狩るか、狩られるか
王家の谷を駆けるヴィショップ達の砂船は二つの脅威に晒されていた。一つは、背後から飛んでくる矢の群れ、もう一つは谷の左右から飛びかかってくるシュロトル達。
ヴィショップの双腕はそれらを凌ぐために、忙しなく動き続けていた。飛んでくる矢を魔弓で撃ち落とし、長剣で切り落とす。牙を剥いて襲い掛かるシュロトル達をミヒャエルの魔法で作り出された氷の棘が貫き、魔力弾が頭蓋を撃ち抜く。
「おいどうだ、そっちは片付きそうか!?」
両手の魔弓の引き金を弾きまくりながら、ヴィショップは耳に付けている通信用の神導具に向かって怒鳴った。彼の視線の先では、自分達の砂船の後方で激しく火花を散らしている紅猫と射手座の二隻の砂船の姿があった。
その二隻の砂船は対照的な動きをしていた。狭い谷の中を前に後ろにと縦横無尽に動き回り、砂船の巻き上げる砂塵で狙いを誤魔化し続けるヒットアンドアウェイの攻撃をしかける紅猫の砂船に対し、射手座の砂船は殆ど激しい動きをすることなく、最小限の回避行動をとりながらヴィショップ達やノルチェ達、そして時折飛びかかってくるシュロトルに向かって矢を射っていた。
その消極的な姿勢には、弓矢による精密射撃を主な戦法とする射手座のメンバーのスタイルが一因していることは確かである。だがこの場においてはむしろ、動けないと言った方が正しかった。その最大の理由は周囲を動き回り果敢に攻め続ける紅猫の砂船ではなく、その前方で彼等の射る矢を次々と撃ち落としているヴィショップ達の存在にあった。
確かに、高い機動力と行動な操縦技術によって縦横無尽に谷を駆け巡るノルチェ達の存在は脅威ではある。しかしその程度の存在であれば、過去にミライアス・ラグーヌに出場し生き延びた射手座のメンバー達は、数多く出会いそして打ち倒してきた。彼等にとって本当に脅威になっているのは、むしろ援護に徹しているヴィショップ達の存在にあった。
空を裂く矢を撃ち落とす、射手座のメンバーをも凌駕しかねない射撃能力。長剣を木の棒きれの様に易々と振り回し、射手座の唯一にして最大の攻撃手段である矢を切り伏せるレズノフ。その二人よりは目立たないものの、嫌らしいタイミングで魔法特有の応用の効く攻撃を放つミヒャエル。そして、彼等の攻撃が最大限に発揮し続けられるよう、飛び交う矢やシュロトル達を躱して砂船を走らせるクァルク。紅猫との一対一の状況を生み出している、彼等の存在こそが射手座にとっての最大の脅威と言えた。
『ちょっと待ちな! ……うしっ、一人殺った!』
神導具から喜色ばんだノルチェの声が聞こえ、射手座の砂船の上から四本の腕を生やした男が一人、喉元から鮮血を撒き散らしつつ落下する。これで射手座の砂船の上に残っているのは、手綱を握っている者を含めて三人となった。
「あと三人……なら、次が最後だな」
しかしその光景を見ても、ヴィショップの表情に余裕は浮かんでいなかった。彼はぽつりと一人ごちると、視線を自分の手の中にある二挺の白銀の魔弓へと向ける。
(残弾は右が二、左が……今ので一か……)
二挺の魔弓の残弾を考えつつ、ヴィショップの思考は来るべき最後の反撃について準備を始めていた。
ミライアス・ラグーヌにおける基本的な攻撃手段は射撃武器によるものである。相手の砂船に飛び移るなどして切り合いに発展する場合ももちろんあるが、全体を通してみればそのようなことが起こっている時間は少ない。砂船に乗って高速で動きながらの撃ち合いが、八割以上を占めるだろう。それはヴィショップ達も例外ではなく、彼等も主な攻撃手段はヴィショップの魔弓かミヒャエルの魔法である。
そしてそれらの武器には共通してある欠点がある。それは放てる上限と連続で攻撃出来る回数が決まっているのだ。ミヒャエルであれば魔法を行使出来るのは魔力が残っている間だけであり、行使には毎回呪文の詠唱が必要となる。ヴィショップであれば魔弾が尽きれば魔弓を使うことは出来なくなり、最大の連続攻撃数は二挺の魔弓の装弾数を合わせた十二発となる。
この欠点はヴィショップ達に、再装填の時間という避けられない隙を生み出させることになる。レズノフとクァルクが居るので攻撃を凌ぐことは出来るだろうが、それでもその間は射手座の動きを抑えることは出来なくなる。
来るべきその瞬間こそがヴィショップが懸念の対象であると同時に、射手座にとって最後の攻勢に出ることの出来るチャンスと言えた。四人でようやくヴィショップ達の再装填の時間まで耐えることが出来たのだ。そこから更に一人減った三人の状態でヴィショップとノルチェ達に挟撃されれば、生き残ることは不可能だろう。そしてそれはミライアス・ラグーヌ本戦まで生き残った者達ならば、下せて当然の判断だと言えた。
故に、ヴィショップは確信していた。数秒後に訪れる最後のチャンス。そこで生き残った射手座のメンバーは死力を尽くして彼等の喉笛に喰らい付きにかかるだろうということを。
(出し惜しみは無しだろうな……切る予定の無かった切り札も、何もかもを繰り出してくるだろう)
ヴィショップの読みは果たして正しかった。
彼の両手の魔弓が弾切れを起こし、装填の為に身を屈める。その隙を逃さず、射手座のメンバーの中の一人が一本の矢を射った。鏃の部分に文字が書き込まれた札の様なものが巻きつけられているその矢は、ヴィショップ達の砂船の上を通り過ぎ、右側面に聳える岸壁に命中する。
「ッ!?」
矢の命中と同時に、爆音が大気を震わせた。矢が当たった場所を中心にして起こった爆発は、岸壁の一部を吹き飛ばし岩石のシャワーへと変えて、ヴィショップ達の砂船の上に振らせる。
『大丈夫かい!? …チッ!』
耳元でノルチェの舌打ちが聞こえる。背後では岸壁に向けて射られたのと同じ矢が紅猫の砂船にも向けて放たれ、巻き上げられた砂塵と衝撃に怯んだ紅猫の砂船が射手座の砂船から距離を取ろうとしていた。
だが、それらの出来事を一々把握しているだけの余裕はヴィショップ達には当然の如く無かった。
「み、右ですよ、右、右ィィィ!」
「うるせーな! 右になんて行ったら死んじまうっつーの!」
頭上に降り注ぐ岩石のシャワーに悲鳴を上げるミヒャエルと言い争いながら、クァルクは砂船を操る。砂船は左右に動いて、振ってきた岩石の合間を巧みに抜けていく。だが、振ってくるのは岩石の塊だけではなかった。
「オイオイ、狂犬病とか持ってねよなァ、コイツ等?」
岸壁を吹き飛ばされた結果、それを足場にしていたショロトルの群れの一部が岩石に混じって落下してきていた。しかも驚くべきことに、牙を剥き出しにして下方にいるヴィショップ達に襲い掛かる意思を固めながら。
落ちてきた一匹を長剣で胴の辺りで真っ二つにし、続いて落ちてきてもう一匹の牙を籠手を着けた左腕で受け止める。太い丸太のようなレズノフの左腕に両前足をかけ、籠手を食い千切らんと首を左右に振るうショロトルの身体に長剣を突き刺しつつ、レズノフは軽口を叩いていた。
「ハァ? キョーケンビョー? 何だよ、それ?」
「んだよ、学が無ぇなァ、嬢ちゃん。狂犬病っていうのは…おっと」
左腕を振い事切れたショロトルを砂船の外に放り出しつつ、うんちくでも語るかの様な口調で語り始めたレズノフだったが、視界の端に一瞬だけ移った銀色の煌めきを見て口を噤んだ。
直後、三度目となる爆音が谷に響き渡った。右側の岸壁から崩れ落ちてきた岩石が、ヴィショップ達の砂船の行く手を塞ぐ。
「ちょ、ちょっと道が塞がれちゃいましたよ!」
「左側が空いてるだろーが!」
「いや、でも…」
ミヒャエルが最後まで言葉を言い切る前に、クァルクは砂船を左側の岩石に塞がれていないスペースに向かって走らせた。
レズノフは長剣を砂船の縁を掴んで体勢を保ちつつ、ヴィショップを横目で見る。レズノフと視線が合ったヴィショップは魔弓のシリンダーと閉じつつ頷くと、クァルクに向けて声を飛ばした。
「そっちじゃない。右側に向かえ」
「何言ってんだよ、右側は岩石に…」
「いいから行け。左に行けば地獄へ直行する破目になるぜ」
有無を異さわぬヴィショップの言葉に、クァルクは悪態を吐いて砂船を岩石で塞がれた道の右側へと向ける。それを見届けたヴィショップは、右肩を砂船の後方に、左肩を砂船の前方に向ける形で半身で立った。
「四元魔導、大地が第三十二奏、“ウォール・イレクト”」
左手を砂船の前方へと突き出し、呪文を唱える。ヴィショップの呪文に応じて出現した岩石の壁は、真っ直ぐ天に向かって伸びるのではなく、水戸を塞ぐ岩石の頭上に向かって角度を付けて伸びていた。まるでジャンプ台の様に。
「え、ちょっ」
予告無しの魔法の行使に、クァルクの口から咄嗟に意味を為さない言葉が漏れる。しかしその言葉が漏れた時には、既に彼等の乗る砂船は岩石の壁を土台にして、空中に飛び上がっていた。
強烈な浮遊感が砂船の乗り手を襲う。視界の外からミヒャエルの叫び声が聞こえる中、ヴィショップは双眸を後方へと向けて、ある一点をじっと見つめていた。そしてその一点に向けて右手に持った魔弓の照準を合わせ、引き金を弾く。
ヴィショップが引き金を引いた刹那、彼の放った魔力弾と、空中に浮かび上がったヴィショップ達の砂船を狙った射られた矢が、砂漠の虚空で衝突した。深紅の魔力弾は正確に札の様なものが巻きつけられた鏃を捉え、それに封じ込まれた暴威は獲物を腕の中にかき抱くことなく暴発する。
爆音と衝撃が一体に広がる中、ヴィショップ達の砂船は道を塞ぐ岩石を飛び越えて、地面に着地した。着地するや否や、ヴィショップは左手に持っている魔弓の魔力弁を引き起こして、青白い光を放つ魔弓の矛先を道の左側へと向ける。そこには、今しがた道を塞ぐ岩石の影から姿を現したばかりの射手座の砂船の姿があった。
微笑を浮かべて、ヴィショップは引き金を弾いた。射出口から強化魔力弾が撃ち出されて、射手座の砂船目掛けて飛んでいく。そして直後、先程産み落とされたのと同じような爆音と衝撃が、再びこの場を震わせた。
「や、やったんですか!?」の
吹き荒ぶ褐色の嵐から目を守るために腕を掲げつつ、ミヒャエルが誰に問うでもなく声を上げる。その声には喜色が混じっており、どうやら彼自身は今ので射手座の命運が尽きたことを確信しているようであった。
「いや、まだだ」
だが、ヴィショップはそれを否定した。その言葉は正しく、直後に巻き上げられた砂塵を突き破って射手座の砂船が飛び出してくる。
「ど、どうして…! 今のは直撃だったんじゃ…」
「いや、直前で例の爆発する矢をぶつけて相殺してきやがった。良い腕してるぜ」
砂船を曳くオルートに出血こそ見られるものの、メンバー自体は誰一人として欠けていない射手座の姿を見て、ミヒャエルが動揺を露わにする。だが彼とは対照的に、ヴィショップは冷静だった。それどころか彼の顔には、先程浮かべていた微笑が未だに張り付いてさえいた。
何故なら、彼の目は捉えていたからだ。砂塵の中から姿を現した射手座の砂船の船尾で光る、一本の黒い鎖の姿を。
『どりゃああああああああっ!』
耳に付けている神導具からノルチェの気合いの入った雄叫びが流れ込んでくる。だがわざわざ訊ねずとも、彼女が今何をしているのかヴィショップには分かっていた。というのも、射手座の船尾から伸びる一本の黒い鎖、その上を槍を片手に全速力で駆け抜けていくノルチェの姿が、既にヴィショップの視界の中に入っていたからだった。
「ったく、この土地の女共はどいつもこいつも…」
その姿を見たヴィショップの顔に、苦笑が浮かぶ。その言葉は神導具を介してノルチェ本人にも伝わっている筈だったが、それどころではないようで返事はなかった。
射手座の砂船に残った二人の射手の内、片方が既に矢を番えてある弓をノルチェへと向ける。足場にするには余りにも細い鎖の上を駈けて接近して来る女を見たにしては、素早い対応だと言えた。だが故に彼は指を矢から離す直前まで、番えてある矢が先程射っていた爆発する矢であることに気付けなかった。
今のノルチェとの距離でそんなものを当てれば自分達まで巻き込まれることに、寸でのところで気付いた射手は、ノルチェへと向けていた弓を慌てて引っ込める。そして即座にもう一対の腕が持っている弓に普通の矢を番え、ノルチェに向けようとする。しかしその一瞬のタイムラグが射手の命取りになった。
射手が矢を番えた直後に、ノルチェの突き出した槍の穂先が射手の右目に突き刺さった。穂先はそのまま眼球と頭蓋を貫き、射手の後頭部から血と脳漿がこびりついたその身を覗かせる。残ったもう一人の射手が、慌てて自分の手にしている弓をノルチェへと向けて矢を射る。だがノルチェは槍を突き刺した射手の死体を、力任せに振り回して自分の身体の前面に持っていき、もう一人の射手が放った矢への盾とした。それから左の掌を槍の台尻に当て、力を込めて一気に槍を押し込んだ。
押し込まれた槍は、射手の後頭部から伸びて、そのまま後方にいたもう一人の射手の胸元に突き刺さる。もう一人の射手の顔が途端に苦悶に歪む。だがそれでも、文字通り一矢報いようと彼は腕に残る力の全てを込め、ノルチェに向かって矢を射ろうとした。だが鏃が完全にノルチェへと向かう前に、ヴィショップの放った魔力弾が彼の頭を吹き飛ばし、矢はノルチェの肌を掠めて砂船の底に突き刺さった。
「良い見世物だったぜ。今の綱渡りなんか、まさしく猫の所業って感じでよ」
「……あんたさ、女に対してもうちょっとばかし、遠慮ってもんがあったりしないのかい?」
手綱を話してノルチェの方を振り向こうとした操縦者に魔力弾を撃ち込みつつ、ヴィショップは軽口を叩く。一方のノルチェは死体の肩に足をかけて槍を引き抜いていたが、こめかみが微かに苛立ちで引きつっていった。もっとも、今の彼女はヴィショップがもう一人の射手の頭を引き飛ばしたおかげで、血と脳漿にわずかばかりの骨の破片を加えたシャワーを頭から浴びる破目になっていたので、にこやかな対応がとれなかったのも仕方が無かったが。
「命の恩人に対して、酷い言い草じゃないか」
「無い方がマシな助けを何て呼ぶかしってるかい? 余計なお世話、っていうんだよ」
ヴィショップとノルチェで他愛の無いやり取りを行っている内に、失速を始めた射手座の砂船の横に紅猫の砂船が並ぶ。そしてクロスボウを持ったバーロウが布を投げて寄越した。
「それで? 気に食わないんなら、ここで一戦交えるか? どうせ俺達の同盟なんてその程度だし、俺はそれでも構わないぜ?」
顔に付いた汚れを布で落とすノルチェの姿を眺めながら、ヴィショップは問いかけた。ノルチェはもう使い物にならないであろう布をバーロウに投げて返すと、頭から生えた猫の様な耳を二、三度と動かしながらヴィショップ達を見つめた。
「いや、止めとこうかね。メインデッシュは最後に味わうのもでしょう?」
そう言って笑ってみせると、ノルチェは砂船の縁に足をかけた。それを見たバーロウが、彼女に向かって腕を伸ばす。ノルチェはスカートの端を持ち上げて見せるような仕草をして見せると、バーロウの腕に向かって右手を伸ばした。
「ッ! ノルチェッ!」
ノルチェの指先がバーロウの手に触れようとした瞬間、バーロウの表情が鬼気迫るものへと変わり、彼の右手が伸びてきてノルチェの肩を押した。
突然の出来事に堪えることも出来ず、ノルチェは後ろに倒れ込む。なすすべも無く身体が砂船の底に向けて沈んでいく中で、ノルチェは見た。バーロウと手綱を握るクスル、そして彼等の乗る紅猫の砂船そのものが、真っ黒な影に呑み込まれて姿を消すのを。




