仄暗い遺跡の中で
時刻にしてH1100。『クルーガ』東城門を出発して三十分程、『クルーガ』郊外の山を登り続けたヴィショップ達を含めた討伐隊の面々の目の前には、目的であるバウンモルコスが巣食う遺跡、『世界蛇の祭壇』の入り口が広がっていた。
「やっと着いたか…。それにしても、山を登る破目になるなんて聞いてなかったぞ…」
「そ、そうですね…ぜぇ、はぁ…。や、山登りするなんて、ぜぇ、聞いてませんでしたよ…はぁはぁ…」
額に浮かんだ汗を拭いながら愚痴を漏らすヤハドに、フード付きの僧衣を腕まで捲り上げたミヒャエルが息も絶え絶えに同調する。
「それにしても、んぐっ、何であの人達はあんなに元気なんですかね…」
ミヒャエルは乱れた呼吸を整える為に、近くの木陰に移動して僧衣が汚れることも構わずに腰を下ろす。周りを見渡せば似たようなことをしている人間がちらほらと見受けられた。そしてミヒャエルは水筒を傾けて喉を潤しつつ視線を、遺跡の近くで話している二人の人間へと向ける。
「『世界蛇の祭壇』。『グランロッソ』を建国した初代国王、パルトニクス一世が建国時に撃ち滅ぼした蛮族が使用していた建造物であり、彼等の信仰対象である世界蛇を祀り上げると同時に政にも使用されていた、だとよ。こっちでもあっちでも、やってることはどこでも変わらねぇな」
「世界蛇ね。そういや、ジイサン。夢に出る蛇は欲求不満の証だっていうの、知ってたか?」
ミヒャエルの視線の向こうに居る二人とは、ヴィショップとレズノフのことであった。互いに話している内容は殆ど噛み合ってはいないものの、二人の呼吸は殆ど乱れておらず、同じようなリズムを刻んで胸が上下していた。
「確かに…な。あのゴリラはともかく、米国人まで呼吸が乱れていないとはな。流石に驚きだ」
ミヒャエルの言葉に釣られてヴィショップとレズノフの方を見たヤハドが、驚き半分呆れ半分といった感じの声を出す。
彼等が『世界蛇の祭壇』に辿り着くまでに通った道は、木々がそれなりにあった為に常に直射日光に晒されながら歩く必要はなかった。だが流石に技術レベルや価値観の差もあってか、通ることになった山道は殆ど人の手が加えられておらず、大変歩き難い状態になっていた。ミヒャエルの有り様を見れば分かることだが、碌な訓練も受けていない人間では体力を大幅に持っていく程に。
それだというのに、ヴィショップは至極平然な面をしてレズノフと話している。
テロリストとして悪環境の中で戦いを続け、国家の崩壊で流されてきた軍人崩れから訓練キャンプで指導を受けたヤハドや、伝説の存在にまで祭り上げられている戦争犯罪人のレズノフなら、平然としていてもおかしくはない。だが、いくら世界最大規模のマフィアを牛耳る男といえど、兵役経験の無い、数日前まで年老いた死刑囚だった男が、ヤハドやレズノフと同じ様に平然としてられるのは違和感がある。
(肩書き以上の何かがある訳か…)
全く話の噛み合わないレズノフに呆れ顔を浮かべているヴィショップを眺めつつ、ヤハドはヴィショップの“底”について考えを巡らせようとする。が、それは長くは続かなかった。
「おーい、お前等。移動するぞ」
ヤハドとミヒャエルに掛けられる声。その声の主は他でも無い、ヴィショップ自身。
ヤハドは首を少し左右に動かして、他のギルドの面々が『世界蛇の祭壇』の入り口に向かって歩き始めていることを確認すると、小さく溜め息を吐いてから、木陰から離れようとしないミヒャエルを引きずって『世界蛇の祭壇』の入り口へと歩を進める。
「しっかし、古臭ぇなァ。まさに遺跡って感じだぜ」
「何を頭の悪いことを言っている。ところで米国人。これからどうする予定なんだ?」
二人に追い付いたところで、感心したようすで頷いているレズノフにツッコミを入れつつ、ヤハドはこれからどうするかについてをヴィショップに問う。
「そうだな…。とりあえずは…」
そこまで言いかけて、不意にヴィショップの言葉が止まり、同時に歩みも止まる。
それを不審に思ったヤハドが首を捻ると、ヴィショップが顎で前方を指し示す。それに従ってヤハドが前に視線を向けると、そこに移った光景は同じように歩を止めて前方を見据え、互いに話し合う討伐隊の面々。そして、
「なっ、道が…!」
入り口から差し込む日の光によって薄っすらと姿を見せる、三手に分かれた遺跡の奥へと続いているであろう通路だった。
「うわっ、まじっすか、いきなりこうなるんすかぁ~」
それを見て、杖を支えにして経っていたミヒャエルが、面倒臭さの極みとでも言いたげな声を上げながら地面に座り込む。
「で、どするんだ?ここは一つ、おじいちゃんの知恵袋に賭けてみようと思うんだけど?」
レズノフがニヤニヤ笑いを浮かべながら、楽しそうにヴィショップに問う。
当のヴィショップは、手元に光源を用意しながらギルドごとに固まって別々のルートを行こうとしている討伐隊の面々を眺めつつ、背負った袋から二日前に購入した、カンテラに良く似た光源用の神導具を取り出しながら告げた。
「じゃ、取り敢えず別れるか」
「で、その結果がこの様か…」
嘗て纏っていた肉をいう名の衣を剥ぎ取られた骸が点在する、たった二つの光源以外は薄暗闇に覆われた石造りの空間に、ヤハドの呆れ声が微かに反響する。
『世界蛇の祭壇』の入り口での会話の後、ヴィショップはヤハドとミヒャエルの制止を振り切り、どういう訳か、三つある進路の内真ん中の道を選んだ『双頭の牡牛』の跡を追って、単独行動をとり始めた。
その結果、残された三人は仕方なくヴィショップのことを放っておき、『双頭の牡牛』も『べイヴループ』も選ばなかった右側のルートを進路として定めたのだった。
その結果、待っていたのは、
「いやァ、それにしてもこんなに早く再開出来るとはなァ。やっぱし、縁があんのかなェ?と、いう訳で、さっきの話の続きを…」
「そういえば、君。ここは嘗て蛮族達が神を祀り上げていた場所でというのは、知っているかな?」
アンジェ達との合流だった。
「クソッ、なんであのゴリラもあの女も、こう緊張感に欠けるんだ…!?」
「それは、ほら、アレじゃないですか?“馬鹿と天才は紙一重”ってやつ?」
アンジェ達の過去に対する興味を再燃させ、しつこく話し掛けているレズノフと、それをひたすら流し続けるアンジェ。双方緊張感に欠けている、との評価を下さざるおえない二人の姿を見て苛立ち混じりの嘆きを上げるヤハドに、先端部に直径一センチ程の火の玉を浮かべた状態の杖を握ったミヒャエルが、口を挿む。
「おい、そいつをあんまりこっちに近づけるな。眩しい上に熱い」
「あっと、そうですね」
それに対し、鬱陶しそうに手をヒラヒラと振りながら文句を飛ばす、ヤハド。ミヒャエルはその言葉で今の自らの杖の状態を思い出すと、悪びれもしない表情で謝罪を述べて、ヒョイ、っと杖をヤハドの顔から遠ざける。
ミヒャエルの杖の先端部に火の玉が灯っている理由、それは他でも無い魔法によるものである。
魔法名“グリム・コープ”。魔導魔法を構成する四元素の内、火の領域に属する魔法であり、していした位置もしくは物体の少し上に、魔力に応じた大きさの火の玉を精製、停滞させる魔法。持っている魔導書といえば入門編のみのミヒャエルが使用していることからも窺える通り、魔法としては初歩中の初歩といえる魔法ではあるが、光源やちょっとした火種として活用出来るという点から実利が多く、愛用者の多い、重要度の高い魔法といえるだろう。
また似た様な魔法として、最初から巨大な火の玉を精製することを目的とすることで効率を上げ、“グリム・コープ”よりも大きな火の玉を精製する際の魔力の消費量を軽減させた“グリム・ビーゲス”や、神導具に使われているとして有名な神導魔法“へエイリオス”が存在する。
「オイ、貴様!」
そんなこんなで緊張感に欠けつつも、着実に歩を進めていると、不意に、ひたすら口を動かすレズノフ、それを慣れた手際で捌くアンジェ、そしてそんな二人に対して愚痴を呟くヤハドの声以外の新たな声が響き渡る。
「何だよ、大きな声出すなって」
レズノフはその声ぬ主であるアンジェのチームのメンバー…神導魔導師、カフス・デイモンに顔を向け
、鬱陶しそうに言葉を発する。
「いい加減にしろ!さっきも言った筈だ!その話はしないと!」
「何だよ、別にいいだろ?このネェちゃんもそんなに困った顔はしてねぇし。それとも、妬いてんのかァ?」
「貴様…!侮辱する気か!」
「ハァ?なんで今のが侮辱になんだよ?別に嫉妬ぐらい誰でもすんだろ?あぁ、そうか、アンタ聖職者だもんなァ。そいつは悪かった。懺悔でも聞いてやるから、勝手に喋ってくれ。俺は左耳でお前の懺悔を聞いて、右耳でこのネェちゃんの話を聞くからよォ」
「き、貴様…!」
馬鹿にしたようなニタニタとした笑みを崩さずに口を動かし続けるレズノフに、みるみる怒りで顔を真っ赤に染め上げていく、カフス。
流石にこれ以上はマズイと判断したアンジェが止めに入ろうとした、その時だった。
「まっ、とりあえずはだ」
不意にレズノフが右手を背中へと伸ばし、背負っている大剣の柄を握り絞める。
「なっ!」
そのレズノフの行動に、カフスが驚きながら一歩後ずさって杖を構え、横に立っているビルも腰に吊るしたショートソードを二本とも抜き放ち、両手に持って構える。そしてそれに応じたようにしてヤハドも曲刀を抜いて腰の辺りで構えると、周囲に視線を這わせた。
「…どういうつも…」
武器を構えていないのは、状況についていけていないミヒャエルと、二人のやりとりを止めに入ろうとしていたアンジェのみ。
そしてアンジェがいきなり武器に手を掛けたレズノフを問いただそうとするが、
「よっと」
その言葉が完全に口から放たれるよりも早くレズノフは大剣を背中から抜き放つと、そのまま一挙一動、後頭部の辺りに位置していた大剣を一瞬にして、縦に一直線に振り下ろした。
『なっ…!』
その直後、ヤハドとレズノフを除いた全員から驚愕の声が漏れたのと同時に、レズノフの頭上にバケツをひっくり返したかのような赤い粘ついた液体が降り注ぐ。そして僅かに遅れて白い人型の“何か”が、真っ二つに両断された姿でレズノフの左右に落下した。
「こいつらを駆除してから、続きといこうや」
手甲を填めた左手で、体に付着した内臓らしきものを払い落としながら、先程までとは明らかに異なる笑み…犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべながら、レズノフはそう告げた。
そしてその直後、この空間に、耳障りな甲高い雄叫びが無数に響き渡り、“何か”が天井で蠢いた。
レズノフ及びアンジェ一行が襲撃を受けたのとほぼ同時刻、ヴィショップはポケットの中に入れてある小瓶を指先で弄びながら、少し前を行く六人の『双頭の牡牛』のメンバーの跡について行っていた。
ヴィショップはレズノフ達と離れた後、『双頭の牡牛』のメンバーに悟られないように跡をつけていたのだが、その結果予想外の事態に直面した。なんと、先程三手に進路が別れ、その内一つを通ってきたばかりだというのに、再び歩き始めてから数分と経たない内に、また道が三手に別れていたのだ。
その状況を目の当たりにした『双頭の牡牛』のメンバーは先程よりも遥かに長い時間を掛けて話し合いをした後、仕方なく二十人のメンバーを三つに分けてそれぞれ別の道を進むことを決定し、再び歩き出した。そしてそれを物陰から見ていたヴィショップは、三つに分けたグループの中でメンバーが一人足りていないグループに狙いを定めて跡をつけ、完全に六人が他のメンバーから分断された。といえる距離を歩いたあたりで姿を現したのだった。
(まっ、予定より遥かに良い状況ではあるな…)
この新たに現れた分かれ道は、『双頭の牡牛』のメンバーにとっては痛手となったが、ヴィショップにとってはまさに天から降り注ぐ恵みの雨とも言える幸運だった。
というのも、ヴィショップは元々『双頭の牡牛』のメンバーと顔を合わせ、行動を共にするつもりだった。だが、そうする為には乗り越えなければいけない壁が存在する。乃ち、ヴィショップという男が『蒼い月』のメンバーであり、インコンプリーターであり、大抵の人間から疎んじられる可能性が高い、という事実である。
その点、危険度の高い存在を討伐しにやってきた二十人というメンバーの数に対して三手に別れた進路、というシチュエーションはヴィショップに充分な恩恵を齎した。
二十人を三つに分けようと思えば、必然的に人数が足らないグループが発生する。その上、身を置いている場所はどれだけ居るともしれない危険生物の巣の中。その結果、哀れにも一人足りない状態で行動することになったグループの不安は、他のグループよりも増大する。そんな状況下の彼等に、新たに一人助っ人として加わりたいと申し出る人物が現れたとしたら、まず彼等は抗えない。その人物にどれだけ良い印象を抱いていなくても。
そう予測したヴィショップの考えは、果たして的中していた。過程を見れば少々の衝突もあったが、結局は不安に駆られた彼等はヴィショップが行動を共にすることを許可したのだ。
(心残りが無いわけでは無いが、だけどな…)
だがその一方で気になることもあった。それは『双頭の牡牛』のことでも『べイヴループ』のことでもなく、ましてや別れた自らの仲間のことですらない。
(あのクソ兄弟…。アイツらまで似た様なことしてくるとはな…)
その対象は、二日前に揉めたウォーマッド兄弟のことだった。というのも、ヴィショップは三人と分かれる前、ウォーマッド兄弟が『べイヴループ』の跡を追っていくのを視界に捉えていたからである。
(やはり、奴等も狙ってることは同じ、だろうな…。難儀なこった。まっ、それは今考えてもしょうがないし、自分のことに専念する方が先決か…)
ヴィショップはそう考えてウォーマッド兄弟のことを一旦思考から追い出すと、行動を共にしているにも関わらず、会話が殆ど無ければ距離も明らかに置かれている現在の状況を再確認して、小さく苦笑を漏らす。
「皆、止まれ」
そんなことをしていると、ヴィショップを含めた六人より前を進んで斥候の役割を果たしていた男が微かに聞こえる程度の声を上げ、神導具を持った手を少し掲げて左右に振った。
「どうした、リィス?」
男の声と、停止を意味する合図によって六人は足を止めると、リーダー格のである男が斥候の男の名を呼びながら、何があったのかを訊ねる。
「…クソッ、まただ。来てくれ」
六人に背を見せたままのリィスの口から悪態が漏れ、次に六人を呼ぶが上がる。
ヴィショップ達はそれぞれの得物に手をかけつつ、リィスの許へと近寄っていく。
「なっ、これは…!」
「おい、冗談じゃねぇざ、まったくよぉ!」
そして視界の先に現れた、三度目の分かれ道を目の当たりにして、メンバーの中から悪態が漏れる。そう、リィスが発見したのは、三度目となる分かれ道だったのだ。
ただでさえ人数が少なくなってしまった彼等の前に姿を現した、分かれ道。ただ唯一の救いは、それが三手ではなく二手に分かれている程度だったことか。
「おい、あんまり大きな声を出すな!バウンモルコスの幼体に襲われてもしらんぞ」
「はいはい、分かってるよ。それでどうすんだ?また人数を分けるのか?」
リーダー格の男は悪態を吐いた男達を叱責すると、返事と一緒に返ってきた質問に答えるべく、頭を働かせ始める。そして数秒程眉間を抑えたところで指を離し、これからとるべき行動を告げた。
「流石にこれ以上人員を割くのは止そう。とりあえず両方の道に斥候を出して安全を確認した後、より安全と思える方を行くことにする」
「どっちも同じ感じだったら?」
「左に行こう。迷ったら左に行けと、俺は母親に教わったからな。リィス、これを持って行け。助けが必要になったら使うんだ。」
リーダー格の男は、からかう様なメンバーの言葉にも顔色を一切崩さず、むしろ笑顔まで浮かべてみせると、斥候役のリィスの名前を呼び、自分の右手に巻かれたブレスレット状の通信用神導具を見せながら、紙切れが結び付けられてある以外は同じものをリィスに投げて渡す。
リィスはその言葉でやるべきことを判断すると、右側のルートに向かって歩き出そうとした。
だが、それを止める声があった。
「待ってくれ、俺も行く」
『双頭の牡牛』のメンバーの会話に入らず、少し後ろで遠巻きにその会話を眺めていたヴィショップが、唐突に声を上げたかと思うと、小走りでリィスの横に並んだ。
「な、何言ってんだ!お前みたいな怪しい奴を行かせられる訳ねぇだろ!」
「むしろ、怪しい奴だからこそ適任なんじゃないか?死んでもそれほど手痛くない。生きて安全を確認してきたら万々歳。どっちに転んでも損はねぇだろ?」
「そ、そりゃ、そうだけど…」
メンバーの内一人がヴィショップの発言に当然の如く止めさせようとするが、逆にヴィショップの反論に口をつぐまされてしまう。
そして反論にあった男がリーダー格の男に視線を送ると、リーダー格の男はヴィショップを値踏みするかのように無遠慮に眺めてから、口を開いた。
「よし、良いだろう。ただし、リィスとポートネスを同行させる。妙なマネをすれば命は無いぞ」
「それで構わねぇよ。んじゃ、行ってくる」
リーダー格の男の言葉に返事を返すと、ヴィショップは神導具を持つ手とは逆の手で魔弓を引き抜き、そしてしっかりとグリップを握りながら、リィスが行こうとした右側の道に向かって歩き始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ!何で、俺が…!」
「いいから早く行け。ビビってるのか?もうリィスは行ってるぞ?」
そして名指しで指名された、ヴィショップの行動を止めようとしていた男がリーダー格の男に詰め寄るが、リーダー格の男はどこ吹く風といった態度で受け流し、さっさとヴィショップとリィスの跡を追うように指示する。
ポートネスは小さく悪態を吐くと、仕方が無さそうに小走りで二人の跡を追い始める。
「おーい!ちょっと待ってくれ!」
「来たのか。それにしても騒がしい奴だな」
ポートネスはものの数秒で二人に追いつくと、止まるように二人に呼びかける。
「うるせぇ、インコンプリーター。行っとくが、俺はお前を信用なんざ、これっぽっちもしてねぇんだからな」
「そうかい。まっ、それでも構わねぇよ」
ポートネスの声の大きさに苦笑するヴィショップが気に食わなかったのか、ポートネスは努めて低い声を出して威嚇するが、当のヴィショップはそれを気にも留めようとしない。
その態度がつい先程のリーダー格の男のものと被ったのか、ポートネスはますます不機嫌そうな表情を浮かべて更に悪態を吐こうとする。
「そこまでだ、二人共。無駄口を叩く暇があったら先に進むか、さっさと引き返せ」
だが、それすらも呆れの色を含んだ碧眼で二人を見据えるリィスの言葉によって、妨げられてしまう。
そしてヴィショップは軽く手を上げることによって、ポートネスは納得いかなさそうな声を出すことによって、リィスの言葉に返事を返すと、奥に向かって再び歩き始める。
「にしても、不気味だな、ここ…」
そのまま少し歩いた所で、ポートネスが周りの壁を見てぽつりと呟く。ポートネスの言葉に同意したのか、リィスが何かを言うことはなかったが、その結果生み出された静寂は、ポートネスが感じた空間に充満する雰囲気をより一層強力にする程度の働きしかしなかった。
彼等三人が歩いているのは、横幅2m、高さ3mぐらいの通路のような場所なのだが、大よそ一般に知られている通路とは違う点が存在した。それは石造りの壁から床、天井にかけてまで、何かの記号のようなものがビッシリと刻み込まれていることだった。
「なぁ、あんた。これ読めるか?」
「あ?読める訳ねぇだろ、こんなモン。ってか、これ文字なのか?」
「まっ、そうだろうとは思ったけどな…」
「どういう意味だ、それ…?」
刻み込まれた記号のような存在に興味を持ったヴィショップがポートネスに訊いてみるが、結果は予想を裏切らない答えが返ってきただけ。
そのことにヴィショップが小さく溜め息を吐き、その溜め息にポートネスが噛み付こうとするが、
「おい、二人共、こっちに来い」
またしてもリィスの言葉によって事前に止められてしまう。
二人は互いに顔を見合わせてから、いつの間にか先を行っていたリィスの許に向かって移動する。
「どうやら、こっちは“ハズレ”のようだ」
そう告げるリィスの目の前には、行き止まりを意味する石壁が存在しているだけだった。
「つまり、もう一つの方が正解かよ」
「さぁな。もう一つのルートも行き止まりで他の奴等が向かったルートが正解、ということも有り得る」
「どっちにしろ戻るんだろ?あー、メンドくせぇ」
ポートネスが愚痴を零し、その様子を呆れた表情で見つめるリィス。その一方でヴィショップは、手にしていた神導具を地面に置き、通路の終着点である壁に手を置いてその表面に彫り込まれた文字に指を這わせ、巨大な蛇のようなものに供物を差し出す人々が描かれた壁画を眺めながら、思考していた。
(状況は悪くない…。だが、確実性に欠ける…)
その内容は、『双頭の牡牛』と行動を共にすることを…いや、今回の依頼の実行日をギルド主催の討伐隊派遣の日に被せると決めた時から行うことを決めていた行動、それを行うか否かについて。
その行動は一種の綱渡り。取り返しのつかない程のミスを犯せば、目的の存在に辿り着く前にヴィショップは独りで死することとなる。故に、それを行うタイミングが今なのかどうかは慎重に吟味する必要があった。
(…やるか)
そして、思考の末ヴィショップが決断を下したのと、
「おい、どうした。さっさと行くぞ」
壁から離れようとしないヴィショップを急かそうと、ポートネスがヴィショップの肩を叩いたのは、ほぼ同時のタイミングだった。
「言い残す言葉は?」
「は?」
その瞬間、ヴィショップが呟くようにしてポートネスに言葉を投げかける。その内容の意味が分からずにポートネスが間抜けな声を上げたが、それがヴィショップの言葉通りの一言になったことをポートネスが理解することはなかった。
ヴィショップの言葉の意味を理解しようとして生まれた空白の時間、それをヴィショップが見逃すことはなく、右手で肩に置かれたポートネスの腕を掴んで逃げられないようにし、左手でナイフを抜いてポートネスの首に深々と突き刺した。
「ッ!ポートネス!」
手放された魔弓が床に落ちた音とポートネスの首から流れ出る血の匂いで異変を察知したのか、出発しようとしていたリィスがヴィショップの方に振り向き、腰に佩いた片手剣を抜刀しようとする。
だがそれよりもヴィショップの動きの方が速かった。ヴィショップはナイフを掴んでいた左手をポートネスの肩へと移し、ポートネスの身体ごとリィスに向き直る。そして右手でナイフを引き抜きつつ、噴水のように噴き出す血液を気にも留めずに、ポートネスの死体をリィスに向かって蹴りつける。
「チッ!」
リィスは舌打ちを打ちながら、己に向かってきたポートネスの死体を避ける。
つい先程まで話していた人物、それも仲間である人間の死体が迫ってきたというのに殆ど動揺の色を見せないのは、見事としか言い様がなかった。だが、いくら動揺しなくても、死体を避けることによって発生する物理敵な隙は消しようが無く、そしてヴィショップにとってはその隙だけで充分だった。
ヴィショップはそのまま一気にリィスに向かって駆け寄ると、リィスが剣を抜き切るより一瞬早く、剣の柄を握るリィスの右手を左手で抑え込み、鞘から抜けかけていた刀身を再び鞘の中に押し戻す。そして右手に握っているナイフを指の動きで逆手に持ち替え、リィスの首に突き立てた。
「く…」
リィスの目がカっと見開かれ、ヴィショップに向かって最後の悪態を吐こうと口が動きをみせる。だがヴィショップはそれが完全な言葉となる前に、ナイフを引いて喉を掻き切り、リィスの命を完全に奪った。
「…さて」
ヴィショップは二人の息の根が完全に止まっていることを確認すると、リィスの手首から通信用の神導具を取り外してから、先程手放した魔弓の許に移動し、胡坐をかいて座り込む。
「やりますか…」
ヴィショップはそう呟くと、そして左手の手袋を外して右手に持ったナイフで親指の部分を切断、手袋を填め直し、切断した部分を地面に置く。次に腰にぶら下げていた水筒、そしてポケットから先日購入した小瓶を取り出すと、それらを眼前に並べる。そしてそれらを見渡し、目を瞑って息を吐くと、ゆっくりと目を開いてから、その相貌に小さな笑みを浮かべた。




