月夜の談合
「とりあえず、入ってくれ」
「お邪魔しますよっと…まぁ、悪くはない部屋だな」
戦勝会を抜け出した後、フレスの屋敷の向かったヴィショップ達三人と別れてアンジェ達についていったレズノフは、アンジェに促されて部屋に入ると、中の様子を見てそう呟いた。
部屋の広さは、一人で暮らすにはやや広すぎるきらいがあり、三人で暮らすには物足りないといった程度。家具は木製のベッドと机、それと椅子が四脚。その他にはクローゼットと、部屋の窓にかけられたカーテンがあるだけで他に目立つものは無く、あとは武器の手入れ用の道具や日用品があるだけだった。
「何を止まっている。さっさと中へ入れ」
「ん? あぁ、分かったよ」
入り口で立ち止まっていたレズノフを、カフスが杖の先端で軽く押して中に入るように催促する。レズノフは部屋の様子を眺めるのを止めて歩きはじめると、机の付近に置いてある椅子に腰掛けた。
「うーん、良い椅子だ。落ち着くねェ」
「家の主人に断りも無く座るやつがあるか」
「目の前に居るじゃねぇか」
椅子に深く腰掛けて大きく息を吐いたレズノフを見て、アンジェが苦笑を漏らす。
「ここがアンタ等の寝床か?」
「といっても、借りている部屋だがな。ちなみに訂正しておくと、カフスとビルは隣の部屋で生活している」
レズノフの質問に答えながらアンジェがレズノフの向かいに座り、ビルとカフスがわざわざ椅子を引っ張ってきて、レズノフの両側に挟むようにして座る。
「…両手に棍棒、とでも言ったところだな」
「まったく…まぁ、いいだろう。今、酒を出す」
アンジェは、肩をすくめたレズノフの軽口に同調すると、立ち上がって酒瓶を取りに行こうとする。すると、その様子を見ていたカフスが慌てて立ち上がり、アンジェを制した。
「た、隊長に酒を取って来させる訳にはいきません。私が取って来ますので、隊長は座っていて下さい」
「だから隊長は止めろと…はぁ、まぁいい。では、頼んだぞ。キツ過ぎなければ何でもいい」
「はっ、分かりました」
アンジェの注文を聞いたカフスは、姿勢良く返事を返すと、部屋を後にして階下の酒場に酒を取りに向かった。
アンジェは、意気揚々と部屋を出ていったカフスの姿に溜め息を吐くと、改めて椅子に座り直した。
「まったく、最近になってやっと呼び捨てが定着してきたかと思えば、もう元に戻ってしまうとは…」
そう愚痴を溢すアンジェの表情には、不快の色は浮かんでいなかった。寧ろ彼女の相貌に浮かんでいたのは、まるで昔を懐かしむような微笑みだった。
「ヘイヘイ、俺を置いて過去を懐かしまないでくれよ。寂しいじゃねぇか」
「あ、あぁ、そうだな。済まなかった」
「いや、別に謝る必要は無ェよ? まぁ、悪い気はしねェがなァ」
「そ、そうだな…」
軽口に対して律儀に対応したアンジェに、レズノフは思わず苦笑を漏らす。そしてアンジェは少し恥ずかしそうに返事を返すと、息を吐いて自分を落ち着けた後、表情を真剣なものへと変えた。
「カフスが戻っていないが、そろそろ本題に入ろうと思う」
「構わないぜ。これでやっとネェちゃんの麗しのティーンエイジャー時代が語られるって訳だ」
「だが、その前に訊くことがある。『ルィーズカァント領』の中心都市『パラヒレア』郊外の森に出る、四肢の無い少女の霊の話について聞いたことは?」
レズノフの軽口をあっさりと流して放たれた質問。レズノフは少し考えて、聞き覚えが無いと結論付けると、返答を返した。
「いや、無ェな」
「そうか。では、話してやろう」
アンジェはそう言うと、真剣な表情のまま、どこか辛そうな雰囲気で離し始めた。
「『パラヒレア』の住人の間で最近騒がれている噂でな。ある酔っぱらった男が、あと数刻で太陽が顔を覗かせるという深夜に森を散歩していたのだ。すると森の奥から「助けて」という声を聞いた。男がその声の方に向かうと、手足の無い少女が転がっていたという。男は心底驚き、一目散にその場から逃げだした。そして街の騎士団の詰所に駆け込み、事の次第を話し、男は騎士団と一緒に少女が居た場所に向かった。だが、彼等が駆け付けた場所には少女どころか虫の一匹も居なかったのだ」
「…………」
「以上だ」
「……何つーか、オチが弱すぎだろ」
話が終わるや否や、レズノフは拍子抜けしたような表情を浮かべて、呆れたような声を上げる。だがそんなレズノフの向かい側、そして真横に座るアンジェとビルの表情は真剣そのものだった。
そしてレズノフは気付いた。彼女達の真剣そのものな表情が、何を語っているのかを。
「……ただの酔っ払いの与太話じゃ終わらなかった…そうだな?」
相貌から呆れの色を取り払ったレズノフの問いに、アンジェは首を縦に振って答える。
「私達が事の真実を知ったのは、それから日が経ってのことだった。酔っ払いの男の話は兎を見間違えたか何かだとして処理されたのだが、この話が噂となって流れ始めてからというもの、肝試しとして深夜に森に入る輩が出始めた。最初の内は何も起こらなかったのだが、噂が人々から忘れ去られようとしてきた頃、ある出来事が起こった」
アンジェはいつの間にか額に浮き出ていた汗を拭うと、はっきりとした口調で話の続きを語る。
「肝試しに森に入った住人が翌日の朝、死体で発見されたのだ」
一呼吸置いてアンジェから発せられた言葉は、レズノフの双眸に確かな好奇心を植え付けた。
「それで?」
「死体で見つかったのは街の若者でな。その事件が起こった当時、『パラヒレア』常駐の騎士団で小隊長を担っていた私は、部下のカフスとビルを連れてこの事件を担当していた」
「へぇ、それが“隊長”の呼び名の由来か」
「まぁ、そういう訳だ」
興味深そうなレズノフの言葉に、アンジェは少し懐かしそうに答える。
「最初は魔物にでも襲われたのだと判断したのだが、調べていく内に何者かによる他殺であることが分かったのだ」
「ほォう、そいつはどうしてだ?」
どこか試すような口調のレズノフの問いに、アンジェは嫌そうな表情一つ出さずに答えた。
「若者が魔物に襲われたと判断したのは、若者の死体の首筋に大型の犬のような歯形が付いていたからなのだが、その歯形に紛れるようにして、全く大きさの違う傷跡が残っていたのを見つけたからのだ。針か何かを刺したような小さな傷跡が…」
「針、ね…」
アンジェの言葉を聞いたレズノフが、ぽつりと言葉を漏らして含み笑いを浮かべる。アンジェはそんな彼の様子に一瞬怪訝そうな表情を浮かべるものの、すぐに取り払うと話の続きを話し始める。
「その傷跡を発見した我々は、そのことを団長に話して真相究明の為の捜査を提案したのだが、団長はその傷跡は見間違いだと言って調査の許可を出してくれなかった。だが、それでも諦められなかった我々は、被害者の若者がそうした様に、深夜に森を散策することにしたのだ。そうすれば犯人を誘き出せるかもしれないと考えてな。無論、騎士団には内密にだ」
「ふゥん、それで?」
「最初の数日は何も起こらなかった。だが、一週間程経ったある日、私達はついに若者が何を見たのかを知ることが出来たのだ」
そこまで話すと、今までレズノフの顔を見ていた視線が床へと下がっていき、アンジェはそのまま俯いてしまう。そして顔を上げぬまま、肩を小刻みに震わせながら続きを話した。
「その日も私達は森の中を気配を消して歩いていた。だが、人間はおろか魔物の一匹にも出くわさず、そろそろ日が昇り始めかねない時間になってきたので街に返ろうと考えた矢先だった。私達はずた袋を担いで森の中を歩く、二人組の男を見つけたのだ」
「…………」
「私達はすぐにその二人組に駆け寄ると、その二人に声を掛け、ずた袋の中身を見せるように要求した。すると、その二人組は武器を抜き放って私達に襲い掛かってきた。幸いにも腕が立つ人種ではなかったので、簡単に打ち負かすことが可能だった。そして私達は打ち負かした二人組を木に縛り付けると、男達が武器を抜く時に地面に転がしたずた袋の中身を確認したのだ」
気付けば、アンジェの声が震えていた。だがそれは恐怖による類のものではなく、身体の底から湧き出る怒りを抑えるが故の現象であった。そしてアンジェは面を上げる。その瞳には怒りの炎が燃え盛り、歯は食いしばられていた。肩は小刻みに震え、両手はきつく握りしめられている。そんな状態のまま、アンジェは一言一言を絞り出すようにして、ずた袋に何が入っていたかを語った。
「ずた袋に入っていたのは……少女の死体だった。歳は十二歳程度のすらりと伸びた金髪の子で、生前はさぞ可愛らしい容姿の少女に違いなかった…! だが、ずた袋から姿を現した少女の姿は、そんな容姿の良し悪しなど関係無くなる程に酷かった…! 衣服の類は一切身に着けておらず、晒されたままの肌のいたる所に殴られたような痣があった…!」
次第にアンジェの声の震えが増していく。訴えかけるようにレズノフを見つめる双眸から涙が流れては頬にラインを引き、そして膝の上で握りしめられる手の甲に落ちる。
「髪は血と体液で穢され、両目は苦痛と恐怖に見開かれていた…! そして……そして………!」
アンジェの言葉が唐突に止まる。そして数秒の空白の後、涙を拭ったアンジェの口から、まるで無理矢理吐き出すようにして言葉が発せられた。
「本来生え揃っている筈の歯が全て引き抜かれていた…! 本来彼女の身体から伸びている筈の手足が全て切り落とされ、少女の死体と一緒に無造作にずた袋の中に放り込まれていた…っ!」
そこまで話したところで、アンジェが再び涙を拭う。レズノフの隣では、ビルが心痛の表情でアンジェを見つめていた。
そして彼女の話を聞いていたレズノフは、少しの間顎を右手で擦って考え込むと、一つの単語を呟いた。
「スナッフムービー、か…?」
「スナッフ…ムービー…?」
そんなレズノフの呟きを聞いたアンジェが、涙の後が残る顔で怪訝そうに聞き返す。当のレズノフは自分の呟きが聞かれていたことに気付くと、頭を掻きながら誤魔化そうとした。
「あー、まぁアレだ。俺達の故郷で使われてる俗称で、ガキやら何やらを嬲り殺しにしたり、その光景を見たりしたりしてエレクトする、変態共を指す言葉…だったかな?」
「そうか…ならば、これもその“スナッフムービー”とやらに含まれるのだろうな…」
そう呟いて、より一層拳を握りしめる、アンジェ。レズノフはそんな彼女の様子を見て息を一つ吐くと、先を話すように促す。
「で? 死体を見つけてからどうしたんだ?」
「あぁ。私達は死体を見つけた後、二人組の男に詰め寄って尋問した。最初の方こそ何も話さなかったが、ビルが彼等の顔に五度目の拳をめり込ませた辺りで、全てを始めた。二人は隣国『スチェイシカ』系犯罪組織、『コルーチェ』の組員で、君が先に話した性癖の人間と契約し、少女の確保と後始末を行っていた事、そして契約の相手の事を…」
そう語るアンジェの瞳の怒りの炎は、まうでガソリンを直接ぶちまけられたかのように勢いを増していた。そしてそれは、隣で沈黙を貫くビルも同じだった。
「男が最後に告げた契約相手の名…その名は、私達が剣を奉げた血筋の人間であり、近い将来真の忠誠を誓う筈だった人間……レイモンド・ルィーズカァントの一人息子にして、『ルィーズカァント領』現領主、ドーマ・ルィーズカァントだった…!」
もし言霊という物が実在するなら、すぐにでも人を呪い殺せそうな程の負の感情が篭められた言葉が、アンジェの口から吐き出される。レズノフは、最後の一言を吐き出したアンジェの姿をじっと見つめると、短く刈り揃えられた銀髪の生える頭をぼりぼりと掻きながら、アンジェに告げた。
「この内容をこのタイミングで話す時点で、何を言いたいのかは大体理解出来る。が、俺としてはアンタ自信の声で言ってもらいたいもんだねェ」
アンジェの視線を真っ向から受け止めながら、レズノフが告げる。そんな彼の表情には、他人をからかうような調子も、戦いの時に見せた狂気も現れていなかった。ただ右手で口元を覆い、右手の人差し指で左目の下をトントンと叩き続ける彼の双眸は、何かを測るかのようにアンジェの両目の光を見つめていた。そう、まるで他者を値踏みするかのように。
「……私達は領主に顔を憶えられている。向こうも事を大きくし過ぎると不味いので手配こそしていないものの、我々が領に入ればすぐに何らかの手段を用いて対処してくるだろう。悔しいが、三人と騎士団全員が真っ向からぶつかったところで結果は見えている。だから、私達はこの問題に関与することが出来ない…」
レズノフの言葉と視線を受けたアンジェが、口を動かし始める。そしてしばし口を噤むと、両目をきつく瞑る。
「……だから、代わりに君達にこの悲劇を止めて欲しいッ! バウンモルコスを打ち倒し、ウォーマッド兄弟すら退けた君達に頼むしかないんだ! 頼むッ!」
そして次に目を開いた瞬間、アンジェは叫ぶようにして言葉を発する。そして懇願の言葉の全てを吐き出すと、両手と額を机に打ち着けた。
レズノフはその光景を無言で眺める。そして隣でアンジェと同じ行動をとるビルに視線を移すと、口元に当てた手を退け、溜め息を吐いて立ち上がった。
「化け物狩りの次は、変態狩りか…」
そしてぼそっと呟くと、レズノフはゆっくりと振り向いた。
「悪かなェなァ。乗るぜ、その話」
レズノフの言葉に反応して面を上げたアンジェが、自分の方に振り向いたレズノフの顔を見た瞬間、彼女の背中を寒いものが駆け抜ける。
アンジェに向けたレズノフの顔に浮かんでいたのは、まるで獲物を見つけた獣のような、犬歯を剥き出しにした笑み。そう、『世界蛇の祭壇』でバウンモルコスの幼体の群れを相手にしていた時に浮かべた、あの笑みだった。
「寝ちまったか…」
ヴィショップは、自分の向かい側で机に突っ伏して眠りに落ちているレムの姿を、空になったグラス越しに確認すると、小さく笑みを漏らした。
レムがルィーズカァント領に伝わる幽霊話を始めてから一時間とちょっとが過ぎていた。幽霊話の後、二人は他にも様々な噂話や有名な出来事についての話しを交わしていたのだが、次第にレムの呂律が回らなくなっていくのに連れ、話の内容も噂話の類から愚痴へと変化していき、そしてふと気付いた時には既にレムが眠りに落ちていた。
「ったく、手間の掛かる女中だぜ…」
ヴィショップは苦笑いを浮かべながらグラスを置いて立ち上がると、突っ伏して寝ているレムに、先程脱いだ外套を掛けた。
そしてレムが良く眠っていることを確認すると、テーブルの上の酒瓶の残量を確認する。
「……とりあえず、今夜中にケリを付けとくか」
そしてそう呟くと、ヴィショップは左手で残りが三分の一程になった酒瓶を持ち、右手で魔弓を掴んでズボンにねじ込む。そして欠伸を一つ漏らし、部屋の出口に向かって歩き出した。
「おー、居た居た」
部屋を出てから数分後、ヴィショップはそう言葉を発しながらベランダへと続く大きな窓を開き、探していた人物の方に向かって歩く。
「何か用ですか?」
「まぁな」
ヴィショップの声に反応し、意外そうな表情で振り返った人物…ミヒャエル・カーターの問い掛けに適当な言葉を返すと、ヴィショップはミヒャエルの隣に立ち、ベランダの策に背中を預けた。
「探したぜ。何せ、部屋に居なかったからな」
「何というか、夜風に当たりたくなりまして」
酒瓶の口を傾けながらのヴィショップの言葉に、ミヒャエルは夜空で輝く星を眺めながら答える。
「綺麗な夜空ですよね。“あっち”と違って余計なものが無いからか、星がはっきりと見えますし」
嘗て数十年に渡って頭上に君臨してきた、月明かりのみによって照らされる黒く重い夜空と違い、至る所にダイヤの粒のような星々が散りばめられている、満天の星空を眺めながら、ミヒャエルが呟く。
その呟きを聞いたヴィショップは夜空から視線を離すと、策に肘を着き、顎を手のひらの上に乗せて夜空を眺めているミヒャエルの横顔に視線を向けて、意外そうな口調で言葉を発した。
「へぇ、アンタみたいな奴が星に興味を示すとはね」
「……どういう意味ですか?」
視線を動かさずに発せられた問いに、ヴィショップは酒瓶の最後の一滴を飲み干してから答えた。
「そのまんまの意味さ。なぁ? 四十八人の女性を拷問の果てに殺害した、シリアルキラーさんよ?」
ヴィショップの口から言葉が発せられた後も、ミヒャエルが何か大きなアクションを起こすことは無かく、顔は星空に向けられ続けていた。ただ、
「どこで分かったんですか?」
彼の眼球だけが眼窩をぎょろりと蠢き、真横に立っているヴィショップへと視線が向けられただけだった。
「『世界蛇の祭壇』で合流した時にお前が発した質問、あの時に感じた得体の知れない気配が、昔俺を殺しに来た殺し屋と似ててな。それでその線で記憶を探ったら、思い出したって訳よ」
そこまで話して、ヴィショップは言葉を区切ると、柵から首を覗かせ、真下に誰も居ないことを確認してから、空になった酒瓶を地面に階下に向けて落とす。そして下から酒瓶の割れた音を聞こえるまで待ってから、話を再開した。
「まぁ、外国の事件だったし、アンタが捕まったのも俺が獄中に入ってからだったからな。記憶に無ぇのも納得だ。まぁ、他の奴等が知らなかった理由は分からねぇが…」
「一つ訂正してもいいですか?」
ミヒャエルがヴィショップの話を遮って口を挿む。ヴィショップが顎の無精髭を擦りながら「構わない」と答えると、ミヒャエルは星空に視線を向けたまま口を動かし始めた。
「ヴィショップさんは、僕が女性を“拷問の果てに殺害した”と言いましたが、それは間違いです」
「つーと?」
「僕は拷問をしていたのではありません。僕は彼女たちと“愛し合っていたんです”」
ミヒャエルが言葉を発した瞬間、無精髭を擦るヴィショップの手が止まる。
その一方で、ミヒャエルはヴィショップのことなどお構いなしに口を動かし続けていた。
「いいですか、ヴィショップさん。やっぱり、人を愛する時に一番重要なのはその人の心の底を確かめることだと思うんですよね」
「……分からなくはないが、それが何で拷問に繋がる?」
「そんなの簡単ですよ。人が心の底をさらけ出すのは、苦しんでいる時なんですから」
何を当たり前の事を、とでも言いたげな表情を浮かべる、ミヒャエル。常人では理解することすら難しい理屈を、自信満々で言い切るミヒャエルに疑問を覚えたヴィショップは、そう考える理由を訊ねた。
「何で、そう断言出来る?」
「何でって…僕の親も、僕を同じ方法をで愛してくれましたし…」
戸惑いの表情を浮かべながら、ミヒャエルはそう告げる。その一言を聞いたヴィショップは一瞬だけ表情を固まらせた後に、下らなそうに鼻を鳴らした。
「フン…まぁいいさ。俺がお前と話したかったのは、俺の予想が合ってるかどうかを確認する為と、お前に釘を刺す為だからな」
「釘…ですか…?」
ヴィショップがその言葉を告げるや否や、ヴィショップの右手が凄まじい速度で宙を奔る。そして次の瞬間、ヴィショップの言葉を受けて怪訝そうな表情を浮かべるミヒャエルの額に、一瞬にしてズボンから引き抜かれた白銀の魔弓の射出口が突き付けられていた。
「女の爪を剥がしたり、舌を引き抜くことが、お前にとっての“ローマの休日”だろうが俺は一向に構わない。だが、目的の邪魔になる場合は別だ。分かるな?」
「……そんな物を向けなくても、分かってますよ。ちゃんと我慢出来るように頑張りますって。それに僕、誰でも良い訳でも無いですし」
魔弓を突き付けつつ、ヴィショップは冷淡な声でミヒャエルにそう告げた。
言葉を受けたミヒャエルは、そのような状況にも関わらず、眉の一つも動かさずに言い返す。その姿には、“世界蛇の祭壇”で喚き散らしていたミヒャエルの姿など影も形も無かった。
「…そうかい。じゃあ、期待させてもらうとするか」
本当に同一人物かと疑いたくなる程に態度の一変したミヒャエルに対し、ヴィショップもまた眉一つ動かさずに応対すると、魔弓の射出口を下げ、再びズボンにねじ込んだ。
「出発は報酬の準備が整ってからだ。恐らく二日はかかるだろう。その間にやるべきことは済ませておけよ」
室内に向かって歩み始めながら、ヴィショップはミヒャエルに告げる。そのまま歩み続け、ヴィショップが室内とベランダを隔てる窓に手を掛けた瞬間、彼の背中に向かってミヒャエルの声が投げ掛けられてた。
「ヴィショップさん、もう一つ訂正することがありました」
「何だ?」
「爪を剥いだり、舌を引き抜いたりする程度のことは、僕の中では“愛している”ことにはなりません」
背中に投げ掛けられた、ミヒャエルの声。ヴィショップはそれに対し、振り返らぬまま小さく笑みを漏らし、
「変態め」
とだけ告げると、軽く手を振ってベランダを後にした。




