第八十四話:ステファニーの役割覚醒
黄金の《生護》と白銀の《光結界》。
二つの光が重なり合い、俺たちの命を繋ぎ止めていた。だが、その防御も永遠ではない。内側からの攻撃を一切遮断してしまうステファニーさんの《生護》は、今の俺たちにとって「安全な檻」であると同時に、反撃の牙を奪う「枷」でもあった。
「シエラさん、このままではジリ貧です……!」
俺の声に、シエラさんは苦渋の表情で頷いた。
「わかっている。だが、《生護》を解除した瞬間、タイラントの物理衝撃をまともに喰らえば俺たちは全滅だ。解くなら、その瞬間に奴を確実に黙らせる『一撃』が必要になる」
「……あたしに考えがあるわ」
レイナさんが、杖を握りしめて前に出た。その瞳には、博打に近い危うい覚悟が宿っている。
「ライトとあたしの魔力をぶつける。《煌闇の紫矢》よ。……本来は対を成す魔力が噛み合う確率は低い。もし発動に失敗して魔力が霧散すれば、あたしたちは無防備なままタイラントに蹂躙されて終わる。でも、決まればあの巨躯を確実に吹き飛ばせる」
それは、究極の二択だった。失敗すれば反撃の機会を完全に失い、そのまま敗北する。
「……信じます、レイナさん。やりましょう」
俺の返答を聞き、シエラさんが低く鋭く号令をかけた。
「作戦開始だ。ステファニーさん、一瞬だけ《生護》を解除してください! その直後、俺とアルトで一秒だけ時間を稼ぐ!」
「は、はいぃ……っ!」
ステファニーさんが震える手で杖を下ろした。黄金のドームが霧散した。
守護が消えた。その刹那、剥き出しになった俺たちを目掛け、タイラント・ゾンビの巨大な爪が空気を引き裂いて襲いかかる。
「させるかぁっ!」
「《影縛りの茨》!」
シエラさんが正面から爪を受け止め、アルトが執念でその足を縛る。だが、ネクロアに強化されたタイラントの力は圧倒的だった。シエラさんの肩から鮮血が舞い、アルトの茨が容易く引きちぎられる。
「今よ、ライト!」
レイナさんの叫びに合わせ、俺は剣を振り抜いた。彼女の放つ極大の闇の矢。その中心に、俺の光を正確に叩き込む。
成功するか、霧散するか――俺たちの魔力が空中で激しくせめぎ合い、そしてパズルのピースのように噛み合った。世界から音が消え、視界が白と黒に反転した。
「《煌闇の紫矢》!!」
放たれた紫の奔流がタイラント・ゾンビの胸部を直撃した。凄まじい轟音と共に、数トンはある巨躯が木の葉のように遠くへと吹き飛ばされていく。
距離ができた。だが、上空のネクロアは動かなかった。杖を携えたまま、その紫の瞳は冷徹に俺たちの連携を観察していた。
『……ほう。相反する魔力の衝突、その偶然による増幅か。面白い、実に興味深い実験データだ』
嘲笑は止んでいた。代わりにあるのは、観測者としての無機質な知性。その沈黙が、かえって俺たちの背筋を凍らせる。
「シエラさん!」
俺は肩を押さえて膝をつくシエラさんの元へ駆け寄った。傷は深い。止まらない出血に、ステファニーさんが悲鳴を上げそうになった。
その時だ。上空のネクロアが、残酷な愉悦を込めて杖を振った。
『ククク……無様だな。小娘、よく見ておけ。お前が結界を解いたせいで、仲間が傷ついた。お前が弱く、臆病であるほど、周囲の人間は血を流し、死へと近づいていくのだよ』
「あ……あ、ああ……っ!」
それは、実体を伴う呪詛だった。ネクロアの「精神浸食」が、ステファニーさんの心に直接「罪悪感」を植え付けていく。彼女の脳裏に、今のシエラさんの負傷が、まるで取り返しのつかない致命傷であるかのように誇張されて映し出される。
『お前の存在そのものが仲間への害毒だ。救おうと足掻くほど、お前は仲間の命を削る死神になる……』
「ちが……違う……っ、私は……!」
恐怖。自己嫌悪。目の前で傷つくシエラさんの姿に、彼女の魂が絶望で塗りつぶされようとしたその時。
俺は、彼女の細い肩を強く掴んだ。
「ステファニーさん、俺を見てください!」
俺の叫びが、彼女を縛る呪詛を切り裂いた。
「ネクロアの言うことなんて聞かなくていい! シエラさんが傷ついたのは、俺たちが反撃を選んだからです! あなたが俺たちを信じて、結界を解いてくれたから、チャンスが生まれたんです!」
ステファニーさんの瞳に、わずかな焦点が戻る。
「俺たちは生きてる! あなたの魔法に守られて、今、ここに立ってるんです! だから、あなたの力でシエラさんを繋いでください! 俺たちの命を、諦めないでください!」
俺の必死の眼差し。そして、傷つきながらも「大丈夫だ」と微笑むシエラさんの姿。
ステファニーさんは溢れる涙を拭い、泥に塗れた足で、震えながらも一歩前へ踏み出した。
恐ろしい。自分を責める声がまだ耳に響く。それでも、この一歩を引けば、大切な人たちが本当に消えてしまう。
「……《聖癒》〜っ!」
炸裂したのは、これまでにないほど澄み渡った黄金の光だった。シエラさんの傷が瞬時に塞がる。だが、その光の余波が、起き上がろうとしていたタイラント・ゾンビの足元に触れた瞬間――。
「グオオオオオオオッ!?」
戦場を揺るがしたのは、怒りではない。魂を直接焼かれるような、凄まじい苦悶の絶叫だった。光に触れた腐肉が、再生を拒絶して灰へと変わっていく。
巨体はなお蠢いていたが、その再生は明らかに止まっていた。
『……生命か。不死を侵すとは……皮肉なものだ』
ネクロアが独り言のように呟く。その声に、わずかに驚きが混じる。
アルトが、朦朧とする意識の中でその正体を見抜いた。
「……そうだ……死の魔力で動くゾンビに、高密度の生命エネルギーを注ぎ込めば……不死の構造そのものが崩壊するんだ!」
「ステファニーさんの癒しが……奴を倒すための刃になる!」
俺の言葉に、ステファニーさんは驚いたように自分の手を見つめた。
自分が無能ではないこと。
震える足で踏み出したその一歩が、仲間の命を、そして戦況のすべてを塗り替えた。
「……わかりました〜! 私、みんなを癒して……そして、あの悲しい化け物を、安らかに眠らせます〜っ!」
ステファニーさんの杖から、真実の救済の光が溢れ出す。
守られるだけだった少女が、戦場を支配する「光の導き手」として覚醒した。
ネクロアは、依然として沈黙を保っている。その視線は、もはや実験体を眺めるものではなかった。
『いいだろう。これこそが、観測するに値する“イレギュラー”だ』
戦いは、ついに決着の最終局面へと突入しようとしていた。




