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Bad Guys  作者: ブッチ
Death Race XXXX
129/146

In Quest of Force

「許す代わりに戦え、か…」


 カーミラに突き付けられた条件に、ヤハドは驚いた様な表情を浮かべると、ゆっくりと手すりに預けていた背中を離す。そして剣呑な眼差しをカーミラに向けて、彼女の言葉の真意を問いただした。


「随分と物騒な申し出だが、どういうつもりだ? まさか、最初に出会った時のことをまだ引きずっているのか?」


 ヤハドの問いかけを受けたカーミラの表情が、不快そうに歪む。

 ヤハドとカーミラが初めて会った時、二人は刃を交えた。その時は、真上からの不意打ちを仕掛けたにも関わらずカーミラの敗北で幕を閉じており、ヤハドにとってカーミラが喧嘩を吹っかけてくる理由はそれくらいしか考え付かなかった。


「知ったところで、あなたには関係の無い話よ。それで、どうするの? 私と戦うの、戦わないの?」


 一瞬だけ表情を歪めたカーミラは、すぐに表情を取り繕ってヤハドに答えを迫った。彼女の要求の真意を掴み損ねているヤハドは、怪訝そうな眼差しを向けながら少しの間考え込んでから閉じていた口を開いた。


「俺が勝ったら、喧嘩を売ってきた理由を言うという条件付きでなら、やってやってもいい」

「条件? あなたは条件を出せる立場になんかいない。むしろ、私が条件を付ける側だと思うけど?」

「…まぁ、好きにすればいい。どうしても喧嘩を売る理由が言えないというのなら、止めておくのが得策だろうな」


 ヴィショップを真似た、相手を嘲る様な口調でヤハドはカーミラに語りかける。上手くできた自身はなかったものの、効果はてきめんでありカーミラは眉をひくひくと小刻みに動かすと、部屋に戻ろうと一歩踏み出したヤハドを呼び止めた。


「待ちなさい。それは、どういう意味かしら?」

「簡単な話だ。お前のようなガキでは、俺には勝てない」


 安い挑発にあっさりと乗ってきたカーミラに、思わず苦笑を零しながらヤハドは返事を返す。すると背を向けていても分かる程の怒気と共に、冷たい彼女の声がヤハドの背中に投げつけられた。


「いいわ、その条件で戦って上げる。ただし、負けた場合はワーマーに相応しい態度で誠意を見せてもらうわよ」

「ワーマーに相応しい態度、だと…?」


 ワーマーという言葉が蔑称であること以外は、意味も何も全く分からないヤハドはカーミラの方を振り向いて訊き返す。カーミラは侮蔑するかの様に鼻を鳴らすと、指で床を指し示した。


「地べたに這いつくばって、私に謝りなさいということよ」

「…生憎、俺にそんな趣味は無い」


 カーミラの要求していることを理解したヤハドは、軽く笑みを浮かべて軽口を叩いて見せる。しかしカーミラはヤハドに軽蔑するかのような視線を向けると、「下で待ってるわ」とだけ言い残してベランダから飛び降りてしまった。

 思わず、ベランダに駆け寄りそうになるヤハドだったが、カーミラがこの場に現れた時のことを思い出して足を止める。そして日中を殺し合いに励み、日が落ちてからもこうして剣を振り回さなければならない自分の悪運を乗ろうと、握りしめていたターバンをベッドの上に置き、代わりに壁に立てかけておいた曲刀を手にして建物の前の通りへと向かった。

 日が完全に落ちてから決して短くない時間の経った大通りには、殆ど人影は無かった。目を凝らして見れば、数人家を持たない流浪者達が御座のような物を敷いて地面に寝転んでいるのが見えたが、彼等の様な人間がわざわざ面倒事に首を突っ込むとは考えられず、どちらにせよカーミラとヤハドの喧嘩を止めそうな人間は一人も居なかった。

 そんなすっかり闇夜に呑み込まれつつある大通りのど真ん中で、カーミラはヤハドが姿を現すのを待っていた。艶やかな黒髪と腕から生えている羽が目立たないように黒を基調にした服装は、すっかり周囲の暗闇に溶け込んでいた。その為一見すると、真っ白な肌が露出している僅かな部分と深紅の瞳、そして右手に握られた鈍い銀色の光を放つナイフだけが、宙に浮いているようにも見えた。


「意外だな。また不意打ちを仕掛けてくるかと思ったが」


 『ホテル・スパノザ』から姿を現したヤハドは、律儀に彼の到着を待っていたカーミラの姿を捉えて意外そうな声を漏らす。


「そうしても良かったのだけれど……まぁ、それでは意味がないのよ」

「そうか」


 ヤハドの問いかけに少し迷った様子で答えながら、カーミラは手にしているナイフを手の中で回転させて逆手に持ち直す。

 ヤハドは自分の問いかけに対するカーミラの反応で、不意打ちを仕掛けなかった理由が彼女が喧嘩を吹っかけてきた理由に関係していることを悟ると、追及することなく鞘に収まったままの曲刀を片手で構えた。


「何のつもり?」

「手元が狂って顔に傷でもつけたら大変だからな。男子はともかく、女の子の顔に傷がつくのはマズいだろう?」


 鞘が付いたままの曲刀を構えるヤハドを、カーミラは眉をひそめて睨みつける。それに対してヤハドが軽い態度で返事を返すと、カーミラはいよいよ眉間に深いしわを刻み込みつつ、ナイフを持っていない左手を懐へと伸ばした。


「言わなかったかしら? 子供扱いは止めなさいって」

「悪いな、お前程度の年頃だと、どうしても子供にしか見えない」

「……精々、数年長く生きている程度で調子に乗らないことね」


 カーミラはそう発すると、ゆっくりと腰を落とし足を開き、ナイフを手にした両手を左右に広げて構えを取る。ヤハドは微笑を零すと、右の肩口をカーミラに向ける形で半身を取り、曲刀を持つ右手を腰の辺りに据えた。

 武器を構えた二人の間を沈黙が漂う。カーミラもヤハドも先程までの軽い雰囲気は無く、鋭い顔付きで視線を交錯させていた。


「シッ!」


 始まりとは違い、沈黙の終わりは唐突に訪れた。

 地面を勢いよく蹴りつけたカーミラが、低い体勢のままヤハドに向かって突進する。その速度はレズノフのような化け物染みた速さこそなかったが、姿勢を低くしたことで彼女の姿はより一層夜の闇に溶け込み、対峙する人間が正確に距離感を測ることを困難にさせた。

 しかし対するヤハドは、動揺した素振りもみせずに曲刀を構えたまま静かにその場に佇む。身体はもちろんのこと、曲刀の切っ先ですら殆ど微動だにさせてはいなかった。ただ、彼の瞳だけが駆け寄ってくるカーミラの動きに合わせて小刻みに動いていた。


「フッ!」


 ナイフの射程にヤハドを捉えたカーミラは、動く素振りを見せない彼に抱いた苛立ちを右手のナイフの刃に乗せて勢いよく突き出す。彼女の手に握られたナイフは一条の銀閃となって、ヤハドの右の太腿へと迫った。

 だがナイフが柔らかい太腿の肉を捉える直前、ヤハドの姿がカーミラの視界から掻き消える。勢い余って数歩前に踏み出しながらも、初撃を躱されたことを理解したカーミラはヤハドの姿を追って左に振り向きかけた。


「ッ!?」


 しかし直前で彼女は振り向くのを止め、地面を蹴りつけて身体を前方へと転がす。その直後、彼女が立っていた場所を低い風切音と共に鞘に収まった曲刀の刀身が切り裂いた。


「見えてもいないのに、よく躱したものだ」


 咄嗟のところでヤハドの斬撃を躱したカーミラが立ち上がりながらヤハドの方を振り向くと、意外そうな表情を浮かべて彼女のことを見つめつつ、曲刀を構え直すヤハドと目が合った。

 カーミラを見つめるヤハドの表情に浮かんでいる驚愕は、紛れも無い本物の感情だった。誤って殺すことがないように手心を加えているといっても、攻撃を避けるタイミングも反撃を加えるタイミングにもミスは犯したつもりはなく、ヤハドの放った一撃は正真正銘勝負を終わらせるつもりで放った一撃だった。

 それを見ることなく躱されたことに驚きながら、曲刀を構え直してカーミラが立つのを待っていたヤハドだったが、その最中に彼女の頭から生えている尖った一対の耳を見て、カーミラが先程の一撃を躱せた理由に思い至った。


「耳は目程に物を知る、とでも言うべきか、この場合は? そういえば元々コウモリとは、視力に頼らない種族だったな」


 自分の一撃を凌いだ理由に気付いたヤハドが、得心のいった様子でそう呟く。その瞬間、緊張した面持ちでヤハドを見つめていたカーミラの目が大きく見開かれた。

 暗闇の中に浮かぶ紅い光が大きくなるのを見て、ヤハドは怪訝そうな表情を浮かべる。しかしそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間にはカーミラの目はすっと細められていた。

 そして目に見えるのではないかと錯覚する程の剥き出しの怒気を纏って、カーミラはヤハドに向かって一直線に突っ込んできた。


「…!?」


 怒りに支配されたカーミラの動きは先程よりも単調だったが、それ以外のことが完全に頭から抜けている分、先程よりもそのスピードは上がっていた。そして何より、豹変したカーミラの態度に対する動揺がヤハドの動きを鈍らせていた。

 先程と同じく右に一歩動いて躱すも、躱し切れずに腕を浅く切りつけられる。ヤハドは僅かに表情を歪めると、勢いを殺し切れずに前方に数歩踏み出しているカーミラの背中目掛けて、曲刀を振り下ろした。

 カーミラはそれを、ヤハドの方に振り向きつつ身体を沈み込ませて避けると、両手のナイフをヤハドの足首目掛けて突き出す。それをヤハドが後退して躱すと、左手を地面に突きながら彼を追って一歩踏み出し右手のナイフを突き出そうとする。だがヤハドはそれを読んでいたのか、突き出されたカーミラの右手を右足の爪先で蹴りつけ、手にしているナイフを蹴り飛ばすと、曲刀をカーミラの頭に目掛けて半円を描く軌跡で振り下ろした。

 カーミラは四肢の力を使って左に身体を転がして避けると、空いた右手で地面の砂を掴んでヤハドの顔面目掛けて投げつける。ヤハドが投げつけられた砂を曲刀の腹で受けると、その隙を突いて立ち上がり、左手のナイフをヤハドに向けて突き出した。

 だが突き出されたナイフの切っ先はヤハドの胸に届く前に、彼の左手によって手首を掴まれることで動きを止めた。


「…ッ!」


 カーミラは振り解こうとして左腕に力を込めるが、ヤハドに手首を捻じられて逆に苦悶の声を漏らしながら、ナイフを手放してしまう。それでも諦めずに自由な右手で握り拳を作って振り上げるも、ヤハドにパンチをお見舞いする前に曲刀を首に当てられ、ヤハドの顔を睨みつけたままカーミラは動きを止めた。


「どういうつもりだ? いくらなんでも、お前に命を狙われる程の恨みは持たれてないと思っていたんだがな?」


 曲刀の腹でカーミラの顎を押し上げつつ、ヤハドは彼女を詰問した。カーミラは黙ったままヤハドを睨んでいたが、やがて沈黙を貫くことを諦め、呟く様にしてヤハドの質問に答えた。


「……私は、ピストーラよ。獣なんかじゃ…ない…!」


 一瞬、彼女の言葉の意味が理解出来ずにヤハドの脳裏に疑問符が浮かび上がる。しかし先程までの自分の発言を思い返しながら彼女の言葉の意味を考えていく内に、カーミラが豹変する直前に言い放った言葉が浮かび上がり、それでようやくヤハドはカーミラの真意に気付くことが出来た。


「…コウモリ呼ばわりされたのが、気に食わなかったのか?」


 僅かに、かろうじてそうだと分かる程度にカーミラは首を縦に動かして、そのまま俯く。

 ヤハドは俯いたまま動かない彼女の姿を呆気に取られた様子で見つめていたが、やがて大口を開けると、建物の中で寝ている仲間を起こしかねない程の声量の笑い声を上げ始めた。


「…何がおかしいの?」

「いや、済まない。ただ、こんなことにすら気付けない自分が、滑稽でならなくてな」


 最初は殺気の籠った視線をヤハドに向けていたカーミラだったが、彼の返事を聞いた後はヤハドに向ける視線を怪訝そうなものへと変化させた。その眼差しは、ヤハドが彼女の腕から手を離し首に当てていた曲刀をも離して数歩後ろに下がり始めてから、より一層顕著になっていった。

 しかしヤハドはそんなカーミラの様子はお構いなしに、後ろへと下がる。そして最初に二人が対峙した時ぐらいに距離を開けると、手にした長剣の切っ先をカーミラに向けた。


「さて、もう夜も遅い。さっさと仕切り直して、お終いにするとしよう」

「どういうつもりかしら? 今ので勝負は着いたでしょう?」


 思ってもみなかったヤハドの言葉に、カーミラはそれが自分に好都合なものだと分かっていながら、思わず訊き返してしまう。事実、彼女の言葉通り喉元に刃を突き付けられた時点で勝負は決していた。

 だがヤハドは、首を横に振って彼女の言葉を否定した。


「先程のお前は冷静じゃなかった。それにそうさせたのはこっちの落ち度だ。お前も、先程のような決着では満足出来ないだろう?」


 微塵も躊躇うことなく言ってのけて軽く頭を下げたヤハドを、カーミラは驚きの余り口を半開きにして見つめていた。


「本当に…何なのよ、あなたは。金を盗もうとした人間に大金を与えたり、自分を殺そうとした人間の頼みを聞いたかと思えば、珍しくも何ともない侮辱に対して謝り始めたり…」

「…別に、俺は後悔したくないだけだ。夜にベッドに入った後、それから何時間も眠れずに延々と唸り続けたり、汗で服を濡らして飛び起きたりするようなザマになりたくない。ただ、それだけに過ぎない」


 そう答えるヤハドの脳裏で、様々な光景が浮かんできては消えていく。

 それは彼の脳に焼き付いて永久に消えることのない、後悔の記憶だった。全ての始まりとなった業火に包まれる町の風景や、それ以降続く終わりの見えない戦いでの仲間を失った時の光景。それらがかわるがわる、ヤハドの脳裏に浮かび上がっていた。


「…強く、なりたいからよ」

「……何?」


 ヤハドの意識を現在へと引き戻したのは、カーミラの告げた短い一言だった。ヤハドが追憶に耽っている間に、彼女の表情は何らかの決意を固めたものへと変化しており、先程まで撒き散らされていた怒りの感情は完全に胸の奥へと引っ込んでいた。


「私が、あなたに喧嘩を売った理由よ。最近、あの場所を度々訪れている奴がいるわ。そいつの目的が何かは分からないけど…もし、そいつが私達に害をなす存在だった時、あの場所をそいつから守れるだけの力が欲しかった。だから、あなたに喧嘩を売ったのよ」

「理由を話すのは、負けた時じゃなかったのか?」


 戦いを始める前に決めた取り決めを、まさかカーミラの方から破って来るとは思ってなかったヤハドは、戸惑いつつその行動の真意を訊ねた。

 問いかけられたカーミラの口角が僅かに吊り上り、微笑を形作る。そしてヤハドに蹴り飛ばされたもう一本のナイフの方に向けて歩きながら、カーミラはヤハドの質問に答えた。


「何もおかしなことはないわ。あなたに負けたから、理由を話した。それだけよ。それに、元々そう簡単に勝てるとは思っていなかったわ。だからこそ、あなたに喧嘩を売った訳なのだし」

「…やっぱり、大層な頑固娘だな」


 ナイフを拾い上げるカーミラの姿を苦笑を浮かべて眺めつつ、ヤハドはそう返す。するとカーミラは挑発的な笑みを浮かべて、ヤハドに拾い上げたナイフの切っ先を突き付けた。


「もう何度目かしらね? 子供扱いはしないでちょうだい」

「子供扱いされたくないのなら、証明してみせることだな。自分が尻の青い子供じゃないってことを」

「上等じゃない」


 互いに剣を突きつけあいながら、視線を交錯させる。だが、二人の視線には先程までのような剣呑さは無かった。むしろ、これから始まる切り合いを楽しみにしているような、無邪気な光が二人の瞳には宿っていた。


「シッ!」

「フッ!」


 開始を告げる合図などなかった。にも関わらず、二人は全く同じタイミングで駆け出した。互いに全く同じ表情、闘争の熱狂に酔いしれた者の顔に自然と浮かび上がる笑みを浮かべて。

 先程とは違い、最初に得物を振るったのはヤハドの方だった。右から左へと斜めに剣を振り下ろすだけの単なる袈裟切りだったが、ヤハドの大げさに肥大化することなく洗練された筋肉と、数多の戦場を生き抜いてきた経験に基づいて離れたその一撃は、単純でありながら常人ならば避けることの敵わない必殺の一撃となり得た。

 しかし生憎と、ヤハドが相対している相手は常人ではなかった。経験も技量も肉体も未熟だが、カーミラにはヤハドが決して持ち得ない天性の生存の為の能力があり、それがこの場においても彼女を他者の害意から救った。

 ヤハドの右腕が動き出したのを感じ取ったカーミラは、彼の放つ大振りな一撃の軌道を即座に察知して、身体を振り下ろされる曲刀の軌道から逸らした。前傾姿勢になって身体を沈み込ませつつ、左に一歩動いてカーミラはヤハドの一撃を避ける。身体のすぐ真横を曲刀が唸りを上げて通り過ぎるが、極限まで研ぎ澄まされた彼女の意識はそれを意に介さず、一点だけを捉え続ける。

 それは、ヤハドが曲刀を袈裟懸けに振り下ろしたことによって生まれた隙。今や両手で防ぐことも叶わず、無防備にカーミラの眼前に晒されているヤハドの右の太腿。カーミラは深紅の双眸の矛先をその一点のみに集中させると、ナイフを持った右手をそこに向けて有らん限りの勢いで突き出した。


(いける…!)


 カーミラの中で勝利が明確な形を取り、無意識の内に彼女の口角が持ち上がる。

 その瞬間、彼女の視界に映るヤハドの右足が弾かれたように跳ね上がった。


「…!」


 跳ね上がったヤハドの右足は、まるで足自体に目が有り自身で考えているかのように動き、正確に突き出されたカーミラの右手を膝で蹴り上げていた。

 右手に奔る痺れも、目の前で上方へと弾き上げられたナイフの煌めきも、今のカーミラにとってはどうでもいいことだった。ナイフによる刺突を膝で正確に迎撃し、弾き飛ばす。そんな想像もしなかった芸当を目の当たりにした驚きによって、カーミラの思考は完全に支配されてしまっていた。

 その為、カーミラは真上から振り下ろされるヤハドの左手への反応が遅れてしまった。それに気付いてナイフを振るおうとした時には既に遅く、ヤハドの左手はカーミラの襟首を掴むとそのまま力任せに彼女を地面に押し倒した。


「ぁっ…!」


 完全に後手に回ってしまったカーミラでは衝撃に対する対応もままならず、されるがままにうつ伏せに地面に押し倒された彼女は肺にあった空気を全て吐き出して、小さく喘ぐ。その際にナイフも手放してしまい、気付いて手を伸ばそうとした頃にはヤハドの足に蹴飛ばされて手の届かない所まで転がってしまった。

 悔しさに顔を歪めながらも、カーミラは顔を上げてヤハドの顔を見ようとする。それと同時に、ヤハドの振り下ろした曲刀の切っ先が彼女の顔の真横を掠めて地面に突き刺さって砂塵を巻き上げた。


「躱すのはいいが、その後の狙いが露骨過ぎる。それでは俺どころか二流の相手にすら通用しないぞ」


 地面に平伏しているカーミラを見下ろして、ヤハドはそう告げる。頭上から言葉を投げかけられたカーミラはヤハドの顔を黙って見ていたが、そこには苛立ちの類の感情はなかった。


「さてはお前、実勢経験は大したことがないだろう。もしくは、不意打ちのようなものばかりで真っ向からやり合った経験が無いか。どちらにしろ、お前がやったミスは経験の不足している新兵に有り勝ちなミスだ。一点に集中してしまって、視野が狭くなっている」


 そんな彼女の表情を見てヤハドは微笑を浮かべると、左手をカーミラの襟首から離す。そして彼女の腕を取って引き起こしながら、彼女が犯したミスについて説明し始めた。


「あなたの言う通りよ。今までは殆ど不意打ちばかりで、真っ向から斬り合った経験は殆ど無いわ。そうでもしないと生き残れなかったもの」

「年頃からして、まともに動けるぐらいに身体が出来上がってきたのも最近のことだろうしな。それも止む無しといったところだろう。だが、あの子達を守りたいのなら不意打ちだけでは無理だぞ」


 服に着いた砂埃を払いながら、カーミラは答える。ヤハドは彼女に語りかけながら、左手を伸ばして肩についた汚れを叩いた。カーミラは一瞬手を止めてヤハドの左手を見つめたが、小さく鼻を鳴らすと視線を逸らして再び砂埃を払い始めた。


「分かってるわ。だから、こうしてあなたの許に来たんだもの」


 そう言うと、カーミラは服を叩く手を止めて左手のナイフで外套の一部分を切り取ると、それを縦に割いて包帯のようにし、右腕につけた切り傷のところを結んだ。


「…悪いな」

「こっちの落ち度よ、気にしないで」


 ヤハドは意外そうに腕に包帯を結ぶカーミラの横顔を見た後、彼女に礼を告げる。そして彼女から返って来た返事が、先程の自分の言葉を真似たものであることに気付くと、苦笑を浮かべて小さく呟いた。


「全く、手のかかりそうな弟子が出来たものだ」

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