他人と争うのが苦手そうな表情を見て、それも仕方ないと納得する。


「そういえば、ナターシャさん。この魔法って使っている間中魔力を流し込まなくてもいいんですか?」


 そのようなことを考えながらレズノフがナターシャと会話を交わしていると、それを聞いていたミヒャエルがふと思い出したように言葉を発した。

 先程ナターシャが使用した神導魔法。実はあれは『世界蛇の祭壇』でカフスが使用したのと同じ魔法である。そしてカフスが使用した時は、レスルビアモルコスに鎖を絡み付かせている間中、魔力を流し込んでいた。だが、目の前のナターシャからはそのような雰囲気は感じられない。至って普通の態度で会話を交わしていた。その為、カフスが魔力を流し込む光景を見ていたミヒャエルはナターシャがケロッとしているのを不思議に思い、訊ねたのだが、返ってきた返事は予想外のものだった。


「あ、はい。他のお客の人が見張っといてやるって言ってくれたので、お任せしました。もう武器も手放しているので、大丈夫だろうと思いまして」

「…何?」


 ナターシャの返事の予想外の内容に、レズノフが思わず聞き返した瞬間、


「まだ終わってねぇぞォ!」


 客の一人に監視されていた見張りの男が、隠し持っていたもう一挺の魔弓を取り出し、監視していた客のこめかみに突き付けて、大声を上げた。


「ハッ、意外と用意周到だったって訳か」


 魔弓をもう一挺隠し持っていたという、見張りの男の周到さに感心しながら、レズノフは見張りの男の方を向く。

 その際、ナターシャの姿が視線に入ったが、


「う、嘘…! もう一つ持ってるなんて…!」


(あぁ、ダメだわ、コイツ)


 姿を一瞥しただけで戦力に数えられないことを悟り、そのまま彼女に一切の興味を見せずに見張りの男に向き直った。


「オイ、金だァ! 相棒が渡した袋を持ってこい!」


 見張りの男が人質のこめかみにぐりぐりと魔弓の射出口を押し付けながら、金を持ってくるように要求する。当然、他の客は止めに入ることも出来ず、なるべく男を刺激しないようにゆっくりと距離を取る。

 レズノフはその光景を眺めながら、どう対処しようかと考えていたが、その矢先に事態は急変した。


「四元魔導、流水が第九十二奏…」


 突如、店の扉を押して、フードをすっぽりと被った二人の人影が店の中に入ってくる。しかもその内の片方は、魔法の詠唱を唱え始めていた。


「な、何だ、テメェ…!」

「“ジェイル・キュルトス”」


 その突然の乱入者に、見張りの男は動揺しつつも何とか向き直り、魔弓を向けようとするものの、それよりも早く乱入者の詠唱の方が終了する。

 すると詠唱が終わった瞬間、見張りの男の魔弓を握る手の手首に魔法陣が浮き出たかと思うと、一瞬にして男の手首から先が氷に包まれた。


「な、何だよ、こりゃあ!?」


 一瞬にして凍結した自分の片手を見て、見張りの男はパニック状態に陥る。そして冷静さを完全に失った見張りの男が思わず人質を突き放した瞬間、店に入ってきた二人組の片割れが動いた。


「へっ…?」


 身体を沈み込ませ、床を蹴りつけて一瞬にして見張りの男の懐に入り込む。そのあまりの速さに、男は取り乱すことも忘れて間抜けな声を上げる。


「シッ!」


 だが乱入者はそんな見張りの男の視線を無視し、短く息を吐き出すと、右の掌底を見張りの男の鳩尾に叩き込んだ。


「くぼぁ…!」


 乱入者の掌底が鳩尾に突き刺さった瞬間、見張りの男の口から奇妙な悲鳴が吐き出されると共に、身体がくの字に折れ曲がる。だがそれもたった一瞬のことで、次の瞬間には男の身体は吹き飛ばされ、ごろごろと床を転がっていった。

 室内の空気が再び凍りつく。だが今回は恐怖が原因ではなく、あまりにも急激に状況が変化し続けたが故のものだったが。

 水を打った様な静けさの中、掌底を撃ち込んだ乱入者が姿勢を正す。そしてきょろきょろと辺りを見回し、レズノフとミヒャエルの間で茫然としているナターシャを視界に捉えた瞬間、室内を支配する沈黙に幕を下ろした。


「ったく、はぐれるなって言ったろ、ナターシャ?」

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