第40話 それはいともたやすく行われる
「ま、そこに座れよ。この暑い中、立ちっぱなしもないだろう」
そう言って、俺はベンチに腰を下ろし、空いているところをペシペシ叩いて、佐伯に座ることを強要した。
「は、はぁ……」
先ほどまでの断固拒絶の態度から一転して気楽に呼びかけた俺に気勢を削がれたようだった。
しょうがないだろう。これからする話は、俺の恥ずかしい黒歴史。
あんまり真面目に聞いてもらうと、肩透かし過ぎて、冗談にしか思えなくなるだろうから。
「さて、俺が恋愛恐怖症っつーか、人間不信になった理由だが……簡単にオチだけ言うと、アレだよ。ドッキリって奴」
あくまでさらりと、なんてことのないように言う俺。
というかそうでも言わなければ、あまりにも情けない話で、言い出すこちらも苦痛でしょうがないからだ。
自虐趣味は無いけれど、自分を貶めることで予防線を張らないと、恥さらしなどできそうに無かったのだ。
「ドッキリ……? ドッキリとはいわゆるあの、驚かせる仕掛けをして、その一部始終を観察するという、あのドッキリですか?」
「わざわざ丁寧に説明してくれてありがとよ。そのドッキリだよ」
あれは、今から3年前、中二病全盛期の14歳の頃。
俺は<無邪気な悪意>を経験したのだ。
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九重康太郎、14歳。秋。
3年後と比較して、諦めよりも苛立ちを燻らせていたその当時、彼は、とある女子に呼び出され、
「ずっと好きでした……わ、私と付き合ってください」
告白を受けたのだった。
その女子というのは男子の間でも可愛いと評判で成績優秀、スポーツ万能、優等生を絵に描いたような存在で、無論康太郎も可愛いと思っていた。
女子のコミュニティの噂でも特に悪い話は聞かない彼女のことを振り返って康太郎は<いわゆるアレが学園のマドンナって奴かもな>と自嘲する。
ギャルゲーや恋愛マンガのようなボーイズビーに密かに手を出し、憧れていた当時の康太郎はそんな優等生からの告白に舞い上がり、当然の如く彼女の告白を受け入れた。
この時の康太郎は疑うことをしなかった。言葉の裏に、影に、どんな思惑があるのか知ろうとしなかった。
タダより高いものはないというように、そんなうまいボーイズビーが転がっているはずもないと中二病全盛期の康太郎はついぞ思い至ることはなかった。
舞い上がった康太郎は、それはもう調子に乗った。
校内で彼氏彼女であることを公言し、二人手を繋いで帰ったこともしょっちゅうだ。
休日には、二人して遊びに出かけた。
所持金が心許なかった当時は、せいぜい映画館やウィンドウショッピングといったところが関の山だったが、それでも康太郎は必死に頭をめぐらせデートプランを考えたりもした。
そんな充実した日々が2週間程度続いた。
康太郎は理想に届かない苛立ちも、このひと時だけは忘れていた。
きっかけは彼女からの告白だったが、康太郎は本気であの女子のことを好きになっていた。
そしてそんな淡くも輝いていた想いは……盛大に打ち砕かれた。
冬休みも挿しかかろうというようなときだった。
クラスの有志により行われたレクリエーションで全てが明かされた。
多目的教室で流されスクリーンに映るのは、康太郎とその優等生。
あの告白シーンから始まり……二人の学校での様子や、デートシーン……そういったものが画像や、時には動画で一つのドラマのように編集されたものだった。
そして明かされることの全容。
コミカルな音共に、掲げられる看板。そこに書かれるドッキリの文字。
全ては、茶番だったのだ。
冬のレクリエーションに向けてスタートした、この壮大にしてバカバカしい映像作品は、単純に面白さを追及したエンターテイメントを目指して製作されたものだ。
金は無く、アイデアだけ。そのアイデアとてどこかで見たものであっただろうが、それでも製作の立場だった人間は真剣にこれを作った。
今のご時勢、人一人に情報を明かさずことを進めることは意外に簡単だった。メールやソーシャルサイトを巧みに使い、康太郎を情報から隔離し、それでいて、他の生徒にも情報を最小限に抑えた。
だから大半の生徒は、当初は康太郎たちのこと本気でカップルと思っていた。
そこから徐々に周囲に情報を拡散させ、ドッキリである事実を広げ、そして迎えるレクリエーションの当日に全てを明かす。
イベントは成功だった。
笑いが起こり、拍手喝采。
誰もがこの<喜劇>の主役であった康太郎をからかいながら、
しかし主役として評価したのだ。
反面、康太郎の心は冷め切っていた。
全てはまやかし。自分は主役だが、それは喜劇の道化として。
選ばれたのは単に都合がよかったから。ある意味で誰でもよかったのだ。
康太郎は叫びたかった。目に見える全てをぶち壊したくてしょうがなかった。
真っ白になった頭で、歪む視界、騒ぐ声はノイズにしか聞こえない。
相手役だった女子が康太郎に声をかけてきた。
「あはは、びっくりしたでしょ? 私もね、最初はただのやらせ企画みたいな感じで気が進まなかったんだけど、実はね、段々、本当に九重君のこと――」
康太郎は一瞬、ほんの一瞬だけ、それまで誰にも見せなかった顔をその女子だけに向けて見せた。
「…………えっ?」
女子は固まった。
ほんの一瞬で全身を恐怖が駆け抜けた。
女子は、この康太郎の変化の意味を悟る程度には優等生であった。
だが――
「ですよねー」
康太郎はにっこりと笑ったのだ。
途端、汗がどっと吹き出る女子。今の一瞬、感じたのは一体なんだったのか。
「んだよーもう、やっぱりこういうオチかよー? おかしいと思ってたんだよーー!」
明るく、なんでもないように振舞う康太郎。
悲しいかな九重康太郎は分別がついた。
ここで暴れて一人被害者ぶるより、皆が望む道化として演じることを選んだのだ。
そうすれば、このことは、ただの一つの思い出として風化していく、そう思って。
誰も悪意を持ってこの企画を進めたわけではないのだと、無理矢理納得させて。
そうしてドッキリイベントは、成功のうちに幕を閉じた。
一人の少年に確かな傷跡を残して。
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「まあ、概要はこんな感じ。本当は後日談がほんの少しあるんだけど、まあそれはいいよな」
俺の話を聞いた佐伯の顔を見てみる。
「…………」
表情が消えていた。えーっと、これはどういう感想を持っているんだ……?
「まあとにかくそういうわけで、俺は恋愛が怖くなりましたとさ。特に俺に告白してくる輩なんて、そうではないと思っていても、反射的に避けちまうんだ」
「…………」
「くだらないだろ、所詮はガキの遊びだ。けど、俺にとってはそれがたまらなくトラウマでな。それ以後、同じ中学の奴らは、全員敵に見えたよ。一時期は、マジで人間不信だった。表にはそんな態度出さなかったけどな」
「…………」
「今でも根っこは変わらない。恋愛なんていう深く俺の心に入り込むものを俺は恐れる、疑う。どれだけ相手が本気とわかっていても、それを拒絶する。怖いんだよ、自分の想いを裏切られるのが。相手を信じきることができない。だから線を引いて、一定の境界線から越えることはないのさ、俺は」
「……下種が」
佐伯から、なにやら物騒な言葉が。それまで聞いたことも無いような低い声で発せられた。
「康太郎君、その企画にかかわった人間の名前、教えてくれますか? 特に、その相手役になった女と首謀者を」
ゆらりと、赤い情念が立ち上るような、そんな印象だった。
佐伯の怒り方は尋常ではなかった。穂波さんに噛み付いていたいたのとはワケが違う。
「……いわねーよ、言ったら、そいつらを社会的に抹殺するくらいのことはやりそうだもん、佐伯は」
佐伯は首を横にふった。そしてにっこりと凄みのある微笑で、
「社会的に抹殺だなんてそんな。一族郎党、生まれてきたことを後悔させてあげるだけです」
もっと酷かった! 俺やっぱりとんでもない女に目をつけられちゃったよ!
なんだよ……ここだけ冬みたいに寒いじゃないか……。
「やめやめ、もう済んだ事だ。過去は変えられない。そいつらに報復したところで、俺の傷は癒えたりはしないよ」
「しかし、それでは康太郎君があんまりにも……!」
「ありがとな、佐伯。おまえやっぱりいい奴だな。あんなバカ話に怒ってくれるんだからさ」
やおら、佐伯は立ち上がった。
「当たり前ではないですか! 康太郎君がどれだけ傷ついたのかを考えれば!!」
「でも結局のところ、悪いといえば、そんなザルな企画が読めなかった俺が悪いのさ。そして怒りをぶつけずに、道化に甘んじたこともな……」
俺は目を閉じて一つ深呼吸をした。これで話は終わりだ。
「佐伯もわかったろ。そんな馬鹿な話のせいで、俺は人間不信で、恋に恐怖する臆病者だ。たとえ恋人ができても、俺は本当の意味でその人に恋をすることはきっとできないだろう。一時受け入れたって結局最後は疑って、疑って、信じることができないんじゃ、それは恋人とは言えないだろ?」
そう、お前が評価し、恋をしている男は、こんなに情けない男なのだ。
とっとと幻滅して、諦めて、俺から離れてくれ。
お前につりあう男じゃない。お前の想いに応えてやれる器もない。
この程度の、届かない理想に燻ってる愚かな男に、いつまでも執着してちゃ、ダメなんだよ。
「だからな、佐伯、俺はお前の想いを――」
受け入れられないと、続けようとしたときだった。
「――貴方は人との関係にまで、理想を求めてしまうのですね。なんて愚か。なんて夢想。ですが……権謀術数からむ人の暗部を見てきている私には、それゆえにまぶしく映りますよ、その心根は。……私が、貴方のそんな過去を、心のうちを知ったからといって、諦めてしまう安っぽい女だと思ったのですか、康太郎君は。そういうのをね、愚弄している、というのですよ」
そして俺は気がつけば、空中に放り出されていた。
スッと懐に飛び込んできた佐伯に投げ飛ばされたからだった。
……えー?
地面に落ちるまで、あとコンマ一秒。
どうやら、この勝負、まだ終わりそうにないらしい。
<続>
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