Take What You Can
段々と太陽は地平線に始めていた。空は赤く染まってこそいないものの、あと三時間もしない内に太陽はその姿を暗まし、砂漠には煌めく星々を散らした帳が降り、昼間とは一変して身を割く冷たさの夜風とが吹くようになるだろう。しかし、太陽が出ている内はまだ、砂漠は生物に容赦なく渇きを植え付ける、灼熱の血としての一面を保ったままだった。日の光はじりじりと肌を焦し、熱砂の敷き詰められた地面は座ることすら憚られる程に熱い。その為ヴィショップ達三人は、座ることも出来ずに、時折水筒に入った生温い水を喉に流し込んで渇きを誤魔化すことしか出来なかった。
「…いつまでかかってんだ、あの眼鏡野郎」
水筒の残りをそのまま頭から引っ被ってしまいたい、という欲求を抑え込みつつ、ヴィショップは家を出たダリが去っていった方向を睨みつける。ダリが三人を置いて家を出てから、既に一時間近くが経過していた。
彼が家を出たのは、ヴィショップ達との会話が終わった直後、すなわち協力の条件として提示した実力のテストを、ヴィショップ達が受け入れたすぐ後のことだった。彼は三人が自分の条件を受け入れたことを確認すると、準備を行うといってその場を後にした。すぐに戻るとの話だったので、三人はこれから行うテストとやらの準備も兼ねて外でダリを待ち始めたのだが、一向に彼が戻ってくる気配は無かった。
「なぁ、嬢ちゃん」
「嬢ちゃんって呼ぶな」
「じゃあ、クァルクちゃん」
「止めろ、鳥肌が立ってくる…。何だよ?」
被っていたカウボーイハットを取り、それを扇代わりにしながらヴィショップは、自分とは違って平然としているクァルクに話しかける。驚いたことに彼女は、この暑さの中嫌な顔一つしないどころか、汗すら薄らとしかかいていなかった。
「何でお前は、そんなに平気そうなんだ?」
「何でって、オレ達の一族は砂漠で生活してるんだぞ? 一時間かそこら砂漠の陽に晒されてるぐらいで、ばてる訳ねーだろーが」
「…そうかよ」
納得いくようでいかないような返事が、クァルクから返ってくる。しかしそれを追及するのも億劫に思えて、ヴィショップはぞんざいに答えると彼女から視線を外した。
「なァ、ジイサン」
すると不意にレズノフが小声で話しかけてきた。ヴィショップが彼の方に視線を向けると、レズノフはダルの姿が消えた方角を見つめながら、小声のまま話し続ける。
「力尽く、って選択肢もあるんじゃねぇか?」
そう発した瞬間、レズノフの口角が僅かに吊り上る。それを横目で捉えたヴィショップは、小さく嘆息した。
「いや、無しだ。ついでに言っとくと、テストとやらの最中にあの男を殺すのも駄目だ」
「オイオイ、つまんねぇこと言うなよォ。あの嬢ちゃんに情でも湧いたのかァ? 強姦魔…に匹敵は流石にしねぇけど、ペドフェリアは充分に変態的だぜェ、ジイサン」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、レズノフは挑発染みた言葉を吐く。ヴィショップは彼の挑発を鼻で笑い飛ばすと、心中で祈りを聞き入れてくれなかった神、或いは女神に悪態を吐きつつ、返事を返した。
「あの男には利用価値が有る。いいか、絶対に殺すんじゃないぞ」
「もし殺しちまったらァ?」
「そん時は殺し…はしねぇけど、お前からお楽しみを取り上げなくちゃなんねぇことになる」
ヴィショップはそう言うと、話は終わりだとでも言わんばかりに、煙草を咥えて口を塞いだ。咥えた煙草い火を灯すヴィショップの姿を見て、レズノフはつまらなそうに肩を竦めて酒の入った水筒の口を唇へと運ぶ。
(強姦魔程じゃない、ね。それはお前のことだろうが)
再び砂漠にそびえる街並みへと視線を戻したヴィショップは、紫煙を吐き出しながらレズノフの言葉を思い出す。
言動自体は普段と余り変わらないので分かりづらいものの、どうやらレズノフは己の抱える戦闘欲求を解放出来る場所を欲し始めているようだった。しかも、自制をやや越えつつある程に。それが何に起因しているのかは、すぐに検討が付いた。先のミヒャエルの一件である。
あの一件でレズノフが自身の戦闘欲求を解放出来たのは、ブルゾイに嵌められた際に戦った魔獣達との戦闘のみだった。一応、その後にもヴィショップと一騎打ちで戦ったが、あれは正気を失っている中での出来事であり、戦闘欲求があれで解消できたとは思えない。そしてその一軒の後、いくつか魔獣の討伐依頼を受けたものの、一国の首都の近くなだけはあって討伐対象の魔獣もさしたる強さのものはいなかった。
つまり、今のレズノフは飢えているのである。よりスケールの大きな戦場、より凄惨な闘争、より濃厚な殺戮に。
(でもまぁ、あの様子なら大丈夫か)
ただヴィショップにとって救いだったのは、レズノフが一人の狂人である前に、訓練された戦士だったことだろう。おかげで、ミヒャエルのように易々と欲求を暴走させて暴挙に走ることはなさそうだった。現にミヒャエルや、ダリを殺すなというヴィショップの言葉に関しても、利用価値が有るというヴィショップの言葉を素直に受け入れていた。
少なくとも、宿に置いてきたもう一人の狂人のように、殺し合いに発展することはなさそうである。その事実だけでも、ヴィショップにとっては充分に満足だった。
「おい、帰ってきたぞ」
横からかけられたクァルクの声が、ヴィショップの意識を引き戻す。クァルクの示した方向にヴィショップが視線を向けると、砂煙を上げてこちらにやってくる三つの影を捉えることが出来た。
「本当にあいつか? 随分と大所帯になって帰ってきてるが」
「あぁ。ちゃんと砂船の上にダリが乗ってる。他には、見たことのない連中が一緒だな」
クァルクに問いかけると、具体的な答えが返ってきた。どうやら彼女の視力は、ヴィショップ達よりも幾分か勝れているらしい。
ヴィショップは右手を魔弓のグリップの上に乗せて、ダリ達が近づいてくるのを待った。オルートに曳かせた砂船に乗って帰ってきたダリは、手綱を握っている四十程の小汚い男に指示を出してヴィショップ達の前で砂船を止めさせる。ダリの乗っている砂船の後ろからついてきた二隻の砂船も、それに倣ってヴィショップの前に砂船を止めた。
「待たせて悪かったね。彼等を引っ張ってくるのに意外と手間がかかって」
手綱を握っていた男を伴って砂船から降りたダリが、悪びれの無い態度でヴィショップ達に謝る。クァルクはそれよりも、彼が連れてきた男達の方が気になるようで、彼等の事をダリに訊ねた。
「そいつ等は誰だ?」
「君達のテストの相手さ。君達には今からこの砂船に乗ってもらって、そこの二隻の砂船と、僕達二人の駆る砂船の計三隻と戦ってもらう。無論、殺しはご法度だ」
質問に答えつつ手短に説明を済ませると、質問をどうぞとでも言いたげな表情をクァルク、そしてヴィショップとレズノフに向けた。
ヴィショップは視線を一度ダリと、その脇に立つ小汚い男に向けてから、他の二隻の砂船に乗っている連中に視線を向ける。彼等は一隻に二人ずつで計四人居り、全員がダリの隣に立っている男と似たり寄ったりの恰好をしていた。どうやらそれぞれオルートを操縦する役と、他の砂船との戦闘を行う役で分かれているようであり、二人組の内の片方は弓や槍などと言った射程のある武器を手にしていた。
「あんたが連れてきた連中は、何者だ? パッと見、御親切なボランティア団体には見えねぇが」
「かつて砂船を用いて盗賊家業を行っていたものだったり、ミライアス・ラグーヌに出たりしていた連中さ。試験の相手としては打って付けだろう?」
ダリが乗るように言った砂船とそれを曳くオルートにしか興味が行っていないクァルクに代わって、ヴィショップが彼に質問をぶつけた。ダリはその質問に答えると、横に立っていた男を連れて家の隣に建っている木製の小屋に向けて歩き出した。
「さて、僕達は自分達の準備に入るから、君達は先に始めていてくれ。彼等には君達が動き出してから二十秒後ぐらいに動き始めるように言ってある」
それだけ言うと、ダリは男と共に小屋の方に姿を消してしまった。
小屋の方に向かって小さくなっていくダリの背中を、少しの間ヴィショップは視線で追った。そしてレズノフとクァルクが意気揚々と砂船に乗り込むと、ヴィショップは小さく鼻を鳴らして割り当てられた砂船に乗り込んだ。
「ちゃんと言う事聞きそうか?」
「まぁまぁ悪くないな。砂船は古いけど手入れは一応施されてるみてーだし、オルートもちゃんと躾けられてる」
手綱を握るクァルクに声をかけると、彼女はヴィショップの方は見ずに質問に答えた。その答えで一先ず、変な小細工がされていないことを確かめると、ヴィショップは砂船の上に腰を降ろして白銀の魔弓を引き抜く。
「でよォ、実際の所どうなんだァ?」
「実際の所って何だよ?」
一足先に砂船に乗り込んでいたレズノフが、得物の調子を確かめながらクァルクに問いかける。彼女が訝しげな表情を浮かべて聞き返すと、レズノフは当たり前のことを言わせるな、とでも言いそうな声を出した。
「奴さんの腕前だよォ。そこの連中に、あの眼鏡野郎。あいつ等、強ぇのかァ?」
「…ダリが連れてきた奴等については分かんねー。知らない連中だしな。でもまぁ、名前が売れてないってことは大して強くもないんだろ」
クァルクの発言、そしてそれに同調したレズノフの笑い声を受けて、俄かに周囲から注がれる視線が剣呑なものになったのを、ヴィショップは感じ取る。だが、当の張本人二人はそんなことは全くお構いなしに会話を続けていた。
「ただ、ダリは強い。何たって兄貴とコンビを組んでたぐらいだしな」
「双頭狗、だったっけか? 確か、フランケンとかいうミライアス・ラグーヌのチャンプと戦って負けたんだよな」
「あぁ。三年前、十数年振りに生存チームが二組だけになった状況の中。兄貴たちからフランケンに仕掛けて、それで負けた」
身内の死を語っているにも関わらず、ヴィショップから見えるクァルクの横顔には悲しみの影は差しこんではいなかった。むしろ、兄の死を語るクァルクの姿は、それを誇らしげに思っているようにすら見えた。
「勝算は?」
「手綱を握るのは兄貴の役目だったからな。向こうの舵取りの腕前もあるだろうけど、勝てるかどうかを決めるのはあんた等の腕前次第になると思うぜ」
「いいねェ、俄然ヤル気の出てくる台詞を吐いてくれるじゃねぇかよォ」
レズノフが犬歯を剥き出しにして、ニヤリと笑う。手が動きを止めていることから、一応支度は終わったようだった。
「…まぁ、やってみれば分かることだ。そろそろ始めるか?」
ヴィショップは呆れ混じりの視線をレズノフに向けてから、クァルクに確認を取る。クァルクはそれに頷いて答えて見せると、他の二隻の砂船に乗っている連中に目配せしてから勢いよく鞭を振るった。
背中に鞭を受けたオルートが一鳴きし、熱砂に身を沈め、三人の乗った砂船を曳いて動き出す。小型の砂船に乗るのは初めてのレズノフが、耳障りな興奮した声を上げる中、クァルクが拍車をかけるのに合わせて砂船はどんどんと速度を増していった。
「そろそろじゃねーか?」
砂船の速度が限界速度へと近づき始めた頃、クァルクが振り向いて後ろの二人に声をかける。彼女に言われるまでも無く魔弓を手に砂船の後方に視線を向けていたヴィショップは、すっかり小さくなってしまった二隻の砂船の影が動き出したのを見て、魔弓を構えた。
「動き出したぞ」
「うしっ、ダリが来る前に一騎打ちの状態にしときてーし、さっさと片付けるとしますか」
クァルクはそう発すると、手綱を操って砂船を反転させて後方の二隻に向い合せるようにオルートに指示を出す。オルートはその指示に素直に従って、速度を殺しつつ繋がれている船体を振り回すようにして、鼻先を後方から近付く二隻の方に向けた。
「随分と荒っぽい運転だなァ、ヒャハハッ」
砂船から放り出されないように縁にしがみついていたレズノフが上げた、楽しげな笑い声が水気の無い大気に吸い込まれていく。砂船とそれを曳くオルートは、地面を滑走しながらその向きを反転させる。そしてクァルクが今一度鞭をオルートの背中に叩き込むと、三人の乗る砂船は二隻の砂船目掛けて一直線に突き進み始めた。
「どっちに仕掛ける!」
「……右だ! 真横をすり抜けろ!」
前方の二隻の丁度間に入り込うむように砂船を進ませながら、クァルクがヴィショップに問いかける。ヴィショップは数瞬の間二隻の砂船をじっと見つめた。そしてヴィショップから見て右手の砂船が、速度を上げてもう片方の砂船よりも前に出たのを見ると、そちらを最初の標的にするようにクァルクに告げる。
「了解っ!」
「レズノフ!」
クァルクは力強く頷いて、砂船の機動を、右手の砂船の左側面スレスレを抜けるようなものへと修正する。ヴィショップはそれを横目に捉えつつ、レズノフの名を呼んだ。
「殺すなよ!」
「善処するさァ」
そして、念のため釘を刺しておく。それが果たして、どれだけの効果があるのかは正直なところヴィショップには分からなかったが、船首の辺りに座って手綱を握っているクァルクの、すぐ後ろに立ったレズノフが構えている長剣は鞘に収まったままだった。
そうこうしている内にも、ヴィショップ達の砂船と彼等が狙いを定めた砂船の距離は、どんどと縮まっていた。既に砂船に乗っている人間の姿もはっきりと見える程になっており、手綱を握る男の後ろに乗っている男が、立ち上がって槍を構えている姿を捉えることが出来た。どうやら向こうはこちらに真っ向から応じる気らしく、進路を変える素振りもスピードを変える素振りもなかった。
一秒経つごとに二隻の間にある距離が数十メートルずつ消えていく中で、レズノフと槍を構えた男は獲物を構えたまま視線を交錯させたまま、じっとその時を待っていた。その姿はまるで騎馬に跨り槍を構えて決闘に臨む騎士さながらだったが、砂と汗に汚れた肌と、悦楽の赴くままに歪んだ口元が、そういったものが持つある種の高潔さを完璧に奪い去っていた。
そして数秒後、二頭のオルートの鼻先が互いの鼻先を横切ろうとした瞬間に、レズノフの待ち望んだ時が訪れた。
「ッ、リャアアアアッ!」
先に動いたのは相手方のほうだった。男は威勢のいい掛け声と共に、構えていた槍を勢いよく突き出す。太陽の光を受けて煌めいていた穂先が、その場に残像を残して突き出される。その先にあるのは、頭から犬のような耳を生やした少女の右肩だった。
真っ先に狙うべきは、最も与し易く、損失が最も大きな痛手を及ぼす者から。槍を突き出した男は、古来より延々と引き継がれてきた闘争の鉄則に忠実に従って動いていた。
故に、彼の打った一手は敗北を引き込む悪手となり得てしまった。
「素直過ぎんぞォ、ど三流ゥ!」
男が築いた時には既に、咆哮染みた声と共にレズノフの振るった長剣が槍の柄を鈍い音を立てて圧し折り、穂先をあらぬ方向へと吹き飛ばしていた。そして次の瞬間には、自身の予想とは大幅に異なる結果に呆気に取られている男の鼻っ面に、鞘に収められたレズノフの長剣が叩き込まれ、男の意識は顔の中心に焼けるような痛みを感じたのを最後に意識を手放した。
男は白目を剥きながら、レズノフに殴り飛ばされて砂漠の上へと落下していく。手綱を握っていた男が顔を驚愕に歪め、砂漠の上を転がっていく相方の姿を追って振り向くが、その表情を見ていられたのも一瞬の間だけだった。次の瞬間には、今や一人しか乗っていない砂船はヴィショップ達の砂船の後方へとその姿を消す。
「まっ、マジかよ、スゲーな、オッサン!」
刹那の間に繰り出されたレズノフの二連撃。クァルクの目にはまず間違いなく、槍が砕けたのと男が船上から殴り飛ばされたのは同時の出来事に映っていただろう。それはクァルクの興奮し切った声音が物語っていた。
そんなクァルクの声を聞き流しながら、ヴィショップは魔弓の照準を前方へと合わせる。狙いの先は、残るもう一隻の砂船に乗る二人の肩。ヴィショップは一秒足らずで狙いを定めると、まずは呆気に取られた表情で砂漠に横たわっている男に視線を向ける、手綱を握っている男に向かって引き金を引いた。
「何…?」
その直後、唐突にもう一隻の砂船の真下の地面が盛り上がったかと思うと、そのまま勢いよく船体を空中へと跳ね上げる。地面に跳ね上げられた砂船は優に四メートルは浮き上がり、ヴィショップの放った魔力弾は巻き上げられた砂塵の中に消えていく。ヴィショップは即座に上へと逃れた砂船を追って魔弓を動かすが、砂船の後方に乗っている男が番えた矢の矢じりをこちらに向けているのを見ると、肩へと向けていた照準を逸らした。
男が弦から手を離すのにワンテンポ遅れて、ヴィショップが引き金を弾く。撃ち出された魔力弾は正確に射られた矢を打ち砕いた。
「オイオイ、冗談じゃねぇぞォ! あの船浮きやがったァ!」
魔弓の上げた轟音の余韻を打ち消すようにして、宙に浮かび上がっていた砂船が低い音と共に地面に降り立つ。その一部始終を見ていたレズノフは、着地した砂船を指差してゲラゲラと笑いながら、楽しげな声を上げた。
「ちょっ、オッサンうるせーぞ!」
「反転させろ。クァルク!」
クァルクが、けたたましい笑い声を上げるレズノフに文句を付ける。ヴィショップは彼女の肩を叩いて注意を自分に向けさせると、砂船を反転させて相手と向きあわせるように指示する。
「分かった!」
クァルクがヴィショップの指示通り、砂船を反転させる。その間ヴィショップは魔力弁を引き起しながら、着地した場所で動きを止めている砂船を見て、自分の予感が的中していることを悟っていた。
ヴィショップが向けた視線の先では弓を右手に持った男が、矢を握りしめた左手をヴィショップ達の砂船に向けて突き出し、何やらぶつぶつと小声で呟いていた。彼が何を言っているのかは距離のせいで聞き取れなかったが、まるで狙いを付けるように突き出された左手と、着地した状態で完全に動きを止めている砂船を見れば、狙いは一目瞭然だった。
弓を手にしている男は、魔法を使うつもりなのだ。それもその一撃で勝負を決することの出来る、とびきりの魔法を。
「クァルク、来るぞ!」
魔力弁を引き起こした魔弓に魔力を注ぎ込みながら、ヴィショップはクァルクに声をかける。もし男が使う魔法が先程宙に浮かび上がった時のような、真下からの攻撃を目的としたものならば、ヴィショップには何も出来ない。クァルクの技量が男の目論見を上回ることを祈るしかない。
しかしそうではないのならば、男の狙いを凌ぐのはヴィショップの役目だった。
男の乗る砂船との距離が狭まっていく。男は相変わらず左手をヴィショップ達に突き出したまま、呪文と思しき言葉を呟いている。ヴィショップは男の口元に意識を集中させ、唇の動きの一挙一動を観察した。何故なら唇が動きを止めた時こそが、ヴィショップが引き金を弾く時でもあるのだから。
「ッ!」
そして男の唇が動きを止めた瞬間、ヴィショップは自身の足元から伸びていた影が、その姿を暗ましたのに気付いた。
自身の影は消えたのではなく、より大きな影に飲み込まれたのだ、ということをはっきりと気付く前に、ヴィショップの両手は動いていた。左手はホルスターに収められたもう一挺の魔弓へと伸び、既に魔弓を握っている右手は天へと向けて突き出される。
ヴィショップが魔弓を突き付けた先には、巨大な氷の塊があった。降り注ぐ太陽の光を遮断する程の密度を持った、巨大な氷塊。それが太陽を隠し、その輪郭から太陽の光が漏れ出でる様はまるで日食を思わせる光景だった。
しかしヴィショップは、その現実離れした光景を一瞥することすらなく、魔弓の引き金を弾いた。
「うわっ!?」
魔力の上書きで強化された魔力弾は、頭上に浮かんだ氷の満月を容赦なく打ち砕く。砕け散った氷の破片が降り注ぎ、それが肌や耳に触れてクァルクが思わず声を上げた。
だがヴィショップはクァルクの悲鳴も、太陽の光を受けて煌めきながら頭上から降り注ぐ氷の欠片も意にも介さず、左手で引き抜いた魔弓の引き金を弾いた。彼が向けた魔弓の射出口の先にあるのは、左手に握りしめていた矢を弓に番える、今や無数の欠片となった氷塊の月を創り出した張本人の右腕だった。
撃ち出された真紅の魔力弾は、男が弦を離すよりも速く男の皮膚と肉とを食い破っていた。
氷の魔法はフェイクだということを見破られたことに気付いた男は驚きの表情を浮かべていたが、その表情は刹那の間に苦悶の表情へと変わる。男は力無く砂船の上に膝を突き、それから僅かに遅れて、男の手から滑り落ちた矢と弓が音を立てて砂船の上に転がった。
「…何度見ても、大した腕だなー、あんた。ダリにも負けてないんじゃねーか?」
手綱を握っていた男が、慌てて腕を撃たれた男に駆け寄るその真横を、ヴィショップ達の乗った砂船が通り過ぎていく。通り過ぎる際にその様子を見ると、ヴィショップの方を振り向いて感心した様子で言葉を漏らした。
「幸運なことに、その疑問が解消されるのはそう遠くないみたいだぜ」
クァルクの言葉にヴィショップはそう返事を返すと、砂漠の一点を顎で指し示す。彼の指し示した方向を見たクァルクは、目付きを真剣なものへと変えた。
「マジでやる気かよ、ダリ…。大人気ねーにも程があるぞ…!」
引きつった笑みを浮かべたクァルクが眼差しを向ける場所には、下顎から大きな二本の牙を生やした隻眼のオルートと、そのオルートが曳く砂船に乗る、ダリと彼と共に姿を消した男の姿があった。




