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第四章: 境界の守護者と四つの異能『選ばれし者たちは、まだ互いを知らない』  作者: ぃぃぃぃぃぃ


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第九十七話:北の要塞都市へ

 エルトリアの街を出発する朝、世界は鉛色の薄明に包まれていた。

 吐き出す息は瞬時に白く凍りつき、馬車の車輪が凍土を噛む硬い音だけが、出発の静寂を切り裂いていく。荷台には五人分の装備と、極寒の北の大地を生き抜くための物資が積み込まれていたが、その重量以上に、五人の胸には重苦しい沈黙が居座っていた。

 これから向かうのは、大陸最北端。

 古北方語で『北の盾』を意味する要塞都市、フォートレス・ノール。

 そこはかつて、北方からの魔物の侵攻を阻む人類の希望の砦であった。しかし、今そこを占拠しているのは魔物ではない。因果を司り、時の流れを弄ぶ漆黒の鎧――魔王三幹部の一角、クロノスであった。

「よし、全員揃ったな。出発するぞ」

 御者台に腰を下ろしたシエラさんが、短く、重みのある声で告げた。

 その横顔には、かつてないほど険しい色が浮かんでいる。彼は御者の手綱を握るだけでなく、常に周囲の気配を読み、因果の乱れによる伏兵を警戒していた。

「ああ。いつでも行ける」

「はい〜。準備できてますよ〜」

「……勝手になさい。私はもう乗ってるわ」

 ライトが剣の調子を確かめながら応じ、ステファニーさんがおっとりと、しかし不安を隠すように笑みを浮かべて返事をする。レイナは既に馬車の奥に陣取り、不機嫌を装いながらも、その指先は杖を硬く握りしめていた。

 だが、その中で一人、アルトだけが異様な様子を見せていた。

 彼は馬車の隅に深く背を預け、震える指先で何度も眼鏡の位置を直している。額には冷や汗が絶えず滲み、その蒼白い顔色は、彼がこれまで払ってきた代償の大きさを物語っていた。

「アルト、大丈夫か? まだ休んでいなくていいのか」

 ライトが心配そうに身を乗り出す。アルトは一瞬、ライトの声に反応するのが遅れた。まるで、意識が肉体に追いついていないかのような不自然な間が空く。

「……ああ、ライトさん。すみません。少し、思考のおりが……上手く消えてくれなくて。視界の端にずっと、砂嵐のようなノイズが走っている感覚なんです」

 アルトの声は、掠れていた。

 前話で構築した【慈愛のピース・メーカー】の理論。そして、その後の過酷な訓練。本来ならば一人が扱える演算限界を遥かに超えた多重処理は、彼の精神と脳を物理的に削り取っていた。

「アルト」

 御者台から、シエラさんの低い、地を這うような声が響いた。

「お前の演算はこのパーティの命綱だ。お前が焼き切れるようなことがあれば、俺たちの術式は瓦解し、全員が因果の渦に呑み込まれて消滅する可能性すらある。今は一分いちぶの精神余力も無駄にするな。いいか、北に着くまで死んだように眠れ。無理に起きてくる必要はない。……それが今の、お前の戦いだ」

 その言葉に含まれた不器用な気遣いに、アルトは微かに微笑を浮かべた。

「……そうですね。指示に従います、リーダー。精神を……一時的に休止させます」

 アルトが深く目を閉じた。それと同時に、ステファニーさんがそっと彼に近づき、柔らかな光を灯した杖を翳した。

「《聖癒ディヴァイン・ヒーリング》――精神負荷オーバーロードを鎮める、冷却の治癒光です〜。これで少しは、昂ぶった頭が落ち着きますよ〜」

 ステファニーさんの癒やしがアルトを包み込む。彼女の役割は、今や負傷を治すだけではない。アルトという繊細な装置が過負荷で壊れないよう、その精神の熱を常に逃がし、保護する役目も担っていた。

 馬車が動き出す。

 北へ進むほどに、風景は日常から乖離していった。

 街道の両脇に並ぶ樹木は、季節を無視して白銀の霜に覆われている。それだけではない。吹き付ける雪のひとかけらが、空中でピタリと不自然に滞留し、重力に逆らって浮かんでいる。風は吹いているのに、雪だけが動かない。

 それは、クロノスの権能が漏れ出し、この地の因果を軋ませ始めている兆候だった。

「さて、ライト。お前はただ座って見物してるだけか?」

「いいえ、魔力を練っています」

「なら密度を上げろ。今のままじゃ隣に座る嬢ちゃんの魔力に呑み込まれて、自意識ごと溶かされるぞ」

「え……私、ですか〜?」

 ステファニーさんが驚いたように首を傾げる。

「違う、レイナだ」

 シエラさんの即答に、レイナが顔を真っ赤にした。

「なっ――! 誰が嬢ちゃんよ! あんた、さっきから失礼すぎじゃない!?」

「事実だろう。お前の闇は深いが、まだ荒い。そしてライト、お前だ。レイナの闇に『包容』されるつもりなら、光の純度を今の十倍に引き上げろ。雑念の混じった濁った光じゃ、接続リンクした瞬間に、その鋭い闇に食い破られて灰になるぞ」

 レイナは憤慨して座り直したが、シエラさんの言葉には否定しがたい真実が含まれていた。彼女自身の闇は、あまりにも強大で、孤独で、他者を拒絶する。それを「楔」で繋ぐためには、ライトの光もまた、絶対的な純度を持たねばならない。

 レイナはしばらく不機嫌な沈黙を守っていたが、やがて視線を窓の外に投げたまま、ポツリと呟いた。

「……一応、忠告してあげるわ。あんたの光、今はまだ『硬すぎる』のよ」

「レイナさん……」

「ただ光を強くすればいいってものじゃない。私を、私の闇を包もうとするなら、一点の曇りもない純度を意識しなさい。……いい? 接続した瞬間に、あんたの光が濁って私の闇が逆流なんてしたら、私の精神構造まで道連れで崩壊しちゃうんだから。……死ぬ時は、一人で死になさいよ」

 その言葉は、突き放すような冷たさの中に、共に心中することを拒む――つまり、共に生き残ることを前提とした、彼女なりの信頼の裏返しだった。

 ライトは頷き、膝の上の聖剣の柄を強く握りしめた。

 一歩間違えれば、隣で俺を信じて背中を預けてくれる仲間を、この手で殺すことになる。

 かつてこれほどまでに剣が重く感じられたことはなかった。彼は目を閉じ、アルトに教わった論理を胸に、光の粒子を一つずつ丁寧に、規則正しく配列し直していく。

 それから、半日が経過した。

 馬車が凍てついた雪を噛む音だけが、等間隔に響く。

 その規則的な音は、まるで自分たちの命を削り取る、巨大な時計の秒針のように聞こえていた。

 ふと、ライトは自分の足元を見て、息を呑んだ。

 馬車の揺れに合わせて動くはずの自分の影が、自分自身の実際の動きより、ほんのわずかに――一拍ほど遅れて、伸び縮みしている。

「……因果の逆流か」

 アルトが、いつの間にか目を開けていた。その瞳には、冷静な解析の色が宿っている。

「クロノスの影響圏に入りましたね。世界の『連続性』が揺らいでいる。本来、原因があって結果があるはずの因果律が、ここではクロノスの意思によって書き換えられようとしているんです」

 視界の先、雪景色の地平線に、巨大な影が姿を現した。

 断崖絶壁にそびえ立つ、石造りの要塞。

 フォートレス・ノール。

 だが、その威容はもはや人類を守る盾ではなかった。街の上空には、オーロラのような不気味な光の渦が巻き起こり、そこには実在しないはずの「巨大な時計の針」が虚空を舞っているのが見えた。

「……あれが、目的地か」

 シエラさんの声に、かつての快活さは微塵もなかった。

 そこに広がるのは、生きた人間が住む街ではない。時間が凍結され、因果を奪われた、巨大な墓標だ。

 シエラさんの剣、ライトの光、レイナの闇、ステファニーさんの癒やし、そして、すべてを統合するアルトの演算。

 五人の絆と、命を削って構築された合体魔法。

 それらすべてが、神の如き権能を持つ漆黒の鎧に通用するのか。

 馬車は、最後の坂を上り切る。

 目の前には、門番さえも槍を構えたまま彫像と化し、静止してしまった絶望の都市が広がっていた。

 決戦のときは、もう、目の前まで迫っていた。

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