第2部 第15話 九重康太郎の青春ラブコメは歪んでいる。
今回は分割ポイントが全部中途半端だったため通常の二話分の文字数があります。つーか、そのなんだ、今回の話、書いていていてゲシュタルト崩壊、頭がどうにかなりそうだった、酸っぱい うま
康太郎と穂波の出会いは、遡ること一年と半年前、高校入学の頃になる。
康太郎と穂波は奇しくも同じクラスに属していて、そして各クラスが選出する図書委員に二人が選ばれた。
右も左もわからず、出身中学からの同郷もいない中、同じ委員に選ばれたという関係性から、穂波は康太郎が高校に入って一番初めに覚えた女子生徒となった。
同時に、穂波と最も関わりのある立場になったともいえる。
穂波は、その当時から浮いていた。
長い三つ編み、洒落っ気のないフレームの眼鏡、丈の長いスカート……とにかく見ていて野暮ったい。
一方で学力は高く、テストをやれば当然の如く1位になり、運動をやれば八面六臂の活躍を見せる。
飛びぬけた能力の高さという奴は、多かれ少なかれ外見の華やかさとして現れることが多いものだが、彼女の場合はそれがなく、見事に外見と中身が釣り合っていなかった。
しかも誰とも話そうとしない。話しかけても、返ってくるのは必要最低限の言葉だけ。
だからそんな穂波が敬遠されるようになるまで、大した時間は掛からなかったし、必然であったともいえる。
そんな穂波だが、唯一彼女から話しかける、または(比較的)積極的に話す者がいた。
それが康太郎だ。
と言っても大したことを話すわけではない。やれ先生から用事を言いつけられただの、次の当番はいつだったかなどと、事務的な連絡が殆どだ。
しかし、康太郎はそこに戯言を混ぜていた。他愛の無い馬鹿話をときに穂波に笑って聞かせていた。
その姿は、周りには若干奇異に映ったものだが、それも慣れてしまえば日常となる。
いつしか康太郎は、教師を含めて、扱いにくい穂波のパイプ役になっていた。
そしてその年の文化祭の明けに、それは起きた。康太郎曰く<遅れてきた高校デビュー>である。
その日、美少女が、颯爽と教室に入ってきた。
一目で彼女と気づいたのは、果たして何人いたのか。
腰まで届きかけの艶やかな黒髪は三つ編みでなく下ろしてストレートになり、デザイン性皆無の眼鏡もかけておらず、切れ長の瞳を載せた氷の彫像を思わせる美貌が露わになっていた。
そして野暮ったさを演出していた丈長のスカートは、下品にならぬ程度に短くなっていた。
康太郎は、まさかと思った。
康太郎は少しの間だけ、馬の頭部を模した被り物を被って文化祭を穂波と一緒に回っていた。
康太郎に特に下心があったというわけでなく、所属するクラスの出し物の休憩時間が重なり、なおかつ康太郎は一緒に回る相手の予定も無く、穂波も所在なさげにしていたからつい誘ってみただけのことだった。
道中は基本的に康太郎がしゃべり通しで、穂波はそれに対し一言二言返すばかりだ。
そんな折につけて康太郎は、穂波の外見について言及していた。接する機会がそこそこ多い康太郎は、穂波の|ポテンシャル(素顔)を垣間見ていて、
「そういえば穂波さんってさ、実は凄い美人さんだよね」
ドサクサ紛れにそれについても触れていたのだ。
やれ眼鏡を外してみたらとか、三つ編みもいいけどストレートも良さげだよねとか、スカート長すぎないとか、エトセトラ。
祭りの空気に当てられた康太郎はとにかくしゃべった、馬の被り物越しに。
繰り返すが、当時の康太郎には下心は無かった。
あえて言うなら、“もったいない”の精神だった。
そして、そのポテンシャルを穂波が発揮したのなら、孤高の彼女にも興味を持つ人間が増えるのではないかと思ったのだ。彼女の方から他人が寄ってこないのならば、他人の方から寄ってきてもらうのだ。
だが、その結果は――彼女をより孤高の高みに至らしめるだけだった。
元々その能力の高さと得体の知れなさで、敬遠されていた穂波。
今度は、そのポテンシャルを解放したために圧倒的な存在感を放ってしまい、敬遠とはまた似て異なる畏怖の感情を持たれるに至ってしまったのである。
まさか――康太郎も一々全部変えてくるなど夢にも思わない。自分の発言の影響力など無いものと思っていたからだ。
よしんば変えたとしてもせいぜい髪を下ろすくらいと思っていた。
そして穂波の持つカリスマをまったく計り違えていた。
康太郎は幼い頃からカリスマを放つ存在に触れている。
康太郎の父、錠太郎である。
無論、その方向性は穂波とはまったく異なるのだが、少なくとも並みの相手には根っこの部分で物怖じしない土台を作るには十分であった。
そうした土台があればこそ――康太郎のイメージに優れた素養も関係しているが――康太郎は穂波と接することが出来ていた。
純粋に賞賛はすれども、畏怖はしない。それが穂波に対する他者と康太郎の違いだった。
だからこそ、穂波の持つカリスマを計り違えたのだ。
「おはよう、穂波さん」
誰も穂波に声をかけない中、康太郎は穂波に挨拶したのだ。
「九重」
返ってきたのは、平坦な、相手の苗字を呼ぶだけの声だ。
「ビックリしたよ。髪型変えたんだ」
「うん」
「それに眼鏡も外したんだね」
「うん」
そして康太郎は、気になっていたことを切り出す。
「……もしかして、俺が変えてみたら、って言ったから?」
「うん、そうだけど」
「Oh……」
康太郎は、頭を抑えて天を仰いだ。
――うそん。
だが、事実らしい。
「どう?」
穂波が首を傾げつつも、評価を問うてきた。
康太郎は迷った。公衆面前の前でということはこの際置いておいて。
何を言おうとも、この完全無欠の美貌の前には、陳腐に成り下がる。
――ちがう、そうじゃない。褒めるのは。
褒めるのは、穂波が己を見せ、周りを魅せた、その行為に対してだ。遅れてきた高校デビューに対してだ。
「……グッジョブ!」
康太郎は、親指をグッと掲げてサムズアップをするだけだった。
「ぐ」
穂波も、康太郎のサムズアップに、サムズアップで返した。
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そこから先、2年に上がるまでは特別何かがあったわけではない。
だが、確実に康太郎は穂波との時間を重ねていった。
そして二人は、2年に上がったところで別のクラスとなった。
康太郎は特に嘆かなかった。この当時、康太郎は恋煩いをしていたわけではなかったからだ。
康太郎は図書委員に引き続き立候補し、穂波もまた図書委員になっていたことで、繋がりがまた出来た。
そして業を煮やした康太郎は、穂波(無垢なる少女)にライトノベルを紹介し、徐々にオタク文化に対する理解を浸透させていく。
空から女の子が降ってくるとか、ぶつかった挙句少年と少女がキスをするとか、魔法とは名ばかりのミリタリーとか、そうした突っ込みどころを“設定だから”の一言で納得させるのは、聡明な穂波には大した労力ではなかった。
何も無ければ、二人はただのオタ友達として、高校卒業まで突き進んだことであろう。
だが、そこに現れたのが、佐伯水鳥。康太郎に惚れた才媛である。
水鳥は、静かな湖面に石を投げた。投げて投げて、投げまくっていた。
湖面に波紋どころか波が起こって泡が立った。
水鳥は、康太郎の心を揺さぶったのだ。
揺さぶられた結果、嫌が応にも桃色時空って何、みたいなことを康太郎は考えるようになっていく。
その一方で、康太郎と穂波の関係に変化が起こった。
あいまいだった二人の関係が、明確に友達というカタチを得て、そして康太郎は以前にも増して穂波を意識するようになった。
皮肉にも水鳥は、康太郎に新たな気持ちを生み出す切っ掛けになってしまったのだ。
そうした変化のあった状態で、夏休みに突入。
トラックの体当たりを受けて死に、生き返るという飛び切りの珍事を経て、康太郎は、穂波の涙を知った。
穂波も泣く。完全無欠の美少女でも泣くのだと――人間なのだと知って……これが決定打になった。
俗っぽくいうとギャップ萌えだ。
そのギャップに、康太郎は墜ちたのだ。
そして夏休みがあけて、穂波と顔を合わせた時、康太郎ははっきりと自覚したのだ。
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「というわけなんだけど、どうしよう」
「いや、どうしようって言われても……」
康太郎は、人気の無い校舎をつなぐ渡り廊下で、もはや親友とよべる友人、神木征士郎に相談していた。
「こういうのは初めてなんだ。怖いんだけど、それに負けないくらい気持ちが膨れ上がっているというか。今まで3人くらい、告られた経験はあるけど、自分からってのは無くてさ」
リア充と、爆弾を投げないでやってもらいたい。
一人目は中学のときで、しかしそれはドッキリという名の酷い裏切りにあっており、二人目以降はそのドッキリが頭をよぎり、即答で断っている。ちなみに三人目が水鳥である。
つまるところ康太郎は女性不信だ。もっとも恋愛の絡まないビジネスライクな付き合いであれば問題ない程度に軽度だが。
康太郎はそんな矛盾を抱えながらも思慕を抱いた。その相手が穂波だ。
「――まあ、女なんてろくでもないし、とりあえず当たってみればいいんじゃないかな。振られたら、その程度の相手と見限ればいいよ」
そんなことをさわやかに神木は言った。
「……意外に毒を吐くね、神木君」
「まあ、僕も色々あってね。コウみたいに酷いものじゃないけれど」
康太郎は既に、昔あったドッキリについては神木に話している。神木自身は、水鳥経由で知っていたのだが、改めて康太郎から聞かされ、珍しくわかりやすく怒りを示して、康太郎を驚かせた。
そしてそんな風に親身になって怒ってくれる神木に、康太郎はより厚い友情を感じたのだ。
そんな神木だからこそ、康太郎は相談した。
なにより神木はモテる。それはもうモテるのだ。故に何か参考になるアドバイスが聞けると思ったのだが。
「参ったな。モテる親友が、実は女嫌いだとは。困った」
「別に女嫌いってわけじゃないよ。信頼できる女性と出逢ったことが無いだけ」
……黒いなあと、康太郎は親友の一面に冷や汗を掻いた。
信頼できる女性と出逢ったことが無いって、そりゃあクラスの連中やら、普段仲良さげに応対している女子全員が信頼に値しないのだと言っているのと同じだ。
とはいえ、穂波とは別のベクトルの完璧超人の神木にもそうした一面があることに、むしろ康太郎は親近感を感じていた。
また、こうしたことを話すということは、神木もまた康太郎に一定の信頼は置いているということだろう。
何しろ不穏な発言は敵を作りかねないのだから。
「しかし、困ったなあ」
康太郎は、渡り廊下の壁にぐったりもたれながら、空を見上げた。
灰色の曇り空は先行きの見えない恋路を暗示しているかのようだった。
「ところでコウ」
「ん、な~に」
「そんな恋愛相談なんかより、もっと重要なことがあると思うんだけど」
康太郎は少しだけむっとした。いかに神木とて許せないことはある。
「聞き捨てならんなあ、神木氏。恋愛弱者の俺にとって、これは死活問題なんだぜ?」
「いや、正直なところ、君が当たって砕けるしか道が無いことよりも重要なことがあるじゃない」
「ぐへえ。いや確かにそうなんだけど……他になんかあった?」
康太郎には思い浮かばない。これ以外に相談することなどあったかと首をかしげる。
「とぼけないでくれよ。君の甦りのことさ」
――ああ、そっちか。
「話すことは無いよ。俺だってよくわかってないのに、何を話せと」
「甦りのこと自体はわからなくても、何か、異常なことはあったはずだ」
神木は時折、夏休みの一件について康太郎に追求している。
それは康太郎の身を案じてのことだろうとは思っている。
しかし康太郎は、甦りの遠因であろうD世界については一切話す気はない。
康太郎はこの一件に限り、家族以外の何者も信用していなかった。
言い換えると、誰も巻き込むつもりは無い。
D世界という存在はあまりにも未知数だ。そしてそんな世界に関わっているのは自分だけではないと、康太郎は知った。
現実側でどんな人物が関わっているか知れたものではないこの現状で、情報を明かすのはあまりに迂闊。
考えすぎかもしれない。いや間違いなく考えすぎだ。
だがこの方針は、父・錠太郎と話して決めたことだ。というより錠太郎が厳命した。
錠太郎は、この世にはいくつも“境界”があり、一度でもそれを踏み越えると、途端に境界が薄れると語る。
言い換えると、トラブルに巻き込まれやすくなるということだ。
そしてトラブルの素というものは、えてして身近なところに潜んでいて、錠太郎も昔、痛い目にあっているらしい。
……夏休みの終盤、既に狐耳ともふもふしい尻尾の境界を踏み越えてしまっている気もするが、それはさておき。
「無いったら無いよ、神木君」
「コウ、僕はそんなに信用ないかい?」
康太郎の否定に、神木はなおも食い下がる。これまでにも何度か聞いてきたことはあるが、今回はしつこい。
「……その言い方は卑怯だなあ。でも無いものは無いし」
「もしかして巻き込みたくないとか、そんなこと思ってたりするのかい? 大丈夫、いざとなれば家の力も使うよ。言っても信じられないかもしれないけど、僕の家系は――」
「ストップだ、神木君。そういう問題じゃないんだよ、本当に」
神木の気持ちは嬉しい。嬉しいのだが。
「さて、あんまり遅くなって仕事サボってるとか穂波さんに思われたくないし、もう行くよ」
「ああ……じゃあね、コウ、また明日」
「うん、また明日」
――嬉しいから、今はそれが辛いんだよなあ。
康太郎は手を上げて神木に別れを告げ、図書室へと向かった。
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「……コウも頑固だな」
康太郎を見送ってから神木は一人、頭をかき、独り言ちた。
「認めたくないものね」
そんな神木に横から声をかける女子生徒が一人。
「すいちょう、か」
佐伯水鳥だ。
「あんな女に惹かれるだなんて、康太郎君もなんて愚かな」
「……今の話、聞いていたのか、どこから」
「下の階で。無用心よ、貴方たち」
「お前が地獄耳なだけだろう。そこまで大きな声で話してはいない」
「ふん……」
人気の無い渡り廊下で、神木と水鳥だけしかいない。
だが、それでも互いに顔をあわせることをしない。
「どうする気だ、お前」
「どう、とは」
「コウに対してだ。まだ続けるのか」
「当然、まだ何も決していないもの」
若干、水鳥の声が固い。神木はそれを一種の強がりと受け取った。
想い人にあれだけアプローチしているにもかかわらず、なびくどころか別の女に心惹かれているというこの現状。
神木であればそんな痴情と一笑に付すところだが、そんなことに柳のようなしなやかさと、鋼の芯を併せ持つ水鳥が揺れているともなれば。
それは、神木も初めてみる光景だ。弱みなど少しも見せない水鳥であればこそ、神木は驚嘆していた。
「そうか……なら一つ忠告してやる」
つい、そんな言葉が神木の口からついて出た。
「……は?」
神木と水鳥は互いを不倶戴天とする腐れ縁だ。
その片方である神木が、水鳥に忠告をするなど、前代未聞のことだ。だから水鳥は、思わず聞きなおしてしまった。
「何度も言わせるな、忠告してやると言った。助言と言ってもいい」
神木は、嘆息しながらもはっきりと助けると言った。
「貴方が、助言? はっ。 今日あたり、曇り空もすぐに雨雲に変わりそうね」
水鳥は、神木の言葉を鼻で笑ったが、その声音には驚きも混じっていた。
神木にとって水鳥は敵だ。とにかく癪に障る。理屈ではない。
だが、その水鳥の情けない姿を見たくないという思いが僅かに燻ったのだ。これもまた、理屈ではなかった。
「……聞く気が無いなら、別にいい」
もちろん、施しを突っぱねるなら、それもよしとする。
無理矢理恩着せがましいことをする気は、神木には無かった。
「……聞こうじゃない」
しかし水鳥は、渋々ながらも乗ってきた。普段の水鳥なら突っぱねるところだ。神木は内心、本当に水鳥は弱っているのだと感じながら、言葉を紡ぐ。
「押して駄目なら、引いてみろ」
「何ですって?」
「業腹だが、お前は十分コウに近づけているよ。だが、近づき過ぎて、それが常態化している――マンネリズムだ。ならば変化を加えてみろ。そうすれば、何かは変わるだろう。吉と出るか凶と出るかは分からないがな」
水鳥と視線を合わせず、中庭をぼうっと眺めながら、神木は言った。
「……本当に、一体どういう風の吹き回しなのかしら」
水鳥は神木を見た。神木は、虚飾の外面を脱ぎ捨てた冷たい表情だ。
「別に。……僕は、コウが健やかであれば、それでいい」
「……そういえば、聞いたこと無かったわね。人を見下すことしかしない貴方が、どうして康太郎君に入れ込むのか」
神木は、水鳥に背を向けた。拒絶の意志を示すポーズだった。
「お前に言う義理は無いさ」
そのまま神木は立ち去った。
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「遅い」
「ごめん」
穂波が康太郎を咎めていた。といっても言葉だけで険は無い。
二学期始まって最初の司書係としての仕事であり最後の仕事だ。この週の当番が終われば、上期の図書委員としては、穂波との接点は無くなる。
「そういえば穂波さん、夏休み明けの学力テスト1位だったね、おめでとう」
「別に、大したことじゃない。九重は」
「え?」
「九重の順位は?」
「ああ、俺は三八位。結構がんばったつもりなんだけどね」
がんばったのは嘘だった。もはや抑えようにも固有秩序・存在超強化がうっすらと駄々漏れ状態で、問題は分かるのだが、五十位から三十位くらいをうろうろしている康太郎が、突然順位を上げてカンニングを疑われるのも癪なので、各教科二問ずつ意図的に間違えたのである。
もっとも、康太郎たちの学校のレベルからすれば、50位までは、十分旧帝大が圏内なのだが。
「そう」
穂波は視線を康太郎から、手許の本へと戻した。
読んでいるのは、康太郎一押しの<魔王少女ラディカルこのは>の劇場第二弾のノベライズであった。
映像作品のノベライズは、出来不出来が激しく、書き起こすライターの情熱と力量が如実に現れる。
その点で言えばラディカルこのはのノベライズについては、綿密な内面描写、重厚な戦闘描写、なにより戦闘を解説する反語等を用いた熱い地の文が特徴(否! とか平気で使ってくる)で評価が高い。
穂波はコメディものは食指が動かないらしく、基本的には設定過多なくらいのバトルがある作品を好んでいた。
背筋を伸ばして、静かに読みふける様はとてもバトルライトノベルを読んでいるとは思えない。
適度に事務をこなしながら、穂波と過ごす図書室は、会話こそ少ないが、とても心地よい。
まさに恋に浮かれた状態だが、時折中学のトラウマが甦って冷や水を浴びせられるような感覚に陥る。
トラウマというものは、払拭できないほどに刻み込まれているからトラウマなのだ。
克服するか、逃げ道を探すしか選択肢がないが、克服できない場合は、一生恋愛弱者のままだ。
女性不信でも、それは嫌だった。二次元の嫁にブヒ萌えしているとしても、それはそれという奴だ。
その点で言えば、穂波という恋愛対象はトラウマ克服にはうってつけだ。
何しろ孤高だ。キャラも突き抜けていて嘘がない。
嘘がないということは、仮に康太郎が付き合いを申し出て了承を得られれば、少なくともその瞬間は、穂波の気持ちは本物なのだと言えるのだから。
無論、振られる算段の方が高いわけだが、冷や水を浴びせ続けられるのも我慢ならなかった。
だから、康太郎は決めたのだ。司書係の最終日、康太郎は穂波に告白することを。
決戦は、金曜日だ。
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決戦の金曜日。
図書室には、面白いぐらいに人がいなかった。
康太郎は、何かの意志が働いているのではと勘繰ったが、この際それはと流した。
好都合だ。
時間だけが過ぎる中、一人心臓を高鳴らせる康太郎。
穂波の方は涼しげに本を読み漁るだけだったが。
そして下校時間を告げるチャイムが鳴り、図書室の戸締りと相成ったところで、
「穂波さん、話があるんだ」
キン、と耳鳴りがするほどに緊張した康太郎が、固い声で穂波に声をかけた。
「なに」
そんな緊張を露とも知らず、穂波は平坦に応じた。
穂波と二人だけの図書室で、康太郎は、意を決して用意していたセリフを――
「俺、穂波さんのことが好きだ」
考えていた。考えていたのだ。気障ったらしく、あるいは野暮ったい、いくつもパターンを考えた。
もう友達ではいられない我慢できない恋人になってくれとかそろそろ俺達の関係も次の段階に進めるときなんじゃないかって思うんだそう恋人ってやつにとかずっと君を見つめていたそしてこれからは君の一番近くで君をみつめていたいんだとか毎朝おれにスクランブルエッグをつくってほしいとかとにかく色んなパターンを考えて、考えて、考えていたのに。
口から飛び出たのは、好きというただそれだけの言葉だった。
時が止まったようなそんな錯覚に陥りながら、その返答を康太郎は待つ。
「それで?」
「えっ?」
――それで? それでとは? いや、それはこっちが聞きたくて。
「九重が、私を、好きということはわかったけれど。それで、どうしたの」
康太郎にとってまさかの問いかけだった。
しかし一度気持ちを吐き出してしまえば、もう一度気持ちを出すことは容易だった。
「俺、穂波さんのことが好きなんだ。友達として以上に、一人の、異性の、女の子として。今まで一緒に過ごしてそう思ったんだ、だから」
だから。
「だから、俺の、恋人に、なってください」
付き合ってとは言わない。どこに、なんてボケられる、そんな可能性も潰して。
康太郎は、己の願いを穂波に向けた。
聞こえるのは、心臓の鼓動と時計の針が動く音だけ。
違う音が聞こえるのは、決着のときだ。
「ごめん、九重とは恋人にはなれない」
思考が、真っ白に、染まった。
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曰く、九重には好意は抱いているかもしれない、でもそれが恋愛感情かと言われると疑問が残る。だから了承できない。
曰く、光栄なことだとは理解している。しかし了承は出来ない。
曰く、私は汚れている。綺麗な九重とはつりあわない。だから了承以前の問題だ。
好意があるならいいじゃないか、一体君の何処が汚れていると、いや汚れているならいっそ俺も一緒に汚れるから、つりあいなんてどうでもいい、俺は君が好きで君が俺を好きかもしれないならそれだけで――。
色々悪あがきをしてみた気がするが。
それでも、普段以上に饒舌になった穂波は、本音で話していた。
だからどれだけ康太郎がすがったところで、結果は変わらない。
康太郎は、振られたのである。
その後はつつがなく図書室の戸締りをして、空元気を出した康太郎は、努めて明るく振舞って穂波と帰り道で別れた。
自分から、これからも友達でいて欲しいと区切りをつけて。
そんな帰り道、康太郎は不思議と泣けなかった。気持ちは泣きたくてしょうがないのに。
胸に去来するのは、後悔やら嘆きやら。
もっと時期を待つべきだったとか。
アプローチに問題があったとか。
そもそも告白するべきではなかったとか。
それ以前になぜ好きになったのだとか。
背景に誰もいない、裏切られる心配の無い安全牌だから、そんな都合の良さで好きになったんじゃないかとか。
「うわー……これ、まじへこむわー……」
失恋は劇的ではなく、徐々に真綿で苦しめられるような、毒が回ってくるような。
じわりじわりと足取りが重くなる。
再アタックするような気概も沸かない。だから、その程度だったかと正当化を始めて。
こうして康太郎の歪んだ青春ラブコメは、一つの幕を下ろしたのだ。