毒蛇は二匹に別たれ
「そういえば、レズノフさん」
「あん?」
日がすっかり落ち切り、夜の帳が降りた『クルーガ』から『ルィーズカァント領』の『パラヒリア』へと続く街道。魔獣避けの効果が付与された神導具を組み込んだ外灯が一定間隔に立ち並ぶ、丁寧に人の手が施された街道を、白いペンキで塗られた馬車が走っていた。
「あの騎士の人達に何も言わずに出て来ちゃいましたけど、よかったんですか?」
「あー、まぁ、別にいいだろ。どうせこの件が片付けばネェちゃん達も戻ってくるだろうし、そん時にまた会えるさ」
そして神導具の灯りによって照らされたその馬車の中で、ヴィショップ達四人は酒を飲んだり干し肉を食べたりしながら、会話を交わしていた。
「ところでドイツ人。お前、ちゃんとアレは手に入れてきたのか?」
「アレですか? ちゃんと手に入れてきましたよ。ヴィショップさんに尻を蹴り上げられて嫌々でしたけど…」
干し肉を齧るヤハドの質問に、ミヒャエルはヴィショップを横目でみながら、自分の脇に置いてある袋を漁ると、表紙に『魔導魔法初級編』と書かれた革の表紙の本を取り出し、ヤハドに表紙を見せつける。
「おお、ちゃんと手に入ったのか」
「大変でしたよ? 色々魔法使わされたり心理テストみたいなの受けさせられたり…」
ヤハドの意外そうに声を上げ、本の表紙をまじまじと見つめる。
ミヒャエルはそのヤハドの言葉に返事を返しつつ、つい昨日に受けた魔導協会での試験を思い出して、疲れたような溜め息と吐いた。
「へぇ、無理かと思ってたら、ちゃんと貰えてたんだな」
「え~…。ヴィショップさんが手に入れてこいって言ったんじゃないですか…」
そしてヤハドと同じようなリアクションで表紙を覗き込んできたヴィショップの姿を見て、ミヒャエルは納得のいかなさそうな声を出す。
「正直、お前みたいな性癖倒錯者には無理だと思ってたんだが……案外いけるもんだな…」
「いや、失礼にも程があるでしょ!?」
「でも、ジイサン。ヤハドの宗教では天国行くと七十二人の処女をファック出来るらしいぜ。しかも、破ってもまた再生するって話だ。なら、レイプ魔までが許容範囲に含まれてる思想があってもおかしくなくないか?」
「よし、お前動くなよ。今ここで殺してやる」
ミヒャエルの『魔導魔法初級編』入手の報を肴に、四人は話に花を咲かせる。
ちなみに、ミヒャエルが生前行っていた所業に関して、ヴィショップは他の二人に伝えていない。
そこにはヴィショップが他人の過去を言い触らして喜ぶような趣味を持っていないという要素は確かに存在したが、それ以上にこの事実を教えることで四人の間での関係が悪化することを恐れた為である。
ミヒャエルがしてきたことは到底好意的に受け入れられるものではない。そして何より、四人は一緒に行動し始めて一か月も経っていないのだ。ヴィショップとしてもある程度ミヒャエル、そしてレズノフとヤハドの性格は把握できたが、それは完璧には程遠い。故に、二人の内どちらかが、もしかしたら二人ともがミヒャエルの過去に強い拒否感を抱いてしまう可能性を否定できないのだ。そしてもし拒否感を抱いてしまえば、それぞれの生前での類い稀なる経験によって驚異的な速さで環境に適応した結果保たれていた四人の関係は、簡単に崩れてしまう可能性が大きい。その為、ヴィショップはレズノフとヤハドにミヒャエルの実態を話さないまま、今に至っている。
(もつとも、いつかは話すことになるだろうがな…)
眼前で繰り広げられる低俗なジョークの応酬に笑いを溢しながら、ヴィショップはひとりごちる。
ミヒャエルに自分の予想を確認した際、ヴィショップは脅しを入れてまでミヒャエルに欲求を抑えるように言いつけた。だがその一方で、ヴィショップ自身、自分が言いつけたところでミヒャエルがいつまでも押さえておくことが出来ないことを理解していた。
何故なら、ミヒャエルのような歪みきった性的欲求は、一度でも解放してしまえば善悪の観念を快楽の向こうに押しやってしまい、歯止めが効かなくなるからだ。そして歯止めが効かなくなった結果、警官に撃ち殺されて死んだミヒャエルのような人間を脅してみたところで、効き目は薄いに違いなかった。
つまり、いつか必ずミヒャエルの欲求が爆発する瞬間が訪れる。そしてその瞬間が訪れた時、ドイツの警察を欺き続けて四十八人の女性を殺害した男を、ヴィショップ一人で止められる可能性は低い。必ず誰かの手を借りる必要があった。
(まっ、今すぐに起こらないことを祈るしかねぇけどな…)
その瞬間が訪れた時、ヤハドとレズノフにどう真実を伝えようかと考えたとことで、ヴィショップはその考えを中断した。それは今考えるべきことではないということに気付いたからだ。
(取り敢えず目の前の問題に目を向けるべきだな…)
ヴィショップはそう結論付けると、酒の入った瓶を口に付けて中身を傾けた。
すると、レズノフの言い争いをいつの間にか終えたヤハドが、ヴィショップに問いかける。
「ところで米国人。『ルィーズカァント領』に入ってからそれなりに経つが、今どこらへんなのだ?」
「ん? あー、もうすぐじゃないのか? 俺に聞かれても分からん」
ヴィショップがヤハドの問いに少し考えてから答えた瞬間、軽い衝撃と共に馬車が動きを止めた。
「指定して頂いた場所に着きました、旦那様方」
「おう、そうか。よし、お前ら、さっさと降りろ」
御者の声に返事を返し、ヴィショップは自分の荷物を掴んで馬車から降りる準備を始める。だが、
「えーと、ヴィショップさん? ここが目的地なんですか?」
「そうだ。さっさと準備しねぇと、尻を蹴り上げるぞ」
「でもここ、何も無いじゃないですか」
馬車の扉に付いている窓から外を覗き込みながら、ミヒャエルが説明を求めて声を上げる。
ヴィショップ達の乗る馬車が停止した地点、それはまだ街道のど真ん中で、周囲は伸びた枝葉によって月の光すら差し込まない深い森に覆われており、木々を切り出して整備した街道のみが月明かりと外灯の光によって照らしだされていた。
「降りてから説明する。だからさっさと降りろって」
「ちょ、うあっ!?」
ヴィショップは面倒臭そうに答えると、馬車の扉の鍵を外して扉を開く。すると扉に寄り掛かる様にして外を覗き込んでいたミヒャエルが転げ落ちる。ヴィショップはそんな様のミヒャエルを飛び越えて馬車から降り立ち、レズノフは笑いながら、ヤハドは呆れながら荷物を持って馬車から降りる。
「な、何するんですか!」
「降りるっつったろ。五十ドルの玩具欲しさにショーウィンドウに張り付くガキみたいなことしてるお前が悪い」
修道服に付いた土を払いながら、ミヒャエルは立ち上がって抗議の声を上げる。だがヴィショップはミヒャエルの方を見もせずにさらりと流すと、御者の方を向いて礼の言葉を述べた。
「助かったわ。ありがとな」
「いえ、お得意様からの仕事ですし。でも、本当にここでいいんですか?」
「あぁ、構わない」
「そうですか。では、私はこれで。ここはあまり良い噂を聞かないので、早めに立ち去った方がいいですよ」
御者の男は忠告染みた言葉を告げると、馬車を方向転換させて『クルーガ』の方へと去って行った。
そしてヴィショップが馬車の後ろ姿を見送りながら手巻きの煙草を咥え、マッチを取り出して火を点けていると、ヤハドがヴィショップに問いかける。
「それで? ここは何処だ、米国人。『パラヒリア』とやらではないことは分かるから、もっと具体的な答えを教えてもらおうか」
「その答えが知りたきゃ、向こうを見ろ」
ヴィショップはそう言って、顎をしゃくって馬車が走り去ったのとは逆の方向を指す。
ヤハド達がその方向に顔を向けると、遠方に夜の闇の中で一際目立って輝く、いくつもの人口の光の集合体が視界に飛び込んできた。
「もしかしてあの光が…」
「あぁ。『ルィーズカァント領』中心都市『パラヒリア』だ」
目を細めてその光を確認するミヒャエルが答えを出すのに先んじて、ヴィショップが答えを告げる。するとミヒャエルと違って目を細めずに光を確認していたヤハドが、あることに気付く。
「待て、あれが『パラヒリア』ということは、ここは…」
「ご名答だ、ヤハド。此処こそ、幽霊事件の現場にして、変態野郎の後始末をする人間が訪れる場所、『ルィーズカァント領』中心都市『パラヒリア』郊外の森林地帯だ」
ハッとした表情のヤハドの言葉を、ヴィショップが肯定する。すると辺りを見回していたレズノフが、ヴィショップの方を向いて尋ねた。
「成る程、此処がか。で、何を企んでる、ジイサン?」
そのレズノフの問いに、ヴィショップは口角を吊り上げながら右手を顔の前に上げ、人差し指と中指と立てながら答えた。
「二手に分かれるのさ。このまま『パラヒリア』に向かうメンバーと、変態領主の屋敷に潜り込むメンバーの二手にな」
「……ハッ、そういう訳か」
人差し指と中指を立てた右手を、顔の前で振ってみせるヴィショップの言葉を聞き、その真意を理解したレズノフは小さく笑みを漏らす。
少し遅れてヤハドも、言葉の真意を理解してか同じ様な笑みを漏らした。その一方でヴィショップの言葉の真意が理解出来ていないミヒャエルは、納得のいかなさそうな口調でヴィショップに訊ねた。
「どういう訳なんですか? 教えてくださいよ、ヴィショップさん」
「…ったく、だから、『パラヒリア』に行って変態領主の罪を暴くメンバーと、ここに来るであろう変態領主の処理係と入れ替わって屋敷に忍び込み、変態領主の罪を暴くのをサポートするメンバーの二手に分かれるんだよ」
ヴィショップは顔の前に上げていた右手を下げ、呆れ混じりの口調でミヒャエルに説明を始めた。
「どうしてそんなこをする必要が? そのまま全員で行けばいいじゃないですか?」
「理由は簡単だ。まず一つに相手が権力者で、こっちは少し名が売れたギルドメンバーに過ぎないという点。はっきり言って真向からぶつかっても勝ち目が無いからな。相手の懐に潜り込んで隙を作る人間が必要になる」
「…まぁ、言われてみれば確かにそうですね。でも他にも理由が?」
「もう一つは、俺達にはまともな捜査を行う権力が無いという点だ。確かに俺達は元騎士の奴らに頼まれたが、正式な依頼じゃない。まぁ、領主が子供を嬲り殺してムスコをおっ勃てる変態なんで捕まえて欲しい、なんて依頼も出せないから当たり前なんだが、とにかく俺達には変態領主の家に踏み入って大々的に証拠を探す真似は出来ない。もっとも、正式に依頼を受けていたとしても、貴族の家の家宅捜索なんて出来る可能性は低いがな」
「うーん……つまり、片方のメンバーが屋敷に潜り込んで証拠を探し出し、それをもう一方のメンバーに渡して罪を暴く…そういうことですか?」
「そして捕まえる。もしくは奴のお楽しみの時間を調べ上げて、現行犯で確保…ってとこか」
何とか理解出来た様子のミヒャエルの言葉を、ヴィショップは補足しつつ肯定する。
「マフィアのジイサンが警察を気取る、か。タチの悪いジョークだなァ」
「まったくだ…と言いたいところだが、別に初めての経験でもないのさ、これが。皮肉な事に、警察の真似事は他人を嵌めるのに役立つんでね」
レズノフはヴィショップの計画を聞くと、愉快そうな表情を浮かべて軽口を叩く。ヴィショップはその軽口に軽口で応え、下げていた右手を再び挙げると、右手の人差し指と中指でレズノフとミヒャエルを指し示した。
「とりあえずメンバーの割り振りを決めてあるから言っておくぞ。『パラヒリア』に向かうメンバーはお前等」
「で、ジイサンとヤハドが潜り込む側…と」
「そうだ。何か異論は?」
ヴィショップは楽しそうな表情を浮かべるレズノフの言葉に頷き、他の二人にも視線を移す。
「俺は特に無い。むしろ、畜生以下の変態にこの手で引導を渡せるのだから好都合だ」
「…やる気が有るのは結構だが、殺すなよ。この手のは主犯を死刑台に送ってこそ意味がある」
妙にやる気のあるヤハドの姿を見て、ヴィショップは溜め息と共に釘を刺しておく。
主犯である領主を殺すだけなら、わざわざメンバーを分ける必要は無い。ただ全員で忍び込んでいって殺せば済む話である。それをせずに今回メンバーを分けたのは領主を確実に法で裁く為、そしてそれにより更なる実力を証明し、『グランロッソ』で立ち位置をより強固なものにする為である。
故に、真相を暴かずに領主を殺してしまえばメンバーを分ける意味が無いし、そもそも真相を公にしないまま殺せば、ただ単に貴族を殺害した罪で追われるのがオチである。領主を殺した上で真相を暴くという手もあるが、それをするぐらいなら真相を公に暴いて領主を生け捕りにし、法の裁きを受けさせた方が同じような労力ながらもより実力の証明になる。
「あ、でも、僕達は四人組として今回の件でそこそこ有名になりましたよね。なのに二人だけで行動してたら怪しまれるんじゃ?」
ふと思いついたように訊ねる、ミヒャエル。ヴィショップはそれに対し、無精髭を擦りながら答えた。
「確かに一理あるが、そればっかはどうしようもない。まぁ、証拠が揃うまではお前等に動いてもらう予定は無いし、ただ二人で動いてるだけで計画に気付くのは不可能だろう。ギルドにはチームを組んで動かなくてはいけないなんてルールは無いし、聞かれたら適当にはぐらかしておけば大丈夫だろうさ」
「そんなもんですかね…」
ヴィショップの言葉を聞いてもいまいち納得がいかなさそうなミヒャエルだが、かといってこれ以上対策を練ることも出来ないので、ヴィショップはそれ以上は答えずにミヒャエルから視線を外す。
「という訳だ。善は急げ、馬車も返してしまったしすぐに行動に移るとしよう」
「あいよ」
「分かった」
「はい」
そしてヴィショップは両手を広げ、芝居がかった調子で告げる。それに対し他の三人は短い返答と共に、首を縦に振った。
「では、俺達は処理係とすり替わる為に森に入る。すり替わりに成功したら連絡するから、これを持っとけ」
「これは…遺跡で使ってた、無線代わりの代物か」
「使い方は分かってるな?」
「当たり前だろォ?」
返答を聞いたヴィショップは満足気に頷き、袋からブレスレット型通信用神導具を取り出してレズノフに向けて放る。レズノフそれをキャッチすると、返事を返しながら右手に着けた。
「そっちはどうやって入れ替わるつもりなんだ?」
「一応、方法は考えてある。シンプルだがな。それより、お前等には『パラヒリア』でやってもらいたいことがある」
「何だァ?」
ヴィショップはレズノフの問いに答えると、袋の中から神導具を取り出しつつ、レズノフに行ってもらいたいことを告げる。
「最終的にはお前等には踏み込む形になってもらう訳だが、その時二人だけじゃ心細い。もし可能ならだが、出来れば味方の当てを付けておけ」
「味方…ねェ」
「あぁ。といっても、出来ればだがな。無理そうなら諦めて構わない」
ヴィショップは念を押すように最後の一言を告げると、神導具に灯りを灯して森に入る準備を整えた。
「じゃ、俺達はこれで行く。しくじるなよ」
「ジイサンこそ、耄碌すんなよ?」
「ハッ、抜かせ若造」
支度を整えたヴィショップは、レズノフと軽口を叩き合って小さく笑いを溢す。そして最後にひらひらと軽く手を振ると、ヤハドと共に街道を外れて鬱葱と茂る森の中へと入っていった。
「……さて、じゃあ俺達も行くとするかァ」
月明かりと外灯の光の中、ヴィショップとヤハドの姿が暗闇に包まれた木々の中に消えていくのを見送ると、レズノフは軽く伸びをしてから歩き出そうとする。
「ところでレズノフさん」
「何だよ」
すると出鼻を挫くかの様なタイミングでミヒャエルが声を掛けてくる。レズノフがそれに返事を返すと、ミヒャエルは真剣そのものな表情で問いかけてきた。
「ここからの移動方法ってまさか…」
「徒歩以外にある訳ねぇだろ」
さも当然といった様子でレズノフが答えると、
「……神よ」
ミヒャエルはこの世界に来てから初めての信徒らしい言葉を呟いて、がっくりと膝を着いたのであった。
月の明るさが心なしか増したように感じられる頃、ヴィショップとヤハドと分かれてから一時間近く歩いた後に、レズノフとミヒャエルは目的地である『パラヒリア』に辿り着くことが出来た。
「や、やっと着いた…」
土を整備しただけの代物ではない、石造りの地面を踏みしめて、ミヒャエルは大きく息を吐き出しながらその場に座り込む。
『ルィーズカァント領』中心都市、『パラヒリア』。二人の目の前に広がるその町並みは、中心都市の肩書きに全く傷を付ることのない、立派なものだった。石造りの道は道幅が広く、馬車なら二台は優に通れそうな程。その上街灯が細目に設置されており、夜でも充分に出歩くことの出来る明るさを保っている。建ち並ぶ建物は二階建て以上のものが目立ち、どれも大きな看板を掲げていた。
「『クルーガ』とはこれまた違った雰囲気のある街だなァ」
眼前に広がる光景を見て、レズノフが呟く。
『クルーガ』もかなり発展した街だったが、城壁都市の名の通りかなりの確率で視界に城壁が飛び込んできて、どうにも閉塞感のようなものを覚えずにはいられなかった。が、それに比べ『パラヒリア』は道幅が広いのも相まって、かなり開放的に感じられる造りとなっていた。
「そんなことより、とりあえず寝床を探しましょうよ。もう、疲れて疲れて…」
「…意外と風情がねェのな、お前」
街の光景を眺めているレズノフに、さっさと寝床を見つけて休むことを提案する、ミヒャエル。そんな彼に対しレズノフが苦笑を浮かべると、ミヒャエルは駄々をこねる子供の様に声を上げた。
「えー、街の風景なんて見ても楽しくも何ともないですよ。そんなの見てる暇があったら、寝床探しましょうよー」
「まあ、アルコールも補給してェし…。取り敢えず探すとすっか」
レズノフはそう言うと、街灯の灯りに照らされた街中へと足を踏み出していき、ミヒャエルがそれに続く。二人は街灯の灯りを浴びながら、夜も更けてきているにも関わらず人通りの少なくない大きな通りを歩きながら、首を左右に向けて宿を探す。
「ん? アレは…」
そうして首を振っている内に、レズノフは街の外れの丘の上に、ぼんやりと輝く大きな光を発見する。
レズノフは歩みを止め、自分の荷袋から伸縮式の望遠鏡を取り出して覗き込み、ぼんやりとした光の光源を確認しようとする。すると、覗き込んだレンズの先に、かなり金のかかった作りの屋敷を見て取れた。
「アレが、例の野郎の屋敷かァ…」
「どうしたんですか?」
領主のものと思しき屋敷の姿を確認し、レズノフは獲物を見つけた猟犬の様に犬歯を剥き出しにした笑みを浮かべつつ、小さく言葉を漏らす。するといつの間にかレズノフが立ち止まっていることに気付いたミヒャエルが、レズノフの許まで引き返してきて何をしてるのかを訊ねた。
「例の変態の屋敷だ。ほらよ」
「本当ですか?どれどれ……うわ、いかにも金持ち然とした屋敷…」
レズノフはミヒャエルの質問に答えると、望遠鏡を目から離してミヒャエルに軽く放る。ミヒャエルはそれをキャッチして覗き込み、領主の屋敷の姿を見ると、露骨に引きいて望遠鏡から目を離す。
「何か、趣味悪いっすね」
「趣味の良い金持ちは、手足の無いガキを見て発情しねェさ」
「まぁ、それもそうですけど」
縮めた状態の望遠鏡をミヒャエルから受け取ると、レズノフは軽口を叩いて望遠鏡を荷袋にしまい、背中に担ぎなおした。
「さて、これで奴さんの根城は分かったな。次は俺達の根城の確保だ」
「あぁ、それなんですけど、すぐそこに良さそうなのがあったんですよ。だからそこにしましょう」
荷袋を背に回したレズノフが話題を戻すと、ミヒャエルは思い出したかのように声を上げ、近くに建っている三階建ての建物の前へと移動する。レズノフはそんなミヒャエルを追い、西部劇の酒場の様な首の高さまでしかない簡素な扉の前に立つと、
「『ホテル・ロケッソ』か…。まぁ、酒はあるみたいだしここでいいか」
そう呟いて、扉を押し開けて建物の中へと入った。
扉を開いた先の店内には、丸い木製テーブルが並び、奥にカウンターが設けられていた。恐らくチェックインはあそこで行うのだろう。一階はどうやら酒場としての面も備えているらしく、テーブルを囲んで食事をしたり酒を飲む人間の姿が見受けられる。といっても、『水面の月』の様に武装している人間はあまりおらず、ちらほらと見受けられる程度で、『水面の月』を酒場と例えるなら、この『ホテル・ロケッソ』の一階部分は大衆食堂の様な雰囲気を放っていた。
「さて、強姦魔はどこかなァ、と…」
取り敢えず店内を一通り見回したレズノフは、先に入ったはずのミヒャエルの姿を探して歩き出す。
手斧やナイフ、大剣などかなり重装備な姿のレズノフだが、彼が店に入ってきても客は少し視線を移しただけで、あとは各々の所作に移っていた。この反応から察するに、武装した人間が訪れることも少なくはないのだろう。それが良いことなのかどうかは判断が付きにくいが。
「っと、居たかァ」
店内を見回しながらカウンターの方に向かって歩いていくと、カウンターでチェックインを行っている数人の人間の中に、見慣れた修道服姿の金髪を発見し、レズノフは近づいて行って肩を叩く。
「何だ、もうチェックインしてんのかァ?」
「いや、だってレズノフさん、中々来ないんですもん…」
「そんな時間掛かってねぇ……何だ?」
レズノフに肩を叩かれて振り向いたミヒャエルは、さも仕方が無さそうに言葉を発する。レズノフはそれを適当に流そうとすると、ミヒャエルの隣に立っている見知らぬ少女がレズノフの顔を怯えた表情で見つめているのに気付く。
「ちょ、ちょっと、レズノフさん。怯えさせないでくださいよ!」
「怯えさせてなんかねぇよ。それで? この数年後が楽しみなガキは一体何者だ?」
少女の様子に気付いたミヒャエルが、レズノフと少女の間に入る。レズノフはその光景に肩を竦めると、少女が何者なのかを訊ねた。
「えっと、彼女は…」
「あ、あの。この人、ミヒャエルさんのお仲間さんですか?」
ミヒャエルが説明しようとしたのを遮って、少女はミヒャエルの背から顔を出しながら訊ねる。
少女は黒髪の長髪に色白の肌。意志の弱そうな表情ではあるものの、整った表情をしており、どこか小動物的な雰囲気を纏っていた。服装は簡素なスカートと洋服を身に着け、その上にフードつきのローブを着ている。腰の辺りに何故か木製の重量感のあるコンパスをぶら下げており、その他にも服装の地味さとは対照的な、凝った装飾の施されたナイフやら何やらをゴチャゴチャと身に着けていた。
「そうですよ。ウラジーミル・レズノフといって顔の通りの怖い人です」
「や、やっぱり怖いんですか!?」
「おい、強姦魔。下らねぇ寸劇止めてそこのガキが誰なのか教えねぇと、タマを踏みつぶすぞ」
勝手に二人で盛り上がっている少女とミヒャエルの姿を見て、レズノフは右脚を解しながら言葉を発した。
「ちょ、ちょっとしたジョークですよ! そんなにムキになんなんくてもいいじゃないですかぁ!」
「そうだな。ジョークは好きだ」
「でしょ!?」
「俺をネタにした上に、俺抜きで盛り上がっているジョーク意外はな」
「分かりましたよ! 今紹介するから、脚を温めないでくださいよ!」
ミヒャエルは両手をぶんぶんと振りながら、慌てた様子で説明しようとする。だが傍らの少女はそんなミヒャエルの裾を引っ張ると、不思議そうな表情で訊ねてきた。
「あの…“タマ”ってなんですか、ミヒャエルさん? 宝物か何かでしょうか?」
「いや、何聞いてるんですか、あなたは!?」
「タマってなんですか、ってそこらの幸薄そうなオヤジに上目使いで訊いてみろ。実物みせてくれるぜ」
「レズノフさんも変なこと吹き込まないでください!」
カウンターの前で漫才めいたやり取りを始める、レズノフ達。その中でも大声で喚きたてるミヒャエルの姿に、店内の客の視線が集中し始めたその瞬間の出来事だった。
「オラァッ! 全員動くんじゃねぇぞ!」
魔弓を握りしめた二人組の男が声を張り上げながら店の中に入ってきたかと思うと、天井に向かって引き金を弾いたのは。




