不穏なる出立
「コースはこの街の周囲の砂漠、続行可能なチームが十チーム以下で最終ラップ、最初の一週は武器等による妨害は禁止……ふむ、どうやら予選の内容は基本は例年通りだね」
ミライアス・ラグーヌの運営本部から帰ってきたヴィショップ達から予選の内容が書かれた紙を受け取ったダリは、その内容に目を通して一言発する。
現在、ヴィショップ達は『ホテル・スパノザ』に置いてきたクァルクを回収して、街の外れにあるダリの家に集まっていた。その目的はもちろん、明日の正午から始まるミライアス・ラグーヌの予選に関する打ち合わせの為である。いかんせん、カタギリ達がこの地に居るかもしれないという情報がもたらされた時期が時期だったせいで、ヴィショップ達にはとにかく時間がなかった。その為付け焼刃でも何でも、必要な知識と技術を早急に習得する必要があった。
「例年通りって、毎年こんなことやってんのか?」
「あぁ。なんせ莫大な金が動く賭博だからね。一攫千金を夢見て多くの参加者が出てくる。だから、賭けてる側が参加者の実力を把握する意味合いも込めて予選が開かれているんだよ」
「へぇ、それで何チームぐらい毎年参加してるんだ、この予選とやらには」
ヴィショップの問いに、ダリは少しの間考え込むような素振りを見せてから、何てことはなさそうな口調で返事をした。
「大体三ケタはいくんじゃないかな。二百までっていうのは、僕の知る限りではなかったと思うけど」
「生存確率は十パーセント以下、か。死亡する参加者の八割っていうのは、殆どここで出てるんじゃなかろうな」
ダリの返した答えに、ヤハドが呆れたような声を漏らす。特に彼の言葉をダリが否定したりすることはなかったことから、あながちヤハドの言った言葉も間違いではないのだろう。
「でもまぁ、僕のテストに合格した君達の実力なら、無茶さえしなければ生き残れると思うよ。これに出る様な連中は殆ど全てが素人だしね。偶に凄い才能の持ち主とかが混ざってて大番狂わせが起こるけど、そこは君達の運次第だろう」
「でもよー、ダリ。予選の免除者は前回のミライアス・ラグーヌの完走者だけだろ? それ以前ので一回完走してて、また出ようって思った奴も居るんじゃねーの?」
予選の参加者に注意するべき存在など居ない、と断言するかのような言い振りにクァルクが疑問を呈す。
「まぁ、そういった連中が紛れ込んでる可能性が完全に無いとは言えないけど……僕の知る限り、そういった連中が予選に出てきたことはなかったな」
「何でだ? 一回完走したような奴なら、リベンジの為にもう一度出てきてもおかしくねーと思うけどな」
「次への参加を見送るような奴は大抵、命からがら生き残って戦意を喪失した奴か、負傷してミライアス・ラグーヌへの参加に対する重すぎるハンディを背負ってしまったような奴だからね。特に重い怪我も無くてやる気もあるような奴なら、来年もまた出てくるし」
はっきりとそう言い切ったダリに対して、未だにその確信の根拠が掴めないクァルクは怪訝そうな表情を浮かべる。
ダリは眉間にしわを寄せるクァルクに微笑を浮かべると、種明かしをしようとして口を動かしかける。しかし彼が言葉を吐き出しかけた言葉は、レズノフの声によって遮られた。
「やる気があって五体満足な奴が次のレースに参加しねぇのを、賭けてる側の連中が認めねぇからだろォ?」
「…あぁ、その通りだよレズノフ」
浮かべていた微笑を引っ込めて、ダリがレズノフの言葉を肯定する。一方のレズノフはダリとは対照的に、ニヤニヤと意地の悪い笑みを顔に張り付けていた。
ミライアス・ラグーヌは莫大な金が動く賭博である。それこそ『ミッレ・ミライア』の国家運営に必要不可欠な存在となっている程に。それだけの金が動くようなレースであれば、負けた人間が多少の無茶を働こうとするのも有り得ない話ではない。参加者の八割が死ぬようなレースで完走したチームはそれだけで高い実力を持っていることに他ならず、そういったチームに賭けていた人間が翌年で負けを取り返すべく次回の参加を強制するというのも、決して荒唐無稽とは言えない話ではあった。実際、ヴィショップなどは表沙汰には出来ない類の賭博関係でそういった話をいくつか耳にしていたし、関わりを持っていたりもしていた。
「とにかく、そういう訳で参加者自体は君達の実力なら何とか相手に出来るだろう。もちろん、大量のチームが一気にしのぎを削る訳だから何が起こるかは分からないし、油断は出来ないけどね」
「なら、予選はオレ達ならラクショーってことか?」
得意気な笑みを浮かべるクァルクの言葉を、ダリは首を左右に振って否定する。そしてヴィショップ達から渡された紙を目の前の机の上に広げた。
「どちらかというと問題は、参加者よりもコースと運営の方だ。こっちの方がどちらかといえばヤバい」
「そんなに予選のコースは厳しいんですか?」
「…コース自体は砂漠を回るだけだから、これといった障害物も無い走りやすい地形だ。ただ、実際に予選を行う段階になるとそうはいかなくなるだろう」
ダリの返答の意味が掴めず、ミヒャエルが首を捻る。彼の言っている言葉の意味をこの場で理解出来たのはクァルクと、この街に来る過程で乗っていた砂船で彼女と会話を交わしたヴィショップだけだった。そして頭の回転の速さの問題で、答えに先に行きつくことになったのはクァルクではなく、ヴィショップの方だった。
「例の運営側が起こすサプライズってやつか」
「サプライズ? 何だ、それは?」
ヴィショップの言葉にヤハドが疑問を問いかける。彼の疑問に対する説明は、ヴィショップの言葉を受けて首を縦に動かしたダリが行った。
「参加者がレースそっちのけで殺し合いに夢中にならないようにする為に運営側が色々と仕掛けを施すんだよ。足を止めたら最後、レースに復帰できなくなるような類のやつをね」
「それ予選でも行われるってのかァ?」
「あぁ。というか、参加者の数が減らなくて数日がかりでレースを行うなんて事態にならない為に、下手すれば本戦以上に過酷なものが仕込まれてもおかしくはないね」
「…予選参加者の命の重さは、それこそ塵芥以下、か」
ダリの説明を聞いたヤハドが蔑むような口調で呟く。それに対してとやかく言う者はこの場には居なかった。
「で? 予選の内容について大体は理解出来たところで、次はどうするんだ? 実際にコースに行ってみて一っ走りしてみるか?」
「いや、そいつは無理だろう。もう運営の人間が明日のレースの為の準備をしているだろうし、変な小細工をされないように封鎖している筈だ」
「じゃあ、どうするんだ? このまま酒を流し込んで寝ちまうっていうのも、流石にヤバいだろ」
下見がてら予選のコースを回ってみようというヴィショップの意見を、ダリが却下する。肩を竦めたヴィショップが彼に代案を求めると、ダリは椅子から立ち上がって答えた。
「そうだな、明日のレースに必要なものの買い出しは必要だろう。それとクァルクは、ヴォルダーとの調整もだ。アレも臭いで君がルァイズの妹だってことは分かるだろうから指示を無視することはないだろうけど、何せ初めて乗る訳だからね。それが終わったら、僕の知る過去の予選の情報と照らし合わせて対策でも練ろうじゃないか。どうだい?」
ダリの提案に、ヴィショップは軽く手を上げて賛成の意を示す。他の面々もダリの視線が自分に向けられるのに合わせて、思い思いのやり方で彼に賛成していることを表し、椅子から立ち上がった。
「では、それぞれ動き出すとしよう。クァルクは留守番を頼む。僕達は……そうだな、日が暮れるまでにはここに帰ってこようじゃないか」
ダリがそう告げて会話を締めくくると、彼を含めた六人は明日の準備の為に動き出す。
例えそれで死ぬことになったとしても、少しでも未練無く息絶えることが出来るように。
ヴィショップ達がミライアス・ラグーヌの登録を済ませた翌日、つまりはミライアス・ラグーヌの予選開催の当日。空に我が物顔で浮かんでいる太陽が、まるで地上に対する裁きか何かの様に容赦の無い日差しを浴びせる中、クァルクを入れたヴィショップ達五人は、砂船を繋がれてスタート地点に佇むヴォルダーの周囲で、水筒を片手に運営が何らかのアクションを起こすのを待っていた。
「しっかし、本当に馬鹿みたいな数の参加者だな。どいつもこいつも、よくこんなイカれたレースに参加する気力が湧いてくるもんだ」
砂船の縁に腰かけ、手巻きの煙草を吸いながらヴィショップは感嘆の声を漏らす。彼が視線を向けている先には、横一列に並んだ無数の砂船とオルート、そしてそれらに乗船する参加者達の姿があった。
その光景を見てヴィショップはダリの言っていた、二百はいかないという言葉が誇張でも何でもなかったことを悟る。ヴィショップ達の両側にずらっと並んでいる参加者の数は余りにも多く、どちらを見てもその終点が見えない程で、スタート地点を挟むようにして設置された八段構成の観客用の席ですら小さく見える程だった。
ヴィショップは唇の隙間から紫煙を吐き出しながら、参加者達の姿を観察し始める。
前日に運営本部で見たのと同様、彼等の姿は様々だった。鎧を着込むなど戦争にでも繰り出すような装備の者も居れば、殆ど着の身着のままで明らかに自分の意思で参加したのではないような者も居る。二本の足と二本の腕を持った普通の人間が要れば、獣の耳や尻尾のようなものを生やしていたり、背中から昆虫の脚みたいなものが伸びている者も居り、そういった統一性の全く無い面々の姿は、スタート地点で渦巻く喧騒と相まってこの場を一層混沌としたものに変えていた。
そうした参加者達の姿を追う中で、どのチームにも必ず一人、青い宝玉のようなものが填め込まれた腕輪を付けている者が居るのを見て、ヴィショップは視線を自分の左手首へと落とした。彼が視線を落とした先には、連中が付けているのと同じ意匠の腕輪があった。
「リタイアしたくなったら割って下さい、か。果たして割ったところで、助けが来るまで生きてられんのかね」
腕輪に填め込まれた宝玉を撫でて、ヴィショップが皮肉気に呟く。それはスタート地点で待機する直前に、運営の人間から渡されたものであった。
この腕輪は一種の神導具で、レースの続行が可能な参加者の数の把握の為に運営が参加者達に配っているものである。ヴィショップ達にこれを渡した運営の人間曰く、丁度青い宝玉の埋め込まれた部分の裏側に小さな針があり、腕輪を填めることによって填めた人間の腕に刺さるような仕組みになっている。突き刺さった針は青い宝玉に繋がっており、青い宝玉は針を通して填めている人間の血の流れを感知する。そして血の流れを感知している間、宝玉は運営側が持っている親機とでも言うべき魔道具に信号を発進し続ける。つまり信号が発信されなくなる場合は死んで血の流れが止まるか、宝玉が破壊されるかのどちらかであり、信号の有無でレースの続行が可能か判断している為、リタイアしたくなったら宝玉を壊してくれ、とのことだった。
もっとも、どうやって回収するのかは暗に語らなかった当たり、リタイアしてみたところで生き残れるとは限らないと見て間違いなさそうではあったが。
「おい、米国人。そろそろじゃないか?」
腕輪を見つめていたヴィショップにヤハドが声を掛ける。ヴィショップは懐中時計を取り出して時間を確認すると、ヤハドに頷いて見せた。
周囲では他の参加者達に自分の砂船の周りでうろつくのを止めて乗り込みつつあった。ヴィショップは口笛を吹いて他の面々の注意を引き付けると、手の仕草で砂船に乗り込むように指示する。
「やっとかァ、随分と待たせてくれるじゃねぇかよォ」
「まー、この人数だからな。色々と手間もかかるんじゃねーの?」
会話を交わしながら、レースの開始が待ち遠しくて堪らないといった様子で砂船に乗り込む、レズノフとクァルク。その後からミヒャエルが、砂船の前で念入りに胸の前で十字を二度切ってから乗り込んだ。
「おいおい、何もっともらしく神に祈ってんだ。救ってもらえるような資格が、自分にあるとでも思ってんのか?」
「知らないんですか、ヴィショップさん。キリストは懺悔した殺人犯を許したんですよ? きっと僕の事も助けてくれます」
「殺人に加えて、強姦、死体遺棄、重暴行のオマケつきの身分の癖して、何言ってやがる」
祈りの仕草を茶化すヴィショップに反論したミヒャエルの言葉を、ヴィショップは鼻で笑う。
その直後、スタート地点の様々な場所に設置された音声拡散用の神導具から声が響き渡り、ヴィショップ達の耳朶を打った。
『皆様、大変長らくお待たせいたしましたァ! これより第四十六回ミライアス・ラグーヌ予選を開始いたしますゥ!』
スピーカーの様な形をした神導具から流れる声が予選の開始を告げるや否や、その声を掻き消さんばかりの歓声が観客席とスタート地点に並んでいる参加者達から上がる。
『本日の参加チーム数は、合計百三十八チーム! 参加人数の合計は四百人以上! 過去のレースと比較しても、トップクラスの参加数だァ! まず! 間違い無く! この地の歴史に残る、最高にブッ飛んだレースになるでッしょうッ!』
群集の歓声に負けじと、神導具から発せられる声も大きさも増す。周囲の熱狂に呑み込まれ、沈黙を貫いていたチームも段々と歓声を上げ始める中、ヴィショップ達は各々の獲物を確認しながら冷ややかに周囲の狂騒に耳を傾けていた。
『それではッ! 予選を始める前にこの人ッ! 前回のミライアス・ラグーヌチャンプにして、ミライアス・ラグーヌ最多優勝記録、最多連続優勝記録保持者ッ! フランケン・シュボルツ様から、参加者達に対する激励のお言葉を頂きましょうッ!』
神導具から流れてきた声がそう告げるや否や、真昼の砂漠の空に魔法によって奏でられた爆音が轟いた。
ヴィショップ達は得物に向けていた視線を爆音の鳴った方へと向ける。視線を向けた先は八段の観客席の最上段の一角にある、円形闘技場の皇帝席の如く部屋の体裁に整えられた一角だった。
そこに一人の異様な出で立ちの男が立ち、スタート地点に並ぶ参加者達を見下ろしていた。男が身に着けている衣服と呼べそうなものは、下半身に穿いている黒い皮のズボンのみ。上半身には薄汚れた灰色のマントを羽織っているだけで、鍛え抜かれた肉体とそこにびっしりと彫り込まれたタトゥーは惜しげも無く人々の視線と太陽の日差しに晒されていた。そして何よりもヴィショップ達の目を引いたのが、男の顔を覆っている鋼鉄製の仮面の存在だった。
どうやら仮面は男と共に相当の修羅場を潜りぬけてきたらしく、あちこちがへこんだりしていて輪郭は歪み、歪な形状になっている。そこに白と黒の絵具か何かを用いて、粗雑で荒々しいタッチで髑髏の意匠が施されている。仮面の口の辺りは口枷のようになっており、左右に伸びた穴からは歯の代わりに三本程の鉄の格子が輝きを覗かせており、目の部分に空いた穴からは一対の緑色の眼差しが眼下に向かって注がれていた。
『……諸君』
男の異様な出で立ちに意識を向けている間に、あれだけこの場を賑わわせていた歓声は鳴りを潜め、仮面の男…フランケン・シュボルツのものと思しき声が神導具によって拡張されて響き渡る。
『世の中には、存在が居る。一つ目は、愚か者。勝てる筈の無い戦いに挑み命を落とすような連中……つまりは、俺の眼下に居る諸君のことだ』
挑発染みた内容のフランケンの言葉が周囲に響き渡るが、それに食って掛かるような者は一人も居なかった。金と刺激を求めて自分の命すら投げ出すようなならず者連中でさえ、神道具から流れるフランケンの言葉に耳を黙って貸している。
『二つ目は、賢き者。己の実力を熟知し、勝てない戦いには望まない聡しき臆病者共……そこの観客席から諸君を見下ろしている連中のことだ。そして…』
両手で観客席を指し示したフランケンはそれが終わると自身の右手を胸の前に運び、親指で厚い胸板を軽く叩く。
『三つ目は、英雄。それらを力でねじ伏せその上に君臨する者、つまりは俺のような男のことだ』
恥じる様な素振りも見せず堂々とそう言い切ったフランケンの姿は、確かに英雄染みた威厳を帯びていた。その証拠に、ヴィショップの周囲では微かに息を呑む様な音が鳴り、フランケンを見上げる参加者や観客たちの顔には隠し切れない興奮の感情が滲み出ていた。
『俺は長きに渡って、この座に座り続けてきた。ミライアス・ラグーヌチャンプ…この世で最高の栄光と富を手にすることの出来る座。しかしこの座は俺の求めるある物だけは、今まで与えてくれることはなかった…。それが何だか、分かるか?』
フランケンが一端、言葉を切る。しかし彼が回答を求めている訳ではないことは明白で、先程までと同様声を上げる者は誰一人としていなかった。
フランケンは黙ったまま、ゆっくりと参加者達、そして観客席に集まった群衆を見渡す。そうしてたっぷり十秒以上沈黙を貫いてから、目の前に置かれた筒状の神導具に向かって話しかける。
『それは、俺以外の英雄の存在だ。俺を倒し、新たにこの座に座る英雄の存在…それだけは、この座は俺に与えてはくれなかった。…諸君は様々な欲望を抱いてこの地に立っている筈だ。金、名誉、女、誇り……その点では俺も諸君と同じだ。俺も、俺を倒しうる新たな英雄の存在を求めてこの地に立っている。俺の人生の終着地、死に場所を彩ってくれる人間を』
そう語りつつ、フランケンは右腕をすっと上げる。この場の視線の大半も彼の動きを追って、すっと持ち上げられる。
『諸君の中に、俺の渇きを満たしてくれる存在が居ることを信じている…そろそろ時間だ、カウントを始めるとしよう』
そのフランケンの一言で、参加者は目が覚めたかのように瞼を瞬かせ、自分の手綱へと向き合う。フランケンはその光景をじっと見下ろすと、レース開始へのカウントを始める。
『3』
「いいねェ、あの仮面野郎二号。こりゃあ、奴さんの為にも是が非でも勝ち上がらねぇといけねぇなァ」
愛用の大型ナイフを手の中で回しながら、レズノフが楽しげな口調でヴィショップに話しかける。しかしヴィショップはレズノフに返事を返すことなく、何かを探す様に辺りを見渡していた。
『2』
「おいおい、どーしたんだよ? いよいよこれから始まるってのに。忘れ物でもしたのか?」
振り返ってクァルクが怪訝そうな表情で問いかける。ヤハドとミヒャエルも同様の表情で、忙しない様子のヴィショップを見つめていた。
『1』
「…いや、何でもない。前向いてろ」
「…? とにかく、しっかりしてくれよ?」
何か言いかけたヴィショップだったが、カウントが迫っていた為に適当に取り繕ってクァルクを前に組ませる。彼女は怪訝そうな表所のまま振り返ると、改めて手綱を握りしめることで気持ちを切り替えた。
『0』
「行けッ、ヴォルダー!」
フランケンが上げていた手を振りおろしカウントを終えると同時に、今まで溜め込んできた分を爆発させるかのような歓声に見送られて、計百三十八騎の砂船が、百三十八頭分のオルートの咆哮と四百人越えの人間の唸りをを上げて、終わりの見えない砂の海目掛けて疾走を始めた。
クァルクとレズノフ、そしてヤハドまでもが周囲の熱気に当てられ興奮で顔を上気させる中、半分泣き出しそうな顔で縁にしがみ付いているミヒャエルを他所に、ヴィショップは一人硬い表情を浮かべていた。
彼の脳裏では、二人の人物の姿が渦巻いていた。この土地を訪れ、こうしてミライアス・ラグーヌに参加している理由でもある二人の人物の姿。その二人の姿を思い浮かべながら、ヴィショップはスタート地点で観察していた他の予選参加者達の姿を思い返す。
だがいくら思い返してみても、その中にカタギリとマジシャンの姿はなかった。




