Big Eater
操縦者を失いゆっくりと動きを止めた砂船の上に立っていたレズノフは、長剣を二、三ど振って血糊を吹き飛ばしてから鞘へと納めた。そしてスピードを落として真横を通過した自分の砂船に飛び移った彼を、笑みを浮かべて振り向いたクァルクの声が迎え入れる。
「ダリの時は碌に見れなかったけど、オッサンやるじゃん」
「オイオイ、そんなに見つめられても、嬢ちゃんは俺の守備範囲外だぜェ」
軽口を叩きながら砂船の上に腰を降ろし水筒を口元に運ぶレズノフに、クァルクは微笑を浮かべて「バーカ」とだけ告げると、顔を前方へと戻し砂船を加速させるべく手にした鞭を振り上げる。
「さて、そこの連中のせいで時間食っちまった! 飛ばしてくぜ!」
「…でも、別にこれ順位がどうであれ死ぬかリタイアしなければ本戦には進めるんですよね?」
「バーカ、こいつはレースなんだぜ? もたもた砂漠亀みてーに走ってられっかよ!」
消極的なミヒャエルの意見を一蹴すると同時に、鞭がヴォルダーの背に叩き付けられ乾いた音が鳴り響く。鞭を受けたヴォルダーは一鳴きすると、五人の乗った砂船を曳いて力強く砂漠を泳ぎ始め、先程までのスピードまでどんどん加速し始める。
「他の連中はどうなったんだァ?」
「俺等の争いに巻き込まれても得は無いと考えたんだろ。どいつもこいつも素通りして先に行っちまったよ」
水筒の蓋を閉めるレズノフの問いかけに、ヴィショップが答える。彼の言葉通り、ヴィショップ達が防壁と巨大な槍を積んだ砂船と戦っている最中にも砂嵐を抜けてきた砂船はいたが、漁夫の利を狙う者が居るというヴィショップの予想に反して、そのどれもがヴィショップ達のことを無視して先へと進んでいった。まるで自分の尻に火でも付いているかのように、ヴィショップ達の砂船には全くと言っていい程意識を向けることは無く。
「チッ、そいつはマズいなァ。オラ、もっとスピード上げろよ嬢ちゃん。祭りが終わっちまうぜェ」
「言われなくても分かってるから、背中叩くんじゃねーよ!」
まるで馬を急かすかのように背中をバシバシと叩くレズノフに、クァルクが振り向いて抗議する。もっとも、そんなものをレズノフが素直に聞き入れる筈も無く、レズノフは文句を付けられた後も反省の色など微塵も見せずにヘラヘラと笑っていた。もしもヴィショップの勘が正しければ、後二回か三回は同じやり取りを目にする破目になるだろう。
「にしても、さっきの連中はとんでもなかったな。まさかあんなものを積んだのまで居るとは」
「全くですよ、どう考えたってあんなものを乗せようとか言い出した人は、頭に色々キテますよ」
先程襲い掛かってきた砂船のことを思い出して、ヤハドが半分呆れの混じった声を上げる。それに隣で聞いていたミヒャエルが熱の籠った態度で同調すると、ヤハドは何か言いたげな視線をミヒャエルへと向ける。
「兄貴の話だと、毎回何隻かはあんな感じの砂船に乗ってる連中が居るって言ってたぜ。何でも砂船からオルートにまで鉄製の防御版みてーのを付けて、他の参加者に片っ端から突っ込んでったのとかよー」
「…頭が痛くなってくる戦法だな。当然、そいつらは優勝出来なかったんだろ?」
「何でも、砂地獄か何かに呑み込まれて脱落したってさ。今でも死体が見つかったって話は聞いてねーな」
かつて兄から聞いた話を思い出しながら、クァルクはヤハドの質問に答える。その時、ヴィショップが前方に何かを見つけて声を上げた。
「前にあるの、あれ、砂船じゃねぇか?」
「んー? そうだな。つっても、あの様子からして乗り手はとっくに死んじまってるだろーが」
目を細めたクァルクがヴィショップの言葉を肯定する。近づいていくにつれて彼等が見つけたそれは、他の参加者が駆っていた砂船の残骸であることが分かってきた。
「かなりの数がやられてるな…」
「みてぇだなァ。あの砂嵐の中でどんだけ死んだかにもよるが、こりゃあもう大して数残ってねぇんじゃねぇかァ?」
無残にも砕き散った砂船の残骸を見ながら、レズノフが勿体無さそうに呟く。
だがそんな彼の表情はこの光景の持つ違和感に気付くことによって、さして時を置かずして訝しげなものへと変わった。
「なァ、オイジイサン…」
「あぁ…無いな、死体が」
レズノフ、そして彼以外の四人も感じた違和感の正体。それはこの場に砂船の残骸はあっても、そこに乗って居たであろう参加者の死体はおろか、砂船を曳いていたオルートの死体すら残っていないということだった。
「えっと…運営の人達がもう片付けたんですかね…?」
「一々コース上の障害物を取り除いてくれる程、甲斐甲斐しい連中には俺は見えなかったが?」
「ですよね…でも、それだとしたら何で死体が無いんでしょう? 野犬か何かにでも食べられちゃったんでしょうか」
「この短期間の内に食い尽くせるような量ではないだろうし、例え食っていたとしても骨が残る。骨すら残さないとするなら、それこそ丸呑みにでもしなければなるまいが人を丸呑みに出来る生き物など…」
ミヒャエルの言葉を否定しようとしたヤハドの口は、最後まで言い切ることなく途中で不意に動きを止めた。そしてその後は、ヴィショップによって継がれることになる。
「魔獣、だな。クァルク、この砂漠に人やオルートなんかを平らげるような魔獣は?」
「……何体か心当たりはあるけど、多分ワームじゃねーかな」
「ワームって……ミミズですよね。ミミズが人を食べるなんて、ちょっと想像できないんですけど…」
クァルクの返事に対しミヒャエルが訝しげな声を漏らす。その瞬間、砂船の後方からいきなり大量の砂が巻き上がったかと思うと、異様に甲高い叫び声のようなものが鳴り響いてミヒャエルの声を呑み込んだ。
船上の五人の視線が示し合せたように同時に、後ろへと向けられる。五つの視線が注がれた先には、太さにして直径三メートルはありそうな巨大な褐色の塔が鎮座していた。たった数秒前まで何も無かった場所に突如として現れたそれが、塔などではなく生き物であることに気が付いたのは、それがゆっくりと天に向かって伸ばした頭部を垂らしてからの事だった。円形の巨大な口と、その輪郭に合わせて生え並びガチガチとぶつかり合って音を鳴らす巨大な牙。その非常識な大きさと異様な姿は、ヴィショップ達の知るどの生物とも符合はしなかった。しかし直前にクァルクが漏らした名と、その名が指す生物とのかろうじての類似性のおかげでヴィショップ達は、自分達の目の前に現れた怪物こそがクァルクの言っていた存在であると判断することが出来た。
「あ、あれのどこがミミズなんだ…ん?」
太陽を隠し、自分達の上に影を投げかけるワームを見上げながら、ヤハドが茫然として呟く。その時、ヤハドは不意に錯覚に襲われた。一見すると口以外には耳も目も無い様に見えるこの怪物と自分が、今まさに視線を交錯させているような錯覚に。
だが残念ながら、彼の錯覚は単なる気の迷いでも何でもなかった。
「キィアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ヤハドがその錯覚を覚えた直後、口の周りにびっしりと生えた牙を大きく広げてワームが悲鳴のような鳴き声を上げる。そしてワームは牙を開いたまま、あまりの五月蠅さに耳を塞ぐヴィショップ達目掛けて頭から突っ込み始めた。
「クソッ、食われて堪るか! 避けろ!」
「避けるなって言われても避けるっつーの!」
クァルクは手綱を引いてヴォルダーに右に逃げるように指示する。ヴォルダーの方も元々逃げる気だったのか、クァルクの指示に即応して右に動き、頭から突っ込んできたワームを躱す。
攻撃を躱されたワームは当然止まることも出来ず、派手に砂を巻き上げて頭から砂漠に突っ込む。何とか一撃を凌いだヴィショップは、早急にこの怪物と片を付けるべく魔弓の魔力弁を起こして、魔弓の矛先をワームへと向けるも、ワームは砂漠に突っ込んだ勢いのまま身体をくねらせて砂を凄まじい速度で掘り進み、あっという間に砂漠の下にその巨体を消してしまった。
「オイオイ、潜りやがったぜェ。しかもとんでもねぇ速さでよォ」
「マズいな、真下から襲われたお終いだぞ…!」
ワームが姿を消した場所に奇異の眼差しを向けるレズノフを余所に、ヴィショップは魔力弁を戻して舌打ちを打つ。
砂船に限らず、自身の真下とは最も危険な死角であると言っても良いだろう。完全に通常の視界の外にある上に、いざ襲われた際の防衛手段の数も他の死角に比べて少ない。加えて地中ともなれば、迎撃しようにも姿は見えない上に相手まで攻撃を届かせることすら困難になる。真下を取られるということは、棺桶に片足を突っ込んでいるのと同じことなのだ。
「ど、どうするんですか!? 嫌ですよ、僕は! あんなブサイクで汚くて臭そうなのに食べられて死ぬなんて!」
「死に方が選べるような生き方してた訳じゃねぇが、俺だって誰かの糞になって死ぬのは御免だね」
悲鳴染みたミヒャエルの言葉にヴィショップは同意してみせると、視線をクァルクへと向けた。薄々自分に矛先が向けられることは分かっていたらしく、クァルクはヴォルダーに鞭を撃って砂船を加速させながら返事をする。
「小型の奴なんかはともかく、あの大きさだと地中にいても移動の際に音が聞こえてくる筈だ。そいつを聞いて、向こうの動きを判断するっきゃねーだろーな」
そう言ってクァルクは頭から生えている犬の様な耳をぴこぴこと動かす。その仕草を見てヴィショップは苦笑を漏らすと、背後のレズノフの肩を軽く叩いた。
「お前も付き合ってやれ。ついさっき叩いた偉そうな口が、法螺じゃねぇところをもう一度見せてもらおうか」
「なら、これでも一つ貸しかァ?」
「馬鹿が、やんなきゃてめぇも死ぬんだよ。それとも、ミミズの糞を墓標にすることがお前の夢だったっていうんなら、俺はこれ以上引き止めねぇが」
「おっと、そいつは勘弁だなァ」
ケラケラとレズノフが笑い声を上げたその時、地響きのようなものが砂船の後方より聞こえてくる。それが段々と大きさを増していっていることにヴィショップが気付いた時には、既にレズノフが声を上げていた。
「左斜め後方だァ、ケツにしゃぶりつかれんなよォ!」
「分かってる!」
叫び返しながらクァルクが砂船を左にカーブさせると同時に、砂中から勢いよく飛び出してきたワームが頭から砂船に突っ込み、喰らい付こうとする。しかしレズノフとクァルクの反応の速さのおかげでそれは失敗に終わり、ワームは砂船の一メートル程真横に牙を突き立てると、長い身体をくねらせて再び砂の中にもぐり始める。
「チッ!」
ただでやらせて堪るものかと、ヤハドが砂の中に姿を消していくワームへと矢を射かける。矢は一応ワームの表皮を突き破って突き刺さるものの、ワームの巨体からしてみれば人間用の矢など木の棘のようなものに過ぎず、ワームは鳴き声を上げることすらなく砂漠の下に姿を消した。
「駄目だな、矢では威力が足りん。米国人かドイツ人のどちらかでないと」
「まぁ、その二択ならどっちがどっちをやるのかは決まったようなもんだな」
弓を下して自分の方に視線を向けてきたヤハドに、ヴィショップはそう返すと魔力弁を押し上げる。
「レズノフ、聞こえたらすぐに教えろ。俺も気を張ってはみるが、さっきのを見る限りお前の方が反応が速い」
「あいよォ」
ヴィショップの指示に、レズノフが軽く手を振って答える。ヴィショップはゆっくりと魔弾に魔力を込めはじめながら、砂船の中央に立ち左手を魔弓のグリップへと伸ばす。ミヒャエルとヤハドは魔弓を構えるヴィショップの姿を一瞥すると、彼の射線を塞がないように場所を移動した。
五人の中から会話が消え失せ、沈黙が流れる。聞こえる音と言えばヴォルターが砂をかき分けて進む音だけで、先程までの騒々しさなど初めからなかったかのようだった。ヴィショップはその沈黙の中で、心の中に一つのイメージを構築していた。猛々しく荒れ狂い一片の情も無く全てを呑み込む炎のイメージ。場を支配する沈黙と、頭上で輝く太陽のもたらす灼熱はヴィショップがそのイメージを固めるのに、大いに役立った。
その沈黙の時間が一秒過ぎ、十秒過ぎ、そして二十秒過ぎる。この場に流れる唯一の音である、ヴォルターの前身する音を以外の異音がレズノフの耳朶を打ったのは、彼等の中から音が消えてから二十三秒が経過してからのことだった。
「四時の方角だァ、ジイサン!」
レズノフの叫びが砂漠の大気を震わせ、その振動に弾かれたかのようにヴィショップの身体がレズノフの告げた方向へと向く。その時、彼の身体の動きに合わせて空を切った魔弓は、宙に炎のような赤い軌跡を残していた。
ワームはそれと寸分違わないタイミングで姿を現した。先程と同じように、派手に砂塵を巻き上げながら勢いよく砂中より飛び出してくる。迷うことなく、大口を開いて獲物を呑み込もうと。
ヴィショップはその開かれた大口に瞬時に狙いを付けて、引き金を引く。それを合図に、魔弓は射出口から巨大な火球を撃ち出す。もしもワームに目があったのならば、自分に向けて撃ち出されたそれを第二の太陽と錯覚しただろう。少なくとも、この場でこの光景を見ることが出来たものは、そう錯覚したのだから。
だが、第二の太陽が姿を現したのも刹那の出来事だった。撃ち出された火球はワームの開かれた口へと吸い込まれるようにして進み、着弾と同時に轟音を上げて爆発した。
爆発によって火球が解き放った暴威は、ワームの身体を意図も容易く引き裂いた。火球の当たった頭部はもちろんのこと、体の半分までが爆発の衝撃に耐えられずに千々の小さな肉片へと変えられ、四方八方に体液や臓物と共にばらまかれる。何とか原形を保っていた身体の後ろ半分も爆風で後ろへと吹き飛ばされ、砂漠を跳ねながらどんどんと小さくなっていき、すぐにその姿をヴィショップ達の視界から消した。
「…これで一安心、だな」
「……なぁ、おい、あんたさー」
構えを解き、手元で魔弓を回転させてからホルスターに収めると、ヴィショップは微笑を浮かべて呟く。そんな彼の方に、背中を一面ワームの体液で濡らし頭から生えている犬耳に臓物の一部を引っ掻けたクァルクは振り向くと、引きつった笑みを浮かべながら言葉を投げかける。
「…仕方ねぇだろ。この一部にならなかっただけ、感謝してもらいたいね」
彼女と同じように全身ワームの体液塗れとなったヴィショップは、肩に引っかかっている人の腕の骨を投げ捨てながら答える。まだ所々に肉が付いていたことを見るに、ワームに食われて時間が経っていない犠牲者のものだろう。その犠牲者が誰なのかについては、流石のヴィショップも深く考えることはしなかった。他の三人も散々たる状態で、ワームの体液を基本として臓物やら消化しかかっていた食事の一部やらを盛大に引っ被っていた。中でもミヒャエルに至っては、髪に付いている肉片を掃うことも忘れて、砂船の縁から顔を突き出し苦しげに嘔吐いていた。
「も、もう勘弁ですからね、こんなの! 出るものは今出し尽くしましたし、今度やられたらそれこそ…」
口元で糸を引く涎を拭いながら喚き散らそうとしたミヒャエルだったが、彼の言葉は前方から薄っすらと聞こえてきた罵声と甲高い叫びによって徐々に勢いを失っていき、やがて砂漠の乾き切った空気の中に溶けて消える。
ミヒャエルが表情を驚愕と絶望に歪めていく一方で、ミヒャエルの言葉を無視して前を向いていた四人は、既に腹を括った顔立ちでそれぞれの得物を構え始めていた。そして五人の中でただ一人、歯をむき出しにした満面の笑みを浮かべているレズノフが、ワームの体液に塗れたミヒャエルの肩を叩く。
「なら、この分だと五臓六腑まるごと吐き出す破目になりそうだなァ」
そう告げたレズノフの視線の先には、魔法や弓矢を四方八方へとばら撒きながら砂漠を疾走する十数隻の砂船と、それらを追って身体をくねらせながら砂漠を進む、砂船の二倍か三倍近い数のワームの群れの姿があった。




