深淵への道程
杖に灯された光によってぼんやりと浮かび上がっていた、白濁の巨体。レスルビアモルコスと呼ばれるその生物は、己、ひいては交尾の対象のテリトリーを荒らしまわる敵…乃ちレズノフ達に大して、臨戦態勢をとりつつあった。その背から生える透明な羽がより一層激しく振動し、今まででも十分耳障りだった羽音をより凶悪なものへと押し上げる。そして、次第に増していく羽音に合わせて、尻を持ち上げ、頭を下に下げる、人間でいう所の前屈姿勢に近い体勢を取り始める。
「へェ…」
「まさか…」
その行動だけで、彼等はレスルビアモルコスのやろうとしている行動を察することが出来た。それは至極単純明快な行動。つまり、大型トラック並の大きさを誇る身体を用いての突進であった。
「ひゅおおおおおおおおおおお!」
口から粘液を撒き散らしながら咆哮を上げると、多少の違いに目をつむれば殆ど人間のものと変わらない口部とは対照的に、殆ど昆虫のそれと変わらない六本の手足を身体の下で折りたたみ、空気抵抗を最大限に減らした体勢でレズノフ達に対しての突進を敢行する。
「ッ! カフスッ!」
「はい! 神導魔法白式、第四十七録…!」
もの凄いスピード…それこそトラック顔負けの速度で突っ込んでくるレスルビアモルコスの姿を確認したアンジェがカフスの名を呼ぶと、その一言で何をすべきかを察したカフスは一瞬で魔力を練り上げ、神導魔法の詠唱に入る。
その詠唱は、先程行ったミヒャエルのものと比べると、雲泥の差が存在した。ミヒャエルのものが、まるで教科書を音読する学生のように、滑舌や声の大きさに比を置いた、まるで名乗り上げのような聞き取り易いものだったのに対し、カフスの詠唱は最初のアンジェへの返事以外は、ボソボソと呟くようで聞き取り辛く、滑舌に関しても一文字一文字の間に殆ど空白の無い独特のアレンジが組み込まれており、何と言っているのか把握するのが難しい詠唱だった。だが、その分、速さに関してはミヒャエルのを遥かに上回っていた。
「“ノルト・ウォール”!」
その結果、カフスの魔法はレスルビアモルコスが六人を轢き殺す前に発動した。
詠唱の最後の一節を述べた瞬間、六人を覆う様にしてドーム状の半透明な黄色い障壁が発生。突っ込んできたレスルビアモルコスの巨体をしっかりと受け止め、挽肉になる予定だった六人の命を拾い上げる。
「凄いな…あの巨体の突進を止めたぞ…」
「“ノルト・ウォール”は、教会の定めているレベルの内、三段目に位置する魔法だ。魔力を内包しない、ただの物理現象にそう簡単に破られたりはしない。…まぁ、展開中は常に魔力を供給し続けないといけないのが、玉に傷だがな」
ヤハドに対してそう説明するカフスの額からは、ぽつぽつと汗が噴き出していた。本人は何てことは無さそうに語っているが、実際のところではかなり労力を要する魔法なのだろう。
その一方で障壁の外に締め出されたレスルビアモルコスは、少しの間、障壁を二本の前足でガリガリと引っ掻き、牙を突き立て、触覚のような吻と舌で舐め回していたが、不意にその行為を止めて方向転換を始める。
「何だ…? 諦めたのか?」
「どちらにしろ、好都合だ。今の内に対策を…」
そのレスルビアモルコスの行動にヤハドが怪訝そうな表情を浮かべ、一方でアンジェが、好奇到来とばかりに対策を練ろうと口を開いた瞬間、辺りをきょろきょろと、何かを探すかのように見回していたミヒャエルが、場を凍りつかせる一言を放った。
「あの…レズノフさんが見当たらないんですけど…」
「………………まさかッ!」
その一言に場の空気が凍りつくこと、数秒間。その沈黙を打ち破ったのは、最悪の想像を思い描きながらも、その想像が外れていることを祈りつつ、障壁に顔を寄せてレスルビアモルコスの進行方向に視線を向けたヤハドだった。
「あの…大馬鹿者がァッ!」
障壁越しに放たれる、ヤハドの視線と罵声。その先には、満足気な様子で大剣を肩に担ぎ、再び突進の体勢に入っているレスルビアモルコスを見据える、レズノフが居た。
「な、何をやってるんだ、アイツは!?」
「そんな事より、早く障壁を解いてあいつを…」
レズノフの行動に困惑しながらも、レズノフを助けるべく障壁を解こうとする、アンジェとカフス。だがヤハドはそんな二人の行動を、レズノフに視線を向けたまま手をかざして制する。
「…見捨てる気か?」
「いや、そうじゃない」
そのヤハドの行動に、アンジェは表情を険しくさせながら問い掛ける。そんなアンジェに対し、ヤハドはやはり、レズノフから視線を離さずに告げた。
「あの様子…どうやら死ぬ為に逸れた訳でもなさそうだ」
ヤハドはそう告げると、壁の近くでレスルビアモルコスの突進を待ち構えているレズノフを眺め続ける。そして、
「チッ…一体どうやるつもりだ…?」
小さく悪態を呟くと、唐突に障壁から顔を離してミヒャエルの方に向き直る。
「おい、イタリア人。お前、何か物体を打ち込むような魔法はあるか?」
「はっ? それって、どういう…」
「だから、釘を打ち込むハンマーの役割が出来る魔法はあるか、と聞いてるんだ」
「まぁ、あったと思いますけど…大した威力は無いと思いますよ?」
戸惑いつつも答えたミヒャエルに対し、その答えが気に食わなかったのか、ヤハドは舌打ちを一つ打つと、今度はカフスに対して同じ質問をぶつける。
「お前の方はどうだ?」
「いや…まだ習得していない。神導魔法で攻撃の為にある魔法は少ないし、あったとしても四段目以上に固まってる。私はまだ三段目の魔導書しか授かっていないからな」
「チッ! しょうがない、ドイツ人だけので…」
舌打ちを打ちつつ、再びレズノフの方を向く、ヤハド。だが、そんな彼をカフスが呼び止める。
「待て。打ち込むような魔法はないが、喰い込ませるようなものなら有るぞ?」
「と、いうと?」
「黒式に分類される束縛系統の魔法を使えば、使いようによっては…。もっとも、対象を指定しなければいけないので、先程のような速度の相手には厳しいが」
そんなカフスの言葉に、ヤハドは少しの間考える素振りを見せる。
「いいだろう。無いよりはマシだ」
「そうか。で、何に対して使うんだ?」
額に溜まってきた汗を片手で拭いながら、そう聞いたカフスに対し、ヤハドは顎をさすりつつ、答えた。
「レズノフが拾いにいった大剣だ」
「さてと、アイツ等、あれで理解出来たか?」
地面に突き刺していた大剣を引き抜きつつ、レズノフはぽつりと呟く。そんな彼の視線の先では、羽音をけたたましく鳴らしているレスルビアモルコスが、その半分を占める真っ赤な複眼を有する顔を向け、レズノフを轢き殺すべく、突撃体勢に入っていた。
「もう我慢できない、ってツラだなァ。奇偶なことに、俺も同じだ。だから…」
レズノフは大剣の柄を両手で握りしめると、左足を半歩前に、右足を半歩後ろに出し、切っ先を下に向け、柄を顔の横に引き付けて、レスルビアモルコスに肩口を向けた構えをとる。
「そこでブンブン唸ってねェで、さっさと来いよ、蠅野郎」
「ひゅおおおおおおおおお!!」
レズノフの挑発に対して、まるで呼応したかのように咆哮を上げると、レスルビアモルコスの巨体がレズノフ目掛けて動き始める。
「いくぞォッ!」
レズノフが吠えると同時に、後ろに下げられていた右足が跳ね上がり、左足の前へと移動する。と、同時に、右足を出した勢いを利用して、右足を軸に身体を回転。更に回転によって生まれた遠心力を使って勢いを付けると、握っていた大剣をレスルビアモルコス目掛けて投げつけた。
「ひゅおおおおッ!?」
ハンマー投げよろしく、レズノフの手を離れてすっ飛んでいった大剣は、レスルビアモルコスの複眼の真ん中辺り…人間ならば眉間に当たる位置に突き刺さり、その刀身を赤い複眼から吹き出した体液で汚した。一方、複眼の真ん中から大剣を生やす破目になったレスルビアモルコスは、当然のことながら何とも無い訳が無く、地面に六本の手足を着けて着地し、苦悶に満ちた叫び声を上げる。
その明らかな隙を見逃す程、レズノフは愚鈍な男ではなかった。
「行くぞォッ!」
そう呟くや否や、顔を左右に振り続けるレスルビアモルコス目掛けて駆け出す、レズノフ。だが、レスルビアモルコスの顔を覆う複眼は、そんなレズノフの姿をはっきりと捉えており、当然の如く反撃が飛んでくる。
「当たるかよォ!」
だが、その反撃がレズノフを捉えることは無かった。
レズノフは、第一撃目として飛んできた右前足の振り下ろしを真横に飛び込むようにして転がって回避。次に放たれた左前脚の横薙ぎの一撃は、四つん這いになり、可能な限り身体を低くすることで床との隙間に入り込んで躱す。すぐさま体勢を直すと、レズノフはレスルビアモルコスの顔の下まで走る。そして、突っ込んできたレズノフを止めようとして返す刀で飛んできた左前脚の横薙ぎの攻撃を真上に跳躍して回避すると、
「ッリャッ!」
口から垂れている、レスルビアモルコスの舌を両手でしっかりと掴み、自分の身体を引き上げた。そこから更に、レズノフはレスルビアモルコスが口を開く前に両足を牙の隙間にかけ、下顎から覗く歯茎を土台にして、もう一度飛び上がり、今度は複眼から生えている大剣の柄にしがみついた。
「ひゅおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
「うわッちッ!?」
その瞬間、レズノフの体重によって大剣が沈み込み、複眼を更に傷つけられたレスルビアモルコスが悲鳴を上げながら顔を思いっきり振り上げる。その結果、レズノフは天井スレスレの高さまで放り上げられる破目に陥った。
「上等だァッ!」
身動きも満足にとれぬ空中でレズノフは、咆哮を上げながら愛用のナイフを引き抜く。その真下では、複眼の中心からまるで涙のように体液を垂れ流しているレスルビアモルコスが、大口を開いてレズノフが降ってくるのを待ちわびていた。
だが、次の瞬間レスルビアモルコスの身体を駆け抜けたのは、甘美なる獲物の血肉の味わいではなく、全身を締め付ける束縛感、そして突き刺さった大剣が自らの身体の奥へと侵入する際の、痛みと不快感だった。
「ひゅおッ!?」
「ヒュゥ…」
突如現れた漆黒の鎖が、複眼に突き刺さる大剣を中心として伸びていき、レスルビアモルコスの肉体に絡み付いたかと思うと、そのまま一気に肉体に喰い込んで、突き刺さっている刀身が完全の呑み込まれる程にレズノフの大剣を押し込む。更に、レズノフとレスルビアモルコスが今しがた起こった事象に対応し切る暇すら与えずに、レズノフの顔の真横辺りに風が集まっていき、辛うじて目視出来るぐらい透明に近い色合いの野球ボール大の大きさの球体が発生する。そして次の瞬間、ドゴン、という轟音と共に複眼に突き刺さったレズノフの大剣の柄頭に、野球ボール程度に圧縮された暴風の塊が衝突、レズノフの大剣を完全にレスルビアモルコスの体内に叩き込んだ。
「ひゅおおお……おお…」
「うおっ…とォ…」
先程までとは一変して、か細い鳴き声を上げながら仰向けにひっくり返って息絶える、レスルビアモルコス。無防備に晒された、ぶにぶにと柔らかい腹の上にレズノフは落下すると、バランスを取れずに腹の上を転り落ちて、地面に落下する。
「ったく。馬鹿な真似をするものだ」
不意に真上から掛けられた声に反応し、レズノフが顔を上げると、そこには呆れ顔でレズノフを見下ろしているヤハドが立っていた。
「予定だと、あのあと背中によじ登って羽の一、二枚でも戴くつもりだったんだがな」
「勝手に始めた挙句、他人に手伝わせといて、最初に出てくる言葉がそれか? 第一、敵の目の前でジェスチャーするぐらいなら、動く前に告げていけ」
ヤハドは、レズノフが先程自分に向かって送ってきた、地面に突き刺して大剣の柄頭を握り拳で叩くという、イマイチ分かりにくいジェスチャーを思い出しながら、溜め息を吐く。
「いいだろ、別に。成功したんだしよォ」
「そういう問題でも…いや、言ったところで無駄か…」
笑顔でそう発言するレズノフに対し、ヤハドの眉尻が一瞬だけつり上がるも、すぐに目の前の人間にはその手の話は無意味であることを悟る。そして、自分に向かって差し出された手を無視して、自分達の方に移動してきているアンジェ達の方を向いた。
「休憩を入れたら、出発する。面倒事は起こすなよ」
「分かってる…っと、そういや手伝って欲しいことが有ンだよ」
「何だ?」
ヤハドがウンザリした表情で、自分の力で起き上がっているレズノフの方に向き直ると、レズノフはニヤニヤとした笑みを浮かべながら言った。
「あの蠅の中から、俺の剣探すの手伝ってくれよ」
レズノフ達がレスルビアモルコスを倒したのと、ほぼ同時刻。ヴィショップは紛失した神導具の代わりに、神導魔法“ヘエイリオス”を使用してナイフの先に光を灯して、灯り代わりにしながら探索を進めているところだった。
「…お疲れ様、ってとこか?」
同行していた『双頭の牡牛』のメンバーを皆殺しにし、一人で探索を続けていたヴィショップが、メンバーを嵌めた二手の分かれ道から続く細い道を抜けて足を踏み入れた、一際大きな部屋。ヴィショップは左右を見渡し、自分が今しがた歩いてきた道の他に似た様な道への入り口が二か所あることに気付くと、カウボーイハットを外して自分の顔を仰ぎながら呟いた。
そして、
「……誰も居ないみたいだな」
ヴィショップは人の気配が全く感じられない事に気付くと、カウボーイハットを被り直して、人が居た痕跡がないか探し始める。
広くて薄暗いといっても、あくまで部屋である以上、そこまでの広さは無く、確認は数分程で済んだ。結果として、ヴィショップが自分以外の誰かが此処に居た痕跡を見つけることはなかった。その事実が意味するところは一つ。ヴィショップが他の『双頭の牡牛』のメンバーを出し抜いて、この分かれ道のあるルートを踏破した、ということだった。
「こいつは良いな…」
ヴィショップはそう呟くと、手持ちの道具を頭の中で並べながら、まだ辿り着いて来ていな残りの『双頭の牡牛』のメンバー、最大十四人に対する、待ち伏せ用のブービートラップの案を練り上げる。
つまり、ヴィショップはここで…真ん中のルートを選んだ全員が辿り着くであろう、この部屋で、残りのメンバーを始末することを決めたのだった。
だが、
「…チッ、そこまで旨い話は無いか」
先程自分が出てきた道の隣にある道から、数人の人間の足音と話し声が聞こえてきたのに気付くと、ヴィショップは小さく悪態を吐いてからナイフに灯した光を消し、声の聞こえてくる道への入り口が位置する方の壁側の部屋の四隅に移動すると、魔弓を構え、身体を小さくして屈み込む。
(さぁ、来い…)
そして声の聞こえてくる方角に向かって魔弓を構え、息を潜める。神導魔法による光源を失った部屋には先程までの薄暗さすら無く、完全な暗闇が広がっていた。
そして、
「次の部屋が見えてきたぞ。…また分かれ道じゃないといいんだがなぁ」
疲れた調子の声と共に、カンテラ型の神導具を光源にした七人の男女が部屋に入ってくる。ヴィショップの目に彼らの持つ神導具の放つ光が差し込んだ瞬間、彼は動いた。
「レッツ・ロール、だ」
ヴィショップの右手に握られた魔弓が轟音を上げ、射出された魔力弾が、先頭に立つ男の手の神導具を破壊し、部屋の中を再び暗闇に引き戻す。
「なっ、なんだ…」
だがそれで終わる筈もなく、ヴィショップは立て続けに引き金を弾いて、光が部屋に差し込んだ一瞬の内に確認して位置に向けて、魔力弾を叩き込む。放たれた四発の魔力弾は、神導具を持っていた男と周りにいた三人の頭を正確に撃ち抜いて絶命させた。
「て、敵襲か…!?」
「でも、今のは魔弓の…!?」
「クソッ、何も見えないっ!」
漆黒の空間に、刃物の擦れる音と混乱に支配された声が上がる。敵対するものは魔物だけの筈の場所で、突如人間以外には使うことの出来ない武器による攻撃がきたのだから、その動揺も当然と言えた。だが、それでもその動揺が彼らの命を致命的に縮めることになる。
「神導魔法白式、第八百二十三録…」
ヴィショップは魔弓を握りしめたまま立ち上がると、呪文の詠唱しながら、残った三人の方に向かって駆け出す。
「そこか!?」
その物音に反応し、残った三人がヴィショップの方に振り返ったのを暗闇の中で感じ取りまがら、ヴィショップは両の眼をスッと閉じ、詠唱の最後の一説を唱えた。
「“ヘエイリオス”!」
その瞬間、ヴィショップは、通常時に同名の魔法を使用するよりも多くの魔力を練り上げる。すると、通常は光源に使える程度の光が指定した物体から放たれる筈が、そんな生易しいものではない、まるで閃光手榴弾でも使用したかのような光が、ヴィショップの握る魔弓から放たれ三人の目を貫く。
「うおっ…!」
「わっ…!」
「クッ…!」
(そこか…)
猛烈な光の中に上がる三様の悲鳴。その悲鳴で三人の大まかな位置を判断したヴィショップは、すぐに魔法の効力を打ち消すと、目を開き、ホルスターに納められたもう一挺の魔弓を左手で瞬時に引き抜いて、悲鳴の上がった方向に向かって引き金を、一つの方角に向かって二度づつ、計六回弾いた。
暗闇に包まれた空間に人の倒れる音が木霊する。ヴィショップは残弾がゼロの左手の魔弓のシリンダーを開き、使用済みの魔弾を床に落として、クイックローダーを使ってリロードを行ってから身構える。
シリンダーから抜け落ちた魔弾が、続々と音を立てて地面に落下し、ガシャン、という音を立ててシリンダーが閉じられる。だが、それに対して何者かが反応したような気配は感じられなかった。
「神導魔法白式、第八百二十三録“ヘエイリオス”」
ヴィショップは改めて魔弓に光を宿す(今度は余剰な魔力は送り込まずに)と、前方が見えるように、顔の上辺りに左手の魔弓をかざす。
「片付いたか…」
魔弓から放たれる光によって、胸や腹から血を垂れ流している七人の男女の屍が浮かび上がる。
ヴィショップは七人全員を殺害したことを確認すると、ポツリと呟いてから、左手の魔弓を降ろす。そして、真上を向いて息を大きく吐いてから、やや大きめに声を上げた。
「いつまでケツを眺めてるつもりだ? ほら、来いよ」
ヴィショップが発言に合わせて、再び魔弓に宿した光を消し、部屋の中央に向かって駆け出したのと、
「チッ!」
舌打ちと共に、神導具の光と三つの影が部屋に飛び込んで来たのは、ほぼ同時だった。
(魔導師一人に、近接が二人。武装は魔導師が杖。あとは剣と槍、か…)
三人の内、魔導師らしき人物の持つ神導具によって照らし出された三人の武装を抜け目無く確認すると、ヴィショップは距離を取りつつ、神導具によって姿の浮かび上がっている魔導師の心臓に狙いを定めて、右手の魔弓を発射する。
「何…?」
だが、射出された魔力弾は、魔導師、そしてその傍らに位置取っているロングソードを握る剣士の前に、突如として現れた岩壁によって防がれてしまう。
(今のは魔導魔法…だが、詠唱は無かった…。となれば…)
ヴィショップは岩壁が崩れていくのを見ながら、岩壁が出現する直前に、傍らに立つ剣士の手から何かがこぼれ落ちていたことを思い出す。
だが、ヴィショップが岩壁について意識を向けていられるのは、それまでだった。
「イヤァァァッ!」
甲高い掛け声と共に、ヴィショップの胸目掛けて槍の穂先が突き出される。
ヴィショップはその一撃を身を捩って避けると、カウンターとして、槍を突きだしてきた男目掛けて左手の魔弓で発砲する。だが、相手は足を振り上げ、ヴィショップが引き金を弾く前に魔弓を蹴り飛ばした。
(夜目が効く、ってレベルじゃねぇぞ、オイ…!?)
魔導師の手に握られている神導具という光源こそあるものの、その効果が及ぶ範囲は広くなく、ヴィショップと男が戦闘を繰り広げている場所は殆ど視界の効かない暗闇に包まれている。
既に先程までの戦闘で暗闇に慣れているヴィショップはともかく、つい先程まで光の恩恵を受けていた人間が、ヴィショップの手に握られた魔弓を暗闇の中で正確に蹴り飛ばしたという事実に、ヴィショップは舌を巻く。
だが、そんな感情を抱いている間にも、暗闇の中で輝く槍の穂先が、ヴィショップの命を奪うべく蠢き続けていた。
(とりあえず、誘ってみるか…)
視界が満足に効かない暗闇の中、ヴィショップは銀色に輝く穂先がうなりを上げて自らの頭目掛けて振るわれていることを見極めると、屈んで躱しつつ、残弾を使い切った右手の魔弓のシリンダーを開く。そして、屈んだヴィショップの顎を粉砕するべく下から振り上げられた石突きを横に転がって回避すると、手早くクイックローダーを取り出し、シリンダーに押し込んで装填してシリンダーを閉じて、無事に装填作業を終える。
(誘いにのってこない…?)
だが、それはヴィショップにとって予想外だった。いくら手早く済ませたとしても、装填時には必ず隙が生じる。使用済みの魔弾を排莢した際の音でヴィショップが装填を行おうとしているのは向こうも気付いている筈であり、むしろ気付いてもららう為に、左手が空いているにも関わらず地面に魔弾を落としたというのに。
(というか、後退してるのか? …って、まさか…!)
それどころか、槍使いの男らしき黒い影がヴィショップから距離を取っているのを、彼の眼が捉える。その姿を見た瞬間、ヴィショップは槍使いの男の意図に気付き、咄嗟に身体を真横に投げ出す。
「四元魔導、流水が第百十一奏“アイラス・ホーネット”!」
部屋に魔法の詠唱が木霊したかと思うと、槍使いの男の少し前辺りにバスケットボール大の水球が現れ、次の瞬間、破裂。魔力によって硬質ゴム並の強度を得た水滴がショットガンの如くばら撒かれる。
「ぐおっ…!」
内数滴がヴィショップの身体に命中し、ヴィショップは苦悶の声を漏らしながら吹き飛ばされる。ヴィショップの身体は一瞬だけ宙に浮いたかと思うと、次の瞬間には地面を転がっており、身体の回転が止まったのは部屋の壁にぶつかってからのことだった。
「クソッ…」
「ハァァァァッ!」
とびかけた意識を必死に手繰り寄せる、ヴィショップ。その最後の一押しを行ったのが、自分を殺そうとする男の声だったのは、もしヴィショップの意識がはっきりしていたなら苦笑していた事実だっただろう。
槍を手に、男がヴィショップ目掛けて駆け寄ってくる。ヴィショップから見るそんな男の姿は、顔に滲み出た殺気とは裏腹に、後光の差す神々しい姿に見えた。
「ハッ…まさしく“神の恩恵”ってやつだな…」
ヴィショップはそう呟くと、口の端を吊り上げ、魔弓を槍使いの男に向け、魔力弁を起こして魔力を送り込む。彫り込まれた装飾が発光し、暗闇も相まって幻想的な美しさを醸し出していたが、それに見とれている暇は無かった。ヴィショップは地面に横たわったまま槍使いの男を引き付け充分に近づいたところ…槍で魔弓を絡め取られない範囲、で引き金を弾いた。
「甘いッ!」
だが、その一撃は、今まで喋らなかった槍使いの男の初めての発言と共に、横へのステップで回避されてしまう。
男の表情に浮かぶ、勝利への確信。それに対するヴィショップの表情は、対照的に敗北とその行き着く先に対しての恐怖で固まっている“筈だった”。
「いいのか? 避けちまって?」
口の端を吊り上げた、意地の悪い笑みを浮かべながらヴィショップが、己の心の臓に槍を突き立てんとしている眼前の男に問い掛ける。その言葉を聞いた瞬間、槍使いの男は魔力弾の進む先になにがあるのかを察する。
「避けろッ!」
咄嗟に振り向いてそう叫ぶが、もう遅かった。ヴィショップの魔弓から放たれた魔力弾は、図らずして槍使いの男の直線状に居た魔導師と剣士にむかって突き進む。槍使いの男の身体が壁となり、魔力弾が発射されてそれを男が避けるまでその存在に気付けなかった二人が、その一撃の回避の為に動ける訳も無く、二人はその場に立ちすくんでいた。
だが、それでも流石というべきか、横に立っていた剣士が咄嗟に地面に何かを投げ付け、先程ヴィショップの攻撃を防いだ岩壁を発生させる。しかし、
「ッ! フートッ!」
魔力による上乗せが無いのならともかく、遺跡の壁を吹き飛ばす程の威力を生み出すまでに威力を高められた一撃を防ぎ切るのは、不可能というものだった。ヴィショップの放った魔力弾は岩壁を粉砕し、直線状に立っていた魔術師の左胸から左腕にかけてを吹き飛ばす。
夥しい量の血を吹き出しながらゆっくりと倒れる、魔術師。その姿を前に、近くに立っていた剣士が声を張り上げ、槍使いの男も魔術師の方へと意識を集中させてしまう。
「その動揺、頂きだ」
「ッ!」
無理矢理に抉じ開けられた一瞬の隙。ヴィショップはそれに飛びつき、痛みに悲鳴を上げる身体を無理矢理に動かして、槍使いの男に肉薄する。男は咄嗟に槍を振り払って迎撃しようとするが、もう遅い。男が気付いた時には既に、ヴィショップの左手が男の右手首を押さえつけ、右手に握られた魔弓の射出口を喉元に押し付けていた。
「畜しょ…」
ヴィショップは最後まで言い切らせずに引き金を弾くと、左手でナイフを引き抜きつつ、喉元に風穴を開けている槍使いの男の死体を横に押し倒して、視界を確保。左手を鞭のようにしならせ、岩壁を出そうとして動いていた剣士の左手に投擲し、左手に握られていた物体を手放させると、同時に右手に握った魔弓の引き金を弾く。一切の障害が無い状況で射出された魔力弾は、暗闇の中、地面に転がった神導具によって浮かび上がっている剣士の眉間を貫いた。
「終わった、な…」
ヴィショップは、頭から血液と脳漿を撒き散らした剣士の死体が倒れる音を聞くと、大きく息を吐いてから構えを解き、魔弓をホルスターに納める。そして、魔術師と剣士の死体の間に転がっている神導具を取りに向かった。
「で、こいつがトリックのタネか」
ヴィショップは地面に転がっている神導具を拾い上げると、剣士の死体の近くに落ちていた、文字や記号がびっしりと書き込まれた札のようなものに視線を向ける。
「逆もまた然り…。神導具ならざる、魔導具ってとこか」
ヴィショップはそう呟くと、今度は真逆の方向…槍使いの男の死体がある方向を向き、自分が追い詰めた男の風貌を確認すべく、手にした神導具を掲げる。
「……マジか…」
そして血溜まりの中に倒れている槍使いの男の顔を見て、言葉を失う。
薄目を開き、血溜まりの中で沈黙を貫く、槍使いの男の死体。暗闇の為に判別出来なかったが、戦闘中に被っていたフード外れたことで露わになったその相貌には、人間では有り得ない点が存在した。一つは、薄く開かれた瞼から覗く、異様に瞳孔が縦に長い、猫を思わせる眼球。もう一つは、頭から生えている、これまた猫科の動物を思わせる二つの耳であった。
「これが手帳にのってた、人間と同レベルの知能を持つ種族、って奴か?」
槍使いの男の傍らに移動し、しゃがみこんで男の顔を覗き込んでいるヴィショップが、感心した様子で呟く。ヴィショップは少しの間、瞼を抉じ開けたり耳を指で弄んだりしていたが、やがて立ち上がると、顎に生えている無精髭を擦りながら呟いた。
「取り敢えず、探しとくか…」
ヴィショップは手にしている神導具を掲げ、先程蹴り飛ばされた魔弓の片割れを探すべく、行動を開始した。




