Feast Of Berseker
「右から来るぞ!」
猛然と吹き荒れる砂嵐の中に、おぼろげに光る橙色の輝きを見たヴィショップが声を上げる。
彼の叫びを聞いたクァルクは無言で砂船の軌跡を、ヴィショップが捉えた光から遠ざかるようなものへと変える。その直後、おぼろげだった橙色の光は瞬く間に強さを増しながらヴィショップ達の砂船へと接近し、数秒と経たぬ内に巨大な火の玉という正体を彼等の前に晒した。
砂嵐の中から現れた火の玉は、砂船の一メートル程横に着弾して爆発する。吹き荒ぶ砂嵐の音にも負けない轟音と、爆発の衝撃による砂の礫を受けながらヴィショップは魔弓を火の玉の放たれた方向へと向け、二回引き金を引いた。射出口から放たれた魔力弾は、一瞬だけその姿を見せたかと思うとすぐに砂嵐の中に呑み込まれて姿を消す。ヴィショップは耳を澄ませて断末魔の悲鳴なり何なりを聞き取ろうとしたが、望んだ声が彼の耳朶を打つことは無かった。
「クソッ、このままだとマズイな…」
顔を船首の方に向けて、終わりの見えない砂嵐を睨みつけながらヴィショップが呟く。
ミライアス・ラグーヌ予選の一週目の終盤。武器等を使用した他チームへの妨害が解禁される直前となり、参加者の大半が思考を一度走破したコースをどのように動けば有利なのかといったことに使い始め、レースそのものへの集中力に微かな陰りを見せ始めたその瞬間を狙い覚ますかのように、突如として猛威を振るい始めた強大無比な砂嵐。参加者の視界を奪い去り、愚直にトップを争っていたチームの大半を葬り去ってもなおそれは満足せず、二週目に入った今においても勢いを衰えさせることなく暴れ続けていた。
砂嵐によって目視に殆ど頼ることが出来ない状況の中、ヴィショップ達はクァルクの鼻を頼りに砂船を走らせ続けていた。二週目に入った当初こそ、視界を潰された条件は同じだと考えていたヴィショップ達だったが、それが間違いであったことに気付かされるのにそう長い時間は必要ではなかった。スタート地点を通過し、再び観客席を後方に置き去りにするや否や、砂嵐越しに攻撃が飛んできたのだ。
他のチームにもクァルクのような嗅覚の持ち主がいるのか、或いはそれ以外の手段なのか。姿が見えない為にその方法は定かではないが、とにかく他の生き残りのチームの中にはこの砂嵐の中でも戦闘を行うことの出来るチームが混ざっていることだけは確かだった。そして加えて悪いことに、ヴィショップ達の中で唯一敵の位置を補足できるクァルクは手綱を握っている為に迎撃には参加できず、五人の中で遠距離攻撃が出来るのはクァルクとレズノフを除いた三人のみ。その中でミヒャエルはクァルクの補助の為に魔法を使わせているので魔法を乱発させられず、実質この砂嵐の中で敵を牽制できるのはヴィショップとヤハドのみだった。
「何か、この状況を打開できるような魔法とやらはないのか米国人。お前も一応、使えるんだろ?」
「無茶言うな、俺が使える魔法なんぞ初歩レベルのもんだ。この状況で役に立つような魔法なんぞねぇよ」
ヴィショップとは逆の砂船の左縁近くに腰を降ろして周囲を警戒していたヤハドの問いかけに、ヴィショップは振り向くことなく答える。
ヴィショップ達が『スチェイシカ』に行っている間に魔導魔法の魔法書を三段階目まで手に入れているミヒャエルと違い、ヴィショップは未だに魔導魔法神導魔法の二つ共に二段階目の魔法書しか手に入れておらず、見習いの域を出ていない。というのも、インコンプリーターであるヴィショップの内包する魔力量では三段階目の魔法書に載っている魔法など、二回や三回用いた時点でガス欠を起こしてしまうので、憶える必要性を感じなかったからである。実際、碌に使えもしない魔法を憶える時間と手間とを考えて、二段階目までの魔法書で習得を止めているインコンプリーターは多い。
「なら、ドイツ人…ッ!」
仕方なくヤハドが矛先をミヒャエルに向けようとした瞬間、砂船が唐突に右に舵を切る。ヤハド達は慌てて縁を掴んでバランスを取る。その際、ヤハドは自分のすぐ横、つまりは砂船の左横を一隻の砂船とそれを曳くオルートが過ぎったかと思うと、すぐに後方へと姿を消していくのを捉えた。
「米国人!」
「あぁっ!」
ヴィショップも同じものを見ていたらしく、ヤハドの呼びかけに応えた時には彼の手にしている魔弓の魔力弁は引き起こされ、魔弓に彫り込まれた装飾からは仄かに青白い光が漏れ出ていた。
砂船後方へと照準を合わせて、ヴィショップは引き金を引いた。極大の魔力弾は真っ直ぐに砂嵐の中に突っ込んでいき、一拍置いた後に数人分の悲鳴と木造の何かが砕ける様な音を五人へと届けた。
「これで一チーム脱落だなァ」
「…手持無沙汰なら、砂嵐越しに狙ってきてるチキン野郎の首を絞める方法でも考えてもらいたいもんだがねぇ」
かつて『パラヒリア』の騎士団長だった男が愛用していた長剣を抱き、退屈そうに拍手をして見せるレズノフを、ヴィショップは冷淡な眼差しで睨みつける。レズノフはそんなヴィショップの言葉にケラケラと笑ってみせたかと思うと、不意に立ち上がって砂船の右方へと向き直り、手にしていた長剣を勢いよく振り下ろした。
余りに俊敏なレズノフの動作に思わず身構えるヴィショップとヤハドを他所に、鞘に収まったままの長剣が低い風切音を奏でながら一閃される。その直後に木のようなものが砕ける音がヴィショップ達の耳朶を打った。
「何ですか、今の音は…」
「矢か。よく分かったな」
レズノフが長剣を振るのに合わせて鳴った乾いた音に、ミヒャエルが訝しげな表情を浮かべる。そんな彼の言葉を遮って、レズノフが長剣を振るった一瞬に砂嵐の中に光る銀閃を捉えていたヴィショップが、レズノフに向けかけていた魔弓の射出口を戻しながら声を掛けた。
「どっかの派手好きなお国がドンパチやらかしてくれるお蔭でなァ、こんくらいの雑音なら問題無く物音を聞き分けられるようになっちまったんだよォ。それこそ銃のスライドの作動音から、前戯に勤しむ野郎と女の微かな息遣いまで、何でもなァ」
砂船の上に腰おろして、レズノフは品の無い冗談を添えてヴィショップに返事をする。その時の彼の表情にはどこか人を小馬鹿にした笑みが浮かんでいたが、腰を降ろし再び長剣を抱きかかえようとした瞬間、その笑みは彼の表情の上から消え、顔の筋肉が怪訝そうに歪んだ。
「どうした、ロシア人? 今度はヘリのブラックホークのローター音でも聞こえてきたか?」
「何か、悲鳴によォ…」
「そりゃ聞こえてくんだろ。何せこんな状況なんだしな」
「いや、悲鳴に混じって何かの…こりゃァ、雄叫びかァ? いや、どっちかっつーと遠吠え?」
怪訝そうな表情で耳を澄ませるレズノフにつられて、ヴィショップ達も轟々と吹き荒れる砂嵐に耳を澄ませる。すると確かにレズノフの言う通り、人の悲鳴らしきものに混じってそりよりも甲高い生き物の雄叫びのようなものが聞こえてきた。
「何だ、こりゃあ?」
「少なくとも、人間が出すような音じゃなさそうですけど…」
「…人間じゃなかったら、一体何だっていうんだ? まさかこの砂嵐の中に人ならざる者でも紛れ込んでいると?」
「お前等! 前見ろ!」
ミヒャエルの漏らした言葉に、ヤハドが呆れた様な表情を浮かべる。それに対してミヒャエルが何か言い返そうとした直前で、操縦に専念して会話に参加していなかったクァルクが四人を呼ぶ。
クァルクの言葉に従って、ヴィショップ達は武器を構えつつ前方に視線を戻す。しかし彼等の予想に反してクァルクが示した先にあるのは敵の姿などではなかった。彼女が見据える先、すなわち砂船の進行方向上に見えたのは、光だった。相変わらず一寸先をも褐色に染め上げる砂嵐の中でおぼろげに光るどこか見覚えのある光。一秒ごとに徐々に鮮明さを増すその光が、砂嵐の向こう側から差し込んでいるものだと気付いた時、ヤハドが薄らと口角を吊り上げながら呟いた。
「砂嵐が…終わるのか…!」
「あぁ、そーゆーことだ。これでようやく…」
砂嵐の終わりが見え始めたことに希望を見出す、クァルク。砂嵐さえ抜けてしまえば、先程までのように一方的に撃たれ続けるだけの状況から脱出することが出来、相手に反撃する余裕も生まれるだろう。これでようやく、特定のチームに圧倒的に有利だった状況が終わりを告げることになる。
しかしそれは逆に言えば、特定のチームにとっては強烈なアドバンテージを失うことに他ならない。そしてそのような状況になった時、そのアドバンテージが消えてしまう前に少しでも多くの敵を潰しておこうという考えが起きても、全く不思議ではなかった。
「…チッ!」
クァルクやヤハドと同じように安堵を滲ませた表情で前方を見ていたヴィショップが、外套の裾をはためかせながら後方へと身体を翻し、魔弓の射出口を砂船の後方へと突き付ける。彼が構えた魔弓は装填された魔弾に魔力が充填されたことを示す青白い光を放っており、ヴィショップが魔弓を突き付けた先には砂船の前方に見えると光とは違う、橙色の光が徐々にその大きさを増しつつあった。
「堪えろ、てめぇ等ッ!」
叫びと共にヴィショップは魔弓の引き金を弾く。撃ち出された強化魔力弾は、後方から迫る巨大な火球を砂船の後方四、五メートルの所で迎え撃った。
「むおっ!」
「うわっ!」
互いに真っ向からぶつかり合った魔力弾と火球は爆散すると同時に、各々が持つ力を周囲に見境なしに放出する。当然、魔力弾と火球がぶつかり合った場所から十メートルも離れていないヴィショップ達の砂船がその衝撃から逃れられる筈がなかった。
それでも直前のヴィショップの叫びのおかげでクァルク達四人はその衝撃に対して備えることが出来た。しかし火球を魔力弾で迎え撃った当の本人であるヴィショップには衝撃に備えるだけの余裕は残されておらず、砂船に押しかかった衝撃をそのままその身に受ける羽目になった。
「クソッ…!」
全身に襲い掛かる衝撃に思わず後ずさった直後、踵が砂船の縁にぶつかってバランスを崩したヴィショップの脳裏で、喧しいくらいに警鐘が鳴り響く。しかしその時にはヴィショップの身体は真下に広がる砂漠に向かって頭から落ちようとしていた。
必死に何かに捕まろうと、ヴィショップは両腕を振り回す。しかし彼の手は空を切るばかりで何にも触れることはない。魔法を唱える時間なども当然ある筈は無く、生を掴み取るべく足掻く肉体とは裏腹に思考は徐々に死を受け入れ始めていた。
「っとォ」
しかし不意に彼の身体は落下を止める。ヴィショップは頭から砂漠に突っ込むまで後三十センチ程というところで、重力の働きに反してピタリと動きを止めた頭を持ち上げて、自分の胸元を掴む太い腕を見ると、視線を動かして自分を寸での所で助けた人物の顔を確かめた。
「おいおい、本当にボケちまったのかァ、ジイサン? こんなことになるんなら、チャイルドシートでもくっつけてもらった方が良かったなァ」
「いいからとっとと引き起こせよ。帽子の二の舞にはなりたくないんでね」
ヴィショップの胸元を掴みながら、レズノフは目元を意地の悪そうに歪めてヴィショップを見下ろす。ヴィショップは喉元まで出かけた礼の言葉を呑み込むと、服が破けるなりなんなりして砂漠に落ちる羽目になる前に引き上げる様にレズノフに告げる。
「ハイハイ、注文の多いジイサマなこってェ…」
特に気を悪くした様子も無く、目元も同じ様に歪めたままレズノフはヴィショップを引き起こそうと腕に力を入れる。
その瞬間、レズノフと彼が掴んでいるヴィショップ、そして他の三人の目に強烈な日差しが飛び込んでくる。レズノフは眩しさに目を細めながら口元を覆っていた布を降ろし、ゆっくりと目を開きながら周囲の光景を確認する。
「どうやら、砂嵐を抜けたみたいだな」
「あァ、そうみてぇだなァ」
先程までの太陽の光が殆ど届かない薄暗い景色から一変して、青空に煌々と浮かぶ太陽の姿が浮かび、蜃気楼の如くに遠方に見える『ミッレ・ミライア』とスタート地点に設けられた観客席を除けば、後は延々と砂漠が続く殺風景な風景。それを見なくなってまださして時間も立っていないにも関わらず、妙に懐かしく思えるその光景を眺めながら、レズノフはヴィショップの言葉に返事を返した。
「おい、何を遊んでいる貴様等。とっとと身体を起こして攻撃に備えろ」
砂嵐を抜けて初めてレズノフとヴィショップの体勢に気付いたヤハドが、弓を構えながら呆れた様な視線を二人に向ける。取り敢えずヤハドに対する反論は置いといて二人が改めて周囲に視線を向けると、ヴィショップ達と同じように砂嵐を突破した砂船が次々と青天の許に姿を現していた。
「俺達が一番乗りかァ?」
「いや、前にも何隻かいるぞ」
「まぁ、取り敢えず今やるべきことは一つしかねぇだろう」
他の砂船より僅かに速く砂嵐を抜けてきたことに気付いたレズノフが呟くと、クァルクがそれを否定する。依然として背中を砂漠と水平にさせながら砂船の縁から宙吊りの体勢でいるヴィショップは、二人の会話に割り込むと、右手に持っている魔弓を砂船の後方へと向ける。
「さんざラブコールを送ってきやがった連中に、借りをかえしてやらねぇとな」
ヴィショップがそう発するや否や、ヴィショップ達の砂船の後方より砂嵐を抜けた一隻の砂船が姿を現す。牙を切り落とされた一般的なオルートによって曳かれるその砂船の上は、三人の男達が乗っていた。その中の一人、身の丈を超す杖を手にした男の頭からクァルクのものとよく似た犬のような耳が生えているのを見た瞬間、ヴィショップは躊躇うことなく引き金を弾いた。
魔弓より撃ち出された魔力弾が、口元を覆う布を降ろそうと手元に伸びていた犬耳の男の手の甲ごと彼の口を吹き飛ばす。口に醜い大穴を空けられた犬耳の男は驚愕に目を見開きながらよろめくと、ゆっくりと後ろに倒れて彼の乗る砂船の上から落ちた。
犬耳の男が砂船から落ちたのを見届けたところで、ヴィショップの視線と犬耳の男の隣に座っていた長弓を持つ男の視線が交錯する。男は驚愕に呑み込まれていた瞳に怒りの炎を宿すと、長弓を構えて砂船から落ちかけているヴィショップ目掛けて矢を射かけた。
「レズノフッ!」
ヴィショップがレズノフの名を呼ぶと同時に、彼がヴィショップの身体を砂船の上に引き起こす。危ない所でレズノフの反応は間に合い、男の放った矢はヴィショップの髪を数本射抜いただけで砂漠の中へと姿を消した。
攻撃を捌かれた男は悪態を吐くと、砂船の上に置いた矢筒から新たに矢を引き抜いて弦に番える。そして改めてヴィショップに狙いを定めながら、手綱を握る男に指示を出そうとする。しかし声を張り上げるべく喉を振るわせようとした刹那に彼の視界の端で何かが一瞬光ったかと思うと、次の瞬間には一本の矢が男の矢を射抜いていた。
男の手が震えながら喉元に突き刺さった矢へと伸びて掴む。そして腕に力を込めて引き抜こうとするが、それが最後の力だったかのように、直後に男は膝を突いて崩れ落ちた。
手綱を握っていた男が背後の物音で振り向いて、残りが自分一人だけとなったことを悟る。食い入るように仲間の死体を見つめる男の脳味噌は、即座に今までの人生でもトップクラスの速さで回転を始め、次に自分がとるべき行動を模索する。この時、男にとって幸運だったことと不運だったことがあった。男にとって幸運だったこととは、死んだ二人と特に親しい間柄ではなかった為に、レースの危険という選択肢を即座に選ぶことが出来たこと。そして男にとって不幸だったこととは、自分の仲間の一人を撃ち殺した男の思考は、手綱を握る男のそれを超えた速さで次に取るべき行動を弾き出していたことだった。
男が前方へと向き直り、付けている腕輪に填められた宝玉を壊そうと腕を振り上げた瞬間、ヴィショップの手にした魔弓が轟音を奏で、手綱を握る男の眉間に風穴を開けていた。撃ち込まれた魔力弾は男の頭部を貫通し、一本のトンネルを男の頭の中に通す。男はすぐ真後ろで倒れている仲間の死体に、自らの脳漿をぶちまけた後、腕を振り上げた体勢のまま仲間の死体の上に倒れ込んだ。
「…生かしてやってもよかったんじゃないか?」
「生かしてやってもどうせ他の奴が殺してたさ。むしろ一発であの世送りにしてやった分、感謝して欲しいくらいだね」
操縦者を失い、ゆっくりと失速していく砂船を眺めながら、ヴィショップはヤハドの言葉に返事を返す。そして手綱を握るクァルクの方に身体を向けると彼女に近づき、肩に手を置いて声をかけた。
「どうだ? ビビッて漏らしてないか?」
「うるせー、さっきまで船から落ちかかってた癖に」
返されたクァルクの言葉に興奮の色を、視線だけをこちらに向けたクァルクの横顔に微かな笑みを見たヴィショップは、自分の心配が杞憂であることを理解する。ヴィショップはクァルクの肩から手を離すと、腰から吊るした水筒を一口飲んでから、魔弓のシリンダーを開き使用済みの魔弾を排出した。
「うおッ、凄ぇなァ、オイ。船が真っ二つになりたがったぜェ!」
新たに魔弾をシリンダーに装填していると、レズノフの楽しそげな声が左側から飛んでくる。その言葉につられてヴィショップがそちらに視線を向けると、一隻の異様な出で立ちの砂船が目に入った。
砂船は基本的に木造であり、ヴィショップ達の乗っている砂船もそのご多分に漏れていない。しかしヴィショップの視線の先にあるのは、そういった通例に捕われない例外の存在だった。ヴィショップ達の乗る砂船から、左に三、四十メートル程度離れた地点を進む一席の砂船。船体そのものはヴィショップ達と同じように木造だったが、砂船の右側面には結構な厚さを持った鉄製の防壁のようなものが設けられていた。そしてその防壁にでかでかと描かれた髑髏の絵の丁度口の部分には、子供ならば入り込めそうな大きさの穴があいており、その穴からは所々血に染まった槍の先端部分らしきものが覗いている。無論、そのような大きさの穴に入っているのだから普通の槍であるわけがなく、太さだけで女の腰回り程はあり、人間相手に使う代物ではないことは明白だった。
「な、何ですか、あれ…」
「何か、さっきアレで他の砂船真っ二つにしてたぜェ」
「…破城鎚ならぬ破船槍といったところか」
あまりにも物々しい風貌にミヒャエルが呆気に取られたような声を漏らし、それにレズノフが答える。レズノフの言葉を聞いたヤハドが興味深そうな顔つきでその砂船に取り付けられた装備に名を付けるが、そんな余裕はその後にヴィショップが漏らした言葉によって掻き消されることになる。
「何か、こっち近づいてきてねぇか、あの砂船」
ヴィショップの言葉の真偽を確かめる為に要した一瞬の間の後、ヤハドは背中の矢筒から引き抜いた矢を番え、ミヒャエルは何かと喚き始める。
「クァルク!」
「分かってる! あんなもん乗っけてるんだ、すばしっこさはこっちが勝つ! あんなのに捕まるかよ!」
吠える様にして答えながらクァルクは手綱を切り、接近してくる砂船から距離を取ろうとする。しかしクァルクの言葉とは裏腹に、鉄製の防壁を装備した砂船はぐぐんとヴィショップ達の乗る砂船に近づき、その距離を詰めていく。
「ちょっ、どうなってんですか!? 追いつかれてますよ!」
「嘘だろッ…!? あんなデカブツ乗せて、何であんなに速く動けんだよ…!」
ヴィショップ達の砂船と同等どころか、それ以上の速度で近づいてくる相手の砂船を、クァルクは驚愕と焦りの混じった表情で睨みつける。ヴィショップは舌打ちを打つと、三発目となる強化弾を発射するべく魔弓の魔力弁に親指をかける。
「下だ、ジイサン。奴等、流れに乗ってやがる」
その時、長剣を片手に今にも向こうの砂船に飛び移りかねない体勢のレズノフが、空いた手で狙いを定めるヴィショップの肩を小突いてそう告げる。彼の言葉を聞いたヴィショップの脳裏に、一瞬の間を置いて『ミッレ・ミライア』に到着する直前の大型砂船の上でのクァルクとの会話が去来する。それでレズノフの言葉の意味に気付いたヴィショップが視線を下の砂漠へと向けると、一見すると分からないものの確かにレズノフの言う通り、砂漠の中にまるで一本の道の様に砂が流動している地点があった。
「そういうことかよ…よし、ミヒャエ…」
相手のカラクリに気付いたヴィショップは、ミヒャエルの名を呼ぼうとする。流れに乗って移動している以上、相手の砂船は咄嗟の方向転換をすることが出来ない上に、流れを追っていけばどのように動いてどこで攻撃をしかけてくるのかも予想が付く。当然こちらが仕掛けに気付いたことがバレれば向こうも手を変えてくるだろうが、バレていない今ならばミヒャエルの魔導魔法による不意打ちをしかけることも可能であり、ヴィショップは実際にそれをミヒャエルに指示しようとしていた。
だが発しかけた言葉は横から素早く伸びてきたレズノフの手によって遮られたばかりか、彼の大きな手はそのままヴィショップの口を塞いで二の句を告げないようにしてしまった。
「おいィ、嬢ちゃん。俺が合図したらこいつを止めなァ」
口を塞ぐ手をどかそうともがくヴィショップを無視して、レズノフはクァルクに声をかける。
「別にいーけどさ…何してんだ、あんた等?」
「何、気にすんなよォ。嬢ちゃんは嬢ちゃんの仕事をやってればいいのさァ」
振り向いて怪訝そうな顔つきを向けるクァルクにそう返すと、レズノフはヴィショップの口元から手を離す。ようやく解放されたヴィショップは苛立ちの籠った視線をレズノフへと向ける。
「何のつもりだ? 俺ぁ、一瞬お前にその気があるかと思って、引き金を弾く直前まで行ったんだぜ?」
「心配しなくても、ジイサンにカマすような趣味はねぇよォ」
「じゃあ、何の為にこんなことを? お前、一体何しようとしてやがる?」
ヴィショップの詰問に対して、レズノフは口角を吊り上げて見せた後に答えを告げた。
「何、俺もそろそろ人をぶっ殺してぇのよォ」
そう言って、レズノフはヴィショップに向けてウインクしてみせてから立ち上がる。ヴィショップは、立ち上がって距離を詰めてくる相手の砂船を眺めるレズノフを、呆気に取られた目付きで見つめてから、呆れたように溜息を吐くと勝手にしろとでも言わんばかりにそっぽを向いた。
「おい、オッサン! そろそろか?」
「まだだァ」
近づいてくる防壁を積んだ砂船とレズノフを交互に見ながら、クァルクが訊ねる。砂船の上に仁王立ちの体勢のレズノフは、短い返事だけを返した。
「な、何する気か知りませんけど、そろそろじゃないですかね!?」
「まだァ」
接近してくる砂船とは逆側の縁に寄ったミヒャエルの上げる情けない声を、レズノフは一言で切って捨てる。そうこうしている内にも防壁を積んだ砂船は距離を詰めており、後十秒もしない内に搭載した槍の射程範囲内にヴィショップ達の乗る砂船を呑み込もうとしていた」
「お、おい、ロシア人!」
「まだだってェ」
それでもなお、レズノフは合図を出さない。彼はだんだんと大きさを増す髑髏の絵をじっと見据えながら、ゆっくりと長剣を鞘から引き抜いた。
そして防壁を積んだ砂船を曳くオルートが、残りの距離を詰めようと身体を沈み込ませた瞬間、レズノフは先程までの気の抜けた返事が嘘のような大声を上げた。
「今だァ!」
「待ってましたー!」
レズノフの言葉と同時に、クァルクが手綱を力の限り引く。刹那、砂船を曳いていたヴォルダーが自身の牙を砂漠に突き立て、無理矢理に速度を殺しにかかる。船体から放り出されそうな衝撃が搭乗者に襲い、皆がそうはなるまいと身体を突っ張る中、二メートル近い巨体の男だけが逆にその勢いを利用して前方へと駆け出していた。
呆気に取られるクァルクの真横を駆け抜けたレズノフは、船首を踏み台に身体を宙に投げ出す。急停止の勢いを利用しての跳躍は、完全武装のレズノフの巨体を易々とヴォルダーの先へと運んだ。そして長剣を頭上へと振り上げながらヴォルダーを飛び越えたレズノフは、今まさに狙いを狂わされヴォルダーの鼻先を通過しようとしている防壁を積んだ砂船へと、着地しようとしていた。
「はっ…ぐえっ!」
着地と同時に振り下ろされた長剣は、船尾に近い所に立っていた男の身体を男の身体を切り裂いた。レズノフの一太刀を受けた男の身体は、左の肩口から入り右の腰下から抜けた長剣の軌跡通りに両断された。
「え…? えっ…?」
仲間の上半身が斜めにずり落ちていく様を見た彼の仲間、手綱を握る男と砂流を作り出していたと思われる魔術師風の恰好の男の呆気に取られた目が、防壁の内側へと引っ込んでいる槍を境に立っている、顔を返り血で真っ赤に染めたレズノフの目と交錯する。
この時、彼等が明確な脅威を前にして動くことが出来なかったのを、責めることは出来ないだろう。自分達の策を見切っただけならまだしも、高速で動く砂船にすれ違いざまの一瞬に飛び乗ってきて瞬時に人一人を両断してみせるなど、大抵の人間には予想も理解も出来る筈がないのだから。
「あっ、お、お前…」
結局、手綱を握る男が現状を呑み込んで腰に吊るしているショートソードを抜いたのは、魔術師風の男の眉間にレズノフの投擲した手斧が突き刺さってからのことだった。
操縦者の男は槍を飛び超えて肉薄してきたレズノフ目掛けて、ショートソードの切っ先を突き出す。だがレズノフは左腕に填めている小手を使ってショートソードによる刺突を受け流すと、逆に操縦者の男の胸元に長剣を突き立てる。そして喀血した血がかかるのを意に介さず、力任せに長剣を振り回し操縦者の男の死体を砂船から放り出した。
レズノフがこの砂船に飛び移ってから乗っていた三人全てを殺すまでに、十秒とかかっていなかった。その数秒間の内に三人の人間を死体へと変えたという事実、それを噛みしめるかのようにレズノフは自分を包む血と臓物の臭いを肺一杯に吸い込むと、ゆっくりと吐き出しながら笑みを浮かべた。




