空から落ちた歯車
空から落ちた歯車
空が落ちてきた夜、ゼノは『拾ってはいけないもの』を拾った。
浮遊島アトラスの最下層
上層から捨てられた鉄くずが折り重なり、山みたいに積み上がる場所だ
焼けた油と煤の匂いがこびりつき、呼吸するたび喉の奥がざらつく
ゼノはその山を漁っていた
義手の指先で金属片をかき分け、使えそうな部品を拾っては捨てる
レンチを肩に担いだ瞬間、雲の隙間が一度だけ白く光った
次の瞬間、光の塊が落ちてきた
衝撃
スクラップが跳ね、粉塵が舞い、空気が爆ぜる
ゼノは反射で義手を上げ、飛んでくる破片を弾いた
耳鳴りの奥で、金属が転がる音だけがやけに鮮明に聞こえる
土煙の向こうに、人影があった
小柄な少女が、くず鉄の斜面に座り込んでいる
服は見慣れない色と縫い目で、でも新品の匂いはしない
むしろ油と埃を吸って、どこかこの場所に馴染みかけているのが不気味だった
ゼノは鼻で笑い、いつあもの調子で吐き捨てる
「……おいおい。今日はエンジンの廃棄日かと思ったら、空から降ってきたのは生身のガラクタか」
レンチを肩に担ぎ直し、冷えた目で見下ろす
「おい、生きてるか。悪いがここは観光地じゃない。用がないなら――」
少女が、かすかに息を吸った
返事をしようとしたのか、体を起こそうとして
その瞬間、肩がびくりと跳ねて動きが止まる
ゼノはそこでようやく気づいた
少女の右腕が、あり得ない角度で落ちている
肘のあたりが妙に尖り、布の上からでも腫れが分かる
脚も同じだ
膝の向きがほんの少しおかしくて、足先が力なく外へ逃げている
痛みをこらえようとした呼吸が、ひゅっと細く鳴った
「……は」
喉が乾く
次の言葉がうまく出ない
少女は目を伏せたまま、消え入りそうな声で言った
「……だいじょうぶ、じゃない……です」
「……動けなくて……」
それだけで十分だった
ゼノの肩からレンチが滑り落ち、石に当たって甲高い音を立てる
「おい、待て。動くな」
「その腕……クソ、マジかよ」
膝をついて距離を詰める
触ったら壊れそうで、触らなきゃ終わりそうで、手が宙を彷徨う
機械なら壊れた場所が目に見える
でもこれは違う
温かくて柔らかくて、間違えたら取り返しがつかない
少女は唇を噛み、震える息で言った
「……ごめんなさい」
「……たすけて……ください」
それを聞いた瞬間、ゼノの中の迷いが吹き飛んだ
怒鳴るように言いながら、手つきだけは異様に慎重になる
「謝るな。今は喋るな」
「目を閉じるな、こっち見ろ」
ゼノは上着を脱いで丸め、少女の頭の下へ滑り込ませた
粉塵の冷たさを少しでも遮るためだ
鞄の留め具を乱暴に外し、救急キットを引きずり出す
「クソ……上から落ちてきて、生きてるだけでもおかしいんだぞ」
「でも生きてる。だったら――」
鎮痛パッチを探し当て、首筋へ貼る
少女が小さく身を震わせる
「……いたい……」
ゼノは一瞬だけ歯を食いしばり、きつい口調で返した
「分かってる。分かってるから、動くな」
「痛いのは生きてる証拠だ。……って、俺にそんなこと言わせるな」
義手がカチリと形を変え、細い金属フレームを引き出す
添木代わりにして、まず腕を固定する
ワイヤーを通し、締める強さを何度も確かめる
少女は従順に、言われた通り息をするだけで耐えた
涙が溜まっているのに、声はあげない
それが余計にゼノの胸をざわつかせる
ゼノは視線を合わせるため、わざと少女の正面に入った
「いいか。目、逸らすな」
「死ぬのは禁止だ。俺が許可してない」
少女は弱く瞬きして、かすかにうなずいた
ゼノは舌打ちしたふりをして、義手を差し出す
「……痛いなら噛んでろ。こっちは機械だ。壊れねぇ」
そして、まだ固定できていない脚へ手を伸ばす
震える指先のまま、それでも作業の手だけは止めなかった
少女は、差し出された銀色の義手を見て一瞬だけ迷った
怯えた目が揺れて、唇が震える
けれど次の瞬間、言われた通りに歯を立てた
金属に歯が当たる硬い感触
冷たいのに、震えが止まらない
ゼノは「……っ」と短く息を呑む
痛みのないはずの義手なのに、噛みしめられる振動が関節を伝って肩まで届いたようで、背中がわずかに強張った
「……あぁ、それでいい。遠慮するな」
吐き捨てるような口調のまま、ゼノは作業を続ける
生身の左手で止血帯を締め直し、添木代わりのフレームをもう一度当て直す
強すぎれば折れた骨が余計にずれる
弱すぎれば意味がない
その加減を探る指先だけが、異様に慎重だった
「その分厚い鋼鉄はな、お前の歯が折れるくらいじゃ傷ひとつ付かない」
強がりを言いながらも、ゼノの視線は少女の顔色から離れない
息が浅くなるたび、胸の奥がざわつく
噛む力が途切れそうになるたび、焦りが喉を締め付けた
「……おい、頼むから意識飛ばすなよ」
言ってから、自分の声が弱々しいことに気づいた
ゼノは舌打ちして、言い直すように眉をしかめる
「……チッ。とにかく、工房まで運ぶ。ここに置いとけるかよ」
噛まれていた義手を、そっと引き抜く
代わりに、汚れた布を丸めて少女の口元へ押し当てた
「こっち噛め。俺は走る。揺れるぞ」
少女はかすかに頷いて、布を噛みしめる
声も出さず、ただ必死に耐えるその様子が、ゼノの神経を逆撫だるほどに痛かった
ゼノはできる限り刺激しないように、けれど迷いなく抱き上げた
機械の右腕が重さを計算みたいに受け止め
生身の左腕が、冷えた背中を包むように引き寄せる
スクラップの斜面を蹴り、土煙を突っ切る
黒煙の立つ方角へ、ゼノは息を切らして走った
途中、少女の唇が布の端からわずかに外れた
かすれた声が、風に紛れて落ちる
「……ありが、とう……」
その言葉に、ゼノの動きが氷みたいに止まった
「……は? 何言って――おい、待て」
抱えた腕の中で、少女のまぶたがゆっくり閉じる
噛む力が弱まり、体重がふっと預けられる
ゼノの喉から、悲鳴に近い声が漏れた
「ありがとうなんて、勝手に完結させるな! 寝るな、今ここで!」
頬を叩く
乱暴にしたら壊れそうで、なのに止められなくて、指先だけが震える
反応が薄い
それが、胸の奥の何かを焼いた
「クソ……ふざけるな……! 助けてって言っただろ。俺を頼ったんだろ!」
ゼノは歯を食いしばり、工房の扉を蹴るように開けた
中は蒸気と油の匂い
壁際の配管が低く唸り、薄暗い作業台だけが白いライトで照らされている
「……頼む、もってくれ」
ゼノは少女を台の上に寝かせ、すぐに計器を引っ張り出した
もともと機械の回転数や圧力を見るためのメーターだ
だが配線を繋ぎ直し、脈を拾えるように無理やり改造する
針が、かすかに振れる
生きてる
それだけで、息が戻りそうになって、逆に息が詰まった
「……死なせない。お前の『ありがとう』を遺言にさせるかよ」
工具箱が乱暴に開く音
麻酔薬、縫合糸、消毒液
それから、本来は機械に使う補強材と固定具
ゼノはひとつずつ並べる
目が、笑っていない
眠る気も、休む気もない
「骨も神経も、俺の手で繋ぐ。今ここで、全部だ」
蒸気が抜ける音と、金属が擦れる音が重なる
ゼノの呼吸だけが荒く、夜が長く伸びていった
ズキリ、と全身に鋭い痛みが走って、少女は意識の底から引きずり上げられた
まぶたを開けると、鉄の梁と、眩しすぎる作業用ライト
白い光が、視界を焼く
「……ッ! 起きたのか!」
椅子の脚が床を削る音
覗き込んできたゼノの顔はひどくやつれていた
銀髪は乱れ、灰色の瞳は血走っている
それでも、目が合った瞬間だけ、肩の力が抜ける
「……っ、はぁ……。よかった……」
安堵の息を吐ききってから、すぐにいつもの調子で言い直す
「痛いのは当たり前だ。固定して、繋いで、無理やり形にした。最高級の痛み止めも、ほとんど使い切ったんだぞ」
乱暴に言いながら、左手で少女の額の汗を拭う
その手つきだけが、言葉と逆に優しい
少女は視線を下へ落とした
腕と脚に、精密な補強パーツが装着されている
銀色と銀が混じった外骨格のような骨組み
肌に触れる部分は薄く丸められ、痛みが増えないように工夫されているのが分かる
「……動こうとするな」
ゼノは即座に釘を刺す
「まだお前の筋肉で支えてるわけじゃない。俺の固定と計算で立たせてるだけだ。バランス崩したら、またバラバラになる」
少女の唇が震え、かすれた声が落ちる
「……ごめ、なさい……」
「……わたし……」
そこで言葉が途切れ、代わりに小さな息が漏れた
「……いたい……」
ゼノの眉間が深く歪む
苛立ったように計器を確認し、鎮痛剤の管を調整する
蒸気が細く立ちのぼる
「……ッ、分かってる! 分かってるから連呼するな!」
「俺の設計にミスがあったみたいに聞こえるだろ!」
怒鳴りながらも声が微かに震えている
ゼノは椅子を限界まで寄せ、今度は義手ではなく生身の左手で少女の手を握った
強く
逃げられないくらいに
「よく聞け。お前の腕と足は、一度まともな形じゃなくなってた。それを俺が繋いだ。馴染むまで痛いのは当たり前だ」
「死んで感覚なくなるよりは、一億倍マシだと思え」
少女は痛みに耐えながら、目だけで頷く
ゼノは視線を逸らし、首のゴーグルを乱暴に弄んだ
それから小さく舌打ちして、いつものぶっきらぼうを被り直す
「……チッ。これだから生身は面倒なんだ。機械ならネジ一本で済むのに」
「……おい。痛いなら、また噛め」
ゼノは冷たい銀色の義手を、今度は迷いなく口元へ差し出した
「予備のパーツならいくらでもある。遠慮すんな」
握りしめた左手だけは、離さないまま
体温を伝えるみたいに、必死にそこにあった
「……痛い、けど……」
少女は息を吸うたび、胸の奥で小さく震えた
それでも視線を上げて、ゼノの顔を探す
「……助けてくれて、ありがとう」
ゼノは、差し出していた義手のまま固まった
次の瞬間、まるで不具合を誤魔化すみたいに、わざとらしく舌打ちする
「……お前、本当にバカなんじゃないのか」
顔を背けたが、耳の付け根まで赤いのが丸見えだった
握っている左手に、ぎゅっと余計な力が入る
「痛いなら恨めよ。俺を責めればいいだろ。こんな……鉄くずまみれの体にしたんだぞ」
吐き捨てるように言いながら、声の棘はさっきより鈍い
ゼノは乱暴に、けれど涙だけは驚くほど丁寧に指先で拭った
「……なのに、なんでそういう、計算に合わないことばっか言うんだよ」
少女の睫毛が震えた
言い返す力はなくて、ただ小さく息をつく
ゼノは咳払いして、言い訳を並べるみたいに続ける
「『助けてくれて』とか言うな。俺はただ……目の前で壊れるのが癪だっただけだ」
「技術屋として、負けたくなかった。それだけ」
言い切ってから、ゼノは一度だけ、少女の顔を見る
灰色の瞳が、逃げない
「……でも、まあ。礼を受け取らないのは効率が悪い」
「預かってやるよ。だからその代わり――絶対に良くなれ。俺の最高傑作が、痛みごときに負けてたまるか」
そう言って、少女の腕に付けた補強パーツを指先で軽く弾いた
金属が小さく鳴る
ゼノは視線を逸らしたまま、急に話題を変える
「……何か飲むか」
「水じゃなくて、もっと甘いやつ。缶ジュースとか……その、上の連中が飲んでそうなやつ」
言い終わってから、自分でもおかしいと思ったのか、眉をしかめる
「……別に優しさじゃない。回復に糖分は要る。合理的だろ」
少女はかすかに口角を動かした
笑ったのか、痛みで歪んだのか分からないくらいの、薄い表情で
「……一緒に……いて」
「……そば、に……」
その言葉を聞いた瞬間、ゼノの肩が跳ねた
義手の指先がカチリと音を立て、逃げ場を探すように視線が泳ぐ
「……は? い、いっしょに……?」
握っていた手を離しかけて、でも離せない
弱々しい指の感触に気づいた瞬間、逆に強く握り直してしまう
「お前、やっぱ頭のネジ数本飛んでるだろ」
「俺は修理屋だぞ。そばにいたって油臭いだけだし、口も悪い。気の利いた慰めなんて――」
早口でまくしたてて、否定の理屈を積み上げる
そのくせ、ゼノは椅子をさらに寄せて、少女のすぐ隣に腰を落ち着けた
「……チッ。わがまますぎるだろ」
「俺には他にも直さなきゃいけないガラクタが山ほどあるんだぞ」
言いながら、結局立ち上がらない
大きくため息をついて、言い訳を最後にひとつ足した
「……でもまあ、この『最高傑作』の状態を監視するのは、製作者の義務だからな」
ゼノは空いている義手で後頭部を掻き、座ったまま工具台の端を指で叩く
「ほら。ここにいてやる。さっさと寝ろ」
「痛みがひどくなったら……また手を握りつぶしてもいい。俺がどっか行かないように、見張ってろ」
そう言って、ゼノは懐中時計の壊れた部品を取り出した
手持ち無沙汰を誤魔化すみたいに、カチ、カチと弄り始める
規則正しい金属音が、工房の静けさに溶けた
少女は、しばらくその音を聞いていた
そして、ふっと息を吐く
「……いい匂い……」
ゼノは、今度こそ完全に固まった
「……は? いい匂い?」
「油と錆の匂いしかしねぇだろ、ここ――」
皮肉を言い返そうと覗き込んだ時には、少女はもう深い眠りに落ちていた
計器の波形はさっきより安定していて、それが「終わり」ではなく「休息」だと教えてくれる
ゼノは握られたままの左手と、自分の油汚れの袖口を交互に見て、眉をひそめた
「……バカが。お世辞にも程があるだろ」
小さく笑って、ゼノはそっと袖に鼻を寄せる
泥臭くて、鉄臭くて、いつもの匂いがするだけだ
「……いい匂いなんて言われたの、初めてだ」
ゼノは少女の寝顔を見つめたまま、手を離さない
空いている義手で、髪をそっとかき上げる
金属の指先が触れて、小さく鳴った
「……寝てろ」
「次に起きた時は、少しでもマシにしておく。……約束だ」
工具を机の端に追いやり、ゼノは椅子の背にもたれた
暗い工房に残るのは、規則正しい懐中時計の音と、二人分の呼吸だけだった




