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BLもの

首をさされたのはいつ?

作者: みどり風香

 もう夏か、と十重(とえ)は高く昇った太陽をあおぐ。桜が咲いたかと思えばもう花は散り、代わりに緑鮮やかな葉を茂らせている。そんな季節に、いつの間にかなっていた。のんびりと季節の変わり目を実感するが、暑さ寒さに強い十重でも今日の暑さはさすがにこたえた。そういえば、ここ最近は猛暑続きだった。民達の作物が傷みはしないだろうか。皆が暑さにやられてしまわないだろうか。神主の従者となり、民の模範となるべき権力者側にあるというのに、十重は常に働いている。もともと働くことが大好きで、労働に喜びを見出す少年なのだ。この暑さも、仕事が増えると思えば彼にとってはある意味で伊勢様のお恵みと感じられた。少し不謹慎かなあ、と十重は苦笑した。伊勢様、やはりほどほどにお休み下さい。

 境内の掃除が、ようやく終わった。慈神社(いつくしみじんじゃ)の神主に仕える身となってからもう五年ほど経つ。始めの頃は広い境内に辟易しながら、失敗を重ねつつのおつとめだったが、経験と学習のくり返しで、十重は慣れてきた。それでも、この広い境内と、やるからにはきっちりと完璧にやりたい性分が災いして、掃除はいつも時間が掛かってしまう。次にやることは、打ち水だ。この神社に参拝に来てくれる人々が、少しでも涼しさを感じてくれるように、主人が少しでも涼んでくれるように。十重は湯浴みのための浴槽へ向かう。桶に、昨夜の残り湯をくみ、その水を境内に撒いた。十重は口にこそ出さないが、常に誰かを思って仕事をこなす。その心遣いは、黙っていてもちゃんと通じる。決して押しつけがましい奉仕ではないからこそ理解してもらえるのだろう。桶の水を全て使い切る頃には、十重も涼しさを感じることができた。

 桶を倉庫に戻して、十重は急いで浴室に戻る。今度は、綺麗な水を浴槽に張らねばならない。湯を沸かす手間がないのは、少しだけ助かる。今日は、少しだけ忙しいのだ。水は、近くの川から拝借させてもらっている。川の住人の河童には、あとで礼を言わねばならぬ。河童は、川や湖に住み、水に憑いた穢れを浄化してくれる。河童の住む水の場所は、清められていて都合がよい。浴槽に必要なだけ水が入ったら、十重は主人を呼びに行かねばならない。自分に与えられた役目に忠実な主人のこと、一人ではとうていさばききれない山のような仕事を、時間など忘れてこなしているのだろう。自分の主人ほど、仕事熱心な人間もいないと、十重は半ば呆れていた。

 やれやれ、と十重は肩をすくめて浴室を出る。昼の鐘が鳴る前に、(みやび)をよばなければ。今日は昼下がりに訪ねるところがある。

 主人の雅は、仕事場である社務所で書類に目を通している。雅に最も近しい十重でさえ、よほどのことがない限りは、むやみに雅の仕事部屋へ立ち入ることはできない。十重が仕事場に失礼する時は、緊急の場合か飯の時間、あるいは急な訪問者が来た時くらいである。社務所の前に立ち、十重はまず声をかける。

「失礼します。十重です」

「ん。ああ、入んなさい」

「失礼します」

 雅は、十重と同じ年ほどの幼い少年である。神主というのは、人間と八百万の神々を繋ぐ役割を持っている。そのため、神主の任に就いている時は、その者の成長がきわめて鈍くなる。雅は十二ほどの年でこの神社を任されたらしく、成長も十二で止まっている。神主の装束は丈が合っていない。沓もぶかぶかで、歩いたらぺたぺたと音がする。

 この小さな神主は、自律精神が誰よりもしっかりと機能している。国をまとめる重役に就いているからだといえばそれまでだが、十重の記憶している中で、雅が公人から私人へと肩の力を抜いたところは見あたらなかった。決してうぬぼれなどではないが、雅に長年仕え、彼からそれなりの信頼を置いていると自負している十重としては、せめて自分の前ではただの人間として肩の力を抜いてもらいたかった。雅は、決して情に流されず、徳の精神を振りかざすこともせず、この千歳皇国(ちとせこうこく)の安全と繁栄のためならばどんな汚い手をも使う、人に嫌われることに関しては天才的で、血を浴びるのが大好きな嵐という神主を親友だと言って譲らない、そんな悪党じみた、神主らしからぬ神主である。雅は、神主と言うより、どちらかというと為政者に近い。雅には、一言の愚痴すら許されていないのだ。同じく仕事に行き仕事に生きる人間だからか、十重は彼がいつぶっ倒れてもおかしくない気がした。自分は、雅よりかはマシな方である。

「十重か」

 雅はちらりとこちらに目を向けただけで、再び山積みにされている書類に視線を戻した。今のが最後のものだったのだろう。雅はすくっと立ち上がる。あれだけの量を、朝から昼にかけての限られた時間ですべてこなしてしまっている。

 笑いもしなければ怒りもしない、凛としたこの表情に、十重は少しだけ惹かれる。見てくれは自分と同じ年ほどの、まだ幼い少年だが、その瞳には確かな強い心が宿る。まったく、年不相応な神主だ。

「もうじき、昼の鐘が鳴ります。今日は八剣神社(やつるぎじんじゃ)へ赴く予定ですから、そろそろ準備をされた方がいいかと」

「そう。もうそんな時間か。また失念していたよ」

 時間を忘れるほど、熱心だったご様子。それでいて、疲れを見せるそぶりがないくらいの我慢強さが兼ね備えられている。

「浴室に水は?」

「すでに用意しております」

「じゃ、水浴びしてくる。今日の訪問先には、穢れを持ち込んじゃまずい」

 雅は書類をさっと片付け、着替えと手拭いを持って来るよう十重に命じた。十重は「かしこまりました」と従った。従者には目もくれず、雅は浴室へさっさと歩いて行ってしまう。相変わらずだなあ、と十重は苦笑しつつ、社務所を出る。装束は、訪問用の装束を。手拭いは、綺麗に洗ってあるものを。いつもその辺も徹底している。どんなときでも公人たる雅に、適当な装束適当な手拭いは存在しない。しかも、今日は神社へ赴く日だ。従者として、自分のいい加減さで主人に恥をかかせるわけにはいくまい。


 手拭いと装束を脱衣所において、十重も浴室に入る。もちろん、一緒に浴槽に浸かるという恥知らずを行うわけではない。主人の背中を流すのだ。普段から、自分を触れさせない雅が、唯一十重に体を触れることを許すといってもいい。

「十重、背中流してくれ」

「かしこまりました」

 十重は快く引き受けた。洗い用の手拭いを水に浸し、雅の華奢な背中にその手拭いを這わせる。いつもきちんと結っている髪は下ろされていて、その先からぽたりぽたりと雫滴り落ちる。決して丈夫ではない貧相な体に滲んだ汗を、手拭いが優しく拭き取る。

「俺が神社を留守にしている間の番を頼む。あと、土産を持って行くから、城下で適当に食い物を見繕っておいてくれ。そうだな……あいつはうまければなんでも食うからな、羊羹でも買ってきてくれ。前に行った菓子屋の芋羊羹がいいな。あとは、自分でやるから、行って来なさい」

 一気にまくし立てると、雅は十重の手拭いを奪うようにして取った。もう、肌に触れさせてはもらえないらしい。かしこまりました、と十重は立ち上がる。

 礼をして立ち去ろうと、十重は再び雅に顔を向ける。

(……あれ?)

 十重は、雅の首の違和感に気づいた。十重の目のよさと、雅の日焼けしない白い肌とが手伝って、それがはっきり分かった。

「雅様、首、虫に刺されています」

「うん? どこ?」

 言われた雅は両手で首をぺたぺた触る。

「首に、何か所か」

 十重は失礼します、と一言断って雅の首の赤い痕を指でつつく。うなじの方と、頸動脈のある方とに、赤く腫れ上がったような痕が、何個も雅の首に浮かんでいた。

「おかしいな。別にかゆくもなんともないぞ。それにいつ刺されたんだ?」

「うーん。昨日の昼の着替えの時は、なかった気がします……」

「ということは、昨日の昼から夜頃にかけてか」

 雅は昨日の記憶を掘り起こす。昨日の昼から夜にかけての限られた時間、自分はそれほどまでに無防備に肌をさらして虫に食料を与えていたのか。どこにいたのか。

 あ、とふいに声が漏れる。

「思い出しましたか?」

「あれか……」

「あれ?」

「何でもない。……十重、時間は限られているんだ。早く買って来なさい。あとは俺一人でもできるから」

 主人の命令とあらば、これ以上ここにとどまるいわれはない。十重は一礼して、菓子屋へと足を急がせる。

 十重は心底自分の失態を呪った。今まで、自分の仕事に手抜きをするなんて今までなかったことなのに、いつの間にか主人が虫に刺されるという事態を招いてしまった。いつの間に、自分は仕事で気を抜くことを覚えてしまったんだろう。

 雅は肌を誰にも許さない。それは虫に対しても例外ではない。自分の気のゆるみから来た失態か、あるいは、よっぽど雅に気に入られた虫だったのか。十重は自分の失態を後悔し、夕餉の時間に主人に詫びようと考えながら、主人に命じられたお使いをきちんと遂行した。


 この赤い痕は、虫さされなどでは、断じてない。十重の防虫対策は完璧だ。おかげで、虫のうるささに悩まされることなく快眠できている。雅は完全に思い出した。最初は背後から、そして自分の顔から鎖骨へ視線をずらすように。あの時は、気持ちに余裕がなかった。多分、むこうも同じだろう。お互いにお互いを求めることだけが心を支配していた。首筋を啄まれた、あのぞくりとするような感覚が鮮明に蘇ってきた。自分の目線の向こうには、本能と欲望に忠実に従ったような表情で雅を欲するあいつが見下ろしていた。刺したのは、そいつだ。雅の中に自分の欲望を満たすのでは満足しなかったんだろう。あいつは、ただ自分を欲した。雅もあいつを欲した。「雅、雅」と理性をどうにかつなぎ止めて名を呼ぶあいつの顔が、今でもはっきりと思い出せる。

 雅は恥ずかしくなって、顔を手で覆う。顔から火が出るかも知れない。手拭いで体を包む水を拭う。

 きちんと神主の装束を着こなし、髪を整えて、雅は無性に顔が熱くなるのを感じながら、十重にどうやっておまえは悪くないと言えばいいか悩んでいた。

「背後をひっかいたのはだれ?」の別視点のお話です。露骨に書くよりぼかして書くとかえってそれっぽくなるのは、あれやこれやと妄想がふくらむからなんでしょうね……

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