奈落の導き手達
ヴィショップ達の眼前に広がる地獄の様相は、近づくに連れて段々と鮮明になってきた。まるで一本の道のように連なる、砂船の残骸と乗り手の死体、そして頭を潰されるなり火達磨にされるなりウェットに富んだ死に様のワームの躯を超えて進んだ先は、阿鼻叫喚という言葉が相応し有り様だった。
恐れを抱かず食欲に忠実に従い、徒党を組んで迫りくるワームの群れの甲高い鳴き声。それを向かい討つ参加者達の、怒鳴り声と悲鳴。その二つは宙で互いにぶつかり合い、混ざり合って、最早言葉の体裁を為さぬ叫びとなり大気を轟かせていた。
二つの存在が上げる声は、一見すると何もかもが異なっていた。しかし実際にはそれらは同質の存在だった。すなわち、生を求める絶叫である。そしてヴィショップ達も、今まさにその絶叫の渦中に身を投げ込もうとしていた。
「や、やっぱ止めときましょう! ここで待って、参加者が十人以下になってレースが終わるのを待ちましょう!」
目の前の地獄を見つめていたミヒャエルが、クァルクにしがみ付いて懇願する。彼女はそんなミヒャエルを鬱陶しそうに見つめながらも、砂船の操縦に専念したいのか返事を返そうとはしなかった。なので代わりにヴィショップが、仕方なさそうに溜息を吐いてミヒャエルの懇願を一蹴する。
「レースが終わるのは参加者が十人以下になった時じゃなく、参加者が十人以下になった状態で残りの参加者が全員コースを一周走り切った時だ。つまり、ここで待っていてもレースの終わりはやってこねぇ。やってくんのは、ミミズの糞っていう最悪の人生のゴールだけだ」
参加者が十人以下になった時点で最終ラップ、という説明を思い出したミヒャエルが、この世の終わりのような表情を浮かべる。それが目の前の地獄を生き残れる気がしないからなのか、更にワームの体液を浴びる破目になりそうだからなのかは、ヴィショップには分からなかった。
「そういうこった。分かったら、腹括るんだな! 突っ込むぜ!」
得意気な表情を浮かべてヴィショップの方を振り向くと、クァルクは勢いよく鞭を振った。鞭は小気味の良い風切音を鳴らして空でその身をしならせ、ヴォルダ―の背を強かに打ち据える。背に鞭を受けたヴォルダ―は大音量の咆哮を上げると、加速しながらワームと参加者の集団の中に猛進した。
「な、何やってるんですか! 何体かこっち向きましたよ!」
ヴォルダーの咆哮に気付いて頭をこちらに向けた数体のワームを指差して、ミヒャエルが叫ぶ。それを見たヴィショップ達は得物を構えるが、クァルクを手を上げて彼等を押し留めた。
「…何のつもりだ?」
「まー、見てなって。後ろ何かならともかく、前から来るワームなんぞヴォルダーの敵じゃねーってとこを見せてやるよ。な、ヴォルダー」
ヤハドの問いかけに答えると、クァルクは同意を求めるようにヴォルダーの名を呼ぶ。その時、ヤハドにはヴォルダーが心なしか頷いた様に見えた。
「何言ってるんですか!? あのミミズ、魔獣でも食べるんでしょう!? そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょう! ほら、さっさと構えて下さいよ、ヴィショップさん!」
「だったら、最初にお前が呪文の一つでも唱え始めたらどうなんだ?」
荒々しくヴィショップの肩を揺するミヒャエルを、ヴィショップは呆れ混じりに横目で睨む。
そのようなことをしている間にも、ワームはぐんぐんとヴォルダーとの距離を詰めていく。だがヴォルダーは自分の曳いている砂船に乗る人間の騒ぎ振りとは対照的に、静かに接近してくるワームを見据えていた。
そしてヴォルダーを射程距離に捉えた三匹のワームが、砂から飛び出し大口を開けてヴォルダーへと飛びかかる。砂船の上に伸びてきたワームの影に恐怖してミヒャエルは思わずヴィショップに抱き着き、ヴィショップはそれを邪魔そうに振り払いながら魔弓をワームへと向ける。ヤハドは矢を弓に番えて狙いをワームの口内に定め、レズノフは立ち上がって長剣を鞘から抜き払う。そして手綱を握るクァルクは、飛びかかってきた三匹のワームを見ながら、微笑を浮かべた。
「やっちまえ、ヴォルダー」
まるでその声が合図だったかのように、ヴォルダーは咆哮を上げながら頭を猛烈な勢いで左から右へと振り抜く。その瞬間、ヴォルダーに飛びかかろうとしていた三匹のワームを、ヴォルダーの下顎から生える緩やかな反りを描いた一対の牙が打ち据える。オルートにとっての雄の象徴でもある強靭な牙は、一撃を受けたワームの牙を砕きつつ三匹纏めて意図も簡単に殴り飛ばした。殴り飛ばされたワームは一塊になって宙を舞い、数メートル離れた場所に落下して舞い上がった砂塵の中に姿を消した。
「よしっ!」
手綱を握ったままクァルクがガッツポーズをする。一方で、牙のフルスイングで一度に三匹のワームを殴り飛ばした光景を見せつけられた四人は、信じらんれないものをみるような目つきでヴォルダーを眺めていた。もっとも、内の一人は面白くて仕方が無いといった様子で笑い転げてはいたのだが。
「なっ、言ったろ。ワームなんぞ、ヴォルダーの敵じゃねーってな」
「みてぇだな。その調子なら、前は任せてよさそうだな?」
「当ったり前よ。あんた等は、横とか後ろから来る奴等を何とかしてくれ」
自身に溢れた声でクァルクは返事を返す。ヴィショップはそれに頷いて見せると、他の三人に目配せして前方以外の三方向に意識を向けるように指示する。そして各々が配置についたのに合わせて、ヴィショップ達の乗る砂船は混沌とした戦場の深みへと突入していった。
「ドイツ人、魔法でそこの害虫共を吹っ飛ばせ!」
「五匹も居るじゃないですか、んなの無理ですよ!」
矢を構えながらヤハドが怒声を飛ばし、ヤハドの指示したワームの数を見たミヒャエルが、無茶言うなとでも言いたげな声を上げて返事を返す。そんな彼等と背中合わせをするような形でヴィショップは、砂船の右側面から群がってくるワームに向けて、両手に持った二挺の魔弓の引き金を立て続けに弾き続けた。
向かってくるワームは先程相手にした個体よりも遥かに小型だが、それでも全長は二メートル近くある。魔力弾を撃ち込んだとしても一撃で倒せる相手ではなく、唯一急所だと見抜くことの出来た頭目掛けて二、三発撃ち込んでやる必要があった。その為ヴィショップの両手は先程から射撃と装填を繰り返して目まぐるしく動き回り、彼の足元には使用済みの魔弾が転がって足の踏み場を蝕んでいた。
「チッ、これじゃまるでバトル・オブ・モガディシュだ」
「ファッキン・アイリーンってかァ、ジイサン? まァ、こいつ等に限っちゃ、死んだ後に裸で引きずり回されることにゃならなそうだがなァ」
使用済みの魔弾を床に落とし、空となったシリンダーにクイックローダーを使って新たに魔弾を装填するヴィショップの悪態に対し、レズノフが飛びかかってきたワームの頭を切り飛ばしながら軽口を叩く。
「むしろそっち方がまだマシだね。連中の糞の一部として砂漠に放置させられるよりはよっぽどな。…ミヒャエル!」
使い終わったクイックローダーを床に落とし、その間に近づいてきたワームに魔力弾を撃ち込みながら、ヴィショップはミヒャエルの名を呼ぶ。
「はい、何です!?」
「クイックローダーが尽きた。お前、リボルバーの装填ぐらいはやったことあるだろ?」
弓で狙うことを諦め曲刀をワームの頭部に叩き込むヤハド。その彼の援護に周り、距離の離れたワームの身体を氷の槍で串刺しにしていたミヒャエルが、ヴィショップの声で彼の方を振り返る。ヴィショップはミヒャエルの方は振り返らずにそう問いかけると、魔弾の入ったポーチを彼の方に放り投げた。
「ちょっ、僕だけ仕事多くないですかぁ!?」
「六、七割はヤハドの野郎の働きだろうが、いいから黙って弾込めろ。嫌ならてめぇのタマをぶった切って連中に喰らわせてやるぞ」
「はいはい、分かりましたよ……ひあっ!?」
嫌々ながらミヒャエルがそう答えた直後、彼の眼と鼻の先を掠めて一本の矢がほぼ真上から飛来し、砂船の床に突き刺さる。
「や、矢ぁ!?」
予想もしてなかった人間の殺意に、ミヒャエルは狼狽した様子でヴィショップを見る。その時、既にヴィショップは顔を上げて矢が射かけられてきた方向を見ていた。
射手の姿は紛れも無く、灼熱の太陽の浮かぶ上空にあった。恐らくは計算づくなのだろう、逆光のせいでその姿はヴィショップからはよく見ることが出来ない。それでも人の身体のシルエットから左右に大きく広がった、一対の翼の影ははっきりと見ることが出来た。
射手の正体が何者かなのかは、ヴィショップにとってはどうでも良かった。今の彼にとって肝心なのは、射手の場所だけだった。
ヴィショップは両手の魔弓を上空の射手に向けると、左右の魔弓の引き金を一度づつ引いた。右の魔弓の狙いは射手の影の頭の部分に、左の魔弓は射手の影の中で一瞬だけ見えた銀の煌めきへと定めて。
果たして魔弓から放たれた二発の魔力弾は、正確に照準の先にある標的を撃ち抜く。右の魔弓から放たれた魔力弾は射手の頭に風穴を開け、左の魔弓から放たれた魔力弾は射手の放った矢を撃ち砕いて前進し、そのまま射手の身体を貫いた。
頭を撃ち抜かれて射手が絶命すると同時に、翼は羽ばたきを止め宙を優雅に待っていた身体は無様な螺旋を描いて落下していく。そして地面に激突する寸前で、血の臭いをかぎ取って群がってきたワーム達の中に姿を消した。ワームの群れの中に姿を消す直前、彼等の牙に引き裂かれて無残に食い千切られる姿をヴィショップに晒して。
「どうやらっ、この状況でも他人を蹴落とすことを考えられる奴がっ、いるらしいなっ!」
「あぁ。全く、その神経の太さは見習うべきだな」
近づいてきたワームを切り伏せ、続く一体に向けてダガーを投擲しながらヤハドがヴィショップに声を掛ける。ヴィショップは返事して再び右側面のワームの掃討作業に戻ると、何かを探す様に周囲に視線を巡らせた。
ヴィショップは僅かに口角を持ち上げると、そちらに向けて魔弓を向ける。そして素早く狙いを定めて、引き金を弾いた。
「はうっ」
ヴィショップの放った魔力弾は、数体のワームを挟んで砂漠を走っていた他の砂船の操縦者の頭を撃ち抜いた。こめかみを貫かれ脳をずたずたにされた操縦者は、一瞬身体を揺らした後そのまま砂船の上から落下する。野性を殺してまで手懐けていたことが災いし、手綱を握る人間を失ったオルートはゆっくりとスピードを落とし始める。ワーム達がそれを見逃す筈も無く、砂船とオルートはすぐにワームの牙に寄ってたかって引き裂かれ、姿を消した。
ヴィショップ達の砂船に集まっていたワームが数体そちらに向かったのを見て、ヴィショップは満足そうな表情を浮かべる。その時、彼は背後のミヒャエルが呆れた視線を向けているのに気付いて顔をミヒャエルの方へと向けると、ついでに同じような眼差しを向けるヤハドとも視線が合った。
「なんて面してやがる。言っただろうが、見習うべきだって」
「この状況でそれを真に受けたと考える訳がないだろう。クソッタレの米国人が」
「おいおい、俺をアメリカの総意みたいに捉えるなよ。ただ、俺が一風変わってるってだけさ」
肩を竦めてヴィショップが返事を返すと、ヤハドはつまらなそうに鼻を鳴らして顔を背け、近づいてきたワームの頭を切り飛ばす。ヴィショップは彼の態度に苦笑を浮かべて、同じように視線を砂船の右側面へと戻した。
「それにしても…随分と数が減ったな。これはもう、残り十人まで大した数はいないんじゃないか?」
ワームが他の餌に群がってくれた分生まれた余裕を生かして、他の参加者の砂船に視線を向けていたヴィショップが呟く。それにつられてクァルクも辺りを見渡すと、彼の言葉通りスタート時にはあれだけの数があった砂船が今では点々としか見られなくなっていた。この場の砂船が残る参加者の全てとは言い難いものの、もとより圧倒的な差を付けられる程の実力差が生まれるようなレースでもない。その為、この場にいる約十数隻の砂船が残る参加者の全てだと考えて、まず間違いはなさそうだった。
「確かにそうだな。この分だと、後一周か二周で勝負が尽きそうだ」
「オイオイ、マジかよォ! あんだけ雁首並べといて、もうそんだけかァ? 拍子抜けも良い所だぜ、全くよォ!」
クァルクの言葉を聞いたレズノフが、心底残念そうに声を上げる。ヴィショップは彼がその声を上げた動機には全く賛成出来なかったが、一方でそういった声を上げたくなる感情の方は理解出来た。
(見る限り、マジシャンもカタギリもいやしねぇ。となると、連中は本当にこのレースに出ていないってことか?)
結局、ヴィショップ達がこの地を訪れた目的である二人の人物を、ミライアス・ラグーヌの予選で見かけることはなかった。そうなれば、残されている可能性は二つに一つ。もたらされた情報がガセネタであったか、もしくは本戦の方に参加しているかのどちらかだった。
(本戦の方に参加出来るのは前回のミライアス・ラグーヌを生き残った人間のみ……もし本戦に連中が出ているとすれば、最低でも一年以上前から“こっち”にいたことになるが…)
ワームを撃ち殺しながら考え事をしていたヴィショップだったが、それは唐突に湧いて出てきた違和感によって遮られる。
「ん? 何だ、こいつ等? 逃げていくぞ?」
その違和感に気付いたのは、ヴィショップだけではなかった。同じ砂船に乗る仲間は元より、他の砂船に乗っている参加者達も彼等と同じように猜疑を抱いた眼差しで、食欲の権化のようなそれまでの振る舞いを失くし我先にと砂漠の中に潜っていくワームを見つめていた。
「何だよォ、ミミズの癖に戦意喪失かァ?」
「…もしかして、参加者が十人を切ったんじゃないですかね? それで開催側が、ワームを追っ払ってくれたりとか」
意外と的を得たミヒャエルの言葉に、ヴィショップは視線を左手首に填めた腕輪へと向ける。係りの人間曰く、残りの参加者が十一チームになれば点滅し、十チーム以下になれば光り出すとのことだったが、宝玉は光るどころか点滅すらしていなかった。
「いや、どうやらそうじゃねぇみたいだ」
「とすると、何だ? まさかロシア人の言葉通り、本当にあのミミズ共が俺達に恐れを為したとでも?」
ヴィショップの言葉を受けて、ヤハドが馬鹿馬鹿しそうに声を上げる。そんな彼等の疑問に対して答えを与えたのは、先程から会話に参加してこなかったクァルクだった。
「どうやら、理由はあれみたいだぜ…」
そう発した彼女の顔は笑っていたが、目は全くと言っていい程笑っていなかった。そして彼女がそのような言葉を発した理由は、視線を彼女の指差す方向に向けることですぐに分かった。
「おいおい、いくらなんでもふざけ過ぎだろう…!」
クァルクの浮かべている表情、まさにそのものを浮かべたヤハドが、微かに震えの混じった声で呟く。
一言で言ってしまえば彼等の視線の先、大体二、三百メートル先にあったのは砂地獄だった。ただしそれは蟻を呑み込む為のものとは到底思えない程の大きさだったが。
直径は約五十か六十メートル程のすり鉢状にくり抜かれた穴は、先程までは影も形も無かったにも関わらず、今こうしてヴィショップ達の眼前に存在していた。それも一つや二つなどではない。まるで参加者達の逃げ場を失くすかのように、十を超える数の巨大な砂地獄が砂漠のど真ん中に出現していたのだ。
「…全部躱し切れるか?」
「躱し切るしかねーだろ、こんなの。躱せなかったら死んじまうし、何よりレースに負けちまう」
砂地獄同士の間にあるスペースは非常に狭く、砂船の横幅二、三隻程しかない。その僅かな隙間を潜り抜けて数多の砂地獄を走破するのはクァルクの腕を以ってしても難しいのは間違い無かった。
しかしそれでも、彼女は一切の迷い無くヴィショップの問いかけに答えていた。ヴィショップは微笑を浮かべて肩を叩くと、魔弓の魔力弁に親指を乗せ、他の三人に指示を出す。
「ミヒャエル。お前はいつでも魔法を使えるようにしてろ。万が一こいつがしくじったら、岩でも出して支えるなり風で浮かせてやるなりしてサポートしてやれ。レズノフとヤハドは、俺と一緒に他の参加者に目を光らせろ。あんだけ狭い隙間だ、他の連中に道を奪われたら通り抜けられなくなる」
ヴィショップの指示に対して三人は頷いて見せる。それを見たヴィショップは再びクァルクの方に視線を向け、彼女の背中を軽く肘で小突いた。
「そういう訳だ。タマぁ縮こまらせずに、一つ派手にぶちかましてやれ」
「…オッサンの口調が移ったのか? オレにはんなもんついてねーよ」
ヴィショップの激励を受けたクァルクの口角が、小さく吊り上る。そして次の瞬間、彼女は鞭をしならせてヴォルダーの背に叩き込み、砂船を一気に加速させた。
「行くぞ、ヴォルダー! どうせなら一着でゴールしてやろうぜ!」
咆哮を上げたヴォルダーは鼻先を砂地獄同士の間へと向け、トップスピードでそこに向けて突っ込んでいく。
まるでそのヴォルダーの咆哮が合図だったかのように、他の参加者達も自身の駆る砂船の速度を上げ始める。多くの砂船は砂地獄の間のスペースの狭さを考慮して、他の砂船とは違うルートを選んだ。だが予選と言えども流石は天下のミライアス・ラグーヌというべきか、このような状況においてもなお、ヴィショップの予想通り対戦相手の数を減らすことに力を注ぐ存在がいた。
「一隻被った!」
「任せておけ!」
クァルクの言葉にいち早く反応したヤハドが弦を引き絞り、近づいてきた砂船の操縦者目掛けて射かける。放たれた矢は回転しながら飛んでいき、相手の操縦者の被っている兜の隙間に飛び込んでいった。
「……チッ」
兜の目出しの隙間から矢を生やした操縦者が倒れるのを見たヤハドだったが、すぐに表情を歪ませて舌打ちを打つ。何故なら操縦者が死んだかと思えば、後ろで同じように矢を構えていた同乗者が手綱に飛び付き、その後を引き継いだからだ。
ヤハドは再び矢を射かけるも、それは手綱を握る人間とヤハドとの間に割り込んできた、もう一人の同乗者によって防がれる。両腕を左右に広げて新たな操縦者の前に出てきたその同乗者は、ヤハドの放った弓を胸元に受けた者の、倒れることなく船上に仁王立ちしてヤハドを睨みつけていた。
「……大した根性だ。こんなクソみたいな催しには相応しくない程にな」
その姿を見たヤハドは、苛立ちを滲ませていた表情を険しいものへと変えてそう呟く。そして魔力弁を引き起こそうとしたヴィショップの前に出て、彼の動きを制すると矢筒から矢を二本取り出して弓に番えた。
「さらばだ、戦士よ」
その一言の後、ヤハドは限界まで引き絞った弦から手を離した。弓に番えられた二本の矢は空を切り、一条の銀色の閃光となって飛んで行くと、砂船とそれを曳くオルートとを結ぶベルトを断ち切った。
唐突に今まで曳いていた重みが消えたオルートは咄嗟にその動きを止める。それに対して、動力源を失った砂船は止まることも出来ずに直前の勢いを保ったまま直進し、目の前のオルートに激突した。
「障害は消えた、行け!」
「おう!」
t単位の体重を持つ肉の塊と激突した砂船は哀れな程木っ端みじんに砕け散り、手綱を握っていた人物は激突の勢いで放り出されて宙を舞う。ヴィショップはその人物の着地までを見届けることなく、手綱を握るクァルクに向けて声を飛ばした。
クァルクは短く返事を返すと、砂船を砂地獄の隙間目掛けて滑り込ませる。彼女達の乗った砂船は見事に砂地獄の隙間を通り抜けたものの、それはまだ序の口に過ぎない。前方には十秒と走らない内にぶつかる距離に次の砂嵐が控えており、その短い時間の間に半径約三十メートルの砂地獄を避けて続く隙間に砂船を滑り込ませなければならないのだから。
「掴まってろよ!」
クァルクは急激なカーブを描かせながら砂船の矛先を、次の砂地獄の隙間に向けて誘導する。それに伴って襲い掛かってきた強烈な遠心力に耐えるべく、ヴィショップ達は砂船にしがみ付く。他の参加者達による妨害ならともかく、このような状況においてはヴィショップ達に出来ることなどなかった。ただクァルクを選んだ自分達の勘が正しいことを祈りながら、手綱を握る彼女の姿を見ている以外には。
「入ったァ!」
砂船は砂地獄の縁のギリギリと掠めて、何とか隙間に入り込む。それを成し遂げたクァルクは歓声を上げつつ、今度は逆側の砂地獄に突っ込まないように軌道を修正した。
二つの砂地獄を潜り抜け、砂地獄の密集地も終わりに近づいていた。後一つ砂地獄を回避することが出来れば、命を抱えたまま抜け出すことが出来るだろう。砂地獄の隙間を駆け抜ける砂船の上で、ヴィショップがそう算段を付けていた時、不意に左の手首に填めていた腕輪の宝玉が光を帯び始めた。
「ヴィショップさん、これって…」
「あぁ、どうやらこのイカれたレースも、取り敢えず第一幕は終了ってとこみてぇだな」
「んだよ、まだまだ物足りねぇぜェ、俺はよォ」
宝玉の放つぼんやりとした光を見て、程度の差こそあれど同じ安堵の溜息を吐いたヴィショップとミヒャエル。それとは対照的に残念そうにレズノフはぼやくと、視線をクァルクの背中へと向けた。
「なァ、嬢ちゃんだってそうだろォ?」
「…そ、そうだな! こんなんじゃ、まだまだ全然、物足んねーよ!」
答える迄の微妙なタイムラグと、僅かな吃りが彼女の本音を的確に表していた。ヴィショップはクァルクの虚勢に苦笑を浮かべると、視線を前方へと向ける。
「次が来るな、大丈夫そうか?」
「あぁ。ケッコー良い位置に出た。これなら、さっきみたいに無茶して突っ込まなくても大丈夫そーだ。それに、他の連中も居ないしな」
クァルクはヴィショップの問いかけに堪えながら、最後の砂地獄の隙間へとヴォルダーを導いていく。彼女の言葉を裏付けるかのように、ヴォルダーと砂船は先程とは大違いの緩やかなカーブを描いて曲がり始めた。
それを確認したヴィショップは、彼女の背後を離れて砂船の縁にそっと身体を預ける。少なくとも、この次の周回を走り抜ければレースは終わる。その最後の周回で戦いを仕掛けてくる参加者がいる可能性もあるが、ヴィショップはそれが起こり得る確率は低いと踏んでいた。
砂嵐にワームの群れ、そして砂地獄。百を超える参加チームがたった数回の周回でその数を十にまで減らすハードな行程を生き抜いた後では、肉体的にも精神的にも全力を出すのは難しい状況にあるだろう。そんな状況で敢て戦いを挑むのはリスクが大きい。それにもしそんな真似をして勝ち上がっても、今度は既に本戦の参加資格を得ている連中に危険視されるというリスクを背負い込むことになる。どの道本戦に行けば最低一度はミライアス・ラグーヌを生き抜いた猛者が待っているのだし、今予選の参加者を殺すことによって得られるリターンは、それを行って背負い込むリスクと釣り合っているとは言い難かった。
「うしっ、上手くいった。スタート地点も近いし、後はもー一周すれば終わりだな。何なら、一位でも取ってやろーか」
「止めとけ、面倒臭ぇ。そういう事言うと乗り気になる馬鹿が居るんだからよ」
だが、クァルクの放った軽口に答えた直後、ヴィショップの抱いていた予想は、背中を駆けあがった悪寒によって打ち砕かれる。
その悪寒は、このレースの間中絶え間なく感じていたものだった。ただし、その瞬間にヴィショップが感じた悪寒は、このレースの中で感じ取ったどの悪寒よりも強烈だったが。
「……米国人?」
はっとした表情で向かいの左側の縁に向かったヴィショップを、ヤハドが訝しげな視線で見る。ヴィショップはそんな彼の視線を意に介さず、砂地獄を挟んだ向かい側を疾走する砂船をじっと見つめた。
その時、向かい側を走る砂船の搭乗者の一人と視線があった。砂漠の色に似せた外套を風にたなびかせ、外套から唯一覗かせた顔もボディペイントらしきもので同じ色にした、金髪の男と。
「クァルク、砂船をブッ飛ばす準備をしとけ。最後にもう一戦見えるぞ」
「もう一戦って、あの向かい側の奴等とか?」
ヴィショップの視線を追ったクァルクが、驚いた様子で聞き返す。ヴィショップは頷いて返事を返すと、ホルスターに収めていた魔弓を引き抜いた。
「あぁ、そうだ。しかも、飛びっきりの近接戦闘の用意もな。そこの馬鹿が火ぃ点いちまって止まりそうもねぇ」
そういうと、ヴィショップは微笑を浮かべてレズノフの方を見る。目があったレズノフは既に戦闘準備を万事整えていた。身も、そして狂気も共に。




