第2部 第28話 モードFDA
漆黒の闇の中、ぽつんと椅子が二つに長机が一つ。
片方に座っているのはアリクイのような姿をした体長60センチほどのイキモノ、王種・奈落の獏。
もう一方の椅子に座るのは、2メートルは優に超えている大柄な体躯に白衣を纏った男、鬼人の突然変異、知性ある学ぶ鬼、伝説の冒険者<学鬼>ウォル=ロック。
彼らの居場所はD世界にあってD世界にない、同じ次元の中に作られた亜空間とも呼べるべき場所だ。
彼らは虚空に映し出された外界の景色を眺めていた。映っているのは、蒼い髪の少年の姿だ。
「ついに己の力を自覚したか、九重康太郎」
始めに口を開いたのは鬼人のウォルだ。かつて彼は康太郎に出逢ったことがあり、一目でその本質を見抜いていた。しかもつい寝ぼけて康太郎を「神」などと形容してしまっていて、内心ひやりとしたものだ。
もっとも康太郎はそのことについては戯言の類と思っていたので、彼の危惧した展開にはならなかったのだが。
ちなみに神、といっても実在の神と同じ次元の存在という意味ではなく、あくまで超越者としての表現だ。しかし、超越者というものはいつの時代も崇められて、神と事実上同じ扱いをされることもある存在だ。現人神などその最たる例だろう。
「意外と早いものだったね」
奈落の獏が言った。
「ああ。同じ時代に彼の同郷の者が現れなければ、彼が気付くのはもっと後になるはずだった」
ウォルの言うことは正しい。キャスリンや穂波との出会いが無ければ、康太郎はずっと強化の固有秩序だと思いこんでいたはずだ。
「近いうちに、会う必要があるね。あまり心配はしていないけれども」
かつては康太郎に力の使い方を教えた獏だったが、力の本質まで教えはしなかった。
それは究極的には自分達の世界において文字通り神のごとき超越者になってしまう可能性が康太郎にはあったからだ。
そして覚醒を果たした今、改めて彼を見極め、判定し、場合によっては成長しきる前に手を打つ必要がある。
何しろ獏は人の夢を糧に生きる存在だ。無論それには悪夢の類も含まれているが、そんなモノだけでは胃もたれを起こしてしまう。獏にとっては死活問題だった。
もっともそれは万に一つ、億に一つというレベルでの話だ。康太郎の精神を鑑定した獏からすれば、力を手に入れたところで康太郎が暴走することも無いと思っている。
「いや、むしろ彼の方から会いに来るかもしれんがな、前もそうだった」
実のところ、奈落の獏と遭遇できる確率は信じられないほど低く、数学的に見ればゼロと同じ程度の確率だ。
にもかかわらず康太郎が獏と接触できたのは、彼の真の固有秩序、|愚者の閃き(D4ドライブ)が無意識に働いたからだ。
康太郎がD4ドライブで奈落の獏と会える自身を僅かでもイメージして可能性が0%が1%になった結果であった。
「さて、彼はどんな決着をつけるのかな」
獏は紅いオーラの少女を見ながら思いを馳せる。生者の夢を糧にする獏は、穂波紫織子という少女のことも当然知っていた。
故に彼女の境遇も知っているし、想いの強さも歪みの強さも知っていた。
康太郎がD4ドライブを使いこなせれば、撃破することは容易だろう。
だが、それでは何も変わらない。抑圧されていた昔に戻るだけである。
「九重康太郎くん。君が、ただ力を誇示するだけの程度の低い人間でないことはわかっている。君の理想を、僕達に見せてくれ」
***
穂波が空中に生成したのは、無数の錫杖『ソロモンフォース』だ。穂波が先程まで持っていた魔王少女のメインウェポンである。
それが一つが二つ、二つが四つと倍々に増えていき、康太郎の視界に収まりきらないほど広範囲に展開していく。
こんな真似が出来る辺り、確実にオリジナルよりも優れている。私の考えたなんとやら、つまり二次創作の類である。
「デーモニックバスター・フルバースト」
千以上の錫杖から一斉に大出力砲撃が発射された。
さらに狙いは正確で射線が一点に集中している。こんなものを地表に向けて何度も発射されれば地形が変わるどころでは済まされない。軽くて見積もって大陸が分裂する。
空中戦において高度を稼ぐのは定石なので、最低でも穂波と同じ高度を康太郎は維持するようにしていた。
「廻れ、九重!!」
2メートル超の想樹の外殻製の棍が康太郎の正面で高速で回転し、集束するように打ち込まれたデーモニックバスターを消し飛ばす。
「ちっ」
単体のデーモニックバスター数百倍の威力を持つ集束版でさえ、九重の防御を突破するには至らず、思わず舌打ちしてしまう穂波。
穂波は人生において初めて焦りを覚えていた。
D世界で能力に目覚め、また理力の扱いを覚えてからは穂波に敵は存在しなかった。
また現実(地球)においても穂波は明晰な頭脳と優秀な運動能力を駆使して学業には困らなかったし、それも圧倒的に周りと大差をつけていたから、人付き合いをとことん排していたくせにいじめも起こっていなかった。
「オービタルメタル・スコールフォーメーション!」
千以上の錫杖から、攻撃端末が分離して、立体的な軌道を描き砲撃を打ち込みながら、康太郎に迫っていく。
「障壁展開」
このレベルでは、もはや全方位からの飽和攻撃に等しい。
康太郎は、自身を中心にフィールド状に障壁を展開した。
相変わらず術式としての構成は甘いが、D4ドライブによるイメージ補完が加わった障壁は、オールレンジ攻撃をことごとく弾いた。
康太郎は穂波に向けて、これ見よがしに不敵な笑みを向けた。そう、ドヤ顔である。
「――っ! 九重……」
今まで気にも留めていなかったし、現実でも誰も勝負にならなかったから隠れていた穂波の気質。
それは存外、負けず嫌いであるということ。
穂波が手の内に二振りの片刃の剣を生成した。
対になる紅い刃の剣は、魔王剣アビスシンガー。
このはが危機に生み出した、砲撃に使うエネルギーを刃の形に閉じ込めた極大の破壊力を近接兵器。
オービットメタルの飽和攻撃で動けない康太郎を穂波が強襲する。
「そうこなくちゃ」
障壁を展開しつつ、空を滑るように康太郎は移動する。
遠隔で操作する九重(棍)で、穂波の振るうアビスシンガーを打ち捌く。
「ディメンジョンスラッシュ!」
アビスシンガーの一振りは次元ごと切り裂く、概念武装だ。
このため、規模こそ小さいがあらゆる防御術式は無効化されるというとんでもない設定の武装なのだが。
「俺の相棒は切れないさ」
アビスシンガーの剣戟を受け止めても九重(棍)は少しも破損したりはしない。
「俺だってラディカルこのはのファンなんだぜ。対策だって戦略だって立てられる」
九重(棍)には、康太郎の理力が浸透している。この理力を媒介にしたD4ドライブによるイメージ補完が、想樹の外殻の持つ強度を概念さえも防ぎうる高次のものへと進化させていた。
一口に理想の自分といっても、その可能性は康太郎の意志で変化させることが出来る。
あらゆる理想、最適解を使い分け、無数の、星の数ほどの可能性を選択し使用する、それがD4ドライブだ。
この、一見して解りづらい固有秩序は、康太郎による不可能を可能にする現実を見せ付けるとき、初めてその恐ろしさを体感させられる。
「イメージが足りない」
遠隔操作で高速回転する九重(棍)がアビスシンガーと派手にぶつかり合う。
少ない時間の間に何十合と交わされる打撃と斬撃は、しかし徐々に打撃の数が斬撃を上回っていく。
「イメージが足りないと言った」
ついには九重(棍)がアビスシンガーを弾き飛ばすに至る。
「うそ――」
「そして、周りもうっとおしい! 経験解放・再現絶技――」
頭の中に描くのはこの一体全てのオービットメタルの姿!
「――零身鎌鼬――」
康太郎は居合い斬りの要領で、鞘から剣を走らせた。
同時、空を何千という小爆発が埋め尽くした。
オービットメタルが全て同時に両断されたのだ。
零身鎌鼬は、過去の五条継承者が使っていた技の一つだ。
一定範囲の空間に存在する物質を同時に斬りつける次元湾曲特性を取り入れた絶技。
その効果範囲は使用者の空間把握能力に大きく依存し、対象の空間座標を必要とする。本来の康太郎では扱えないこの技も、D4ドライブによって空間把握出来る自分をイメージ補完することによって実現可能にしていた。
「これで空も綺麗になった。さあ、次はどんな手で来るんだ?」
またしても不敵に笑みを浮かべる康太郎。
「…………」
一方の穂波からは表情が消えていた。呆然と空で立ち尽くしていた。
「こんなもんじゃないだろう、穂波。君の怒りも、君の無念も、全然俺に届いていないじゃないか」
康太郎から笑みが消えた。声の調子も険しくなっていく。
「殺すんだろう? 俺を。でもなあ、全然足りない! 俺の理想を、イメージを覆すにはこんなもんじゃ全然足りないんだよ!!」
康太郎が吼えた。空気が震えが穂波にも伝わり、穂波は顔をこわばらせた。
「全部だ、たまってたもの全部吐き出せよ! まずはそこからだろうが! 単に破壊するだけじゃ、絶対君の思いは報われないぞ! 俺くらい殺せないようじゃ、世界の破壊なんて、夢のまた、夢だ!」
これ以上ないほどの挑発。穂波が俯き、肩を小さく振るわせた。
「わかったような口を。だったら……」
穂波が康太郎よりも高く飛び上がり、片手を天へと掲げた。
「だったら死んでよ、今すぐに!!」
空に長大な合金の塊がいくつも現れた。細長く、先端は曲線を描いている。
大陸間弾道弾、すなわちICBM。その数、100。
ただし弾頭の中身は、理力反応弾。
純粋な破壊のエネルギーへと変換されたそれは、着弾地点から有効範囲までの威力の減衰は無い。
ロケットが点火し爆炎が噴き出した。
一斉に康太郎に向かっていくICBM。
「D4ドライブ……五条・再現複合絶技」
康太郎はゆっくりと五条を鞘から抜き放った。
片手に持ち替え、頭の高さまで上げて弓なりに引いた。
「時空静流・吹雪!」
ICBMに向かって康太郎は五条を突き出した。
瞬間、全てのICBMが静止した。
「な、どうして――」
「吹雪けーーー!!」
今度は五条から、凄まじい風圧で雪の結晶と冷気が発射された。
ICBMは瞬時に凍らされ、風圧によって、そのまま天へと上っていく。
そしてとうとうICBMはその姿を消した。
爆発することなく、成層圏を抜けて宇宙に浮ぶデブリとなったのだ。
「さあ、次は何だ?」
五条に刀を納めて、康太郎は笑顔を穂波に向けた。
「…………」
対して穂波は口を半開きにして呆然と立ち尽くしていた。
「おい、穂波。穂波さん! これで終わりか?」
「……はは」
穂波から乾いた笑みがもれた。
「ははは、酷いじゃないか、九重。私をいじめて楽しいかい?」
「全然」
「だったら、もうかまわないでよぉ。いいじゃないか、結果は変わらない。どちらにしてもこの世界との関わりは断たれるんだ、だったら――」
「まだだ、何を諦めているんだ。俺の知っている魔王少女は、こんなもんじゃ終わらないぞ!」
康太郎が穂波に一喝した。ただし随分と的外れな方向で。
「な、何を言って……」
「魔王少女のこのはは、負位置の闇のエネルギーをまとう存在だ。しかし、彼女は土壇場の土壇場で、敵側の操る正位置の光の力を手に入れた。それが魔王少女の最終形態FDAモード」
「……確かに、そんな設定もあったけど。別に私のこの姿は、力を擬似的に再現しただけで、負位置も正位置も無いんだけど」
「だったら作れ!」
「はぁ!?」
「無いなら作れよ、それが君の力だろう! 実際君はオリジナルの技も考えていた。だったら、出来ないことは無いだろう!!」
康太郎は自分の胸を軽く打った。
「俺は嫌だぞ。そんな穂波さんを負かしても意味が無い。本当の全力で、限界を越えた君を越える。でないと、俺はこの道の先にいけない」
びしっと康太郎は、穂波を指差した。
「さあ見せてみろ。光と闇が備わり最強となった魔王少女の姿を!!」
二人の間を静寂が包んだ。穂波は変わらず呆然としていたが、
「くく、あははは」
軽く笑い声を上げた。そして一転して、表情を消した。
「わかった。見せてあげる」
淡々とした口調で穂波が言った。それは康太郎が普段学校で目にする彼女だ。
「モードFDA、始動」
膨大な理力が、穂波に集束していく。
場の景色が歪んで見えるほどの理力は、彼女の姿を徐々に変化させていく。
黒は白へ赤は青へと。 頭上には天使の輪。
そして背中には、10枚の黒い翼。
「完成、フォールダウンエンジェルモード」
背中から後光を差す、その姿は紛れも無く、魔王少女の最終にして最強形態。
「いくよ、九重」
光と闇を備えた史上最強の魔王が天を踊り、康太郎を襲う。