第3部 第5話 初めての『あいたい』
そういえば、前回の投稿で100回目の投稿だったそうです(100話目ではない)続けられるのも、皆さんのおかげです
「ふがっ……!」
変な声が出た。
水鳥が康太郎へ恭順の意を示した後。即座に、一瞬で、康太郎が水鳥を背にして立ったからそれに驚いてしまったのだ。
「よく言った佐伯! ぶっちゃけお前はごねるかと思って気絶させようと思ったんだが、そうせずに済んでよかった!」
前提が酷かった。そんな風に思われていたのが水鳥にはショックだった。いつも貴方の水鳥だというのに。
水鳥は康太郎の背中越しに、やや呆然としてそれでいて羨ましそうな顔をした神木を見た。
水鳥と神木の視線が合った。
――ザマーミロ。あ、顔真っ赤にして。プークスクス。
「ところで、佐伯。この際だから言っておくが、お前が誘ってくれたクリスマスの話、あれな……」
こんな場で切り出すものかと、水鳥は少々意中の男に呆れた。
選ばなかった女に、配慮も何も要らないというのか。
そう、自分は選ばなかったのだ。
12月24日。もはや原典が何なのか訳がわからなくなるまで日本で化学変化し、俗物どもが浮かれ、美味しかったり、または生臭かったりな匂いに包まれるあのお祭り騒ぎに便乗して、水鳥は康太郎を食事に誘っていた。
水鳥は、指定したレストランで待つという内容をしたためた招待状を康太郎に渡していた。
そして結局、康太郎は約束の時間には現れなかった。待てども待てども現れず、結局閉店の時間になっても現れなかった。
他の誰かを選んだのか、誰も選ばなかったのか。どちらにせよ、自分が選ばれなかったということに変わりは無く。
「酷い人ですね、康太郎くん。わざわざトドメを差す気ですか」
「何言ってんだ?」
「私は、またも康太郎くんにフラれてしまいました。康太郎くんの隣が空席の間は、諦めるつもりはありませんでしたが……今回ばかりは流石に事情が違うのは、知っています。あの日に、他の方々からの誘いを受けていたこと、知ってましたから」
「知ってたのかよ。いや、そうではなくだな」
聞きたくない、これ以上、打ちのめされるのは。
いかに水鳥が強い女であっても、限度はある。あるのだ。
「あの金髪は、特に貴方のことについて個人的なこだわりを見せていませんでしたしためらいもなかった、ではやはり、穂波紫織子ですか? ええ、あの女の危険性は私が一番、わかっていましたから、こうなってしまうだろうなとも」
もう、視線も合わせられない。自分で話していて情けなくなってきた。
水鳥は、じわりと浮んでくる涙を止められず、けれども康太郎には見られたくなかったから、俯いて――
「おい、ちょっと待て!」
康太郎に両肩をつかまれ、思わず水鳥は顔を上げた。
目の前の康太郎の顔は、やはり最高だ。だが、そこに浮ぶのは若干の困惑だった。
「何、一人で突っ走ってるんだ。俺はただ、あのクリスマスの話を受けるって言おうとしただけだぞ」
「えっ……?」
康太郎は、何を言っているのだろう。
クリスマスは、当の昔に過ぎて、もう年の瀬だというのに――
「冗談はやめてください。だって……康太郎くんは、クリスマス、来なかったじゃないですか!」
「来なかったって……まだクリスマスは……」
おかしい。まだとはとはなんだ。
水鳥は、ここに至り、自身と康太郎の認識に徹底的な違いがあることに気が付いた。
「あっ」
それはどうやら康太郎も同じらしい。
「まさか、獏の中での時間が……主観時間がリンクしてる状態だから、地球ではクリスマスは、当に過ぎてる……?」
ぶつぶつと一部は聞き取れなかったが、康太郎の中では、どうやらクリスマスは未だ来ていないようであるらしい。
だったら、まだ、回答は出ていなくて、康太郎は水鳥のクリスマスの誘いを受けると言っていたから――ならば、
「あのー、そろそろ僕の方にも話を振ってもらってもいいかい? 隙がないから、仕掛けることも出来ないのだけど」
外野め、雑音を喚くな。今、大事なところなのだから――
「そうだな……とりあえず、佐伯。俺に従うって言うなら、今は大人しく地球に戻ってろ」
「そんな殺生な! 今、この事をはっきりさせずにして何を!」
思わず水鳥は、康太郎に抗議の声を上げた。
「だからはっきりさせるなら、こんな血なまぐさい場所じゃなくてもいいだろう。クリスマスに行けなかったことは謝る。クリスマスの埋め合わせは必ずする。だから、今は帰れ」
康太郎は言い放って、弾いた指を水鳥の額に当てた。
「あ痛っ」
瞬間、水鳥の意識は『D』から飛ばされてしまった。
***
水鳥が目を覚ますと、ADSシフターのカプセルの中で木野塚楼我が何事かを喚いていたのが目に入ったが、それよりも、
「あれ、これって、つまり、あれ?」
先ほどの『D』でのやり取りを振り返ると。整理するとだ。クリスマスは康太郎にとって何かしらの事情があっただけであり、水鳥の約束に応える意志はあって。
康太郎は、つまり、つまり自分を……?
「うそ……でも、だって、あれ?」
間抜けな呟きが口から出てしまった。望んだ結果だというのに、自分が一番それを信じることが出来ないとは。
ああ、やっぱりはっきりさせるべきだった。
無理もないじゃないか。だって、今までないがしろにされてきたのに、急にそんな、
「ああ、康太郎くん、これでは生殺しです。はやく、あなたに会いたい……」
変に期待を持たせてお預けだなんて、水鳥が選んだ男は、なんて罪作りだ。
これで甘えさせてくれなかったら、末代まで祟ってやる。
***
「まさか、彼女を選ぶのかい、コウ」
「……まあ、色々考えて、考え抜いて出した結論だし、未来はわからないし。とりあえず、今の気持ちに正直になろうと思って、要は、そういうこと」
神木はこんな珍事があれば、異世界の一つや二つ、あってもしょうがないなあと一瞬思った。
それは本題ではないのだが、やはり驚くほか無くて。
だが、先に現実の問題に引き戻したのは、
「それで、神木君はどうする? 佐伯の答えは聞いたが、君のは未だだけど」
康太郎だった。
「……僕は、君に従うことは出来ない。僕の帯びた任務は、君の身柄の確保だ」
「やっぱり、か。そう言うとは思ったけど」
康太郎は嘆息した。
「だけどコウ、身柄の確保といっても、その方法は僕に任されている。僕は君に乱暴な真似はしたくないんだ。だからコウ――」
「僕に従え、か。それじゃあ、平行線だな、神木君。俺が君に連れられて一緒に地球に帰るのと、君が自発的に退くのは、イコールじゃない」
ぴしゃりと、康太郎は神木の言葉を断じた。
「康太郎、君は地球では随分と暴れまわっているそうだね。君のこれまで行ってきたことやその経緯は調べが付いている」
「そりゃ、優秀だね」
「確かに一部の愚か者は君を独占しようと動いたのは事実だ。けれど、僕は、僕達はそんなことはしない。君の意志をないがしろにするつもりは無い。僕達は、歩み寄れる」
「いいや、無理だ。そんな余地はない」
「どうして――」
「この世界を食い物にしようとしてる連中の側にいる君と、何をどう、歩み寄れと? 俺は、地球で散々目に見える形で示し来たはずだ。D世界……君らの流儀ではADS、それから手を退けってさ」
「それは……」
神木は、康太郎との会話から、目の前の康太郎の変化をありありと感じ取っていた。
普段見せていた優しさ甘さ、そういったものが形を潜め、表層にあるのは冷徹さ、力強さ、確固たる意志。
遥かなる『D』が康太郎を変えたのかと思ったが、そうではない。これは、康太郎の裡に秘められていたものだ。
「俺は、かかる火の粉は払う。D世界を利用しようとする連中は潰す。それは、家族だろうと親友だろうと意中の相手だろうと、変わらない」
「……何が君をそうさせる。君だって、この『D』で力を得たからこそ、地球であんな派手な立ち回りが出来るんだろう? 僕らのやろうとしてることは、その恩恵をほんの少しでいい、違った形でも、世界に、地球に提供できたらと思って僕らは――」
不意に、康太郎から放たれる空気が一変する。
「冗談だろ。さっきの袋叩きにした馬鹿は、なにをした? こっちの世界の住人をゴミのように扱って……。割と、そんな人間は神木君たちの側では珍しくない。キャスリンや、他の送られてきたDファクターは大航海時代の植民地と同じように考えているよな、この世界を」
康太郎が、苛立ちを込めて地面を踏み抜いた。
亀裂が走って、大地が砕ける。
「まあ実際のところ、地球の人間は、こっちじゃ全員超人だ。俺もそうだし。そのエネルギーを何かしらの形で地球に還元できりゃ面白い話だし、究極的には星そのものを支配してしまえばいい。一人当たりの戦闘力は比較にならないし、こっちには地球にはない資源が山ほどあるだろうしな。だが、そんなの俺は認めない。この世界を荒らされるのは、俺が我慢なら無い」
「コウ、君がやっているのは、ただの独りよがりな独占だ。それじゃあ、誰も何も得られない。事業がうまくいけば、人口、エネルギー、医療、他にも多くの分野で解決や発展を見込めるだろう。これは一種の公共事業でもある」
「俺の良心を信じているか、神木君。だが、君の側から言っても何の説得力も無いんだ。俺がどうこうしなくたって、独占競争は起こる。誰がやったって、旨みを得るのは、ごく僅かだ。そうして誰もが恩恵を得られるのは、ずうっと先の話だ。それもほんのちょっぴり」
「そのほんのちょっぴりが大事なんだ」
「本気でそう思ってる?」
「……ああ」
「そこは即答できなきゃ。俺と相対するなら、少しも揺らいで欲しくないね」
康太郎は苛立ちをこめつつ、神木を鼻で笑った。
「コウ……どうしてそんなにまで、独りよがりになれる? 君は一体何を求めているんだ」
康太郎の意志は強すぎる。力があるとはいえ、社会が個人に対し圧倒的に優位である今の地球で、派手に動いて敵にまわすほどに。
神木にはわからない。友を、家族を敵に回してまで、何がそこまで康太郎を動かすのか。
「何って……言葉にすると陳腐だけど……でもあの気持ちが一番強いよな」
康太郎はしばし頭をかいて考えるように天を仰いだ後、胸を張って、
「俺のD世界を、誰にも荒らされたくない。誰にも触れて欲しくない。俺の宝物なんだ、この世界は」
「君は……君が一番傲慢で最低じゃないか。人のことを非難する前に、自分を顧みてよ。君は、この世界を私物化しているじゃないか」
「ああ、その通りだ。ま、他にももっともらしい理由はあるんだぜ? 不可抗力で、こっちに迷い込む人をなくしたいとか。でも、触れて欲しくないってのが一番の理由だ。俺だけがこの世界を食い物にしてうまい汁吸いたいからじゃないよ。この世界が、健やかに誰の手にもかからずに廻り続けてほしいってだけ。だから最終的には、俺もこの世界から手を退くつもりだよ。誰もがこの世界に不干渉。それぞれの世界は、干渉の無かった昔に戻って、世は事も無しと。それが俺の目指すゴールだ」
ははは……。
なんて、なんて愚かなんだコウ! 最後には自分も手放して……湧き上がる感情にしたがっているだけなんて! それは、なんて愚かで、そして……
「うらやましいな、君のそんなあり方は。僕には、出来そうもない」
「そうでもないと思うよ。今後は、そっちの家に挨拶に行くかもしれないし。君が自由に振舞えるようにしてあげようか?」
大胆に人の家に土足に踏み込んでくるような発言だ。まったく腹立たしいじゃないか、九重康太郎。
「余計なお世話だ、コウ。さて、そろそろ始めさせてもらおうか。聞く耳持たないというなら、僕は力ずくで言うことを聞かせるまでだ」
神木は、戦闘思考へ切り替えた。同時、身体からあふれ出すのは、黄金の気風だ。
「回りくどいんだよ、ならはじめからそうしとけって」
不敵な笑みを浮かべて、康太郎もまた身構えた。立ち昇るのは蒼い光。
「あらかじめ言っておくけど、君の身柄を確保しても、君の身体に乱暴な真似は決してさせないと誓おう。君の友人として、僕の尊厳と魂に誓って」
「それはもしもの時のための予防線か? 大丈夫だよ。神木君には、手加減はしないけど、後遺症は残さない。友達だからさ」
「余裕だね、コウ。その驕りは足元を掬うよ」
「いやいや、あの神木君を殴るんだ。余裕なんか無いよ」
「言っておくけど、君では僕には勝てない。僕の力はそういう力だ」
「関係ないね。俺は俺だ。俺の理想は、俺が決める」
そこからは、お互い言葉を閉ざした。互いの力と緊張が一気に膨張する。
神木の言葉は決してハッタリではない。神木が遥かなる『D』で得た力とは、まさに王者の力。
頂を自分以外に置かせない、そういう力だ。
言ってしまえば、強制レベルダウン。
どれだけの出力でも、何が相手でも、有機無機問わず、神木の能力を下回るように下げてしまう力。
康太郎風に名付けるならば、唯我独尊。それが、神木の力だ。
どれだけ相手が強大でも関係ない。神木の前では全て跪く。そういう神木の生き様そのものだ。
康太郎相手でも、この力は有効だ。いや、康太郎が強大であればあるほど、神木との地力の差があるほど、康太郎は十全でなくなるのだ。
満足な動きが出来ない焦りは、あらゆる動作にロスを生む。
そのわずかな差が、決定的に勝敗を分けるのだ。
彼我の差は30メートルほど。現状の力の有効範囲は、神木の位置から地平線までだから、すでに康太郎は神木のテリトリー内。
神木に言わせれば、こうして相対しているだけで勝敗は決している。
今からするのは、その確認でしかない。
康太郎が飛び出した。小細工は不要とばかりに正面からだ。
神木に友人を痛めつける趣味は無い。
一撃で意識を断ち切るべく、康太郎の一撃にあわせて神木は蹴りを放った。
勝負は、一瞬で決した。