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Bad Guys  作者: ブッチ
Death Race XXXX
146/146

黒閃万丈

「居ません、よね? さっきまで確かに居た筈なのに……」


 額に冷や汗を浮かべたミヒャエルが、左腕の断面から生やした触手をくゆらしている首無しの怪物を指差して、レズノフの方を見る。だが、レズノフは彼の言葉に反応を示さない。口角を吊り上げ笑みを浮かべたまま、レズノフは静かに首無しの怪物を見据えて動かなかった。

 渋い顔付きになったミヒャエルは、近くのヤハドの方に視線を向ける。そして彼からも無視されると、最後にヴィショップとクァルクに視線を向けた。


「…どこに消えたんだよ、あいつ?」

「魔法でも使って近くに隠れてるんだろ」


 ミヒャエルと同じ様な質問をぶつけてきたクァルクに、ヴィショップは短い返事を返す。

 実際には言葉とは裏腹に、ヴィショップはハンフリーの居場所まで大まかな見当が付いていた。にも関わらず、彼が動かずに相手のハンフリーの居場所が分からない様な素振りをとっているのは、今の状況が関係していた。


(右の魔弓の残弾が無い……)


 先程の攻防でヴィショップは、右手の魔弓の残弾を使い果たしていた。左手の魔弓にはまだ五発の魔弾が残っているものの、これはあくまで普通に魔弓を運用した場合である。

 もしも魔力による強化魔力弾や、眼前の怪物を斃す為に純白の魔力弾を使うならば、魔力を注ぎ込んでいる間は魔力弾を発射することが出来ず、連射も効かない。一応魔力を注ぎ込むのを中断することも出来るが、注ぎ込んだ魔力はまるごと無駄になる。数時間前ならともかく、今のヴィショップには余り好ましくはなかった。


(……不味いな)


 レズノフとヤハド、首無しの怪物と姿を眩ませているハンフリーの大まかな位置関係を脳裏に描き、彼等が動き出した場合の展開を頭の中でシミュレートする。

 その場合、真っ先に動き出すのは首無しの怪物だった。怪物はまず間違いなく、現状孤立していて最も厄介な相手であるヴィショップを狙う。レズノフとヤハドは助ける為に動くだろうが、彼等がヴィショップの許に駆けつけるまでは数秒の時間を要する。ヤハドが矢を射ったところで怪物はとまらないだろうし、怪物も怪物で左腕の触手を使って迎撃を試みるだろう。どちらにせよ、二人の助けは期待出来ない。魔法を使えるミヒャエルも同様だった。

 そうして肉薄してきた怪物を、退けることは出来るだろう。純白の魔力弾を使うなり、単純な強化魔力弾によって広範囲を吹き飛ばすなり、やりようはある。だが、そこまでだ。隠れているハンフリーの銃撃には対応出来ず、彼に撃たれてヴィショップの命は尽きる。後は考える必要など無い。逆に怪物の方でなくハンフリーを狙ったとしても、結果は変わらない。怪物の方が速くヴィショップの命を奪う確率は充分に有り得るし、そもそもハンフリーを殺せたとしてそれで怪物が止まる保障も無い。仮に止まったとしても、よく分からない大義やら数奇にも共に旅をすることになったろくでなし共の為に死んでやる気は、ヴィショップには全く無かった。


(さて、どうしたもんか…)


 ヴィショップが横目でレズノフとヤハドを見ると、彼等と視線が合った。表情を見るに、彼等もヴィショップと似たような結論を出したようだった。ミヒャエルはその限りではなかったが、解決策が浮かんでいる様な表情では到底なく、二人以上に状況の打開の役に立ちそうにはない。


(…待てよ)


 そうして彼等から視線を外しかけたところで、ヴィショップは気付いた。

 この場所から姿を消している存在が、まだ居たことに。


「…クァルク」


 怪物やハンフリーに気取られないよう、微かな声で名前を呼ぶ。その話し方で意図を汲み取ったらしく、クァルクは僅かに首を縦に振った。

 地面に伸びる影で彼女の動きを確かめたヴィショップは、そっと右手を背後の彼女からでも見える位置に動かす。そして魔弓のグリップを握ったまま、人差し指から小指までの四本の指を横一列にくっつけ、残った親指で並んだ四本の指の腹をそっと叩いた。

 クァルクの影が再び動いたのは、それを四回繰り返した頃だった。彼女が自分の伝えようとしたことを理解してくれた方に賭けると、踵を返して背後を振り返った。

 首無しの怪物は、ヴィショップの身体が背後に完全に向き直る前に動き出していた。左腕がヴィショップに向かって突き出され、断面から生えている触手が素早くヴィショップへと伸びる。それと同時に大斧が勢いよく振り上げられ、大量の砂粒をレズノフとヤハドの方へと吹き飛ばす。褐色の豪雨は二人の視界を潰すだけでなく、その勢いを以ってして彼等の動きを足止めした。


「ヴォルダァァァ!」


 砂粒が巻き上げられた際の凄まじい音に混じって、クァルクの咆哮が響き渡る。直後、その両者を呑み込まんばかりの大音量の雄叫びと共に、雄々しい一対の牙を生やしたヴォルダーが砂中から飛び出してくる。

 姿を現したヴォルダーはヴィショップへと伸びていた触手に喰らいつくと、勢いよく首を振り回して首無しの怪物を空高くまで放り上げる。痩躯ではあるものの二メートルを超える高さの怪物が、まるで木の葉のように宙を舞うのを背景に、ヴィショップは白銀の魔弓を虚空に向けて突き付けた。

 ヴィショップの持つ魔弓が轟音を上げたのと、何も無い筈の空間から見慣れた発射炎が迸ったのはほぼ同じタイミングの出来事だった。

 甲高い風切音がヴィショップの耳朶を打ち、彼の左頬に一条の赤い傷跡が刻まれる。そして彼の視線の先では、フードの付いた外套に身を包んだ男が仰向けに倒れていた。男の顔を隠していたフードは、魔力弾が直撃して倒れた際の衝撃で外れていた。真っ黒に塗りつぶされた顔と、片桐のものとは違う天然の色合いの金髪は完全に露出していて、ヴィショップからもはっきりと見て取れた。投げ出された右手には、かなり年季の入ったM1911(コルト・ガバメント)が握られている。


(何だ…殺意が、消えない…?)


 大の字に倒れ身動き一つしない男……ハンフリー・ヘイルマンを見下ろしながら、ヴィショップは怪訝そうに眉を顰める。そして左腕を動かし、ハンフリーの頭に魔弓の狙いを定めて引き金にかけた指に力を込める。

 直後、投げ出されていたハンフリーの右手が機敏に動き、手にしていたコルトが立て続けに火を吹く。ヴィショップは魔弓の引き金を弾きつつ、横に身体を投げ出して銃弾を避ける。

 右腕を地面に突き、即座に身体を持ち上げて体勢を直す。ハンフリーはヴィショップの放った魔力弾によって右耳を吹き飛ばされたらしく、左手で右耳を抑えながらのたうち回っていた。ヴィショップは手負いの蛇の様にもがくハンフリーの頭に狙いを定める。だが引き金を弾く直前に、砂塵を巻き上げてくすんだ銀色の塊が地面に突き刺さり、彼の放った魔力弾をハンフリーの眉間に届く前に打ち消した。


「何だ、こいつは…!」


 反射的に視線を上げた時に視界に入ってきた、布の曲がれた細長い棒の様なものを見て、自分とハンフリーの間に立ちふさがった物体が首無しの怪物が持っていた大斧であることにヴィショップは気付く。それに気付いた瞬間、彼の顔は何かが落ちた様な音のした方向に向かって、素早く動いた。

 自分の右手の約十メートル程離れた場所に、首無しの怪物が立っているのをヴィショップは見た。その身体には一片の傷も無いが、それは今更驚く様なことでもなかった。

 魔力弁を起こしながら、ヴィショップは左手の魔弓を首無しの怪物へと向ける。しかし左腕の断面から伸びる数多の触手の動きは、ヴィショップの魔力が魔弾に送り込まれるのよりも圧倒的に速かった。


「クソッ…!」


 ヴィショップの口から悪態が漏れる。

 首無しの怪物の正面を銀閃が横切ったのは、まさにその瞬間のことだった。

 直前まで気味悪く蠢いていた数多の触手が、勢いを失って地面へと落ちる。首無しの怪物の左腕からは、真っ赤な血が噴水のように迸っていた。そして怪物から左へと少し離れた場所には、刀身を怪物の血で染めた長剣が日の光を浴びながら砂漠に突き刺さっていた。


「レズノフか……!?」


 寸でのところで自分の命を救ったであろう男の名を呼ぶ暇すら、満足にヴィショップには与えられなかった。

 灰に近い銀色の髪を刈り込んだ大男の姿を確かめる間も無く、ハンフリーの放った銃弾がヴィショップに襲い掛かる。ヴィショップは勢いよく駆け出すことで何とか銃弾を避けると、魔力弁を戻して魔弓で応射を行う。深紅の魔力弾は寸分違わずハンフリーへと向かったが、寸前で彼の眼の前に現れた半透明の壁に阻まれる。

 ヴィショップは舌打ちを打って、銃弾の回避に専念する。だが周囲は遮蔽物一つ無い砂漠であり、砂は足に纏わりついて容赦なく体力を奪う。ハンフリーがどれだけの弾丸を持っているのかは分からないが、長く逃げ続けることは出来ないのは、目に見えていた。

 打開策を捻り出すべく頭を回転させつつ、首無しの怪物の様子を確認しようしてヴィショップが頭を動かしかける。すると、彼の前方の砂漠が盛り上がり見覚えのある岩石の壁が姿を現した。


「ヴィショップさん! それ! それに隠れて下さい!」


 ヴィショップ達から十メートル以上離れた場所から、ミヒャエルの声が飛んでくる。彼の方を一瞥してから、ヴィショップは岩石の壁の影に飛び込んだ。


「偶にはいい仕事するじゃねぇか、変態野郎が」


 岩石の壁を四十五口径の銃弾が削る音を聞きながら、ヴィショップは口角を吊り上げて呟く。そして視線を首無しの怪物の方に向けると、丁度曲刀を片手に躍り出たヤハドが怪物の右足を切り飛ばしているところだった。

 右足を切り飛ばされた首無しの怪物が派手に転倒する。起き上がることすら程々に、右手を巨大な鎚のような形に変形させてヤハドに振り下ろす。ヤハドは怪物から距離を取る形で転がってそれを避ける。怪物は追撃をしかけようと、再び右腕を持ち上げた。ヴィショップは怪物の右肘に照準を合わせて、シリンダー内に残っている魔弾を全部撃ちこんでやる。放たれた二発の弾丸が、怪物の肉と骨を吹き飛ばした。それで右腕は肥大化させた右手の自重に耐えられなくなり、肘の部分で真っ二つに折れて右手は地面に落下した。

 ほんの一瞬だけヴィショップの方を見てから、ヤハドは曲刀を振り抜いて怪物の身体を腰の辺りで真っ二つに両断した。切り飛ばされた上半身が鮮血と共に宙を舞う。が、それだけで首無しの怪物が息絶える筈も無く、泣き別れた下半身の断面から肉が盛り上がってきて、すぐに地面に落下した上半身を捉えた。


「イカれてる…!」


 肉が弾け骨が潰れる様な音を立てながら、怪物の身体が元の姿へと戻っていく。不快そうな表情を浮かべたヤハドは、即座に後退して距離を取った。

 上半身と下半身を結合させた怪物が、地面に手を突かず尋常ならざる筋力を使って身体を起こす。魔弓に魔力弾を装填したヴィショップは、起き上がった首無しの怪物に魔弓の狙いを定めるが、直後に背中を走った悪寒に従って真横に身体を投げ出した。

 直前までヴィショップが背中を預けていた岩石の壁が、三本の光の槍によって貫かれる。ヴィショップは砂漠に身体を投げ出したまま、慌てて右手のコルトの銃口を動かすハンフリーに向けて、魔力弾を二発放った。一発はハンフリーが顔の前に差し出した左腕に命中し、もう一発は左胸に命中する。しかし血が出たのは左腕だけで、確かに魔力弾が命中した筈の左胸からは出血はなかった。


「やっぱり、防弾ベストか何か着込んでやがったか」


 先程胸に撃ち込んだ時に死ななかった理由を悟りつつ、ヴィショップは魔力弁を持ち上げて魔力を魔弾に注ぎ込む。一方のハンフリーも、自分が着込んでいるものの正体に気付かれたことを悟ったようで、コルトをヴィショップに突き付けて引き金を弾く。が、その応射はヴィショップに見破られており、一発目はヴィショップが前方に転がって避け、もう一発はズボンに差し込んでいたもう一挺の魔弓によって防がれる。

 ハンフリーは三発目を放とうと引き金を弾くが、撃鉄が空を切る乾いた音だけ。それでようやく、コルトのスライドが後退したまま戻っていないことに気付くと、首無しの怪物に向かって叫んだ。


「オイ! 俺を助けろ、化け物!」


 その一言で、ヤハドに襲い掛かっていた首無しの怪物の動きが止まる。怪物はヤハドに背を向けてヴィショップに向き直ると、左腕のみならず背中からも無数の触手を出してヴィショップに襲い掛かろうとした。

 だが怪物が触手を伸ばそうとした瞬間、怪物の背後に無数の氷の棘が現れたかと思うと、一斉に怪物に襲い掛かって怪物の痩躯を串刺しにした。

 命を奪うことすら出来ないものの、それでも怪物の動きが刹那の間停止する。その隙にヤハドが怪物の両足を切り飛ばし、身体の支えを失った首無しの怪物はうつ伏せに地面に倒れ込んだ。そしてヴィショップはハンフリーに向けていた魔弓を、うつ伏せに倒れる怪物に向けた。


「こそこそ人のケツを銃で狙うような奴だ、死にそうになったらあの化け物に縋ると思ったよ」


 首無しの怪物に狙いを定め、ハンフリーを一瞥してそう告げる。ハンフリーはそこでようやく気付いた。ヴィショップの手に握られている魔弓が放っている光が青白いものではなく、純白の光であることに。


「まっ…!」


 ハンフリーの叫びを掻き消した存在は二つあった。一つは、ヴィショップの魔弓が上げた轟音。もう一つは、ヴィショップの背後から駆け寄ってきたレズノフが投擲し、ハンフリーの右肩に喰らい付いた手斧だった。

 ヴィショップの魔弓から放たれた魔力弾は、しっかりと首無しの怪物の身体を貫いた。血は吹き出ず、肉も吹き飛ばない。だが確かに怪物の身体からは見る見る精気が抜けていき、数秒と経たない間にぐったりと倒れたまま動かなくなった。


「…やったのかよォ?」


 痛みの余り絶叫を上げるハンフリーの胸を踏みつけながら、レズノフが問いかける。声には出さないものの、少し距離を取って首無しの怪物を見下ろしているヤハドも同様のようだった。

 ヴィショップは身体を起こして、魔弓の引き金を弾く。撃ち出された真紅の魔力弾が、首無しの怪物の背中の肉を弾き飛ばす。生きているのであればすぐに再生が始まる筈だが、首無しの怪物の背中は待てど暮らせど再生を始めなかった。


「死んだみてーだな」


 いつの間にか近づいていたクァルクが、ヴィショップに視線を向けてそう言った。ヴィショップが首を縦に振ると、彼女は視線をレズノフに踏みつけられているハンフリーの方に向ける。


「そいつが、あの鳥の化け物の飼い主か?」

「飼い主の一人ってとこだな」

「そうかよ」


 ヴィショップの答えを聞いたクァルクは、腰に差していたナイフを抜いてハンフリーに歩み寄る。


「来るなッ! 来るな、原始人が!」


 レズノフに足蹴にされたまま、ハンフリーが両足をばたつかせながら喚く。もしこれで両腕も健在だったならば、駄々っ子の様に振り回していたことだろう。

 レズノフが視線をヴィショップに向ける。ヴィショップは溜息を吐くと、魔弓の照準をクァルクの後頭部に定めた。


「止まれ、クァルク」


 冷たく突き刺さるようなヴィショップの一言が、有無を言わさずクァルクの歩みを止めさせた。


「そいつには色々と話してもらう必要がある。まだ死んでもらう訳にはいかない」


 振り返ったクァルクは、そう語りかけるヴィショップを無言で睨みつけていた。

 彼女に遅れてやってきたミヒャエルが不安そうな眼差しをクァルクに、ヤハドが緊張した眼差しをヴィショップに、そしてレズノフが退屈そうな眼差しを両者に向ける。ヴィショップとクァルクが互いに睨み合ったまま、少しの時間沈黙がこの場に流れた。


「こいつの仲間はあと何人居んだよ?」


 クァルクが問いかける。


「知っている限りでは二人だ」


 ヴィショップが答える。


「そいつ等は、全員この国に居んのか?」

「多分な」

「もし居なかったらどーすんだ?」

「もちろん追うさ」


 クァルクはナイフの切っ先を、レズノフに抑え付けられているハンフリーへと向けた。


「じゃあ、こいつはどーすんだ?」


 今まで流暢に動いていたヴィショップの口が、動きを止めた。彼に相対するクァルクは、それで大体を理解したようだった。


「殺さねーんだな?」


 クァルクのその問いに、ヴィショップは一瞬間を置いてから答えた。


「あぁ」


 ヴィショップの脳裏に浮かぶのは、二人の人物の放った言葉だった。

 一つは、『リーザ・トランシバ』南大門の上で仮面の人物が言った、この戦いは駒を使った戦遊びと同じだ、という言葉。もう一つは、ミライアス・ラグーヌ予選後に酒場で出会った片桐が言っていた、ハンフリーは身内が呼び寄せた新入りだという言葉。

 この二者の言葉から察するに、片桐、そしてハンフリーこそが仮面の人物の言っていた駒の一員である可能性が高かった。もしそうだとした場合、ハンフリーには人質としての価値が生まれてくる。誰が自分達と同じように片桐やハンフリーをこの世界に呼び寄せているにしろ、仮面の人物の言葉を信用するのなら、この世界に呼び寄せられるのはヴィショップ達の数に合わせた、四人のみと考えられる。他の二人がどのような人物にしろ、ハンフリーの消失は戦力の四分の一を削がれることに近い。となれば、もしハンフリーを生きて捕虜として捕まえておいた場合、片桐達が奪還を試みるかもしれない。

 つまりはハンフリーには、囮としての価値があるかもしれないのだ。だから、ヴィショップはクァルクの質問に首を縦に振った。


「あの猫女との約束、忘れたのかよ」

「忘れちゃいないさ。今はまだな」


 最後の一言を聞いた瞬間、クァルクの目が細められる。ヴィショップは彼女に冷ややかな視線を向けたまま、笑みを浮かべて一つの提案をした。


「なら、こういうのはどうだ? 残りの連中を全員ぶち殺すまで、お前は俺等と一緒に旅をする。中々の妙案だとは思わねぇか?」


 クァルクに向けられていたヤハドの眼差しがヴィショップへと動き、緊張を帯びたものから呆気に取られたどことなく間抜けなものへと変わる。

 一方で、クァルクの表情も眼差しも変化はない。クスリともせず、拒絶の意思をはっきりと込めた双眸で、ヴィショップを睨み続ける。


「それで、名前も知らねーような場所で、あんた等の為に魔獣の餌になれってか? ご免だね」

「…墓ぐらいなら建ててやってもいいと思ってたんだがな。残念だ」


 そう返すヴィショップの顔は、口角こそ僅かに持ち上がっているものの、目は全く笑ってはいなかった。

 そもそもその提案をクァルクに持ち掛ける寸前ですら、彼に双眸には一片の期待も籠ってはいなかった。所詮は本心からの提案ではない、余裕を演出し自分に主導権があることを強調する為の冗談に過ぎなかった。


「さて、そろそろ俺達も動かないと拙い。そいつの仲間が、また街に残っているとも限らないしな」


 そう言うと、ヴィショップは魔弓の魔力弁に親指をかけた。


「決めろ。退くのか、退かないのか」

「…オレを殺したら、どうやって街まで戻る気だ?」

「足っていうのは、タマを側面からの外敵から守る為についてる訳じゃねぇぜ。そん時は歩いて帰るさ。あと、お前のペットに襲わせようなんて考えるなよ」


 クァルクは舌打ちをして、ヴィショップが魔力弁に親指をかけた意味を悟る。咄嗟に視線を周囲に向けてみるが、驚いて辺りを見回しているのはミヒャエルとハンフリーだけで、他の三人はヴォルダーがいつの間にか姿を消していることに気付いているようだった。


「お前が感受性豊かなのは大変喜ばしいことだがな、クァルク。そういうのを褒めてくれる手合いは、教会でキリストにケツを振ってる売女(シスター)カマ野郎(神父)だけだぜ。どうやらお前は、致命的に“こういったこと”に向いてねぇみてぇだな」


 たった数十分共に戦っただけの存在。そんな存在の為に自分の命を懸ける様な手合いは、ヴィショップですら余り見たことは無い。そしてどうして見たことがないのかを、ヴィショップは知っている。そういった人間はさっさと死んでしまうので、居たとしても自分に会う前に死んでしまっているからなのだと。

 それ以上ヴィショップは語る気は無かった。五秒数えた後に引き金を弾く。自分の手にしている魔弓の先に、例え誰が居たとしても。そう決めて、射手の眼差しでクァルクを見据える。

 ヴィショップの視線を、クァルクは黙って受け止める。非情に徹し切れないとは言っても、チャスカールの一族の一員として、弱肉強食の砂漠を今まで生き抜いてきたのだ。自分に向けられた眼差しが仲間を見る眼差しなのか、それとも獲物かそれに準ずる存在を見る眼差しなのかの区別は付いた。

 静寂の中で時が一刻みずつ過ぎていく。この場に居る誰もが、この静寂の終わりは魔弓の轟音によって告げられると思っていた。もちろん、結果的にこの静寂を破ることになったヤハドでさえも。


「…おい、アレは何だ?」


 何とかしてこの場を収められないかと考えていたヤハドは、不意に視界の端に映った光景を見て、声を上げる。

 焦りと不安の混じった彼の声音に只事ではないものを感じとり、ヴィショップとクァルクもヤハドが指差す方に視線を向けた。


「おいおい、どうなってんだ、あれは…!」


 五人の視線が向けられた先にあったのは、天を貫かんばかりに伸びた巨大な漆黒の光だった。

 肉眼で捉えることの出来る黒い光など、それこそ自分の正気を疑いたくなるような光景だった。それでも何とか受け入れることが出来たのは、一つには神導魔法という存在が今の彼等の身近にはあった為だ。そして何より大きかったのは、黒い光という現象だけに意識を奪われることを状況が許さなかったからだ。

 何故ならばその漆黒の光柱は、他ならぬ『ミッレ・ミライア』から伸びていたのだから。

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