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Bad Guys  作者: ブッチ
Death Race XXXX
131/146

Craws Arms

 背後から掛けられた彼の声に対してのヴィショップの反応は、凡そヴィショップの行うことが出来る最速の動きだった。事実、彼のクイックドロウは店主や客といった周囲の意識を容易く置いてけぼりにしていた。

 にも関わらず、ヴィショップの視線の先に立つ男は、まるで写し鏡のようにヴィショップに魔弓を突き付けて立っていた。顔に焦りの影など一片たりとも見えない、不敵な笑みを浮かべながら。

 背後の存在に対して振り向くという余計な動作が入っているにせよ、自らの行える最速の動きに反応されたという事実はヴィショップに確かな動揺を与えていた。一世紀近い歳月を生き抜くことで築き上げた精神力は、それを分かりやすく表に出すような真似などはしなかったが、それでもヴィショップの心に現れた動揺は彼の指先の動きをほんの一瞬だけ鈍らせていた。

 だが、勝負の世界には一瞬の遅れが何もかもを変えてしまう場合が確かに存在した。そして今この瞬間こそがまさしくその場合であり、一コンマの好機を掴み損ねたヴィショップの指先はまるで石像にでもなったかのように固まって、僅かに引き金を動かすことすら出来なくなってしまっていた。


「ハハッ、凄ェ早撃ちだな。本当に末恐ろしいジジイだぜ、あんたはよぉ」


 白い装束に漆黒の魔弓を構えた、ヴィショップとは正反対の色調のカタギリが、不敵な笑みを崩さずにヴィショップに語りかける。

 彼の言葉が合図となって、ヴィショップとカタギリに置いていかれていた周囲の人間の意識が戻ってくる。椅子を引く音や皿を落とす音が周囲から上がり、店主や客が未だ失った言葉を取り戻せないまま二人から距離を取ろうと動く。そしてその中で唯一、カタギリが連れていた三人のフードを目深に被った外套の人物だけが、カタギリをヴィショップから守るかのように彼に一歩寄り添った。


「そういうお前は、相変わらずのペドフェリアぶりだな。またそんな連中を連れ回してよ。何だ? 普通の女じゃ勃たないのか? あぁ?」


 カタギリと彼に寄り添った三人の人物を注意深く見据えつつ、ヴィショップはカタギリを挑発する。一方で彼の口から出た品の無い単語とは対照的に、ヴィショップの左手は一秒に二センチ進むか否かという慎重な動作で、左のホルスターに収まっているもう一挺の魔弓へと動いていた。


「別に、そんなんじゃねぇよ。ただ、どっかの年甲斐も無く暴れまわるのがお好きなジジイに、前の手駒を成長し切る前に使い物になれなくされてな。それで止む無く、新しいのを拾ってきたって訳だ」


 ヴィショップの挑発に乗ることもなく、カタギリはおどけた態度で肩を竦めて見せる。だが、彼がヴィショップに突き付けている魔弓の射出口だけは、まるでそこだけ時間が停まっているかのようにぴくりと動かなかった。


「そうかい。それで? お前は確かに殺してやったと思うんだが、どういう経緯でここに立ってるんだ? 最後の審判でもペドフェリアは審査対象外だって言われて、神様に追い出されてきたのか?」

「微妙に違うな。こっちで言うところの閻魔様に地獄を追い出されてきたのは合ってるが、理由は俺が有能な人間だからだ。何でも、死なすには惜しいからもっと世の中の為に働いてきなさい、って言われちまってよ」


 『リーザ・トランシバ』でのマジシャンとの会話で、カタギリが蘇ったのはマジシャンの手によるものだということは判明している。その為それ以上のことを訊き出そうとヴィショップはしてみたものの、案の定カタギリは軽口紛れに追及を躱してしまうと、ヴィショップに二の句を吐かせる前に話しの矛先を別に逸らしにかかった。


「んで、俺がここに立ってるのは新入りからあんた等の話を聞いてな。そういや挨拶もしてなかったと思って、遅ればせながら旧交を温めようとでも思ったのよ」

「新入りだと…? あの金髪のガバメント使いか?」


 それがカタギリが会話の主導権を握る為に吊るした餌だと分かっていても、ヴィショップはそれに食いつくしかなかった。ヴィショップから質問を投げかけられると、カタギリは楽しそうに口角を更に吊り上げた。


「素直でいいぜ、ジジイ。生前よりまともになったんじゃねぇか?」

「そういうてめぇはお頭が悪くなったな。態度の悪いチンピラだったのが、底意地の悪いガキみてぇになってるぜ?」

「そういうなよ。久しぶりにあんたと会えて嬉しくてな、些か初心に戻っちまってるのはあるかもしれねぇ。まぁ、多目にみてくれや」


 カタギリの発した“嬉しい”という単語に、ヴィショップは訝しげに眉をひそめる。カタギリはそのヴィショップの表情の変化を目聡く見抜くと、魔弓を持っていない方の手を広げて、高らかに宣言するような口調で話し始めた。


「俺はよぉ、あんたのことを結構尊敬してんだぜ? ヴィショップ・ラングレンさんよぉ」

「尊敬、だと? 冗談なら墓の下で言いな。それも、格別つまらないネタなら特にな」

「冗談なんかじゃねぇさ。悪人の癖によぉ、言い訳染みた倫理観の範疇内で、仲良く楽しく人殺しやら金稼ぎやらを楽しんでる甘ちゃん連中と違って、あんたのやり口には容赦ってもんがなかった。必要とりゃあ、妊婦の腹から胎児を引き摺り出した上で、そいつの頭蓋を平気な顔して踏み砕く様なあんたの姿に、俺は一種のシンパシーを感じてんだよ」


 歓喜と狂喜が混ざり合った異様な笑みを浮かべ、左腕を力強く振るって語るカタギリの姿は、まるで演説者のようだった。そんな彼の立ち振る舞いには確かな魅力があり、それは徐々に周囲の人間の目をカタギリに釘付けにしつつあった。ただヴィショップだけは冷ややかな眼差しを、熱弁を振るうカタギリと依然としてヴィショップに狙いを定めたまま微動だにしない漆黒の魔弓に注いでいた。


「上海であんたとやりあって、俺は感じたね。あんたは、つまんねぇ感傷に左右される半端者なんかとは違う、俺と同じ、ぬるま湯に浸かった世界を焼き尽くせる、“本物の男”だってな」

「…口が回る上に、随分と面の皮の厚いガキだな、てめぇは。で? 結局何が言いたいんだ? 俺に仲間に加われとでも言いに来たのか?」


 吐き捨てる様な口調でヴィショップがそう告げる。するとカタギリは小さな笑い声を漏らして、首をゆっくりと左右に動かした。


「違うね、その逆さ」

「逆だと?」

「あぁ。勘違いした愚鈍な偽物共の頂点に立つ“本物の男”は、二人も要らない。“本物の男”は一人で充分なんだよ」


 大口を開き犬歯を剥き出しにして、カタギリは高らかに宣言する。表情には興奮の色が明確に出ており、瞳には狂喜と若さが育んだ活力が脈打つように光っていた。


「ハッ、ガキらしい青臭くて鼻が曲がりそうな闘争心だな。これで口だけじゃなく手の方も動いてたら、拍手の一つでもしてやるんだが」


 視線をカタギリの持つ漆黒の魔弓に移して、ヴィショップはそう発した。

 状況を鑑みれば、この場で分があるのは致命的なミスを犯してしまったヴィショップではなく、数で勝るカタギリの方だった。もしもこのまま撃ち合えば、ヴィショップの勝つ確率など二割も無いだろう。にも関わらず、カタギリは引き金を弾く素振りを見せずにいた。わざわざ、名指しで殺すとまで派手に述べているにも関わらずである。

 それが、ヴィショップは気に要らなかった。三下が余裕ぶる様を見せつけられるならともかく、一流の相手の余裕程見ていて苦痛なものはない。何故ならそういう場合は大抵、予想よりも遥かに悪いことが起こるからだ。ヴィショップはそれを今までの人生で、嫌と言う程体験していた。


「ハハッ、言っただろジジイ。今日は挨拶に来ただけだって。今日、俺はあんたと殺し合う気はねぇよ」


 ヴィショップの心中が見えているかのように、態度を馴れ馴れしいものに変えてカタギリは語りかける。ヴィショップは返事を返そうとはせずに、沈黙を貫いたままカタギリに魔弓を突き付け続ける。


「取り敢えず、今日はあんたに二つ程プレゼントがあってな。一つは、情報だ。あんた等がレースでやり合ったメリケンに関してなんだが……まぁ、もう分かってると思うがあれはうちの新入りだ。つい最近、身内が呼び寄せた。名前は、ハンフリー・ヘイルマン。何でも、生きてた頃は陸軍に入ってたらしいぜ? 知ってるか?」


 カタギリの発した名前を頭の中で反芻しつつ、ヴィショップは記憶を漁る。しかし確かにその名前を聞いたか見たかした覚えはあるものの、それがいつのどこか、そしてどういった経緯でその名前を知ることになったかまでは、記憶の中から拾い上げることは出来なかった。


「その様子だと、微妙そうだな。まぁいいさ、あんたにはもう一つプレゼントが用意してあるんだ。遠慮せずに、受け取ってくれや」


 数秒程ヴィショップに考える時間をやってから、返事を返そうとしない彼の姿を見て、カタギリはどうでも良さそうに言葉を発する。それから薄ら笑いを浮かべると、カタギリは芝居がかった動作で手に持っている漆黒の魔弓を懐に戻そうとした。

 その刹那、酒場の空気を轟音が揺るがした。カタギリの持つ魔弓が彼のコートの懐に姿を消すのを待つどころか、向けられた射出口がヴィショップの眉間から少しずれた時点で、ヴィショップは魔弓の引き金を引いていた。射出口から深紅の魔力弾は、宙に紅い影を残しながらカタギリの心臓目掛けて突き進む。

 だが、ヴィショップが放った魔力弾はカタギリに届く前に、彼の足元から唐突に姿を現した灰色の壁によって防がれた。


「……何?」


 薄々防がれることは予見していた為、殺し損ねたことでヴィショップが平静を崩すことはなかった。だが、カタギリを魔力弾から庇った灰色の壁の正体に気付くと、ヴィショップの表情は微かに歪んだ。

 ヴィショップが一瞬灰色の壁だと思ったものは、巨大な鋏だった。一見するとそれはロブスターがぶら下げている鋏に良く似ていたが、大きさがあまりにも違い過ぎた。カタギリを魔力弾から防いだその鋏は、明らかに成人男性の上半身を超える長さがあり、加えて魔力弾の直撃を受けたにも関わらず、表面に僅かな傷がついた程度で済んでいた。

 そして何より、その鋏はカタギリとヴィショップの間に割って入った、フードの付いた外套を着込んだ子供の左腕から生えていたのだ。

 その姿を見てヴィショップの脳裏に、一対の角を生やした青肌の女性の姿が浮かび上がる。そしてそれを創り出したと語った、鳥の仮面を被った深紅のローブ姿の人物も。


「カタギリ、てめぇまさか…」


 ヴィショップがカタギリの名を呼ぶと、二人の間に割って入った子供が、ゆっくりと巨大な鋏の生えた手を降ろす。すると、鋏に遮られていたカタギリの顔が再びヴィショップの視界に現れた。現れたカタギリは楽しそうな笑みを浮かべながら左手を伸ばし、鋏を生やした子供のフードに手をかける。


「本当にこの世界の技術は素晴らしいぜ、ジジイ。出来の悪い特撮の怪人みてぇな奴を、本当に作り出せちまうんだからな。ただまぁ、もうちっとばかし改良の余地有りって感じだがよ」


 目深に被っていたフードがカタギリの手によって降ろされた瞬間、今まで口を閉ざして二人のやり取りを眺めていた客達の口から、けたたましい悲鳴が上がる。悲鳴が酒場を満たすのに、数秒とかからなかった。客達は悲鳴を上げながら、カタギリと彼の連れている子供達のいる入り口以外の出口を求めて、我先にと駆け出していく。

 一瞬にして嵐のど真ん中に放り出されたかのような喧騒が店内を包むも、ヴィショップはそちらには一片の意識も割かずにカタギリの手で露わになった、鋏を生やした子供の顔を見つめていた。歳はまだ六歳か七歳といったところで、男とも女ともはっきりと判別の出来ない顔には、栄養不足を主張する吹き出物がいくつも出来ていた。無造作に伸ばされた黒髪は顔にまでかかり、その隙間から虚ろな緑色の瞳が光を反射して弱々しく光っていた。

 だが、そのような有り様なのは顔の右半分だけだった。子供の顔の左側は最早そのような次元の範疇にすら収まってはいなかった。そもそもからして、肌色の部分すら存在していなかった。子供の顔の左側は左腕から生えている鋏と同じ、灰色の甲殻のようなもので後頭部までびっしりと覆われていた。甲殻は口元にまで至っており、唇があった筈の場所では空気を求めて定期的に甲殻の一部が開閉している。特徴的な緑色は左目は眼窩から飛び出し、眼球の後方から生えている白い筋のようなものによって支えられて、斜め上に突き出している。どうやら神経は繋がっているらしく、ぎょろぎょろと動いては周囲を逃げ惑う客達の姿を追っていた。

 性質の悪い悪夢染みたその姿を見ながら、ヴィショップはカタギリの発した言葉の意味を悟っていた。

 どのような経緯と目的でそうなったのかはヴィショップには分からない。だがそれでも、『リーザ・トランシバ』で戦った化け物ですら持ち得ていた人間性すら残っていない目の前の存在は、失敗作以外の何物でもなかった。


「…ヤハドが居なくてラッキーだったかもな」


 この異形の存在を目にした時のヤハドの反応を考えて、ヴィショップは当人がこの場に居ないことに僅かな安堵を覚える。

 カタギリは、その際にヴィショップの顔に浮かんだ微笑を見ると、満足そうな表情を浮かべて店の出口の方へ振り向いた。


「まぁ、こんなザマではあるけどよ、一応あんたの為の特注品でもあるんだ。精々楽しんでくれや。その得物を持ってるあんたなら、負けるこたぁねぇだろ?」


 カタギリはそう言い放つと、他の二人の子供を連れて店から出て行こうとする。だが、わざわざ背を向けて悠々と立ち去ろうとしている人間をそのまま帰してやる程、ヴィショップはお人よしではなかった。異形の怪物と化した子供に向けて射た魔弓の射出口を横に動かし、その背後で背中を無防備に晒すカタギリに狙いを付けて引き金を弾く。

 ヴィショップが引き金を弾いた瞬間、眼下から飛び出している左目が素早く動いたかと思うと、子供が左腕を振り上げる。凡人では目で追うことも出来ない速度で振るわれた巨大な鋏は、的確にヴィショップの撃ち出した魔力弾とカタギリの背中との間に差し込まれ、強固な甲殻が先程と同じように魔力弾を受け止めた。

 魔力弾を鋏で受け止めた瞬間、子供の左目がぎょろりと動いて、去って行くカタギリの背中へと向いた。

 この時、感情が残っているのかどうかすら定かではないこの子供が、何を想ってカタギリの背中を追ったのかは誰にも分からない。自身をこのような姿にした恨みか、それともこんな様にされてなお息づいている狂信による行動か。だがどちらにしろ確実なのは、この瞬間に子供が何らかの感情を抱いていたとしてもそれは長続きはしなかったということだ。

 何故ならそれから一秒と経たずして、子供の身体に三発の魔力弾が撃ち込まれ、自身の身体に匹敵する程の大きさの鋏をぶら下げた不格好な肉体は、濃い緑色の体液を床にぶちまけながら宙を舞う羽目になったのだから。


「…ぁ……ぁ」


 明らかに幼子のものとは思えない音を立てて背中から床に倒れ込んだ子供は、かつて口があった部分の甲殻を開閉させて、微かに声のようなものを出す。

 だがヴィショップは、床に仰向けに倒れる子供の姿など一瞥もしていなかった。彼の視線はその後方へと向けられており、そしてそこに探し求める人物の姿が無いことを確認して、表情を苛立たしげに歪めていた。


「逃げやがったか。相変わらず、逃げ足の速い野郎だ」


 シリンダーを開き、残しておいた一発の残弾を親指の腹で押さえながら残りの五発の使用済みの魔弾を床に落とす。シリンダーから滑り落ちた五発の使用済みの魔弾が床に落ちて音を立てると、ヴィショップは左手でガンベルトに差し込んである魔弾を抜き取り、一発づつ装填していく。その装填作業の中で、ようやくヴィショップは自分が魔力弾を撃ち込んだ子供に視線を向けた。


「成る程、お前も死ににくい身体にしてもらってる訳か。まるでゾンビだな」


 魔力弾を受けているにも関わらず何事も無かったかのように立ち上がろうとする子供の姿を、冷淡な眼差しで眺めながらヴィショップが呟く。

 身体をふら付かせながら子供は背中を丸めて立ち上がった。その瞬間、肉が裂ける様な音が鳴ったかと思うと、丸まった背中から外套を突き破って四本の鞭のような触手が姿を現す。


「…趣味の悪い絵面だ」


 冷淡に呟くヴィショップを他所に、直接子供の背中から生えている触手は気でも違ったかのように激しくその身をくねらせ、肌を突き破る際に付着した体液を周囲に振りまく。だが四本の触手は突然に一斉に動きを止めた。そしてゆっくりと先端部をヴィショップへと向けると、高い唸りを上げヴィショップへと一直線に伸びていった。

 しかし四本の触手はヴィショップと子供との間に開いた距離の半分も動かずに、空中で破裂した。

 何が起きたのか理解出来ないのか、子供はその場に立ち尽くしたまま感情の無い瞳をヴィショップへと向けていた。子供の瞳には右手に持っている魔弓とは別に、左手にもう一挺同じような意匠の白銀の魔弓を構えるヴィショップの姿が映っていた。

 果たして、今しがた起こった出来事をこの知性の欠片も感じさせない子供が理解出来ているかは、怪しいものだった。太さにして三センチあるかないかといった程度の高速で動く四つの的を、一瞬にして両手に持った二挺の魔弓で悉く打ち落とす。それも二挺の内の片方は触手が動き出す直前までホルスターに収まっており、それを刹那に抜いて狙いまで定めて見せる。そんなふざけた芸当は、例えまともな知性を持つ人間であったとしても即座に理解することは出来ないのだから。

 だが理解しているにしろしていないにしろ、迎撃に対しての子供の反応はそこいらの有象無象よりは遥かに俊敏だった。床の染みと化した触手を通じて、機能の大半を行えなくありつつある脳に奔った痛みという刺激により自身の不利を悟った子供は、素早く左手の巨大な鋏で自分の心臓と頭を庇う。それは知性とは全く別の、生物としての生存本能に従っての行動だった。

 だが直後に、それが間違いだったことが証明される。一度にしか聞こえない魔弓の発射音の後に子供襲ったのは、両膝の激痛だった。それが魔力弾によって両膝を撃ち抜かれたものだと理解する間もなく、二本の最も重要な支柱を失った子供の身体は崩れ落ちてうつ伏せに倒れる。

 ヴィショップはうつ伏せに倒れた子供の頭を一瞥すると、左の魔弓の魔力弁を起こして立ち上がろうともがく子供の頭に狙いを定めた。そして子供が右手と左手の鋏を支えに上体を起こした瞬間、躊躇うことなく引き金を弾いた。

 撃ち出された強化魔力弾が、子供の頭のみならず臍から上を食い千切る。残ったのは着弾の衝撃で店の外まで吹き飛んだ臍から下を除けば、左手の巨大な鋏と右手のみだった。

 普通ならば、これで終わりの筈だった。だがヴィショップは既に、この世の摂理から逸脱した存在を見てしまっている。それ故に彼は店の外まで吹き飛んだ子供の下半身を見たまま、その場から動かず両手の魔弓も降ろそうとはしなかった。


(もしこれで生き返るようなら、アレを殺せるのは…)


 一直線の血と臓物の軌跡を残し、太陽の日差しに焼かれたまま動く気配を見せない子供の下半身を見たまま、ヴィショップは脳裏にかつて不死の化け物を葬った際に用いた純白の魔力弾の姿を思い起こす。その正体も、どうやれば使えるのかも未だに定かではない。だがこのザマになってなお立ち上がるというのならば、それ以外に目の前の化け物を倒せる方法が思いつかないのも事実だった。

 そして彼の予想通りに、子供の下半身が動きを見せたのは純白の魔力弾の姿を脳裏に蘇らせた、直後のことだった。

 最初は微かに剥き出しになった親指が動く程度だった。しかしそれはどんどんと激しさを増し、終いには残った下半身全体が激しく痙攣しだす。その動きが大きくなるにつれて、肉同士のぶつかり合う湿りを帯びた気味の悪い音がヴィショップの耳朶を打ち始めた。


「チッ、まったく大したプレゼントだよ…」


 立ち上がった子供の姿を見て、ヴィショップは悪態を漏らす。外套が消え失せ露わになった子供の上半身には傷一つついていない。それどころか、腹や背中からは灰色の甲殻に覆われた昆虫の脚の様なものが生え、先程までは左手だけだった灰色の鋏は右手にも生えている。それに合わせて上半身の大きさは肥大化し、優に下半身の二倍以上の大きさとなっていた。子供の顔は胸元の肉に呑み込まれて、顔の皮膚らしきものがあるだけになっている。両肩からは白い節のようなものに支えられた、一対の人の頭程の大きさの緑眼が突き出しており、元々の子供の顔が胸の一部と化したこともあって、まるで双頭の巨人を思わせる姿になっていた。

 未だ原形を留めている子供の下半身では、当然原形からかけ離れて再生された肉体を支えることは出来ず、腹や背中から突き出ている四本の脚が代わりに子供の身体を支えていた。それに伴って存在意義を失くした子供の下半身は、余った皮の様に宙にぶら下がり子供が身体を揺さぶるのに合わせて左右に揺れている。


「上等だぜ。こうなったら、骨の髄までてめぇのプレゼントとやらをしゃぶり尽くしてやろうじゃねぇか」


 だが、最早完全に人の域を逸して醜悪な化け物と化した“子供だったもの”に対して、ヴィショップはその異形を畏れることも、その醜さを憐れむこともしなかった。彼はその手に持った二挺の魔弓を“子供だったもの”へと突き付けた。


「楽に死ねると思うなよ、クソガキ。俺が満足する結果が得られるまで、てめぇには死に続けてもらうぜ」


 ヴィショップのその言葉にも、“子供だったもの”は何も答えない。ただ、まるで何かに突き動かされたかのように右腕の鋏を素早く振り上げ、そしてヴィショップ目掛けて振り下ろした。

 その一撃は、剛力と堅牢と不死を誇る怪物がたった一人の人間に対して行うには、余りにも余裕の無い一撃だった。まるで、追いつめられた獲物の繰り出す最後の足掻きの様に。

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