砂狗の少女
「お待たせいたしました」
落ち着いた感じの声と共にバーテンがカウンターに二つのグラスを置く。そこに男のものと思しき無骨な手と、それより小さい日焼けした手が伸びてきて、二つのグラスを手に取った。
「…何だよコレ、酒じゃねーじゃん」
オレンジ色の液体が注がれたグラスを手に取った、外套に付いているフードで頭を覆った少女が不満気に唇を尖らせて、隣に座っている男に訴えかける。
「これから話を聞こうっていうのに、酔い潰れられちゃたまらないからな」
隣で琥珀色の液体がグラスを手にしたヴィショップは少女を一瞥すると、彼女の要求を一蹴して自分のグラスを口元へと運んだ。
ヴィショップと、チャスカールと呼ばれる種族の亜人の少女は今、船内カジノの一角にあるバーカウンターに移動していた。目的はもちろん、少女をカモにしていたイカサマ師達を伸した後に彼女がヴィショップに告げた言葉の真意について問い質す為である。
「あんたは酒飲んでるじゃねーか。オレにも飲ませろよ」
「俺はいいんだよ、てめぇと違ってガキじゃねぇから」
「オレもガキじゃねーし!」
「そういう言葉は、もうちっとばかし頭の中に必要なもんを入れてから吐くんだな。…で? あれは一体、どういう意味だ?」
その返し自体が子供染みているということに気付いていない少女の文句をあしらうと、ヴィショップは本来訊ねようと思っていたことに話題を移す。
「どうもこうもねーよ。あんた、オレと組んでレースに出てくれ」
「……取り敢えず、レースってあれか? この船の行き着く先でやってるっていう…」
答えになっていない、という言葉を呑み込んでヴィショップは少女に訊ねる。すると少女は、馬鹿でも見ているような目つきをヴィショップに向けた。
「当たり前だろ。他に何があるっていうんだよ」
「そりゃあ、悪かったな。じゃあ第二の質問だ。どうして初対面の俺に組んでくれなんて言ってるんだ?」
眉をひくひくと引きつらせながら、ヴィショップは次の質問に移る。
ヴィショップの知り合いに頭から動物の耳を生やした少女なんて人間は居らず、目の前の少女は確実に今日この場で初めて会った人物だ。そんな人物から、いきなり出ればまず死ぬと言われているようなレースに一緒に出てくれなどと誘われれば、当然警戒しない訳にはいかない。それが例え、しょうもないイカサマに引っかかって身包みを剥がされかかっていた少女であったとしても。
「んなもん、出場するのに必要な面子が足りてないからに決まってんだろ」
「分かった。見た目通りの脳味噌のことを考慮して質問を変えてやる。どうしてそこら中に人がいるのに、俺を選んだんだ?」
要領が悪いなどという言葉で片付けていいのかも分からない少女の返答に、ヴィショップは軽く頭を抱えながら質問し直す。すると今度は大分ヴィショップの希望に近づいた答えが返ってきた。
「さっきのを見てピーン! と来たんだ」
「さっきのって、あのイカサマ野郎共のアレか?」
「そうだ! 奴等のイカサマを見抜く洞察力に、三人を相手して傷一つ負わずに叩きのめしちまう腕っぷし、おまけにインコンプリーターときたもんだ! ミライアス・ラグーヌのメンバーに入れるにはうってつけの男だぜ!」
目を輝かせて少女は答える。ひょっとしなくても、今彼女の脳内ではミライアス・ラグーヌを制している自分の姿が浮かんでいるだろう。
「あん? インコンプリーターであることがレースに関係有るのか?」
しかし少女の言葉の中で気になる点があったヴィショップは、容赦なく質問をぶつけて彼女の意識を妄想から現実へと引き戻す。
「だって魔弓使えるじゃん」
「…悪いがこっちはミライアス・ラグーヌとやらを今まで見たことが無いんでね。出来る限りでいいから、分かりやすく説明してくれ」
我に返った少女は、何を当たり前のことをとでも言いたげな顔つきで、一言で返事を返す。ヴィショップが溜息を吐いて説明を求めると、少女はその表情を面倒臭そうに歪めて口を動かし始めた。
「ミライアス・ラグーヌは、二人から五、多くても七人程の人間を乗せる小型の砂船を用いて砂漠を突っ走るレースだ。見たことがないなら分からないと思うけど、小型の砂船の速度はかなり早い。今オレ達が乗っている奴なんかより全然速くて、個体と曳いてる船や乗ってる人数によっては馬よりも速くなる。そんなのに乗りながらレースする訳だから、剣や槍なんかよりも弓や魔法、魔弓とかの方が断然有利なんだよ」
「そいつを向ける先は当然…」
「他の参加者だよ。当たり前だろ」
少女の説明を聞いたヴィショップの顔に引きつった笑みが浮ぶ。これから参加していようとしているミライアス・ラグーヌが妨害行為が平然と行われるレースであることは既に承知していた。しかし少女の話を聞く限り、ミライアス・ラグーヌ内で行われているのは妨害行為というより単なる殺し合いとしか思えなかった。
(参加者同士での殺し合いを許してりゃ、そりゃあ参加者の八割が死にもするわな)
参加者の八割が死亡する、という言葉の意味が分かった気がしてヴィショップは溜息を吐く。彼もマフィアとして色々と倫理的に問題のある類の賭け事は行ってきたが、それでもここまで無茶苦茶なのは初めてだった。
もっとも、レースに参加しているらしきマジシャンを殺すというヴィショップの目的からしてみれば、むしろ好都合とも言えたが。
「取り敢えず俺を選んだ理由は分かったがよ、にしても殺し合いが有りのルールでレースなんて成り立つのか?」
次にヴィショップが投げかけた問いは、少女に対する猜疑云々を抜きにした単純な好奇心からくるものだった。
「安心しろよ。そこはちゃんと開催側が対応策を毎回考えてる」
「対応策? 一体どんなルールを用意してるんだ?」
「さぁな。毎回変わるから始まってみるまで何が用意されてんのか分からねー。まっ、それもミライアス・ラグーヌの醍醐味の一つってやつさ」
気楽そうな表情を浮かべて少女はヴィショップの質問に答える。反対にヴィショップは、実際に参加してみるまで分からない命を左右する不確定要素の存在に、再び溜息を漏らす。
「何か溜息吐いてばっかだな、あんた……そういや、まだ名前聞いてなかったっけか」
溜息を吐くヴィショップをからかおうとしたところで、少女はまだ自己紹介すら終えてなかったことに気付く。少女は手にしていたグラスをテーブルの上に置くと、ヴィショップに向かって右手を突き出した。
「クァルクだ。あんたの名前は?」
「ヴィショップ。ヴィショップ・ラングレン」
差し出された手を取って握手に応じつつヴィショップは自らの名を少女に告げる。
「ん。じゃあ、よろしくなヴィショップ」
「…ちょっと待て。そのよろしくっていうのはどういう意味だ?」
確かめるようにヴィショップの名を呟いてクァルクは手を離す。彼女の顔には満足そうな表情が浮かんでおり、それを見たヴィショップは逸らしかけていた顔を慌てて戻して、彼女の言葉の意味を問い質す。
「そんなもん決まってんだろ。一緒にミライアス・ラグーヌを頑張っていこうぜ、って意味だよ」
「おいおい、俺がいつお前と手を組むなんて言ったんだ?」
意外なクァルクの面の厚さに、思わずヴィショップの顔に呆れの色が浮かぶ。一方のクァルクは納得のいかない声を上げてヴィショップの言葉に反発した。
「何でだよ、自己紹介もしたし理由も話しただろ。他に何が不満なんだよ」
「んなもん決まってんだろ。俺はお前の実力を知らねぇ」
近づけてきたクァルクの顔に指先を突き付けて、ヴィショップはきっぱりと言い切った。
ミライアス・ラグーヌに参加しようとしている事実に、先程打ちのめしたシルクハットの男が言っていたチャスカールという種族に関しての情報からすれば、取り敢えずクァルクが砂船の操縦を行えることは確実と見て問題なさそうだった。しかし問題はその腕前である。
彼女の話を聞く限り、ミライアス・ラグーヌの過酷さはヴィショップを以ってして未知の領域にある。そのようなものに参加する以上、中途半端な腕の持ち主と組めば勝ち抜くことはおろか生き残ることすら難しくなる。組むのであれば出来る限り高い実力を持った人物と組む必要があったが、ぱっと見た限り十四、五歳程度、いってて十七程度の少女からはそれ程のそのような実力を持っているような雰囲気は全く感じられなかった。
(まぁ、最悪レースに参加せずに始まる前か終わった後に仕掛ける手もあるしな…)
それに加えてヴィショップの目的は優勝ではなく、あくまでそれに参加すると思しきマジシャンの殺害にあった。その為必ずしもレースに参加する必要がある訳ではなく、レースに参加せずに隙を窺って殺すという手段も取ることが出来た。ただしその場合、土地勘の全く無い場所で瞬間移動染みた芸当を行う存在を捕まえなければいけないという、レースとはまた違った苦労が生まれてくることにはなるが。
(……そういや、何であの仮面野郎はミライアス・ラグーヌなんぞに出場しようとしてるんだ?)
脳裏に『スチェイシカ』で出会った仮面を着けた人物の姿が浮かび上がったところで、ヴィショップの頭にふと一つの疑問が浮かんできた。国を跨いでの移動の忙しさの余りすっかり失念していた、本来ならばもっと早く考えていなければならなかった疑問が。
(『ミッレ・ミライア』とやらに行くだけならミライアス・ラグーヌに参加する必要はねぇし…参加するってことはやっぱり、勝つことに目的があるってこと…)
「おい、聞いてんのかよ、お前ッ!」
ヴィショップが巡らせていた考えは、すぐ隣から飛んできた大声によって霧散させられた。考えを邪魔されたことにヴィショップは小さく舌打ちを打つと、ぎょっとした表情を浮かべるバーテンを尻目に、すぐ隣で眉間にしわを寄せて睨みつけているクァルクの方に顔を向けた。
「何だよ、うるせぇな。考え事してたのによぉ」
「知るか! 勝手に考え事しているお前が悪い。いや、それはどうでもいい。それよりも今は、お前が言った聞き捨てならない台詞についてだ!」
面倒臭そうな顔つきのヴィショップに、先程のお返しとばかりにクァルクは指を突き付ける。
「聞き捨てならない台詞だと?」
「そうだ。お前がついさっき吐いた、オレの実力を疑うような台詞だ」
大層遺憾そうな態度でクァルクを、ヴィショップは冷ややかな目付きを向ける。どうやら彼女はヴィショップが自身の実力を疑問視しているのが気に食わないようだった。
ただ、まだ出会って一時間と経っていないことに加えて先程のイカサマ師に食い物にされていたことを考えれば、無条件で実力を信用するという方が有り得ないのだが。
「その言い振りだと、随分と自分の実力に自身があるみたいだな」
「もちろんだ。オレを一体誰だと思ってるんだ?」
それが分からないから信用していないんだ、という言葉が喉元まで出かかったが、ヴィショップは何とかそれを腹の中に押し戻した。そして言ったところでどうせ堂々巡りになるような言葉の代わりに、幾分か建設的な質問をクァルクに向けてぶつける。
「俺はお前が何者かなんて知らないし、それに口では何とでも言える。ここまで言えば、信用を勝ち取るのに必要な手段が何かはお前の頭でも分かってくるんじゃないか?」
「…実際に示して見せろってか?」
挑発染みたヴィショップの問いを受けたクァルクの口元が、楽しげに歪む。どうも最近見慣れてきてしまった大男の笑みと通じるものをその笑みに垣間見て、ヴィショップは若干煽ったことを後悔つつも首を縦に振る。
「まぁ、そうなるな」
「へっ、いいぜ。そっちの方がうだうだ話すより手っ取り早いしな。よしっ、ついてこいよ」
言うが早いがクァルクは座っていた椅子から飛び降りた。どうやらどこかに移動する腹積もりらしい彼女に、ヴィショップは怪訝そうな表情を向ける。
「何だ? 今から証明するのか?」
「お前が言い出したことだろうが」
「まぁそうだが……どうやって証明するつもりなんだ? ここは船の真上だぜ?」
今から実力を証明する、という彼女の真意が掴めずにいるヴィショップに、当の本人であるクァルクは笑みを向けた。
「いいから取り敢えずついてこいよ。まぁ、多少はあんたの手も借りるかもしれないけどな」
とびっきりの悪戯を思い付いた悪童の様な笑みを。
「で、方法ってこれか?」
クァルクに連れられるままに船内カジノを抜け出してから数分後、ヴィショップは改めて目の前の少女に呆れを覚えながら、彼女に声を掛けていた。
船内カジノを後にした二人は今、船内を下へと進み船底に近い部分に居た。人一人が通れるぐらいの狭い階段を下りて行った先にあるのは、獣臭さに満ちた広いスペースのある空間だった。複数の部屋に分けることなく一フロア分の甲板をそのまま用いたこの大部屋には、数人の武装した船員と思しき男と三隻の小型のボート、そしてボートの数と同数の、前ヒレがあるべき場所に太い獣の腕のようなものが生えた、牡牛ぐらいの全長の魚のような魔獣が横たわっていた。
「そうだ。今からあれを少し拝借する。それでお前に、オレの素晴らしい操船技術を見せてやろう」
ボートと魔獣を交互に指差してクァルクが自信満々に告げる。
彼女が指差しているのは、砂船が万が一の事態に遭遇して航行不可能な事態に陥った時、助けを呼んだり乗客や物資、場合によっては重要人物の運搬などに用いられる非常用の小型の砂船とそれを曳く魔獣であった。
つまり彼女は、本来の船における非常用脱出ボートでも言うべき存在を奪い、それを使ってヴィショップに実力を証明しようとしているのであった。
「あのなぁ、確かに実力を証明しろとは言ったが、いくらなんでも方法ってもんがあるだろ」
「何だよ、もしかしてビビッてるのか?」
ヴィショップの方を振り向いたクァルクが馬鹿にしたような笑みを漏らす。頭をすっぽりと覆っているフードがぴくぴくと小刻みに動いてることから、どうやら彼女の頭頂部から生えている犬の様な耳も彼女の感情に反応して動いているらしい。
「馬鹿な真似してこの船から叩き出されるような真似はしたくねぇだけだよ。こんな土地勘の無い場所であんな連れ共と逸れた日にゃぁ、世界の終りの日まで再会できる気がしねぇ」
そんな彼女の子供染みた挑発に一々乗っているだけの暇も無いので、ヴィショップはさっさと答えて引き返そうとする。
しかし、予想外の所にクァルクが食いついてきてしまったせいで、ヴィショップは動かしかけた足を止めざるを得なくなった。
「何? あんた、連れが居るのか? 何で言ってくれないんだよ、そいつらもあんたみたいにやり手なのか?」
「おい馬鹿、声が…」
ヴィショップがシルクハットの男達を叩きのめした時と同様、目を輝かせてクァルクが喜色めいた声を上げる。ヴィショップは慌てて黙らせようとするが、努力虚しくクァルクの発した声は見張りを行っていた船員の許まで届いたしまった。
「おい、そこに誰かいるのか!?」
「……しゃあねぇな」
見つかってしまった以上、いつまでも隠れている訳にはいかずヴィショップはクァルクと共に物陰から出る。
黒い外套にカウボーイハット姿の男とフードで顔を覆った少女の二人組を目の当たりにした船員の眉間が怪訝そうに歪む。そしてゆっくりと右手を腰から下げている曲刀の柄に運ぶと、その場で立ち止まって船員はヴィショップ達を問い質した。
「ここは緊急時以外は立ち入り禁止だ。引き返してもらおうか」
「そうなのか。そいつは悪かったな、道に迷っちまったんだ」
船員の物言いは客に向けて話しかけているとは思えない横柄なものだったが、船と客の質を考えるとどうにもその物言いに違和感は無かった。
これ以上話を拗らせるのは嫌ったヴィショップは船員の態度を責めるようなことはせずに、背中を向けて立ち去ろうとする。しかしそれをクァルクが、ヴィショップの外套の裾を掴むことで引き留めた。
「わりーけどまだ帰る訳にはいかないんだな。やんなくちゃならねーことがあるしよ」
「やらなくちゃいけないことだと?」
わざわざ船員の顔を見なくとも、声だけで充分船員達が警戒を強めたことがヴィショップには分かった。しかしクァルクはそれに気付いていないのか、背中を向けたまま天井を仰ぐヴィショップを尻目に口を動かす。
「あぁ。そこの砂船と魔獣を貸してくれよ。何、ほんのちょっとの間でいいからさ」
「……はぁ?」
案の定と言うべきか、船員の口から間の抜けた声が漏れる。船員たちは少しの間茫然としてクァルクのことを眺めていたが、しびれを切らしたクァルクが歩き出そうとしたところで慌ててそれを止めに入った。
「な、何言ってやがる!? そんなこと許せるわけないだろ!」
「なんでだよ、本当に少しだけだしちゃんと返しとくからいいだろ?」
「駄目だ! 今すぐ帰らないと船から叩き出すぞ!」
脅し文句を告げた船員が他の船員に合図すると、合図を受けた船員が二人、壁に向かって走っていく。そして彼等が別々の場所に対になるように配置されたクランクを回し始めると、二人の船員が駆け寄った方の壁が縦に開いて、日に焼かれた灼熱の砂塵が吹き込んできた。
「いいか、こいつは脅しじゃねぇぞ! ほら、さっさと帰りやがれ!」
地平線の向こうまで続く砂漠の光景を背景に、船員がヴィショップ達に最後の警告をする。
しかしクァルクはこの場に訪れる直前にヴィショップに向けたのと同じような、小憎たらしい笑みを浮かべたままその場を動こうとはしなかった。
「ふっふーん。いいのかぁ? オレ達にそんな口を効いて?」
「何…?」
貴族や王族などといった言葉を脳裏に過ぎらせながら、船員が言い淀む。クァルクはその様子を見て更に口角を吊り上げると、尊大な態度を隠そうともせずに船員に向かって声を発した。
「さっきオレ達は上で賭けをしてたんだが、そこでイカサマに遭った。しかも、そのイカサマをやってた中野一人はここのカジノで働いているディーラーだったんだぞ!」
偉そうに胸を反らしながら、船員たちに指を突き付けてクァルクは芝居がかった口調で自分がイカサマに遭ったことを話す。
彼女は完全に自身の勝ちを信じ切っていた。船員達の弱みを握ったのだから、彼等はきっと恐れ戦きながら自分に砂船を快く貸してくれるに違いないと。そんな状態の彼女の目には、目の前で怪訝な表情を浮かべて顔を見合わせている船員達の姿など全く入っていなかった。
「これで分かっただろう? さぁ、お前達はオレ達に快く砂船を貸し出して…」
「よし、分かった。摘み出される方が良いんだな」
「へっ? って、ちょ、まっ、待ちやがれ!」
景気よく逸らしていた胸を萎め、慌ててクァルクは近づいてくる船員達を引き留めようとする。
「誰が待つか! 吐くならもうちょっとマシな嘘を吐きやがれ!」
しかし船員たちはクァルクの言葉には耳を貸そうとはしなかった。予想を崩されたクァルクは悔しそうに船員達を睨みつけながらじりじりと後ろに下がっていく。
そんな光景を見ながら、ヴィショップは静かに溜息を吐く。それは、自信満々な表情を浮かべるクァルクを見た時から抱き続けてきた嫌な予感が的中したからに他ならなかった。
(やっぱり、そうなるわな…)
ヴィショップ達はイカサマ師連中を叩きのめしてから、さして時間をおかずにこの非常用の砂船のあるフロアまでやってきた。つまり、ヴィショップ達が捕まえたイカサマ師達は今頃船員達に問い詰められている真っ最中であり、当然こんな客も来なければ使う機会もまず訪れないような場所の見張り達にそういった事情が伝わってきてはいない。そしてそんな彼等に、背丈からして子供そのものなクァルクがイカサマをされたと言ったところで、それがそのまま鵜呑みにされる筈などなかった。
「お前もだ! さっさとこっちに来い!」
普段ならこのまま少女のたった一人など見捨てているヴィショップだったが、今回は事情が違った。いくらミライアス・ラグーヌに参加しないという選択肢が選べるとはいえ、マジシャンを殺すなり捕まえるなりするならば参戦するのが最も手っ取り早い。となれば当然砂船の操縦者は必要で、クァルクの実力は確認しておくに越したことは無かった。
そして何よりも、このままだとヴィショップもクァルクに巻き込まれる形で砂船を叩き出されかねなかった。
「ひっ…!」
ヴィショップに近づこうと船員が次の一歩を踏み出したその瞬間には、ホルスターから抜き出された魔弓の射出口が船員の鼻先に突き付けられてきた。
一拍遅れて自分の状況を理解した船員が、悲鳴を漏らしながら両手を上げる。その声で他の船員達もヴィショップが魔弓を抜いていることに気付き、腰から吊るした獲物を引き抜き始める。
「おい! 武器を下ろせさもないと…」
ただ流石に互いが手にしている獲物の差は頭の中から抜け落ちていないらしく、勇ましい言葉とは裏腹に船員達はヴィショップに切りかかってくることはなかった。
ヴィショップは目の前で両手を上げている船員の顔から視線を外して、自分を取り囲むようにじりじりと動き始めている他の船員達に視線を向ける。そして先程から最も発言することの多かった、リーダー格と思しき船員に向かって話しかけた。
「賭けをしないか?」
「……何?」
突拍子の無いヴィショップの提案に、思わず船員達の動きが止まる。それはいつの間にかヴィショップを盾にするかのように背後に回り込んでいたクァルクも同様だった。
「賭けの内容は簡単だ。今から俺とこのガキがそこの砂船に乗って外に出る。それでもって…そうだな、砂船を止めることも、砂船から落ちることもなく、十五分間の間砂船に乗っていられるかどうか、ってのはどうだ? この退屈な砂船の、丁度良い余興になると思うぜ?」
ヴィショップの最後の一言を聞くと、船員達は俄かに思案顔で顔を見合わせ始めた。
この『ミッレ・ミライア』に乗船している乗客はその大半が真っ当な賭け事では満足出来なくなったギャンブル狂。船内カジノで行われているギャンブルなど彼等にとっては所詮、『ミッレ・ミライア』に到着するまでの暇潰しに過ぎない。故に、乗客達は小金しか出そうとせず、そうなれば船員達の実入りも多くなることは無い。
だがそこに、欲望の肥えたギャンブル狂達を唸らせるだけの賭け事を提供出来たのなら、どうなるだろうか。恐らくは一気に金を放出しだし、今船内カジノで動いているの金の何倍もの金が動くことになるだろう。そしてそうして出た利益は、船員達に還元されることになる。少なくとも、そのようなギャンブルを提案した船員には確実に。
ヴィショップには確信があった。こんな人もろくに来なければ仕事があるでもないような場所に回されているような人間に目の前でこのような餌をチラつかせてやれば、間違いなく食いついてくるであろうことを。彼等が退屈の中で燻らせている欲望を、ヴィショップは目聡く見抜いていた。彼の提案は、それ故に持ち出されたものだった。
「…他にルールは?」
数秒の沈黙の後、船員が訊ねてくる。腐ってもこの船の船員である以上、賭け事に腐心する人間の心情を彼等は人並み以上に心得ている。この質問は決してただの形式上の確認などではなく、ヴィショップのチラつかせた餌に食いつくべきか否かを判断する、最も重要な質問であった。
「いや、他にはない。ルールはそれだけだ。それ以外は何をしたとしても問題にはならない」
そしてヴィショップもまた、そういった人種の求めるものを熟知していた。
刺激という名の、この世で最も甘美で、最も危険な毒酒の一つ。それこそが、ギャンブラー達が求めて止まないものであるということを。




