第2部 第2話 期限は一週間
「……深く考えすぎるな。もうこれも日常だ」
入院患者用の個室の白い天井ではなく、木製の茶色の天井を見上げて康太郎は独り言ちた。
病院で眠りについた康太郎は、やはり当然の如くその意識をD世界へと移していた。
だがすぐにベッドから出ることはせず、寝返りを打って横向きになる。
(あ~でもめんどくさいことになってきたなあ)
康太郎は、両親の手前、今までのD世界に対する所感――楽しい――は正直なところを伝えたが、実際のところは若干憂鬱だった。
目が蒼くなるのはまだいい。髪が蒼くなるのは若気の至りとして通用する。
だが死者蘇生だけはない。断じて無いと内心恐怖している。そんな、カードゲームじゃないんだから。
無論D世界は楽しい。イメージどおりに体が動くのは楽しいし、それ以上のこともここではできる。
そして、人外と呼んで差し支えない力は、振るえることそのものが楽しい。
別に他者を圧倒する優越感に浸れるからではない。面白いおもちゃやゲームでひとり遊びする感覚。あれに似ている。
比較対象が無くてもいいのだ。ただの自分の行為に魅せられ没頭する。それは消費型オタクとしての内的なメンタリティがそうさせる部分もあるだろう。康太郎にはそれは否定できない。
だからこそ、人様に迷惑をかけ、注目されることはあまり好きではない。
<闘神ナイン>の名前がまだD世界で広がりが遅いのには、康太郎がそうならないように振舞っているからだ。
これといって拠点を決めない、お約束ともいうべき冒険者協会に所属もしない、すぐに街から街へ移動を繰り返す。
目立たないためのポイントは、情報を断つことだ。派手に動くことはこの際問題ではない。
力を見せびらかしたところで、足跡が追えないのなら問題ない。
無論、康太郎は細心の注意を配ってそうしてきたわけではなく、康太郎の目的と行動がうまくマッチした結果でもある。
もし注意を配ったのなら、五条との対戦も無慈悲に無視し、闘神とすら呼ばれることはなかったであろう。
そして……D世界の情報拡散力は、ネット社会たる現代のR世界とは比較にもならないほど低い。大陸を越えて連絡を取る手段が限られている世界なのだからそれも当然だ。セプテントリオンのような例外はあるにせよだ。
だから、R世界では話は別だ。どんな機密情報でも、注目を受けないような足跡でも、たどれてしまう世界だ。
故に、そうした世界においての蘇りなど、消費型オタクにとっては言語道断である。
もっともあまりに現実を超越した出来事は、嘘八百とされるため、実際には大したことは無いだろうが、しかし…………。
そんな風に益体もなく、ごろごろとベッドの上で考えていた康太郎は、扉が軋む音で動きを止めた。
「よく眠れたようね」
部屋の入口にアルティリアが立っていた。
「あ、ああ……」
アルティリアはつかつかと康太郎へと歩み寄り、
「……で?」
ずいっと康太郎の眼前に迫った。
「で、ってなにが?」
険しい顔をするアルティリアだが、康太郎には何のことだかよくわからなかった。
「あのねえ、悲壮な顔してヒトに魔法を使えってお願いしてきたのはどこのどなたでしたっけ?」
「あ…」
――そういえば言ってましたね、そんなこと。
アルティリアは康太郎の頭を両手でがっちりホールドした。
「さあ、話してもらおうかしら? どういう事情だったわけよ、昨日のアレは!?」
「待て、落ち着け、アティ。話す話すから、まずは顔を離せ、な」
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「夢ねえ……」
「あんまり気分のいい話じゃないだろ」
宿屋の朝食の席で康太郎はアルティリアに聞かせた。無論シンも同席している。
康太郎は、彼にとってはアルティリアたちと過ごすこのD世界は、まどろみに見る夢であるということ、その実際のところは別にして話した。
「確かに、私たちの存在がコウの夢の産物かもしれないなんて話、信じられるはずもないし、信じたくもないわね」
「ですよねー」
康太郎はアルティリアの顔色を伺うが彼女は無表情だった。
「でも、コウは。夢だからって、滅茶苦茶はやっても外道ではなかったわ」
「えっ?」
アルティリアはパンをちぎりながら続けた。
「今更それくらい言われたところで、ね……今後もコウが態度を変えるつもりないならいいわよ」
はい、じゃあこの話はおしまいと、アルティリアは変わらず食事を続けた。シンにはなんでもないただの戯言だとアルティリアはフォローする。付き合いの短い彼は前後の状況が把握できないため、アルティリアの言葉で一応の納得をした。
アルティリアの反応が淡白だったのは、ある意味では納得したからだ。一人異世界に迷い込んだにしては、康太郎に悲壮感がなかったことに。
普通言葉もわからず、まったく知識のない世界に迷い込んだらもっと不安がっていていいはずなのに、康太郎の行動にはそうしたものがなかった。ずば抜けた能力のせいというのもあったにせよだ。
行動としては拙速だったため、不安を表に出さないだけかと思っていたが、実際には毎日自分の世界に戻れていたのだから、悲壮感も何もないだろう。
康太郎が求めていたのは、元の世界への帰還ではなく、異世界転移の防止だったわけだ。
そうした理解から今回の話をまアルティリアがどう受け取るかというと<夢と思っていたけど実はそうでもなかったっぽいから急にビビりはじめました>というだけのことである。
これで康太郎が調子に乗って夢だからという理由で外道の限りを尽くしていたのならまだしも、そうではないのだから、アルティリアとして特に言うことはなかった。
むしろ、これで思慮深さが養われるのであれば、それに付き添う自分も安心できるというものだ。
康太郎との付き合いもさることながら、康太郎に合流するまでの空白の1ヶ月も含めて、アルティリアは精神的にはかなりの成長を遂げていた。
それは康太郎という埒外と付き合って度胸がついたということが多分に含まれているが、そうでなくても世界の広さを知ることは、彼女に劇的な変化を与えていたのである。
そのあたりの成長はある意味おざなりだった康太郎は、自分の告白を意に介さないアルティリアに肩透かしをくらいながらも、そういうものかと納得してパンに手をつけたのだった。
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「よし、ここでいいかな」
デクストラの港町の外れ。破壊されつくされ、ヒトが住むにはまだしばらくの時を要する開けた場所に康太郎、アルティリア、シンの三人は来ていた。
「あの、一体ここで何を? エールを取り戻す話は……」
この場所までつれてきた康太郎に、シンはおずおずと質問した。
「わかってる。だからこそ、今の俺達は力をつけなくちゃいけないんだ。特訓するぞ、二人とも」
康太郎は、シンの戸惑いを受け止め、それでもと今回特訓に至る経緯を説明することにした。
話は今から2時間ほど前、太陽が中天に差し掛かる前くらいのときだ。
「ようナイン、ちょっといいか」
相も変わらず瓦礫を撤去していた康太郎にタウローが声をかけてきた。
「なんです、タウローさん。俺は冒険者にはなりませんよ」
用件も聞かずにべも無く突き放す康太郎にタウローは苦笑した。
「いや、それはもういいって。お前さんが渡り鳥でいたいってのはもうわかってるよ」
ならばなにか? ただの力持ちの自分だが助けを必要としているヒトがいるならそこへ行くし、手伝うことがあるなら指示にも従うと康太郎は伝えたが、タウローはいずれにも首を横に振った。
「そうじゃねえんだ。お前さんが渡り鳥でありたいってんなら、ちょっと世界情勢って奴を教えておこうと思ってな。ちょっと事務所の方まで来てもらえないか、ここで話すにはちょっと長くなるし、な」
タウローは頬を掻き、少々ばつが悪そうに言った。タウローとはまだ会って1日2日だが、根は気持ちのいい人物であることを康太郎は知った。
そのタウローが話しにくそうにするということは、よほどの事なのだろう。
康太郎は、タウローの誘いを受け、事務所まで足を運んだ。
そこで聞かされたのは。
「北の大陸への総攻撃?」
「ああ、冒険者協会主導でな。有事の際、戦争以外で一国家にとらわれない緊急事態が発生した場合、冒険者には緊急クエストとしてこれに応じ、参加する義務が発生する。今回がまさにソレだ」
タウローが話したのはその緊急クエストにまつわる話だった。
タウローは世界地図を机に広げ北の大陸を指差した。
「お前も知ってると思うが、北の大陸は小国家群による覇権争いが盛んな……まあ言ってしまえば世界でも唯一戦争がある大陸だ」
D世界はその東西南北に4つの大陸があり、北以外の大陸にはそれぞれを治める大国が存在した。
東にグラント正統帝国、南にデクストラ・シニストラ連合、西に独立行政特区フツノを擁するフラジール共和国である。これらは俗に三大国家とも呼ばれる。
一方で北の大陸は、古の大陸分裂以前において唯一、ヒトの手が入っていない地域だった。
これゆえ、北の大陸は当時の人々にとっては夢を抱く新天地だったのだ。
そんな背景のある北の大陸は、かつての日本のように国家が乱立、時代の覇者をすげ替えながら争いの絶えない長い戦国大陸となっていたのだ。
そこへこの時代に一つの転機が訪れる。
キャスリン=グッドスピードの台頭だ。
彼女の来歴はとにかく不明、北の大陸に突如として表れ、魔物の軍勢を率いて各国家へ同時攻撃を果たし、瞬く間に北の大陸の全権を手中に収めた。
大陸の全勢力への同時攻撃を可能にした圧倒的なまでの物量の前にはいかなる戦術も意味を成さない。
数は力というそのシンプルにして大前提となる戦略を実現した彼女はまさに現代に現れた覇王だ。
そんな覇王が今度は各大陸への同時攻撃・ならびに宣戦布告を実施した。
これは<かつてのグラント帝の血脈を受け継ぐ我が帝国の元に全世界は統治されるべきである>と標榜する東のグラント正統帝国ですら実行をためらう大事件であり暴挙である。
この攻撃によりキャスリンが王種・征竜をも従えていることが判明し、各国の首脳陣は半ば恐慌状態に陥っていた。
あらゆる魔物を従えるキャスリンは陸に空、そして海の魔物も従えていると後に判明する。
こうした情報は未だキャスリンの実効支配が行われていない状態故に、各国から無事に集められ判明したことだった。
そして数日のうちに各国首脳陣の通信会談が行われ、とある一つの大作戦が決定される。
キャスリン=グッドスピードの暗殺だった。
だが、王種も擁するキャスリンに対し、数はそのまま力とは言い難い。
また、防衛力を削ってまでキャスリン暗殺に当てるだけの戦力はどの国も持ち合わせてはいない。
そこで提案されたのが、冒険者協会の精鋭による暗殺チームの派遣である。
「一応緊急クエストってことになっちゃいるが、実行部隊そのものはSクラスやAクラス、あとはエクストラランクといった上位ランクが大半を占めることになるだろうがな」
難易度は言うに及ばず規格外のEXランク。まず北の大陸に到達できるかどうかというところすら危うい、埒外のクエストだ。
「話はわかりましたが、それと俺に何の関係が?」
「キャスリンの件が落ち着くまで、各大陸への船は出ない。というかキャスリンの支配が現実のものになったら、旅なんてオチオチできない可能性の方が高いがな」
康太郎はここまで説明され、タウローの話を理解した。
つまり自分にもその緊急クエストに参加して欲しいと端的に言えばそういうことだ。
タウローが冒険者にと誘ったのは、緊急クエストがあったからだった。
旅人をするのなら冒険者協会に加盟し、その庇護の下で行うのがD世界におけるスタンダードなのだが、康太郎はそこから外れていたのだ。
冒険者ならば参加を強制できるのに、康太郎はただの流れ者だ。
そこでタウローは、キャスリンがいることによって損なわれる可能性のある<自由>を餌にしたのだ。
「……つまり、これからも旅を続けるのなら、クエストに俺も参加してその原因を取り去るのに協力したほうがいいってことですか?」
タウローは康太郎が意を汲んでくれたことに苦笑しながらも、すぐに真面目な顔に戻した。
「まあ、そういうことだ。平時ならまだしも、あの大群の中に突っ込んでいけるような剛の者は、喉から手が出るほど欲しいってのが本音だ」
無論、タウローの話には穴がある。キャスリンの支配が果たして
現政権のものより悪いものかということだ。
むろん、現在の統治の担い手にとっては悪魔のごとき存在だが、その庇護下にある存在はどうか。
例えばR世界の織田信長は覇王としての面もそうだが、優れた為政者としての才もあった人物だった。
キャスリンがそうした存在である可能性も否定では出来ない。力による征服が完了したその先、支配の安定した時代に突入したとき、今よりも民草が繁栄する可能性を否定は出来ないだろう。
だがタウローをして確実に言えることはひとつだけあった。
それは<今>という時から確実に自由が失われるということだ。
康太郎が冒険者協会に所属することすら煩わしく思う流浪の人物であるならば、船も出ない今の状況を良しとはしないはずだとタウローは踏んだのだ。
果たして、その思惑は正しかったのか。
「すみません、即答は出来ません。仲間とも相談しないと」
康太郎はタウローに頭を下げた。それはそうだろうとタウローも軽い調子で応えた。
「もちろんすぐに決めてくれなんて言えねえよ。だが、考えておいちゃくれねえか。一週間後にはこの街から船が出る。もし、参加してくれるのなら、俺達と一緒に来て欲しい」
話はそれで終わりだった。
康太郎は事務所からの帰り道で、自分達の置かれた状況と照らし合わせて考えをまとめていた。
アルティリアとシンと合流したそのときには、考えをまとめていた。
そして場面は、特訓をすると言い出した所に戻る。
「期限は一週間。それまでに俺達で3人だけで王種をなんとか捌けるくらいまでに鍛えるぞ!」
理力を解放し、王種を彷彿とさせるプレッシャーを当てられ、身震いするアルティリアとシンに、康太郎は言った。
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康太郎が部屋を出てから、しばらくの後、タウローは懐から縦長に四角い形状のものを取り出した。
それは、液晶と呼ばれる光で出力された絵を映し出す画面に、幾つもの押しボタンを併せ持つ……R世界で携帯電話と呼ばれるそれと酷似した機械であった。
「言われたとおりにしたぜ、参番星」
『ありがとうございます、これで彼の参加も確定します』