Bug ・ Killer
ヴィショップとウォーマッド兄弟、それぞれの虐殺がそれぞれの場所で行われている一方で、レズノフとアンジェ達の選んだ右側のルートでも夥しい量の血が流されていた。
「しゅおおおおおっ!」
「ヒャハハハハッ!死ね死ね死ねェッ!」
ただし、流されている血はその全てがバウンモルコスの幼体のものだったが。
「ハアッ!」
威勢の良い掛け声と共に繰り出された飾り気の無いサーベルの一撃が、アンジェの眼前のバウンモルコスの幼体の頭部の鼻から上を切り飛ばす。
「しゅおおおおっ!」
「甘い!」
そして、頭を二分されたバウンモルコスの幼体が、その頭部からちっぽけな脳髄を零しながら倒れていくのを見届けずに、しゃがみつつ身体を反転させて、背後に忍び寄ったバウンモルコスの幼体の一撃を躱し、同時に白い肌に覆われた腹を真一文字に切り裂く。
「皆、まだ生きてるか!?」
砂でも斬りつけたかのような味気無い感触を感じつつ、飛び上がるようにして身体を起こすと共に、バウンモルコスの幼体の身体を更に縦に斬りつけて止めを刺す。
アンジェは周りのバウンモルコスの幼体を全滅させたことを確認すると、サーベルを軽く振るって刀身に付着した血糊を飛ばし、仰向けに倒れるバウンモルコスの幼体にチラリと視線を移しつつ、少し離れた所で戦闘を行っている他の仲間の安否を確かめるべく、声を張り上げた。
「現時点では負傷無し」
「分かった。今、そっちに加勢する」
アンジェの問いに対し、神導魔導を駆使してサポートに回っているカフスを守りつつ、両手に握る左右非対称の独特のうねりを持った片手剣、クリスソードを振るって、近づいてくるバウンモルコスの幼体の喉笛を正確に切り裂いているビルが、彼特有の抑揚の無い声で返事を返す。アンジェはその返事を聞いて、小さく安堵の溜め息を吐くと、二人の手助けをするべく、邪魔をするバウンモルコスの幼体の喉笛や横っ腹を的確に切り裂いて道を切り開きながら、ビルとカフスの方に向かって移動する。
(それにしても、あの三人…何者だ?)
その過程で、アンジェ達三人とは離れたところで戦闘を行っているレズノフ達の姿を捉え、思わず口の端が引き吊るのを止められなかった。
「ハッハァーッ!」
「ひぃっ!こっちに血がっ!汚ねっ!」
アンジェの視線の先では、やたらテンションの高いレズノフの雄叫びと共に振り抜かれた大剣が一気に三体のバウンモルコスの幼体の上半身を斬り飛ばし、その返り血を浴びた、レズノフの後ろに避難中のミヒャエルが悲鳴を上げている光景だった。更に、剣を振り切った隙を狙ったかは定かではないものの、レズノフが大剣を振り抜いた瞬間を狙って跳びかかってきたバウンモルコスの幼体を、大剣をそのまま手放して、自らも飛び上がってのハイキックで撃墜。手放されてすっ飛んで行った大剣が、派手な音を立てて地面に落ちるのと同タイミングで着地する、レズノフ。そこを狙ってさらに押し寄せてきた二体のバウンモルコスの幼体の内、一体を手甲を填めた左手の裏拳で殴り飛ばし、もう一体の頭には右手で、腰のベルトに吊していた手斧を頭に叩き込んで黙らせる。
「しゅおおおおおっ!」
そんなことをしている間に、ハイキックをくらい、地面を転がりながら吹き飛んで行ったバウンモルコスの幼体が立ち上がり、レズノフに己の牙を突き立てようと真正面から突っ込んでくる。
「チキンレースか、面白れェ!」
「って、どこ行くんですかぁ!?」
だがレズノフはそれに対して全く怯まず、ハイキックを顎に受けて何本か抜けてしまった涎塗れの牙を剥き出しにしたバウンモルコスの幼体に向かって、右手の手斧で横槍を入れるバウンモルコスの幼体を斬り伏せながら、レズノフは突き進む。いきなり自分から離れ始めたことに驚いた、ミヒャエルの悲鳴を完璧に無視して。
「オラァッ!」
そしてバウンモルコスの幼体との距離が縮まった瞬間、地を蹴りつけて一気にバウンモルコスの幼体との距離を詰めると、左手の手刀を、レズノフに喰らい付かんと大きく開かれた口に叩き込む。まるで居合の一撃の如く、空気を切り裂く音を立てながら振り抜かれた手刀は、バウンモルコスの幼体の牙の殆どを圧し折ると同時に、バウンモルコスの幼体の頸椎をも圧し折る威力を発揮した。
「よっし!止め…って、もう死んでんじゃねぇか」
地面にひっくり返るようにして転倒したバウンモルコスの幼体が絶命しているのを、止めとばかりにその頭部に手斧を叩き込んでから気付いたレズノフは、つまらなさそうな声を上げる。と、その瞬間、
「しゅおおおおおっ!」
「へっ、そう来なくっちゃ、面白くねェ」
背後から甲高い雄叫びを上げながら、裏拳を受けたバウンモルコスの幼体が立ち直り、レズノフに襲いかかろうとする。
レズノフはその雄叫びを聞き取るや否や、機敏な動作で振り向いて雄叫びの上がった方に向き直ろうとしたが、その時には既に遅かった。
「しゅお…おお、お…」
か細い鳴き声を出しながらゆっくりと地面に崩れ落ちる、バウンモルコスの幼体。その喉は一本の矢で射ぬかれていた。
「おォい、俺の獲物だぜ?」
それをやったのが誰なのかをすぐさま理解したレズノフは、視線を横に動かしつつ、それを行った人間に対して文句を飛ばす。
「フン、盗られたくないのなら、名前でも書いておくべきだったのだ」
それに対して返ってきたのは、ヤハドの呆れ口調の一言。
レズノフ、そしてビリーとカフスと合流するべく移動するアンジェが、行く手を遮る新手の相手をしながら、ちらっと視線を向けた先には、曲刀をすぐ横の地面に突き刺し、近寄ってきたバウンモルコスの幼体を弓で殴り飛ばしているヤハドの姿があった。
「なぁ、おい。それって、そう使う武器じゃなかったと思うんだが?」
「そんなことは、お前に言われなくても分かっている!」
「そんなことより、僕を置いていかないでくださいよっ!」
近くのバウンモルコスの幼体の腕を手斧で斬り飛ばしつつ、その頭頂部を陥没させる程の威力の拳を振り下ろしながら、茶々を入れるレズノフに対し、ヤハドが、襲いかかってきたバウンモルコスの幼体を足払いで転倒させ、太腿に挿していたナイフを喉元に突き刺して止めを刺しつつ、罵声で返事を返す。なお、それに混じって上がっていた、ミヒャエルの悲鳴に対しての返事は上がることは無かったが。
『しゅおおおおおおおおおっ!』
「汚らわしい獣どもが、根絶やしにしてやる」
耳に障る雄叫びを上げながら近づいてくるバウンモルコスの幼体達に対して、ヤハドは悪態を吐くと、右手に持っていた弓を背中にしまい、左手に持っていたナイフを口に咥えると、地面に突き刺していた曲刀を引き抜いて、バウンモルコスの幼体に向かって突き進む。
『しゅおおおおおおっ!』
「ほひゃあッ!」
一斉に咆哮を上げながら、ヤハドに向かって突進する、六体程のバウンモルコスの幼体の群れ。それに対してヤハドが最初にとった行動は、手にしている曲刀を投げ付けることであった。
「しゅおっ!?」
ヤハドの手から離れた曲刀は回転しながら飛んでいき、先頭を走っていたバウンモルコスの幼体の胸に突き刺さる。断末魔の叫びを上げながら力尽きる、バウンモルコスの幼体。その死体が派手に倒れるのに巻き込まれて、近くに居た二体のバウンモルコスが転倒し、残った三体も転倒した仲間を避けようとして、一瞬だけ速度が落ちる。
「ほふぁった!」
ヤハドはその隙を見逃さなかった。ヤハドは一気に加速して残ったバウンモルコスの幼体に肉薄すると、背中の矢筒から矢を二本取り出し、手近のバウンモルコスの喉笛に突き立てる。そして次に、残った一体のバウンモルコスの幼体から伸びてきた二本の腕を掻い潜って、バウンモルコスの幼体の左側面に肉薄すると、口に咥えていたナイフを吐き出し、右手でキャッチ。更に左手で左胸のナイフを抜き、逆手に持ち替えると、右のナイフを喉に、左のナイフを脇腹に深々と突き刺す。
「フッ!」
ヤハドは短く息を吐き出すと、両腕に力を籠めて、バウンモルコスの幼体の喉と腹を一気に掻き切る。そして最後に、
『しょおおおおおおおお…っ!?』
ヤハドが三体のバウンモルコスの幼体を始末している間に起き上がった、胸から曲刀を生やした死体に躓いて転んでいた二体のバウンモルコスの幼体の顔面に、ナイフを投げ付けて絶命させた。
「どうやら、こっちはこれで打ち止めみたいだな」
眉間にナイフが突き刺さった二体のバウンモルコスの幼体は倒れるのを眺めながら、ヤハドは取り敢えず周りのバウンモルコスの幼体を全滅させたことを確認して、肩から力を抜くと、死体に突き刺さっているナイフと矢、そして曲刀を回収する。
(何て、無茶苦茶な戦い方だ…。自ら剣を手放して、人型とはいえ魔物相手に白兵戦を挑むなんて…)
その様子を、少し離れた所で戦いながらも確認していたアンジェが、心中で驚嘆の声を上げる。
彼女が驚いた点は、やはりと言うか、レズノフとヤハドの両者共に、さっさと剣を手放してナイフや手斧などを用いた肉弾戦を始めたところだった。
往々にして、武器を使う人間は握っている武器を手放すのに抵抗を感じる。そこには武器に対する愛着なども存在するが、突き詰めて言ってしまえば敵に近づくのを避ける為である。リーチとは古今東西、それこそレズノフ達が生きていた世界でも、今訪れている世界でも不変の、勝利を左右する重要なファクターである。リーチというアドバンテージを手放すことは、即死に直結しかねない行動であり、故に人は武器を手放すのに抵抗を感じるのだ。それに加え、今戦っている相手は魔物、意思を通わせることの出来ない異形の怪物であり、その事実はより一層、人から武器を手放し難くさせる。
であるにも関わらず、レズノフとヤハドは大した迷いも見せずに武器を手放した。それは、武器という存在の心強さを熟知しているアンジェにとって、衝撃的な出来事だった。ただ、理由はそれだけではなく、彼女の今までの“生き様”が育んだ、武器に…ひいては剣に対する価値観も左右していたのだが。
(あんな戦い方が出来るのは、武器に道具以上の価値観を抱かない人間のみ…。だが、その思考を徹底することは容易ではない。殆どの人間が、戦いの際に最も身近な存在となる武器に、多かれ少なかれ愛着を抱くようになってしまうのだから…)
実際には、剣という武器が完全に廃れている戦場で戦ってきた二人にとって、近接戦闘といえば素手かナイフ、長くて鉈か小銃を使用するもの、という認識があった為に、自ずとやり慣れた戦い方に変えただけなのだが、今という瞬間おいては、そんなことは大きな問題とは成り得なかった。何故なら、
「ッ!アンジェ!」
「…ハッ!?しまっ…!」
レズノフとヤハドの戦い方に触発されて、戦闘中に考え事そしてしまったアンジェに対し、それによって生まれた隙を敏感に察知した残りのバウンモルコスの幼体が、一斉に群がったのだから。
「アンジェ!クソッ、退け!」
ビルが声を張り上げながら、アンジェの加勢に入ろうとするが、突然数匹のバウンモルコスの幼体が群れから離れ、ビルに襲いかかることで足止めを図る。
ビルは罵声を飛ばしながら切り崩そうとするが、バウンモルコスの幼体が隙有らば、背後で魔力を練り上げているカフスを狙う為に思うように倒せず、中々加勢に入ることが出来ずにいた。
「アンジェ!」
「クッ、舐めるな…!」
アンジェはサーベルを振るって、伸ばされてきた細い腕や腐臭を放つ牙をむき出しにした頭を斬りつけて、バウンモルコスの幼体を近づけないようにしていたが、そんな彼女の努力の綻びはあっさりと発生した。
「しゅおおおおおおおおっ!」
「なっ…しまった…!」
腹を切り裂こうと振るった彼女のサーベルが、バウンモルコスの幼体の腹の真ん中辺りで、その動きを止める。視線を少し下げれば、腹に刃を喰い込ませたバウンモルコスの幼体の二本の白い腕がサーベルに向かって伸ばされ、そこから更に伸びる細い十本の指が、サーベルのハンドガードにしっかりと絡み付いていた。
「クソッ…!離せッ!」
サーベルを握る腕に力を籠めて引いてみるが、その細い指のどこからそんな力が湧いて出ているのか不思議なぐらいの握力で掴まれたサーベルは、うんともすんとも言わず、動くことは無かった。
『しゅおおおおおおおっ!』
「“隊長”ッ!」
それを好機と見た他のバウンモルコスの幼体達が、一気にアンジェに向かって襲いかかる。
(終わりなのか…?こんなところで…?)
ビルの罵声が響き渡る中、アンジェは目の前で群れを成しているバウンモルコスの幼体を、茫然とした眼差しで見つめる。
そこに恐怖は無かった。ただ存在したのは、自らの死に対しての奇妙な非現実感、そして、
「…済まない…約束を…守れなかった…」
自分でも気付かない内に、その口から零れ落ちていた謝罪の言葉だった。
「四元魔導、烈火が第八十四奏!“フェイブル”!」
次の瞬間、アンジェの口から呟かれた、掠れた声音の謝罪を掻き消す勢いで、どこか頼りない叫び声が上がったかと思うと、唐突にアンジェの足元、アンジェとサーベルを掴むバウンモルコスの幼体の間辺りから、オレンジの色が付いた突風のようなものが噴出する。
「しゅおおおおおおおっ!?」
「熱ッ!」
それが、火の魔力によって生み出された熱風だとアンジェが気付いたのは、その熱風の直撃を受けて熱された刀身から伝わってきた熱に、刀身をその身に喰い込ませるバウンモルコスの幼体と、その柄を握るアンジェが悲鳴を上げてからのことだった。
「これは…魔導魔法!」
アンジェの目の前で発動された魔導魔法を見て、それを行ったのが誰なのかを悟ったビルが、彼等の方に顔を向ける。その時には、既に三人の行動が始まろうとしているところだった。
「よくやった、強姦魔ァ!」
「だから、違います!」
「援護する、行け!」
バウンモルコスの幼体達が、突如目の前から噴き出した熱風み怯んで後退したのを見たレズノフが、大声で叫びながら、右手に手斧だけを握りしめて、群れにむかって突っ込む。
『しゅおおおおおおおっ!』
その声に反応したバウンモルコスの幼体が、一斉にレズノフの方に向き直ると、熱風の壁に行く手を阻まれているアンジェを諦めて、レズノフの方に向かって突進してくる。
「ふん。敵はそのゴリラだけじゃないぞ、獣共が」
その光景を、矢を弓に番え弦を引き絞りつつ眺めていたヤハドは、鼻を鳴らして呟くと、弦を引き絞っている左手の指を、パッと離した。
「しゅおっ!?」
弓と弦から撃ち放たれた矢は、群れの内の一体の頭を正確に射抜く。だがヤハドはそれを碌に見届けもせずに、さっさと次の矢を矢筒から引き抜いて番えると、二撃目を放つ。
「ったく、俺に当てんなよ?」
そのハイテンポな射撃に、レズノフは楽しそうな笑みを浮かべながら悪態を吐くと、次々と仲間を射抜かれて、最初の勢いを失いつつあるバウンモルコスの幼体の群れに襲いかかる。
「っと、行くぞ、オラァッ!」
咆哮を上げながら右手を振りかぶり、レズノフは手斧を群れの内の一体に向けて投擲する。レズノフの手から離れた手斧は、バウンモルコスの幼体の頭部に向かって吸い込まれる様に飛んでいき、頭蓋を砕いて突き刺さる。そしてそのまま直進し、飛びかかってきたバウンモルコスの幼体に左腕のラリアットをぶちかまして沈めると、右手に太腿にベルトで留めておいた愛用の大型ナイフを握りしめて、群れの中心へと飛び込んだ。
「ヒャハハッ! 動きが鈍いぞ、害獣共がァ!」
楽しげな叫び声を上げながら、バウンモルコスの幼体の腕を切り落とし、腹を掻っ捌きながら、群れの中を縫うようにして突き進む、レズノフ。その大柄な身体からは予想も付かないような俊敏さで、数対のバウンモルコスの幼体の命を奪いながら、レズノフは少し離れたところにいるアンジェ、そして未だにアンジェのサーベルを掴み続けているバウンモルコスの幼体の許まで辿り着くと、
「よっと」
ナイフの一閃でバウンモルコスの幼体の首を斬り落とし、その死体をサーベルから引き剥がす。
「た、助かった。済まなかったな」
「うーん、礼よりも、さっきの話の続きがしたいがなァ」
「今はそんなことを言っている場合ではないだろう。すぐに私も加勢に…」
アンジェの礼に対し、からかう様な口調で返事を返す、レズノフ。そんなレズノフの態度に対して呆れながらも、アンジェは加勢に入ろうとするが、レズノフはそれを手甲を填めた左手をかざして制する。
「…どういうつもりだ?」
怪訝そうな表情を浮かべたアンジェの問いに、レズノフは口の端を吊り上げながら答えた。
「あれは、俺の獲物だ」
その一言だけを告げると、ナイフを逆手に持ち直して、レズノフはこちらに向き直ったバウンモルコスの群れに向かって突っ込んでいく。
「しゅおおおおおおおお…しゅおぶっ!」
群れの中で先頭を切っていた個体の顔面に、レズノフの跳び蹴りがめり込む。奇妙な悲鳴を上げて倒れていく、バウンモルコスの幼体。だが、群れの真っただ中に飛び込んだレズノフは、それに見向きもせずに、近くに居た個体へと襲い掛かる。
「ッラァッ!」
レズノフの右手に握られたナイフがバウンモルコスの幼体の首に深々と突き刺さる。レズノフは苦悶の悲鳴を上げながら、徐々に弱弱しくなっていくバウンモルコスの幼体からナイフを引き抜かずに、背後から襲いかかってきた個体に蹴りを叩き込む。蹴りを腹に受けた地面を転がっていったが、背後を狙って襲いかかってきたのは一体だけではなかった。
「そうだ! それでいい、もっとこい!」
レズノフは歓喜の雄叫びを上げると、ナイフを突き刺したままのバウンモルコスの幼体を引き寄せ、背後から襲ってきたバウンモルコスの幼体の方に向かって蹴りつける。蹴りつけられた死体に巻き込まれて最前列に居た一体が避けきれずに転倒、レズノフはそれによって生まれた“穴”に飛び込むと、転倒した個体の首を踏みつけて頸椎を踏み砕いてから、左側面に居た個体の首を、逆手に持ったナイフの、身体を翻しながらの大振りの一撃で斬り落とす。そして次は右側面から襲いかかろうとしていた個体の方に、地面を左足で蹴りつけて一歩で接近すると、伸ばされた腕を今度は左足で地面を蹴って横に回避、そして最後に左足で地面を蹴りつけ、左手で、滑稽にも宙を掻くバウンモルコスの幼体の腕を捉えて引き寄せ、右手のナイフを一気に振るって首を斬り落とした。
『しゅおおおおおおおおおおおおおおっ!』
だがこれで終わりではない。首を飛ばされた個体が地面に向かって倒れていく最中、レズノフの前方と後方からバウンモルコスの幼体達の咆哮が上がる。前方には一体、後方にはあと七体のバウンモルコスの幼体が残っていた。
「…んなもん、決まってんだろうが」
視線だけを動かして数を確認すると、レズノフはぽつりと呟いて、前方と後方のどちらに襲い掛かるかを判断する。
「両方とも、だ」
そう呟くや否や、レズノフはナイフを口に咥えると、空いた右手でベルトからスローイングダガーを抜き取って前方から襲い掛かろうとする一体に投擲すると、手から離れたスローイングダガーがバウンモルコスの幼体の喉に突き刺さるのを見届けずに、後方の七体に向かって突き進む。だが、
「あっ、テメェ!」
立て続けに飛んできた三本の矢によって、三体のバウンモルコスの幼体が頭を射抜かれて地面に崩れ落ちる。
「チッ、人の楽しみを減らしやがって…」
レズノフはそれを行った人物が誰かを悟ると、悪態を吐きつつ、背中に背負っている荷袋を群れの真上に向かって放り投げる。しかし、おおよそ顔面に眼球らしき器官を持たないバウンモルコスの幼体は、当然の様に荷袋に対して何の反応も示さずにレズノフに向かって突き進む。
だが、その事実に対してレズノフが落胆した様子は無かった。何故なら彼が荷袋を放り投げた理由は、バウンモルコスの幼体の気を引く為などではなかったのだから。
「いくぜ、ベイビー…? イーッヤッホオゥッ!」
レズノフは声を張り上げながら上体を寝かせ、掴み掛ろうとしてきたバウンモルコスの幼体の腕をすり抜けると、そのままスライディングへと移行して掴み掛ってきた個体の足を蹴りつけ、転倒させる。更にその最中に手にしているナイフを咥えると、残る三体がスライディングの体勢のままのレズノフに接近してきたタイミングを見計らって、両手を地面に付けて踏ん張り、一気に身体を持ち上げて逆立ちの体勢に。そして大きく開脚し、回転。まるで独楽を思わせる回し蹴りを放って、三体のバウンモルコスの幼体を蹴り飛ばした。
「ふぉっほ」
三体のバウンモルコスの幼体を蹴り飛ばしたレズノフは、腕の力を使ってバネのように身体を跳ね上げて立ち上がると、ベルトからスローイングダガーを二本引き抜いて、左右に転がっている個体に投擲、次に一本だけ引き抜いて前方の個体に投擲し、三体のバウンモルコスの幼体に止めを刺す。そして口に咥えていたナイフを吐き出して右手でキャッチすると、
「しゅおおおおおおおっ!」
「で、ラスト、っと」
最後に後ろから突っ込んできた、スライディングを受けた個体の腕を姿勢を低くして躱しつつ、身体を翻して右手に握る大型ナイフをバウンモルコスの幼体の腹に突き刺し、突き刺したナイフを捻じって絶命させた。
「横槍も入ったが、こんなもんか…。まっ、満足とはいかねェまでも楽しめはしたかな」
ナイフを振るって血糊を飛ばしつつ、まるで映画の感想でも述べるような口調で言葉を漏らして、アンジェの方に向かって歩く、レズノフ。そのレズノフの後方ではヤハドが弓を背負い、ミヒャエルがアンジェの目の前に展開していた魔導魔法を解いてから、レズノフと同じようにアンジェ達の方に向かって歩いてくる。
だが、そんな彼等の方を見つめるアンジェの視界に、真の意味で移っているといえるのは一人だけだった。
(あの言動…あの戦い方…。あいつは…)
その人物の名は、言うまでも無くウラジーミル・レズノフ。だがその視線の裏に隠された感情は、助けられたことに対する感謝ではなく、群がる魔物を片っ端から蹴散らしたその実力に対する憧憬でもなかった。秘められた感情、その呼び名は不審であり、
(最初は“闘い”を楽しむ類の人間かと思った…。だが、今の戦いを見て分かった。奴はそれとは似ているようでかけ離れた人種…)
確信であり、
(“殺し”を楽しむ類の人間だ…)
嫌悪と畏怖だった。
「おゥい、生きてるか?」
「ん、あぁ、何とかな…」
そのような感情に囚われている最中に飛んできたレズノフの声は、アンジェにとって半ば不意打ちのように作用してしまい、思わず上ずった声で返事を返してしまう。
「…? まぁ、無事ならいいけどよ。あっちも片付いたみたいだしィ?」
少し怪訝そうな表情を浮かべたレズノフだったが、三秒と経たない内にさっさとその表情を消し去ると、引き受けていた分のバウンモルコスの幼体を全滅させて、アンジェの方に駆け寄ってくるビルとカフスの方を顎で指し示す。
「どうやら、無事なようだな、二人共」
「えぇ。そちらこそ、無事で何よりです」
駆け寄ってきた二人に対し、アンジェが微笑を浮かべながら、二人の無事を確かめる言葉を掛けると、アンジェの無事を確認したカフスが安堵の表情を浮かべる。
「あ~、御歓談のところ悪いんだがァ? 一つ聞きたいことがあってだなァ…」
と、そこにレズノフが、短く刈り上げた銀髪を片手で掻き毟って、頭に被った返り血を飛ばしながら、話に割り込んでくる。
「…何だ?」
レズノフの言葉に対し、アンジェが警戒心を膨らませつつ対応する。レズノフは「嫌われたかなァ?」などとおどけた様子で首を竦めてから、アンジェに問う。
「さっきの“隊長”ってのは、どういう意味だ? 蒼い月に所属する前は、別のギルドに居たんじゃないのか?」
レズノフの問いに対し、カフスは一目で驚いたと判断できる表情を、アンジェは目を細め、表情を固くする。
「前のギルドでは、そういう呼び名を使っていたというだけの話だ」
そしてそんな二人に代わって答えを告げたのは、両手の剣を鞘に戻している、ビルだった。
「別に、アンタに訊いた訳じゃないんだけどなァ?」
「何か不都合が?」
「あるさ。アンタの声には華が無ェ。そっちのネェちゃんには華がある」
「そうか。なら、娼館にでも向かうのがいいだろう。何なら、今すぐにでも」
不満そうな表情で、軽口を叩くレズノフに、表情を一切動かさずに立ち向かう、ビル。すると、両者はそのまま無言で睨み合い始める。レズノフにしろビルにしろ、かなりがたいの良い体格をしているので、そんな二人による睨み合いはかなりの迫力があった。
「まっ、いいさ。そっちのネェちゃんからは、この仕事が終わってからにでも聞かせてもらうとするよ。無論、ベッドの上でな」
が、それも長続きはせず、さっさと睨み合いに飽きたレズノフが下品な軽口を叩きながら、若干離れた所でバウンモルコスの死体を弄っている、ヤハドの方へ行ってしまうという形で終わりを迎えた。
「…大丈夫か、アンジェ」
ビルはレズノフが離れていったのを見届けると、アンジェの方に振り向いて声をかける。
「大丈夫だ。手間をかけたな」
「そんなことはない」
アンジェの労いの言葉に対し、無感情で返事を返す、ビル。そんな彼の姿に、思わずアンジェは笑い声を漏らす。
「フフッ、そうか。まったく、カフスにも少しは見習ってもらいたものだな」
「えっ? 私、ですか?」
「そうだ。お前ときたら、敬語でなくていいと言っているのに、ちっとも治そうとしないではないか」
「そ、それは…!」
笑い声を交えて話を繰り広げる、アンジェ達。その姿からは、家族的でも兄弟的でもないものの、確かな親睦を感じさせる雰囲気を放っていた。
「あ~あァ、羨ましいなァ~。こっちきてから、女と話す機会なんて殆ど得られてないからなァ~」
「お前の場合、会話に上半身を使用するかどうかも怪しいものだがな」
「おまけに、話す相手はむさ苦しい、色黒ターバンテロリストだしよォ~」
そんなアンジェ達の様子を眺めながら、だらだらと軽口を叩くレズノフと、バウンモルコスの死体から皮やら内臓やらを切り取っているヤハド、そして干し肉と水筒で、一人ランチタイムを楽しんでいるミヒャエルの姿があった。
「黙れ、色狂いの脳筋犯罪者が。それより、ミヒャエル。勝手に飯を食ってないで、向こうの三人に伝えてこい。少し休憩したら出発する、とな」
「えー…、自分で行けばいいじゃ…分かりましたから、そのナイフをこっちに向けないでください!」
ヤハドに脅されたミヒャエルが、渋々といった様子でアンジェ達の方に向かう。レズノフはそれを眺めつつ、不用心にも置きっぱなしにしてあったミヒャエルの干し肉を口に放り込んでから、ヤハドに訊ねる。
「さて、他の奴等はどうしてるだろうかね」
「少なくとも、俺達よりは進んでいるだろうな。確実に」
レズノフの問いに対し、ヤハドが額を押さえて溜め息を吐きながら答える。
というのも、レズノフ達の居る位置は、ヴィショップと別れたあの分かれ道から、大して別れていないのだ。流石に、今しがた片付けたバウンモルコスの幼体の群れは、ヴィショップと別れたすぐに遭遇した、天井からの奇襲をしかけてきた個体を皮切りにするものでこそないものの、その後も少し進んでは群れに出くわしており、その度に全滅させて、休憩を挿んでの繰り返しなので、遺跡内で過ごした時間に比べて、進んだ距離は全く比例していなかった。
「ジイサンは特に何も言ってなかったが、やっぱし、さっさと進んだ方が良いよな?」
「だろうな。もっとも、勝手に独断行動を始めた奴に、俺達に対する文句など言わせるつもりはないが」
「言えてるぜ」
ヤハドの言葉に相槌を打つと、レズノフは辺りを見回し始める。
「どうした?」
「いや、俺の剣…っと、有った」
怪訝そうな表情のヤハドの問いに、レズノフは適当に返すと、少し離れた所で転がっている大剣を見つけ、取りに行こうとする。
が、その時であった。
―――ひゅおおおおおおおおおおおおぉん
遺跡全体を振動させた、そう言われても信じてしまいそうな程の、低くて重い咆哮が彼等の耳を貫いたのは。
「な、な、な、何ですか、今のはぁ!?」
「…今までのと違う…。…こっちか!」
ミヒャエルが騒ぎ立てる中、その咆哮が遺跡の奥から聞こえてきたことを察知したヤハドが、視線を動かす。すると、耳障りな羽音のような音、そして何かを破壊するような音が聞こえてきたかと思うと、間髪入れずに、巨大な何かが彼等の前に現れる。
「れ、“レスルビアモルコス”!?」
カフスが神導魔法で光を灯した杖を掲げ、その物体の正体を確かめた瞬間、彼の背中に冷たいものが奔った。
光に灯されて正体を現した存在、それは一言で言えば大型トラック並の大きさを誇る“蠅”だった。ただその存在が大きさ以外で、一般に“蠅”と呼ばれる存在と一線を違える部分があった。それは頭部。その存在の頭部のみ、蠅と人間の頭部を足して二で割ったような…人間の顎に、顔全体の半分を占める複眼を具え、顎の間から触手のような吻が何本か覗いている…デザインをしていたのだ。
「な、何すか、アレ…」
「バウンモルコスの一種だ。バウンモルコスが大量に産み落とした幼体の中で、産卵機能を有するのは一体のみ。その他の幼体は、ある期間に達すると共食いを始め、生き残った一体が、バウンモルコスの交尾相手及び、最強の兵士の役割を持つ“レスルビアモルコス”へと変体する」
「そんなものに、よりによって、今出くわすとは…クソッ!」
カフスの説明を聞いたヤハドが、険しい表情で悪態を吐く。そして、レスルビアモルコスを黙って見据えるアンジェやビルも、ヤハドと同様の、いや、それ以上に険しい表情を浮かべていた。
度重なる連戦により、疲労が着実に蓄積しつつあるという状況で襲い掛かってきた、今までとは格の違う存在。それは、歴戦の戦士である彼等にすら、最悪のイメージ…乃ち死のイメージを植え付ける程の威力を持っていた。
「いいねェ、ちょうど殺り足りないと思ってたんだ」
ただ一人、その手に剣ではなく、水筒を握った、銀髪の男を除いて。
「今食った分のカロリーを消費するにしては、些か贅沢な遊び相手だが…まぁ、いいさ。来いよ」
レズノフは首を鳴らすと、手にした水筒を投げ捨てて、そう告げた。その相貌に、不敵な笑みを貼り付けながら。
そしてまるでそれに応えたかのように、レスルビアモルコスの下顎が二つに割れると同時に上がった、耳をつんざくような咆哮が、空気を激しく振動させた。




