第3部 第4話 サイレントファング()
音速超過、空気を切り裂いて、蒼い彗星が飛翔する。
康太郎の前から姿を消したアルティリアのことは、この時の康太郎の頭からは綺麗さっぱり抜けていた。
再会は確定しているのだから、そこで白黒ははっきりするだろうと。
西大陸の城塞都市へは、康太郎にとって実に半年近くぶりの訪問となったが、まさかこんな形であるとは予想外だった。
せめて、知己だった人々が無事であることを祈りつつ、康太郎は空を翔けた。
***
円形のスタジアムの外壁が、抉れたような壊れ方をしていた。
「きゃっはっはっはっはーー!!」
そしてスタジアムの中央に位置する試合会場では、多くの死体を量産した男が、高笑いを上げていた。
灰色に染めた髪を逆立て、派手派手なジャケットを身にまとった背の高い男だ。
品が無く、明らかにガラの悪い雰囲気をかもし出しており、康太郎に言わせると「ガイア系のDQN」である。
空から降り立った康太郎の姿を見ると、ヘラヘラした面のまま、康太郎に近づいてきた。
「へえ! ちょいと暴れてやればノコノコやってくるって調査結果通りかー。正義の味方気取りかよ、きゃはっ!」
「……ゲスが」
「あん? 何それ、何だそのセリフ。アニメと漫画の見すぎだっつーんだキモオタ」
――あ、駄目だコイツ。
争いは同じレベルで無いと起こらないというが。
決して受け入れがたい相手との間でもそれは起こるのだ。
相手は、天然ではなく、康太郎の事情を知った刺客としてのDファクターであるらしい。
ならば、何の遠慮も配慮も無く、ただ斃せばいいのだ。
「生死は問わないっつー話だったよな……じゃあ、とりあえず死んどけや」
男が康太郎に向けて手をかざした。
警戒してやや中腰に構える康太郎は――
「……ぐふっ」
気道を通って逆流してきた血を吐き出して、倒れた。
「はい、いっちょ上がりー。なんだよ、ラクショーじゃん」
***
倒れた康太郎の左肩から心臓付近のところまでが、何かに抉られたかのように削り取られていた。
悠然と向かってくる男が、うつぶせに倒れた康太郎の頭を踏みつけた。
「向こうじゃすげえ好き勝手やってるらしいじゃん? 正義の味方ご苦労様デスー。ヤバイ、超ウケるんですけど」
ぐりぐり。
「ま、そりゃあこんな力を手に入れたんじゃ、勘違いしたキモオタがはしゃぐのも無理ないわー」
げし、げし。
「けど、お前もやりすぎたわな。つつましくキモオタらしく、底辺の隅っこで大人しく画面の女に盛ってりゃいいのにさー。調子ノリすぎだから、俺みたいのが出てこなくちゃならなくなるんだよ」
うつぶせの康太郎を足でひっくり返して仰向けにする男。
焦点の合っていない康太郎の顔を男はしゃがんで覗き込んだ。
「ま、ここでゲームオーバーだ。これからはお前の身の丈に合ったモルモット生活が待ってるぜ? キャハハハ――」
ぴちゃ。
「あん?」
男の顔に、康太郎の吐きかけた。
「何してくれてんだ、このクサレキモオタがーーーーーー!!」
男は、立ち上がって康太郎に向けて手をかざした。
「原型は残せとか言われたが、もうそんなの関係ねえ、テメエは殺す! 殺して殺しつくして、百万回殺してや――」
『る』、の音と同時に、男のかざした手がひしゃげた。
***
「ぎゃ、――」
男は、汚い悲鳴を外聞も無く上げた。
手を庇うように身を屈め、地に屈した男を、康太郎は見下ろしていた。
すでに、抉られたはずの身体は綺麗に元に戻っていた。
「ここまでみっともなく悲鳴を上げたのは、お前が初めてだよ」
「て、てめ……殺す。ぜってえ、殺す、ころす殺すコロスコロスコロス」
殺すと念仏のように唱えながら、男は康太郎を見上げた。
すでに気が触れているようだった。元から気の触れたような男ではあったが。
男は、無事なもう一方の手を康太郎に向けた。
瞬間、男の腕が弾け飛ぶ。
「く――あ――」
男が痛みを認識し、悲鳴を上げるよりも。
――無拍子・八百万。
康太郎の零時間面制圧打突が男の全身を打ち抜くほうが早かった。
「…………」
男の身体は地面へ埋め込まれるようにして、あった。
全身が骨折しており、手足はあらぬ方向へ曲がり、顎は砕かれ、歯は折れ、その姿は見るに堪えない。
それでも男の意識ははっきりしていた。
「……ぁ……ぅ……」
喉も潰されているから、声も出すに出せない。
本当は――
(いてえいてエいてえいてえいていてえいてえいてえよおおおおおおおおおおお!!!!!)
激痛が、男に気絶さえも許さないでいた。
康太郎は、惨たらしく苦しめと思いを込めて拳を打ち込んだ。
D4ドライブ・ジェネレイトと呼ばれる業を持って、男を生き地獄へ陥れたのだ。
「指定した対象の物体を抉り取るオリジンか。さしずめサイレント・ファングってところか。玩具にしては、凶悪すぎる代物だよな」
康太郎は、地面に沈み込んだ男を見て、
「お前のその痛みは一生続く。それは向こうへ帰ってもだ。自分が仕出かしたことを悔やみながら、死に損なってろ」
康太郎は、青く輝く拳を振り上げ、男に向けてたたきつけた。
ずん、と大地を揺らした。
男は、蒼い光の粒となって、そして消えていった。魂は、地球へと送還されたのだ。
***
「……これで一人」
康太郎は大きく息を吐いた。
(危なかった。なんて殺傷力の高いオリジンなんだ)
D4ドライブに覚醒する前であれば、恐らく太刀打ちできないであったろうと、康太郎は推察した。 なにしろ、DQN男の固有秩序・サイレントファング(仮称)は、手を向けた瞬間に相手の身体を抉り取るという、応用皆無の破壊に特化した最低のオリジンだからである。
サーチアンドデストロイ、ファスト・ワンショットキル。
D4ドライブによる再生が無ければ、間違いなく初手で終わっていた。
そういう意味で、あの男は確かに強敵ではあったのだ。
「残りは二人、か」
しかし、どうも実行犯は、このDQN男のみであるらしかった。
なにしろ量産された死体は、すべてサイレントファングによるものだったからだ。
「ナビィの連絡では三人だったが……聞き間違いか?」
そう思った矢先、試合会場のそれぞれ別の入口から、血相を変えてやってきた二人の人物。
「あ……」
その二人を見て康太郎は一瞬だけ呆けたが、ある意味でここにいてもおかしくはないなあと思い直した。
可能性だけで言えば――推察でしかないが、穂波からの影響を考えれば――康太郎に近しいその二人はD世界に迷い込む候補にあがるからだ。
だが状況から言って、二人は天然ではなく人工モノで、おまけにさっきの男とはセットであるらしい。
だから、一瞬こちらを見て苦い顔をしたあの二人は、暫定的に敵なのだ。
「どうした、そんな顔をして。神木君、佐伯」
「コウ……」
「康太郎君……」
康太郎の友人たる神木征士郎と佐伯水鳥が、康太郎の敵として現れたのだ。
***
神木は、木野塚 楼我を御しきれなかったこと悔いた。
それは目の前で木野塚が生み出した多くの犠牲が横たわっているからではなく、木野塚のせいで友人から敵意の篭った視線を向けられているからだ。
少し目を放した間に、楼我は康太郎と一戦交え……その姿が見えないことから察するに康太郎は楼我を倒したのだろう。
それはいい。むしろ好都合。そもそも楼我の独断を神木は良しとしていないし、楼我ごときが、康太郎を害することが出来るなど露とも思っていなかった。事実そのとおりになっている。
神木は物心ついたころから羨望と賞賛と同時に、嫉妬を受ける人間だった。昔から、まるでこの世のルールに定められたかのように、呪いのように。ごく自然と『そう』だった。
誰も彼もが神木を持て囃す一方、そこには確かな嫉妬があった。そうで無ければ利用するという打算があった。
しかし、高校に入って、初めて例外が現れた。
それが、九重康太郎だった。
第一印象は中庸の趣味人かつ変人というもの。
しかしその人となりを知るうちに、きっかけさえあれば……彼に相応しい舞台があれば……化けるだろうと。そんなスケールの大きさを感じるようになった。
何より彼は、神木に嫉妬を向けなかった。
諦観から来るものではない。それを神木は眼中にないからだと悟った。同じ勝負の舞台に立っていないからだと。そのことが、まるで自分には価値がないのだと断じられているようにも思えた。
そんな扱いは新鮮でもあった。人は自分に無いものを他者に求めるというが。
故に、打算無い親交を求める康太郎に、神木は打算無く友誼を結ぼうという気になったのだ。
そんな唯一無二の友人が、自分に敵意を向けるなんて……なんておぞましくて嬉しいのだろうか。
それにしても、器の小さい楼我は、人の神経を逆撫ですることにかけては天下逸品と呼べるほどだったが。
楼我のせいで、康太郎は完璧に怒り心頭でといった風になっていて、その怒りを今は神木に向けているのだ。楼我の下劣振りは、それほどのものだったかと神木は心底嫌になる。。
康太郎から与えられる新しい刺激にある種の高揚を覚えたのは事実。しかし神木にとって康太郎との敵対は望むところではない。
神木には家の方針には逆らえない。情けないことに、神木であっても縛られ、不可逆なのが『家』なのだ。故に逆らえないのなら、そのルールの間でやりくりする。すなわち、逆に康太郎をこちら側に引き込むことが出来れば――。
そんなプランを考えていたのだが、楼我のせいで随分とハードルが高くなってしまった。
「何をしに、この世界へというのはやはり愚問なんだろうなあ、君たちには」
康太郎が言い放った。その色は哀愁。そこに神木は活路を見た。話が通ずるならば、まだ引き込むことが出来る。
「驚かないんだね、コウ。僕達が、この場所にいることを」
「驚いたよ、それはもう。まあ、だからそれがどうしたって、という感じだ」
その言葉に、愚かな希望を抱いた自身を神木は叱咤する。
「選べ二人とも。俺の軍門に降って大人しくこの世界から立ち去るか、大人しく俺の軍門に降ってこの世界から立ち去るか、二つに一つだ」
それは選択ではなく、強要と言うのだ。
「このまま、とりあえずお咎め無しに帰してやろうってんだから、いい話だろう? 殺された連中は、大体がフツノのファイターで、荒くれ者だが、そいつらにも親しくしている人間は必ずいる。そういう奴らからの恨み辛みは俺が引き受けよう」
この傲岸不遜な態度。これが、同じ舞台に立った康太郎なのか。
自らの聖域に立ち入ったものは等しく敵。大人しく従わないのなら迷わず排除。自尊心は肥大化し、しかし油断の類は一切持ち合わせていない。
唯我独尊でありながら冷静沈着。
まさに、神木にとって敵と呼べる極上の相手だった。
これは参った。実のところ、神木は今まで誰とも勝負などしたことが無い。相手はどうかというのはさておき、神木の中の認識ではそうだった。
例えばバドの全国大会などは、1年目の結果は周りの評判が上がりすぎても困るから調整しただけのこと。
適度な優秀さと頂点に届かない中庸さは、嫉妬を最小限にすると同時、ある程度の共感を得ることが出来るからだ。
惜しかったねと、次があるよと、アイツも所詮この程度かよと。したり気な顔で、わかったような気でいる連中の抱く優越感に浸っている様は滑稽で仕方が無い。
だが厄介なことに今のところ、神木にとってはそうでも、康太郎にとっては敵ではなかった。
二人の間には隔絶した差があった。
これはもう直感の部類に当たることだ。だが、神木たちの家は古くから、そういう直感に優れた家系であった。最近ではそのあたりの感覚が鈍くなった低脳が増えているのも事実だが。楼我などはその筆頭だろう。
すいちょう――水鳥が康太郎に一目ぼれしたのも、これが関係している。
水鳥はこの数世代の中でも特別この直感に優れていた。それは時に未来予知とも言うべきレベルに達することもある。
そういう意味で、康太郎に注目したのは恐るべきことであるし、慧眼だった。
家が極秘に暗部で進めていた異世界の資源開発事業……遥かなる『D』に最も近い存在に、既に唾をつけていたことになるのだから。
そんな水鳥は、康太郎の勧告に――
「はい、わかりました。私は康太郎くんに従います」
素直に従った。拍子抜けするほど、あっさりと。
その潔さが、この時ばかりは神木もうらやましいと思った。