第49話 嵐、過ぎ去って
「あー服がまとわりついて、気持ちわりぃ……」
ばしゃ、ばしゃと海水たっぷりと含んだ服の重さとべた付きに得も言われぬ不快感を感じながら、俺は一緒に海に落ちた少年を担いで港まで上がった。
着衣水泳は辛すぎる。まして気絶している人間を連れて泳ぐなんて普通じゃない。存在超強化の恩恵が無ければ俺はとっくにキレていた。
とりあえず少年を仰向けに寝かせ、俺は呼吸を整えた。
未だに目を覚まさない少年。これは……。
とりあえず胸部圧迫をすることにする。心肺蘇生の定番、マウストゥマウス、人工呼吸は下手な素人はやらないほうがよく、むしろ継続的な胸部圧伏だけでも効果があるというような話を消防のお兄さんが言っていたな。
ま、俺もここで男相手にキスを捧げるつもりも無く、経験もないので止めておく。いや、イメージは出来るんだけど。
「……がはっ、ごほ、ごほ」
1、2分続けると、少年が息を吹き返した。
「おおう、生き返った生き返った」
微妙に焦点の合っていない目でキョロキョロする少年。
「こ、ここは……」
「あー、デクストラの港だよ。俺が誰かわかるか」
しばらくぼうっと俺を見つめる少年。そんなに見つめあいたくないのだが、しばらくして彼の目に理性の色が蘇ってきた。
「ごほつ、ごほっ、え、エールに手を出そうとした……」
そこまで彼が完全に覚醒した。勢いよく起き上がり、俺に詰め寄った。
「え、エールは? 征竜様にあの女は!?」
「さあ? とりあえず、退いてくれたみたいだけど」
悔しそうに唇を噛む少年。さて、そろそろいいだろうか。
「ところで君、名前は? 俺はナインっていう者だが」
「…………」
見るからに警戒している様子だ。
「おいおい、答えてくれよ。こっちは演技までして征竜の攻撃を凌いだんだぜ?」
「……シン。シン=フューラー、です」
「シン、か。じゃあシン、あの金髪お嬢様のことやら色々話を聞きたいってところだけど――」
俺は親指で後ろの町を示した。破壊され蹂躙された街の光景だ。
「瓦礫の撤去とかまずはそっちが先だな。もしかしたら生き埋めになっているヒトもいるかもしれないしな」
「え……?」
「この光景はエールだっけ? そいつも絡んでいるんだぞ。尻拭いをしてやるのは友達としては当然じゃないか?」
「エール……」
よほどショックなのだろう。シンはうつむくばかりだった。恐らくだが、彼は辛いことが、あのエールという竜のこと以外にも立て続けにあったに違いない。
だが、こうしてずっと気落ちしていてもらっても困る。
わけのわからないものに巻き込まれて手をこまねいているのは、俺にとってこの世界の存在そのものだけで十分なんだから。
俺はシンの首根っこを掴んで無理矢理立ち上がらせた。
「ぐえっ! な、何を……!」
「行くぞ、シン。悩んで悔やむのは後だ。今は体を動かせ」
その言葉は同時に俺自身にも言い聞かせる言葉だった。
俺だって、混乱しているんだから。
瓦礫をどかす。埋まっているヒトを助け出す。
すでに事切れているヒトもいれば、かろうじて息があるヒト、足や腕がつぶれているヒト……まあとにかく俺は体を動かした。
この世界における戦争行為というのは、現在北の大陸の小国家群における覇権争いを除けば久しく行われていないはず。
ただ魔物の突如とした大攻勢というのはありえない話ではないらしい。だが、今回のそれは明らかに人為的な要素が絡んでいた。
キャスリン=グッドスピード。街を見て回る一方でそこらにばら撒かれていた宣戦布告、そこに書かれていた名前。そして征竜に命じたあの時に聞こえた名前。
どこかで聞き覚えのあるその名前は、しかし記憶から引っ張りだすことは出来なかった。
これは向こうに帰ってからになるかなと思いながら、手を休めることはしない。
「よお、すげえ馬鹿力だな、兄ちゃん」
俺達が瓦礫をどかしていた一区画が綺麗になる頃に声を掛けられた。
くすんだ金髪に褐色の肌。鍛えられた体躯にプレストアーマーを着込み背中には剣を背負っている。
かすり傷や火傷のあとが見られる、どうもこの人物も魔物たちと戦っていたらしい。そして頭にちょこんと映えている虎耳からしてどうも虎の獣人のようだ。
「何か?」
俺は警戒心を隠さずに応じた。
「いや、こっちの方でお前に助けられたって奴から話を聞いてな。見た目ただのヒューマンが凄い力で瓦礫をどかしてるっていうから、どんなもんかと思ってちょっと様子見に来ただけのことよ」
男は警戒心を隠さない俺にも気さくに話してきた。
そして俺に近づき、右手を差し出した。
「俺はタウロー。この辺を活動拠点にしてる冒険者だよ。今は見回りをしてるところでね」
どうやら嘘をついているわけではないらしい、気持ちのいい人物と判断した俺は差し出した右手に手を取った。
「ナインです。あっちにいるのはシンで、俺の連れです」
「ああ、よろしく。しかしナイン、なんだか潮臭いというか服が濡れてないか?」
「ああ、これですか。実は海に落ちてしまって……」
あはは、と苦笑する俺。
「なのに、救助活動してたってのか。大したもん……」
急にタウローがこちらを品定めするかのように目を光らせた。
「お前さん、もしかして海の上であの魔物たちと戦っていた奴か?」
俺は少々驚いた。別に隠すことも無いので頷いて返した。
「ああやっぱり! 俺、目は冴えてるからさ、空を飛びながらバッタバッタ魔物をなぎ倒すから、最初は錯覚なんじゃないかって思ってたんだけど……。 お前さんが派手に暴れて魔物たちの注意がお前さんの方に行ったからさ。そのおかげで俺助かったんだよ。いやナイン、アンタは命の恩人だ!!」
なんだか凄く盛り上がっているタウロー。命の恩人と言われ、俺の心は何故だか不思議と軽くなるのを感じた。
「タウローさん、俺、実はシニストラからこっちにくる途中だったんです。それで仲間とヴァンガード・クラスタの事務所で合流することになっているんですが、場所を教えてもらっていいですか?」
タウローは一つ頷いて、ある方向を指差した。
「幸いヴァンガード・クラスタの事務所は無事でな、このまままっすぐ行ったところにある建物なんだが、臨時の避難所になってる。炊き出しもやってる――」
そこまで言ってタウローは申し訳なさそうな顔で俺に頼んできた。
「すまんが、人手が足りなくてな。出来れば、俺について一緒に見回りをしてくれないか? お前さんほどの力があれば、瓦礫の撤去も楽だろうし」
俺はシンを見る。一緒に瓦礫をどかすのを手伝ってくれていたのだが、流石に疲れが見て取れる。
俺の方は……
「へっくし」
風邪を引きそうだった。
「すいません、その前に着替えさせてください」
~~~~~~
~~~~~~
大きすぎてダボダボなタウローさんの服を借り、疲れていたシンを避難所に残し、俺はタウローさんと一緒に見回りをした。火災現場を鎮火したり、女の子を救出したり、女の子を救出したり、女の子を救出したり……なぜか女の子率が高かったが、そこは気にしない。
こう見えて、交通事故に遭いそうな女の子を救った経験もある俺だ。そういう星の下に生まれたのだろう。
結局落ち着いた頃には日が落ちかけていた。
正直、救出した段階ですでに手遅れというヒトもいて俺は無力さを感じていた。
例えば回復の術式でも使うことが出来れば、何か変わっただろうか。
それでもタウローさんには作業が随分捗ったと感謝された。
タウローさんの口聞きで、彼が利用している宿屋(多少の損壊はあったが、人的被害は無かった)の一室を使わせてもらうことになった俺は、シンを回収するために事務所に向かった。
事務所には多くのヒトが身を寄せ合っていた。その痛ましさ、テレビで見た避難所生活のそれと同じく、もの苦しい雰囲気に包まれていた。
シンを探して事務所を見渡す俺だったが、そこで俺の知った顔を見つけた。
怪我をしたヒトに魔法の簡易回復術式を施しているアルティリアだった。
彼女には念話でこの場所での合流を伝えたが、実はこれには大きな穴もあって、船がシニストラの方に引き返した場合だ。
事務所には魔導結晶を利用した通信機がある。これも実に高価な代物で一般には出回っていないのだが、緊急時には利用出来るらしい。
「アティ」
俺はしゃがんで治療しているアルティリアに声を掛けた。
俺の声に凄い速さで振りむくアルティリア。
俺の姿を確認すると無言で立ち上がり、彼女はつかつかとこちらに歩み寄ってくる。
そして――
「むぅ……!」
両の頬をぱちんと挟み込んだのだ。
「は、はふぃ?」
そのままじーっと俺を真剣な眼差しで見つめると、彼女はふっと力を抜いて俺にしなだれかかってきた。
「アティ、おい」
「よかった、コウ、生きてた」
ぐったりと力を抜いて俺に寄りかかるアルティリア。身長は俺と同じくらい高いのに、彼女は俺に比べて随分と軽い。
「勝手に殺すなよ」
「……征竜の、攻撃を受けて、海に落ちるコウを見たわ。とてもじゃないけど、冷静でいられなかった。死んだかと思った」
「演技だって」
「そうは見えなかったよ」
「だとしたら、俺の演技力も捨てたものじゃないな。将来の夢に役者を追加しておこうかな」
「……ばか」
アルティリア達の船は、魔物たちの撤退後、ひとまず目的地であるデクストラの港になんとか寄港したらしい。
その後すぐにヴァンガードクラスタの事務所に向かったがそこには俺の姿は無かった。そこで彼女は闇雲に探すのではなく、じっと待機することにしたそうだ。
負傷者の世話などは、流動的なもので見ていられなかったからだそうだが。
彼女は俺の<九重>や<五条>といった武具や他の荷物をちゃんと持ってきてくれていた。あのまま海に沈んだかと思うとぞっとする話だ。
流石に海底にまで探しに行く気にはなれなかったし。
「さて、シンを探さないと」
「シン?」
「ああ、ドラゴニュートの子なんだけど……」
いた、部屋の隅で翼をたたみ小さく体操すわりをしていた。
こうした所作は、世界共通なのだろうか。
「シン」
「あ……ナイン、さん」
「逃げないでくれてよかったよ。宿が用意できたんだ。とりあえずそっちに移ろう。ご飯も用意してくれているらしいし」
「あ、わかり……」
シンは立ち上がろうとしたところで動きを止めた。
「……どうした?」
「……あの、立てなくて」
きっと彼も疲れが噴き出したに違いない。
しょうがなく、俺はしゃがみこんで彼に背中を向けた。
「ほら、つかまれよ」
「え、でも……」
「いいから、君には聞きたいことが色々あるんだから」
おずおずと彼は俺の背中につかまった。
「あの、こっちのエルフのヒトは……」
「ああ、俺の仲間だよ」
「アルティリアよ。よろしく、シン」
アルティリアはシンに微笑を向けた。
「よ、よろしく、です」
どもりながら、挨拶を交わすシン。多分照れているのかな?
「なあ、アティ」
「何よ」
「俺って無力だよな」
宿屋までの道すがら、俺はアルティリアにはぽつりぽつりと、ただ漠然とした思いをぶつけた。
「どうしたのよ、急に」
「こういう光景はさ、俺の世界でもあるんだよ。でもソレは俺の住んでいる場所じゃなくて、もっと遠くの外国でさ」
とりとめもない思いが俺の中で渦巻く。詮無いことを俺は口にしている。
「元の世界では俺は、無力で。でもこっちじゃそれなりに力はあるだろう? 世界蛇だの、刀神だの、そういう連中と互角に渡りあえる程度には」
「……それで?」
アルティリアはただ、続きを促した。余計な口を挟まないでくれた。
「だけど俺は、勇者でも英雄でもなんでもない、ただの人間だ。ただのいち個人に過ぎない。だから、こんな風に思うことがバカな事だって言うのは、わかってる。それでも、俺は――」
「それでも?」
「こんな風になる前にもっと、俺には何かできたんじゃないかって思ってしまうんだ。ちょっと腕っ節が強いだけなのにな。自分でも不思議なくらいに悔しくてさ」
俺には何の使命も責任もないのだ。なのにこんな風に思ってしまうことは思い上がりの勘違い。
「そうね……それは、本当に思い上がってるわね」
「アティ?」
全てを話し終えたところで、ようやく彼女は口を開いた。
「確かに、コウは凄いよ。本当に。でも、やっぱりそれでもコウは、ただ一人なんだよ。一人なんだから、零れ落ちるものがあっても当然なんだよ」
彼女は俺を責めるでも諭すのでもなく、ただ純然たる事実だけを述べていた。
「だから……コウの手に余るようなことがまた起きたら、そのときは、私も手伝うわ。コウが零すくらいなんだから、私じゃ、力不足だってわかってはいるけど、ね」
そういって、彼女は俺に微笑んだ。
自らの未熟さを認めて、それでも尚、俺に手を貸してくれるという。
そんな風に言ってくれるアルティリアが、このとき俺にはたまらなく尊いものに見えた。
読んでいただき、ありがとうございます。
感想等お待ちしております。
また最近、別の作品も投稿しました。お暇なときにそちらもどうぞ。