第42話 潜行する知の万華鏡
迫ってくる黒い穴……というか渦? から逃げながら、俺はアルティリアを探す。
静謐な空間となっている図書館に、場違いに騒がしい空気。
途中何度か職員である高級司書達(貴重な図書館に勤める彼らはエリートである)に注意を受けながらも俺は走るのを止めない。
黒い穴は、職員や本棚の下を通っているのに、まったく彼らに危害を及ぼすことは無かった。
そして職員達にあの穴が見えている様子も無かった。
これは、まさか俺だけに見えているのか?
それにしても、アティは何処に……いた。
彼女はあくびをかみ殺しながら、本をパラパラとめくっていた。
って綺麗な奴が残念なことしてても綺麗に映えると思うなよ!
世の中には<孤高美人ほなみん>という図書館の女王様みたいな人だっているんだからな!!
「アティ! ちょっとついてこい!」
「え、何……きゃあああ!」
アティの腕を掴んで無理矢理同行させる。
「ちょ、ちょっとコウ。いきなり何よ!」
「アティ、後ろから来てる奴、わかるか?」
「後ろからって……え、なにあの黒いの!?」
アティには見えているのか? 誰かの攻撃か?
だが理由が見えない。アティが知らないところを見ると体系的な魔法の類では無さそうだし。
少々短絡的だが、虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うしな。
「アティ、俺これから、あの穴に飛び込んでみる。何かあったら、対策頼んだ」
「えっ」
アルティリアの是非も問わず、俺は、飛び上がりながら反転し、黒い穴に飛び込んだ。
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まさに、<万華鏡>か……。
万華鏡の書庫を探していたら、なぜか向こうからやってきた。
言葉にするとなんとも馬鹿らしいが、恐らくこの推察は正しいように思う。渡りに船でいい話じゃないか。
黒い穴に飛び込んだ俺は、まず初めに底なしの闇を通り抜け、次に灼熱の大地を、次に極寒の吹雪の中を、その次は風が荒れ狂う雷雲の中を、その次は……と、あらゆる光景の中を落ち続けていた。
戦火の中、怒号と怨嗟と一握りの欲望が飛び交う中を落ちた。
飢餓の中、絶望が染みこみ、褪せた色の空の中を落ちた。
革命の中、旧い世界が滅ぶことへの嘆きと新しい世界の誕生への喜びが交じり合った混沌の中を落ちた。
平和の中、穏やかな風をうけ、はぐくまれる友情と愛情の中を落ちた。
俺が見ているのは、一体、何の光景だ?
このD世界のか?
それとももっと別の妄想か?
次々と入り乱れ、押し付けられていく情報に、個を確立する境界線は乱され、九重康太郎という存在が希薄になっていく。
そうしてまるでまどろみにも似た感覚に身を任せる間際になってようやく、俺の落下は止まった。
眠りから覚めるような覚醒を果たした俺の目の前に広がっていたのは、乾いた空気のした本棚が立ち並ぶ静謐な空間。
所所に大きな木が生えており、まるで自然公園の中に建てられた図書館のようだった。
俺の考えが正しければ、この空間こそが万華鏡の書庫、その正体とでも言うべきものだろうか。
これらの本には、一体どれほどの知識が秘められているというのか。
ためしに手近にある本を取って開いてみた。
「はっ……なんだこれ」
白紙だったのだ。めくってもめくっても本の中身は全て白紙だった。
「ま、まさかな……」
嫌な予感がして、もう一冊、もう一冊と開いていく。
白紙、白紙、白紙である。
何がどうなっているんだ? ここは俺の知りたいことを教えてくれる万華鏡の書庫じゃなかったってことか?
俺の勘違いか?
これは、どこかの誰かの精神攻撃だとでも言うのか。
俺は本を見ることをやめ、この空間の探索へと目的を切り替えた。
ここが本物の万華鏡の書庫にせよ、何かの精神攻撃の類にせよ。
ここから出る手立ては、立てておく必要があるからな。
頭の中がちりちりする。何故か俺の中で燻りだした焦りが、俺に存在超強化を使わせた。
冴えていく思考の中、それでも、得体の知れない焦燥感が頭の中に残っていた。
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それは衝動といってもいい。
康太郎が黒い穴に飛び込んだ後、それを追う様にアルティリアも黒い穴に飛び込んだ。
アルティリアの心を常日頃からさいなむのは、置いていかれることへの漠然とした不安だった。
康太郎という男は油断なら無い。何も考えていないような顔で、ある日突然不意に消え去ってしまうような男なのだ。
この男の隣に並び立ち、同じ景色を見るためには、彼の言葉に従い安全な場所に立っているのではダメなのだ。
必死に喰らいついて、追いつこうとしなければならないのだ。
彼が王種に匹敵、いや王種そのものともいえる存在になりつつあるのは、一番傍で見ていたこの自分こそが良く知っている。
そんな彼に追いつくためには、多少の無茶など承知の上だ。
そうして深い奈落のような闇を抜け、数々の世界を落ちぬけて、たどり着いた先は。
灰色の地面、立ち並ぶ見慣れない造詣の民家。
道には何本もの石柱が立ち並び、その上部を黒いツタのようなものが結んでいた。
一体これらのものはなんだろうか。
しばらく歩くと、青い下地に、白い文字が書かれた看板が見えた。
よくわからない文字だ。矢印と数字はかろうじて共通しているようだが……。
このあたりは恐らく、何かしらの集落、あるいは居住区なのだろうことは推察できる。
ふと、人の気配がして、アルティリアは石柱に身を潜めた。
ここが安全な場所であるとは限らない。
まずは、この場所についての情報を集め、そして康太郎と合流せねば。
アルティリアはこちらに近づいてきた人物を観察する。
白いシャツに濃紺のズボンを来て、肩からカバンを提げてとぼとぼと歩いている。短めの黒髪に、顔立ちはアルティリアの知る、今では馴染みの、そして目標にもなっている少年のもので――。
「って、コウ……?」
アルティリアは身を隠すのをやめて姿を康太郎らしき少年の前に晒した。
「よかった~、なんとか合流できて良かったわ。それにしても、いきなりすぎてワケがわからないわ。どういうことか、ちょっと説明してよ」
アルティリアは康太郎を見つけたことで安堵した。
置いていかれる不安もあるが、一方で康太郎は変なところで義理堅いのも知っている。
彼は未熟なこの自分を紆余曲折がありながらも相棒と言ってくれた。そんな相手を簡単に見捨てることも無いだろう。
そう、思っていたのだが。
「…………」
彼はこちらの言葉に、何の反応も示してくれなかった。
「えっ、何よコウ。何か言ってよ」
もう一度呼びかけてみるが、やはり反応は無い。
――これは……無視されているというより、向こうはこっちに気づいていない?
試しに彼の体に触れてみることにした。
「あっ……」
アルティリアの手は、空を切った。
それどころか、アルティリアの体は、康太郎にそのものをすり抜けてしまった。
「なによ、これ……じゃあ、今の私ってなに?」
謎が深まるばかりだ。どうやら今の自分は、何にも触れず、認識もされない存在らしい。
ひとまずアルティリアは、この康太郎の後を尾けることにした。
そうしてしばらく歩いていると、康太郎と同じような格好の少年や、ブレザーにスカート姿の少女達が徐々に集まり始めていた。
彼らが目指すのは、一つの大きな建物だ。
「コウ、おはよう」
「おはようございます、康太郎君」
「……おはよう、九重」
康太郎に人が集まり始めた。どうやら彼は、やはり康太郎で間違いないようだ。そして彼に声をかけた者たちの気安さから、どうも彼らは気心が知れた仲らしい。
アルティリアはここに至り、ようやく一つの考えが浮かび上がった。
見慣れない街、いつもとは違う康太郎、そして彼の友人達。
それらはいつか、彼が語った異世界……彼の世界の話ではなかったか。
「ここはもしかして……コウの世界ってこと……?」
九重康太郎は異世界人……そんな最初の前提を疑っていたアルティリアに、いよいよ以って訪れたその証明の時だった。
<続く>
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