「金を貸してくれないか?」と手のひら返しで要求してきた継父へ 、五年間、陰でこの国を救っていたのは私です〜帰還した騎士団長が私の成してきた事をバラす隣で地に落ちる準備はよろしいですか~
ヴィオラとセレナが修道院へ送られてから、三日が経った。
廊下を歩いても陰口が聞こえない、食堂に行っても値踏みの視線がない.......
五年間ずっと纏いついていた重たい空気がするすると剥がれていくようで、正直なところ、まだ少し落ち着かなかった。
幸せに慣れるというのは、案外時間がかかるものらしい。
「お嬢様、朝食のご用意ができております」
マーサが運んできたトレイには、ふかふかのパンと温かいポタージュ、それから色とりどりの果物が並んでいた。
見ているだけで少し目が潤みそうになったのは内緒にしておこう。
「……随分と豪華ですのね」
「当然です.........今まで硬いパン一枚だったんですから、これで元がとれるかどうかというところですよ」
有無を言わさない顔で椅子を引かれたので、私は大人しく座って一口目を食べた。
「マーサ........これを毎日食べていいんですか?」
「当然です。これが普通の令嬢の朝食というものなのですから!」
「私、今まで普通の令嬢ではなかったんですね」
「今日から普通の令嬢へと昇華したのでご安心くださいませ」
「そんなかっこいい言い方は私には似合わないわ」
そんなことを苦笑混じりにマーサへ告げると、突如ノックもなく扉が開いた。
「リーシェ.......少しいいか?」
ーーーー父だ
アーレンス公爵家当主.......アルフレート・フォン・アーレンス。
白髪の混じった鬢を持つ、背の高い男だ。
かつては凛とした威厳のある人だったはずだが、今目の前にいる父はどこか縮んで見えた。視線が定まらず、私の顔を見ているようで見ていない。
その落ち着かなさが、なんとなく滑稽だった。
「どうぞ、お座りください」
「……ああ」
父は椅子を引いて向かいに座り黙っている。
急かすつもりはなかった.........急かしたところで何も変わらないと、もう知っていたから。
「ヴィオラのことは……知らなかったんだ」
父がようやく口を開いた。
一言目が言い訳とも言えるような言葉なのか.....そんな失望とも言える感情が浮かぶ。
「........存じておりますよ」
「お前が苦労していたことも、財産を使い込まれていたことも——」
「存じておりますと言っているのが分かりませんでしたか? .........お父様」
父の顔がかすかに歪む。
謝罪の言葉でも来るのかと思い、待っていると父は少し間を置いてからこう言った。
「それでだな........リーシェ」
「なんでしょうか?」
「あ、あ、......あの」
「そこまでの若輩者にまで落ちぶれているとは、いささか思ってもいませんでした........自分の言いたいことすらまともにいえなくなってしまったんですか?」
「.........本当に軽い頼み事なんだ。なんの心配もない軽ーい頼みだ.......」
「.........」
父は両手をぎゅっと握り締める。震える指先が今の立場を何より雄弁に物語っている。
「……その、リーシェ.......」
名前を呼ぶだけで喉が詰まる。昔は命令するだけで済んだ相手に、今は頼みごと一つすら切り出せない。
「……噂を耳にしたんだな........司法長官から聞いたぞ。お前が領地を立て直していたとか、国境に物資を送っていたとか」
「ええ、まあ、それは事実ですが? それがどうかしたのでしょうか?」
「.........なかなか優秀じゃないか」
「……お褒めの言葉はありがたいですが、本当にそんなことを言うためだけに私の元へ来たと?」
五年間、硬いパン一枚で生かされていた娘に向かって、開口一番「優秀じゃないか」とくる父親がどこにいるのだろう......?
なかなかの強心臓を持っているじゃないか。そういうところは娘や母親もあったからな.......類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
「.........本題に入ろうか」
その一言を口にした瞬間、父は自分の誇りが音を立てて崩れていくのを感じていた。
「金を貸してもらえないか.......?」
部屋の空気が五秒ほど完全に止まり、マーサが持っていたお盆が小さく傾いた音がした。
「……今、なんとおっしゃいましたか?」
「だから、金を貸してほしいと言ってるんだ!! 南の別邸に移ろうと思っているんだが、ヴィオラが財産を使い込んでいたせいで手元が苦しくて——」
「お父様........少しよろしいですか?」
「........なんだね」
「今日いらしたのは謝罪のためではなく、借金の申し込みのためでしたか」
「い、いや、借金とまでは........というかそれだけではなく——」
「ではそんな醜い言い訳なんかよりも、謝罪の方を先にお聞きしたかったのですが? そこについてはどうお考えでしょうか?」
「……それは......俺は何も関係なくてだな.......」
「まだ言い訳を積み重ねますか? ただ、謝罪より先にお金の貸し借りの話が出てきたので、順番として申し上げているだけです。先にどちらをなさりたいですか?」
父が、初めて言葉に詰まった。
「私が昨日まで食べていたのが、硬いパン一枚だったことはご存知でしたか」
「……それは、ヴィオラのせいで.......」
「三年前の冬、高熱で三日間一人で寝込んでいたことは?」
「…..知らなかったんだ.....本当に悪気はなくて....」
「医者を呼ぶお金はヴィオラ様が管理していたので、マーサが自分の財布から薬を買ってきてくれました。お父様はその時、王都で夜会に出席されていましたね」
「……」
「若い女性とのお酒はさぞ楽しかったことでしょう......女性の胸とお尻ばかり追っているような人に大黒柱の資格などあるでしょうか?」
「語弊がある言い方はやめろ!!! 親に対してその口の聞き方はなんだ!? 少し言わせておけば......」
「では.......二年前の夜会で、私が継ぎ目の粗い古いドレスを着て壁際に一人で立っていたことは?」
「……それは、セレナにそうしろと言われたんだ! 俺はやめろと言ったんだが、聞かなくて......」
「ええ.....そのドレスを着た私をお父様は一度だけご覧になって、鼻で笑ってくださりましたものね?
目が合いましたが、三秒後には隣国の王女様の方を向いていらっしゃいました....記憶にありますか?」
「……王女に呼ばれて仕方なく行ったんだ!!」
「いやはや.......おじさん構文でしたっけ? ああいったものが実在するとは思いもしませんでした。王女様はさぞ気持ち悪がられていましたよ? もはや尊敬の念すら覚えますわ」
「......っ、こいつめ.....養子のくせして.......」
「それらを全部踏まえたうえで、お父様は今日初めて私に会いにいらして一番最初に言いたかったことが『金を貸してくれ』だったわけですね?」
「……言い方が悪かったな」
「言い方などではなく、倫理感から学習し直してみてはいかがでしょうか? おすすめの協会を紹介しますよ?」
「……」
「娘を五年間放置して、その娘が優秀だったと知った瞬間にお金の貸し借りを申し込む。お父様......それを他人にやられたらどう思いますか?」
「……最低......だな」
「正解です!! 私もそう思いますわ。そして.......それが今のお父様なんですの!」
父が顔を両手で覆った。
「まあ、そんな話は置いときまして.......整理しておきたいことがあります」
「……なんだ......?」
私はポタージュを飲み干してカップをトレイに戻し、帳簿を書棚から取り出して父の前に開いて置いた。
「この三日間で司法長官と公爵家の財務整理をおこないました。ヴィオラ様が横領した分は国庫への返済が必要ですが、私が五年間、夜中に密かに動かしていた別口の資産で概ね賄えます」
「夜中に……お前がそんなことを......?」
「誰かがやらなければなりませんでしたのでね。領地の収益改善分と、国境への支援物資の返礼として入ってきた資材の換金分も合わせると、公爵家の財政は思ったより健全です」
「俺が何もしていない間に、お前が一人で——」
「お父様.......私が一人でやった、ではなく、私がやらざるを得なかったのです。受け身と能動では意味が全然違いますので注意のほどを」
「……それで......あの........金は結局ーーー」
「まだそこに戻りますか? 」
「いや……一応、返事を聞いていなかったと思ってだな........」
「お父様.......別邸の維持費は公爵家の経費として出します。ですから借りる必要はありません。ただし、使途の確認と金額の決定は私がおこないます」
「……俺が、お前の判断を仰ぐ立場になるということか.......?」
「ちょうど、五年前にお父様が私に『ヴィオラに聞きなさい』と人任せにおっしゃったのと、同じ構図ですね」
シン、と静まり返った。
マーサが後ろで盛大な咳払いをしたが、たぶん笑いをこらえているのだろう
「……わかった........好きにしろーーー」
父が重たい息を吐いて立ち上がり、広間の扉へ向かった.........終わった、そう思った。
ーーーーその刹那
「ーーーとでもいうと思ったか!? アホめ!!!
お前みたいな養子に権力どころか、プライドまでへし折られたままで済むわけないだろ!?」
部屋の空気が、一気に変わった。
父が唐突振り返った時、その手には小さなナイフが握られていた。護身用のものだろう、刃渡りはさほどでもない。されど光を受けてきらりと光った瞬間、私の足が床に縫い付けられた。
「お……お父様、何を.........?」
「騒ぐな........署名の書類さえ燃やしてしまえば全て元通りだ。俺はまだ当主だ、お前など——」
その時.......父の声を遮るかのように、扉が勢いよく開いた。
ーーーヴァイスだ。
きっと、父と私の叫び声を聞いたマーサが呼んでくれたのだろう。それはまるで、物語の王子様のような登場だった。
ヒロインのピンチに颯爽と駆けつける、そんな私のスーパーダーリン..........通称スパダリが私のヴァイスなのだ!
廊下から飛び込んできたヴァイスは、ナイフを持つ父の手首を一瞬で掴む。そのまま腕を捻り、ナイフが乾いた音を立てて床に落ちた。
あまりにも静かで、あまりにも速かったため、私は何が起きたのかを一拍遅れて理解した。
「っ、放せ! 貴様........俺に何をする!」
「........アルフレート・フォン・アーレンス公爵」
ヴァイスの声は驚くほど静かだった。感情の温度が一切ない、それでいて逃げ場のない声。
「令嬢への脅迫および凶器の所持、この場を持って確認した。騎士団長の職権により身柄を拘束する」
「離せ、これは家庭内の話だ!! 貴様に口を挟む権利など——」
「書類への署名は、王宮の司法長官の立会いのもとで完了している。.......既に国家の案件だ」
父がヴァイスの腕を振り払おうともがいたが、びくともしなかった。
........当然だ。この人は四年間、国境で剣を振るい続けていた騎士団長、兼、私のスパダリなのだ。
五十代の文官上がりの公爵が、腕力でどうにかなる相手ではない。
それでも父は諦めない。これまた血筋なのだろう。最後まで足掻き続けるという一点においてはこの一族に勝つことなど不可能だ。
腰に手をやり、今度は短剣を抜こうとした。ヴァイスも、まさか二本目があるとは思っていなかったはずだ.........
「ヴァイス!」
私が叫ぶより早く、その男は動いていた。父の短剣を持つ手を外側から押さえ、逆の腕を背中に回して完全に封じる。そのまま父を床に一瞬だけ制圧し、短剣を抜き取って..........三秒で終わった。
「貴様…..騎士の分際で公爵家当主に向かって......」
「”前“当主、だがな?」
ヴァイスが短く、けれど皮肉たっぷりに返す。
「今この屋敷の当主は、俺の嫁であるリーシェだ」
廊下から騎士団の部下が二名駆け込んできた。ヴァイスの一言で父は両脇を固められる。
「離せ.......離さんか!! リーシェ、お前まさかこんなことを計画していたのか!!」
「……して、いません.......」
私は正直に答えた。
「お父様が武器を持ち出すなどとは、夢にも思っておりませんでした。本当に........驚いています」
「では見逃せ!!! 親子の問題だ!!!........他所者を巻き込むでない!」
「........お父様」
「なんだ.....!?」
「他所者とおっしゃいましたが、ヴァイス様は私の婚約者です。それから、今日の裁判の立会人でもあります。どちらの資格で見ても、この場にいて当然の方です」
父が言葉に詰まる。
「それに......今のお父様の行動は、王宮の証人の前で起きました......もう取り消すことはできません」
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午後の裁判は、あっけないほど速かった。
司法長官が全ての経緯を読み上げ、騎士団長が現行犯として証言した。父は最後まで何か言いたそうにしていたが、もはや言える立場になかった。
「アルフレート・フォン・アーレンスに対し、公爵位の剥奪および郊外の謹慎屋敷への収監を命じる.........期間は王宮の判断に委ねる所とす」
判決が下りた瞬間........父はようやく全部終わったのだと悟ったようだった。
連行される直前、父が一度だけ振り返って私を見た。何かを言いかけて........やめた。
「........リーシェ」
ヴァイスが隣に来た。
「怪我はないかい?」
「はい........おかげさまで」
「さぞ……怖かっただろう......」
「......あなたが来てくださると信じていました。怖がる必要性などないかと?」
これは真実ではない.....けれど、こんな冗談混じりの嘘も今はいいのではないか、そんな風に思えた。
「これで公爵家の当主は正式にお前だ。屋敷も、領地も、全部........」
「……実感がないですね」
「そのうち来るさ........俺がお前を助けに来たようにな!!!」
窓の外に、秋の午後の光が斜めに差し込んでいた。庭の木々が、少しだけ色づいている。私はその光を見ながら思った。
五年間、誰にも守ってもらえなかった。
されど、今は守ってくれるダーリンがいる。そんな生活.......最高と言う以外になにがあるのだろうか?
そんな惚気とも言える疑問を頭に浮かべながら、彼の方にそっと頭を預けるのであった。




