第2部 第24話 対話
――え、ええー……?
人が受ける衝撃とは、意識の外にあればあるほど強い。
となれば不意打ちなど、それこそ途方も無い衝撃のわけだ。
康太郎は不意打ちを喰らった。それはもうそんじょそこらの不意打ちではなかった。
D世界に全裸で放り出されたことよりも。交通事故から蘇生を果たしたことよりも。
自分の知人が、しかもよりにもよって失恋した相手がD世界に、しかも怨敵の上役として現れたことの方が康太郎にとっては強烈だった。
「どうぞ、座って」
「――ああ」
康太郎の受け答えはぎこちない。穂波の方は落ち着いて余裕のある態度だというのに。
康太郎は、促されるままに指し示された椅子に座った。
「……」
「……」
互いに、机を挟んで無言。
康太郎の方は、聞きたいことは山ほどある。
しかしありすぎて、話の順序として、何から話せばいいのかまるでわからなかったのだ。
「まさか、まさかまさかまさか」
言いあぐねる康太郎よりも先に、穂波が先に口火を切った。
「ここで、この場所で、この世界で、この悪夢で、こんなときに、九重と出会えるなんてね。ずうっと恨みっぱなしの不運だらけの人生だったけど、これはいよいよ私に運が向いてきたということなのかな?」
微笑みながら、肘を突いて両手を組み、その上に顎を乗せ、饒舌に朗らかに穂波は言った。
――誰だコイツ。
康太郎の知る穂波は、もっとたどたどしく話すものだったが。もしかしてこれは、ナビィの人形なのだろうか、康太郎を惑わせるための。では、なぜナビィが穂波を知っているかという疑問があるが――
「え、えっと」
「あれぇ? もしかして、『誰だコイツ』って思った? うん、まあそう思うのは無理も無い。これが本当の私、というわけではないけれど。これも私なのよ。攻撃的な私。向こう側、現実での私は、守り、寄せ付けない、無敵的な私。安心して九重。私は『ナビィの人形』でもないし。私はワタシ。穂波紫織子だよ」
立て続けに二度、康太郎は不意打ちを喰らった気分だった。
しかも思考を読まれている。
「九重の知る無敵的な私でいたら、多分話にならないから、こうしてこの私が出てきた、というだけのことだよ。ああ、でも九重はかなりギャップを感じてしまって戸惑いの方が強いのかな。だったら、無敵的な私にしてもいいけど……」
すこしだけ、康太郎の思考が戻ってきた。
つまり現実でのあれは、天然とかそういうものではなく、人為的なものだったということか。
「いや、そのままでいいよ、穂波さん。そういう穂波さんも新鮮でいいじゃない。というか、普段もそうしたらいいのに」
饒舌でサディスティックな面がにじみ出ていて、調子がいい、そんな穂波ならあれほど孤高になることも無かったのではないだろうか。
「いやあ、実のところ私は、人間不信なのよ。他人が怖くて仕方がないんだ。人の悪意や欲望に敏感でね。私にそれらが向けられるのは、たまらなく苦痛なんだ。うん。だから、お察しの通り、九重のことも、最初は怖くてうざくて仕方なかった」
直截で痛烈な一言を康太郎は言われた気がした。
だが、穂波は、けれどもねと続けて、
「そのうち、九重が善意で……まぁ小指の先ほどの下心も含めてだけど、とにかく悪意無しで近づいてくることがわかって、興味がでてきた。私に綺麗だの、こうすればもっとよくなるだの、こんな本が面白いだの……そんなことを無敵的な私に言ってくれる人間は、初めてだった」
懐かしむような、少しばかり遠い目をした穂波は、一方的に話を続ける。
「まあ、これでも自分の容姿に自覚的な私は、九重の勧めに従って容姿を変えたところで、無敵的な私の立ち位置が変わることも無いだろうと計算できていたから、まあ変えてみるのもありかなと思ったわけだけれど。それでも君から受ける賞賛の言葉は、恐らくこんなことを言うのだろうなあ、と予想がついていても、やはり、嬉しかったなぁ」
一方的に自分の心情を吐露していく穂波。
どういう意図か訝しんだが康太郎だが、
「さて、こうして私が話している間に、九重も大分冷静になったのではないかな?」
穂波に言われてはっとする。確かに康太郎は、不意打ちのショックからは立ち直っていた。
しかし主導権は、完全に穂波に奪われてしまっている形だった。
「では、九重。君の話を聞こう。宰相からはナビィを寄越せと言われただけでね。実のところ事情を把握していないんだ」
そうだった。康太郎は失念していたが、元々ナビィの策略にしたがって、この席が設けられていたのだ。
康太郎は深呼吸を一つして、本来の目的を語り始める。
「俺がここへ来たのは、仲間を救出するためだ」
「仲間?」
穂波の片方の眉が持ち上がった。
「穂波さんのところの、ナビィ。アレがさらったんだよ。それで帝国に来いと言われたんで、ここに来たというわけだ。ところがナビィは、俺の仲間の身柄を盾に、君とのこの席を設け、君に従えと言ってきた」
「ふうん……そう」
語気は荒いものでも穂波を非難するというものでもない。しかし、ナビィに関する怒りはにじんでいた。
康太郎の話を聞き終えた穂波は、懐から携帯端末を取り出すと、耳に当てて話し始める。
「ナビィ。すぐに来い、3秒以内」
それだけ言って、穂波は端末をしまいこんだ。
五秒後、部屋の扉がスライドして、ナビィが入室した。
「参番星ナビィ=レイル。ただいま参上しました」
「ちょっと、来て」
穂波に手招きされたナビィが、穂波の席の横にへと歩み寄る。
そして――、
「っぎゃ」
筆舌しがたい悲鳴と共に、ナビィの身体が、突如現れた釘打ち機によってその中心を打ちぬかれ、その衝撃で壁に叩きつつけられたのだ。
康太郎はその場で起こった惨たらしい光景を余すことなく見ていたが、それは一瞬だった。
「ねえナビィ。君は何をしているんだ。九重があんな怒りを私に向けてくるなんて初めてだったんだぞ。私の過失ではない、他の誰かの過失でそんな怒りをだ。これは、万死に値する」
冷たく鋭く、穂波は言い捨てた。
吹き飛ばされた、風穴の開いたナビィは致死量の血を流し、息も絶え絶えで目の焦点も合っていなかった。
「彼の仲間とやらは、今何処にいる」
穂波が、死に体のナビィに言った。
「……もう、解放、しました」
「はぁ!?」
思わず康太郎は声を上げた。
「お前、身柄を預かってるって!」
「あ、れは、方便、です。彼女は、用済み、に、なっ、た、ので、既に」
「それは、本当かい。嘘だったら、お前の人形全てを葬り去るぞ」
「本当、で、す……」
がくりとナビィの首が傾く。どうやら息絶えたらしい。
「まったく……」
穂波が、手を払うと同時に打ち出された紅い光が、ナビィに接触すると、ナビィだったものは、血の一滴に至るまですべて消え去ったのだ。
「ほ、穂波さん……今のは」
康太郎が何とか搾り出した声は、すこしだけかすれていた。
「ん? いや、こちらの部下の不始末で君に不快な思いをさせてしまったことについては、お詫びのしようもないな。だがそれでも言わせて欲しい。ごめんなさい」
ぺこりと穂波は、その場で頭を下げた。
「いやあ、そういうことではないのだけれど、ナビィはいいのか、アレ。その、殺しても」
戸惑う康太郎の問いに、穂波はなんだそんなことかと、けろりとした表情で言う。
「あれはナビィの人形だよ。自分自身さえも人形に置き換えた人形遣い、それがナビィだ。今のナビィが死んだら、ストックしてあるまた別のナビィが動き出すだけのこと。君をここに連れてきたことに免じて、人形一体分の死の痛みを味合わせるに止めたけど、君が望むならアレの人形を全て始末させて全てを滅ぼしてもよいよ」
「いや……もういいや。最初はばらばらに引き裂いてやろうかとも考えていたけど、やる気がうせた」
康太郎はため息一つ。同時に考える。
一瞬出てきた、あの釘打ち機。あれは、穂波の固有秩序の片鱗だろうかと。
そしてナビィの身体を消した紅い光。康太郎のそれとは異なるが、あれは理力の光だ。
康太郎も、しっかり見ていなければ見過ごすほどの一連の出来事。速力も申し分ない。
皇帝アウグストスが強すぎると評したのも頷ける話だった。
「しかし九重も、こちらでは随分違うものなんだね」
「えっ?」
「国相手にケンカを売ったり、あんなふうに怒ってみたり、やることが大胆だ。自分は大したことがないと卑屈に過小評価している現実側の君では、あんなことはまずやらないだろう?」
それはそうだ。別に、向こうに敵がいるわけでもあるまいし。
大したことがないのは、本当なのだから。少なくとも康太郎にとっては。
「君だって、人のことは言えないから、お互い様だ。まあ、あんなふうに冷たく殺せる辺りは……まぁ向こうでも一緒か」
「なにそれ、酷いなあ」
そうして見つめ合った二人は、どちらからとも無く笑った。
相手は康太郎を振った穂波であったが、しかし、彼女に対しての友好的な感情が消えたわけではないのだ。失恋したからといって、それまでの付き合いの全てを否定するものでもなかった。
しかし先の凄惨な光景を目の当たりにしてすぐ笑えるあたり、康太郎も穂波も、それなりに倫理観を超越していることは間違いなかった。
現実ではそれを狂っているとも言うのだろうが。
笑いあった後、穂波は姿勢を正して、言う。
「さて……九重はすぐに仲間を探しにいきたいのだろうけど、それは少し、待ってくれないかな。九重のこれまでの話を是非、聞かせて欲しいんだ。知っていることや、経験したことを。お互い、情報交換をさせて欲しいんだ、これからのために」