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Bad Guys  作者: ブッチ
Death Race XXXX
141/146

Is Bigwolf Barking?

「…貴様よりはマシ、ね」


 矢を番えた弓の弦を引き絞るヤハドの姿を、片桐は巨狼の背中から生えた巨大な腕の掌の上から見下ろす。

 直後、ヤハドの指が弦から離れ片桐の眉間目掛けて矢が放たれる。同時に片桐の右腕が白い影を引いて跳ね上がった。彼の右手に握られた漆黒の魔弓の射出口が持ち上がり、瞬時にヤハドの放った弓へと定められる。片桐が引き金を引くと、撃ち出された真紅の魔力弾はヤハドの射った矢を正確に撃ち抜き粉砕した。

 そして間髪入れることなく、巨狼の口内に蠢く無数の顔から細長い舌が伸びてきてヤハドの身体に迫る。ヤハドは片手に弓を持ったまま、空いている右手を腰の曲刀の柄に運びつつ走り始めた。

 一切の迷いなくヤハド目掛けて突っ込んできた数本の舌が、一瞬前までヤハドの立っていた地面に激突する。遅れて迫ってきた残りの舌は走るヤハドを追って伸びてきたが、曲刀を持ったヤハドの右手が振るわれ、三度、四度と空を銀色の輝きが待った次の瞬間には、ヤハドに迫っていた残りの舌は切り落とされて地面に転がっていた。

 その光景を微笑と共に眺めていた片桐が、魔弓の射出口をヤハドへと向ける。しかしヤハドは魔弓の照準が完全に自分に合わせられるよりも前に、右手に持っている曲刀を投擲していた。


「おっ?」


 片桐の表情が興味深そうに歪む。その理由はヤハドが曲刀を自分に向かって投擲しなかったからだ。

 ヤハドの手を離れた曲刀は、彼から数メートル離れた五階建ての建物に向かって飛んでいき、壁の一階と二階の中間の高さの当たりに突き刺さった。そしてヤハドはその壁に突き刺さった曲刀目掛けて、走るスピードを一切落とすことなく突き進む。

 壁の手前まで駆け抜けたヤハドは、地面を蹴りつけて壁に突き刺さった曲刀目掛けて跳躍した。宙に身体を浮かせたヤハドは両手を伸ばし、壁から生えている曲刀の柄を掴む。柄をしっかりと掴むと左足で壁を蹴りつけると同時に、壁に突き刺さった曲刀を支柱に膂力に物を言わせて無理矢理自身の身体を真上へと引っ張り上げ、突き刺さっている曲刀の真上にあった窓に飛び込んだ。

 余りの芸当に片桐が口笛を吹いて魔弓の引き金を引いた時には、もうヤハドの姿は窓の向こうへと消えていた。


「ハアッ、ハアッ、こういうのは、あのロシア人の役目だろうにッ…!」


 宿か何かとして使われていると思われるベッドがあるだけの小さな部屋の中で、飛び込んだ際の勢いを殺し切れずにうつ伏せに倒れていたヤハドは、荒い息遣いをしながら両手を床に突いて身体を起こす。

 壁に突き刺した曲刀を支柱に身体を二階に引き上げる。普通にそれだけを行うならともかく、全力疾走で駆け抜けてきた勢いを殆ど殺すことなくそれを行うというのは、ヤハドにとっても中々に過酷な行為だった。しかしそれを躊躇っている暇も、それ以外の方法を取る余裕も今のヤハドには存在していなかった。遠距離武器は精々が弓ぐらいしかない彼が、魔弓を持ち挙句に再生能力を持つ化け物を従えている男と一戦交えようとするのは、それこそスリングショット片手に重機関銃を積んだ武装車両に向かっていくようなものである。おまけに相手には人質までいるのだ。多少どころか、己が肉体を顧みない無茶をしなければ勝てる戦いではなかった。


「だが、これであの魔弓からは逃れられる…」


 立ち上がったヤハドは部屋の壁を見て呟く。

 ヴィショップが魔弓を扱っている姿を何度も見てきた甲斐があって、その威力に関してはヤハドは大方見当が付いていた。少なくとも通常の魔力弾は建物の壁を貫通出来る威力は持っておらず、魔力を流し込んで強化したものも壁を吹き飛ばすことは出来ても、壁を貫通し威力を保ったままその後ろに居る人間も吹き飛ばす程の貫通力は持っていない。それがヤハドの推測した魔力弾の威力だった。


(建物の中ならば問答無用で撃ち抜かれることはない。それに相手の目から逃れることも出来る。そして…)


 ヤハドの視線が自分が飛び込んできた窓へ、そしてその向こうにある隣接した建物へと向かう。


(周囲の建物は円形の広場の輪郭に沿って建てられている。建物同士の間隔も大したことはない)


 建物に飛び込む前に記憶に焼き付けておいた広場の光景を、ヤハドは目を閉じて脳裏に思い描く。それから大きく息を吸い込むと、肺に溜め込んだ空気を吐き出しつつ閉じていた瞼をゆっくりと開いた。


(充分だ。あの日本人と化け物を殺しカーミラを助け出すのに、充分な要素が今俺の手元に揃っている)


 ヤハドの表情が変わる。しかしそれは勝利を確信したものなどではなかった。


「これでしくじれば、いい笑いものだぞ、アブラム・ヤハド…」


 それは覚悟を宿した表情だった。確実に勝利を自分の手元に引き寄せる覚悟、それを今ヤハドはこの場で固めたのだった。

 ヤハドが後方から微かな、ガラスを擦る様な音を捉えたのは覚悟を固めたすぐ後のことだった。

 ヤハドの右手が右太腿に差しているナイフへと伸びる。彼の指がナイフの柄をしっかりと包み込んだ刹那、鞘に収まっていたナイフが一瞬の内に引き抜かれると同時に、ヤハドの身体がその場で半回転する。ナイフを手にした右手は回転の勢いを利用して力強く振り抜かれ、ナイフの刃は背後に近づいていた二本の舌を切り裂いた。

 切り裂かれた舌先が音を立てて床に落ち、血を拭き出しながら二本の舌が後ろに下がる。するとその痛みに呼応するかのように、新たに数本の舌が砕け散った窓を抜けてヤハドへと伸びてきた。


「チッ…」


 舌打ちを一つ打つと、ヤハドは伸びてきた下に背を向けて走り出し、部屋を飛び出して扉を閉める。ヤハドの後を追ってきた数本の舌はそのまま扉に激突し、くぐもった音を立てた。


(どうせ長くは持たない。速く動かなければならないな)


 数本の舌によって激しく打ちつけられている扉に背を向けて、ヤハドは動き出す。

 この建物の中に逃げ込み、今の自分が置かれている状況を理解して覚悟を決めた時点で、既にヤハドの頭の中には片桐と巨狼に一矢報い、カーミラを取り戻す為の算段が殆ど整っていた。故に彼の足は迷うことなく、勝利に必要なピースを集める為に動き出した。






「引きこもりやがったか。まぁ、あのタマなら単にブルッてるって訳でもなさそうだな」


 先端部を切り落とされた二本の舌が建物の窓から飛び出してくる。それに合わせて、他の窓の上を這い回っていた他の舌が一斉に割れた窓へと向かう。その光景を眺めながら片桐は、ぽつりと呟いて魔弓の魔力弁を親指で押し上げた。


「本場仕込みのゲリラ戦でもご教授してくれるってか? なら、一つ生徒の側に回ってやるとするか」


 そう発すると片桐は、彫り込まれた装飾から深紅の光を放つ魔弓の矛先を、建物の一点へと迷いなく突き付けて引き金を引いた。

 魔力によって強化された魔力弾が射出され、建物の壁に命中する。着弾と同時に強化魔力弾は轟音と衝撃を炸裂させ、石造りの建物の壁を紙細工か何かのように容易く粉砕した。


「ビンゴだ、ムスリム・メン」


 破壊の衝撃で巻き上げられた粉塵の立ち込める、建物に穿たれた巨大な風穴。その中に頭にターバンを巻いた人影を捉えた片桐は、瞬時にその人影に狙いを定めて魔弓の引き金を二度、三度と引く。彼が引き金を引くのに合わせて、真紅の魔力弾が立て続けに漆黒の魔弓の射出口から飛び出し、立ち込める粉塵の中に姿を消していった。


「ふん、やっぱりそう簡単には殺らせちゃくれねぇってか」


 三発目の魔力弾が粉塵の中に姿を消した数瞬の後、尾を引く魔弓の発射音の余韻に混じって小さなつぶやきが片桐の唇から漏れる。

 直後、建物の右側面の壁に並んだ窓の中の一つが割れて、人影が飛び出してくる。視界の端にその人影を捉えた片桐は即座に顔と魔弓をそちらへと向けた。しかし彼が引き金を引く前に、その人影は隣接する建物の窓を突き破ってその中に姿を消す。


「成る程な。そういう趣向かよ」


 建物と建物隙間へと向けていた魔弓を下ろすと、片桐は円状の広場の輪郭に沿って立ち並ぶ周囲の建物を見回した。そして足元の巨狼の鼻先に視線を落として、囁きかけるような口調で言葉を発する。


「ラック、手数を増やせ」


 片桐がそう告げた瞬間、今まで大口を開いたままじっとしていた巨狼が俄かに身体を震わせ始める。

 手足に絡みついた舌を通じて伝わってくる振動が、カーミラの表情に動揺を奔らせる。しかし巨狼の異変は彼女の理解を待ってくれてりなどはしなかった。巨狼の身体に奔る震えに続いて、今度は骨の軋む様な音と肉が裂ける様な音が同時にカーミラの耳朶を打ち始める。身体の震えと奇怪な音は次第に大きさを増していった。それはまるで何かの予兆のようであり、事実それは正しかった。

 答えが現れたのは、巨狼の異変が始まってから数秒後のことだった。一際大きな震えと、何かが弾け砕け散るような音、そして粘性を持った液体が地面に滴る音がしたのを境に、巨狼の異変が止まる。しかしそれが実際には終わりではなく、更なる悪夢めいた現実の始まりであることは、カーミラにもすぐに理解出来た。

 ゆっくりと首を動かして、カーミラは後方に視線を向ける。そしてその先で待っていた光景を見ると、込み上げてくる吐き気を抑える為に即座に視線を前へと戻した。

 彼女が見たのは、血で真っ赤に染まった、一切の毛の生えていない人間の顔だった。巨狼の口内にびっしりと並んでいるものと瓜二つの顔が、巨狼の肉と皮を突き破って巨狼の身体の右側面に現れていた。加え絵巨狼の身体の右側面から出てきたその顔は、完全に口内を埋め尽くしているものと同じという訳ではなかった。その顔は口内のものよりも数倍は大きく、巨狼の前足と後ろ脚の間のスペースの半分以上を埋め尽くしていた。そして何より彼女の不快感を煽り立てたのは、口内のものが口から一本しか舌を伸ばしていないのに対し、身体の右側面から出たそれは、十本以上の舌をくねらせながら口の中から覗かせていたことだった。


「おいおい、気分悪そうだな」


 思わず地面に視線を落としていたカーミラの頭上に、不意に片桐の声が投げかけられる。彼女が返事をすることなく視線だけを彼の方に向けると、片桐は唇の隙間から歯を覗かせてカーミラに語りかけた。


「安心しろ。相方も段々とコツを掴んできてる。お前の時は、もっとマシな姿にしてやれるさ」


 平然と放たれたその言葉がカーミラの身体に震えを奔らせるのと同時に、新たに現れた数多の舌が一斉にヤハドの隠れている建物目掛けて放たれる。空を裂いて進む数多の舌は粘ついた唾液を滴らせながら、建物の窓へと殺到した。窓を突き破り、標的の血肉を求めて建物の内部を蹂躙する。けたたましい破壊音と肉の避ける音は広場の中央に居るカーミラの許まで届き、気付けば彼女は声を上げていた。


「ヤハド!」


 返事はなく、不安がカーミラの心を侵す。しかし一方で巨狼の背中から生える手に乗り、事の推移を眺めている片桐の顔には、笑みこそうかべど勝利の確信は浮かんでいなかった。

 舌が建物の内部に入ってから少しして、先程と同じように建物の右側面の窓が一枚割れる。直後、無数の舌に追われるヤハドが窓から飛び出し、窓を突き破って隣の窓に移った。


(そろそろか)


 無事なヤハドの姿を見てカーミラが安堵の表情を浮かべる最中、建物の間を飛び移るヤハドの手に細長い物体が握られているのを見た片桐は、ヤハドが攻撃に転じる瞬間が近づいていることを悟る。そしてその読みは間違ってはいなかった。


「ほう…?」


 隣の建物へと移ったヤハドを追って巨狼の舌が内部へとなだれ込む。それから二十秒程過ぎた辺りで、建物の広場に面する窓の内の一つから一本の矢が放たれた。

 放たれた矢は巨狼と片桐の大きく頭上を通過して、広場を挟んで矢が放たれた建物の対角線上にある建物の壁に突き刺さる。自分の頭上を通過した矢を追って視線を動かそうとした片桐は、自分の足元に差している細長い影の存在に気付いて、視線を矢の飛んできた壁へと向けた。

 その影の正体は一本のロープだった。今しがた放たれた矢の後部にはロープが結び付けられており、ロープは広場を横切る形で矢を放った建物から矢が突き刺さった建物まで伸びていた。


「ロープ…? 一体何を…」


 建物と建物の間を角度を付けて通されたロープを見上げて、カーミラが声を漏らす。矢の放たれた窓に人影が現れたのはその瞬間だった。

 片桐の手に握られた魔弓が動き、窓へと狙いを定める。しかし現れた人影はそれに構うことなく、窓から飛び出した。


「はっ、安い仕掛けだな」


 窓から飛び出した人影の正体を目の当たりにした片桐は引き金を引くことなく、鼻で笑って見せた。

 窓から飛び出した物体の正体はヤハドではなかったのだ。それは彼が来ていたジャケットを被せただけの、小汚い頭陀袋だった。ヤハドのジャケットを被せられた頭陀袋は、ロープに付けられた角度に従って、矢の突き刺さっている建物の方に移動していく。頭陀袋が移動する微かな音を聞きながら、片桐は魔弓の照準をロープの方に移して、引き金を弾くべく人差し指に力を込めた。

 しかし引き金を弾く直前で、片桐の右手は弾かれたように動いた。魔弓の照準は三度変わり、矢の放たれた窓の一つ右隣の窓へと向けられ、躊躇うことなく引き金が弾かれた。

 だが僅かに遅かった。放たれた魔力弾が開け放たれた窓の中に吸い込まれるのと同時に、橙色の輝きを纏った一本の矢が部屋から飛び出して、丁度巨狼の真上を通過しようとしていた頭陀袋に突き刺さる。

 矢が突き刺さった頭陀袋は俄かに炎に包まれる。大した強度も無い頭陀袋は炎の前には完全に無力であり、一秒と経たずに中身の重さに耐え切れなくなって音を上げて引き裂かれた。そしていくつかの小さな炎の塊と、七、八本の酒瓶を巨狼の背中へと落下させた。

 片桐が掌を蹴りつけて、巨狼の背中の手から飛び降りる。それに一歩遅れて酒瓶が巨狼の背中で砕け散って芳醇な香りを振り撒いたかと思えば、次の瞬間には業火が巨狼の背中を包み込んで毛と肉の焼ける音を立ち込めさせた。


「成る程、あのジジイの仲間なだけはあるなァ…!」


 地面に着地した片桐は燃え盛る巨狼の姿を見て、酒場で似たような怪物をヴィショップにぶつけた時のことを思いだす。彼も再生能力があると見るや否や、連続して傷を与え続ける炎による攻撃を行っていた。

 炎に包まれた巨狼は建物の中に伸ばしていた舌を引き戻し、矢鱈目ったらに振り回しながら身を焼かれる苦しみにのたうち回っていた。


「ッ、きゃあっ!」


 終いには捉えていたカーミラすらも放り出す。そして口の中から生やしていた舌を引っ込めると、背中から生えている腕を自分の鼻先まで伸ばし、手首の当たりに勢いよく牙を突き立てた。


「な、何をやってるの…?」


 唐突に自らの身体を傷つけ始めた巨狼の異様な行為に、呆気に取られるカーミラ。そんな彼女の身体を突き動かしたのは、後方から飛んできたヤハドの怒鳴り声だった。


「立て! 逃げろ、カーミラ!」


 その声に釣られて視線を動かしたカーミラの視界に入ってきたのは、自身へと魔弓を向けている片桐の姿と、彼に向かって飛来する二本の矢の姿だった。

 矢の存在に気付いた片桐が横に転がってそれを避ける。その隙を突いてカーミラは立ち上がると、片桐に背を向けることを厭わず走り出した。

 ヤハドの声が聞こえた建物に向かって、カーミラは必死に駆ける。しかし足は泥沼の中を進んでいるかのように重く感じられ、呼吸は遥か山の頂の只中に居るかのように息苦しく感じられる。無論、それらは実際に起きているのではない、ただのカーミラの錯覚である。背後に立つ、自分に碌に興味も向けていない男の放つ殺気。それが彼女の精神と肉体を恐怖で縛り、ありもしない錯覚をカーミラに覚えさせていた。

 そしてそのことはカーミラ自身も承知していた。時間までもが精彩を欠いて鈍くなっているような感覚を味わう中で、自分が恐怖に溺れつつあることを理解していた。にも関わらず、彼女は自らの中に巣食った恐怖に抗うことが出来なかった。全てを理解してなお、抗うことを放棄させる程の絶対的な恐怖を、片桐の放つ殺気は彼女に植え付けていたのだった。

 最早彼女の視界に映っているのは、ヤハドの声が聞こえた建物だけだった。それ以外の存在を認知するだけの余裕すら、今の彼女には残されていなかった。ただ漠然と恐怖からの救いを求め、思考を放棄して彼女は足を動かし続けていた。

 だからすぐには気付かなかった。自分の真横を一つの影が通り過ぎて行ったことを。


「……え?」


 彼女がそれに気付いたのは、不意に自分の中に巣食っていた恐怖が力を失い始めたからだった。足の重さも息苦しさも呆気無く消え去っていき、思考にも徐々に鮮明さが蘇ってくる。そこでようやく彼女は、自分が我武者羅に走っている最中にすれ違った存在が居たことに気付いて、足を止めて背後を振り返った。

 背後を振り返って、カーミラは初めて気付くことが出来た。何故、あれ程までに自分を苦しめた恐怖が力を失ったのかを。

 それは、片桐が殺意を向ける対象が彼女以外の者へと移ったからだった。その者こそ、彼女の真横を駆け抜けた影の正体であり、そして今カーミラを庇うかのように、彼女と片桐との間に立っている男だった。


「下らないゲームを終わりだ、日本人。カタを付けてやる」


 ヤハドは背中に弓を背負い右手にナイフを持って、カーミラに背を向けて立っていた。頬には魔力弾によって付けられたと思われる傷があり、一本の真っ赤な傷が左頬を横切って深く刻み込まれていた。しかしその傷では彼の双眸に宿る、静かながらも雄々しく燃え盛る闘志の炎の勢いを僅かに弱めることすら叶わないようであった。


「…そうだな。そろそろ茶番は終わりにして、本命に入るとしようか」


 対する片桐の顔には笑みが浮かんでいた。その笑みは、レズノフが浮かべる殺し合いを楽しむような類のものとはまた別種の、言うならばヴィショップが浮かべるものに近い薄ら笑いだった。

 そして笑みを浮かべたまま、片桐は小声で何かを呟いた。ヤハドには聞き取れない程の小さな声量で言葉を紡いで彼の唇が動きを止めると、聞き覚えのある声が広場に木霊した。


『なっ、こ、これは…ッ! と、突如現れた巨大な鳥の様な魔獣が、紅猫の砂船を押しつぶしたァ!』


 一瞬遅れてから、それがミライアス・ラグーヌの実況者の声であることにヤハドは思い至る。そして同時に、ミライアス・ラグーヌ本戦の場においても事態が動き出したことを悟った。

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