狩人と捕食者
「おい、何か野郎の船曳いてるやつ、こっちのと見た目が違くないかァ?」
こちらに向かってやってくる、ダリとその相方の乗る砂船を見たレズノフが開口一番に発したのは、彼等の砂船を曳くオルートの姿に関しての疑問だった。
ダリ達の乗る砂船を曳いているオルートの身体には、無数の傷痕があった。切り傷や刺し傷、魔弓によって付けられたと思しき弾痕のような傷や、火傷らしき痕。そして右目が有る位置にでかでかと鎮座する傷痕など、相当の修羅場を潜りぬけてきたことを伝える無数の傷痕が、彼等の駆るオルートの身体には刻まれていた。
だが、レズノフが言っているのはそれらの傷痕についてではなかった。彼が言及しているのは、ダリ達のオルートの下顎から生えている、若干の反りのある一対の太い牙のことであった。人の身体など容易く串刺しに出来るであろうその牙は、ヴィショップ達の乗る砂船、そして先に戦った二組の男達の砂船や、『ミッレ・ミライア』に来るまでに乗っていた船の避難船を曳くオルートは持ち得ていない代物だった。
「奴が使ってるのは、別種か何かか?」
後ろで同じくダリ達のオルートの姿を見ていたヴィショップが、クァルクに問いかける。クァルクは首を横に振ってヴィショップの言葉を否定すると、離れたところで動きを止めた牙を生やしたオルートを懐かしそうな眼差しで見つめて、二人の質問に答えた。
「別種でもなんでもねーよ。あの牙は、オルートの雄なら本来どいつでも持ってるもんだ。雌への求婚の時だったりに使う、雄のオルートにとっての力の象徴みてーなもんさ」
「なら、何で俺等のには生えてねぇんだァ? もしかしてこいつ、ツイてねぇのかァ?」
彼らしいといえばらしいレズノフの品の無い物言いが飛び出すが、クァルクは特に気にかける素振りも見せずに返事を返す。どうやら今や彼女の意識は、完全に雄々しい二本の牙を持つオルートへと傾いてしまっているようだった。
「砂船を曳かせたりする家畜用のオルートは、大抵牙を切っちまうんだよ。そうしないと気性が荒すぎて、全然言う事を聞かねーんだ」
「つまり、去勢みてぇなもんか。となると、あいつのオルートはどうして牙が生えっぱなしなんだ?」
動く気配を見せないダリ達のオルートを見つつ、ヴィショップはクァルクに訊ねる。吠え声一つ上げずにじっとその場で動きを止める姿は、今のクァルクの言葉が疑問に思えるぐらいに大人しかった。
クァルクはそんな牙持ちのオルートの方を見ながら返事を返す。彼女の返した返事は、実に単純明快な内容だった。
「兄貴とダリは成功させたんだよ、牙を切ってないオルートと心を通わせることをな」
「成る程。中々どうして、やるじゃあないか」
クァルクが答えた直後、砂船の上にいるダリが声を張り上げてヴィショップ達に話しかける。彼の言葉が、既に交戦不能となって動きを止めている二隻の砂船を指しての言葉であることは、まず間違い無かった。
「まーな! でも、そいつを持ち出して来たってことは、まだ認めた訳じゃねーんだろ!」
手綱から離した両手を口元に当てて、クァルクが返事を返す。
「まぁね。ミライアス・ラグーヌに出ても瞬殺されないことは分かったけど、その程度じゃまだ参加を認める訳にはいかないな」
「なら、認めさせてやるよ! さっさとかかってきな!」
「先手は譲るよ、クァルクちゃん。兄の親友として、先輩として胸も貸してあげたいしね。それに何より、君達の出方にも興味がある」
「…舐められてねぇかァ?」
「半分挑発、半分本気ってとこか」
クァルクとダリのやり取りを眺めながら、ヴィショップは呟く。そして恐る恐るレズノフの方に視線を向け、案の定口が裂けんばかりの笑いを彼が浮かべているのを見て、小さく溜息を吐いた。
「ヘッ、言いたい放題言ってくれるじゃねーか。おい、あんた等!」
レズノフ程ではないものの、挑発で火が付いたのか犬歯を覗かせた笑みを浮かべるクァルクが、ヴィショップとレズノフの方を振り返った。
「どうした?」
「あのオルートと砂船は、勝った暁にはもらう予定だ。だから絶対に傷つけんなよ」
指を突き付けて、クァルクは二人に強く言い付ける。あのオルートの姿を見た時から、あれこそがクァルクの目的だったと感づいていた二人は、特に驚くこともなく首を縦に振った。
その際、ヴィショップの脳裏に疑問が過ぎる。アレを貰い受けたとして、お前に操れるのか? といった内容のその疑問をヴィショップは、自信満々、戦意充溢状態のクァルクにぶつけようとも思ったが、かつてケーブルテレビで見た東洋のことわざを思い出して止めておいた。
「んァ? どうしたよ、ジイサン? 来世は金魚かァ?」
開きかけた口を閉じたヴィショップを怪訝に思ったレズノフが、声を掛けてくる。ヴィショップは彼の軽口を鼻で笑うと、頭を過ぎったことわざを呟いた。
「何、“取らぬ鶏の皮算用”ってやつさ」
「行くぞォ、ダリィ!」
ヴィショップの呟きを掻き消す勢いの咆哮と共に、クァルクがオルートの背に鞭をくれる。
首を擡げたオルートは一声鳴くと、鼻先から地面に突っ込み熱砂をかき分けて前進し始める。それに合わせて一対の牙を生やしたオルートも動き始める。その軌道は、まっすぐにヴィショップ達の乗る砂船へと向かっていた。
「どうすんだァ? さっきみたいにチキンレースでも仕掛けるかァ?」
「いや、あれと真っ向からやり合ったらこっちのオルートが持たねー。何とかして後ろを取る」
「分かった。なら、連中の目を潰していやるから、その隙に回り込め」
ヴィショップはクァルクにそう告げると、レズノフを押し退けて前に出る。そして魔弓を相手のオルートのすぐ手前の地面に向け、魔力弁を親指で押し上げて、装填されている魔弾に魔力を送り込み始めた。
「そろそろやるぞ。合わせろよ」
「任せとけ! って、ひっ!?」
狙いを定めつつ、ヴィショップがクァルクに声を掛けた直後、轟音を伴って飛来した魔力弾がヴィショップ達の乗る砂船の縁に命中する。
「仕掛けてきたか。こっちもやるぞ!」
「痛っ!?」
ヴィショップは魔力弾によって吹き飛ばされた縁を一瞥すると、情けない悲鳴を上げたばかりのクァルクの背中に左の掌を叩き付ける。バシッ、という乾いた音が響き、クァルクが抗議の視線をヴィショップに向けるも、ヴィショップはそれらを無視して魔弓の引き金を弾いた。
引き金が弾かれると同時に、強化された魔力弾が撃ち出される。発射された魔力弾が牙持ちのオルートの手前の地面に命中し、巻き上げた砂塵のカーテンが牙持ちのオルートと砂船の姿を覆い隠した。
「今だ、行け!」
「おうっ!」
ヴィショップの指示に威勢のいい返事を返しつつ、クァルクは手綱を切る。それに合わせてオルートは軌道を右に変え、地面に半円の軌跡を描く軌道でダリ達の砂船の後部へと回り込んだ。
「よしっ、後ろを…!」
「っとお!」
作戦通りダリ達の背後に回り込むことに成功し、視界に彼等の乗る砂船の船尾が現れる。それを見たクァルクが歓声を上げるが、その直後、巻き上げられた砂塵の中に光を反射して光る二つの存在を捉えたレズノフは、彼女の黄褐色の混じった黒髪を掴んで後ろに引き倒した。
レズノフがクァルクを引き倒した直後、すっかり聞きなれた轟音が前方から上がって砂漠に轟き、撃ち出された魔力弾が一瞬前までクァルクの肩があった部分を通り過ぎ、彼女を引き倒したレズノフの左腕に填められている手甲を掠めていった。
「ジイサン!」
レズノフが叫ぶ前から、ヴィショップは既に動き出していた。彼もまた、砂塵の中にダリのかけている眼鏡が反射した日の光を捉えており、こちらの動きが読まれていたことを悟っていたからだ。
砂船の上に寝そべり、出来る限り身体を隠しながらヴィショップは魔弓を構えて引き金を弾く。しかしダリの乗る砂船が横に動いたことで狙いは逸れ、砂船の側面を掠めるだけの結果に終わる。そしてお返しとばかりに、ダリの方がヴィショップ達に魔力弾を撃ち込んできた。
ヴィショップ達は咄嗟に身体を屈めて魔力弾を凌ぐ。顔を船首の影に隠す刹那、ヴィショップはダリの手の中の魔弓が黄土色の光を発しているのを見て、忌々しそうに舌打ちを零した。
「チッ、おい、クァルク!」
「な、何だぁ!?」
「距離を取れ! 狙いは船だ!」
明らかに六発という装填限界を超えた弾数が船体に撃ち込まれているのを、木の砕ける音と振動で感じ取りながら、ヴィショップはクァルクにダリから離れるように指示する。
「わ、分かった!」
クァルクはレズノフに引き倒された仰向けの体勢のまま、手綱を動かす。器用なもので前方を一切見ずに手綱を動かしているにも関わらず、オルートはヴィショップがクァルクに出した指示通り、ダリ達から距離を取り始めた。
スピードを落としつつ、左に動いて左斜め後方へと逃れる。それでも依然としてダリの攻撃は続いていたが、それは段々と散発的になっていきやがて完全に止まった。
「ひ、一先ず安心か?」
「みてぇだなァ。にしても、さっきのあれは何なんだァ、ジイサン?」
攻撃が止んだところで、ヴィショップ達は身体を起こす。見て見るとダリ達の砂船との距離は三十メートル近く開いており、どうやら何とか射程外まで逃れることが出来たようだった。
「あの蛇の頭を撃ち抜いたやつの、派生みてぇなもんだ。撃てるのは特殊な機構の魔弓のみだって話だが…まさかあいつがその“特注品”を持ってるとはな」
追撃出来るにも関わらずその素振りを見せないダリ達の砂船を眺めながら、ヴィショップはレズノフの質問に答えた。
一瞬だけ見えた魔弓から発せられる黄土色の光。そして魔弓の装弾数を遥かに超えた連射。その現象は、かつてヴィショップが『ウートポス』の港沖で不死身染みた生命力の怪物と戦った時に用いた、魔力弾に地の属性を付与させた時の起こる現象と全く同じだった。
それが示す意味は二つ。ダリの操る魔弓が、四属性を魔力弾に付与する機構を持った特別品だということ。そしてあとどれだけ撃てるかは分からないものの、ダリは強大な破壊力を持った四種類の弾丸を撃ち出すことが出来るということだった。
「何だよ? あんた等、ダリの魔弓のこと知らなかったのか?」
「……お前は船の状態を確認しろ。多分向こうの狙いは、こっちの船を使い物にならなくすることだ」
平然と言い放ったクァルクに色々と言いたいことが込み上げてくるが、ヴィショップはそれを呑み込んでクァルクに船がまだ動かせるかどうかを確認させる。
浸水、ならぬ浸砂こそしてはいなかったものの、数多の魔力弾を受けたヴィショップ達の砂船は色んな所に穴が開くなり、吹き飛ばされるなりしていた。今すぐ動かなくなるということはなさそうだったが、それでも最初にクァルクと共に砂船に乗った時のような急激な軌道に何度も耐えられる見込みは無さそうだった。
「でもよー。あいつ最初、オレのこと狙って撃ってきてたぜ。船を壊してギブアップなんて、温いやり方は狙ってねーんじゃねーの?」
「いや、あの揺れの中で正確にこっち狙ってこれる人間なら、あれを外したりしねぇ。今思えば、あれはこっちに仕掛けさせるための挑発だったんだろう」
「じゃあ、二発目のやつは? オッサンに引っ張られて当たらなかったやつ」
「俺とレズノフが反応するのを読んでたんだろ。あの後即座に属性付与した魔力弾を撃ち込んできてたし、あの一発でケリを付ける気はなかった筈だ」
離れた所をうろうろと動いているダリ達の砂船を見ながら、ヴィショップは答える。
呪文の詠唱によるサポートがない魔力弾への属性付与は、強固なイメージを頭の中に作り上げる必要がある。要求されるイメージそのものは、四大属性を象徴するシンプルなもので充分だが、それでもしっかりと精神を落ちつけてイメージしなければ発動は出来ず、咄嗟の判断で反射的に使えるようなものではない。故にクァルクへの一撃を外した後にダリがすぐさま地属性の付与を行えていたのならば、最初から属性付与を行うつもりでイメージを固めていたことになければならない。それは即ち、クァルクに放った魔力弾が外れることを確信していたからに他ならなかった。
「まァ、その属性なんちゃらとかいうのはいいけどォ。肝心なのは、どうやってあの眼鏡を叩き割ってやるか、じゃねぇのかァ?」
ダリの乗る砂船の方を見ながら、レズノフがどうでもよさそうな口調で口を挟む。彼の目は一刻も早いリベンジマッチを求めて、先程までと比べて一層輝いていた。
「向こうはこっち…正確にはクァルクに対して情が有る。いつもならその甘さを突いてやるんだが……今回はこっちも奴を殺したりなんかは出来ねぇ」
「んだよ、じゃあ諦めてやられちまえ、ってかァ? 冗談じゃねェ」
ヴィショップはレズノフを一瞥すると、最後の一言をゆっくりと、まるでレズノフに言い聞かせるように発する。レズノフはうっとうしさを隠そうともしない声を上げて、ヴィショップの方を向いた。
「それこそ、冗談じゃない、だ。俺だってこんな所で負けてやる理由はさらさらねぇさ。それに、俺達と連中は互いに殺し合えない状況にあるが、その状況は使い方次第で武器に成り得る」
「…ジイサンお得意の、いつもの手ってやつかァ?」
ヴィショップが何を企んでいるにせよ、もう一ラウンド戦う気があることを理解したレズノフは、気分の良さそうに笑みを浮かべてヴィショップを茶化す。それに対してヴィショップは、「まぁな」と短い返事を返すと、砂船の状態を調べていたクァルクの方を向いた。
「船の調子はどうだ?」
「動かす分には問題ねー。でも、これいじょう撃たれたり、ぶつけられたりするとマズイかも」
「そうか……なら、次がラスト・アタックになりそうだな」
クァルクの言葉を聞いたヴィショップはそう呟くと、二人に顔を寄せるようにジェスチャーで指示する。そして顔を近づけてきた二人に、自分が思いついた策を話した。
ヴィショップの考えた策は、大して複雑なものでもなかった。加えて二人は途中で質問を挟むこともなかったため、大して時間をかけることなくその全容を教えることが出来た。ただ時間こそかからなかったものの、ヴィショップの策の全てを聞いた二人が顔を上げた時の彼等の表情が、ヴィショップが思いついた策の内容を物語っていた。
「…それ、本当に成功するのか?」
クァルクの顔には興奮が半分、不安が半分といった感じの引きつったような笑みが浮かび、
「ヒャハハッ、最高じゃねぇかよォ。最高の特等席を用意しれくれるたァ、粋な真似するじゃねぇか、ジイサン」
レズノフの顔には今日一番の、出来るならばあまりお目にかかりたくはない野蛮な笑みが浮かんでいた。
そして全く趣の異なる笑みを浮かべる二人の視線の先に座るヴィショップの顔には、見る者の多くに悪寒を感じさせる薄気味の悪い薄ら笑いが浮かんでいた。
「さっきの連中もやってたし、船体さえ持てば出来ないことはねぇ筈だ。それに、同じ土俵で勝負し続けてたんじゃ、経験の差でこっちが負ける。勝つには、こっちの得意な方に引き込んじまうしかねぇ」
未だ半信半疑と言った様子のクァルクの問いに、ヴィショップはそう答えると、二人に視線を向けた。
まず真っ先にレズノフが。それに少し遅れてクァルクが、首を縦に振る。それを見たヴィショップは、満足気に短く笑い声を漏らしたのを合図に、三人は動き始めた。
勝利を勝ち取る為の、大博打を成功させる為に。
「……動き出したか」
クァルク達の乗る砂船の周囲を遠巻きに動く砂船の上で、ダリは彼女達の砂船を曳くオルートが動きを見せたのを見ると、小声で小さく呟いた。
「どうします?」
「先程までと同様、僕が指示するまでは向こうの動きに合わせてくれ」
手綱を握る男の質問に答えると、ダリは手元の魔弓に視線を落とした。
鈍い銀色をしたフレームと木製のグリップは、数多の死線を潜り抜けていく内にかつて持っていた美しさを失っていた。だがそれでもこうして使い続けているのは、単に女神が許したまわない悪徳の数々の温床であるこの街に教会が無く、新たな魔弓を手に入れるのに骨が折れるから、という理由だけではない。彼の手の内に収まっている使い込まれたこの魔弓は、今は亡き相棒であり良き親友だった男との戦いの生き証人の一つだからだ。
この魔弓は、自らと親友との時間のほぼ全てを見届けてきた存在だった。故に、この魔弓が恐らくは地獄に堕ちたであろう親友と自分とを、未だに結び付けてくれているような気がしてならなかった。
(悪いな、ルァイズ。お前との約束、守れないかもしれない)
魔弓を握り締め、手綱を握る男に聞こえないようにダリは親友に懺悔する。
妹を頼む。それが燃える様な夕陽が輝く夕刻の砂漠で、死に際の親友が発した最後の言葉であり、ダリはそれを何としても遂行する気でいた。
親友の妹が、兄と瓜二つな強固な意思を秘めた眼差しを向けなければ。
(結局僕は、お前の後ろをついて行くだけの男だったってことだな…)
思い返せば、いつも黄褐色の混じった黒髪の青年の背中を追ってばかりいた。ミライアス・ラグーヌの世界に足を踏み入れたのも彼の背中を追っての事だったし、彼に対する感情で最初に出てくるのは憧憬だった。
そして何より、彼と同じ眼差しを向けられた時、ダリの心は負けを受け入れてしまっていた。
(だがそれでも……お前の横に並ぶことの出来ない、背中を追いかけるだけの半端者でも…お前は僕の親友なんだ…)
そんな彼をギリギリのところで引き留めたのは、青年を崇拝の対象としてではなく、かけがえのない親友として見ている自分の一部分だった。その一部分が決して太いとは言えぬ腕で己の胸倉を掴んで振り向かせ、唾を飛ばしながら怒鳴り散らしたのだ。
彼の最期の頼みを忘れたのか、と。
だから、ダリはこの場に立っている。言葉で彼女を引き留められない以上、己の実力を以ってして彼女を諦めさせる為に。親友と共に培ってきた力で、親友の最後の頼みを全うする為に。
「真正面から来ます。突っ込んでくる気のようです」
「…なら、僕達も真正面から突っ込んでいけ」
手綱を握る男にそう告げると、角持ちのオルートが力強く砂船を曳きながら段々と加速し始める。ダリは船上に仁王立ちになると、こちらに向けて真正面から仕掛けてこようとしている親友の妹の名を、砂漠の乾き切った大気に轟かせた。
「来ォい、クァルクゥッ!」
「ダァァァリィィィィッ!」
クァルクの声が聞こえると共に、ダリは右手を弾かれた様に持ち上げ、魔弓の引き金を引いた。
殺す気は毛頭無い。だが、情は一切捨て去ったその一撃は、狙い通りにクァルクの右肩を撃ち抜く。眼鏡越しに親友と同じ髪と耳を持つ少女の顔が苦悶に歪んだのが見えた。それでいて琥珀色の瞳に宿る闘志には微塵も陰りが差していないところまで瓜二つで、思わずダリの口元が吊り上る。
「ぐあっ!?」
「構わない、進め、ヴォルダー!」
直後、轟音が二度鳴り響き閃光が二度瞬いたかと思うと、手綱を握る男の両腕から鮮血が噴き出した。
だがそんなことはお構いなしに、ダリは砂船を曳くオルートの名を呼び、指示を送る。並の砂船乗りならこの時点で勝負は付いただろうが、ダリと彼のオルートは違う。無数の戦いを共に潜り抜けてきたことで培われた絆は、声のみでもある程度のコントロールを可能にしていた。
二匹のオルートが互いに咆哮を躱しながら、その距離を縮めていく。兄譲りの胆力か、右肩を撃たれてもなおクァルクは手綱を離さず、砂船の機動を狂わせるような真似ははしなかった。このまま行けば十秒と経たない内に、引きのオルートは正面からぶつかり合うことになるだろう。
そうなれば勝敗は火を見るよりも明らかだった。牙をもがれたクァルクのオルートでは、ダリの駆るヴァルダーにはどうやっても勝つことが出来ない。
(ルァイズの妹ならば、そんなことは分かっているんだろう? さぁ、最後の一手は何だ!?)
だからこそ、クァルクはまだ何か仕掛けてくることをダリは確信していた。そして彼の予測が間違っていなかったことは、直後に証明された。
「飛んだ、だと…っ!?」
直後、砂煙を巻き上げながら、クァルク達の乗る砂船とそれを曳くオルートが浮かび上がる。
牛よりも遥かに重いその巨体と砂船が宙に浮かび上がるという、思わず目を疑いたくなるような光景がダリの眼前に広がる。しかし彼は驚きこそすれど、動揺することはなかった。何故ならそれは、自分もミライアス・ラグーヌの中で幾度か使った手だったからだ。
オルートの真下から魔法で作った岩石の壁を出現させ、オルートと砂船を真上に跳ね上げる。主に障害物を躱したり、前方の相手を追い越したりする時に用いた手だった。そして作り出した岩石の壁は、そのまま後続の相手への障害物になる。今回のように互いに鼻先を突き付けあっている状態で放てば、タイミングによっては相手を躱しつつ、岩石の壁に相手を正面衝突させることも出来る。真っ当な魔術師ならともかく、インコンプリーターでは魔力の消費が些か厳しいものの、使いどころによっては一石二鳥か、それ以上の策であり、ダリも何度かお世話になっていた。
故に、クァルクがこの策に出たタイミングが完璧であったことは即座に分かった。クァルクの乗る砂船はダリの砂船を優に飛び越えるだろうし、目の前に現れた岩石の壁を避けるには距離が無さ過ぎる。
だが、そんな状況の中にあって、真上を通り過ぎようとしているダリの顔に浮かんだのは、不敵な笑みだった。
「甘いよッ!」
ダリの雄叫びに呼応するかのように、ヴァルダ―は下顎から生える二本の牙を岩石の壁目掛けて振るった。
勢いよく振るわれた二本の白牙は、岩石の壁をまるで砂糖菓子のように意図も容易く貫く。そしてヴァルダ―が頭を振り回すと、牙に刺し貫かれた岩石の壁は粉々に砕け散ってしまった。
ダリは猛々しく暴れるヴァルダーに背を向け、音だけでもう一匹の相棒ともいうべき存在が為した所業を感じ取っていた。不敵な笑みを浮かべた彼の眼差しは、今まさに頭上を通過し、ダリの砂船の背後に着地しようとしているクァルク達の砂船へと向けられていた。
(姿が見えた瞬間、取り巻き二人に魔力弾を撃ち込む……それで終わりだ…!)
魔弓を両手で構えて狙いを定めながら、ダリは勝利を確信する。クァルクはもはや満足に手綱を握れない以上、残る脅威はヴィショップとレズノフの二人だけ。遠距離用の武器はもたないレズノフはともかく、同じインコンプリーターであるヴィショップは魔弓で応戦してくるだろうが、ダリには彼よりも速く引き金を引き、魔力弾を撃ち込む自信があった。
片や、最後の策に失敗した連中。片や彼等の最後の策を見抜き、それを打ち崩した男。どちらの初動が速いかなど、分かり切っていた。スポーツではなく戦いである以上、そこに共通のルールなど存在しない。一、二のせで相手より速く動けないのならば、相手に先んじて動き始めていればいい。
戦いに勝ち続ける者とは、往々にして敵より多くの準備を重ね、敵を自分の思惑に乗せ続けることの出来る存在なのだ。
「……よゥ、眼鏡野郎」
そして敗者とは、いつの世もまやかしの勝利を確信するものだった。
「ッ!?」
頭上を通り過ぎているのに消えぬ影、そして湧き上がった疑念を確信へと変える真上からの声。
ダリは咄嗟に魔弓と顔を真上へと向ける。彼の顔からは、先程までの不敵な笑み消え去っていた。
それもその筈だろう。太陽を背に、逆光を浴びながら、歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべて真上から降ってきたレズノフの姿を、彼は見てしまったのだから。
ダリの顔から笑みが消え去った直後、砂船を揺らして二メートル近い巨体が砂船の上に降り立つ。左手には手甲、右手に鞘を付けたままの長剣を手にしたレズノフは、顔を上げてダリと視線を交錯させた。
(マズイッ…!)
視線が合ったのは一瞬だけだったが、ダリが自らの置かれている状況がどれ程切迫しているかを悟るには、充分だった。彼は熟練の動作で即座に魔弓を腰だめに構えると、引き金を弾く。身体の奥底から響き渡る生存本能という名の警鐘は、ダリから致命傷を避けるという考えを忘れさせ、躊躇うことなく腹に照準を向けて引き金を弾かせていた。
だが、それに気付いて後悔するよりも速く、思わず口を半開きにしかねない程の衝撃がダリを襲っていた。
「なっ…!?」
ダリの放った魔力弾が、甲高い金属音を奏でながら、射線に割り込んできたレズノフの左腕に嵌められている手甲に防がれる。
ダリが魔弓を降ってきたレズノフに向け、引き金を弾くまでに要した時間は一秒程度しかなかった。そのたった一秒の間に、魔弓の動きに反応し射線を読み切って、手甲を填めた左腕を射線上へと運ぶ。一体どれだけの動体視力と運動神経を有していれば、そのような芸当が出来るというのか。
それを、目の前の大男はやってのけた。陶酔の滲み出た獣染みた笑みを浮かべながら、一切の躊躇いなしに。
「何だ、おま…」
意図せぬうちに、心で呟いた筈の言葉がダリの口を突いて飛び出す。それを全て言い切る前に、レズノフの手にした長剣が降り抜かれ、ダリは一瞬の痛みと世界が揺れるのを味わった後に、意識を手放して崩れ落ちた。




