第3部 第3話 始点にして終点/甘美な闇の導き
――このプレッシャーは、まさに次元が違う。
康太郎は思わず平伏したくなる衝動に駆られた。
奈落の獏は、王種にカウントされているのがおかしいくらいの規格外だ。
夢幻を以って無限を体現する存在、それが奈落の獏。
そのアバターになっているこの小さな化生からは尋常でないほどの存在感を放たれていた。
以前では感じなかったことも、D4ドライブに目覚めた康太郎だからこそ、わかる変化だった。
自分も相当はみ出しているが、目の前の御仁は、それ以上だと。
存在が強大すぎて、大きすぎて、認識すればするほど危ういほどなのだ。
その証拠に冷や汗をかいている康太郎とは対照的に、アルティリアにこれと言って変化は無い。
むしろ、あ、ちょっとかわいいとすら考えているかもしれない。
「ずっと夢で見ていたけれど、君の思いの強さ、確認させてもらったよ、康太郎。そしてご馳走様」
「……獏。早速ですが、教えてください。この世界と地球の繋がりの真実を」
「直裁だね。そんな性急さも嫌いじゃない。でも僕が与えられるのはヒントだけだ。方法を考えるのは、成しえる力は、君の中にある固有秩序だ」
「――はい。わかっています」
「だが、その前に確認しなければならない。康太郎。君は、君の選択に誇りはある? 正しいと胸を張って言える?」
獏の問いに、康太郎は俯き、表情に影を落とした。
「……正しい、なんて口が裂けても言えないです。俺のやろうとしてることは、多くの人の夢を奪うことだから」
康太郎はぽつぽつと語る。自らが得た、答えと覚悟と。
「正直、この世界は楽しいです。いつまでだって冒険したいですよ。それに俺の世界には、地球には、この世界を求める人たちが結構いるって知りました。下種もいるけど、そうじゃなくて、閉塞した世界を変えたいって瞳を輝かせる人や、新しい可能性を見つけたいって人もいることを知りました。そりゃ、誰だって超人になれるんだ。D世界は俺達にとって宝の山で、可能性の坩堝なんですよ」
康太郎は語る。獏には誠意を見せなければならない。不純も不正もあってはならない。そうウォルは言ったのだ。
「でも、D世界のせいで不幸になっていた子がいました。俺が地球へ送り返したDファクターの中には、裸で投げ出されて、右も左もわからない世界で、孤独と恐怖に震えている子がいました。手に入った力を笠にきて、見境無しに暴れまわっているのもいました。『任務』でこちらに来た奴は、今後のためと言って平気で命を狩るのもいました。そしてそういうのは、昔からあったんだ」
康太郎は顔を上げた。そこに浮んでいたのは疑問と怒りだ。
「俺みたいに順応して楽しく生きるなんて滅多に出来ることじゃないんだ。大抵は衝突して、軋轢の上に立つか押しつぶされるんだ。俺だって、収まりが良かっただけで。いや、エルフの里からは逃げてるから、実は俺も似たようなもんで」
アルティリアが、はっとして胸を押さえて康太郎を見た。
「コウ……あれってやっぱり」
「前は、巻き込みたくないって言ったな。アレは本島だし、面倒だからってのもあるけど。やっぱ馴染めないまま、後ろ指差されるのは気分悪かったんだよ」
「……ごめん。私、あなたがそんな風に思ってるなんて、気付きもしなかった。それどころか勝手に出て行ったことに怒って」
アルティリアは顔をゆがめ、辛そうな顔をした。
「……あの頃は、今ほどアティと仲良くなかったしな」
「……ごめん」
「謝んなよ。まあ、それはそれとして。ほんの僅かな成功者はいるかもしれないけど……D世界に望まずに来た人は、結局歪められてるんだ、人生を。ありえないイレギュラーなんだ。D世界は、昔にいたDファクターたちが、良かれ悪かれ影響を与えて歪められているんだ。なんだよグランド語って。全人類人工統一言語ってどんだけだよ。恩恵だって大きいけど、潰えたものだって多かったはずなんだ」
康太郎の語気が徐々に荒ぶる。
「だから俺は、この繋がりを断つ。もう夢に迷い込む人間を出さないために。互いに干渉しない、あるがままの歴史の積み重ねのために」
「間違っていると、君はそう言うんだね。だが、異邦人のおかげで幸せを得たこの世界の住人だって決して少なくないよ? 歪んでいるとは言うが、君たちの行動で救い上げられた者だっている。新たな刺激に活力に与えられた者だっている。それらを否定するのかい」
「過去は変えられません。事実は事実ですから。でも、これからは違う。互いに独立した存在としてあるべきです」
「世界は決して孤独な存在ではないよ。隣人として付き合っていくことも出来ると思うけど?」
「だとしても、その前にやらなきゃいけないことは山ほどある。それにD世界は搾取される側です。戦争になればまず負けるでしょうし、はずかしながら、地球の俺達も自分たちをちゃんと律しているとは言いがたいです」
「君自身もふくめて?」
「はい、おれ自身も含めて」
「エゴだね。君の願いは」
「エゴです。いいとこだけを見て、悪いところには蓋をして、矛盾した願いと理想を抱く。それが俺です」
ネガティブなエゴを肯定し、康太郎は胸を張って獏を見た。
「俺は俺の納得のため、D世界との繋がりを断ちます。俺のD世界に、もう誰にも手は出させない。少なくとも、夢から無作為に導かれるようなシステムだけは破壊します」
「…………」
「…………」
獏と康太郎の視線が交差する。
つぶらな瞳に康太郎の姿が映った。
視線はそらさず、真っ向から対峙する康太郎は並々ならぬ決意を以って獏を見ていた。
獏は、嘆息するかのように顔を下に向け、また目線を康太郎に向けた。
「いいよ。君には、全ての事象を公開しよう」
瞬間、獏が人を飲み込めるほどに巨大化して、
「コッ……!」
「……っ!」
「イタダキ@マス」
康太郎を飲み込んだ。
***
「ごちそうさま」
「う、うわーーーーー! 何してるんだつ!!」
康太郎が、食われてしまった。アルティリアは衝動的に腰の剣に手をかけようとして――
「落ち着いて」
それよりも早く、巨大化した獏の前足がアルティリアの額に触れた。
「はう……」
柔らかい感触に、不思議とアルティリアの気持ちが凪いで行く。
「大丈夫。康太郎にはより僕の深層に入ってもらっただけだから」
「は、はあ……」
内心困惑しているアルティリアだったが、その一方で冷静な面もあった。
「さて……僕は、君に話があったんだ。エルフのアルティリア」
「私に、ですか?」
獏は頷いた。
「そう、この世界で、尤も九重康太郎という異邦人を見続けてきた君に。この世界の代表として」
「代、表……?」
「――僕はこの世界が滅びるようなことはないと判断した。だから、彼に知識を与えることに決めた。僕は想いを食べ、その代わりの知恵を与えるモノだ。だけど、今のままではフェアではない。エゴで世界を変えたい存在がいるのなら、同時、世界をエゴで維持する存在……維持させたい存在もいるはずだ。そうは思わないかい、アルティリア」
獏の言葉の裏、真意。それをアルティリアは正確に読み取った。
けれどもアルティリアは応えられず、獏はさらに言葉を続ける。
「君は、異世界地球の事情と九重康太郎の身の上を知る、数少ないこちら側の人間だ……ああ、何故知ってるかという顔だね、もちろん夢で見ているからさ。彼を知り、彼と友誼を交わした君は、彼の行為に対して、本当はどうしたい?」
「私は……何も出来ませんよ。ただ見ていることぐらいしか。だから、せめて、最後の瞬間まで……傍で……」
「アルティリア。僕が聞いているのは、君の願いだ。僕を呼んだのは、九重康太郎の願いと力だが、それともう一つ……康太郎以上の強度を持った、切実な願い。君の願いなんだよ、アルティリア」
「私の、願いが……?」
「嘘じゃないさ。僕が喰らいたいと思うほどには、君の願いはとても美味しそうだった……」
獏は、前足を上げて、アルティリアの頬に優しく触れた。
「今、ここに彼はいない。君の願いを聞くまでは、彼には必要な情報へたどり着けないようにしてある。幾らでも考えて決断するといい。願いを封じるというなら、それもそれで、君の違う面での本当だ。けれど、もし、君がその本当の願いを叶えたいと思うのなら――」
獏の声音は、あくまで優しく、安らぐほどで。
「僕が君に、その力を与えよう。世界を見守る闇、『観測者・奈落』が」
それは、アルティリアの闇 を引き出すには、十分すぎるほどに甘美だった。
***
康太郎が奈落の獏の中、知の万華鏡からの情報に圧倒されていた。
獏は、必要な情報を与えるのではなく、全ての情報を康太郎に叩き込んでいた。
それは人間の脳では処理できない生体へのクラッキングに近いものだ。
だが、康太郎はこれらを処理し、情報の奔流の中を泳いでいた。
そして――
「穂波さんの行為が正解に近かったのか……流石だ」
灯台下暗し。答えは、既に康太郎が知っている物の中にあった。
西の大陸にある王種・世界蛇アンジェルが守護するこの世の要の大樹、理力を生み出す母なる樹、『想樹』だ。
万華鏡の中で康太郎は情報で再現された想樹の映像を見ていた。
想樹は、受信機にして受容器の役割を果たすものだったのだ。
D世界の構造とは、想樹が生み出す理力によって成り立つもの。
では想樹は何を持って理力を生み出すのか。
それは世界と世界の境界、虚数空間、正位置と負位置のエネルギーが渦巻く場所。
康太郎がADSシフターで無理矢理こちらのD世界にやってきた時のあのエネルギーの奔流から、そのエネルギーをD世界に引き込んでいるのだ。
かつて存在したあるモノは想樹というシステムを作り出し、D世界の運営に用いた。
始めはただエネルギーを引き込むだけだったものが、制御するモノが不在となった数十万年の間に誤動作を起こし、境界の先の『理力を自力で生み出す別世界の魂』とのパスまでを繋いでしまった。
誤動作はやがてシステムとして最適化され、世界同士の繋がりが確立してしまう。
それがD世界への転移の正体だ。
これを是正するためには、想樹のシステムを改変する必要がある。
その方法は、康太郎のD4ドライブ・ジェネレイト。
『理想の押し付け』によって、想樹を最適な状態に戻すのだ。
だが、これは今の想樹を破壊し、新たな木として新生させる行為だ。
想樹の防衛システムの成れの果てである王種・世界蛇や王種・妖精女王の子孫であるエルフ族は、現状のシステムを破壊する康太郎のことを敵と認識することだろう。
それは、彼らの根幹に根ざした本能とも言うべきもの。
エルフたち、そしてアンジェルとの決戦は避けられないだろう。
「……俺のD世界の始まりの場所が最後の場所で、世話になった人たちには恩を仇で返すことになるのか。嫌だなあ……嫌な奴だなあ、俺」
康太郎はため息を付き、天を仰いだ。
「ま、異物にはいい最後だな。後腐れが無くて丁度いいじゃないか。だけど、せめて――」
――ここまで付き合ってくれたアティにはちゃんと最後の挨拶を。
康太郎は、足に力を入れて飛び去った。
理力の蒼い光の軌跡は闇を切り裂くようにも見えた。
***
「やあ、お帰り、康太郎。答えは見つかったかな」
「おかげさまで。本当にありがとうございました」
深層から抜け出た康太郎は、再び奈落の獏と対面していた。
「ところで、アティは……?」
「ああ、彼女は、先に帰りたいといっていたから、帰らせたよ」
「……え?」
「彼女から伝言だ。『想樹の前で待つ』って」
突然伝えられたアルティリアからの伝言に、康太郎はすぐに事情を悟った。
「獏。俺のしようとしていること、本当は獏にはわかっていたんですね? そしてそれをアルティリアに教えたんですね」
獏は頷き、それを見た康太郎は、少しだけ不機嫌になった。
「俺から言おうと思っていたんだけどな……でも、どうして?」
康太郎の疑問は、なぜ、自分には知識の閲覧の権限だけで、アルティリアには答えそのものを教えたのかということだ。
もちろん、康太郎と同じようなやり方では、アルティリアは答えに到達できない。
アルティリアでは脳がパンクする可能性が高いからだ。
だが、答えを知っているのなら、別々の対応をするでもなく、一緒に教えればいいはずなのに。
「僕は、君の願いに答えるのと同様、彼女の願いにも答えたかった。そしてそれは、君が目の前にいては、言い出せないものだった。だから、少々手間だが、君とアルティリアを分けたのさ」
「……彼女は、何を?」
「僕にそれを言う資格はない。彼女に直接確かめてごらん。それは君の義務であり、責任だよ」
「…………はい」
腑に落ちないが、これ以上の言葉は無駄だと康太郎は悟る。
「さて、実のところ、君が情報を引き出している間に、外の世界では結構時間が経っていてね」
「え……?」
「もう一週間ほどだ」
獏の言葉に、康太郎はしかめっ面を作り、手で顔を覆った。
「あちゃー」
現状、康太郎は、時間軸をリンクさせた転移しかできないため、D世界で一週間たてば、転移して地球に戻っても一週間過ぎていることになる。
「無断で休みか……参ったな」
「さあ、戻るといい。そして……君のこの世界の全てに決着をつけて来るといい」
獏に促され、気を取り直した康太郎は、最後に獏に礼をして、アイン・ソフ・オウルを天に向けて放ち、天に出来た大穴から獏の外へ抜け出た。
***
獏の体内から出た康太郎は、南大陸の空に浮遊していた。
「さて、セプテントリオンの連中への今後の身の振り方を決めてもらったり、西の大陸に向かう前に結構やることがあるな」
康太郎が、D世界の後始末を頭の中で纏めると、帝国のセプテントリオン基地へ進路向けると、
――リリリリリリ。
腰の携帯端末……D世界式携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。
着信画面を見ると、相手は参番星ナビィだった。
「あ! やっと繋がった!! 隊長、今まで音沙汰無しで何やってんですか!!」
キンキンと音割れするぐらいの大声でナビィは喚いていた。
「俺がいなくても機能するように、仕事は割り振ってるだろう?」
「緊急事態です! まあ、私も今回は人形のストックが結構無くなった、あまり余裕ぶっていられません」
普段、おちゃらけていることが殆どのナビィが出す真剣な色を帯びた声に、康太郎は何事かと、次に来る言葉を待った。
「Dファクターと思しき者の襲撃を、城塞都市フツノが受けています。相手は三人。そのうち一人はスタジアムに陣取って――」
康太郎は、全てを聞き終える前に、進路に西へ向け、天を蹴って加速した。
「ふざけやがって! 後もう少しってところなんだぞ! 俺のD世界に手出ししてんじゃねーぞ!!」
地球との繋がりを失くせば、D世界への転移は出来なくなる。
だから、その前にD世界に居るDファクターは、全て放逐する必要があるのだ。
康太郎は、逸る心を抑えぬまま、感情のままにD世界の空を飛んだ。