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Bad Guys  作者: ブッチ
Death Race XXXX
140/146

街路疾走

 ミライアス・ラグーヌ本戦開始数十分前、カーミラとリリーヌ達の住処となっている、かつては宗教関係の用途で使われていた建物。その前に広がるちょっとした広場の中心に立って、ヤハドは脇に立つカーミラと共に周囲を囲むビルの様な廃墟の一角を睨みつけていた。

 彼等の視線の先、廃墟の四階部分の崩れかかった窓には一人の男が立っていた。染髪料でも使ったかのような派手な金髪に、純白のコート、同じく純白の肩から垂らされているマフラー。そしてヤハドにとっては余り見慣れていない東洋系の顔立ち。それら全ての要素が、仲間の一人から聞かされたある男の特徴と一致していた。


「カタギリ…レンノスケだと…?」


 今しがた金髪の男自身が名乗った名前を、ヤハドは呟く。それを聞いたカーミラは、ヤハドを横目で見た。


「知ってるの?」

「…あぁ。見るのは初めてだが」


 カーミラの問いに答えながら、ヤハドの思考は二つの別の動きを見せていた。

 彼の中の理性的な部分は、唐突に自分が置かれることになった状況を理解しようとして、疑惑の海の中に沈みつつあった。外見的特徴の一致している頭上の男は、本当にヴィショップが語っていた男なのか? もし本当にそうだとしたら、何故今この場にいるのか? この場にこの男がいるのならば、予選で戦った仲間らしきアメリカ人はどうしているのか? 多種多様な、しかし今答えが出ることはないという共通点を持った疑問が、ヤハドの脳裏を渦巻いていた。

 そしてもう一方、ヤハドの中のより感情的で本能的な部分では、今自分達が置かれている状況の危険性だけを、迅速に理解しつつあった。


「で? どういう関係なのよ? 見たところあまり…」

「俺が合図をしたら建物の中に逃げ込め。他の子供達と一緒に中に居て、絶対に外に出てくるな」


 カーミラの問いかけを遮って、ヤハドは一方的に指示を出した。

 カーミラの表情が驚いたものに変わった後、静かな怒りを秘めたものに変わる。彼女が次に何を言いだすのか、ヤハドには手に取るように分かった。なので彼は、カーミラが動きを止めた口を再び動かし始める前に、彼女を片桐から隠すように一歩前に出ると、微笑を浮かべてこちらを見下ろしている片桐に声を飛ばした。


「お前が本物のレンノスケ・カタギリだとして、こんな所に何のようだ? レースに出てるお仲間の心配でもしてやったほうがいいんじゃないのか、日本人?」

「あのメリケンがどうなろうと、俺の知ったことじゃないさ。どういう訳かどっかの馬鹿があんなのを寄越しやがったから、少し手を貸してやってるだけでな。むしろ死んでくれるなら有り難いね。もしかしたら、補充要員でも寄越してくれるかもしれねぇしな」


 片桐はそう答えると、左手でコートの前襟を持ってコートを拡げる。すると彼の両脇の下の、二挺の漆黒の魔弓が収められたショルダーホルスターが、見せつけられるかのようにヤハドの視界に入ってきた。

 それを見たヤハドの身体が緊張で硬直する。それを見た片桐は、面白そうな笑みを浮かべながらゆっくりと右手で魔弓を引き抜いた。


「さて、と。そういえば風の噂に聞いたんだが、アンタは子供好きらしいな」

「…何だと?」


 突拍子の無い片桐の言葉に、ヤハドの表情が訝しげに歪む。片桐は面白そうな笑みを崩さないまま、ヤハドの答えを待たずに話を進めた。


「もちろん、ラヴじゃなくてライクな意味でだ。あのジジイなら色々とからかってきそうだが、俺は紳士なんでね。そういった類の冗談は時と場合を選ぶようにしてる」


 片桐の発言の真意は掴めないものの、それでも彼の向ける視線から、ろくでもないことを考えているのは容易に想像が付いた。

 反射的にヤハドの意識が背後のカーミラへと向けられ、弓を持っていない左手が彼女を庇うように持ちあがる。その反応を見て片桐は、嬉しそうな笑みを浮かべた。


「噂通りだな。なら、こいつも気に入ってもらえそうだ」


 そう言って片桐は左手で指を鳴らす。すると彼の背後から人影が進み出てきて、彼の真横に立った。影の中から出てきたその人影を見て、ヤハドは気付けば悪態を吐いていた。

 片桐の横に立ったのは、薄汚れた外套を身に纏った一人の少年だった。身体をすっぽりと外套に覆われ、唯一外気に晒されているのは頬のこけた顔だけだった。目には精気が無く、よっぽどのストレスに晒されたのか髪は殆ど抜けてしまって残っていない。もはや生きているのかどうかすら怪しい少年が、しかししっかりとした足取りで片桐の真横に立っていた。

 片桐はヤハドの向ける増悪と嫌悪の視線を、笑いながら受け止める。そして髪の抜けた少年の頭を軽く左の掌で叩くと、おもむろに少年の背中を押した。


「なっ!?」


 精気を感じさせない少年の身体は、一切の抵抗をすることなく崩れかかった窓から滑り落ちて、地面に向けて落下していった。

 ヤハドは咄嗟に少年を助けようと一歩前に踏み出しかけて、足を止めた。普段ならばそれは、最早間に合わないことを悟っての行動だったが、今回の場合は違った。

 ヤハドと、そしてカーミラは見てしまったのだ。地面に向けて落下していく少年の身体が、空中で一瞬にして膨張し数倍以上の大きさの肉の塊へと転じる光景を。

 巨大な肉の塊は着地と同時に大気を震わせ、周囲に積もった砂塵を巻き上げた。衝撃で吹き飛ばされてきた砂塵から目を庇う為、ヤハドとカーミラは腕を顔の前に上げて目を細める。そして砂塵が薄れ始め、その向こうに三メートル以上の高さの巨体の影が見え始めてくると、カーミラが茫然としながら呟いた。


「何なの、アレは…」


 ヤハドとカーミラの視界に入ってきたのは、巨大な一匹の狼だった。身体は針のような深い黒の毛に覆われ、それとは対照的に真っ白な人の腕程の長さはある牙を覗かせている口からは、唾液を垂らすぬらぬらとした光沢を帯びた赤い舌が覗いている。口の少し上には、黒い体毛に埋もれた橙色の瞳が一対、闇夜に浮かぶ星のように浮かんでいた。身体から伸びている四本の脚には、体毛越しにもはっきりと分かる程怒張した筋肉がついており、先端からは体毛に呑み込まれていて目立たないものの、肉厚のナイフの様な爪が覗いている。それだけで人一人分はありそうな大きさの尻尾は、地面に向かって垂れ下がっていて動くことはなかった。

 神話の中の方がお似合いな見た目の巨大な狼を前にして、カーミラが呆気に取られている一方、ヤハドは冷静さを保っていた。無論、この巨大な狼が直前までとっていた姿を考えれば怒りは込み上げてきていたが、今回においてはヤハドは冷静に怒りを押し留め、眼前の怪物とヴィショップが語った怪物との差異に思考を巡らせていた。


「……思っていたのと違うな。もっと悪趣味な見た目だと思っていたが」


 漆黒の巨狼から視線を逸らさず、ヤハドは片桐に言葉を投げかける。

 ヴィショップから聞いた話では、彼が対峙した怪物は最早元となった生物が分からない程に、グロテスクな姿をしていたらしかった。しかし今ヤハドの目の前に居るのは、冗談みたいな大きさの体躯でこそあるものの、見た目自体はそこまで異形という訳ではない。この事実はヤハドに、子供が少なくとも幾分かはマシな姿に変わることが出来たという意味の無い安堵を与える一方、カタギリと彼の協力者がこの子供に施した某かの施術が、ヴィショップが戦った子供に施したものよりも完成されたものである可能性を示唆していた。


「こいつか? まぁ、こいつは中々上手くいってな。といっても外面だけだがよ」

「どういう意味だ?」


 片桐の言葉にヤハドが聞き返す。片桐は「こういうことさ」と返して指を鳴らした。すると巨狼は唾液の糸を伸ばしながら、ゆっくりと大口を開けた。


「…外道が」


 巨狼の開いた口内の光景を見て、ヤハドは吐き捨てるように呟く。その背後ではカーミラが息を呑んでいた。

 大口を開いた巨狼の口内、そこは無数の苦悶に歪んだ子供の顔で埋め尽くされていた。唾液に濡れて光るそれらの顔は、それぞれが別個に口を開いたり顔を横に振ったりするなど、まるで泣き叫ぶかのように動いていた。

 弓を握るヤハドの手に力が籠る。彼が手にしている弓は決して安物などではなかったが、それでも握りつぶしてしまいかねない程に。巨狼の口内に広がる光景が煽り立てたヤハドの怒りは、瞬く間に彼の身体に力を充填していった。

 そんな彼の姿を見て、片桐は呟いた。


「良かったぜ、気に入ってもらえたようでよ」

「……お前は殺す。この化け物の口の中に放り込んでやってな」


 ヤハドの発したその言葉は、巨狼の異形さに圧倒されていたカーミラの意識を一瞬にして現実に引き戻すと同時に、思わず身震いを指せる程の恐怖を与えていた。

 ひたすらに冷たく、重く、鋭いその声音はカーミラに確信を抱かせた。ヤハドはこれから、今言った言葉通りのことを実現しようとする、といった確信を。


「ハハハッ、いいねぇ。ジジイ程じゃねぇが、アンタも中々イイ感じじゃねぇか。全く、どうしてこうも面白そうなのはジジイの所に行くかね? あの腑抜けのメリケンと交換してもらいたいくらいだぜ」


 片桐はそのヤハドの言葉を受けてなお、真実楽しそうに笑っていた。

 笑い声を聞いたカーミラの視線が、弾かれたように片桐へと向かう。今のヤハドの言葉を受けて笑みを浮かべていられる彼に、信じられないものでも見るような眼差しを向ける。その一方でカーミラは、自分の前で対峙している二人の男の間に、自分の割って入る隙間など存在しないことを徐々に理解し始めていた。


「中の子供達を逃せるか?」

「……ええ」

「そうか。行け」


 ヤハドの発したその言葉を、カーミラは抵抗することなく受け入れた。

 ヤハドの左手が矢筒へと奔った瞬間、カーミラは躊躇うことなく彼等に背を向けて建物の方に走り出す。

 しかしこの時、ヤハドは一つ失念していた。ヴィショップが対峙した怪物の脅威の一端は、目に見えているものだけではないことを。


「おいおい、せっかくの宴だってのに女の一人も居ないっていうのは、寂し過ぎるだろ?」


 その言葉の直後、巨狼の口内で蠢く無数の子供の顔の口から細い舌が飛び出す。ヤハドは瞬時に両手の弓と矢を地面に落とす判断を下すと、鞘に収めていた曲刀を引き抜き、伸びてくる数多の舌に向けて振り下ろす。

 風切音を上げ空を裂いて振り下ろされた曲刀の刃は、人間のものと大差ない太さの舌を容易く両断した。しかし一振りで切り落とせる数には所詮限界があり、半分以上が曲刀の一閃をすり抜けてヤハドへと迫る。ヤハドは即座に曲刀を握る右手を振り上げ、斜めに切り返す。それによって更に数本の舌が切り裂かれて地面に転がったが、五本程の舌はその二撃目をも掻い潜ってヤハドの脇をすり抜け、彼の後方で駆けるカーミラへと伸びていった。


「くっ、何を…!」


 カーミラは後ろを振り返ってナイフを振るおうとしたが、ナイフの刃が肉を捉える前に巨狼の口から伸びた舌が彼女の四肢と首に巻き付いて動きを封じる。


「クソッ…!」


 ヤハドは悪態を吐いて、カーミラを助けるべく曲刀を振るう。しかし舌はカーミラの身体を捉えると、彼女ごと上へと逃げて曲刀の刃から逃れてしまった。

 上へと逃れた巨狼の舌はヤハドの曲刀が届かない高さで停止すると、唾液を滴らせながら巨狼の口内へと戻っていく。それを見たヤハドは曲刀地面に突き立ててた。そして先程地面に落とした弓と矢を拾い上げると、巨狼の口内目掛けて矢を射る。


「チッ…!」


 しかし巨狼は真横に跳んで矢を躱してしまう。ヤハドは舌打ちを打ち、第二射の為に矢筒から矢を引き抜いて弓に番える。そして再び口内に狙いを定めて、矢を放った。


「貴様…!」


 直後、ヤハドにとっては聞きなれた轟音が辺りに響き渡り、彼の放った矢が空中だ砕け散る。ヤハドの視線は一瞬にして上方へと動き、周囲を取り囲む廃墟の四階部分で漆黒の魔弓を構えている片桐を睨みつけた。


「そう焦るなよ。何事にも相応しい時と場所ってやつがある」


 ヤハドの視線を意に介した素振りを見せることなく、カタギリは嘯く。そして予兆も躊躇いもなく、彼は廃墟の窓から身を投げた。


「何を…!?」


 片桐の突然の行動にヤハドが驚く暇もなく、今度は巨狼の方に変化が生じる。

 カーミラを捉えた舌が、巨狼の口の少し手前で動きを止めたかと思うと、背中の部分から骨の軋むような音が鳴り始める。ヤハドがその音に気付いて巨狼の方に視線を向けた瞬間、狼の背中を突き破って肌の無い巨大な手のような物が天目掛けて伸びる。そして呆気に取られるヤハドを尻目に、四階から身を投げた片桐の身体をキャッチしてみせた。


「チッ、もうちょっとばかし上手くいけると思ったんだがな。まぁ、所詮はこんなもんか」


 巨狼の背中から生えた巨大な手の上に着地した片桐は、血で汚れてしまった自分の白いコートをまじまじと眺めながら溜息を吐いた。その姿からは殺し合いの場にいるとは思えない、何とも緊張感に欠ける姿ではあったものの、直後に鳴り響いた魔弓の轟音がそんな印象を一瞬で吹き飛ばす。


「ジジイの仲間なだけはあるな。中々に肝が据わってやがる」


 自分の喉目掛けて飛んできた矢を空中で打ち落とすと、片桐はヤハドに魔弓を突き付けてそう呟く。

 だが一方のヤハドは、カーミラが片桐の手に落ちた時点で彼の言葉にこれ以上付き合う気を失くしていた。ヤハドは左手を矢筒に伸ばしつつ、無言で地面を蹴って巨狼にの左側に回り込むように走り出す。


「その上、血気盛んときてる」


 走り出したヤハドの姿を見た片桐は楽しげに呟いて、指を鳴らす。それに反応したかのように、巨狼は右の前足を振り上げると、勢いよく地面に振り下ろした。


「クッ…!」


 前足が地面を打ち据えた際の衝撃と、それが巻き上げた砂塵はヤハドの足を止めるには充分だった。足を止めたヤハドは矢を持った左手で顔を覆いつつ、薄眼で巨狼の姿を捉えようとする。


「こんな所じゃアンタもやり辛いだろ? 場所を変えて仕切り直しといこうぜ」


 視界を覆う褐色の砂のカーテンの向こうから飛んでくる片桐の声と、走り去っていく巨狼の後姿のシルエット。勢いを失くしつつある砂塵の中で、ヤハドは一瞬逡巡した後に声を張り上げた。


「リリーヌ、他の子供達を連れて逃げろ! 俺は奴を追う!」


 そう叫ぶと、ヤハドは遠ざかっていくシルエット目掛けて走り出した。彼の背中をリリーヌの声が追いかけてきたが、ヤハドは足を止めるような真似はしなかった。

片桐と巨狼の姿を追ってヤハドは細い路地へと飛び込んでいく。彼が躊躇うことなく巨狼を追えたのはカーミラの身を案じるが故だけではない。リリーヌ達が住処にしている建物へと通じる路地はどれも狭く、巨狼の図体では素早く動くことは出来ずに自分に有利に働く筈である。そういった算段があったからのことだったのだったのだが、彼の考えは即座に打ち砕かれることになった。


「化け物め…」


 視線を建物の隙間から覗く空へと向けながら、ヤハドは悪態を吐く。彼が視線を向けた先には、建物と建物の間で左右の壁に向かって四本の脚を伸ばし、前足を後ろ脚を器用に動かして自らの巣を移動する蜘蛛のように路地の真上を突き進む巨狼の姿があった。

 ヤハドは走りながら、建物の屋上付近の高さにいる巨狼の剥き出しの腹に矢を射かける。放たれた矢は妨害されることもなく巨狼の腹に突き刺さったものの、幾分かの鮮血を地面に向かって振らせただけに終わり、そして数秒後には内側から押し出されるようにして巨狼の腹から抜けて地面に落ちた。


「やはり再生能力もある訳か」


 傷一つ無い巨狼の腹を見て、ヤハドは呟く。他に狙えそうな場所がないかと探してみるも、背中から生えている手に乗っているであろう片桐の姿は巨狼の身体の死角に入っていて狙えず、カーミラを捉えているであろう舌を狙おうにも頭上を進む巨狼の速度が速すぎて狙うことが出来なかった。

 かといって矢筒に入れて持ち歩いている矢も無限にある訳ではなく、矢鱈めったら撃ちまくる訳にもいかない。人間ならともかく再生能力までをも有する化け物相手では、ヴィショップの持つ魔弓と違い強大な破壊力を持たないただの矢は、それこそ使い方を吟味して用いなければ何の効果も生み出すことも出来ないからだ。


「…クソッ」


 今は矢を射かけたところで無意味であると判断するまで、さほど時間は要さなかった。ヤハドは弓を下して矢を左手で握り直すと、巨狼に追いつくことに専念し始める。


(カーミラを浚った上、充分に俺を殺せるだけの準備を整えておきながら、何故逃げる? こいつの目的は一体何だ?)


 今の状況はヤハドにとっては分からないことばかりであった。片桐が自分の前に姿を現した理由も、今彼が引き起こしたこの状況も、そこにいったいどのような意味が込められているのかヤハドには皆目見当が付かない。


『おーっと、開始早々予選を突破した二チームを屠ったサジェルフォス、今度は予選トップのチーム、スキュラに狙いを定めたァ!』


 唐突に聞こえてきた自分のチームの名前と、それに続いて耳朶を打つ群集の熱狂の声。そして思わず下げた視線の向こうに見えた光で、ヤハドはいままで走り抜けてきた路地が終わりを迎えたことを悟る。

 次の瞬間には、前方を進んでいた巨狼が路地からその巨体を投げ出していた。巨狼は路地を抜けた先に広がっている広場を取り囲むように並ぶ出店と、埋め尽くさんばかりの群集を飛び越えると、広場の中央に設置されていたミライアス・ラグーヌ本戦の光景を宙に投射している神導具の上に着地した。

 宙に投射されていたレースの光景が掻き消え、両手を空に突き出して熱狂していた群集が、一瞬の内に静まり返る。その余りに突然の出来事に彼等の思考が追いつき、悲鳴を上げて広場から我先にと逃げ出し始めたのは、広場に中央に降り立った巨狼が天を仰いでけたたましい雄叫びを上げてからのことだった。


「ま、魔獣だ!」

「逃げろ、逃げろォ!」

「守備隊だ! 誰か守備隊を呼べ!」


 群集は皆がそれぞれ様々な言葉を口走りながら、蜘蛛の子を散らすように広場がから逃げていく。出店をなぎ倒し倒れた者を踏みつけることも厭わずに。そしてその騒動の中で押し倒されるなり踏み殺されるなりして死んだ数人を除いた、全ての群集が姿を消して静寂に包まれた広場で、ヤハドは片桐と巨狼、そしてその舌に囚われているカーミラと対峙した。


「もう、逃げないのか?」


 広場の中心に立つ巨狼と片桐を睨みつけて、ヤハドは問いかける。しかし片桐は彼の問いかけに返事をすることはなく、広場に残された数人の死体を眺めていた。


「しかし全く、奇妙なもんだな」


 死体を見つめたまま片桐が言葉を発する。ヤハドは反応することなく、片桐を睨み続ける。


「どいつもこいつも、子供を殺したりするような輩は屑だと信じ切っている。にも関わらず、そいつら自身の中にも子供を殺せる資質はしっかりと根付いてる」


 片桐の視線が向けられている死体の多くは、まだ年端もいかない子供のものだった。それ以外は歳をとって身体の動きが鈍くなった者達であり、残りの僅かは女だった。

 大きな力の奔流に投げ込まれた時に、真っ先に死んでいくのは力の弱い者である。その法則はこの場においても例外ではなかったのだ。


「その資質の存在を認めて活用している俺と、そんな資質など存在しないと自分に言い聞かせながら無意味に殺す奴等。一体、間違ってるのはどっちなんだろうな? アンタはどう思う?」


 周囲に転がる死体から視線を逸らし、ヤハドを見据えて片桐はそう問いかけた。

 今まで片桐に注がれていたヤハドの視線が動き、僅かの間周囲の死体へと向けられる。そして一通り死体を見ると、彼はこの広場に足を踏み入れてから初めて片桐の言葉に返答を返した。


「決まってる。お前も連中も間違っているだけだ」


 その言葉で片桐の顔から笑みが消え、心の底から意外そうな表情が浮かんだ。だがヤハドはそんな彼の表情などお構いなしに、口を動かしていく。


「お前は開き直っているだけのただの屑に過ぎん。そして目を逸らしている連中はただの偽善者だ。胸を張って間違っていないと言い切れるのは、その資質の存在を知って尚、それを拒絶出来る人間だけだ」

「……それが自分だとでも言いてぇのか?」


 ヤハドの言葉を聞いている内に蘇ってきた笑みを顔に張り付けて、片桐は訊ねる。ヤハドは僅かに口角を持ち上げると、ゆっくりと首を横に振った。


「そこまで傲慢な人間になったつもりはない。所詮俺はまだその資質から逃れようと足掻いている段階に過ぎん。…まぁ、それでも貴様よりは万倍マシだとは思うがな」


 ヤハドはそう告げると、話は終わりだとでも言わんばかりに、矢を弓に番えて弦を引き絞る。

 その時には既に、ヤハドの顔から微笑は消えていた。そこには、自らが見定めた敵を滅ぼすまで、例え四肢が砕けようとも戦い続ける闘士の表情が浮かんでいた。

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