第3部 第9話 秩序変性
康太郎は、重力と引力に任せて自由落下を続けていた。
その中で、徐々に思考が元に戻りつつあった。身体の方は血を失いすぎたショックでまだ動かせなかったが。
必死に、今ある能力を全て思考にまわして考える。
――なにあれ、マジやべえ、まじパネエ。五条で斬ってもなんとも無いし、所有権奪われるし、九重は斬られるし、ていうか樹殻棍・九重が斬られちゃうのかよ。やっぱ矛盾って矛の方が強いんだなあ、って九重は盾じゃねえな。アティはあれで、まだ全然余力がある感じだ。こっちもまだ出力は上げられるが、単純にそれだけで勝てるわけでもないよ、な。いっそ地球へ一旦逃げるか? 駄目だな、それじゃあただ先延ばしにしてるだけだ。状況の打破には何の力にもなりはしない。足りないな……いろいろ足りない。理想を描くには色んなものが、欠けてる。だからとりあえずは――
だんっ。
地面にぶつかる直前にくるりと回転して、康太郎は着地した。
「届かない理想を目指して、足掻いてみようか。昔を思い出して鬱になりそうだけど」
ゆっくりと降りてくるアルティリアを見つめながら、康太郎は闇に飲まれそうな自分を叱咤した。
***
……光は闇に飲まれても光であることに変わりは無いのだ。
***
「ふふふ、なにこれ、すごく楽しい」
康太郎が絶望的な差を埋めるべく奮起している一方、アルティリアそんな康太郎が愛おしくてたまらず、精神的には絶好調、最高にHIなテンションを維持していた。
康太郎と互角以上に渡り合えていることが、アルティリアには嬉しくてたまらない。
カーディナリィに師事するくらいだから、アルティリアにもバトルジャンキーの資質はある。
しかし、この場合は強者との戦いそのものより、康太郎の関心を、視線を、自分に釘付けにしているという事実が、アルティリアを興奮させていた。
なんという歪みだろうか。こんな歪みを作った康太郎は罪作りだが、問題は康太郎の性格だけではなかった。
エルフという種は、長命ゆえの弊害か性欲が薄かった。ないわけではないが、薄い。
性が薄いが故に、自身の恋愛にまつわる意識もなかなか育たなかった。
しかもアルティリアの育った里は閉鎖的環境な上に自制と使命を尊ぶ教育を施しているし、その上同世代のエルフは少なく、同族意識ばかりが育っていく。
つまるところ、アルティリアは恋愛初心者も初心者なおぼこなのであった。
百数十年物の■■である。
故に、康太郎に対する思慕と依存心が、異性に対する恋愛のそれというのがはっきりしたのは、実のところセプテントリオンとして活動し始めてからぐらいのものだったし、かと言って目的に向かって猛進している康太郎をすぐさま引き止めるほどの度胸も無い。自制が強かったのも多分にあるが。
戦闘で役に立たない分、それ以外のことでパートナーとして康太郎の力になれるのは嬉しかったし、そこで満足してしまっていたのも確かだからだ。
そんな積み重ねがアルティリアの闇を増幅させ、獏に後押しされる形で解放したのが、今のアルティリアだった。
正直なところ、こんな形で康太郎の関心を集めてもしょうもないことはアルティリアも重々承知していたが、もはや理屈ではなく、嬉しいのだから仕方がないと割り切ってもいた。
ほら、今も、康太郎の挑みかかるような視線がアルティリアに向かってくると、それを受けたアルティリアの鼓動が、とくんと高鳴る。
自身の心を極限まで抑圧し解放した結果、今のアルティリアは、女としてのある境地に至った。
つまりは欲情していたのだった。
恋が変じて性となり、性の求めが愛を深める。互いが切っても切れない関係ゆえに、アルティリアの精神は相乗効果で一気に有頂天へと駆け上っていく。
ほら、康太郎が無拍子を使って飛び込んできた。
***
世界最強位の武器を失っても尚、康太郎の戦意は健在だ。当然だ、真の彼のメインウェポンはその五体なのだから。
理力を滾らせたその拳、脚こそがこれまであらゆる物を屠ってきた彼の真打に他ならない。
だからこちらも応えよう。同じ技術を以ってアルティリアも突貫した。
奪った刀で迎え撃つのも手だが、ここはあえて彼と同じ拳で応戦した。
康太郎と同じ領域で、同等に出来ることを彼に刻んで欲しいから。
「うらああああああああっ」
康太郎の神速の拳が空を裂いた。
その一振りは至高、この世界のあらゆる武具を凌駕し煌いている。
軌跡を見れば畏敬を抱き、かすれば存在そのものに傷を負わせ、当たれば身体と心に風穴を空けて跪かせる。
本来は対峙も叶わぬその拳を、アルティリアは闇の手で弾き軌道をずらす。
間隙を入れずに康太郎の無数の拳が閃き、同じだけの拳撃をアルティリアは返した。
互いに直撃は無い。
弾き、捌き、避けて、詰み盤のように、通る一手を模索する。
一手外せば致命は必至、余波だけで木々は枯れ、森が死んでいく。
一見互角の攻防は、しかし、誰もが康太郎が劣勢だと気付くだろう。
「る、お、おおおおお、らああああああっ!」
終始顔を苦しげに歪ませて、汗を飛び散らせる康太郎に対し、
「はっ、やっ、くっ、なぁれえええええっ!」
歓喜で顔をほころばせて上気し、熱にほだされ艶やかなアルティリア。
極限の超上の戦いだ。
にも関わらずアルティリアの心には焦りも恐怖も微塵も無い。
互いの拳がぶつかり合った。
衝撃は空を割り、木々を薙ぎ倒して行く。余剰で発生した理力は時間当たりの魔力の変換量を軽く凌駕し、毒になりかねないほど。
「うあっ!」
そんな過剰な威力を乗せられた拳同士がぶつかれば、拳の耐久力を容易に越えるのは明白だ。
康太郎は一瞬怯んでしまった。
「うごぉっ……!」
だが、その隙は致命的。有情なアルティリアの返す拳が、康太郎の顔面を打ち抜いた。
アルティリアの纏う闇は、無の闇だ。無であるが故に、その衝撃も痛みも、アルティリア自身に届くことは無い。
一打の命中は、二打目三打目も招きこんだ。
「…………がはっ」
アルティリアの放った前蹴りが心窩を打ち抜き、身体ごと叩き込んだ膝が顎を捉えた。
肉を滅し、骨を砕き、心を蝕む。
健全な肉体に健全な精神が宿るというなら、その逆も然り。肉体が壊れれば、精神も破損する。
アルティリアの攻撃に乗って闇が康太郎の身体へ浸透し、肉体を喰らい無へと昇華し、そして心が朽ちていく。
「……まぁっ……まだぁっ!」
だというのに、次の瞬間には闇に侵食された康太郎の身体が輝き、闇が払拭され、肉体が復元された。
康太郎の固有秩序は、理想を体現し、理想以外を否定する。
だから、傷つくことなど論外だと、身体は現実の事象を否定し、健全な肉体へ回帰する。
そんな出鱈目が通じるのは、この康太郎だけだ。
奈落万華闇の闇を以ってして、未だこの男は、折れてくれない。
アルティリアにとってはそれが歯がゆいが、同時にこの至高の時間が楽しくてしょうがない。
ぎらついた目で見る康太郎は、獲物を狙う狩人だ。アルティリアは、狙われている。気を抜いたら、この男に食われてしまうのだ。
――だが、それもいいかもしれない!!
むさぼられるアルティリアは,肉をついばまれ、骨をしゃぶられ、ついには魂を嚥下されるのだ。
それはなんて官能的で、甘美なんだろう。それほど求められるのは、自分にそれだけの価値があると、認められているようでドキドキする。彼に突き立てられた牙の痛みは、女としての疼きを刺激し、満たすだろう。
そしてそんな彼を、自分もまた喰らうのだ。足らぬ足らぬと、飽きもせずに求めるのだ。
互いに己の一部を差し出し、相手の一部を得る共生関係。それこそまさに一蓮托生の姿ではないか。
ああ、愛しい貴方。私の闇に染ってくれないか。――そして私を愛しておくれ。
今度はどんな風に自分を康太郎に刻もうか、アルティリアは趣向を凝らそうと思案する。
(楽しい逢瀬もいいが、いつまでも彼を独占できるとは考えない方がいいよ)
だが突如、内なる声にアルティリアは冷や水を浴びせかけられた。
奈落万華闇――王種・奈落の獏だ。
***
(……そうね、ごめんなさい。少しはしゃいでいたわ)
アルティリアも素直なもので、獏に謝罪した。
彼女の高揚が、彼の力あってのものだとわきまえているからだ。
(あまり同じ舞台で遊びすぎないことだ。格上の相手だろうと同じ舞台でならば、彼は幾らでも対応し、成長し、凌駕するぞ)
アルティリアが歓喜に震える一方で、獏は冷静に康太郎を観察していた。
見ることこそが、彼の本懐だ。
康太郎は、アルティリアと獏の闇に蝕まれているにもかかわらず、気丈にも立ち上がり、対抗していた。
闇が覆っても、闇を払い、何度でも起き上がる。
その不撓不屈ぶり――この程度の闇など、知っていると言わんばかりでは無いか。
康太郎は、諦めることを知っているのだ。諦観の淵に立ったことがあるのだ。
固有秩序というこの世に奇跡の中でも更に特異で得がたい力を得て、あらゆる欲望を叶えられるはずなのに、それでも尚、届かぬ理想があると、この男は納得している。
ディストーション・デザイアとはよく言ったものだ。矛盾した願いを抱えて疾走する、それが己の本懐だと。
故に、康太郎を屈服させるには。意趣変えさせるには、闇をぶつける程度では足りない。
闇に堕とし、闇で塗りつぶすくらいことは必要だろう。
(位階を上げるんだ。彼は孵化したばかりの雛程度の完成度だが、それだけに餌を食らえば幾らでも成長してくるぞ)
獏の忠告に焦りはない。ただ厳然とした事実がそこにあるだけだ。
それはアルティリアの熱を冷ますには、それなりの効果はある。
獏自身にはこの先の結果に対するこだわりは無い。世界が変わろうが変わるまいが、彼はただ見つめていくだけのことだから。
しかし力を貸すと約束した以上、約束は果たす。約束とは契約であり、契約とは果たされるものだ。
(わかった……がんばるわ)
アルティリアの心が純化していく。闇に融け、闇に染まり、闇を広げていく。
勘違いしてはならないのは、闇は正邪ではないということ。清濁併せ持っての人種族であり、故に可能性がある。その可能性の物語を見たいと欲したのが、奈落万華闇の原点だ。
***
戦えば戦うほど、差を見せ付けられていくような気がしてならない。
康太郎の攻撃も、アルティリアには届いている。しかしアルティリアは怯まない。それどころか攻撃は苛烈さを増すばかりだ。
痛みは無いのか? 上限は何処なのか?
対して康太郎ははっきりと痛みを感じるし、肉体の復元だってストレスが非常に掛かるのだ。
痛覚は肉体の頑健さに比例して人のそれよりも遥かに鈍感だ。
だというのに、アルティリアの一撃一撃はすでに必殺の領域だ。それを受けた時のストレス、治す時のストレスは途方も無い。
確かに康太郎は超人とも言える力を手にし、万能にも似た異能を得ているが、あくまで九重康太郎という一人の日本人でしかない。
精神スケールがすぐに肉体のそれに追いつくはずも無く、また彼自身人間をやめて何かになろうという欲など持ち合わせていない。
他人から見ればすでに人間としての感覚がマヒしているように見えても、彼の中でははっきりとした線引きがあり、それを越えていないうちは自分はまだ人間のままだという認識だった。
「ちっ」
康太郎は接近戦を放棄して、遠距離戦へシフトした。
腕の一振りで、無数の理力の弾幕が生まれアルティリアを襲撃した。
「そぉれ!」
軽やかに避けながら、アルティリアも闇弾を連射する。
それら一つとして直撃は避けねばならない。闇弾は 存在を喰らいやみに取り込んでしまう。
康太郎は闇弾に同じだけ弾幕を作って対処した。
どうしても相殺しきれないものは、理力を纏った手刀で切り捨てた。
「くぅ……っ!」
纏う理力は密度をこれでもかと凝集させたもの。
少しの隙間があれば闇は、そこから康太郎の内側へこじ開けて入ろうとするだろう。
「康太郎、そろそろ観念する気になった?」
狂喜したアルティリアが、一気呵成に弾幕をものともせず五条で切りかかった。
「誰が!」
紙一重、薄皮に届くかどうかの距離で康太郎は斬撃を避けた。
見切ったがゆえの余裕ではなく、見切ってもこのタイミングが限界なのだ。
そして斬撃ばかりに気を取られてはいけない。
「ふうううっ」
アルティリアの使う剣術は、格闘術交じりの実戦的なもの。
剣も触れない超至近距離での当身や蹴りも駆使して、康太郎を攻めて立てる。
「このっ!」
せめて五条を受ける何かがあればまだ対処もしやすいが――
「せいっ」
アルティリアの蹴りが康太郎を捉えた。
「コウがどれだけがんばったって……」
「ぐおおおっ!?」
「全部無駄っ!」
康太郎の身体が飛ばされ、飛ばされた先の木々をなぎ倒して最後には岩山にぶつかり轟音をとどろかせて土煙を上げた。
***
「ごほっ、ごほっ……防御も出来ないのはつらいな……だったら、作ってみるか」
瓦礫をどかし、よろめきながらも立ち上がり、康太郎は手先に理力を集中させる。
「借りるよ、穂波さん――描け、描け、描け。想像し、補完し、導くのは、幼い少女の慟哭。犯され奪われる道程に打ち込む楔を欲した少女の願い」
言葉と共に紡がれるのは、康太郎の蒼ではなかった。赤黒い、紅の理力だ。
「理想模倣――秩序変性」
「み~つけた」
五条を手に、アルティリアが迫ってくる。
「ドライブ・エミュレート――造 物 主」
アルティリアが神速の刃を振り下ろした。康太郎の体を分断しうる一撃だ。
「えっ?」
しかし康太郎の身体に切り傷は出来ず、きん、と金属同士がぶつかる甲高い音が響いただけだ。
アルティリアが振り下ろした刃を遮る何かが、康太郎の手に握られていたからだ。
紅の片刃の剣、魔王剣・アビスシンガー。
魔王少女ラディカルこのはに登場する、近接兵器。
架空のものさえ現実に作り上げる、この力は康太郎の物ではない。
だが、理想を体現するD4ドライブを駆使すれば――思い込み、信じきることが出来れば。
「うっは、ちょっと強度が足りないかな……けど、借り物の理想じゃ十分及第点だ……!」
他者の固有秩序を再現出来ると信じた理想を作り上げることが出来れば、不可能ではない……!!
「……なによそれ、ずるい!」
「再現出来るつっても、ちゃんと理解出来てるのは穂波さんくらいのもんだが。他のDファクターの固有秩序は、やられる前にやれって感じで味わった時間が少なかったしな……って、ずるいなんてお前が言うな。さて、もうちょっと悪あがきを続けさせてもらうぞ」