第2部 第16話 九重康太郎の青春ラブコメは歪みっぱなし。
失恋のどんより気分のまま家に着いた康太郎は、制服も脱がずにそのまま居間のソファへ流れ込んだ。
「ああ……インフルエンザでも流行して学級閉鎖にでもならないかなあ」
まったくもって不謹慎な発言だ。そこはかとなく実現しそうなあたり性質が悪い。
異様なまでの空虚さを康太郎は感じていた。
失恋とは、こんなにも空しいものかと。
しばし呼吸も忘れ、うつ伏せになっていたが、流石に息苦しくなって仰向けになり、大きく呼吸した。
そうして思い出すのは、かつて康太郎が振った二人の女子生徒。一人は安藤と言って車に轢かれそうになったところを助けたことがある女子生徒だ。別段親しいわけでもなく、クラスも違う。
吊り橋効果で一時的に昂ぶっていただけだろうと、同時は意外と冷静に断ったことを思い出した。
それ以来……正確に言えば、佐伯水鳥がらみの件でちょっとキツく当たったこともあるが、何のかかわりもなく、安藤にとっても思い出に葬られたのだろう。
二人目は佐伯水鳥だ。康太郎が都合三回以上完膚なきまでに振ったはずなのだが、全然へこたれずにアプローチを康太郎に繰り返している。
こうして自分からの失恋を経験し、水鳥がいかに精神的にタフか痛感した。
康太郎など、しつこく言い寄って袖にされたが、言ってしまえばそれだけだ。
康太郎が今まで再三にわたって水鳥を(恋愛的に)叩きのめしたことに比べれば、何てこと無い。
だとすると一体水鳥の苦しみとはどれほどのものだったのか。拒否された相手に対し、尚も気持ちを持ち続けられるだけのモチベーションを一体彼女は何処から得ているのか。
「それを聞くのは、あまりにもサイテーだよ、な」
苦しみを知らぬ、ただ水鳥をあしらっていた頃ならまだしも、失恋を経験した今の康太郎がそれを聞くことはためらわれたのだ。
そして思うのは、穂波のこと。好きになる以前の問題で、穢れていると自虐した穂波。穂波の抱えた闇とは一体何なのか、読心など出来ぬ康太郎に推し量れるはずも無い。
しかし、彼女を好きというのならば、彼女の闇と向き合う必要があるのだと、康太郎はおぼろげながらに思う。
「あーくそ、色々面倒だよなあ」
こんなとき、康太郎の愛する恋愛シミュレーションゲームの主人公のようになれたらと思う。
中にはクズとヘタレも混じっているが、珠玉の名作とされる作品の主人公は、大概惚れた女のためなら身体を張り、命を懸けて、困難を蹴散らす超人だ。
あいにくと康太郎は腕力ばかりが強いだけの異常者に過ぎない。腕っ節だけである意味なんとかなりそうなD世界と比べて、現実のなんと世知辛いことか。
「D世界の方も進捗ないしなあ……」
一方、D世界における康太郎は、既に東の大陸入りから十日以上経過して、未だに何の成果も得られていなかった。
相棒たるアルティリアがさらわれ、帝国にてお待ちしておりますという帝国特殊諜報部隊のナビィ=レイルの挑発じみた置手紙を頼りに帝国入りしたのにも関わらずだ。
しかも、どういうわけだか<裏の世界>とやらで康太郎こと闘神ナインが賞金首になっているらしく、昼夜問わず賞金稼ぎやら冒険者崩れやらが挑んでくる毎日だった。
昼夜問わずということで、夜の康太郎が寝ている間に暗殺を試みたものもいるらしく、何度か、自らの血で赤黒く染まった宿屋のベッドを作っている。
目覚めるたびに服とベッドが使い物にならなくなるというのは精神衛生上良くないし、財布にも優しくない。
つまりは康太郎は、絶対死なないと決意した割りに、D世界で既に何度も殺されていることになる。
現在は両世界間のフィードバックにより、朝起きたら部屋を汚すだけですんでいるものの、これが続けば、現実の自身の身体にどんな影響がでるか、たまったものではない。
なにしろ今は現実側の身体がフィードバックされることで、D世界で生きながらえているが、いつ何処で間違えてD世界の死がフィードバックされるか知れないのだ。
ちなみに首に巻きついていたはずの世界蛇アンジェルは、進展の無さに辟易し、
「何かわかったら呼べ」
と、何処かへ出て行ってしまった。
アンジェルにしてみれば、下等な人間種族の相手を夜な夜な毎日警戒して行うというのは我慢ならないことらしい。
「何もかもうまくいかないなあ……思うようにできたD世界でもこんなんじゃあ……もうD世界に行くのも面倒だな……」
康太郎は既に、純粋にD世界を楽しむことは出来なくなっていた。
駄目駄目だ。もはや今の康太郎は夢の中でさえもストレスを溜め込む袋小路に陥っていた。
だが失恋した女々しい男など大概こんなものだ。
そして今夜も眠ってしまえば、血で穢れて鉄臭い目覚めのD世界である。
多感な17歳が夢にも逃げられないこの状況。気持ちを昇華しきれないのも無理は無い。
そんな沈んだ気持ちが逆に眠気を誘うのか、康太郎はその日の夕食を作ることもサボってソファの上で眠りに落ちていった。
~~~~~~
~~~~~~
「こんにちわー、ご機嫌いかかですかー?」
明るい声が、ぼうっと書物を読んでいたアルティリアの耳に入った。
「……相変わらず最低よ」
アルティリアは声の主、ナビィを視界に入れ、吐き捨てるように言った。
彼女が今いるのは、帝国皇室の誇る幽閉施設だった。
アルティリアに与えられた部屋の内部は広く、調度品に不足は無い。蔵書も数多く、学術書から娯楽本まで一通り揃っていた。
またアルティリアが着せられているのは若草色のドレスで、簡素なデザインながら、使われている素材は一級品だ。
そして目に付くのはアルティリアの首に取り付けられた黒に金色の精緻な模様が刻まれたチョーカーだ。
見た目はただの装飾品だが、実際にはエーテルキャンセラー、魔力抑制装置だ。
魔力運用が要のエルフにとっては手足をもがれたにも等しい。
総じて、アルティリアはVIPクラスの待遇で幽閉されていた。
「今日は何の用かしら」
「残念なお知らせです。いえ、貴女にとっては嬉しいお知らせかもしれません」
「胡乱な言い方は嫌いよ、はっきり言って」
睨み付けるアルティリアの視線を受け流し、微笑を顔に貼り付けたナビィが言う。
「ナインさんがお亡くなりになりました」
「はっ、ありえないわね」
アルティリアはナビィの言葉をすぐさま切って捨てた。
「ちゃんと死体は確認したのかしら。アイツは、死んでも生き返るような人間よ」
嘘は言っていない。過去、康太郎の焼死体を埋めたが、彼は、土の中で五体満足で甦ったのだ。その際アルティリアは危うく死に掛けたので、よく覚えていた。
「ええ、もちろん。確認しましたとも。現在死亡後4日後までこちらで確認を取ってあります」
「えっ」
しかしナビィから返ってきたのは既に4日も経過しているという事実だ。
「というより、我々は既に彼の復活を何度も確認してきたのです」
「確認?」
今ナビィは、何と言ったか。復活の確認だと?
「今まで、ナインさんには多額の賞金が掛かっていました。表社会には出ない形で、ですが。法外な金額ゆえか、様々な人材が彼に挑んだものです。中にはSランクやEXランク冒険者もいたとか。もちろん、彼らは撃退されましたが」
「……」
「しかし、彼、夜は弱いんですねえ。いとも簡単に殺すことが出来ましたよ」
「アンタねえ!」
康太郎を殺された事実に一瞬で激昂したアルティリアは、ナビィの胸倉を掴んだ。
「どうして怒るんです。死んでも生き返るって、知ってるくせに~」
にやにやとアルティリアをからかうようにナビィは笑った。
「生き返るのはただの結果よ。相棒がやられて、黙っていられるわけ無いでしょう……!」
アルティリアは怒りを込めた目で、ナビィを睨んだ。
「相棒、あなたが?」
ナビィは、アルティリアを嘲り、一瞬吹き出し、その後すぐに冷たい表情へと変わり、
「っつ……!」
胸倉を掴んでいたアルティリアの腕の片方を掴み、捻り上げた。
「貴女が相棒だなんて、とんでもない。こうして囚われるような非力な分際でよくもそんなことが言えますね。彼にとっては、貴女はただのお荷物でしかない」
「くっ……!」
悔しさに、アルティリアは歯噛みした。
自身の戦闘力は、康太郎には遠く及ばない。康太郎の挑む冒険に、自分のレベルは見合っていない。そんなことはわかっている。
だが――
「他人がどう思おうが、知ったことじゃない。コウが言った、その言葉だけがすべてよ……!」
「……」
ナビィはアルティリアの手を放した。
つかまれた部分をさすりながら、アルティリアはナビィへの敵意を緩めない。
「彼がなりふり構っていなければ、とうの昔に彼は貴女の元へたどり着いているでしょう。それが手をこまねいているのは、どうしてなのでしょうね?」
「……戯言を聞く気は無いわ」
「実際のところ、貴女にそこまでの価値を見出してないからなのではないですかねえ」
「……っ!」
アルティリアは、思わず俯いてしまった。
実際、アルティリアがさらわれ、2週間は経過している。
康太郎が、本当に全力を出してアルティリアを助けに来るのであれば、既に来ていてもおかしくない。
アルティリアがこのように思うのは、康太郎に対してその能力への評価が過大になっているからなのだが、アルティリアはそのことに気づいていない。間近で康太郎を見てきた彼女にとっては無理も無いことではあるが。
しかし康太郎とて、D世界で必要以上に暴れ回る気はさらさらない。もし自分の目的を果たすためだけに好き勝手しようものなら、キャスリンと似たような存在にとうの昔になっていただろう。
「しかし、ナインさんが死んで結構な時間が経っています。もしこのままということなら、餌としての価値はあなたにはなくなる。そうなれば、貴女はここから解放されます、良かったですね?」
「どの口で、そんな――」
「……どうせなら今すぐに貴女の価値を確かめましょうか」
アルティリアの言葉をさえぎり冷たい表情のまま、ナビィが言った。
「えっ……」
「ナインさんの死体はこちらで確保しています。貴女に価値があるのなら、ナインさんに何か反応があるかもしれないですね」
ある意味で、アルティリアは納得した。
ナインこと康太郎の状況を何故にナビィが把握できていたのか。既に康太郎の身体は彼女の手中にあったのだ。
「貴女をナインさんに会わせてあげます。付いてきてください」
そう言って、ナビィはアルティリアに背を向け、部屋の唯一の出入り口のドアへと歩いていく。
アルティリアは、脱走するチャンスと思ったが、
「ああ、逃げようと思っても無駄なので。勘違いしないでくださいね」
ナビィには、そんな考えは見透かされていた。
しかし一人で逃げ出す気はアルティリアには毛頭ない。
仮に康太郎がナビィたちに抑えられ、何らかの事情で復活できていないとしたら。そもそも本当に死んでいるのかさえも疑わしいのだが。
真偽を確かめる必要がある。どうせ今の自分は魔力を抑制されて満足に動けない。ならば、敵の誘いだろうと乗ってやる。
火中の栗を拾うため、アルティリアはナビィの後を追った
~~~~~
~~~~~
「んあ……?」
康太郎は目が覚めた。但し、暗い居間のソファの上で。
浅い眠りだったか。
そう思って近くに放り投げていた携帯端末を手に取り、スイッチを入れた。
端末が示した時刻は、午前3時を回った頃。
「えっ」
康太郎は思わず声を上げた。
康太郎が家に帰ってきたのは、午後の七時ごろだ。
そしてすぐにソファに突っ伏して、眠りこけてしまったのを遅くとも午後八時とすると、7時間の睡眠をしていることになる。
七時間の深い睡眠だ。
「おい、ちょっと待て……」
康太郎はその事実に寝ぼけた意識を一気に覚まさせられた。
D世界へ移行するトリガーは康太郎の深い睡眠だ。
浅い睡眠――1、2時間程度の仮眠では移動しないことはこれまでの経験でわかっている。
そして。
「……D世界に行った覚えが無い」
深い睡眠を経たにもかかわらず、D世界での記憶が無い。覚えが無いということは、つまりD世界への移行もなかったのと同じことで。
この日、康太郎が半年近く毎日繰り返していたD世界への移行が、唐突に途切れたのだった。
~~~~~~
~~~~~~