Dead Man`s Hand
時刻にしてY1100頃、既に夕飯時はとっくに過ぎ去り人々が寝床に付き始める時間帯に、ミヒャエルを除いたヴィショップ、レズノフ、ヤハドの三人は宿屋の一階の酒場に集まっていた。
彼等の着いている安っぽい木製のテーブルの上には、乗せていた料理を全て平らげられてしまった皿、数本の酒瓶と人数分のグラス、そして酒場のマスターから譲り受けたトランプに瓜二つなカードが置かれていた。
「なぁ、ジイサン。本当に強姦魔の野郎は今日中にこっちに戻ってくんのかァ?」
レズノフはテーブルの上に置かれていたカードの山を取るとそれを二つに分け、手の中でリフルシャッフルして一つの山に戻す。そして切り終わったカードの山の上から二枚ずつ、裏向きにしたままでテーブルに座るヴィショップとヤハドに配っていく。
「連絡では来ると言っていたが…奴のことだし気分がすっぽかすことも普通に考えられるな」
ヴィショップは配られた二枚のカードを一列に並べ、他の二人から見えないように端を持ち上げて絵柄を確認する。二枚のカードには白い剣と数字の五、青い杯と数字の七が書かれていた。
昨日の会話の後、ヴィショップはミヒャエルに通信用の神導具を渡していた。本格的にシューレに探りを入れていく過程で、緊急で連絡を入れる必要が出てくることを懸念してのことだった。
「もし来なかった場合は、一晩中ここでカードに興じる訳か?」
「そりゃあ、困るわなァ。朝になってみれば身包み剥がされて素っ裸になっちまうかもしれねぇしィ?」
自分のカードの絵柄を確認したヤハドが顔を顰める。それを見たレズノフが口角を吊り上げてヤハドを挑発しつつ、新たに山の上から三枚カードを抜いて表向きでテーブルの上に出す。新たにテーブルの上に出された三枚のカードに描かれているのは、青い杯を持った人間の兵士と数字の十一、白い杖と数字の三、そして青い硬貨と数字の七だった。
「言ってろ。次に負けて金を巻き上げられるのは貴様の方だ」
不敵な笑みを浮かべて、ヤハドは自分の手元の銅貨を積み上げて塔を作り前へと押し出す。それを見たレズノフはヤハドの出した銅貨よりも数枚分高い塔をテーブルの中心に向けて押し出した。続くヴィショップは煙草を吹かしつつ、無言でヤハドの出したものと同じ高さの銅貨の塔を差し出した。
誰一人降りることなくゲームは進んでいく。新たにテーブルの上には二枚、青い硬貨に数字の四のカードと白い剣に数字の六のカードが出されていた。そしてテーブルの上に立つ銅貨の塔は最初は三本だったものが、今では半分程の高さの塔を傍らに従えて総計で六本の大小の塔が出来上がっていた。
「ショウダウンだな」
レズノフはそう言って自分の手札を表にした。表にされたカードに書かれているのは白い杖を持った人間の兵士と数字の十一、そして白い剣と数字の四。
「十一と四のツーペアか。勝負は降りておくべきだったな、ロシア人」
表になったレズノフの手札を見てヤハドは微笑を浮かべると、自身の手札を裏返してヤハドに見せつけるようにしてテーブルの上に置いた。裏返されたカードはそれぞれ青い杯と白い剣が描かれた数字の三のカードだった。
「スリーカード。俺の勝ち…」
「惜しかったな、ヤハド」
ヤハドは勝ち誇ったように告げて、テーブルの中心近くに置かれた銅貨の塔へと手を伸ばす。だがヤハドの腕は、ヴィショップの言葉と共に裏返された彼の手札を見てピタリと止まった。
「ストレート…」
「そういう訳だ」
ヤハドが悔しそうにヴィショップの役の名を呟く。そんなヤハドを尻目にヴィショップは銅貨で作られた塔に腕を伸ばすとそれを一気に自分の手元に引き寄せた。
「ヒャハハッ! とんだ伏兵だったなァ!」
「まだだ! もう一回…」
レズノフが笑い声を上げ、ヤハドがもう一度勝負を申し込もうとする。その時、酒場の扉が開いて彼等の待ち侘びていた人物が姿を現した。
「よう、ミヒャエル。お前のことだから、帰ってこないんじゃねぇかと思ってたぜ」
「……本当はそうしたかったんですけど、そういう訳にもいかなくなりましたんで」
背後を振り返ってヴィショップが声を掛ける。ミヒャエルはシューレの家を訪ねてきた割には元気の無い声音で返事を返すと、ヴィショップの隣の席に座った。
「何だお前、随分汚れてるな。何してきたんだ?」
「帰る前にグレイ君と遊んできたんですよ」
ミヒャエルの身に着けている僧衣、そして彼の手が泥で汚れていることにヤハドが気付く。ミヒャエルは今初めて気付いたかのように自分の両手を見た後、さして興味も無さそうに答えた。
「とりあえず、ポーカーを続けながら今日の成果を聞かせてもらうとしよう。お前がわざわざ戻ってきたってことは、手ぶらじゃないんだろ?」
ヴィショップはそう告げると、テーブルの上に散らばっているカードを集めて一塊の山にし、シャッフルしてミヒャエルを含めた全員に二枚ずつ配っていく。だが、全ての全員にカードが行き渡りテーブルの上に三枚のカードが表向きで置かれたところでそのゲームは完全に動きを止めた。何故なら、そこでミヒャエルの話がグレイから聞きだした薬の話へと入ったからだ。
「そいつは確かなのか…?」
「……充分信用出来ると思いますよ。グレイ君はシューレさんが皆にどう思われてるか知らないようでしたし、それに知ってたとしてもそんな薬が存在するなんて嘘を吐く必要がない」
ミヒャエルの返事を聞いたヴィショップは、だまって右手で顎の無精髭を撫でる。彼の沈黙は暗にミヒャエルの考えに同調していることを表していた。
「どれくらいの効力があるのかは聞いたのか? 操れるといっても至極簡単なことしか出来ないのか、それとも複雑な作業なんかも命じれば出来るのか」
「その辺りはグレイ君も知りませんでした。恐らく、実際に使ってみないと分からないんじゃないんでしょうか?」
「そうか…」
ヤハドの言葉を最後に四人の間に沈黙が広がる。その沈黙が破られたのは十秒以上が過ぎてからのことだった。
「で、どうすんだァ? その女をとっ捕まえるのかァ? それともまだ様子見んのかァ?」
手にしていたカードをテーブルの上に置いてレズノフが訊ねる。
「僕としては様子を見た方がいいと思います。最初に消えた子供のことにしろ、シューレさんが黒幕だと考えるには不自然な点が多い」
「確かにそうだが、それでもあの女が関わってるのはまず間違いないだろう。それなら、次の失踪者が出る前にあの女を抑えるべきだ」
ミヒャエルの意見にヤハドが反発する。それを受けてミヒャエルは助けを求めるようにヴィショップの方に視線を向けた。
ヴィショップは目だけを動かしてミヒャエル、そしてヤハドの顔を見る。そして両者の顔を見比べた後、ヤハドの方を向いて答えを告げた。
「今回の方針はヤハドに委ねるという約束だからな。よっぽどの悪手だと思わない限り、俺はお前の決定に従う」
「なら…」
「ただ、ミヒャエルの言っていることにも一理あるのは事実だ。だからあの女を抑えるといっても、明日明後日の間には行わない。最低でも後一回は情報を集めてからだ」
ヤハドの顔が渋い顔付きへと変わったが、彼自身もミヒャエルの言っていることを否定出来ないらしく、文句を言うことなくヴィショップの提案を受け入れた。それからレズノフに視線を向けてそれでいいかどうか問おうとしたが、口を開く直前で真っ当な答えが返ってくることはないことに気付き、そのまま視線をミヒャエルの方に向ける。
「とにかく、例の薬の情報に関しては非常に有益な情報だった。それで、他には何か無かったか?」
「他に…ですか。後はグレイ君が指輪を見せてくれたくらいですかね…」
「指輪?」
ヤハドが聞き返すと、ミヒャエルは首を縦に振って答えた。
「はい。何でも誕生日の時にシューレさんから貰ったそうです。琥珀を使った、綺麗な指輪でしたけど…これは特に何も関係無いですよね」
「琥珀の指輪…何だ? 最近どこかで見た気が…」
琥珀の指輪に引っかかりを憶えたヴィショップは、どこでそれを見たのか思い出そうと記憶を漁る。しかし彼がそれを思い出すよりも、ヤハドが同じ様な指輪を持っていた人物を思い出す方が速かった。
「あいつだ! あの『ヤーノシーク』とかいうギルドの棟梁の!」
「ブルゾン・ヴィルレイザー…! 確かにあいつも琥珀の指輪を…」
「それ、どういうことですか?」
声を掛けられてミヒャエルの方を見た瞬間、新たな手掛かりに成り得る情報を得たことで喜色めいていたヴィショップの表情は一気に驚愕と緊張の波に呑み込まれた。
ヴィショップの方に向けられたミヒャエルの顔には、何の表情も浮かんでいなかった。喜怒哀楽一切の感情が表情から死滅し温かみの欠片も残っていない、まるで分厚い鋼鉄の仮面を被っているかのような表情。
ヴィショップはその表情を一目見た瞬間に悟っていた。今この瞬間、ミヒャエル・カーターの無機物でできたような表情の裏側には、正気の人間ではどうやっても抱くことの出来なような激情が渦巻いていることを。
そしてそれを悟ってしまえば、自ずと一つの選択を強いられることになる。ミヒャエルにブルゾンのことを話すべきか否か、という選択を。
「……『ヤーノシーク』の棟梁の男が同じ様な琥珀の指輪を填めてたんだよ」
迷った挙句、ヴィショップはブルゾイのことをミヒャエルに話した。それは何か考えがあってのことではなかった。ただ、自分がブルゾイの名を出し彼が指輪を持っていることを口走ってしまった時点で、どちらを選ぼうとも行き着く先が同じになってしまったことを理解したが故の選択に過ぎなかった。
「そうですか…。『ヤーノシーク』って、確か『ヴァライサール』にあるギルドですよね?」
「そ、そうだ」
「へぇ……」
ミヒャエルの質問にヤハドが答える。ヤハドもまた、今のミヒャエルが異常な状態にあることを気付いているらしく、発した声は彼の中で張りつめている緊張の意図の影響を受けていた。
ヤハドとミヒャエルが話している内に、ヴィショップは視線をレズノフへと向ける。レズノフは無言でミヒャエルを見つめたままニタニタと気味の悪い笑みを浮かべていた。どうやらミヒャエルの状態には気付いているようだが、むしろそれを楽しんでさえいるようであり役に立ちそうには到底見えなかった。
「ただの偶然とも考えにくいし、どうやらあの女とブルゾイの間に何らかの関係があるのはこれで間違いないだろうな。しかももし自分の子供に渡したのと同じものを渡したのなら、相当に親密な関係ということになる」
「…………」
ヴィショップは取り敢えず話を先に進めようとする。だが意外なことにミヒャエルが彼の考えを否定しようと口を開く事はなく、黙ってヴィショップの話に聞き入っていた。
「お前はどう思う?」
「僕もヴィショップさんと同意見です。恐らくですけど、シューレさんと『ヤーノシーク』のその人の間にはただならぬ因縁があると思います」
試しにヴィショップはミヒャエルに話を振ってみるも、特に変わった反応は無くすんなりとヴィショップの考えを受け入れた。
(むしろ、そのせいで不安が煽られてる気もするが…)
ヴィショップは心中で嘆息すると、一つの決意を固めた。
「明日、あの女の家に向かう。ブルゾイとの関連性が無視出来ない程に深い可能性があることが分かった以上、様子見に時間を割く必要はない。ブルゾイに関する決定的な情報を握っている可能性は充分考えられるし、絞り上げて情報を吐かせる」
ヴィショップにその決断を迫らせた要因は、無論彼が口に出したもののみではない。むしろ言外にしなかった要因こそがこの決断を下した最も大きな要因であるとも言えるだろう。
今の状態のミヒャエルが最後の一線を越えてしまう前にこの事件を終わらせる、それこそがこの決断を下す最後の一歩を踏み出させた要因だった。
ヴィショップは三人にそう告げると、視線をミヒャエルの方へと向けた。ヴィショップの視線の先のミヒャエルは黙ってテーブルの上を見ていたが、やがて手にしていたカードをテーブルの上に置いてゆっくりと立ち上がった。
「僕もそれが良いと思います。この件に関してはけっこう時間をかけちゃってますし、そろそろケリを付けた方がいいでしょう」
「…どこいくんだ?」
「疲れちゃったんで先に上で休んでます。明日、決まったことを教えてください」
そう言い残してミヒャエルは二階へと続く階段を昇って行った。普段ならば誰かがミヒャエルを止めようと呼びかけたものだったが、この時は誰もミヒャエルの名を呼ぶ者はいなかった。
そんな中、テーブルに置かれたミヒャエルの手札と、中心に置かれた三枚のカードを見てレズノフが呟いた。
「白の八とエースのツーペアかァ。不吉な役残してきやがる」
ミヒャエルの座っていた位置に残された白い剣の一と白い杖の八、そしてテーブルの中央に置かれた三枚の中にある白い剣の八と白い杖の一。それをヴィショップは一瞥すると、くだらなそうに発した。
「奴がワイルド・ビル・ヒコックってタマかよ。あいつはどう考えたってテッド・バンディだ。違いといえば、アメリカ生まれじゃなくてドイツ生まれなことぐらいだ」
ヴィショップはそう言うと大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。
「お前等に一つ話しておくことがある。ミヒャエルの過去についてだ」
それからヴィショップは語り始めた。ミヒャエルがかつてこの世界に来る前、まだ生きていた頃に何をしてきた人間だったのかを。
大半の建物に灯された灯りはとうに消え去り、暗闇と沈黙の帳が降りた深夜の『ヴァライサール』。その中で唯一灯りを灯し、人の気配がある建物があった。それはこの町の実質的な支配者として君臨している、ギルド『ヤーノシーク』だった。
そしてその建物に向かって、靴音を響かせて歩く一人の人影があった。その人影は僧衣をを身に纏ってフードで顔をすっぽりと覆い、右手には先端に空いた穴から金属製の札のようなものを数枚垂らしている杖を手にしていた。
その人影はまっすぐ『ヤーノシーク』に向かって歩いて。その最中、その人物は一言たりとも言葉を発することはなかったが、『ヤーノシーク』の扉まであと二、三歩という距離まで近づいたところで不意に口を開いた。
「四元魔導、大地が第六十二奏」
口から紡がれるのは魔の言葉。僧衣の人物は呪文を呟きながら『ヤーノシーク』の扉を開いて中に足を踏み入れる。
「いらっひゃ…」
依頼の髪が張り出された掲示板の並ぶロビーのような作りの部屋には、酔っ払った男が二人で晩酌を楽しんでいた。その二人の内、普段事務を執り行っている眼鏡をかけた禿げ面の男が酒で呂律の回っていない口を開いて言葉を発しようとする。
それとほぼ同時だった。僧衣の人物が呪文を全て言い切ったのは。
「クレバース・ニダル」
最後の一節を唱えた瞬間、僧衣の人物の傍らに岩石で作られた杭が姿を現す。長さは人の腕程、太さは人の顔程はある岩石の杭は、姿を表すや否やカウンターの上に腰かける眼鏡の男の胸目掛けて飛んで行った。
「えぐぅ!?」
岩石の杭は眼鏡の男の身体をまるで紙切れのように意図も簡単に貫く。どころか貫いただけでは勢いは弱まらず、そのまま奥の壁まで飛んで行って深々と突き刺さり、眼鏡の男を壁に磔にした。
「はっ、へっ…?」
顔面に眼鏡の男の返り血を浴びたもう一人が、何が起こったのか分からず間の抜けた声を漏らす。残った男の方は眼鏡の男とは違って腰からハンドアックスをぶら下げていたが、彼の手がそれに伸びる気配はない。
完全に思考が停止して固まってしまっている男の方に僧衣の人物は視線を向ける。そして僧衣の懐から野球ボールくらいの大きさの玉を取り出すと、男の顔に向かって投げつけた。
玉は決して速くは無かったが、今の男にはそれすら避けることは出来なかった。人影の投げたボールに男が反応出来たのは鼻先まで迫ってからで、咄嗟に顔を捩ろうとしたが既に遅すぎた。
玉は男の顔に当たるとパンという音を立てて破裂する。破裂と同時に玉の中に入ったいた液体が男の顔に振りかかった。
「ぎぃやあああああああああああ!」
液体が顔にかかるや否や、男の顔の皮が焼けただれたように崩れていき、ぼとぼとと床に落ちていった。
男は室内に悲鳴を木霊させると、腰のハンドアックスへと伸ばしかけていた手を引っ込めて顔を覆いながら、ひっくり返って床に倒れて悶絶する。しかし数秒も立たない内に男の悲鳴は声の体裁を保てなくなり、遂には完全に途絶えた。
僧衣の人物は、鼻も口も無くなり赤黒いかつて顔だったものを晒して地面に横たわる男を一瞥する。だがすぐにつまらないものでも見た様な仕草で男の死体から目を離すと、小さく何かを口ずさみながら二階へと続く階段を昇り始めた。
「おい、何が…」
「“ウォール・イレクト”」
僧衣の人物が階段の一段目に足をかけるたところで、先程の悲鳴で異変に気付いた他のギルドメンバーが階段の踊り場まで下りてきて鉢合わせになる。
僧衣の人物と鉢合わせになったのは二人のギルドメンバーで、彼等は僧衣の人物の纏う異様な雰囲気に物怖じしながらも、自身の獲物を抜き放つ。だが抜き放った獲物を構え、切りかかる前に僧衣の人物の魔法の詠唱は終わってしまった。
「なっ、グーヌラ!」
天井から生えてきた岩石の壁が二人の内僧衣の人物に近かった方を押し潰す。そしてそのまま階段を塞ぎ、残る一人が僧衣の人物に切りかかれないようにしていまう。
「クソッ! てめぇ、出てきやがれ!」
「四元魔導、大地が第三十一奏、“ニダル・イレクト”」
魔法によって生み出された岩石の壁越しに残る一人の悪態が聞こえてくる。僧衣の人物はそれに一切の反応を示さずに岩石の壁に近づくと、岩石の壁の表面に手を置いて詠唱を行う。
僧衣の人物の詠唱が終わった瞬間、階段の踊り場側の岩石の壁の表面が僅かに波打ったかと思うと、幾本もの細長い岩石の棘が勢いよく生えてきた。無数の岩石の棘は目の前に立っていたギルドメンバーの身体を串刺しにし、目はおろか口を閉じるすら暇与えずに絶命させた。
僧衣の人物は黙って耳を澄ませる。そうして壁の向こうの悪態が途絶えたことを確認すると、杖を持っていない方の手で軽く指を鳴らした。すると階段を塞いでいた岩石の壁が崩れ去り、後に残されたのは人間だったものの破片と全身に穴を穿たれた血塗れの死体だけとなった。
僧衣の人物はそれらを跨いで階段を昇り、二階へと辿り着く。壁にかけられた二つの神導具によって照らされている薄暗い廊下の真ん中で、半裸で武器を構える二人の男が僧衣の人物を待ち受けていた。
「…てめぇ、何者だ? 一体何が目的だ?」
僧衣の人物は二人の男に向き合うようにして立つと、その顔をまじまじと眺める。そして彼等が二人とも目当ての人物でないことを悟ると、閉じていた口を開いた。
「四元魔導」
「野郎ッ!」
僧衣の人物が口に出した言葉が呪文の一節であることに気付いた瞬間、二人は剣を構えて僧衣の人物目掛けて突進した。
男達と僧衣の人物の間にある距離は高が知れていた。このまま行けば、僧衣の人物が詠唱を終わらせる前にどちらかの刃が確実に僧衣を切り裂き血に染めることとなるだろう。男達もそれを分かっていたからこそ、周りの部屋に逃げ込むのではなく僧衣の人物に切りかかるという選択肢を取ったのだ。
だが不運にも、彼等は一階で眼鏡の男と酒を飲み交わしていた男の末路を見ていなかった。故に、彼等は次に僧衣の人物がとった行動に反応することが出来なかった。
「うおっ…! これは…ぐっ!?」
二人の男が充分近づいた頃合いを見計らって、僧衣の人物は懐から取り出した粉らしきものを投げつけた。真っ直ぐ全速力で僧衣の人物に向かっていた二人はそれを躱すことも出来ずに顔面に受けてしまう。そして僧衣の人物の投げつけた粉を顔面に受けた二人は、直後に襲ってきた眼球を炙られるかのような激痛の前に耐えきれずに膝を屈してしまった。
「何だっ…これは…ぐおおおっ…!」
堪らず剣を手放し、男達は涙を流す双眸を必死で擦る。僧衣の人物は、激痛によって立ち上がることすらままならない彼等を冷ややかな視線で見下ろしながら、詠唱を完成させた。
「大地が第三十九章、“ウィップ・テイル”」
天井から二本の人の腕程の長さの蔓が伸びてきて男達の首に絡みつく。男達は目が見えないまま咄嗟に蔓を払おうとするが、二本の蔓はそのまま男達の身体を空中に持ち上げて宙吊りにした。
「えぐっ…」
「か…はぅ…」
男達が足をばたつかせ、首を掻き毟りながら苦悶の声を漏らす。僧衣の人物は邪魔そうに、宙吊りの状態でもがく二人の男の身体を手で押し退けて廊下の奥へと進んでいった。
僧衣の人物は途中にある部屋を無視して、廊下の突き当たりにある扉の前へとやってくる。そして左手を僧衣の懐に忍ばせると、杖の先端で扉を押して開き中へと入った。
扉を抜けた先の部屋には、一人の男が両手にファルシオンを持って立っていた。
両袖の無い毛皮のコートに踵まで届く裾の長いズボン、オールバックの無骨な印象を纏った茶髪、そして右手の人差し指に填められた琥珀の指輪。その男は間違いなく、僧衣の人物の目当てであるしブルゾン・ヴィルレイザーで間違い無かった。
「全員…全員殺しやがったのか…」
ブルゾンが僧衣の人物に問いかける。その口調からはヴィショップ達との会話の際に見せていた不遜さは完全に消え去っており、自身の理解の及ばない正体不明の存在に対する恐怖と不安に支配されていた。
ブルゾイに問われた僧衣の人物はゆっくりと右手の杖を持ち上げ、先端でブルゾイを指し示す。そしてゆっくりと、一文字一文字をブルゾイがしっかりと聞き取れるように意識して、返事を返してやった。
「まだ、貴方が残ってます」
ヴィショップが軽い頭痛と共に目を覚ましたのは、小鳥の囀りが心地よいBGMとして流れている気持ちの良い早朝のことだった。
(痛っぇ…昨晩飲み過ぎたか…? ていうか、昨晩何やってたんだっけか、俺は…?)
鈍痛が響く頭を抱えながらヴィショップはゆっくりと身体を起こす。てっきり前の晩に羽目を外し過ぎたのだろうと考えたヴィショップは、昨晩の出来事を思い出そうと記憶を漁ってみるが、昨晩何をしていたのか全く思い出すことが出来なかった。
(しっかし、この歳で加減も分からずに飲み過ぎるなんて、一体何やって…)
「め、目が覚めたんですね!」
もう何年も経験していない二日酔いの感触に懐かしさの籠った笑みを浮かべるヴィショップだったが、そんな懐古の感情は真横から飛んできた大声によって掻き消された。
「うるせっ……って、村長さんではないですか」
その大声に思わず顔を顰めたヴィショップだったが、横に居るのが村長だと知ってすぐに口調を改める。しかし改めたはいいものの、何故村長が自分の部屋に居るのかヴィショップには皆目見当がつかなかった。
「何で貴方がここに居るんですか? 何か緊急の用でも?」
訝しげな表情を浮かべてヴィショップは村長を訊ねる。しかし村長から帰ってきた答えは、ヴィショップの想像を遥かに上回る答えだった。
「何言ってるんですか! ヴィショップさん、それとレズノフさんとヤハドさんは、もう三日前に倒れたままずっと目を覚まさなかったんですよ!?」
「……何だと?」
村長がヴィショップに告げた言葉。それは即ち、『ヤーノシーク』よりも沼地の魔女よりも恐ろしい、四十八人殺しの殺人鬼にヴィショップ達がまんまと出し抜かれたことを意味していた。そして同時に、それが今、何者にも抑えられることなく野放しになっていることも。




