第3部 第1話 日常
九重康太郎は、多忙を極めていた。
昼間はごく普通の高校生……なのだが、その合間に世界中を文字通り飛んでいた。
偵察、調査と名のつく襲撃、誘拐、暗殺などなど、康太郎の周辺がにわかに慌しくなっていたからだ。
「そぉいっ!」
今日もどこかで、康太郎の拳の一振りで、怪しげな研究をしていた施設が一つ消し飛んだ。
各国政府は冷や冷やしながら康太郎の動向を「見守って」いた。
国という『組織』は決して無能ではない。
一人の東洋系の、それでいて奇抜な色をした髪の少年が不法にあちこちの国に入国していることには、気付き始めていた。
しかし、彼をその罪でしょっ引くようなことは決してしない。
なにしろこの男、世界中の反政府組織やら秘密組織やらを次々と壊滅させているのである。
康太郎は一晩で表向き健全な彼らの建造物を更地に変えるということを平然とやってのけていた。
それでいながら人的な被害はゼロ……悪どい数々の証拠を添えて各国の警察組織に突き出していた。
ゲリラ的な、存在があやふやな地下組織でも康太郎の前には無力だった。
いったいどんな情報網もっているのか、経路を用いているのか、影武者もろとも身柄を確保するのである。
頭の痛いことに、そうした組織のいくつかは何かにつけて国の権力層と繋がりがあり、迂闊に手を出せないどころか、ある種の『利益』から、存在を黙認しているものも少なくないのだが、康太郎に掛かればそんな事情はお構いなしだ。
さらに罪をでっち上げて暗殺部隊を送り込もうにも、この男には通じない。
大口径のライフルで頭を狙っても、狙撃を察知してその銃弾を摘み取るような真似をして、力の差を見せ付けてくるし、軍の一個中隊全員を脱臼させて動けない状態で放置するなど、とにかく歴然とした差がそこにはあった。
そしてとうとう頭の悪い先走りが、彼の家族やその身辺を人質に取ったことがあった。
その結果は当人にとっては最悪だった。
組織ごと潰されたのは『当然』だとして、指示を出した男は、理性を保ちながらも激痛にさいなまれる状態を維持しているという極めて特異な状態にされていたのだ。
およそ現代医学では解明できなかったし、気絶せず、いつまでも悲鳴を上げ続ける男に処置無しと判断されてまもなく殺されたのだが。
ともかく僅か一ヶ月程度の、一連の怪事件と処理されている案件の数々は、康太郎に言わせれば、ただ降りかかる火の粉を振り払っているだけのことにすぎない。
決して慈善事業でも身勝手な正義を振りかざしているわけでもない。
ただ、芋づる式に出てくるいわゆる障害を排除しているだけで……それは、彼の本来の目的はからは大きく外れている些事でしかなかった。
「さて、行くか」
そしてその日の夜も、彼は地球上の何処からも観測できない場所へと姿を消した。
世界は今日も、慌しく危うく愉快に、廻っている。
***
(ったく恋愛って面倒くせえよなあ……)
康太郎は教室で授業を受けながら、一方頭の中では、いくつかの思考を並列させて数々の処理を続けていた。
この状態では、授業については上の空ということも無い。髪と目をのぞけば、ごく一般的な高校生そのものに擬態できている。中身は完全に人類と呼ぶにはおこがましいものになっているけれども。
完全にモノにした異能たる固有秩序、D4ドライブのちょっとした応用である。
しかし、如何に人間離れした身体能力と数々の超常現象を引き起こせる異能を持っていようが、その精神は、ただの17歳の少年としての部分を多く残していた。
だから何時まで立っても、処理できない案件が存在する。
それが恋愛事情だった。
事はそう難しくない。
康太郎に好意を寄せる人間からそれとなく、あるいは直接的にアプローチを掛けられていて。
そうしたもの気付いているが、しかしどう返したものか、と優柔不断になっているというだけの事。
(佐伯に、穂波さん。キャスリンのあれは……ツンデレ的な、何かそういうものの一種かな……?)
康太郎に言い寄る人間は都合三人いた。
一人は佐伯水鳥。とあるやんごとない一族に連なる家系のうちの一つのところの令嬢だ。
黙っていれば古き良き和風美人、大和撫子を思わせる雰囲気を持ち、事実3人の中では圧倒的に和服が似合う。
正直、康太郎にはもったいない出来た娘だが、何をトチ狂ったのか春先に康太郎に一目ぼれし、何度康太郎が振ろうとも諦めない、根性の据わった娘だ。現在は仲の良い友人という枠に収まっているものの、虎視眈々と康太郎の隣の座を手に入れるべく、牙を研いでいる状態だ。。
二人目は穂波紫織子。腰まで伸びた艶やかな黒髪――だったが、いまは、背の半ばくらいまでにして一本に結っている――を持つ少女で、かなりの美貌と文武に優れた能力を併せ持つ才媛だ。
才媛だが、才媛すぎて浮いており、その上コミュニケーション能力はどこか置いてきたかのように微妙な有様だった。
尤も、それも今は改善されつつあって過去の話になりつつあるのだが、閑話休題。
康太郎が一度は惚れ、完膚なきまでに振られた後に、紆余曲折を経て康太郎に好意を持つようになった。
やはり正直康太郎にはもったいない美女なのだが、康太郎へのインプリンティング(すりこみ)にも似たものだと康太郎は考えている。そのうち自分よりも素敵な男を見つけるものだろうと踏んでいる。
そして三人目はキャスリン=グッドスピード。
スポーツメーカー発祥の総合企業体の親族で、現役モデル。幼い頃に康太郎の知己のあった、いわゆる幼馴染――康太郎の方は、そんな認識はまったく無かった――である。
彼女は、康太郎の見る夢――D世界に対して、異なるアプローチを行う、初めての同郷人であった。そして(やはり)紆余曲折を経て、二人は互いの過去を認識し、ある種の和解を果たした。
和解しただけなら、康太郎も気に病むことはなかった。
この女、既に博士号も取得してるくせに、康太郎の高校へ転入してきたのだ。
げに恐ろしきはコネクションと権力だろう。
佐伯水鳥が、季節外れの微妙な時期に転入したように、キャスリンも同じことをしたのだ。
但し、それが康太郎を目的としたものだけでないというのは、康太郎はわかっていた。
わかっていたのだが……案外アプローチは不器用ながらも、積極的であった。
***
(どうしてこうなった……)
公立校である康太郎が通う高校には、食堂のようなものは無く、せいぜいがパンや飲み物を売る購買部がある程度だ。
だから必然として、生徒達は教室で昼食をとるのが一般的だ。
特に、寒い師走となれば、好き好んで中庭に出て食べる生徒など殆どいない。
康太郎も教室で、購買で買ったクリームパンをかじっていたのだが。
「はい、康太郎君。康太郎君の好きな『レンコンの肉はさみ揚げ』ですよ~」
――何故俺の好物を知っている!
箸でつまんだ『レンコンの肉はさみ揚げ』を差し出してくるのは和服が似合う女、水鳥だ。
「康太郎。食べて」
言葉少ないその中に、ありったけの情念をこめるのは、一口オムレツを差し出す穂波。
「ふん、なにそのひもじい食事。そんなんじゃ、何かあったとき力が出ないじゃない」
そっぽを向き、憎まれ口を叩きながらもハンバーグを差し出すのがキャスリンだ。
そして、この三人に囲まれるようにして座っているのが康太郎で、つまはじきにされているのが、康太郎の友人の神木だ。
他のクラスメイトはさして注目することなく、和気あいあいとランチタイムを楽しんでいた。
康太郎に対するクラスメイト達からの評価は『ストレスでかわいそうなことになった奴』というのが殆どだった。
思えば、目の色が変わったのが始まりだった。次は髪の色まで変わり、挙句に目立つところで愛の公開告白などの奇行もあった。
そんなものだから、きっと心の病にでもかかっているんだと、皆は康太郎を生暖かく見守っているのだ。流石進学校である。
もちろん、女子生徒を、しかも超高校級レベルの3人を侍らせている格好なので、爆発しろと思っている人間もいるにはいる。
ともかく。三者がそれぞれ別のクラスの人間であることも置いておいて。
「ちっ」
「む」
「ふん」
水鳥、穂波、キャスリンの視線がほんの一瞬絡み、他人には見えない火花が散った。
三者ともそれぞれが不倶戴天の敵であると認識しているようだった。
水鳥と穂波は直接対決の前科もあってか、互いに言葉を交わすことはしない。
キャスリンに至っては、康太郎以外は歯牙にもかけない有様だ(それでいて康太郎に対してはつんけんしているのだから、その本心はどうあれ割とお察しである)。
(うわぁ……こええよ)
康太郎はオタクだ。漫画もアニメも大好きで、特撮だってチェックしている。だから男が美少女にモテまくるという類のものだって当然目を通している。
だが、目を通すのと、実際に体験するのでは、訳が違う。
体験して初めて気付く。物語の主人公達が、どうしてあんなにも鈍感なのか。
こんなの、鈍感であるか、強欲でなければやっていけない。
幸運にも、三人は絡め手の類を使用していないから、正面対決になっているから、まだマシかもしれない。
モテたいと思ったことは康太郎はある。
二次元に嫁がいても、やっぱり彼女は欲しい。
――そう思っていた時期が、俺にもありました。
穂波への大失恋(康太郎史最大)を経て、欲求が鎮火していたことが大きいのだが。
――選べと。傲慢にも選べと。
康太郎は、それぞれに差し出された料理をほぼ同時に掴んで、口の中に放り込む。そしてやおら康太郎は立ち上がった。
他の三人の視線が槍の如く突き刺さっても、康太郎は気にしない。
「うん、やばい。おなか壊した。ちょっとお花摘んでくる~」
状況から言えばあんまりな暴言を言い放して、康太郎は軽やかに教室から脱出した。
昔の偉い人は言った、逃げるが勝ちと。
――だがそれは、先延ばしにしているだけだ。
渦中の人物達を憐れみながらも、友人の妙なところでのヘタレ具合に、神木はそっとため息をついたのだった。
***
ココノエ・レポート
観察対象
氏名:九重康太郎
身長178cm 体重70kg
九重錠太郎・朱里夫妻の第1子。
20XX年より、身体に変化をきたす。
その1、眼の色彩の変化(茶褐色→青)
その2、髪色の変化(黒髪→青(一部分)→青(全体))
その3、思考力の変化(これについては日本の高等教育における成績の変化を参照したもの、要追加調査)
その4、蘇生力(全身骨折、内臓破裂、出血多量、その他致命的身体の損傷を秋に負ったにも関わらず、何事も無かったかのように回復した)
その5、身体能力(要追加調査項目。調査においては細心の注意を払い、威力偵察の類は避けること。確認された段階では対象はライフル弾を掴み取る芸当が出来るほどの戦闘力がある)
その6、存在の消失(最重要調査項目。ある時期から熱、光、その他一切の存在を消失させている。彼自身の証言から、単独かつ肉体ごと転移している可能性が高い)
対象は、明らかに人類の範疇を超えた存在になっている。
件の『異世界(以下、Dと称する)』との繋がりが確定すれば、その影響を歴史上、最大の値で受けている人物となる。
彼の『協力』を得られれば、『D』についての研究は飛躍的に進むのは明らかだ。
遥かなるフロンティアにして、人類進化の新たなステージへと至るための『D』は…………
***
「……性質の悪い冗談だ」
「事実よ。いまや九重康太郎こそが、貴女たちが定義する遥かなる『D』、我々で言うところのADSの先導者」
「……だからといって」
「要するに、そいつをボコって言うこときかしゃーいいんでしょ? かんたんじゃーん」
「……お前ごときに、彼を害することが出来ると思うな」
「は? なに、それケンカ売ってんの? 売ってんのか、セイシロウ? いいぜ、オレッチは。24時間、365日受け付けてるぜぇ?」
「やめなさい、二人とも。……ともかく私達は、ADSで、九重康太郎を、確保すればいいのですね」
「――そう。地球上で、今の九重康太郎を止めることは不可能。人質の類は、どっかの先走りが実践したけど、ものの見事に潰されたしね、組織ごと。我々が、同じ愚を冒すことはない。方法は一つ。地球で駄目なら、同じ舞台に立てばいい。ADSであれば、我々は、九重康太郎と同種の力を扱うことが出来る。肉体ごと転移している今ならば、そちら側で確保してしまうことが出来る」
「あくまで可能性、でしょう?」
「……そうね。私も遭遇戦ではあったけど、失敗しているし」
「はっ、だっせえな、おめえ」
「……否定はしないわ。敗北は事実だから」
「あらかじめ言っておきます。私は、私が視たモノによっては、彼の側につきます」
「おいおい、はじめっから裏切り宣言?」
「黙れ下郎。そもそも異次元の惑星開発など、過ぎた幻想。そのようなものを追い求めるより、他にすべきことは幾らでもあるわ」
「けっ、そのセリフ、ジジババどもを前にして言えんのかよ、すいちょう」
「…………」
「仲間割れはやめるんだ」
「うっせい、セイシロウ。誰が仲間だ、誰が」
「少なくとも九重康太郎を確保するまで、僕達はチームだ」
「けっ、おりこうさんめ。お前らと組むなんて真っ平御免だね」
「君は家に逆らうのか」
「家の目的は果たしてやる。だが、俺のやり方でだ。おい、金髪。生死は問わないだったよな」
「ええ。ただし、ある程度の原型は残してもらわないと困るわ」
「くかかかっ、それだけ聞けりゃ十分だ。俺は俺でやらせて貰うぜ。なんせ、あの世界は何でもかんでも好きなように出来るからなあ」