Split Up
「やっと終点か?」
今まで歩き続けてきた道が唐突に終わりを告げ、代わりに目の前に現れた光景を眺めて、レズノフは伸びをしながら辺りを見渡す。
レスルビアモルコスとの戦闘後、休憩を挿み、死体から大剣を抜き出して探索を再開していたレズノフ達は、今までとは雰囲気の異なる場所に出ていた。そこは円形の形をした広めの部屋で、レズノフ達が出てきた道の他に二つの道が存在し、壁には壁画がびっしりと彫り込まれ、所々歪な形の穴が空いていた。
「いや…まだ続くみたいだ」
レズノフが誰となしに呟いた問いに対し、ヤハドが部屋の奥にある次の道への入り口を指差しながら、答える。
「マジっすか…。まだ歩くんすか…」
「フム。だが、この部屋には我々が通ってきた道以外にも二つの道が入り口のある方向に向かって伸びている。これは、最初に別れた他の面々もここに辿り着くことになる、と考えてもいいのではないだろうか?」
まだ先があるという事実に、ミヒャエルが音を上げ始める一方、カフスとビルと一緒に部屋の構造を調べていたアンジェが、ヤハドに対し意見をぶつける。
「…一理有るな。だが、絶対とは限らないし、最悪、他のメンバーが全滅している可能性も有る。待つにしても、長い時間待ち続けるのは時間の無駄になる可能性の方が高いぞ」
「その意見ももっともだ。…では、こうするとしよう」
アンジェはそう言うと、首にかけられている金製の鎖をひっぱり、鉄製の胸当ての下に来ている洋服の胸元から、指で摘める程に小さな砂時計を取り出す。
「…それは皮肉か何かか?」
「そうじゃない。これは神導具の一種でな、落ち切るまでの時間を自由に設定出来るすぐれものなのだ」
顔を引き吊らせながらのヤハドの発言に苦笑すると、アンジェは砂時計の底にあるダイヤルを指で動かす。
「器用ですね。砂時計の大きさから考えても、底にあるダイヤルは動かしづらいでしょうに」
「ん?あぁ、まぁ、そうでもないよ。慣れれば楽なものさ」
砂時計の大きさに合わせ、それなりに神経を集中させる必要がある程小さいダイヤルを、事も無さ気に調整するアンジェの姿を見て、ミヒャエルが感心し、アンジェが小さく笑みを零す。そんなやり取りをしている内に調整は終了し、アンジェは砂時計から目を離してひっくり返す。
「取り敢えず十分に設定しておいた」
「ふむ、まぁ、あと十分待ってもいいだろう。十分経ったらもう一回ひっくり返してくれ」
「分かった」
ヤハドの言葉に返事を返すと、アンジェは砂時計を繋いでいる鎖を首から外し、左手で握りしめる。
「では、待ってる間は自由に行動ということにする。無論、この部屋の中で、そして単独行動は無しという条件付きだが」
「分かった。それで異存はな…」
ヤハドの告げた方針にをアンジェが承諾しようとしたその時、不意に入り口の方向へと続く通路への入り口から靴音が鳴り響く。
「…待ち時間を設定した意味は無かったかな?」
「かも、な。レズノフ!」
ヤハドがレズノフの名を呼んだのに対し、レズノフは背中に背負っている大剣を抜き放つことで返事を返すと、大剣を構えて、靴音のする道への入口の横に立ち、顎でミヒャエルに道を照らすように指示する。ミヒャエルが首を縦に降ってそれに応じると、レズノフは、ミヒャエルが杖を掲げて道を照らすタイミングに合わせて、道に飛び込んだ。そして次の瞬間、レズノフの口から、つまらなそうな声が零れ出た。
「何だ、ジイサンかよ…」
「…悪かったな、俺で」
呆れた口調の声と共に、神導具を携えたヴィショップがレズノフの身体を押し退けて、部屋の中に足を踏み入れる。
「生きていたか、米国人」
「生きてちゃ、不満か?」
「何を当たり前のことを」
「言ってろ、テロリストが。それより、渡すものがある」
ヴィショップはそう言うと、むっとした表情のヤハドに向かって、ブレスレッド上の神導具を放り投げる。
「これは?」
「まぁ、無線みたいなもんだ。色々あって拾ってな」
「貴様の分は用意してあるのか?」
「そこら辺は抜かりねぇよ。ところで、あんた等も一緒だったとはね」
ヴィショップは左手首を見せ、一つ前の部屋で全滅させた『双頭の牡牛』のメンバーの死体から拝借した、所々血で汚れた神導具をヤハドに見せつける。そして、ヤハドの傍らに立っているアンジェ達の姿を見つけると、帽子の淵を撮んで軽く頭を下げた。
「お世話になってるよ、インコンプリーター殿」
「構わねぇさ。むしろ、あのゴリラが迷惑掛けたんじゃないかと、紳士な俺としては考えてる訳だが?」
「いや…まぁ、そんなことはなかったよ。むしろ、良いものを見せてもらったというべきかな…」
「…?」
笑顔を浮かべながらも、心ここに在らずといった表情と共に発せられたアンジェの発言の意味が掴めず、怪訝そうな表情を浮かべる、ヴィショップ。だが、彼が発言の真意を問う前に、ミヒャエルがヴィショップに声を掛ける。
「あの…僕も居るんですけど…」
「…あぁ、居たのか。もう死んだかと思ってたよ」
「いや、これでも僕、魔法使えますから…。それより、ヴィショップさんが勝手に付いていった『双頭の牡牛』の人達はどうしたんですか?」
「あいつらか?あいつらは…」
ヴィショップは、ミヒャエルからさりげなく吐かれた毒に口元を引きつらせると、顎の無精髭を擦りつつ、表情を真剣なものに変化させてから質問に答える。
「死んだ。道中で出くわしたバウンモルコスの幼体共とやりあってな」
ヴィショップの返答は、その場の人間の表情に明確な変化を与えた。アンジェ達三人の顔には影が差し、ヤハドは無表情を貫き、レズノフは興味無さ気にそっぽを向く。そしてミヒャエルは、
「ふーん……で、ヴィショップさんだけが生き残ったんですか?」
興味深そうな表情で、質問を続けた。
「…だったら、何だ?」
「いや、別に。ただ…」
そのミヒャエルの姿に、ヴィショップはどことなく薄ら寒いものを覚える。その結果、ミヒャエルに対する返答が、心なしか口調が冷たいものとなってしまったが、ミヒャエルは特に動じた様子は無しに、質問を続けようとした。
「彼等の死に様はちゃんと見たんですよね?僕の記憶だと女性も居た筈なんですが、どんな死に方をしてましたか?」
「そいつは、どういう…?」
―――――しゅおおおおおおおおおぉぉぉぉ…
ミヒャエルの口から放たれた問い。それが場の空気を一気に凍りつかせかけたその瞬間、既に聞き慣れてきた雄叫びが部屋に響き渡る。
「ッ! 来やがったか!」
「どこからだ!」
バウンモルコスの幼体のものと思われる咆哮に、歓喜の声を上げるレズノフと、それとは対照的に咆哮の出所を探す、アンジェ。他の面々も武器を取り出し、臨戦態勢へと移る。
「穴だ。奴等は、壁に空いている穴から来る気だ」
「穴って…そこら中にあるぞ!?」
いち早く気付いたヤハドが全員に聞こえるように音の出所を教え、それを聞いたカフスが顔を青ざめながら、罵声を飛ばす。その傍らで、ヴィショップは魔弓を持たない左手で顎の無精髭を擦っていたかと思うと、唐突に声を上げた。
「提案がある。聞け」
「…何だ?」
激しさこそ感じられないものの、有無を言わさない雰囲気を纏ったヴィショップの声に、動揺のあまり声を荒げていたカフスまでもが、鳴りを潜めて聞き入る。
「俺達の目的はバウンモルコスだ。その幼体まで全滅させるのではなくな」
「その通りだ。それが、どうした?」
ヴィショップの言葉に対し、ビルが怪訝そうに聞き返す。
「しかし、ここで疑問が残る。なぜ、幼体は討伐対象に含まれない? あれも相当に危険な存在だというのに?」
「それは、バウンモルコスの幼体は成体から出るフェロモンによって呼吸を可能としているからだ。だから幼体は成体から離れないし、成体を命を懸けて守ろうとする。そんなことは、本にいくらでも書いてあっただろう」
「その通りだ。つまり、成体を叩けば、幼体は無力化出来る」
「それがどうし…」
はっきりとしない態度にビルが声を荒立てかけた瞬間、彼はヴィショップが何を言いたいのかを悟った。
「二手に分かれよう…そう言いたいのか?」
「そうだ。片方がここで幼体を押し止め、片方がバウンモルコスを叩きに行く」
何てことは無い様にに言ってのける、ヴィショップ。だが、彼の言っていることの成功する確率が、どれだけのものなのかは、嫌が応にでも理解出来た。そして、この部屋に残る者がどれだけの負担を背負うことになるのかも。
「…七人を二つに分け、あのバウンモルコスを叩きに行き、片方が無数の幼体を押し止め続ける…そう言いたいのか?」
「そうだ」
ヴィショップの返答は、殆ど間を置かずに発せられた。返答を聞いたビルは少しの間考え込んだあと、アンジェへと視線を向ける。向けられた視線で、ビルの考えを悟ったアンジェは、カフスへと視線を向け、そしてビルのと同じような視線を返されれる。アンジェはそのやり取りで、二人が自分の選択に着いて来てくれることを理解すると、小さく笑みを零してから、ヴィショップに告げた。
「分かった。それでいこう」
「そうこなくっちゃな。で、分担だが…」
「それなら大丈夫だ」
アンジェの答えに対し、指をパチンと鳴らして喜ぶ、ヴィショップ。そしてさっそく分担を決めようとするヴィショップだったが、それをアンジェが制した。
「…というと?」
「我々が幼体を押し止める役を引き受ける」
そのアンジェの一言に、ビルが大きく目を見開き、カフスに至ってはあんぐりと口を開いたまま固まる。それと同時に、レズノフとヤハドが驚いたような表情を浮かべ、ミヒャエルは信じられないものでも見ているかのような視線で、アンジェを見つめていた。
そして数瞬の沈黙の後に、カフスがおずおずと切り出した。
「た、隊長…」
「隊長ではなく、アンジェと呼べ。さっきも言ったばかりだろう」
「すいません…って、そうじゃなくて、私達が食い止めるのを引き受けるんですか?」
「そうだ。何か問題が?」
顔を引きつらせながら問うカフスに向かって、アンジェは平然とした表情で言ってのける。
「いや…人数と労力を考えれば、部屋に残す人数に比重を傾けた方がいいのでは…?」
そんなアンジェの態度に戸惑いながらも、カフスは言葉を続ける。
カフスの口から語られた意見は的終えていた。成体という一個体を倒しに行く進行組と異なり、幼体の群れを引き止める残留組は、膨大な数の幼体相手に戦いを挑まなくてはならない。その上、残留組の全滅によって、幼体が、成体と戦闘を行っている進行組の所まで辿り着く可能性を鑑みれば、戦力を残留組に割くべき、というカフスの意見は的確とも言えた。
しかし、
「安心しろ。私達が四人分の働きをすれば良いだけの話だ」
アンジェは笑顔を浮かべて、カフスの意見を却下した。
「た、たい…」
「じゃあ、任せるぞ。大丈夫だな?」
「あぁ。任せておけ」
ヴィショップは、更に説得を続けようとするカフスを遮って、アンジェと話を着けると、帽子を取ってアンジェ達に向かって芝居がかった礼をする。
「待て、米国人。男が女に背を預けるなど…!」
「レズノフ、そこのドアホをさっさと連れて来い」
「リョーカイ、ジイサン」
「お、おい! 離せ!」
そして、一人で残ろうとしているヤハドを連れてくるようにレズノフに命じると、水筒を取り出し、他の面々にバレないように、数滴地面に垂らしてから、奥へと繋がる道に向かって進む。その後ろを、ヤハドを引きずりながら歩くレズノフと、ミヒャエルが続いて行った。
「レズノフ!」
「…何だい、ネェちゃん。名前で呼んだりして?」
そしてレズノフ達が奥へと続く道に足を踏み入れようとした瞬間、アンジェの声がレズノフを引き止める。その声に反応して振り向いたレズノフに対し、アンジェは背を向けたまま口を開いた。
「生きて戻れたら、私の過去を教えてやる」
「へェ、そいつは良いねェ。…タダで教えてくれんのか?」
「いや…一つ頼みたいことがある。内容は……帰ってから言うよ。どうだ?」
振る返ることすらなく、唐突に持ちかけられた取引。それに対し、レズノフが発すべき言葉は、一つだった。
「乗った!」
「そうか。……行け!」
たったそれだけの言葉を交わすと、後は振り返らずにレズノフは駆けて行き、そしてヤハドとミヒャエルが跡を追って暗闇に姿を消していった。
四人が部屋を後にし、残るはアンジェ達三人のみ。だが、三人の間で言葉は交わされず、部屋には壁に空いた穴から漏れ出る、バウンモルコスの幼体の叫び声だけが響き渡っていた。
「…済まなかったな、二人共。こんなことに付き合わせて」
そのままの状態で数秒程過ぎた後に、アンジェがゆっくりと口を開き、謝罪の言葉を口にした。
「…俺は、アンジェの意思に従うまでだ」
「私もですよ。でも…どうして、自らこの役を?我々にはまだ成し遂げることがある筈。その為に、我々はあの貴族の子供の依頼ではなく、ギルド主催の方を引き受けたというのに。それに、どうしてあの男にあんなことを…?」
アンジェの謝罪に対し、ビルが言葉少なく答える。その一方でカフスは、どうしても疑問に思っていたことを口に出していた。
例え、矜持に反する行動をとってでも、生き残ると決意した筈だった。にも関わらず、自ら死地に飛び込んだことの、そして、生き残ると決心した経緯をレズノフに語ろうとする、その真意を訪ねていた。
だが、その疑問に答えを出したのは、アンジェではなかった。
「あの男達に、賭けてみる気なだろう? …“ルィーズカァント領”の未来を…」
「…そうだ」
ビルの口から出た言葉を、アンジェはゆっくりと頷いて肯定する。
「な、何、言ってるんですか!? アイツは我々の手で…!」
質問をぶつけたカフスは、驚愕に身体を硬直させてから、声を荒立ててアンジェを説得しようとする。が、アンジェはそれには答えを返さず、手をかざしてカフスを制する。
「話は後でしよう。そろそろ来るぞ」
カフスが口を閉じたのを確認してからそう告げると、アンジェは右手に握るサーベルを、しっかりと握り直し、構えをとる。それに続いて、ビルとカフスも攻撃体勢に入った、その瞬間だった。
『しゅおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』
悍ましい叫び声を上げながら、部屋中の穴から白い肉の塊が這い出てきた。
「兄貴、居たか?」
「いや、居ねぇな」
今まで延々と続いてきた暗闇の世界から打って変わり、頭上で煌々と輝いている水晶らしき物体によって、幻想的な光に包まれている空間に、野卑は男の声が反響する。
その声の主の名はウォーマッド兄弟。ギルド、『べイヴループ』のメンバーを全滅させた二人はその後、断続的に現れるバウンモルコスの幼体を歯牙にもかけずに突き進み、ヴィショップ達を上回るスピードで分かれ道の終着点に到達、そのまま突き進み、『世界蛇の祭壇』の終着点らしき場所に辿り着いていた。
今まで通っててきた道のりの中でも、ずば抜けた広さを誇る一室。それこそ、バウンモルコスの成体が暴れるのに十分な広さを誇っていた。部屋の中央に石造りの祭壇、そして度々遺跡の壁で見ることができたのと同じ文字がびっしりと彫り込まれた柱が何本か存在しているものの、見晴の良い造りになっていた。
にも関わらず、本来の目的であるバウンモルコス、その存在だけは出来ずにいた。
「クソッ、どうなってやがる…。ここまで来て引き返すなんてのはゴメンだぜ…?」
ゴルトが苛立ちを表に出しつつ、そう呟いた瞬間、慌ただしい足音と共に三つの人影が部屋に飛び込んできた。
「何だ、明るいから外かと思ったら、遺跡の中じゃねぇか。っと…」
「いや、外に出ちゃだめでしょ…って、あ…」
人影の正体であるミヒャエルが、兄弟の存在に気付いて身体を硬直させる。その横では、同じく存在に気付いたレズノフが、小さく笑みを漏らしながらフランクを見据える。
「…やっぱり、生きてたか」
「…ついさっきも、同じようなセリフを言われたよ」
そして最後に飛び込んできたヴィショップとゴルトの視線が交錯。一瞬の沈黙の後に互いに短い会話を交わすと、次の瞬間、ミヒャエルを除いた四人の腕が弾かれたように動き、それぞれの得物を抜き放った。
「あの色黒が居ねぇな。くたばったか?」
「まぁ、そんなとこだ。良心があるなら金でも包んでくれ」
ヴィショップとゴルトの間で軽口が飛び合う。その傍らではレズノフとフランクが、互いに気味の悪い薄ら笑いを浮かべながら、それでいて両の眼に明らかな殺意を滲ませつつ、無言で睨み合っていた。
一名を除き、まさしく一触即発と呼ぶに相応しい状態。だが、張りつめられた緊張の糸を切り落としたのは、まったく別の存在だった。
――――――ヒュアアアアアアアアア…
「な、何すか!?」
「今のは…」
不意に上がった、大気を激しく振動させる何者かの咆哮。五人はほぼ反射的に、頭と光を音のした方に向ける。
「あんな所に…穴ァ…?」
いや、それは向けるというより上げたと表現した方が適切だった。何故なら、彼等が視線を向けた先は、水晶らしき物体からの光も届かず、ウォーマッド兄弟も見落としていた場所。乃ち、この部屋へと繋がる入り口、その真上の天井にぽっかりと空いた、大きな穴だったからだ。
『来る』
五人の視線が穴に注がれたまま、数秒程経った辺りで、ヴィショップとゴルトが同時に呟く。そして次の瞬間、
「ヒュアアアアアアアアアッ!」
幼体のものに輪をかけて耳障りな雄叫びが大気を震わせたかと思うと、次の瞬間、巨大な人の頭らしきものが、穴からにゅっと突き出された。
「オイオイ、スゲェな、アレ…」
だが、それが人の頭だと思えたのも、最初の一瞬だけだった。ゆっくりと下に降りてくるにつれ、水晶らしきものから放たれる光によって浮かび上がっていくその姿は、まさしく“異形”だった。
まず最初に全容を晒したのは頭部。容姿こそ幼体と似たようなものだが、表皮は幼体のそれと違い、どす黒く染まっており、顎の左右からは、捻れのある刺の生えたた鋏が伸びていた。その次に現れたのは、高さこそ二階建ての家屋には匹敵しないものの、概ねはフレスから聞かされていた通りの、百足のように長くて足がびっしりと生えそろった胴体で、こちらの表皮は幼体と同じく白だったものの、まるで何かの模様のように黒い部分も存在し、胴体と一続きになっている尾の先端部分には、内側に向かって反り返った棘が円状に生え揃っていた。そして、何より印象的なのが、
「なぁ、あの嬢ちゃん、羽生えてるなんて言ってたか?」
「いや……言ってなかったと思うが…」
白と黒に染まっている胴体から生えている、二対の透明な羽だった。
「兄貴、バウンモルコスに羽って…」
「ある訳ねぇだろ。ありゃ、突然変異種とかいう奴だな」
穴から這い出ると、羽を震わせて空中に飛び上がったバウンモルコスを、ウォーマッド兄弟が引きつった笑みを浮かべながら見据える。
空中に浮かび上がったバウンモルコスは、互いに武器を突き付けあったまま固まっているヴィショップ達の方に顔を向けると、大きく一鳴きしてから、五人目掛けて急降下してきた。
「やべぇ、避けろッ!」
ヴィショップが怒声を上げながら、ミヒャエルの僧衣を掴みつつ、真横に向かって身を投げ出し、ウォーマッド兄弟も、言われなくても分かっている、とでもばかりに身体を投げ出す。そして一瞬遅れてバウンモルコスの巨体が五人の居た場所を通過したかと思うと、地面には激突せずに床に接触するかしないかの高さを飛行し、頭部を持ち上げて上昇していく。
「クソッ、飛ぶなんてありかよ!?」
バウンモルコスの突撃を回避したヴィショップは、すぐさま体勢を立て直すと、左手の神導具を投げ捨てて魔弓を引き抜き、再び空中に舞いあがったバウンモルコス目掛けて、先程抜いた右手の魔弓と合わせて発砲する。
「…おまけにかてェときたもんだ」
だが、発射された魔力弾は、バウンモルコスの白と黒が入り乱れた表皮を貫けずに、空中で霧散する。その有り様を見たヴィショップが悪態を吐きつつ、魔力を篭めた強化弾を使おうかと考えていると、唐突にすぐ近くから轟音が上がる。
「ヒュアッ!?」
「チッ、無理か…」
轟音を伴って射出された魔力弾が、バウンモルコスの頭部に命中する。が、衝撃こそ与えれれたものの貫通には至らず、攻撃を仕掛けた張本人であるゴルトは、忌々しげに舌打ちを打った。
「何だ、デカさの割には、威力がしょぼいな」
「言ってろ、短小野郎。お前のなんて見向きもされなかっただろうが」
ヴィショップの軽口に対し、ゴルトは中指を立てながら軽口で返す。すると、今になってやっと立ち上がったミヒャエルが、辺りをキョロキョロと見回した後、気まずそうに声を上げた。
「あ、あの…」
「どうした、レイプ魔?」
「だから違う…って、そうじゃなくて、何か、レズノフさんとそこの人の弟さんの姿が見えないんですが…」
『ハァ?』
ヴィショップとゴルトの声が見事に重なったその瞬間、空中に停滞していたバウンモルコスから、悲鳴のような雄叫びが上がる。
「ヒュアアアアアアッ!」
「…おい、まさか!」
「マジかよ…!」
その叫び声を聞いた瞬間、ある答えに辿り着いたヴィショップとゴルトは、バウンモルコスの身体へと視線を這わせる。そしてお目当ての存在は、探し初めて数秒で視界に捉えることが出来た。
「冗談だろ、あのゴリラ……いい働きしやがる!」
「それでこそ、我が弟だ!」
バウンモルコスの無数に生えた足の一つにしがみ付き、胴体の胎の部分、比較的柔らかい部分にナイフを突き立てているレズノフとフランクの姿を見て、二人は歓喜の雄叫びを上げる。そしてすぐさま各々の右手に握られている魔弓の魔力弁を起こすと、魔力を流し込み始める。
「よぉし、そのまま引き付けてろよ…」
魔力を流し込み、二人を振り落とそうとして胴体をうねらせるバウンモルコスの頭部に、ヴィショップとゴルトは狙いを定める。後は引き金を弾くだけ、そこまでかこつけた瞬間、予想を遥かに上回る事態が彼等を襲った。
「ヒュアアアアアアアアアアアアアアッ!」
大音量のバウンモルコスの雄叫びが部屋に響き渡ったこと思うと、次の瞬間、バウンモルコスの胴体が二つに分かれたのだ。
『ハァ?』
再び重なる、ヴィショップとゴルトの声。その二人の目の前では、綺麗に真っ二つになったバウンモルコスの胴体が、頭部の存在する方としない方でそれぞれ独自に活動を始め、しがみ付いていたレズノフとフランクを振り落としていた。
「ちょっ…四元魔導、疾風が第二十二奏“トート・フラッペン”!」
振り落とされ、建物の三階相当の高さから落下しているレズノフとフランクを助けるべく、ミヒャエルが呪文を詠唱する。詠唱は何とか間に合い、魔法によって二人の真下に発生した突風が、二人の落下速度を緩和させ、無傷で地面に着地させる。
その様子を横目で確認したヴィショップは、真上へと視線を上げつつ、ミヒャエルに告げる。
「ミヒャエル!」
「は、ハイ!? 何ですか?」
「そっちの二人をサポートしてやれ」
「ヴィショップさんは?」
「俺はこのアンチャンと、女王サマの尻でも追っかけるさ」
ヴィショップはそう告げると、虫でも追い払うような仕草で左手の魔弓を振りつつ、ヴィショップとゴルトの真上に移動してきたバウンモルコスの胴体の後ろ半分に向かって、魔力を流し込んだことにより彫り込まれた装飾が青白い光を放っている魔弓の射出口を向ける。そして、真上に現れたバウンモルコスの後ろ半分を見たミヒャエルは、無言で首をブンブンと縦に振って、レズノフとフランクの方に向かって走り去った。
「つー訳だ。ここはひとつ、チームプレーといこうじゃないか」
「アンタと組むのは気に食わねェが……化け物のケツに殺されるのは、もっと気に食わねェな」
チラリと、ヴィショップの手に握られる魔弓に目をやってから、鈍器と見間違えそうな程の大きさの黒塗りの魔弓を手慣れた手付きでクルンと一回転させると、ゴルトも魔弓の射出口を、空中で渦を巻いているバウンモルコスの後ろ半分に向ける。
「おっ始めようぜ」
「死ぬなら喰われずに死ねよ。その魔弓を汚したくねぇからな」
「…ハッ、言ってろ」
そして、バウンモルコスの尾の先端部分が膨らみ、粘液のようなものが垂れはじめたのを視界に捉えると、二人は動き出した。




