第8話 賢聖・カーディナリィ (前)
俺は、驚きとともに、目の前の女性を見つめていた。
(どうしたの、そんなに見つめて? 私の顔になにかついているかしら?)
微笑みを湛えたまま小首を傾げて、俺のほうを見るカーディナリィさん。
「……っ!!」
そのとき、俺に戦慄走る。
顔が熱い。きっと今の俺は顔を真っ赤にしているに違いない。
年上好きではないはずだ。いや、そもそも俺は……
(あら、顔が赤いわ。熱でもあるの)
美女が近づいてきて、俺の額にそのたおやかな手をそっと当てた。
(うわ……うわ……!)
ああ、開いちゃう。新しい扉が開いちゃう……!
そうなる前に、俺は彼女の手をつかんで、俺の額から離した。
「い、いや、大丈夫です! ちょっと、見惚れただけで……」
ちょっと口走ったらまずいことを言った気がする。
(ふふ、世界蛇様を倒したと聞いていたからどんな人物かと思ったけど、意外とかわいらしい人なのね)
かわいらしいという俺としては少々不本意な評価をしつつ、カーディナリィさんはクスクスと笑っていた。
(立ったままではなんだから、どうぞ、お座りになって)
そう言って彼女は、中央にあるテーブルとイスを指した。
俺は促されるまま着席した。
カーディナリィさんはいい香りのするお茶の入ったティーカップを二つ用意して、俺の前に座った。
「ええと、カーディ、カ、カーディナリィさん」
噛んだ、盛大に噛んだ。もう自分のペースで話すのはもう無理そうだ。
(カーナでいいわ、ココノエ・コータローさん)
「ん……おほん。では、カーナさん。俺も康太郎で結構です。九重は家名なんで」
(わかったわ、コータローさん)
カーナさんか。この人はそもそも何者だろうか。耳の形からしてこの人もエルフなんだろうけど……何か違和感があるな。
「あの、カーナさん」
(なにかしら)
「カーナさんはエルフ、ですよね」
(ええ、そうよ)
彼女は変わらず微笑を湛えた表情のままだ。
……微笑? エルフが?
「不躾な質問とあらかじめ言っておきます。あの、カーナさんはエルフなのに、俺のことを邪険にしていないですよね、何故です?」
そうだ、感じた違和感はこれだ。シオンにしろ、セルティリアにせよ、他のエルフもそうだ。
みんな俺のことを忌避している。少なくともこんな微笑みかけてくれるような人物は一人もいなかった。
(あら、エルフだって人それぞれよ。確かに種族的な傾向としては、あまり人間を良くは思っていないという面もあるけど。里から離れた開放的なエルフも少なくはないわよ)
なるほど……当たり前といえば当たり前だ。たとえば日本人だって全部が全部「芸者、腹切、すき焼き」というイメージ通りでもなし。
少なくともこの人は俺のことを色眼鏡で見ていない。今はそれだけで十分だ。
(里の長から、貴方にいろいろ教えてやって欲しいって言われてるわ)
ああ、やはりか。彼女はアンジェルと同じ翻訳魔法と念話が使える。
俺の教師役としてはこれ以上ない人材だろう。
(でもだから、はいそうですかって引き受けたわけでもない)
彼女はぴしゃりと言い放った。場の空気が少し引き締まる。
(貴方については前もって聞かされているわ。異世界人であることや、世界蛇様との間にあったこともね。でも、それだけじゃあ、貴方の<本当>は見えてこない。だから、貴方自身の口から、これまでに何があったのか、それを聞かせて欲しいの)
彼女はまっすぐに俺を見つめていた。問い詰めるような視線ではなく、どこまでも優しげなものだ。
彼女は、俺のことを見極めようとしているのだろうか。
彼女の前では何を取り繕うとしても無駄だろう。そう思わせる雰囲気を彼女は持っていた。
ま、もともと取り繕うつもりもないのだが。
「……えっと、少し長くなるけど、いいですか?」
(ええ、いくらでも。お茶菓子も用意しているし)
「わかりました。じゃあ、アンジェルと出会ったところから……」
俺は、これまでのことと、俺自身の考察を一つ一つ話していった。
すべてを話し終えて、俺はカーナさん用意したお茶を飲み、一息ついた。
「俺の話は以上です、カーナさん」
(ふむふむ……)
カーナさんは目を閉じ、少しの間沈黙していた。頭の中で、俺の話をまとめているのだろうか。
彼女もまたお茶を一口飲むと、ゆっくりと話し始めた。
(私も昔にいろいろなことをしてきたし、見聞きもしてきたけど、この世にはまだまだ驚くことがたくさんあるのね)
彼女はそういうと、またあの穏やかな微笑を浮かべた。
(世界蛇様に名前を呼ぶことを許されたのよね?)
「ええ、まあ」
(それは……本当に珍しい、とても名誉あることだわ)
彼女は、本当に感心しているようだった。
(それに固有秩序だなんて。伝承でしかその存在は語られず、実在も怪しいものだというのに。その使い手が、今、私の目の前にいる)
カーナさんは話すとき、話し相手の目をまっすぐ見てくる。話の内容も含めて、なんとなく気恥ずかしさを感じる。
「っていっても、あくまでアンジェルの話を鵜呑みにすればですけどね。あと、元の世界じゃ俺は、あんな力は使えなかったからっていうのもあるんで、あくまで状況証拠から言ってるだけなんですが」
「ああでも、確かに貴方からは魔力も感じないし、そんな人は初めよ。そういうところもあると、異世界人だという話も、真実味を帯びてくるわね」
「……俺が異世界人ってのも信じてくれます?」
アンジェルも俺が異世界人であるということについては懐疑的だった。
(そうね、確かに憶測だけだし、信じるには材料が足りないわ。けど、貴方自身は信じるに足ると思っている)
「……それは、どうしてです」
彼女はお茶をもう一口。お代りをポットから注ぎ、話を続けた。
(貴方の話し方、仕草、態度、考え方、さっきの話の内容……それらを総合的に判断しての私の印象よ)
……つまり総合すると、勘っていうこと?
「長く生きて、いろんな人を見てきているから、その人が嘘を言っているかどうか、信用に足るかどうかは、わかるものなのよ」
俺の表情から、思っていることを読み取った?
(コータローさん、一つお願いがあるのだけど)
「なんですか? お願いって」
(固有秩序、ちょっと使ってみてくれないかしら)
固有秩序を使う? それはかまわないけど……
「あの、俺の固有秩序は、具体的に他の何かに働きかけるとかじゃないんで、ぱっと見、わからないかと」
俺はそう言って、カーナさんの表情をうかがったが、彼女の視線は真剣味を帯びていた。
「だめかしら? 伝説の存在だから、ちょっと気になって」
……本当にそれだけだろうか。
しかし、俺に彼女の真意が何であるかは、わからない。
けど、彼女の言葉を借りるならば。
今までのカーナさんと話して感じた俺の総合的に判断しての印象は、信用してもいい、だった。
「わかりました。それじゃ、ちょっと使ってみますね」
俺は目を瞑って、意識を集中させる。
心穏やかな状態から発動させるのは、今回が初めてだろう。
……名前を決めたのは、やっぱり正解だ。
名前をつけたことで、発動のイメージがしやすくなっている。
――存在超強化、始動準備。
高みに至る集中。頭と体が、これから俺に起こる変化に準備できていくのがわかる。
――存在超強化、始動……!
何かのスイッチが入ったかのように思考が切り替わり、頭の中が冴え渡っていく。発動は滞りなくできたようだ。
「固有秩序、発動しましたよ」
目を開けてカーナさんを見ると、彼女はひどく驚いた様子だった。
彼女がこんな態度をとるのは初めてだ。
そんなに何か変わっているのか、発動中の俺は。そういえば確認したことなかったな。
「■■■■■■■■■■■……」
彼女は念話をすることなく、なにごとかを呟いた。
(もういいわ、ありがとう、コータローさん)
カーナさんの言葉に従い、俺は存在超強化をカットした。
「ふう……あの、カーナさん」
(なにかしら?)
「固有秩序を発動してる俺って、何かおかしかったですか」
その驚きようは、彼女から一切の余裕をなくさせていたように思う。
(いいえ、見た目にはあまり変化はなかったわ)
彼女は先ほどと同じように微笑を浮かべて返答した。
だが、その笑みをもし存在超強化した状態の俺が見たならば、その微笑に隠された獰猛さを見逃さなかっただろう。
(コータローさん、少し待っていてもらえるかしら)
彼女はそう言って席を立ち、奥の部屋に入って扉を閉めた。
カーナさんはいったい何を……?
しばらくして彼女が入った部屋の扉が開いた。
(お待たせ、コータローさん)
出てきた彼女は先ほどまでの気品さを感じる服装から一転、体のラインにあわせた水色の外套に身を包み、膝丈のブーツを履いた、動きやすさを重視したスタイルとなっていた。
腰に巻いたベルトの左右に、それぞれ細身の剣が提げられている。
「カーナさん、その格好は一体……?」
彼女はそれまで浮かべていた上品な微笑みではなく、勝気で自信あふれ挑むよう笑みを浮かべていた。
(コータローさん、私はこれから貴方の望む知識を、可能な範囲で教えて差し上げようと思う。でも、その前に私に確かめさせて欲しいことがあるの。そのために――)
彼女はいまいち状況を飲み込めていない俺に、毅然とした態度ではっきりと言ったのだ。
――固有秩序を使った貴方と、手合わせがしたい、と。
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第9話に続く。
少々短めですが、次回バトルのため、ここで区切らせていただきます。
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