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Bad Guys  作者: ブッチ
Four Bad Guys
12/146

Mafia’s Soul

 ヴィショップ等三人が向かったルートから唐突に上がった轟音が、三人の帰りを待っていたメンバー達の意識を一手に引き寄せたのは、リィスとポートレスが絶命してから三分程経ってからのことだった。


「おい!」

「分かってる!」


 頭部を除いた全身に鎧を着込んだ、黒髪をショートカットにした女の言葉に返事を返しつつ、リーダー格の男は腕に填めているブレスレット状の通信用神導具の紐の部分を軽く引っ張り、二回捻じってから元に戻す。そして神導具の紐の部分に通されている珠が軽く光ったのを確認すると、神導具に向かって呼びかけた。


「リィス!そっちは今、どうなってる!?」


 そこで言葉を切って応答を待つが、神導具からは声はおろか雑音すら発せられてはこない。


「使い方を分かってねぇんじゃねぇのか!?」

「そんなことはない!リィスは何回も使用しているし、念のために使用方法の書かれた紙を巻きつけてある!」


 リーダー格の男は、苛立った様子で訊ねるメンバーの一人に反論すると、全く音を発しない神導具を睨みつける。


「迎えに行った方がいいのでは?」

「いや、あいつ等から連絡が来るまでは止めておこう。下手に行ってこちらまでやられては目も当てられん」

「じゃあ、見捨てろってか?あいつ等が生きたまま腸を貪られてるかもしれねぇのにか?」

「そんな状態では、どのみち助からない。死体を拾いに行くのに命を賭けることもないだろう。それに、問題を解決してこちらに戻っている可能性も無い訳では無い」


 そう告げるリーダー格の男だが、今の状況で斥候として送り出した三人が生きている可能性など殆ど無いのは、リーダー格の男を含めた全員が理解していた。

 襲撃に遭い、それを解決したというのに報告を送らないなどということは、まず普通の状況では起こり得ない。起こるとすれば、実践経験の無い人間が襲撃に遭ったショックから立ち直れず、報告のことを完全に失念しているか、神導具自体が破損した場合だが、そのどちらも違うことは明白だった。

 まず前者は、ギルドが参加するメンバーに制限を付けている事実から考えても、そのような素人が参加することは不可能なので却下。後者も、通信相手を発見した証である、紐に通された珠の発光が起こっているので有り得ない。となれば、必然的に残った答えは、三人の全滅意外には有り得なかった。


「ふざけんな!んなことが起こる訳ねぇだろうが!」


 そしてそのことを理解しているからこそ、先程までリーダー格の男に食ってかかっていた女は、苛立ちを更に募らせてリーダー格の男に詰め寄った。彼が斥候に出た三人を見捨てようとしているのを、はっきりと理解してしまったから。

 だが、次の瞬間、場の全ての人間の意識は再び一か所へと集約されることになる。


「戻った…ぞ…」


 斥候に出た三人が選んだルート、その入り口。そしてそこに立つたった一人の男、ヴィショップ・ラングレンへと。


「テメェは…」

「二人はどうした?」


 鎧姿の女が突っかかる前に、リーダー格の男がヴィショップに問う。照明用の神導具を手放し、魔弓を両方ともホルスターに納めた状態のヴィショップは、顔に付着した返り血を袖で拭いつつその問いに答えた。極めて淡泊に。


「死んだよ」

「ッ!テメェッ!」


 その一言を聞いた瞬間、鎧姿の女がヴィショップの胸ぐらに掴みかかり、ヴィショップを壁に押し付ける。


「何で、テメェだけ生きてんだよ!何で、仲間でもねぇテメェが!何で、インコンプリーターのお前が生きてんだよぉ!」


 大声で叫びながら、鎧姿の女はヴィショップに向かって吠え続ける。だが、ヴィショップは何も答えず、その姿を見つめるだけ。


「ッ!何か言えよ、オイッ!」


 そんな態度が神経を逆撫でしたのか、鎧姿の女はヴィショップの顔面目掛けて拳を振る上げる。

 その様子を見ていたメンバーの内一人が慌てて止めに入ろうとするが、それよりも早く動いた存在がいた。


「う、おっ!?」


 それは殴られようとしているヴィショップ、その人だった。ヴィショップは逆に女の鎧に腕を伸ばす

と、首元の部分を掴んで思いっきり右に引っ張りつつ、体を翻す。その結果、ヴィショップと男の位置は逆転し、今度は女が壁に押し付けられる形となった。


「な、何を…」

「いいか、よく聞け」


 戸惑った表情の女の言葉を無視して、ヴィショップは幾分凄みの効いた声で語りかける。


「二人が死んで、俺が生き残った。それをお前が快く思わないのは当然だし、俺も死ぬべきなのは俺で生き残るべきだったのは他の二人だと思ってる。だからお前の拳を受け入れるつもりももちろんあるが、今はそれどころじゃないんだ」

「…どういうことだ?」


 ヴィショップの言葉と行動に茫然として返事を返せずにいる女のかわりに、リーダー格の男がヴィショップの言葉の真意を問う。


「斥候の途中でバウンモルコスの幼体に襲われた。二人の犠牲と引き換えに何とか倒せたが、一体殺し損ねた。だから、いつ群れを率いて戻ってきてもおかしくは…」

『しゅおおおおおおおおおおおおおおおっ!』


 ヴィショップがそこまで話したところで、後方から突如上がった多数の規寄生によって、言葉は遮られてしまう。

 その声に反応してヴィショップ達が、今まで入り口から歩き続けてきた道の方に視線を向けると、多数の白い影が蠢いていた。


「き、きやがった…!」

「チッ!」


 鎧姿の女が思わず上擦った声を上げる。そんな彼女を、ヴィショップは舌打ちを打ちながら脇に退かすと、ポケットから小瓶を取り出して身体に叩き付けた。


「な、何を…!?」

「おれが囮になる。あんた等は俺が来た道を行け。あの後一人で確認してきたが、そっちは奥まで繋がっていた」


 驚いた表情の鎧姿の女を一瞥してから、ヴィショップはリーダー格の男に先に行くように告げる。


「…それは“ハラーンの香水”か?」

「そうだ」


 リーダー格の男の険しい表情を浮かべながらの問いに、ヴィショップは先程と同じように淡泊に答える。

 ハラーンの香水、それこそがヴィショップが先日購入し、ポケットの中に忍ばせていた小瓶の中身の正体であった。


「ハラーンの香水って、バウンモルコスの幼体を引き寄せる効力を持った…!」

「そうだ。嗅覚のみに頼って行動するバウンモルコスの幼体のみ嗅ぎ取ることが可能であり、その単純な思考能力すら剥奪して一心に匂いの元を追いかけさせる力を持った匂いを発する香水…、そう説明されたよ」

「な、何やってんだよ!?そんなの使ったら奴等、地の果てまで追ってくるぞ!」


 ご丁寧に効力の説明までしたヴィショップに、鎧姿の女は声を大にして訊ねる。

 それに対しヴィショップは、ホルスターに納まっていた二挺の魔弓を引き抜きながら答えた。


「囮には、その方が都合が良いだろ?二人を死なせた罪滅ぼし、させてくれや」

「なっ、何言って…」


 そう言ってメンバーの前に進み出て、両手に握った魔弓を構えるヴィショップを、鎧姿の女は信じられないものでも見ているかのような目で見つめる。

 今日初めて出会った、仲間でもなんでもない人間。そんな人間が逃げる時間を稼ぐ為に、命を捨てた囮役を実行しようとし、その動機を、目の前で命を落とした、出会って数時間にも満たない人間への罪滅ぼしだと語る男は、異常と呼ぶに相応しい存在と言えよう。

 故に、彼女がヴィショップに対して向けた眼差しは向けられて当然だと言えた。目の前に立っている男の言葉の真偽を確かめるべく、向けた眼差し。だが、


「行くぞ!」

「あっ…」


 その眼差しが真実を見抜くことはなく、彼女はリーダー格の男の手に腕を掴まれ、ヴィショップが指示した退路に向かって引っ張られる。

 鎧姿の女は鎧をガチャガチャと鳴らしながら振りほどこうとするが、


「離せよ!また見捨てる気か!?」

「激情に駆られるな!今、ここでこの場に残ることは奴の覚悟を踏みにじることだというのが、分からないのか!」


 逆にリーダー格の男の叱責を受けて、黙り込んでしまう。

 そして鎧姿の女は唇を噛み締めながら、リーダー格の男に手を引かれてヴィショップが指示した道に向かっていたが、不意を突いてリーダー格の男の手を振りほどくと、迫りくるバウンモルコスの幼体の群れにむかって引き金を弾き続けるヴィショップの背中に向かって、声を張り上げた。


「死ぬなよ!」


 背後から投げかけられた、力強く、それでいてどこか儚い響きを伴ったその一言に、ヴィショップはニッと笑って言葉を返した。


「誰が死ぬかよ」


 ヴィショップが告げたのはたった一言。だが、それだけで彼女にとっては充分だった。


「…?」


 その一言を聞いた瞬間、彼女の中に言い様の無い気持ち悪さが浮かび上がる。そしてその正体を掴もうとさらに言葉を重ねようとするが、それ以上の会話は不可能だった。


「早くしろ、死にたいのか!」


 鎧姿の女はその一言だけを耳にすると二の句を告げぬまま、リーダー格の男に引っ張られて他のメンバーと共に右側の通路に姿を消した。


「…さて」


 彼女達の後ろ姿が遠ざかっていくのを後目で確認すると、魔弓のシリンダーを親指で撫でながら、徐々に迫りつつある白い影の群れに照準を合わせる。


「お邪魔虫も消えたし、ハッピー・タイムと洒落込もうか?お触り禁止、延長無しだが、楽しんで逝ってくれ」


 そして、充満する冷気に当てられてひんやりとした冷たさを帯びた引き金を、弾いた。




「ッ!始まったか…!」


 記号のような模様によって埋め尽くされた通路を駆ける彼等の背後から聞こえてきた轟音によって、戦闘が始まったことを、彼等は悟った。

 ヴィショップにその場を任せた『双頭の牡牛』のメンバー達は、ヴィショップに指示されたルートを、断続的に続く轟音をBGMに一目散に駆け抜けている真っ最中であった。


「クソッ!どれくらい持つと思います!?」

「知るか!3分持てば御の字だろ!いいから走れ!」


 互いに罵声を飛ばしながら顔を必死に上げ、まだ見ぬ出口目掛けて走り続ける四つの人影。その中で唯一、口を全く動かさずに地面を見つめ続けながら走る人影が存在した。


(あの時の一言…)


 その人物は、別れる寸前までヴィショップと言葉を交わしていた、四人の内最も後ろの位置で走り続けている鎧姿の女であった。つい先程まで怒りや困惑を浮かべていたその相貌に疑惑の色を新たに浮かべた。


(あの一言には恐れも不安も、ましてや覚悟の色さえ含まれちゃいなかった。あったのはただ一つ、確かな芯を持った生の気配…)


 彼女は昔から妙なところで勘の冴える人間だった。それによって命を救われたことも両手で数えるには多すぎる程あった。そんな彼女の勘が告げていたのだ。“あの男は死を覚悟してなんかいない”と。

 だからこそ彼女の頭の中では疑問が渦巻いていた。どう考えても死しか待っていない状況に立っているにも関わらず、何故ヴィショップが死を覚悟していないのか?


(あの数のバウンモルコスの幼体、そしてハラーンの香水…。どう考えても生き残れる筈がねぇ。逃げたところで永遠に追ってくるのがオチだ。なのに…何でアイツが死ぬ気がしない?)


 そして、どうしてそう考えている彼女自身が、ヴィショップが死ぬと思えないのか? この二つだった。

 不安も恐怖も押し退けてこの二つの疑問に思考を巡らせつつ、他の三人に追随する鎧姿の女。だが彼女の思考も足も、目的に辿り着く前にその動きを止めることととなった。


「おい…何だよ、こりゃあ…!」


 考え得る、最悪の形で。


「っと、どうした?何止まってんだよ?」


 不意に足を止めて立ち尽くしている前方の三人の姿を捉えた鎧姿の女は、ぶつかる寸前で立ち止まると、茫然と前方を見つめる三人が何を見ているかを確認するべく、三人の間を縫って前に出る。


「えっ…?」


 その瞬間、目の前に広がった光景を目の当たりにした彼女は、他の三人と同じく目を見開き、眼前の光景を魂を抜かれたような表情で見つめることとなった。

 そこに広がっていたのは斥候に出したリィスとポートネスの死体、そして僅かにこびり付いた返り血が目立ってしょうがない、終着点(デッド・エンド)を意味する石壁だった。


「おい、どういうことだよ…?こっちはつながってるんじゃ…?」

「まさか…私達は…」


 メンバーの中から上がった震え声が、通路に満ちた冷たい大気を震わせ、微かに反響する。

 だがその直後、その微かに反響した言葉を掻き消す程の悍ましい絶叫が、大気を振動させた。


『しゅおおおおおおおおおおおおお!!』

「なっ、この声は!?」


 突如響き渡った耳障りな咆哮に、リーダー格の男が背後に振り返り、ワンテンポ遅れて他の三人もそれに倣う。


「嘘だろ…」


 背後に蠢く雄叫びの正体をその眼に捉えた瞬間、メンバーの中から絶望に塗れた呟きが漏れる。

 彼等の背後に蠢くのは、通路を塞ぎかねないつるつるとした白い皮を纏った醜悪な肉の塊。それが獲物を求めて我先にと前に進もうとし、縺れ合っているバウンモルコスの幼体の群れだと気付くのに、長い時間は必要はなかった。


「そ、総員攻撃たいせ…ッ!」


 次の瞬間には、本能の渦中に囚われたバウンモルコスの幼体の群れが、仲間を踏み潰すことも厭わずに『双頭の牡牛』のメンバー目掛けて雪崩れこんできたのだから。


「うわぁッ!来るな!くる…グモッ!」

「クソッ!クソックソッ!クソォォォォ……!」

「うおおおぉぉぉ…ッ!」


 狭い通路の中に絶叫が響き渡り、そして肉の山の中に沈んでいく。


(そういう…ことかよ…ッ!)


 白い肉の奔流に呑み込まれていく中、消えていく仲間達の声と己の絶叫を聞き、痩せ細った長い指が鎧を無理矢理引きはがしていくのを感じ取りながら、彼女は考える。


(どうやったかは…分からねぇが…ッ!)


 気の遠くなりそうな腐臭を放つ人間のソレに似た牙が己の皮膚と肉を貪り、骨と皮しかないような手によって肋骨がみしみしと音を立てながら折られ、そして引き剥がされていき、人間のソレを遥かに超える長さの舌が内臓を穿り出そうとする、想像を絶する痛みに耐えながら、彼女は気付く。


最初(ハナッ)から…俺た…ち…を…)


 牙が腸をしっかりと咥えて引きずり出し、指が弱弱しい抵抗を見せる腕にへばり付いてへし折り、舌が胆嚢を絡め取る。けれど痛みは微塵も感じずにただ奇妙な寒さのみを感じながら、薄れゆく意識の中で彼女は悟る。


(嵌……め…………る…………)


 ヴィショップが死を微塵も覚悟していなかった、その理由を。


(く……そ…………)


 そして最後に、その殆どを食い千切られた口で音に成り得ない怨嗟の言葉を呟くと、彼女の目に灯った生に光がゆっくりと霧散していった。





「どうやら終わったようだな」


 通路から聞こえていた悲鳴が完全に途絶えたのに気付いたヴィショップが、顔を通路の方に向けながら呟く。そんな彼の姿はつい先程まで繰り広げられていた惨状とは真逆に、余裕に満ちた姿をしていた。服装には叩き付けた小瓶の中身によって出来た染みと、遺跡の中を歩いている最中に付着した埃などの汚れ以外には目立ったものは無く、魔弓こそ抜いているものの、その矛先は地面に向けられており、その上本人は壁に寄りかかって目の前のバウンモルコスの幼体の群れを眺めているという有り様だった。


「しかし、不気味な奴らだぜ。こんなのに死に際を看取られる奴には同情するね」


 直ぐ近くに居る彼を無視して、ぞろぞろと通路に入っていくバウンモルコスの幼体の群れを気持ち悪そうに眺めながら、ヴィショップは苦笑を浮かべる。

 バウンモルコスの幼体の姿は成体とはかなり異なっており、成体が百足のような姿をしているのに対して幼体は、顔に目も耳も無く、ただ切れ込みのような鼻と腐臭を放つ口以外は、体毛の一切無い真っ白な肌をしたやせ過ぎの成人男性のような姿をしていた。


「それにしても、たいした効果だな、こいつは。念の為に買っといて正解だったな」


 そんなバウンモルコスの幼体を眺めつつ、ヴィショップは親指の掛けた手袋を填めた手で水筒を取り出して視線を落とし、水筒を軽く振りながらぽつりと呟く。

 何故、バウンモルコスの幼体の群れが通路に逃げた『双頭の牡牛』のメンバーの方に向かい、バウンモルコスの幼体を引き寄せる筈のハラーンの香水を浴びたヴィショップを無視したのか。その答えを、今この瞬間のヴィショップの姿が雄弁に語っていた。

 仕掛けはごく単純なもの。まず一つ目は、ハラーンの香水の入った小瓶の中身と水筒の中身を、ヴィショップはリィスとポートネスを殺した時に入れ替えていたこと。つまり、囮役を引き受けた時にヴィショップが身体に叩き付けた小瓶に入っていたのはハラーンの香水ではなく、ただの水だったのだ。

 そして二つ目は、ヴィショップがハラーンの香水を染み込ませた物体を『双頭の牡牛』のメンバーである鎧姿の女に忍ばせていたこと。それを実行したタイミングは彼女が掴み掛ってきた時。あの時ヴィショップはハラーンの香水の匂が染みついた物体を彼女の鎧の隙間に忍ばせた。そしてハラーンの香水の匂いを染み込ませた物体、それこそがヴィショップが斥候の二人を殺した後に切断した、自らの手袋の親指部分だった。彼は、先端部分を香水に浸し、浸した部分を中心にボール状に丸めたものを鎧姿の女の鎧の隙間に忍び込ませたのだ。

 故に、群れの真っただ中に残ったヴィショップは無傷で生き残った。故に、群れから逃げた彼女たちは無残な最後を遂げた。

 そこには神の裁きも、善行や悪行による因果応報も介入しなかった。したのはただ一つ、たった一人の男の暗い意思のみ。

 

「“周到な備えを持つものに、勝利の女神は微笑みかける”…。まさにその通りだな」


 ヴィショップは、最後の一匹が通路に入っていくのを眺めながら、満足そうに呟く。その表情は、一時的とはいえ信用を寄せてくれた人間を纏めて、しかも他の生物の餌にするという形で葬った人間が浮かべているとは思えない程、満足気な表情だった。

 例えるなら、何の変哲も無い悪戯を成功させた悪童のような。


「さて、最後にコイツの性能テストと行きますかね」


 ヴィショップはそう呟いて壁から離れると、右手に握った魔弓を構えて通路の入り口の真上に向ける。そして親指で魔力弁をゆっくりと引き起こした。


「へぇ…」


 ガチッ、という音がなったかと思うと、体を妙な感覚が走り抜ける。まるで引き起こした魔力弁の隙間に吸い込まれるような焦燥感に似た奇妙な感覚。だが、それも数秒と経たない内に消え失せてしまった。

 ヴィショップはこの奇妙な感覚が消失したのに気付くと、息を大きく吸ってから魔力弁に意識を集中させる。すると再び、今度は先程とは気色の違う脱力感のような奇妙な感覚がヴィショップの体に走る。


「おぉ…」


 だがヴィショップの意識がその感覚に向けられていたのも最初の数瞬だけであった。何故なら、その感覚を感じて直後に、ヴィショップの目に飛び込んできたからだ。銃身に彫り込まれた装飾が青白く発光し、言い様も無い幻想的な美しさを醸し出す、己が右手に握られる魔弓の姿を。


「せ、救世主(セイバー)っていうより、美の女神(アフロディテ)の方がしっくりくるな、こりゃ…」


 今の状況も忘れて、思わずその姿に見とれる、ヴィショップ。裏社会で老いて枯れるまで生き続けてきた彼をもってすら、抗えない程の魅力をその魔弓は放っていたのだ。


「…と、んなことしてる場合じゃないな」


 それでも流石と言うべきか、ヴィショップは数秒程で正気に戻ると、改めて魔弓の狙いを定め、そして、


「んじゃ、世話になったな」


 引き金を弾いた。

 その瞬間、魔弓の射出口から光が迸ったかと思うと、目ではっきりと視認出来る程の大きさの魔力弾が発射され、通路の入り口の真上の天井に命中し、轟音と共に破裂した。


「ふむ。中々どうして、良い威力だ」


 ヴィショップは、崩れてきた天井の瓦礫で埋まった通路の入り口を見ながら、満足そうに呟く。そして魔弓をホルスターに納めると、外套を翻してもう一つの通路に向かって歩き始める。


「こっちが繋がってる保障はねぇが…まっ、そんときは他の奴らが行った道まで引き返せばいい話か」


 靴音を響かせて歩きつつ、ヴィショップは薄ら笑いを浮かべて呟いた。


「どの道、俺等四人以外の人間を生きてここから出させる気は、毛頭無ェんだからよ」






 ヴィショップが己の思惑を着々と進めているその頃、『べイヴループ』とウォーマッド兄弟の選んだ左側のルートでも、似た様な思惑が進行していた。


「クソッタレェェェッ!」


 もっとも、こちらはヴィショップのと比べて、より直接的ではあったが。


「喚くな、うるせぇ」


 頭を両断せんとして振り下ろされた刃が迫りつつあるにも関わらず、ゴルトな鬱陶しそうな態度を崩さずに呟く。

 いくつもの部屋とそれを繋ぐ通路によって構成された、三手に別れた内の左側のルート、そこは現在、地獄絵図と言っても差し支えの無い状態に陥っていた。冷気に当てられて温かみを失っている筈の床は、流れ出た血液で生温く暖められ、床を構成する石材の堅さは、床に散らばっているバウンモルコスの幼体と『べイヴループ』のメンバーの死体によって、感じることが出来なくなっていた。

 この惨状の始まりは数十分前、渋々ウォーマッド兄弟を同行させた『べイヴループ』のメンバーが、バウンモルコスの幼体の群れに襲われたところから始まった。他の面々と別れ、ウォーマッド兄弟の同行を許可した数分後に現れたバウンモルコスの幼体の群れの数は決して少なくは無かったものの、群れは行く手を遮るように出現しており、無視して通るという選択肢は存在しなかった。その為、彼等はバウンモルコスの群れとの戦闘を開始し、三名の死傷者を出したものの、ウォーマッド兄弟の活躍もあって群れを殲滅することに成功したのだった。

 だが、本当の意味での戦闘の幕開けはそれからだった。群れとの戦闘での兄弟の戦いぶりから兄弟の実力を認めて握手を申し出てきた、『べイヴループ』の一団の指揮を執っている男を、ゴルトが撃ち殺したのだ。その結果、当然のことながら『べイヴループ』のメンバーとウォーマッド兄弟は雪崩れ込むようにして交戦状態に突入し、今の状況になったのだった。


「なッ!?」


 上段から振り下ろしたロングソードの一撃、それを魔弓によって受け止められ、ロングソードを握る男は驚愕を露わにする。


「なッ、じゃねぇよ」


 そして次の瞬間、男が、ゴルトの腕が一瞬ブレるのをその視界に捉えたその時には、既に男の喉笛から生命の証たる血液が噴水のように噴き出していた。


「ケッ、雑魚が。それでよく、ランクC以上やってられるな」


 茫然とした表情を浮かべたまま前のめりに倒れる男の身体を見て、ゴルトは吐き捨てるように呟く。その左手には短刀が握られており、妖しげな美しさを帯びた刃紋のある刀身からは、今しがた殺した男の血が滴っていた。


「ヒューッ。久し振りに見たけど、やっぱ兄貴のソレはスゲェなァ」


 すると、少し離れたところで戦っているフランクが、目の前の男の首を斬り飛ばしながら、ゴルトに賞賛を送る。


「ハッ、こんなもん、このカタナとやらを売りつけてきた商人に三十分程で叩き込まれた技術だ。大したモンじゃねぇよ」


 それに対してゴルトは、新手が横薙ぎに振るってきた片手剣を刀身に魔力弾を打ち込むことで破壊し、その隙に姿勢を低くして一気に懐に潜り混んで短刀を腹に突き刺しつつ、下らなさそうに答える。


「でも、スゲェじゃん。俺もそれやろうとしたけど、出来なかったしよ」


 そんなゴルトの言葉にフランクは、自ら目掛けて振り下ろされた大斧の柄を右手のロングソードで、全長の半分辺りのところで切断し、加えられる筈だった唐突に力を失って哀れにも真上にすっ飛んでいこうとしている刃の着いた大斧の上半分を、斧を振るっている男の膝を踏み台にしてジャンプしてキャッチ、膝を踏み台にされて体勢を崩している男の頭に大斧の刃を叩き込みながら、納得がいかなさそうな声を上げる。


「そんなモン、お前にスマートさが足りないだけだろ。技術云々じゃなく」

「んだよ、じゃあ、俺にはスマートさが足りないのかよ?」


 大斧の一撃によって原型を留めていない頭部から血を吹き出しながら倒れる男を背景に、下らないおしゃべりを続ける、二人。いつの間にか、この空間にはそんな二人の話し声と約一名分の荒い気遣い以外には、一切の音が存在していなかった。


「そ、そんな…。Cランク以上のギルドメンバーを…十六人たった二人で…!」


 ゴルトとフランクによって片っ端から葬られ、地に平伏して二度と起き上がることのない、変わり果てた仲間たちの姿を見て、最後の一人となった女魔導師が歯をカチカチと鳴らしながら、消え入りそうな声を出す。


「んだよ、まだ一人残ってんじゃねぇか」

「そうだな、兄貴」


 その声に反応したゴルトとフランクが、隅で振るえている女魔導師に視線を向ける。


「ひっ!に、逃げ…!」


 その視線をモロに受けた女魔導師は、持っていた杖をかなぐり捨てて必死に逃げ道を探そうとするが、手の届く範囲にあるのは壁のみで逃げ道となるものは存在せず、逃げ道と成り得る二つの道、つまり彼女等が通ってきた道と先に続く道は、どちらも兄弟の至近距離を通らなければ辿り着くことが出来なかった。


「い、嫌…助けて…」


 その状況を悟ったのか、女魔導師は床に、腰が抜けたかのようにストンと座り込み、消え入りそうな声で命乞いを始める。

 兄弟はそれをつまらなさそうな表情で見ていたが、やがてゴルトが何か考えついたのか、フランクに耳打ちし始め、それが終わると左手に握っていた短刀を仕舞いながら女魔導師に告げた。


「いいだろう、さっさと逃げな」

「えっ…いい、んですか…?」

「あぁ。気の変わらねぇ内にな。ただし、遺跡の奥じゃなくて外に向かってだ」


 女魔導師はゴルトのその言葉を聞くと、目に涙を溜めながら、ゴルトにの指示した、今居る場所の真逆に位置する出口に向かって、震えで足が縺れて転びそうになりながら必死に駆け始める。


(り、理由は分からないけど…助かる!私は…助かる!)


 今や彼女の心内には、完全に希望の炎が灯されていた。


(遺跡を出たら…兄さんの所に行こう!ギルドの事を忘れて…二人で、昔みたいに…!)


 彼女の脳裏に、親の代から続く大して売れもしないパン屋を律儀に営み続ける、数年前に喧嘩別れしたきり会っていない実兄の姿が浮かび上がり、希望の炎はより一層燃え上がる。出口までの距離はもう殆ど無く、縺れてうまく動かない彼女の脚でもあと十秒程で辿り着ける距離にあった。


「えっ…?」


 だが、その時がそれ以上動くことは無かった。


「あ……あ…?」


 突如、顔の横を撫でた風と、何かに右肩を突き飛ばされたような衝撃によって、女魔導師は床に転倒する。そしてうつ伏せに倒れた状態で、出口へと続く通路の横の壁に突き刺さった大斧の刃と、地に着いた自分の左腕を濡らす紅い液体、そして少し離れたところに転がっている自らの右手から右肩にかけてを、彼女の双眸が捉えた瞬間、彼女は全てを理解した。


「ああああああああああああああッ!」


 その瞬間、全身を奔る痛みの奔流に、彼女は絶叫を上げる。

 だが、それでも、


「あああああ…いか……なきゃ…ぁ」


 彼女は残った左手を両足の力を振り絞って、何とか立ち上がる。

 その先にある日の光を、その先にある兄の笑顔を求めて。


「お…にい…ぁぁ………ちゃぁ…ん」


 今にも掻き消えてしまいそうな声で自らを奮い立たせながら、彼女はゆっくりとした動作で歩き続ける。しかし、そんな彼女の耳に、どこか小馬鹿にしたような、そしてどこか醒めた声が突き刺さる。


「バァカ、外してんじゃねェか」


 その言葉が発せられた次の瞬間、ゴルトの右手に握られた漆黒の大型魔弓が、重厚な死の調べを奏でる。その射出口から発射された魔力弾は吸い込まれるようにして女魔導師の頭部に突き進み、彼女の皮膚を、頭蓋を、脳髄を突き破り、彼女の頭部を文字通りスイカ割りのスイカのように粉砕した。


「チッ、分かったよ。俺にはスマートさが足りない、認めるよ」

「そうだ。それでいい。いつの時代も、己の力を把握出来ない奴は強くなれないからな」


 着弾の衝撃で前のめりに吹き飛ぶようにして転倒した女魔導師の身体が床に倒れる。ゴルトとフランクはその様子を大した感慨も無く眺めながら、会話を交わしつつ武器を収めると、身体を翻して遺跡の奥に向かって再び歩き始める。


「けどよ、兄貴。何で奴らを殺す必要があったんだ?別に生かしといてもいいだろ?」


 フランクがある気ながらゴルトに質問すると、ゴルトは溜め息を吐きながらそれに応える。


「分かってねェな。いいか?街中のギルドが参加している依頼で、みんな仲良しこよしでお手て繋いで帰ってくるのと、他の実力者が全員死んだにも関わらず、俺達二人だけが依頼を達成して返ってくるのとでは、どっちが名が売れると思う?」

「そりゃあ…俺達二人の方だ」

「だろ?つまり、そういうことだ」


 その説明を聞いたフランクは、ゴルトの答えに納得したような素振りを見せかけるが、また新たな疑問点を見つけたのか、質問を続行する。


「でもよ、だったらバウンモルコスを殺すまで生かしといた方が良かったんじゃないか?そっちの方がバウンモルコスを殺し易いだろ?」

「馬鹿か、お前は。他にも二十人以上残ってるんだぞ?どうせ目的地は一緒なんだから最終的に合流する可能性は高いし、もしあそこで殺さずにいったら、合計四十人以上を二人で相手にしなきゃならねェんだぞ?」

「そっか、確かにそいつは面倒だな」

「そういうことだ。何事も、効率重視でいくのが賢い生き方さ。それに…」


 ゴルトはそこまで話すと、隣でウンウンと頷いているフランクを尻目に、一人楽しげな表情を浮かべて言葉を切る。


「恐らく…いや、絶対あいつ等は辿り着くだろうしな」

「あいつ等って…あの四人組のことか?」


 ゴルトはフランクの問いに、首を楯に振って答える。彼の脳裏では、あの酒場での決闘が鮮明に再現されていた。


「もし全員が…いや、あと二人、最低でも一人があの男と同程度の実力者なら、そいつらと俺等で充分にバウンモルコスを殺れる」


 そう告げるゴルトの瞳には、ギラギラと妖しい光が灯っていた。ゴルトの瞳にその光を見たフランクは、同じ様に楽しげに口の端を吊り上げながら、ゴルトに問う。


「でも、あいつ等も殺すんだろ」

「当たり前だ。名を売る云々を差し置いても、奴等に返すべき借りがある」


 その問いに一瞬の迷いも見せずに即答する、ゴルト。フランクはそのゴルトの態度に、ますます楽しげに口の端を吊り上げると、右手で拳を作って軽くかざす。


「楽しくなってきたな」

「あぁ、そうだな」


 ゴルトはフランクの拳にチラリと視線を移すと、自らも左手で拳を作り、それに打ち合わせた。

 そして二人は、沈黙に支配された『世界蛇の祭壇』に靴音を響かせながら、先へと進み続けた。一切、一片の不安も恐怖も憶えずに。その相貌に、心底楽しみでたまらない、といった笑みを浮かべて。

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