第2部 第9話 VS.確真支配3
康太郎は意識を朦朧としながらも、自身の体に受けたダメージを努めて冷静に把握しようとしていた。
(……骨は大丈夫。あ、でも鼻はちょっとやばいかも。体中踏みつけられた痛みでズキズキする……体が休息を求めて喘いでいる感じ……ちょっとでも油断すると、気を失いそうだ……っていうかちょっと前の俺なら、最初に貰った一発で死んでたかも)
康太郎が特訓で最も力を入れたのは、外部からの攻撃に対する耐性、剛性の強化だった。
D世界では康太郎は二度死に、他にも二度死んでもおかしくない状況に追い込まれている。
康太郎は超人的な身体能力とは裏腹に、外部からの攻撃には脆かった――というよりも康太郎が受けてきた致命の攻撃とは、一発で常人を際限なく殺せるような威力過多のものばかりだった。
康太郎はこれまで徹底して回避、もしくはその攻撃を打ち落として迎撃するようなスタイルであった。
相性がかみ合えば、嵌る相手は本当に嵌る。一方的に弄ることも可能だ。
ところが、これが嵌ったのは同格以上では僅かに一回のみ。同格以上の相手ではすべての攻撃を避け迎撃することは出来なかったのだ。
それどころか、格下の相手にさえ、不意を突かれれば無様に殺される体たらく。
それでも結果的には苦難の状況を打破してきたし、死んでも蘇り、所詮は夢だからと無茶も出来た。
だが、R世界でのトラック事故の一件から、康太郎の意識は変わった。
何があろうとも、死なないと。
都合三回も死んで、ようやく得た覚悟であり、決意であり、教訓だった。
今更当たり前のことだろうと、笑われるかもしれない。
だが、当たり前のことを強く念じて実行することほど、難しいものはない。まして、D世界ではどれだけ強い力があろうとも、命を懸けた最前線に立つのだから。
覚悟を核にして、決意で骨格を、教訓で肉を……そうして出来上がるのは何があろうとも死なないという想い、今の康太郎の固有秩序を支える源だった。
滅多打ちにされても尚、立ち上がるのはこの想いがあればこそだ。
「……ぶっ……ぺっ、ぺっ」
気道に溜まっていた血を吐き出し、鼻に詰まった血を吹き飛ばす。
康太郎の意識が徐々に鮮明になり、目の前の相手を見据える。
薄手のジャケットこそ着ているが、その下はただのネグリジェ。
背中に九重、腰には九条。篭手を、具足を、胸あてをつけた完全装備の自分とは違い、キャスリンは起き抜けの格好だ。
そんな相手に康太郎は、いい様になぶられた。
決して油断したわけではない。それでも攻撃を捌かれ、地面に叩きつけられるという結果だった。
しかも叩きつけられるときは、単に力任せというわけでなく、キャスリンの所作にはどこか余裕と雅さがあって、何かの力に導かれるような感覚すらあった。
もしかすると、アレが相手の力も利用する合気と呼ばれるものかもと、康太郎は思った。
そして、やはり最悪の想定は当たるものだと、康太郎は自嘲した。
想定その1、キャスリンが本人も強い場合。
魔物を操るという力。仮にそれが固有秩序だとして、それしか能がない相手であるという保証は何処にもなかった。
大体が、康太郎でさえ理力の放出を覚え、身体能力に頼らずとも戦闘が出来るのだ。相手も一芸特化の一つ覚えであるとは限らないと思うのは、当然だった。
体を小さく震わせながら、康太郎は立ち上がった。見るからに満身創痍の体だが、目には力があった。
「なんだよ、滅茶苦茶強いじゃん、前島。絶対なんか習ってるだろ」
康太郎はニヤリとキャスリンに笑みを向けた。
「通信教育の合気道よ。日本は嫌いだけど、文化までは否定しないわ」
長い髪を掻きあげながら、キャスリンが言った。
「さて、キャスリン。せっかくの再会なんだ。戦いなんかやめて旧交を温めようじゃないか」
康太郎が気楽さを装って言った。本当は立っているのも辛い。
「指図するな。ココノジと深める旧交なんて、私にはない」
にべもなく、キャスリンは切って捨てた。
「それよりもココノジ、あんたは一体何者? バックには何がいるの」
キャスリンが険しい表情で、康太郎に詰問した。
「……その口ぶり。前島、お前、この世界が何なのか知ってるのか?」
「――聞いているのはこっちよ。答えなさい」
「……相変わらず可愛げのない」
康太郎は小さく吐き捨てた。
「何ですって……?」
「あーあー。バックなんているわけないだろ。大体なんだよバックって。お前こそどうなんだよ」
「ということは、天然のDファクターってこと? そんなの存在しえるの……?」
康太郎の問いには答えず、キャスリンは一人つぶやいた。
「一人でぶつぶつと、何言ってるんだ、前島」
「――その、前島って言うの、やめなさい」
「なんで。前島は前島だろ?」
「嫌いなのよ。その名前は。私はキャスリン=グッドスピード。あんたが知ってる前島キャスリンなんて愚かな子供は、もういない」
ぎらついた目で睨みつけるキャスリン。
美貌のにらみには異様な圧迫感が感じられた。
「俺にとっては、前島は前島だよ。こうして直に会って、それがよくわかった」
そんなキャスリンの圧力を意に返さず、康太郎はキャスリンの命令を突っぱねた。
「あれだけ痛めつけられて、良くそんな口が叩けるものね」
ため息をついて腕を組み、そっぽを向くキャスリン。
「はっ、むしろあれだけ好き放題やっておいて、俺をしとめ切れてない時点で、お前もたかが知れてるぞ?」
康太郎は半分はやせ我慢で吼えたが、半分は本気だった。
「言うじゃない……。いいわ、ならはっきりさせてあげる。今の私が、昔の私とは違うってことを徹底的に、そしてココノジよりも私が上であると」
キャスリンは組んだ腕を解いて、足の間隔を少し広くあけた。
「屈服させてやるわ。その方が調べるにも都合がいいし」
康太郎は、キャスリンの言葉に端々に違和感を感じた。
康太郎に対して、やけに敵意が剥き出しなのだ。
なにか恨まれるようなことでもあったろうかと思うが、そもそも大したエピソードなんてないはず。
しかし、それはそれとして、康太郎としてもこのままキャスリンと仲良し子良しというわけにはいかない理由もあった。
「上とか下とか知らないし。ただ前島、お前はちょっと説教だ」
腰を少し落とし、右手を前に、左手を腰元に添えて構えた。
「旧交とは関係なしに、俺はちょっと怒っている。痛みを知っているお前が、他人に痛みを与えるなんて最低だ」
仕掛けたのは、康太郎からだった。
~~~~~~
~~~~~~
「そおりゃ!」
康太郎が突進、ぎりぎり射程距離寸前で体を捻り、後ろ蹴りを突き出す。
キャスリンが身を半歩分ずらして、横に避ける。
康太郎は振り向きざまに裏拳。
キャスリンは、迫る康太郎の拳をつかみ、勢いを自身の力と合一させてそのまま地面へ投げつけた。
「ぐはっ」
地面でバウンドする康太郎。
しかし今度は受身を取っており、跳ねるように瞬時にキャスリンに拳を突き出す。
「無駄っ!」
またも康太郎のパンチがキャスリンによって合一され、康太郎は空中に舞い上がる。
「ふざけん、な!」
康太郎は空中で姿勢を変え、理力を噴射させて、一直線、キャスリンの脳天に向けて蹴り下りる。
キャスリンは、後ろへ跳躍して悠々と蹴りを避けた。
康太郎の蹴りはそのまま地を砕き割った。当たれば必倒間違いなしの一撃だが、キャスリンには届かない。
(うさんくせえ、何が通信教育だ。普通なら、受け流したりは愚か反応も出来なくらいだっていうのに)
キャスリンの合気は実戦レベルにまで昇華されている。卓越した反射神経と、相手の攻撃を見切るセンス、それを支えるD世界での身体能力。
武侠小説やマンガの類の絵空事を、キャスリンは見事に使いこなしていた。
(接近戦だと相性が悪い……だったら)
康太郎は、理力を集中させ、自らの周囲に無数の蒼い光球を出現させる。
遠距離からの弾幕ならば、回避も合一もされることはない。
「ファランクス、フルシュート!」
康太郎が腕を振り、蒼い無数の光の球がキャスリンめがけて一斉に射出させた。
キャスリンはその場を動かず、初めて腕を上に持ってきて構えた。
「ま、マジで?」
康太郎は目の前の現実に、思わず瞠目した。
キャスリンは、ファランクスによる弾幕をパンチで迎撃していたのだ。
触れれば肉が弾ける消滅の弾幕を拳圧で弾くという行為に康太郎は戦慄を覚える。
逆を言えば、康太郎もやろうと思えば出来るということなのだが、
弾幕がどういった性質のものか臆せずに拳を向けるというところに怖さがあるのだ。
「あんた、コメディアンにならなれるかもね。いい大道芸だったわ」
してやったりというような顔をして言うキャスリン。
それはこちらのセリフだという言葉を飲み込み、次の攻め手を考える康太郎だったが、
「もう手はないの? じゃあ今度はこちらから行くわよ」
受けに徹していたキャスリンが、康太郎との距離を一気につめた。
下手に手を出せば合気による手痛いカウンターが待っているので康太郎は恐れて手を出さなかった。
キャスリンは、ほんの少しだけ飛び上がると、鞭のようにしならせた右足を、上から叩きつけるようにして蹴りつけた。
康太郎は、避ける気だったがそのときに限ってダメージが祟ってか足がしびれて動けず、仕方なく蹴りをガードして受け止めた。
「うぐっ」
これがビックリするほど重く、ガードした腕に結構な負担が掛かった。
返す刀の如く、キャスリンは体を回転させて先ほど蹴った位置とは逆を蹴り抜く。
康太郎は、これもガード。キャスリンはその後も舞うようにキックのコンビネーションを康太郎に浴びせた。
康太郎は亀のように耐える一方だったが、不意に一つの蹴りを受け止め、足をつかむことに成功する。
「くっ……」
「リズムが単調になってたぞ」
康太郎はキャスリンの徐々に単調になっていくキックのタイミングを測っていたのだ。
「……すべすべだな」
にわかにキャスリンの顔が羞恥で朱に染まった。
「こ、このHENTAI!!」
無論、このままスーパーモデル級の足を抱え込んでいるわけには行かないので、
「喰らえ必殺――」
わき腹に足を抱えながら、康太郎自身は高速できりもみ状に倒れる。その回転に巻き込まれる形で、キャスリンも宙を舞い、
「おぁらぁ!!」
地面に回転そのままに投げつけた!
発案者のニックネームから名付けられたプロレスのオリジナル・ホールド、ドラゴンスクリュー、別名:飛龍竜巻投げである。
それをD世界での卓越した身体能力で行い、オリジナルの何倍にも洗練された形で極めることに成功した。
「く、ううっ……」
だが、キャスリンは頭を振り、四つんばいになりながらもまだ健在だった。
キャスリンはドラゴン・スクリューの瞬間、技の性質を理解し、康太郎の回転に逆らわなかった。結果として関節が無事に済み、投げによるダメージも、僅かだが受身を取ることに成功し軽減させた。
「疾っ」
康太郎は追い討ちとばかりに、四つんばいになっているキャスリンをサッカーのボールのように蹴り付けた。
そしてその瞬間、康太郎の視点は一瞬で天を向き、瞬間遅れてやってくる衝撃。
康太郎は蹴りを合気で取られ、投げられたのだ。
完全な体勢でもないのに、合気を実践するキャスリン。
だが、キャスリンにもドラゴンスクリューによるダメージはあり、すぐに康太郎への追撃とはならなかった。
空を見上げ、荒い呼吸を整えようとした康太郎に空を走る炎が目に入った。
「あれは……」
立ち上がり、康太郎は空を凝視する。
その姿に、康太郎は酷く懐かしさを覚えた。
まるで空を這うかのように体を躍らせている、長い長い体躯。
蛇は蛇でも、世界の名を冠するこの世の頂点にして想樹の守り手。
康太郎を一度は殺し、そのご紆余曲折を経て友情を築いた、D世界での初めての敵にして、初めての友。
「アンジェル……?」
西の大陸、想樹の傍にいるはずの王種・世界蛇アンジェルが、北大陸の空に君臨していた。
「なに、余所見をしてるのよ!」
キャスリンが、空に釘付けになっている康太郎の顔を横から思いっきり殴りつけた。
「えっ……?」
初めて康太郎にクリーンヒットしたとき以上の力でキャスリンは殴った。にも関わらず、康太郎は微動だにせず、変わらず空を見ていた。
「おい、お前……」
康太郎の声は震えていた。そこにはそれまでの軽さも余裕も一切なく、
「お前、なんてことしてくれたんだ」
康太郎は、キャスリンの拳を受けながらもじりじりと顔の向きを変え、ついには、その手をつかんだ。
「ちょっと、離しなさい、よ……」
康太郎の顔を見たキャスリンから言葉が消えた。
康太郎の顔からは、一切の感情が消えていた。目は虚ろで、なのにプレッシャーは膨れ上がっていく。
「アンジェルをここに連れてきたのは……アンジェルの心をお前は……」
「だ、だったら、なに!? 使えそうな奴が要るってティアケイオスから聞いたから手に入れただけよ!」
キャスリンは、つかまれていないもう一方の手で殴って抵抗するが、康太郎からは何の反応もない。
「お前、前島ぁ……」
徐々に掴んでいるキャスリンの拳がきしんでいく。並大抵の圧力では、傷つけることも敵わない拳が……
「い、痛い! 離せ、離せええええええええ!!」
悲鳴を上げるキャスリン、そして、康太郎は。
「俺の前で、一番やっちゃいけないことをしたな!!」
キャスリンの手を握り潰した。
「いぎ……ぎゃあああああああああっ!!!」
後ずさり、膝を突いて、極限の痛みにキャスリンは喘いだ
「アンジェルーーーー! なに操られてんだ、この駄蛇がああああああああ!!!!」
康太郎の慟哭が戦場に響き渡った。
お知らせです。次回更新は諸事情により来週火曜日以降を予定しています。お待たせしますが、よろしくお願いいたします。