第3話 苛烈なる世界蛇
炎が踊り、氷雪が舞い、大地は揺れ、雷が疾る。
「アンジェル」の攻撃は苛烈を極めていた。
その攻撃パターンのバリエーションの豊富さといったら、技のバーゲンセールである。
やつの吐くブレスは、冷気だけにとどまらず、炎や酸といったものも吐けるようだ。
特に酸はほんの一滴でも付きようものなら俺の肉を問答無用で溶かして骨まで露出させておかしくない。
また、奴が使うのはブレスだけではなく、大地の遠隔操作もある。地割れを作ったり、隆起させたり自由自在だ。
俺はそれらの超自然的な力の脅威を横に飛び、後ろに飛び、上体をそらし、ゴロゴロ転がって、紙一重で避けていく。
そしてなんとか接近して、奴のドでかい胴体に俺の渾身のパンチが命中するのだが――
「ッ、痛ってええええええええーーー!!」
まるで鉄の塊でも殴ったかのような感覚。体の芯までしびれる様だ。
これだけの巨体だ。筋肉も、その外側を覆う皮やうろこにしてみても普通のそれでは無いのだろう。
ま、そもそも蛇を殴りつけた経験がないので、単なる憶測なのだが。
それにしても参った。こっちは相手の攻撃を一撃でも受ければ致命傷、というか死だ。だが、俺の攻撃は全く相手に通じていない。むしろ俺がダメージを受けている。
それでも俺は攻撃をやめることはしない。拳を痛めるのでパンチはやめて、手の平で打ち込む掌底に変える。蹴りも足裏のみを使うことにする。
拳による打突が直接的に相手を表層から傷つける外部破壊の攻撃ならば、掌底は相手の内部へと衝撃を伝える内部破壊の攻撃といえる。
しかし威力は分散するため、掌底による攻撃はちゃんと訓練した人間でなければ使いこなせない。
これは拳を傷めないための、防衛的な攻撃だ。
それでも素人なりに、足から腰、そして腕へ力を連動させ、ただの手打ちではなく全身からの力を集めるようにして打ち込んでいく。
そんな絶望的な攻防5分と続けているうちに、俺とアンジェルの周りは草木の生えない更地となってきている。
まあ、俺がアンジェルの攻撃を避け続けているせいなのだが。森林保護団体が見たら怒るだろうなあ。
(いくらやっても無駄だ。お主のか細い一撃など我には届かんぞ)
「はん、言ってろよ、駄蛇が。諭す前にてめえの攻撃を当ててみろってんだ」
売り言葉に買い言葉。俺ってこんなに口が悪かっただろうか。
ともあれ、確かにこのままやってもジリ貧だ。相手はまるで疲れた様子も見せていない。
相手の射程に圧倒的なアドバンテージがある以上、俺の不利は揺るがない。避け続けるにも限界があるしな。
だけど不思議なことに、俺はこれっぽっち疲れていない。全力の運動を続けているにもかかわらずだ。
普通100%の力を出し続けられる人間などいないはず。というか普段の俺だって好きな競技を除けば流す程度だ。
だが、そんな疑問も、
(あ、そっか。これは夢の中だったな)
こんな巨大な蛇を相手取るという状況そのものが極めて突飛でファンタジーだが、それを実際に体感している身としては凄まじいリアリティを感じているため、すぐにこれが夢であることが分からなくなるのだ。
だけど、疲れない体に、相手の攻撃に反応する速度、そして何より、冷静さを失わない何倍にも加速された思考。
特に三つ目が異常で、こんなにも頭が冴えたことなどない。根拠の無い万能感とでも言うべきものがいま、俺の中にはあるのだ。
俺は体を半身に構え、再び無謀ともいえる突撃を繰り返すのだった。
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私と兄は、森の中を全速力で駆け抜けていた
森の奥地で凄まじい「魔力」を感じ取ったためだ。
近づくにつれ、轟音が大きくなり、感じる魔力も強くなっていく。
「兄さん、これは……」
「こんなことができるのは、この森では王種、世界蛇様を置いて他にない」
「やっぱりそうだよね。だけど、もうかれこれ半刻以上は続いているのよ、この魔力の放出は」
「かの神域の世界蛇様は、無闇に力を振るわない方のはずだ。ならば、世界蛇様を怒らせるような何かがあったとしか、今のところは分からん」
「……まさか、王種を脅かすような相手と戦っているとか?」
「それこそ、<まさか>だな。兎に角我々は、今起きている事態を正確に突き止めなければいかんのだ、急ぐぞ」
「分かってる!」
私と兄は、風の魔力を操り自らの速力に変換、更に加速する。
そして目的の場所まで目視できると距離までたどり着いたときには、信じられない光景が広がっていた。
「うそ、なにが起こっているの……?」
森の一部分が見事になくなっていた。流石は王種だ。
だけど、今驚いているのは、そんなことではなかった。
「ギャアアアッッ!」
「うおおおおおおおおおおおおっ!!」
世界蛇様を殴りつける音が空気を震わせ、こちらにもその迫力が伝わってくる。
「……なんだ、あれは、子供、しかも人間なのか?」
世界蛇様の苛烈な魔法を掻い潜り、その王種の巨体と比べるべくもない細い拳が世界蛇様を仰け反らせているのだ。
「信じられん、俺は夢でも見ているのか?」
あの冷静な兄がここまで動揺しているのも珍しい。
だが、そうなるのも無理は無い。
しかも驚くべきはそれだけではない。
右にいたかと思えば左、左と思えば下。あの人間は瞬きする間に、その一瞬ではありえない位置へと移動しているのだ。
その現象に世界蛇様も対応できないのか、魔法を繰り出すこともできず、一方的になぶられているようだった。
「なんなの、これ……」
私たちはただ、この光景を見ていることしか出来なかった。
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いったい何が起きている。
我が、押されている?
この人もどきは、吹けば飛ぶような存在だったはずだ。
それは一度は証明されている。一度は我はこやつを喰らっているのだから。
奴の攻撃は、か弱い人の子のものだった。打ち込まれているかどうかも怪しいものだったはずだ。
それがどうだ、半刻を過ぎたあたりから徐々に、微かだが我の体が押される感覚が生まれているではないか。
そして一刻もすればそれは我に、確かな痛みを感じさせるものになっていた。
しかも奴は、我の魔法をすべて掻い潜っている。一刻にもわたり回避し続けるなどと……我は一切の手心も加えていない。
気がつけば、我は奴の姿を捉えることが出来なくなっていた。
我は、いったい何を相手にしているのだ!!
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何故か冷静に冴え渡る思考はこの馬鹿でかい蛇を倒す俺の姿を描き出している。
けれど、こいつを倒すには今の俺は圧倒的に何もかもが足りていない。
速度が足りない。強度が足りない。力が足りない。
だから俺は理想に追いつかない体に求め、命じる。
もっと速く、もっと剛く、もっと鋭く。俺の理想はこんなもんじゃない。
「はああああああああっ」
何度目になるかわからない掌底を胴体に打ち込む。
これまでの掌底は相変わらず硬い手応えしか感じられなかった。
しかし、今打った最新の一撃は少しだけ違った。
(へこんだ……? 軟らかくなっている?)
もう一撃を叩き込もうとするが、尖った氷の柱が降り注いで来たので、俺は後ろに飛んで避けざるを得なかった。
だが、この氷の柱もそれまでのものとは少し違っていた。
(あれ、遅くなっている……?)
この攻撃を避けて開いた蛇との距離がそれまでのものより少しだけ大きく離れていたのだ。
(この蛇、もしかして疲れてきているのか?)
俺の生存のための足掻きは概算で30分以上も続いている。
その間、奴はずっと俺に超自然的な攻撃を繰り返しているのだから、それもありえない話じゃないのだが。
だが、本当にそうなのか?
俺の体は相も変わらず疲れを感じていない。
――手応えを感じ始める掌底、遅くなっている攻撃、俺の無尽蔵の体力。
それぞれのファクターが俺の中でひとつの答えを導き出す。
(俺、強くなっている……?)
いや、ある意味それは当然かもしれない。
何故ならこれは俺の夢。俺の妄想の産物。そして今の俺自身も夢が生んだ妄想だ。
妄想の存在たる夢の俺が超人的な体力、反応速度を見せていたこの状況も不思議じゃない。
俺の抵抗が無駄ではなかったと思うと、俺の中にわずかな自信と勇気が生まれ、全身に活力が満ちていく。
そこからは加速度的に状況は好転していく。
俺の掌底も蹴りも、徐々に確かな手応えを得ていた。
「■■■■■ーーー!!」
手応えを得てからの何度目かの打撃――胴体に叩きつけた踵蹴り――で、ついに奴が傷みに苦悶の咆哮を上げた。
奴の攻撃も、もはや脅威ではなくなっている。
俺の理想を追随し、具現するこの体は徐々に奴の攻撃を凌駕する速さを獲得してその悉くを避けるだけでなく、攻撃にまで移行できている。
相対的な速度と俺の現在の加速した速度に適応する感覚が、時の流れを遅延していく光景を知覚させる。
もはや奴が俺を捉えることはできない。俺は遅延した時の中を通常の速度で動くのだから、相手にしてみれば俺は瞬間移動でもしているように感じているはずだ。
俺の打ち込んだ掌底に蛇がうめき声を上げ、高く跳躍し繰り出した俺の蹴りが頭部に炸裂して、その巨体を大きく仰け反らせる。
もはや世界蛇「アンジェル」は俺に打ち込まれるだけの巨大なだけのサンドバックと化している。
(もっとだ、もっと速く、もっと剛く、もっと鋭く!!)
頭に描く理想と徐々に体が一致する。パズルのピースが一つずつ埋められていくようだ。
しかし、流石10メートル超はあるかという蛇だ。通じるようになったはずの俺の攻撃を何十発と受けてもまだ意識を保って倒れることがない。
この蛇を倒すには奴が気絶しうる決定的な一撃が必要だ。
俺は一度アンジェルから距離を置き、呼吸を整える。
見ればアンジェルは人間の俺から見ても明らかに疲れている様子だった。もはや炎も冷気も飛ばしてこない。
(何たる戦闘能力だ……これは魔力によるものではないな。だが理力は感じるということは……お主は「固有秩序」の使い手とでもいうのか)
おう? なにやら新しいキーワードが出てきたぞ?
固有秩序と書いてオリジンと読ませる……俺の頭の中で響く奴の言葉は、正確に意図する言語を伝えるもののようだ。
しかしまあ、なんとも中二病っぽいネーミングじゃないか。うん、実に俺の夢らしい。
冴え渡る思考と強化された体がそれに当たるのだろうか?
(しかし、おぬしが何者であろうが……!!)
「■■■■■ーーー!!」
裂帛の咆哮とともに俺へ突撃してくるアンジェル。いかに疲弊していようが、その迫力は些かも衰えていない。
「フッ……さあ、決着をつけようか、アンジェル!」
ケレン味たっぷりに格好つけて宣言する俺。
現実じゃ理想に届かない俺だけど、せめて夢の中でくらいと思うのは、やはりヘタレの考えることだろうか。
けど、理想に限りなく近い動きができている今、これで燃えなきゃ、いつ燃えるって言うんだ!
上体を起こし、俺の斜め上から噛み付きを敢行するアンジェル。
俺は半身を屈んで右の拳と両足に力をためる。今の俺なら、拳でも通用するはず。
狙うは開いた口の下のほう、喉の部分。
放つは、格闘ゲーム3種の神技の一つの対空技。初期のころでは放てば完全無敵の昇り龍。
「ライジング――」
タイミングを合わせて、飛び上がり――
「ドラゴン!!!!」
同時に拳を天高く突き出して、アッパーカットをアンジェルにぶち当てた!
「■■■■■ーーー!?」
相手の肉を俺の拳が蹂躙する確かな手応えを感じ、飛び上がった勢いで、そのままアンジェルの体はほんの少し宙に浮く。
というか俺、今15メートルぐらい跳んでるんだよな……しっかり着地を決めて残心をとる。
相手がこれでも動くようなら、さらに攻撃を加える必要があるため、俺は警戒を解かない。
だが、アンジェルはどさりと大きな音を立てて倒れるとそのまま動かない。
「か、勝った……」
俺は両手を天高く突き出し、喚起の雄たけびを上げた。
「勝ったどーーーーーーーー!!」
裸一貫の高校生と巨大蛇の生存競争は、高校生の俺が征したのだった。
ま、夢なんだけどな。
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俺は倒したアンジェルに近づいて、様子を伺う。
これだけの巨体だし、生命力も凄い様で、一応生きているようだった。
うん、夢の中といえども、無益な殺生はしちゃいけない。いや、確かに怒り狂った当初は殺す気満々だったけど。
戦いの熱から冷めて冷静になると、とたんにヘタレ根性が出てきた。生き物を殺すとか俺は結構苦手なのだ。
そうして俺が倒れた蛇の巨体をペチペチ触っていると、
「■■■■■■■■■!!」
後ろから怒りのこもった高い女性の声が聞こえてきた。何を言っているかはわからない。
振り返って声の方を見ると、二人の姿が確認できた。
一人は弓を構える男性、もう一人は青く淡く光る右手を俺に向けている女性だった。
二人ともかなりの美形さんだった。
顔のつくりは北欧系だろうか? 体の線は細く、錦糸のような銀の長髪。こちらを見る顔は二人とも険しい。
二人とも若草色のシャツの上に胸当てをつけており、男性は白いズボン、女性は白いスカートと軽装だった。
だが、二人を最も特徴付けているのはその耳だった。
先が尖っていてとても長い。人間の丸っこい耳では決してない。
そんな特徴がある人間など、この世には、アレしかいない。
(え、エルフだと……! 流石俺の夢、露骨に俺の好みをついて来やがる……!)
もし実在するならば美形エルフさんとはぜひとも友達になりたいと思っている俺である。
外国の方々のエルフコスプレを見るたびに溜め息が出ちゃうのは俺だけではないはずだ。
「え、えーと、ちょっと、何ですか? その物騒なものを降ろしてほしいんですけど……?」
二人はまだ警戒を解かない。どうも言葉が通じていないようだ。
俺の夢のはずなのに、言葉が通じないとは。エルフに日本語は通じないとか、俺はリアル志向なのか。
俺は両手を上に上げて敵意がないことを示しつつ、彼らに近づいていく。
すると女性のほうが、急に顔を真っ赤にした。
なんだろう、羞恥と怒りが混じっているかのその顔は?
ふと彼女の視線の先が俺の顔ではなく、下のほうに向いている事に気づいた。
下?
……………あ。
――俺、全裸でした、てへぺろ。
「………………………………」
「………………………………」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーー!?」
「うわあああああああああああああああああーーーー!?」
俺、もうお天道様の下を歩けないよグスン……。
生存競争で勝っても社会的に負けてはお終いである。
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第4話に続く。
初のバトル回でした。チュートリアルのようなものです。
感想、お待ちしております。