褐色の狩猟場
「よし、いいぞ! そのまま追っていけ!」
つい先程まで左右に広がっていた砂漠が一瞬で消え去り、圧迫感を帯びた褐色の岸壁が左右の景色を埋め尽くす。
ミライアス・ラグーヌ本戦、最初の関門である王家の谷と呼ばれる巨大な谷に、ヴィショップ達の乗る砂船は他の参加者より遅れて突入した。彼等の視線の先には六隻の砂船が走っており、ヴィショップはそれらを指差して手綱を握るクァルクに指示を送る。
「で、最初の狙いはどいつなんだ?」
「あれだ。あの、猫の耳生やしてる連中と小競り合いしてる砂船だ」
クァルクの質問に答えると、彼女の顔の横から右手を突き出してノルチェ達の乗る砂船に対して攻撃を仕掛けている砂船を指差した。
ヴィショップの指差した方向に視線を向けたクァルクの顔が、嫌そうに歪む。身を乗り出したその表情を見たヴィショップは、意外そうな表情を浮かべて問いかけた。
「何だ、お前が嫌がるとはな。そんなに厄介な相手なのか?」
「アレ、前回の出場者だぜ? さっきレズノフのオッサンが殺されかけたってゆーのに、また似たよーな連中とやり合うのかよ?」
そういってクァルクは、砂船の後部で酒瓶を傾けているレズノフを見る。彼女と視線があったレズノフは、構うことは無いとでも言いたげに手を振って見せた。
「本人が大丈夫そうなんだ、構わねぇだろ。で、あの連中はどんな手合いなんだ?」
「まーそう言うんならいーけどさ…。えっとあいつらは確か、サジタリウスっていう連中だ」
「射手座か…。何となくどんな連中か想像が付きそうだな」
ヴィショップはそう答えると、視線をノルチェ達とやり合っている砂船へと向けた。
その砂船は谷の右の岸壁スレスレを走ることでノルチェ達と距離を取って走っていた。彼等の砂船とノルチェの砂船の間では、無数の物体が太陽の光を受けて銀色の光を放っている。もしもこの場が殺し合いの場でなく、その銀閃一つ一つが殺意の結晶でさえなければ、写真にでも収めたくなるぐらいに美しい光景ではあった。
「さっきの連中と違って、射手座はシンプルな戦法で来る奴等さ。高度な操縦技術と弓を使った射撃技術で相手を近寄らせずに、ハリネズミにしちまう」
クァルクが説明をしている最中にも、状況は動いていた。
神導魔法で生成した壁を盾に、ノルチェ達が砂船を射手座の砂船へと寄せる。だが射手座の砂船は即座にスピードを落としてノルチェ達の後方に回ると、矢を絶えず射かけて動きを封じながら速やかに逆側に回り再び距離を取った。
「成る程、確かに実にシンプルで実にストレス溜まりそうな戦い方だ」
射手座の戦いぶりを見てそう呟くと、ヴィショップは後ろを振り返った。
「ミヒャエル」
「何ですか?」
「お前、ここに砂流を作れるか? 予選でデカブツに乗ってた連中がしたみたいにだ」
汗に濡れた顔を空に向け阿呆みたいに口を開いていたミヒャエルが、嫌々といった感じで顔をヴィショップに向ける。ヴィショップが親指で下の砂漠を指し示して訊ねると、ミヒャエルは考えるような素振りをし始めた。
「ちょっと待って下さい」
そう言うとミヒャエルは中級篇の魔導書を取り出して、パラパラとページを捲り始めた。やがてお目当てのページを見つけると、顔を上げて首を縦に振る。
「出来ますよ。で、参考までに訊いておきたいんですけど、砂流はどこに向かうように作ればいいんですか?」
「あの砂船とあの砂船の間だ。丁度盾になるみたいな感じでな」
ノルチェ達の砂船と射手座の砂船の間をヴィショップは指差す。それを見たミヒャエルが途端に抗議の声を上げ始めるが、ヴィショップはそれを無視してノルチェから受け取ったピアス型の通信用神導具をいじり始めた。
『あんた等かい!? こっちは今、手が離せないんだけどね!』
通信が繋がった瞬間、怒鳴り声に近いノルチェの声が耳元で炸裂する。ヴィショップは顔をしかめると、振り返ってノルチェ達の砂船の方を向き、手を振って見せる。
「分かってるさ、こっちからも見えてるからな」
『なら、切ってもいいかい!? あんたの目が節穴じゃなければ、あたい達があんたとの世間話に飢えてるようには見えない筈だよ!』
「ところがどっこい、俺にはあんた等が俺と話したくて堪らないように見えるぜ。無論、建設的議論ってやつだがね」
一瞬、ノルチェの言葉が途切れる。次に彼女の声が聞こえてきた時には、全てを理解した風だった。
『何だい、手を貸してくれるって訳かい?』
「まだ利益の回収も出来ていない内に死なれちゃ困るんでね」
『ハッ、なら遠慮せずに使わせてもらうとするかね。で、あんた等には何が出来るんだい?』
ふてぶてしいその態度も、生きるか死ぬかの瀬戸際にある状況下で貫かれたのならば、頼もしくすら思えた。ヴィショップは口角を吊り上げると、ノルチェの質問に答える。
「少しの間、連中の攻撃と注意をこっちに引き付ける。どれだけ引き付けられるかは向こうの腕次第だが、悠長にやってるだけの時間は無いぜ」
『あいよ。なら、こっちも出来るだけやってみるさ。死んでも文句言うんじゃないよ』
「心配しなくてもいいさ、無理そうだったら死ぬ前にあんた等を見捨てるまでのことだからな」
『精々逆に利用されないように気を付けるこったね。…じゃあ、頼んだよ』
その言葉を最後にノルチェとの通信が切れる。
ヴィショップはミヒャエルの方を振り返って準備が整っているかを確認すると、クァルクの肩に手を置いて話しかけた。
「ミヒャエルが呪文を唱えたら、あの辺りに向かって砂流が出来る。それに乗って射手座の連中とそれとやり合ってる砂船の間にこいつを滑り込ませろ」
「分かった。ただ…急げよ」
剣呑な面持ちでクァルクが告げる。
「さっき言ってた、臭いとやらか?」
「あー。さっきよりも強くなってる。もーすぐ来るぜ」
鼻をひくつかせてクァルクは答える。ヴィショップは「分かった」とだけ返すと、レズノフに声をかけた。
「板を出せ。左側面を固めるぞ」
そう告げると、レズノフは立ち上がって砂船の底に敷いていた横長の板を手に取った。
何てことは無い、単に重ねて厚さを増しただけの木の板である。それでも矢を防ぐのには丁度良い為、予め購入し、砂船の側面に取り付けることが出来るように加工して積んでおいたのだった。
二枚ある板をレズノフとヴィショップで砂船の左側面に取り付ける。するとヴィショップの首の高さ程の、砂船の左側面を覆う壁が出来上がった。
「ジイサン」
レズノフが木の棒の先端に鏡の破片を取り付けたものとをヴィショップに手渡す。それを持ってクァルクの近くに行くと、ヴィショップはその木の棒を砂船の右の縁に空いた穴に突き刺した。
「見えるか?」
「大丈夫だ。この壁がねー方が良く見えるけどな」
「仕方ねぇだろう。矢に当たらないだけならしゃがむなり動き回るなりすればいいが、相手の矢を受け止めなきゃならねぇんだ。お前が犬っころらしく、飛んできた矢を咥えてくれるっていうんなら話は別だが」
急場で設置した木の板に遮られてた砂船の左側面の光景が見えるように、鏡の位置を調整しながらヴィショップは軽口を叩く。彼はクァルクが振り回してきた拳を何なく避けると、ホルスターから魔弓を引き抜いて両手の魔弓を握った。
「よし、準備はいいな?」
木の板に背を着け、頭がその影に隠れるように姿勢を低くしてヴィショップは訊ねる。彼の視線を受けた三人が頷いたのを確認すると、ヴィショップはミヒャエルに始めるように告げた。
「四元魔導、大地が第二百十七奏、“ロッキーダ・イエルリヴァ”」
ミヒャエルが呪文を詠唱すると、砂船のすぐ真横に砂流が発生した。
ヴィショップが指示した通り、ノルチェ達の砂船と射手座の砂船の間に向かって流れる砂流に、クァルクは砂船を乗せた。砂流の流れを利用して加速を始めた砂船は、みるみる前方の二隻との距離を詰めていき、その間に船体を割り込ませた。
射手座の面々が放った矢が、次々と乱入してきたヴィショップ達の砂船に飛来する。だがそれらが側面に設置された木の板を貫くことは出来ずに、乾いた音を立てて突き刺さった。
「生きてるか!」
木の板の影に身を隠しつつ、ヴィショップは真横を走る紅猫の砂船に向けて呼びかける。ノルチェ達は言葉による返事こそ返さなかったものの、軽く手を持ち上げて無事であることを示した。
「よし。で、何か連中を調理方法について希望はあるか?」
「そんなもん、一つしかないさ。喰うのはあたい達、だよ」
木の板の影から魔弓を突き出し、牽制程度に魔力弾をばら撒きながらヴィショップはノルチェに問いかけた。ノルチェは白い歯を見せて笑うと、槍を持ち直して返事をした。
「上等だ。連中を動かす、読みを謝るなよ。クァルク!」
同じようにヴィショップも笑みを浮かべて応えると、手綱を握っているクァルクを呼んだ。
「何だ!?」
「連中の砂船に寄せろ! ぶつけるつもりでな!」
「ハァ!? ちょっと、何言って…」
クァルクへのヴィショップの指示を聞いたミヒャエルが、慌てて止めに入ろうとする。だが一歩ヴィショップに近づこうとした瞬間、後ろ襟をレズノフに捕まれて引き倒された。
「いいねェ、やっぱそうこなくっちゃなァ。ぶちかましちまえ、嬢ちゃん!」
「チッ、しゃーねーなっ!」
煽る様なレズノフの発言に悪態を漏らしながらも、クァルクの顔には笑みが浮かんでいた。
その笑みが本心であることを裏付けるように、クァルクは何のためらいもなく砂船を射手座の砂船に向けて寄せ始める。
直前までの加速を利用しての急接近は、最早体当たりと呼ぶような速度と勢いを以ってして行われた。ヴィショップの魔弓による攻撃を警戒し、顔を上げさせない為に連続して矢を射かけていた射手座のメンバーは、慌てて砂船のスピードを落としてヴィショップ達の砂船の後方に回り込もうとする。
「貰ったァ!」
だがヴィショップ達の砂船の背後に回り込んだ先で待っていたのは、先程まで戦っていた紅猫の砂船だった。
射手座の砂船を迎え撃つように勢いよく突っ込んできた紅猫の砂船は、派手な音を立てて射手座の砂船と衝突した。衝突した二つの砂船に強烈な衝撃が奔り、それが一瞬ではあるものの射手座の動きを止める。
その瞬間を狙って、ノルチェは手にしていた槍を突き出した。空を切り裂いて伸びた槍の穂先は、射手座のメンバーの内の一人の右胸を貫く。
「よし、次…!」
槍を通じて伝わってきた確かな手応えを噛みしめつつ、ノルチェは槍を引き抜こうとした。だが彼女が槍を引いた直後、四本の腕が伸びてきたかと思うとノルチェの槍をがっちりと掴んだ。
「あんた…!」
ノルチェの視線と、槍を突き刺され喀血しながらも不敵な笑みを浮かべる射手座のメンバーの視線が交錯する。ノルチェは何とか槍を引き抜こうと力を込めるが、槍はまるで射手座のメンバーの身体とくっついてしまったかのように、ビクともしなかった。
「チッ、何やって…!」
中々第二撃に入らないノルチェに業を煮やしたヴィショップは砂船の後方に移動し、射手座のメンバーに向けた魔力弾を撃ち込もうと魔弓を構える。
その時、ヴィショップは初めて射手座のメンバーの姿をはっきりと見ることが出来た。彼等はノルチェやクァルクのように、動物の耳を持ってはいなかった。ある一部分を除けば、その姿は殆どヴィショップ達普通の人間と変わらなかった。
そう、常人の二倍の量がある腕を除けば。
「それが、あの弓の連射の秘訣か…!」
二対四本の腕を持つ男達の姿を見て、ヴィショップは呟く。
彼等は肩から伸びる右腕と左腕に弓を持ち、脇の下辺りから生える右腕と左腕に矢を持っていた。彼等の想像を超える姿に、ヴィショップの動きは一瞬固まった。『ミッレ・ミライア』に来てから様々な亜人を見る機会があったが、その大半は人間と何らかの動物を掛け合わせたような姿であり、往々にして人間の方の比率が高かった。他にも不死に近い人外の生物と戦う機会にも恵まれたが、あれは早々に人としての原形を捨ててしまっていた。
故に、純粋な人の姿のまま、身体の一部分だけが余分にある存在を見るのは、彼にとってこの時が初めてだった。
「うおおおおおおおおっ!」
ヴィショップの意識の中に生まれた一瞬の空白。それを打ち消したのは、射手座のメンバーが上げた雄々しい咆哮だった。
手綱を握る男とノルチェに槍で貫かれている男を除いた、残り三人のメンバーが六つの視線と鏃をヴィショップに向ける。
「レズノフッ!」
ヴィショップの叫びと同時に、彼の手に握られた二挺の魔弓が咆哮を上げる。二挺の魔弓が上げた四度の方向は、重なり合って低く重い一つの咆哮となった。吐き出された四発の魔力弾は、射手座のメンバーが射った六本の矢の内四本を撃ち抜いた。
だが、ヴィショップの力量を以ってしても四本が限界だった。残る二本の矢を撃ち落とすことは彼には叶わなかった。
そう、ヴィショップには。
「シャアアアッ!」
ヴィショップ目掛けて迫る二本の矢の前に一人の男が躍り出てきたかと思うと、手にした長剣を振い二歩の矢を空中で切り伏せた。
長剣の一撃を受けた矢は砕け散り、その矢を放った射手座のメンバー達の目は突如として眼前に現れた巨漢に目を見開く。そしてヴィショップは自身の命を救った男の背中を眺めながら、一言呟いた。
「これでさっきの貸しは帳消しにしといてやる」
「素直に礼の一つぐらい言ねぇのかよォ、ジイサン」
顔の半分を背後に向けて、レズノフが笑いながら言葉を返す。ヴィショップは黙って笑い返すと、レズノフの影から出てきて、射手座のメンバーに向けて魔弓を突き付けた。
「楽しませてやったんだ、それで我慢しとけ」
そう呟いて、ヴィショップは魔弓の引き金にかけた指に力を込める。彼の脳裏には数瞬の後に産み落とされるであろう光景が、くっきりと映し出されていた。
射手座のメンバー達との間にある距離は数メートルとなく、障害物も無い。彼等が居るのは逃げ場のない砂船の上で、弓を再装填しているだけの時間は魔弓を操るヴィショップの前では存在しない。彼等に死が訪れることは、最早確定されているようにすら思えた。
しかしその未来は、ヴィショップの耳朶を打ったある音によって打ち砕かれることとなった。
「アオオオオオオン!」
乾いた大気を震わせて谷に響き渡った狼のものに良く似た遠吠え。その遠吠えと同時に身を貫いた濃厚な殺意が、ヴィショップの意識を反射的に射手座のメンバー達から逸らさせた。
弾かれたようにヴィショップは自分の右手にある岸壁を見上げ、そちらに右手に持った魔弓を向ける。彼が振り向いた先で視界に飛び込んできたのは、大口を開き鋭い牙を剥き出しにして自分目掛けて落ちてくる、褐色の毛皮に覆われた四足の生物だった。
それを目の当たりにした瞬間、ヴィショップは躊躇なく引き金を引いた。深紅の魔力弾は、彼に向かって飛びかかってきた生物の大きく開かれた口の中へと吸い込まれ、喉と脊髄を蹂躙して鮮血を撒き散らしながらその生物の背中から抜けた。
一瞬にして絶命した生物はバランスを崩して、軌道がヴィショップから逸れる。その生物は砂船の左側面に組み立てた壁に大きな音と共に叩き付けられると、そのまま落下して砂漠の中に消えた。
一瞬の判断からの正確な狙撃。しかしヴィショップには優越感に浸る暇も、命を拾ったことに対する安堵を覚える余裕も無かった。彼はすぐさま視線を射手座の砂船がある方へと戻す。
「チッ…!」
しかしそこに既に射手座の砂船の姿はなかった。彼等の乗る砂船は後方に下がって距離を取っていた。ヴィショップは魔弓を後方の彼等に向けて狙いを定めようとしたが、空で煌めいたいくつもの銀閃がそれをさせてはくれなかった。
射手座が牽制の為にはなった矢が、放物線を描いてヴィショップ達の砂船へと迫る。ヴィショップは両手の魔弓を空へと向け、立てつづけに引き金を引いて飛来してきた矢を撃ち落としていった。
「おい、そっちばかりにかまけんなっ! 崖見ろ、崖!」
二挺の魔弓の上げる轟音に混じって焦りを滲ませたクァルクの声が飛んでくる。ヴィショップは横目で砂船の左側にある岩壁を見た。
そこには、岩壁の僅かな足場を駆け抜け、飛び移りながら砂船に追走している四足歩行の生物達の姿があった。先程ヴィショップが撃ち落としたのと同じ褐色の毛皮に覆われたその生物は、一見すると狼に似ていた。しかし鼻先は狼のようにとがってはおらず、寧ろ丸みを帯びている。そして口とそこから覗く唾液で濡れた牙と真っ赤な舌は見ることが出来ても、目や耳といった器官は見当たらなかった。
「な、何ですかアレ…?」
ヴィショップの心境を代弁するかのように、ミヒャエルが震えた声で訊ねる。クァルクは砂船を崖から遠ざけながら、その質問に答えた。
「ショロトルだ! ここいらに生息している魔獣で、群れで獲物を狩る習性がある!」
「そりゃあ、こんなもん見せられて単独で獲物を狩ります、なんて言われても信じられねぇけどな。…こいつ等が、さっきお前が言ってた臭いの正体って奴か」
右側の岩壁を駆けるショロトルの群れから視線を外して、ヴィショップは逆側の岩壁を見る。そこにも同じような生物が、群れを成して岩壁を駆け抜けていた。
「挟まれたみてぇだなァ」
「らしいな」
レズノフの言葉に返事をして、ヴィショップはノルチェ達紅猫の姿を探す。彼女達の砂船はヴィショップ達の砂船の斜め後方を走っており、見た限りでは欠けているメンバーもいなさそうだった。
「聞こえるか?」
『……あぁ。そっちも無事みたいだね』
耳に付けている神導具を使ってノルチェに連絡を取る。彼女からの返答は数秒の後に返って来た。
「こっちは殺りそこねた。そっちはどうだ?」
『こっちは一人だけだね。残るは手綱を握っている奴含めて四人…チッ、犬コロどもめ、じゃれつきたいんなら余所をあたりな!』
ノルチェの声に唐突に獣の唸り声が混じり、彼女の口調が荒々しいものへと変化する。ヴィショップの視線の向こうでは右側の岸壁を掛けていたショロトルの内の数頭が、紅猫の砂船に向かって飛びかかっていた。それに加わらなかった残りのショロトルの群れは、そのまま砂船を追い越して前方に向かって駆けて行った。
「前の連中を狙いに行ったか。たく、目も碌に見当たらねぇのにどうやって見つけてやがるんだか」
「んな呑気なこと言ってる暇無いですよ! 僕達だって狙われてるんですから!」
右側の岸壁を見ながら呟いたヴィショップに、ミヒャエルの悲鳴のような叫びが飛んでくる。
しかし左の岸壁を走るシュロトル達はミヒャエルの懸念とは裏腹に、ヴィショップ達に飛び込んでくるような真似はしなかった。
「まぁ、こっちにはこの盾が有る。よっぽどタイミングが良くなきゃ、こいつにぶち当たって落ちるだけだからな」
「でも、いつまでも持つとも限らないんじゃないんですか?」
砂船の左側に設けた木の板を叩きつつヴィショップは答える。ミヒャエルは僅かに安堵した様子で木の板を見つつも、すぐに不安そうな声音でヴィショップに問いかけた。
「そりゃあそうだろ。だが今一番不味いのは、そこの犬どもじゃないな」
そう言うと、ヴィショップは一瞬だけレズノフに視線を向けた。その一瞬の間に二人の視線と思考が交錯する。同じく裏の世界を生き抜き死の舞踏を踊り続けてきたという経験は、二人に阿吽の呼吸を可能にさせた。
レズノフと視線を合わせると、ヴィショップは砂船の船尾に立って右手の魔弓を構える。彼の視線と魔弓の射出口が向いているのは、紅猫の砂船の少し後方に広がる何も無い空間だった。
だがヴィショップはその空間に向かって、数拍の間を置いた後に魔力弾を撃ち込んだ。
轟音が響き渡る。撃ち出された魔力弾は何も無い空間へと突き進み、そしてその軌道上に不意に飛び込んできた存在を噛み砕いた。
それと同時に、ヴィショップの真横で唸り声の様な音が上がる。しかしそれは実際には唸り声などではなく、レズノフの振るった長剣が空を切り裂く音であった。ただし、彼の振り下ろした長剣が切り裂いたのは空だけではなかった。それとは別のはっきりとした実態を持った存在、ヴィショップが同じタイミングで魔力弾を撃ち込んだのと同じ存在を、レズノフの振るった長剣も捉えていた。
「後ろでこそこそ漁夫の利を狙ってる、根暗なロビン・フッド共だ」
そう発したヴィショップの視線は、今しがた撃ち落とした存在の主たちの方に向けられていた。紅猫の砂船より更に後方、今はこのレースの最下位に甘んじている射手座の面々が駆る砂船へと。
「犬共に射手かァ。これじゃまるで狩場だなァ」
「問題は、どちらが狩る側でどちらが狩られる側なのか、だろ?」
「違ぇねェ」
長剣を肩に担いだレズノフを横目で捉えて、ヴィショップが軽口を叩く。レズノフはそれに対し、笑みを浮かべて頷いて見せた。
「という訳だ。お前等はどっちがお好みだ?」
ピアス型の通信用神導具に触れて、ヴィショップは問いかける。その質問に対する答えは、すぐに返ってきた。
『狩りはやる側に限る、違うかい?』
「…決まりだな」
期待を裏切らない予想通りの返答。ヴィショップは満足気に、口角を吊り上げた。




