第2部 第17話 九重康太郎の青春ラブコメは歪み切れた。
康太郎がD世界へ行けなかった翌日。
その日もD世界へ行けなかった。
その翌日も行けなかった。
その次も、その次も。康太郎はD世界に意識を移行できなかった。
「これで終わりか、なんというか、あっけないな」
――夢も、恋も……。
学校での昼休み、そんな独り言を零しながら、ちょっとセンチになった康太郎は恥ずかしいポエマーに成り下がっていた。
そんな康太郎ははたから見ていて、
「「「「「「うわぁ……」」」」」」
と見る者全てがこの落ち込みように引いていた。
なんというかまず覇気が無い。
そしてあからさまにため息をつく。
見るからに構ってちゃんオーラを放出しているのだが康太郎にその自覚は無い。
聡明なクラスメイト達は、自覚が無いことまでわかっているから、あえて康太郎に触れることをしない。
触れることが許されるのは、クラスの中ではただ一人。
もはや自他共に親友認定の神木征士郎であった。
「コウ、いい加減にしなさい」
神木は、机にぐったりと前のめりになって身を預けている康太郎の脳天に神木はチョップをぶち当てた。
「ぐへえ」
康太郎は情けない悲鳴を上げた。
「な、何をするんだい、神木君」
打たれた頭を抑え、康太郎は涙目になって、神木を非難した。
D世界に行けなくなっても固有秩序は健在なのだが、鋭敏になっているはずの五感も、康太郎の腑抜けっぷりに合わせて今は仕事をサボっていた。
「見てられないんだよ、今のコウは。君のせいで、教室の空気まで悪い」
神木は珍しく、公の場で口を尖らせて言った。
康太郎は、周囲を思わず見回した。
するとクラスメイト達は一斉に首を縦に振った。
このシンクロニシティとチームワークは学年屈指であろう。
「あ、いや、その……」
「何かあったのなら、話してくれよ。話を聞くくらいは出来るよ?」
神木の、康太郎をいたわる言葉が、胸に痛い。
そして皆の憐れむような視線を見て康太郎はクラスメイトの心の声を聞いた(気がした)。
――お前が失恋したことなんて、もうバレバレだよ。
――九重、たまに考えてることをぼそっと言うよな。
――まあ、なんだ、その涙拭けよ。
――ねえ、今どんな気持ち、振られちゃってねえ、今どんな気持ち?
――D・V・D! D・V・D!
――その傷を癒せるのは神木君だけよ! さあ、今すぐ彼の胸に飛び込みなさい! ここかみよ、ここかみ!
――違うわ、神木君の強気攻めに九重君のへたれ受けよ! かみここがジャスティスなの!
「ち、ちくしょおぅ!」
いたたまれなくなった康太郎は脱兎の如く逃げ出した。
そして教室を出た矢先に康太郎は水鳥と出くわした。
「っと!」
「ひゃっ……!」
出会い頭にあわやぶつかりそうになるところを康太郎は急制動をかけて、水鳥の至近で止まることに成功する。
「わ、悪い、佐伯」
「……お急ぎの様ですね、どうぞ」
水鳥はそう言って横に一歩、康太郎に道を譲った。
「ん、ああ、ありがとう……」
そっけないといえばそっけない態度の水鳥だが、数日前から彼女はこれが常だった。
康太郎としては、過剰なアプローチが無くなってありがたいはずなのだが、何故だかどこか物足りなさを感じていた。
気を削がれた康太郎は、歩調をやや大人しくして駆けていった。
特別教室のある別棟の屋上は、出入り口の鍵が壊れており、出入りが可能だ。
人が入ることを前提とした場所ではないから、ベンチの類は無く、落下防止のフェンスがあるのみである。
康太郎はフェンスの網に掴まり、項垂れていた。
「はぁ……」
康太郎は盛大にため息ををついた。うっとおしい。
穂波に振られ、D世界へ行けなくなって、早5日目。
いい加減立ち直るなりしてもいい頃だった。
だが、それが出来ないでいるのは、
「はぁ……」
納得できていないからだった。
納得できないほど、打ちのめされていないからだ。
康太郎の中での勝負事は、すべて自分とのものだった。
比較対象は常にイメージを描いた先にある自分だ。
だから、自分より上に位置する者たちを嫉妬無しに賞賛できる。認めることが出来る。
妬みの感情は多かれ少なかれ誰しも持つ。康太郎にはそれが無い。
翻ってそれは、他者を意識していないということだ。康太郎は否定するだろうが、眼中に入っていないということだ。
しかし、恋愛には相手がいる。恋愛とは別の視点で見れば勝負と同じだ。自らの長所を売り込み、良く見せて、相手の心の懐に飛び込む、相手の心の中に自分の位置を作る――心の侵略行為だ。
そしてD世界は自分の中の問題だ。D世界での軌跡は己の存在一つでぶつかっていた軌跡だ。
両方とも康太郎にとって明確な相手がいるのだ。
明確な相手がいるのなら、康太郎にとってはこの程度、敗北には薄い。遠い。
「はぁ……」
残暑厳しい9月の晴れ空の下、じんわりと汗が噴出す中。
深く、深く。悔しさと思考の中に没頭して。
「はふ」
ようやく夢と恋、それぞれに結論が出た。
ずっと、今日に至るまでずっと考えていたことだ。
無論、勝負がどうのと思ったわけではない。
ただ、もっと明確な形がほしかった。
納得のいくカタチで――。
「うおおおおおおおおっ!!」
康太郎は走り出した。
昼休み、チャイムが鳴るまで、あと3分。
思いだしたら、止まらない。
この瞬間、このテンション、この勢いでないと、踏み出せない。
今、九重康太郎は、暴走する青春の真っ只中にいた。
~~~~~~
~~~~~~
康太郎は教室のドアを、ばん、と音がするほど勢いよく開け放った。
開け放ったドアは穂波のいるクラスのものだ。
「穂波さん!」
「九重……?」
そして大声で穂波の名を呼ぶ。
クラスの人間の注目を一身に集める康太郎だが、そんなもので怖気づく康太郎ではない。
見える者には見えたであろう。康太郎から滔々と立ち上る蒼いオーラが。今、康太郎のテンションは最高潮だった。
「穂波さん」
「九重、何……?」
さしもの穂波も、康太郎のこの行動には驚いたのか、表情に困惑が浮んでいた。
穂波に問われ、康太郎は小さく息を吸った。一度言った言葉は、するりと口を突いて出た。
「穂波さん、俺やっぱり、穂波さんのことが好きだ。あんな言葉だけじゃ諦めきれないよ」
言った。言い放った。
――おおっ……!
教室が一瞬ざわついた。しかしすぐに静まり返る。
彼らギャラリーは、そのことをよくわきまえていた。
「本当に俺じゃあ、駄目なのかな。可能性はこれっぽっちも無いのかな」
康太郎は真摯に、祈るように、言葉を紡いだ。
穂波は黙って聞くばかりで、何の反応も示さない。
いや、反応していた。周りからはわからないが、肩が一瞬、ほんの少しだけ震えた。
「俺じゃあ、背負えないか? 君の過去を、重みを。好きってだけで俺は何でも出来るよ。受け入れてくれるのなら、どんな道だって歩いてみせる。だから――」
康太郎は、座る穂波に向かって右手を差し出した。
「少しでも可能性が残っているなら、少しでも芽があるのなら、この手を取って欲しい。穂波さん、俺の恋人になってください」
ざわつきが頂点に達した。黄色い歓声と低い唸り声が混じった。
康太郎は、まっすぐに穂波を見つめた。
穂波は、それを真正面から受け止めて、目をそらすことをしなかった。
そして、二人の間に生じた音は。
ぱん、と乾いた、康太郎の手をはたく音だった。
「ほ、穂波さん……」
見た目の地味さとは異なり、康太郎の手の平は、じんじんとしびれていた。
「九重。九重の気持ちは、私は嬉しいと思う。でも、私は、あなたに恋はしない。どれだけ大事に思っても、恋はしない。今も、これからも」
寡黙な穂波が、流暢に言葉を紡いだ。それだけで、ギャラリーを驚かせるに値する。
穂波が多くの言葉を紡ぐとき、それは彼女の本気を示すサインだ。そのことを康太郎は知っていた。
穂波は、顔色を変えず、表情も変えず、しかしはっきりと拒絶の意を示したのだ。
逆に言えば。
穂波にここまでさせた康太郎は、それだけ彼女に踏み込み、彼女を動かしたのだ。
それだけは、誇れる戦果だった。
だが所詮は、敗者だった。
「うん、わかった。ちゃんと答えてくれてありがとう」
康太郎は、笑顔で穂波にそう告げた。
そして昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
「は~い、皆席について~……って、なんだこれは」
チャイムと同時に入ってきた教諭は、教室に漂う異様な緊張感に戸惑いを隠せなかった。
「じゃあね、穂波さん。また」
「……うん、また」
康太郎は逃げ出すように、教諭の横を通り過ぎて、教室を出た。
康太郎は、人気の無い校舎裏まで駆け抜け、その姿を消した。
無拍子で、空高く舞い上がったからだ。
そして高度八千メートルまで上がると、理力の膜に守られながら、康太郎はゆっくりと墜ちていく。
「ううつ、ふおおおおおおんっ……!」
墜ちながら、康太郎は泣いた。
悔しさと切なさで心を締め付けられる痛みにむせび泣いた。
一回目の告白では泣けなかった。後悔が渦巻いていたのだ。
だが、今回は違う。完膚なきまでに振られたことによって康太郎は、後悔から解放されたのだ。
そうして康太郎は、失恋の記憶を身体に刻み付けた。
そしてかつて抱いた淡い恋心を想い出に変えていった。
その日、初めて康太郎は、学校の授業をサボった。
この日、康太郎の恋は、ようやく真の終わりを迎えた。
だが、彼の青春は、これで終わらない。
新しい話を始めました。D世界の話を圧迫しないショートショートです。作者ページよりどうぞよろしくお願いします。