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煙の街の月明かり  作者: 犬山三郎丸


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新しい運命

新しい運命

目を覚ました少女の体は、昨日の自分のものじゃなかった。


少女が目を覚ますと、工房の天井板の隙間から差し込む鈍い朝日が、埃の粒を金色に浮かび上がらせた

油と金属の匂いが、夜のまま残っている


隣ではゼノが椅子に座ったまま、深く眠りこけていた

少女の左手を握ったまま、指先だけが離れない

徹夜のせいか、乱れた銀髪が額に落ち、頬には黒い油汚れが黒々と残っている


少女はそっと上体を起こそうとして、すぐに息を詰めた

体が重い

昨日までの自分の身体とは、質量の感覚が違う


握られた手を動かせないまま、もう片方の腕を目の前に持ち上げる

そこにあったのは、砕けた骨を包むだけのギプスではなかった


銀色と銀が混じった金属が、皮膚に沿ってぴたりと密着し、関節の形に合わせて精密に組まれている

縁は薄く丸められていて肌を傷つけないように処理されているのに、芯の部分では小さな歯車と微細なシリンダーが静かに息をしていた

朝日が当たるたび、金属の面が淡く反射して、工芸品みたいに光る


その隙間から、さらに違和感が覗いた

皮膚の表面に、青白く光る極細の線が走っている

血管のように、神経のように

指先へ向かって静かに這う導線


見ているだけで、チリッ、と小さな火花が一度だけ走った

痛みではない

でも、身体のどこかが勝手に返事をしたみたいで、背筋が冷たくなる


少女は恐る恐る指を動かした

かすかな遅れのあと、金属の内側から「ウィーン」と小さな駆動音が返ってくる

力が入る

以前よりも、ほんの少しだけ強い

その代わり、動かすたびに自分が自分ではないみたいに重い


視線を落とすと、服も変わっていた

裂けていたはずの布地は、厚手の革と補強用の布で不器用に継ぎ足され、何度も縫い直されている

縫い目は荒い

でも、ほどけない

触れると硬くて、あたたかい


そのとき、指を握る力がふいに強くなった

寝息のリズムがわずかに乱れ、ゼノが小さくうめいた


「……ん、……う……」


寝ぼけたまま、握った手を離すまいとするみたいに、無意識に力がこもる


「……おい……どこにも、行くなよ……ガラクタ……」


眉を寄せた顔は苦しそうで、それでも必死だった

少女は返事をする代わりに、握られた手の中でほんの少しだけ指を動かした

ここにいる、と伝えるみたいに


朝の光が、青白い導線の上で静かに揺れた


「……助けてくれて、ありがとう」


少女がそう言って、少し間を置いた

声がまだ掠れている

喉の奥が痛むのか、言葉が短く切れる


それから、自分の手のひらを見て

金属と光る細い線を見て

不安を飲み込むみたいに息を吸って、続けた


「……私、誰?」


その言葉に反応したのは、眠っていたゼノだった

長い睫毛が震え、弾かれたみたいに目を開ける

灰色の瞳が一瞬で焦点を結び、少女の顔を捉えた


「……あ」


自分が手を握ったままだったことに気づいた瞬間、ゼノは熱い鉄に触れたみたいに手を離した

椅子ごと半歩引いて、慌てて言い訳を探す


「お、起きたのか」

「……ったく、心臓に悪い……」


照れ隠しみたいに早口になって、それでも視線が泳ぐ

けれど少女の問いが耳に残った瞬間、顔から色が抜けた


「……誰、って」


義手の指がカチ、と落ち着かない音を立てる

ゼノは眉を寄せて、少女を見た

見てしまった、という顔だ

自分が一晩かけて作った修復の跡を、確かめるみたいに視線が走る


「そんなの、俺が聞きたいくらいだ」

「お前は空から降ってきて、俺の目の前で勝手に壊れた……得体の知れないガラクタ」


言い方は乱暴なのに、声の奥に硬いものが混じっている

怖さと、責任と、少しの苛立ち


「名前も、どこから来たのかも、お前は何も言わなかった」

「……いや、言えなかったのか」

「助けて、ってそれだけだった」


ゼノは頭を掻き、苦しそうに息を吐く


「まさか、記憶まで飛んでるとか……」

「……俺の繋ぎ方が悪くて、脳にノイズでも入ったかよ」


言いながら、さっき飛び退いたことを忘れたみたいに、顔を近づける

少女の瞳孔の動きや呼吸を見て、医者じゃないなりに必死に確認している


「……いいか」

「お前が何者だったかは、今は分からない」

「でも今、お前は動けてる」

「それは俺が直したからだ」


言葉の勢いで言ってしまって、ゼノは少しだけ口を歪めた

言い方がきついのを自覚している


「だから当面、俺の目の届くところにいろ」

「勝手にどっか行って、また壊れたら面倒だ」


棚から古い水筒を引っ張り出し、ぶっきらぼうに差し出す


「飲めるか」


少女は受け取ろうとして、指先の駆動音を怖がるように一度止まった

それから小さく頷き、水筒を見る


「……そう」

「じゃあ、あなたが……私の……」


言葉を探すみたいに視線が上がる

そのまま、わずかに首を傾げて言った


「……持ち主?」

「……ご主人さま、みたいな……?」


ゼノは水筒を取り落としかけた

盛大にむせて、咳き込んで、耳の先まで一気に赤くなる

義手の指がカチカチと高速で空を切った


「ゲホッ……! ちがう!」

「誰がそんな呼び方しろって言った!」


少女は驚いて目を丸くした

けれど逃げない

ただ静かに観察している


ゼノは顔を真っ赤にしたまま、必死に否定を並べる


「持ち主とか、ご主人さまとか、そういうのは……違う!」

「俺は職人として直しただけだ! 変な契約とか、命令とか、そういうのじゃない!」


作業台の向こうへ回り、距離を取ろうとする

手にしていたスパナを盾みたいに構えるが、震えているのがバレバレだった


「いいか、勘違いするな」

「お前は……対等だ」

「……いや、対等って言うのも違う、俺の最高傑作だ」

「でも奴隷でもペットでもない」

「その呼び方は、なし」


言い終えたあと、ゼノは大きく息を吐いた

落ち着け、と自分に言い聞かせるみたいに深呼吸をする


少女は小さく瞬きして、弱い声で言う


「……わかった」

「……じゃあ、どう呼べばいいの」


それが追い打ちになったのか、ゼノは顔を覆った

指の隙間から、恨めしそうに少女を見る


「……名前だ」

「名前がないと、呼びようがない」


ゼノは視線を外し、しばらく黙った

工具台の上のガラクタを意味もなくいじって、結局手元が定まらない

動揺がそのまま指先に出ている


「……よし」

「記憶が戻るまでの仮の名前だ」


ゼノはぶっきらぼうに言って、少女へ視線を戻した


「アイナ」

「ここの言葉で、最初の歯車って意味だ」

「……不服か」


アイナはその響きを口の中で確かめるように、もう一度だけ小さく繰り返した


「……アイナ」


ゼノはそれを聞いて、ほんの少しだけ肩の力を抜いた

相変わらずぶっきらぼうに、でもさっきより低い声で付け足す


「……で、何か思い出せることはあるか」

「一欠片でもいい」


水筒を、今度は落とさずに差し出した

その手はまだ微かに震えていたが、離れない意思だけははっきりしていた


アイナは一度だけ、ゆっくり頷いた

新しい言葉を大事に扱うみたいに、口の中で転がしてから言う


「……アイナ、ね」

「……名前を、ありがとう」


そこで、ほんの少し首を傾げた

昨日までの常識が抜け落ちていて、代わりに目の前の男の言葉を、そのまま当てはめようとしてしまう


「……ご主人様」


――そのひと言で、工房の空気が一瞬で凍った。

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