第2部 第23話 東の空の一番星
康太郎が発した声は、首都にいる遍く者達全てに行き届いた。
それは千変万化の性質を持つ理力の成せる業か。
康太郎の意志を受けた理力の音の波が、彼の意思を叶える為に機能したのだ。
効果は単純ながら、己の意を理力によって叶えるという行程は固有秩序の理そのものと言えた。
その声は、首都の皇居の執務室にて宰相と議論していた今代のグラント正統帝国皇帝・アウグストスの耳にも入った。
アウグストスは現在41歳。先代の早世により、若くして帝位に就いた男だ。
曰く、随分ぜい肉がついたと語る体躯は、それでも尚一級の戦士のそれと遜色ない。
顔つきも精悍で彫りが深く、男としての美しさがにじみ出ていた。
その顔が、今では汗で濡れ、苦悩で歪んでいた。
「なあ、宰相よ」
「はっ、なんでしょうか」
アウグストスの声に、壮年の宰相が応じた。
「アイツはバカか?」
「ここまでとは、私も」
慇懃無礼とさえ言える宰相に対し、これ見よがしにアウグストスはため息をついた。
「それで、なんだアレは。あのクソの参番星は、一体何にちょっかいを出して、何をやらかした」
「さて……私にはわかりかねますが、ただ」
「ただ?」
アウグストスが苛立ちを込めた目で宰相を見た。
「今日で帝国が滅ぶかもしれませんな」
宰相はしれっとした顔で滔々と言った。
「ああ。あれはウチの一番星と同類だ。本気になれば帝国だけではすまんだろうよ。一番星を知っている余にはそれが良くわかる」
アウグストスは立ち上がり、宰相に指示を飛ばす。
「一番星に連絡を取れ。あのバカの参番星をとっととアレの前に突き出せとな」
宰相はアウグストスに一礼し、懐に手をいれ薄い縦長の機械端末を取り出すと、執務室を後にしながら連絡を始めた。
「さて……余の度量が問われるところだな」
アウグストスは立ち上がると執務室の窓を開け放ち、
「おいそこの蒼いの! ナビィ・レイルならくれてやる。こっちへ来るがいい!」
大声で叫んだ。
康太郎はキャスリンの「支配すればやりやすい」という考えに酷く納得がいっていた。
あの考えは、力がある者の傲慢でふざけたものだ。しかし自分の意志を通すことを叶えるという点で見れば、単純明快で合理的だ。
実のところ、これは地球でも大して変わらない。経済力か、権力か、暴力か、振るわれる力のベクトルに違いがあるだけで。それがスマートなものであるか、粗忽なものであるかの違いがあるだけで。
そして康太郎も、もとよりD世界では同じ事をしてきたのだ。
康太郎はD世界に冒険を求めた。
キャスリンは、資源と知識と将来の地球領を求めた。
求めたものの違いが、被害が大小を分けたに過ぎない。
康太郎は、帝国を滅ぼす気などさらさら無かったが、しかし仕掛けてきたのはそっちが先だと開き直ってもいた。
当初の康太郎は全面的に事を構える気など無かったから、ごく普通に帝国入りし、何度も殺されながらも真っ当な手段でナビィの行方を追っていたのだ。
だが、今の康太郎は、全てに決着をつけ、納得するためにD世界に来ている。
つまり、今までのD世界に対してのスタンスを変えたのだ。
今の康太郎は、誰と事を構えようと臆するつもりも無ければ退くつもりも無かった。
むやみに殺生する気が無いのは以前と変わりないが、目的のためにはあらゆる手段を行うつもりだ。
だから、ここまで派手で考えなしのことをやってのける。
テンションがハイなっていたからという理由だけで、ここまでのことはしない。
さて、どういう出方で出てくるかと康太郎は空中で静観していた。
無礼にして頭のおかしい変質者として退治しようとするなら、宣戦布告を受け取った物とし帝国を正面から迎え入れる。
逆にこんな粗忽者にもどういうつもりか事情を尋ねてくるのならば、包み隠さず事情を話し、理解できないのなら、わかる奴のところまで案内させよう。
どちらにしても「力押し」である。
そう思っていると、「おいそこの蒼いの! ナビィ・レイルならくれてやる。こっちへ来るがいい!」との声が掛かる。
小麦色の髪をした、地味だが品のある服を来た男だった。
康太郎は無拍子を使って、一瞬で男の目の前に現れる。
「うおっ、びっくりした……」
「ナビィ・レイルの身柄を渡すとは、本当か?」
康太郎に、小麦色の髪をした男は頷き返した。
「ああ。グラント正統帝国皇帝・アウグストスの名に誓おう。だが、そちらの事情も話してくれないだろうか?」
大物中の大物だった。
アウグストスの招きに従い、康太郎は彼の執務室に足を踏み入れた。
丁度品に派手さは無い。どこまでも実用性を重視したつくりだった。
促されるまま、康太郎はアウグストスの対面に座った。
「改めて、余はアウグストス。今代の帝国の皇帝である。そちらは、異世界からの客人であるか?」
アウグストスは、康太郎の素性に既に察しがついているようで、康太郎もそのことに驚きを隠せない。
「どうして、そのことを」
「なに。簡単なことで、偉大な始皇帝グラントが異世界の出身であることを知っていて、そして今も、異世界の出身者をこちらで抱え込んでいるから、区別がつくというだけのこと」
またも、康太郎は驚かされた。この皇帝は異世界の存在を知っており、あまつさえ人員として異世界人を保護しているというのだから。しかも康太郎、キャスリンに続く、第三の存在。
同時に康太郎は思い出す。キャスリンとの決戦前に飛来したICBMの存在を。あれはやはり、第三の存在が――
「さて、そちらも名乗っていただきたいな。名乗りたくないのなら別に構わないが」
康太郎は一瞬だけ考え、そして言う。
「この世界ではナインと名乗っていました」
「ふむ、ではナイン殿と呼ばせていただこう。ナイン殿は、我が帝国でも知る存在が少ない諜報部隊の幹部に一体何用だろうか」
「何の用か、だって?」
途端、康太郎はその視線を鋭いものへと変える。
対するアウグストスは涼しい表情のままだ。
「ナビィってお宅の奴が、俺の仲間を攫ったのさ。わざわざ帝国でお待ちしてるなんて置手紙までつけてな」
康太郎はずいっと身を乗り出してアウグストスにプレッシャーを叩きつける。
じんわりとアウグストスからは汗が流れるが、動揺の類は一切表さなかった。
「最初はまあ、こんな真似をするつもりは無かった。だが刺客を放ってくるわ、尻尾はつかませないわで、本当に会う気があるのか疑問になってね。いい加減腹に据えかねて実力行使にでようか……なんて思ったのさ」
一息に言い終えると、康太郎は椅子に座りなおした。
アウグストスは深く息を吐くと、康太郎に対し、頭を下げた。
「えっ」
「申し訳ない、ナイン殿。貴殿の事情は了承した。今、ナビィ・レイルの身柄を引き渡す準備をしている。詫びとして他にも要望があれば出来る限り対応させてもらう」
一国の指導者が頭を下げる、それがどれだけ簡単ではないか、康太郎も小市民なりに理解しているつもりだった。
演技の類か、はたまた本気か。康太郎には判断がつかない。
「随分、簡単に頭を下げるんですね」
アウグストスが頭を上げた。
「簡単に……ではないよ。余が頭を下げることは、帝国全てが貴殿に頭を下げることに他ならないからだ。余は覚悟を以って、頭を下げているのだ」
アウグストスは、康太郎に怯まず言った。
「帝国は、貴殿の怒りを買った時点で詰みだった。ならば余に出来ることは、この帝国が生きながらえるよう、手を尽くすことのみだ」
「……皇帝陛下が抱えている俺と同じ異世界人をぶつければいいのでは? 強いんでしょう、相当に」
「ああ、強い。強すぎる。恐らく貴殿といい勝負だろう。だが、そんな二人をここで戦わせたとき、どれくらいの規模で治まりがつくか、まるで読めない。下手をすれば東大陸が無くなるかもとすら考えている。そうなれば、どのみち帝国は終わりだ」
アウグストスは、ともすれば自嘲めいた笑みを浮かべた。
「……そんなに強い人間を、よくも従えていられますね」
「形式上だけだ。向こうはこちらの命令を跳ね除けることも出来る。だが彼女は手駒を必要としていてね。それを与える代わりにこちらにも利益の一部を貰う……その程度の関係なのだ。そして彼女は、ナビィが属する諜報部隊の部隊長だ。その特性上、その部下達にも帝国に不益ででない限りは行動について殆ど束縛は無い。今回は、それが仇となってしまったがな」
アウグストスは、汗で張り付く前髪を掻き上げた。
「それ以外では、実に益をもたらす集団なのだがな。やはり手綱を握り続けることは難しいらしい」
またも自嘲めいた笑みを浮かべるアウグストスに、康太郎は指導者の悲哀を見た。
だが、得体の知れぬ者の前に怯まず身を晒す行動力と胆力、必要に応じて躊躇無く頭を下げる覚悟、こんな何者とも知れぬ相手の力量を測る目、そして強すぎると称する異世界人を擁して自国の利益に繋げているという事実は、決してこの男が無能な男ではないことを教えてくれる。
だから決して油断してはならぬ相手なのだ。
いかに康太郎に力があろうとも、精神的な成熟と強さでは、康太郎は足元にも及ばないだろうから。
「こっちは、ナビィへの制裁と仲間を取り返せることが出来れば、それでいい」
康太郎が要望を述べたそのとき、執務室の扉がノックされた。
「入れ」
アウグストスが入室を許可すると、やってきたのは壮年の男。そしてその後ろには、貼り付けたような笑みを浮かべたナビィと――
「アティ……!」
若草色のドレスを着たアルティリアだった。
「ナビィ=レイル及び、お客人のお連れ様を連れてまいりました」
「ああ、ご苦労だった、宰相。 ナイン殿――」
アウグストスが何かを康太郎に言おうとしたが、それよりも早く康太郎は動いた。
「えっ、ちょっと……」
「すまない、遅くなった……!」
康太郎は、ナビィも無視してドレスを着たアルティリアを抱きしめたのだ。
折れてしまいそうな華奢な身体。美麗な銀髪。白い肌。勝気な瞳。
懐かしくも愛おしい仲間のエルフ。
康太郎は、ようやくこの旅の相棒と再会することができた。
「無事でよかった、アティ……!」
「ちょっと、こんな人前でっ、それに苦しいわよ……!」
「うっさい、どんだけ心配したと思ってるんだ」
「う~……悪かったわよ……」
康太郎は、アルティリアへの抱擁をやめ、身体を離した。
「それにしても、そのドレス、なに?」
「こ、これは……あの女に無理矢理着せられてもので……似合わないのはわかってるけど! 仕方なくて!」
「いや、似合ってるぞ。まあ、元がいいから当然っちゃ、当然か」
アルティリアは、顔を赤らめるとモジモジしながらも言う。
「あ、そう……い、いちおう礼を言っておくわ、ナイン
」
そのとき、康太郎は固まった。
アルティリアの口から、ありえない言葉が出てきたからだ。
「なあ、アティ。俺の名前は何だ?」
「えっ、アンタは、ナインでしょ。闘神ナイン」
康太郎は目を細めた。途端、冷たい圧力が場を支配する。
「もう一度聞くぞ、アティ。俺の名前は?」
「ナ、ナイン……? 何を言ってるの?」
「俺の名前を言ってみろよ、アルティリア」
「あ……コ、コウ?」
「これが最後だ、アルティリア、俺の名前を言ってみろ」
康太郎の言葉を聞き緊張が走る。
しばしの静寂のあと、喉を鳴らしたアルティリアが口を開いた。
「……ねえ、意味がわからないよ、どうした――」
どうしたのと、アルティリアは最後まで言えなかった。
「舐めてんじゃねえぞ……、このガラクタが!」
康太郎がアルティリアの身体を殴り飛ばしたからだ。
アルティリアの身体は天へと向かい、天井を突き抜ける。
「消し飛べ」
康太郎が、アルティリアに向けて、理力による蒼い砲撃を打ち出した。
アルティリアの身体が、砲撃に包まれる。声を上げることなく、彼女の身体は無へと還った。
「どういうつもりだ、皇帝」
「いや、余にも、これは……」
アウグストスの顔に浮ぶのは困惑だった。
康太郎の突然の行動にも動じずにナビィが言う。
「ナインさん、酷いですねー。何故あんなことをするんです?」
「……アレはお前の人形だろう? 人形遣い」
ナビィは康太郎の言葉に感心したような反応を見せた。
「おや、ご存知でしたか。私の異名を」
「……まあな。噂の人形があんなに精巧なものだとは思わなかったがな」
「お褒めに預かり光栄です。でもまさかあんなことで見破られるとは思っても見ませんでした」
「俺は、滅多に本名を名乗っていない。名乗ったのは、この世界に来た始めのころだけだ。アティとは、その頃からの付き合いだからな。アイツには名乗っている。あいつは俺のフルネームを知ってなきゃおかしいのさ」
康太郎の言葉にナビィは何度も頷いて見せた。
「なるほどなるほど。人格その他はちゃんとトレースできてたと思ってたんですが、残念です。まだまだ精進しないと駄目ですねーアハハ」
調子を崩さないナビィに康太郎は、殺意を正面からぶつける。
「アティは、何処だ……!」
「言うと思います? 彼女は人質なんですよ?」
「お前……」
「ナビィ=レイル! それ以上ナイン殿を刺激するのはやめろ! 彼の仲間をすぐに解放するのだ!!」
康太郎の怒りを見たアウグストスが慌ててナビィに命令した。
「ちょっと、皇帝陛下は黙っていてくださいません?」
しかし、ナビィは皇帝の命令など意にも介さない。
「なっ……貴様……帝国がどうなってもいいというのか! ナイン殿は――」
「はい♪ わたしぃ、帝国そのものの存亡なんてどうでもいいんですよぉ! さてでは、ナインさん。私のお願い、聞いてもらえますか?」
変わらず笑顔のナビィ。この女の精神は、皇帝たちの計り知れぬ領域にあるらしい。
康太郎は、こんな壊れたナビィという女を今すぐにでも殺してやりたかった。しかし――
「お前は何が目的だ。俺に何をさせたい」
ナビィは胸に手をあて、頭を垂れながら言った。
「我々、セプテントリオンの上に立つお方……マスターにお会いしていただきたく存じます。そして、あのお方と――我々と行動を共にしていただきたい」
――いけしゃあしゃあと。
どこまでもふざけた女だと康太郎は思った。
だが、アルティリアの安否が不明な以上、下手な手は出せない。
「まずは、そのマスターに会わせろ。話はそれからだ」
「ええ! 是非に! きっとお互い、お気に召すと思いますわ!」
康太郎は、案内するというナビィの背を追った。
「ナイン殿!」
執務室から去ろうとする康太郎の背中に、アウグストスが声をかけた。
「すまない、こんなことになっているとは……」
苦汁を舐めるような、そんな沈痛の面持ちのアウグストスに、康太郎は振り返って、苦笑を返した。
「貴方のせいじゃないことは、わかっています。誠実に対応してもらって、ありがとうございました。あとはこちらで決着をつけます」
アウグストスは、去っていく康太郎の背をただ見送るだけだった。
ナビィの案内で向かった先は、皇居の地下だ。
エレベータに乗って、地下深くへと進んで行く。
「ここが、我々セプテントリオンの本部です」
綺麗に整理された石つくりの空間だった。
ナビィの先導でそのまま一番奥の部屋へと進んで行く。
途中、円卓を囲む老若男女の姿が見えた。
あれらが、セプテントリオンの幹部達であるらしい。
そして……。
康太郎たちは、一番奥の扉の前までやってきた。ただしドアノブの類が無い、鉄の扉だ。
「マスター。ナビィです。闘神ナイン殿を連れてまいりました」
鉄の扉が、軽やかにスライドする。
「ここから先は、ナインさんだけでどうぞ」
康太郎は促されるまま、一人で入室した。
マスターと呼ばれる人物は、パンツルックにベストを着た長い黒髪の女性だった。
目を覆うサングラスをかけているが、康太郎の姿を目に入れると、それをゆっくりと外した。
「なっ……!」
康太郎は、これほどの驚きは、D世界に来てから始めて受けたと感じた。
彼女は、康太郎の良く知る人物だったからだ。
康太郎が恋した、苦い想い出の少女――
「穂波さん」
康太郎の呼びかけに、セプテントリオンのマスター……穂波紫織子は、薄く微笑んで応じた。
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